だいふくちゃん通信

2023/10/06

多様な人々が共に生きる社会がめざされる現在。

しかし今なお、特定の宗教を信仰していることで、制約を受けたり、被害を被ったりする人がいます。

さらに、それぞれ異なる信仰を持った人同士が対立し、戦争やテロといった大きな事態に発展してしまうこともあります。

このような「宗教対立」はどうすれば解決できるのでしょうか?

この先を読む前に、みなさん、少し考えてみてください。

……

手段としてまずひとつ思いつくのは、相手の宗教をよく理解することでしょう。

つまり、互いに言葉を交わしその宗教をよく知る「宗教間対話」が、宗教対立の解消につながるということです。

みなさんのなかにも、話し合いによる異文化理解によって偏見をなくしていくことが重要だと考えた人がいるのではないでしょうか?

しかし実は、この「宗教間対話」という手法には、大きな落とし穴があるのです。

一見平和的で合理的に思えるこの方法に、どんな問題点があるのでしょうか?

そして、どうすればその「落とし穴」を乗り越えることができるのでしょうか?

宗教学者の藤原聖子先生による講義「宗教をめぐる共生の現在ー“異文化理解”的発想の陥穽」を通して、いっしょに学んでみませんか?

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

「宗教間対話」の落とし穴

それでは、「宗教間対話」のどこに落とし穴があるのでしょうか?

講義では、次のことが指摘されます。

まず、類似点の多い宗教でも対立が起こっていること。もし互いの無理解が対立を招くのだとすれば、それぞれかけ離れた宗教ほど対立するはずです。しかし実際は、似た教義を持つ宗教間でも対立が起こっています。それどころか、同じ宗教のなかでも対立が生じていることさえあります。

また、宗教についてよく知ると差別や偏見がなくなるかといえば、必ずしもそうではありません。「宗教についてよく知ると、相手の宗教をからかうのもうまくなる」と述べている宗教教育の先生もいるそうです。

そしてそもそも、宗教間対話に参加する人は、既に一定の価値観や利害を共有しているという前提もあります。元も子もない話になりますが、本当に共存を考えなくてはいけない人同士は、対話のテーブルにつくことがありません。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

それでは、私たちは共生のために何をすればよいのでしょうか?

どのような信仰を持つ人も「公平」だと感じる場

もともと、ある宗教を信仰する人は、異なる文化圏に入ったときに、その文化に同化するしかありませんでした。1970年代、藤原先生が中学生で、イギリスに住んでいたとき、そこではイスラム教徒やヒンドゥー教徒の友だちもみな同じようにイギリス風の生活に合わせていたそうです。

次第に「多文化主義」の価値観が広がり、多様な宗教を信仰する人が、自身のアイデンティティを尊重しながら暮らしていくようになります。

そして現在は「ダイバーシティ」の時代。宗教や信仰がオープンになっただけでなく、それらの共生、社会参加と統合がめざされるようになりました。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

このような異なる宗教の共生は、どうすれば実現できるのか? いまはこのような段階です。

正しい知識と、相手への思いやりや誠意があれば、なんとかなると考えている人もいるかもしれません。

しかし、先ほど確認したとおり、異文化の理解は根本的な解決につながりません。「尊重」はできても、「共生」はできないのです。

むしろ問題の本質は別のところにあります。

その「本質」を考えるために、次のシチュエーションを想像してみてください。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

新入社員の親睦会。そこには、宗教上の理由でアルコールが禁じられている人がいます。

会場はどのような場所を選ぶべきでしょうか?

① お酒を飲むことが前提のバーや飲み屋はNG

② ソフトドリンクがあればバーや飲み屋でもOK

みなさんは①と②、どちらの回答に納得感があるでしょうか?

イギリスの「職場の宗教ハラスメント防止」ガイドブックには、①「お酒を飲むことが前提のバーや飲み屋はNG」と記載されているそうです。お酒を禁じる宗教は、自身が飲酒することだけでなく、酩酊した人のいる空間にいること自体が好まれないためです。

「一部の人だけが配慮されてずるい」と感じたでしょうか? もしそのような気持ちになったのであれば、そこにこの問題の本質が隠れています。

つまり、共生のための「落とし穴」とは、さまざまな宗教の人が共存する社会で、「不公平にならない」ようにしなければならないということです。

もし自分が一対一で飲食を共にするのなら、相手の宗教に合わせてあげればよいだけの話ですが、ほかにも人がいるのなら、どのような信仰を持つ人も「公平」だと感じる場をめざさなければいけません

つまり、共生のためのルールが必要なのです。

これには正解がなく、また知識や思いやりで対応できる話でもありません。

多文化主義政策をとる国(英、米、加、豪など)では、さまざまな宗教をもつ人のために、それぞれ異なる施策が実施されています。

講義で紹介されるのは、礼拝所の問題。

空港には、宗教用に礼拝室が設けられていることがありますが、その規模や仕様は国によって異なります。それぞれの国ではどのような施策が取られているのか、ぜひ講義を視聴して確認してみてください。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

学食のお茶は特別サービスなのか?

それでは、多文化主義政策があまり進んでいるとはいえない日本の場合はどうでしょうか?

講義で紹介されたのは、東大のイスラム教徒の学生の主張

困っていることはないか、藤原先生が尋ねたところ、「学食で、豚肉料理がのっていた他の人の食器といっしょに、自分の食器が洗い場に流れるのをみてゾッとした」と答えたといいます。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

この問題の解決方法を日本人の学生に聞いたところ、「マイ食器を持ってくる」、「有料の紙皿を提供する」という回答がありました。

イスラム学生への特別サービスになるので、自己負担ならOKだということです。

しかし、東大の学食ではお茶が無料で提供されています。ふだんお茶を飲まない人も、これがお茶を飲む人への特別サービスだと感じている人は少ないでしょう。一方、イスラム学生から見れば、お茶の方が特別サービスのように思えるかもしれません。

つまり、日本人の学生の多くは、「無宗教」の状態が社会のデフォルトであり、特定の宗教へ対応することは特別な優遇だと感じているということです。

一方、信仰をもつ学生(この場合イスラム学生)は、それぞれ宗教をもっているのが社会のデフォルトであり、一部の人だけ不便であってはいけないと感じています。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

このように、日本社会は「無宗教」が一般的なので、世俗主義をベースとして暗黙のうちにルールを設定しています

しかし、宗教ベースの社会からみると、そこには不公平に感じることも数多くあるのだといえます。

終わりに

ルール制定のためには、政治的な問題、社会の課題について話し合って、共に解決法を考えていく必要があるでしょう。しかし、その話し合いの前提自体が世俗主義の価値観をベースにしていることも多く、真の公正をめざすのは簡単なことではありません。

ただ、宗教の共生の障害として、特定の宗教への無知や偏見を挙げる段階はもう過ぎていることは確かで、これからは公正な社会を作るためのルールを考えていかなければいけません。

この講義動画は、OCWの動画としては比較的短く、1時間かからず視聴することができます。ぜひみなさんも動画を観て、学びを深めてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:共に生きるための知恵(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2014年度講義)第6回 宗教をめぐる共生の現在―“異文化理解”的発想の陥穽 藤原 聖子先生

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2023/09/27

みなさんは、自分は恵まれていると感じるでしょうか?

「まあまあ悪くない」と、ある程度現状に満足している人もいれば、そうではないと感じる人もいるかもしれません。

不満を感じていると、自分よりも恵まれていそうな人を羨んでは、憎んでしまうことも……

ですが、その憎しみがなぜか、強い立場にいる人ではなく、弱い立場にいる人に向いてしまうことがあります

弱い立場にいる人とは、たとえば、女性、エスニックマイノリティ、生活保護受給者など。

現代の日本社会では、このような社会的に立場の弱い人への批判的な運動が、一部で行われています。

本来、「被害者」といえるはずの彼、彼女たちが、どうして責められてしまうのでしょうか?

社会学者の北田暁大先生と一緒に考えてみませんか?

「日本社会は『右傾化』しているか」

今回紹介するのは、2016年に開講された「日本社会は『右傾化』しているか」という講義です。

講義が開講されてから時が流れ、語られる現状には少し変化が生まれていますが、取り上げられる問題は現在も本質的には未だ解決していません。

その本質的な問題とは、社会的弱者の平等の推進に対する「バックラッシュ(反動・揺り戻し)」です。

これまで社会的弱者の地位は、幾多の取り組みの末、部分的に回復してきました。

それに対して、不当だと声を上げ、平等化の流れに反発するのがバックラッシュという動きです。

北田先生は、このようなバックラッシュの動きを「右傾化」として捉えます。(そのため、「右傾化」は現状の維持を求める「保守化」ではなく、むしろ現状を改めようとする「反保守化」の動きとして起こっているといいます。)

講義では「トランプ現象」や「極右政党『ドイツのためのオルタナティブ』の伸長」、「フランスにおける価値統合問題」などが、バックラッシュの世界的な例として紹介されます。 日本でも同様のバックラッシュが起こっていて、北田先生は排外主義的な主張を行う「在特会」について言及しています。

印象論により行われる「現代的差別」

このような激しい政治的な運動が例となると、自分には縁のない話だと考える方もいるかもしれません。

しかし、この運動の背景になっているのは、「社会的な弱者に何かを奪われていると感じる剥奪感」です。

このようなそれなりに恵まれているマジョリティが感じる被害者意識は、ほかにも様々な形で表れています。

たとえば講義で紹介されたのは、生活保護受給者へのバッシング

生活保護受給者は、マジョリティよりも厳しい立場に置かれている社会的弱者ですが、「税金を食い潰している」として責められることがしばしばあります。

そのほかにも、いわゆるニートやゆとり世代へのバッシング、痴漢の被害者への批判など、本来「被害者」とも言えるような人が標的にされる例は枚挙にいとまがありません。

講義で紹介される概念に、「現代的差別」というものがあります。

これは、従来の「〇〇は△△に劣る」と主張する「古典的差別」に代わるものとして、作家の高史明が提示した概念です。

現代的差別は、「差別は既に解消しているにもかかわらず、彼らは自分たちの努力不足による結果による“区別”を受け入れないどころか、不当な特権を得ている」というロジックに依って行われます。

そこでは、実際の制度的な背景は無視され、印象論や身の回りの一部の事象を引き合いに、差別がなされるのです。

「〇〇化」について考えるときの3つのポイント

さて、今回紹介する講義のタイトルは、「日本社会は『右傾化』しているか」というものでした。

講義の前半では、日本社会に上述のようなバックラッシュの動きがあることが示されます。ですが、その現象を「右傾化」といえるか、すなわち過去と比べてその傾向が強まっているかどうかを判断するためには、もう少し詳細に考えていく必要があります。

そもそも、「〇〇化」というのは取り扱いが難しい概念で、正しく見極めないと、単なる印象論になってしまいます。

そしてその印象論は、特定の属性を持つ人々に対する間違った決めつけを生み、現代的差別に発展しかねません。

それでは「〇〇化」について考えるにあたっては、どのようなことに注意すればよいでしょうか?

授業の後半では、よく話題になる「若者の〇〇化」を例に、印象論について考察します。講義で紹介されたこちらのグラフ。

これを見ると、日本では、高齢者と比較して若者の愛国心が低くなっていることが分かります。

しかし、このグラフを見るだけで「日本国民の愛国心は弱まっている」と判断することはできるでしょうか?

下で紹介するのは、1969〜2009年の間、各年代ごとに全年齢と若者(20-24歳、25歳-29歳)の愛国心を抱く程度をまとめたグラフです。

このグラフから、「今の若者の愛国心が低くなっている」のではなく、「戦後日本では、どの年代においても、若者の愛国心は高齢者と比較して低い傾向がある」のだと見なすべきだと考えられます。

さらに、世代ごとの主張の時系列変化を見る際には、以下の3つの効果を意識する必要があります。

まずは「年齢効果」。これは年齢によって主張が変化していくということです。先ほどの愛国心の例はこの年齢効果を受けているといえます。

次は「コーホート効果」。世代ごとの主張は、その世代が育った時代の歴史背景に影響を受けるということです。たとえば戦争を体験したかどうかは、大きな主張の違いをもたらします。

そして「時代効果」。これは、特定の世代ではなく、特定の時代によって主張が影響を受けるということです。この場合、全世代の主張に変化が見られることになります。

この3つの効果のうちどれが働いているのか、いくつかのグラフを見比べながら判断することが、無根拠な世代語りに陥らないためには必要です。

「若者の関係が希薄化している」は真実か?

若者に対する印象論について、もう一つの例を見てみましょう。

しばらく前に「若者の関係が希薄化している」ということが主張され、話題になりました。

そこでは「今の若者は(職場で)昔の若者より形式的な人間関係を望んでいる」と考えられました。

しかし、実際にはどうなのでしょうか? 講義で紹介されるグラフを見てみましょう。

全体的に形式的な付き合いを望む割合が増えているように見えます。つまり、形式的な付き合いを望むのは、世代の効果ではなく「時代効果」だと考えられそうです。

講義ではさらに情報を絞ったグラフが紹介されます。

これを見ると、なんと若者(20代)の形式的付き合いを望む比率は1973年と2003年であまり変わらないのに対して、40代〜60代の比率は大きく上昇しています。

北田先生はここから、若者ではなくむしろ、職場で中堅以上を担う年齢層が、以前よりも形式的な人間関係を望んでいるといったほうがよいと主張します。

それにもかかわらず、世間では「若者の関係が希薄化している」と言われていたのです。

北田先生は、このような実態と異なる認識が生まれてしまう原因に、人々が「自分自身を固定的なアクターとして設定すること」があると指摘します。つまり、自分の変化には自覚的になることができないため、代わりに他の世代を社会の変化の要因にしてしまうということです。

「自分の若い頃と現在の自分との差異」を「世の中一般の昔と今の差異」として捉えてしまう。そして、「昔と今の差異」をもたらした要因として、新しい世代・若者が見出されてしまう。これが講義で説明される「若者論」の理由です。

「若者の関係が希薄化している」という主張は、実態と異なっていました。このようにピックアップするものを間違えると、誤った印象論になってしまうのです。

現代的差別を行わないために

講義の終わり、北田先生は、現代的差別に対処するために、講義を受けた聴講生に行ってほしいことがあると述べます。

それは、印象論に陥らないことです。

自分の身近なことは大切ですが、一般化する前に、それらについての調査や研究を調べてほしいといいます。

講義を通して、適切にグラフを理解することで、現状が明らかになることが示されてきました。家族や友達などのあり方は、社会制度によって大きく変わってきているため、実態を正しく捉えることが大切だといいます。

「若者は○○だ」「生活保護受給者は○○に違いない」といった対象への誤った見方が、人々を現代的差別に走らせる一つの要因になると考えられるからです。

この講義は、日本や世界の現状が理解できるだけでなく、自分の認識やあり方について問い直すこともできるような内容になっています。

記事では伝えきれなかったことも多くあります。興味を持った方は、ぜひ講義動画を視聴して、学びを深めてみてください。

<文/竹村 直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:現代日本を考える (学術俯瞰講義)第2回 日本社会は「右傾化」していてるか?北田 暁大先生

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2023/09/20

「デジタル・ヒューマニティーズ」という言葉を知っていますか? 
デジタル技術を用いて行う新たな人文学研究のあり方です。
デジタル化が急速に進む現代において、人文学の分野でもデータベースなどの存在が研究のあり方に変化をもたらしています。
急速なデジタル化の中で掴みきれないほどの広がりを持つ「デジタル・ヒューマニティーズ」を学ぶことにどんな意味があるのでしょうか?

今回紹介する講義では、中国の古典を専門とする齋藤希史先生が、孔子や朱熹、中島敦といった東アジアの文学作品を通してこの問いに取り組みます。

中島敦『文字禍』

みなさんは青空文庫を知っていますか? 
著作権がない作品や著者が許可した作品が無料で公開されているデータベースです。
作品名を検索したらネット上で無料で読むことができた、という経験をしたことがある人も多いと思います。

ここでは中島敦の『文字禍』を例に挙げて、紙ベースとデジタルにおける読書を比較します。

まず、紙ベースの本を手に取ると、1942年に雑誌「文学界」で『山月記』と同時に発表されたということや、その時代の広告、本の価格など、作品の内容以外の情報を得ることができます。
作品の時代性に触れるという経験は、青空文庫で読むときには得られないものです。

一方、青空文庫からアクセスすると、旧字・旧仮名が現代遣いに変換されていることがわかります。
これによって、過去の作品も現在のものと同じように処理ができ、より手軽に読むことができます。

中島敦『文学禍』|青空文庫

『文字禍』の舞台はアッシリアです。
齋藤先生は、この作品のテーマは文字の物質性であり、本=物ということを強烈に具現化するために、竹簡や木簡、紙ではなく粘土板を使用したアッシリアを舞台に選んだのだろうと言います。
ここでは、本が意味を持つということはその物質性、つまり粘土板であることによって保証されていて、データにしてしまうと、本は意味を持たないのです。
『文字禍』において明らかにされているメッセージは、文字とは物質としての書籍そのものであるということです。

デジタル人文学研究

次に、論語の冒頭を取り上げて、東アジアの観点から人文学について考えていきます。

論語などの重要な書物には、原文の他に2種類の注釈があります。
一つ目は原文をわかりやすく解説する「注」、二つ目はその注をさらに細かく解説した「疏(そ)」です。
古典が読み継がれるうちに、どんどん注釈が増えてその内容も多様化していくと言います。
そのように繁殖していった注釈を含めて、今日では数々の古典がデータベース化されているのです。

現在、古典書籍をデジタル化してさまざまな分析に活用する「デジタル人文学研究」が行われています。
例えば、論語注釈のデジタル版は、OCR(PDFの文書を文字起こしできるツール)を利用してデータ化されています。他にも中国古典の様々な文書がデータベース化され、内容の関連などをデータ上で分析できるようになっています。
また、東京大学総合図書館では、『直江状』という江戸時代の資料を「訓点がついてルビなしの文」、「書き下し文」、「カタカナをひらがなに変換した書き下し文」など、原文データの表示形を自由に変えることができるデータベースを所蔵しています。

このようなデジタルと人文学の関係は私たちに何を示唆しているのでしょうか?

まず、これらは「物としての書物や文献」をデータに移し替えるという行為であるということができます。

ヒューマニティーズは、ギリシャやラテンの研究のように、古典という書物を相手にしています。
また、漢字の「人文」という言葉を辞書で調べると、人間の築いた文明、人の書いた物・文章・書物という語義であることがわかります。
ヒューマニティーズと人文では西洋と東洋の違いはありますが、根本はおそらく同じだろうと言います。
その根本とは書物や古典であり、『文字禍』における粘土版です。

書物をめぐる人文学は以下のように三つの時期に分けることができると言います。

①近代以前:書物は私有されていて誰もが自由に読めるものではありませんでした。

②近代以降:公的な図書館ができ、書物が占有から公有へと変化していきます。

③現在:デジタル化によって、物からデータが分離しています。論語のような貴重な書物をデータベース上で誰でも見ることができるという意味で、公有であるということができます。

書物というものを中心に考えていくとき、我々は書物を読むことで知識や情報を自分の記憶に入れ、それらを言葉として話すことができ、文字として書くことができるというように、体の中に「知」というものを入れ込んでいく作業を行っています。
書物を身体に取り入れて、書く・話すことによって、「知」が身体化されていくのです。

試験の時に暗記した知識を取り出す、という作業は、身体化できているかどうかを試す、いわば体育のテストのようなものだということができます。

この観点から、読書とは知識を体に収める過程であり、書記とは身体からそれらの知識を離して物質化する過程であるということができると言います。

朱子語類『読書法』

次に、東アジアの人文学に多大な影響を与えた人として、朱熹を取り上げます。朱子語類の『読書法』において、書物の身体化はどのように捉えられていたのでしょうか?

本というものはその物質性によって価値が保証されているのであり、竹簡や木簡から書き写して物質性が失われることで、価値が損なわれてしまうという批判が書かれています。
竹簡や木簡を利用していた当時、中国の古典を読むためには訓練が必要でした。

少し前まで、我々がこれらの内容を探すためには、図書館へ行き朱子語類を頭から読んでいく必要がありました。
しかし、デジタル化されることによって、訓練されていない人でも容易に該当箇所を探し出し、類似した記述を他の作品とリンクして検索することができるようになったのです。

また、朱熹は読書を食事に例えています。最初に噛み付き、咀嚼して崩していくと滋味が自ずから出てくるのだと言います。
さらに、書物を音読することにも重きを置いていました。
こうした「身体化」的な読書の仕方が東アジアのスタンダードだったのです

デジタル・ヒューマニティーズの在り方

これらを踏まえて、現在のデジタル化は人文学にとってどんな意味を持つのでしょうか?

あらゆるものを対象として数字化することにより、データ処理速度が上がり、データの複製や共有が急拡大しています。また今日では、デジタルを用いて調べることが一般的になり、意識しないと物に触れることができなくなっています。
昔は「技法」であったデジタルのあり方が逆転したのです。

さらに斎藤先生は、手順や訓練に重きを置く人文学において脱身体化が進み特定の分野に発信されてきた文学や哲学、歴史学が他の分野に発信可能になったり、誰でも簡単に書物を読み解くことができるようになったことで人文学の研究者が謙虚になることを迫られたりするのではないかといいます。

Googleマップがどんどん精密になっていくように、情報のデータ化・脱身体化が進む中で、それでもこの身体がある場所の感覚と私たちとを切り離して生きることはできないという「身体性」を一つの方法として扱うことはできないのでしょうか?

<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:デジタル・ヒューマニティーズ ― 変貌する学問の地平 ― (2018年度開講 学術俯瞰講義) 第12回 デジタル・ヒューマニティーズと東アジアの人文学 齋藤 希史先生

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2023/09/13

コンサートやミュージカル、お笑いのライブ、古典芸能(能、歌舞伎など)と、世の中には様々な種類の「舞台」があります。憧れの役者さんや芸能人に直接会うことができたり、非日常の感覚を味わうことができたりして、好きだという方も多いと思います。

では、現代の舞台演劇の公演、いわゆるお芝居の舞台についてはどうでしょうか? このコラムの筆者は歌手のコンサートやライブにはたまに行くのですが、実は演劇の公演にはあまり足を運んだことがありません。なんとなく理解するのが難しい、敷居が高い、というイメージがあるのですが、共感してくださる読者の方もいらっしゃるのではないでしょうか……?

さて、今回ご紹介する2017年の講義「演劇における偶然性 観客の立場から」は、そんな「演劇」がテーマです。演劇の「難しさ」の理由を丁寧に解きほぐしながら、「対話」をキーワードに現代演劇の姿に迫っていきます。

ロシアの演劇や文学をご専門とする楯岡求美(たておかくみ)先生による、現代演劇入門にもぴったりの充実した講義です。

演劇の特質

まずは、演劇の特質とは何か、他の芸術と比べた時に何が演劇の特徴なのか、という問いから講義は始まります。それは、演劇が「時空間芸術」であることだと先生は言います。

たとえば映画では、スクリーンの上で人や物が動きますが、それは本物の人が動いているのではなく、人の映像(影)が映っているにすぎません。それに対して演劇では、必ず舞台の上に俳優がいて、客席にお客さんがいる、ということが必要になります。このように、パフォーマーと観客が時空間を共有することが演劇の基本的な性質です。

さらには、俳優が客席から登場するような演出や、観客から俳優に対する掛け声、拍手など、舞台と客席が「接触」することによる臨場感も、重要な特質の一つです。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 楯岡 求美

これをふまえて、先生は今回考えたい「問い」を提起します。以上のような俳優と観客の交流は、かねてより演劇の特色としてよく論じられてきたことですが、では、観客が実際に(物理的に)演劇の舞台に参加し、介入することは可能なのでしょうか? それはどのような場合に可能になるのでしょうか? 

この一見不思議な、大きな問いについて考える前提として、講義の以下では演劇論の基礎が紹介されていきます。

演劇を論じる難しさ

さて、楯岡先生によると、(現代の日本で)演劇を論じることにはいくつかの難しさがあると言います。

まず一つは、演劇を理解するためには、ルールやスタイルを習得し、「演劇言語」を知っていることが必要なことです。英語を全く知らない人が英語のスピーチを聞いても、言っていることがわからないのと同じように、演劇には特有の表現方法や言語があることを知っていないと、演劇が「わからなく」なってしまうのは当然です。

しかし、いざ「演劇言語」を学ぼうと思っても、そこには困難が待ち受けています。日本ではそもそも演劇を見る機会が多くはないのです。映画館や美術館は、時間ができたからふらっと行ってみる、という鑑賞体験が簡単にできます。しかし演劇ではそれが難しいです。演劇は時空間芸術であり、俳優と観客が同じ時空を共有する芸術だと先ほど紹介しましたが、それはある特定の時間と場所にい続けなくてはいけないということに他なりません。さらに、チケットが高額なケースもあります。時間もお金もかかる演劇鑑賞は、必ずしも日常的にできることではありません。

しかも、こうした困難を乗り越えて真剣に演劇を学ぶことができたとしても、演劇が「わかる」ようになるのか、というと、また違った難しさがあります。演劇を論じるための記号論(文法)が発達途上だからです。すでに20世紀初頭にはボガトゥイリョフやロラン・バルトなど記号論の論者によって演劇論がなされ、以降100年以上も演劇論が積み重ねられてきましたが、完成しないのだと楯岡先生は言います。現代芸術の表現は常に、一旦完成したものを壊し、変化していくものであるため、それを論じるための言葉も常に刷新され続けなければならないのです。

何を求めて芝居を見るのか?

以上のように、演劇を論じることには様々な難しさがあります。それでも演劇について考えるために、そもそも私たちは、劇場にお芝居を見に行く時、そこに何を見に行っているのか? を考えてみましょう。楯岡先生は、「俳優」「物語」「演出」「ハプニング」の4つを挙げて説明しています。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 楯岡 求美

まずは「俳優」です。当然ですが、舞台を見に行くと実際の俳優に生で会うことができます。これは大きな特徴かつ魅力です。演劇は〈会いに行ける〉芸術なのです。

次に「物語」です。演劇では、1〜2時間の決まった時間内に、目の前で物語が展開されるので、手軽に物語のあらすじを知ることができ、まるでVRのように物語世界を体験することができます。また、等身大のリアルな登場人物に感情移入して、共感・共鳴するという楽しみ方もあるでしょう。

さらに、「演出」という要素も大きいです。たとえ暗記するほどよく知っている物語であっても、予想外の演出や表現方法によって、話が違って見えることもあります。舞台装置や衣装などを現代アートとして楽しむこともあります。

最後に楯岡先生は「ハプニング」を挙げます。演劇を見ていると、俳優がセリフを間違えてしまうなどのハプニングが起こることがあります。そんな時、見ている観客はなぜか「お得感」を感じませんか? この「お得感」を感じるのは、このお芝居がたしかに今、ここで起きているということの保証であり、自分が今ここで演劇の空間を共有していることの保証になるからだと先生はいいます。

現代演劇と「対話」

ここからは、より具体的な例にそって、演劇の核心に迫っていきます。

演劇では様々な人同士の「対話」が行われます。物語の中の登場人物の対話はもちろん、俳優と観客の対話、そして演出家や俳優とテクストとの対話もあります。こうした「対話」としての演劇が後半のテーマとなります。

講義動画では、実際の舞台公演の映像が引用され、それに即して演劇と「対話」の関係が語られます。講義の後半部分については、なんといっても文字でまとめるだけではうまく伝わらない部分もあるので、ぜひ講義動画で、舞台の映像と楯岡先生の解説をご覧ください。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 楯岡 求美

おわりに

講義部分のみの動画は50分程度と比較的コンパクトなサイズですが、内容はぎっしりです。「観客は舞台に介入できるのか?」というディスカッション課題に関する教室の学生の答えや、質疑応答も収録されており、講義のライブ感を感じることができますので、講義動画もぜひチェックしてみてください。

ちなみに他にも、東大TVにて楯岡先生による高校生向けの模擬講義の動画が公開されています。「物語」や文学についての講義で、東大TVのコンテンツの中でも人気の一本ですので、ぜひこちらもご覧ください。

楯岡求美「物語の形:聞こえるものと見えるもの」ー高校生のための東京大学オープンキャンパス2019 模擬講義

<文/W.H.(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:〈偶然〉という回路(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2017年度講義)第11回 演劇と偶然② 楯岡 求美先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

関連記事:身の回りの「文化」をみつける—災害・民俗文化財・神田祭

2023/09/06

夏の風物詩の一つといえば、怪談ですね。

ということで、今回は怪談のような怖い話から紹介します(といっても、ホラーのような話ではないので、苦手な方も安心してご覧ください)。

1984年のある日、アフリカの国・カメルーンの、のどかな湖畔で起きた事件の話です。早朝5時ごろ、12人の人が一台のトラックに乗り(アフリカの田舎なので荷台に人が乗ってもあまり問題がないらしい)、市場に向かっていました。すると突然、トラックのエンジンが止まりました。荷台に乗っていた人たちの何人かが様子を見るため、トラックを降りました。

すると、その人たちは次々と倒れていったのです。それに驚いてトラックを降りた運転手たちも倒れてしまいました。

トラックの上に乗っていた2人はそれを見て、しばらく降りずにいましたが、流石にずっとそのままいるわけにもいかず、時間が経ってから降りました。すると、その2人は助かりましたが、倒れた人たちは亡くなっていました。

近隣でも同時刻に人々が倒れ、37名の死者が出ました。しかし、この事件の真相は謎に包まれたままでした

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

2年後の1986年8月、同じカメルーンにある、別の湖の周辺でも、再び似たような事件が起きました。

湖周辺の村落からの連絡が突然途絶えたことを受け、近隣の人々が訪れると、牛や鶏といった動物をはじめ、なんと1746人もの人々が亡くなっていました

どうやら短時間で多くの命が何者かによって奪われたようでしたが、人間や動物に外傷はなく、周囲の植物や建物なども無傷でした。

さあ、これらの事件の犯人は一体何なのでしょうか。

今回紹介するのは、こんな不思議な事件の話から始まる、もう導入から面白い、穴澤活郎先生の『不思議な災害(カメルーン)』という講義です。穴澤先生は、以前『【温泉で学ぶ!】「中和」という化学反応』というだいふくちゃん通信で紹介した講義も担当されています。

事件の犯人は誰だ

さて、それでは講義に沿って事件の真相に迫っていきます。

災害の数日後、国際救援活動と、日本、アメリカ、フランスなどの火山学者らによる調査が始まりました。面白いことに、フランスには火山が少ないのですが、他の国に行って調査などをしており、日、米と並び三大火山研究国に数えられているそうです。火山のたくさんあるイタリアで、イタリアの研究者よりも火山の調査をしているのだとか

河川の流れに沿うように被害者が出ていたため、水が原因の一つとして考えられました。しかし、短時間で多くの被害が出たこともあり、この線はなさそうです。

また、周囲に火山があることから、火山ガスが原因に挙げられました。火山ガスは有毒な物質を含むことが多く、短時間で多くの被害が出る危険なものです。

実際、穴澤先生は薩摩硫黄島で調査をしていた際、音のなる機械で調査を行っている最中に、背後で音もなく起きた水蒸気爆発に気づかず、危うく命を失いかけたそうです。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

再び少し脱線してしまいましたが、話を戻します。

研究者たちは火山ガスの調査を行います。

しかし、水に含まれる物質や植物への被害などを調査した結果、どうやら犯人は火山ガスでもないようです。では、一体何なのでしょうか。

研究者たちが辿り着いた答えは、そう、我々の身近にも存在する、ある物質だったのです。

それが二酸化炭素です。

しかし、「あれ、二酸化炭素ってそんなに危険なんだっけ?」と思われる方も多いと思います。二酸化炭素は濃度が低い分には健康に大きな被害はないので普段気になることはありませんが、非常に濃度が高く、肺が二酸化炭素で満たされると、一瞬にして人の命を奪うことができます。

この事件の真相は、高濃度の二酸化炭素による窒息という災害だったのです。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

では、一体どうして多くの人の命を奪うほどの二酸化炭素が発生したのでしょうか。

この原因として、「水蒸気爆発」と「湖水爆発」という二つの原因が考えられました。

水蒸気爆発というのは、マグマだまりから直接二酸化炭素が発散する現象で、湖水爆発というのは、湖底に徐々に滞留した二酸化炭素が過飽和状態(今にもあふれそうな状態)となり、それが何かのきっかけで爆発的に噴出するという現象です。

そして調査の結果、原因は湖水爆発であるという結論が出ました。ただ、その直接的な原因となったトリガーは未だに分かっていないそうです(有力なのは地滑りとされています)。

また、トラックの上にいた2人が助かったのは、二酸化炭素が周囲の空気より重く、トラックの上では二酸化炭素の濃度がそこまで高くならなかったからでした。

事件が再び起きないように

災害の原因が分かったということで、次は再発を防止する対策が行われます

湖水爆発は湖底に二酸化炭素が過度に溜まることにより起きるので、それを除去する「脱ガス」をすれば防ぐことができます。

湖底までパイプを降ろし、パイプ内の水をポンプで引き出すことで、あとは二酸化炭素の圧力によって自然と湖底の水が噴出されるというのが、脱ガスの仕組みの簡単な説明になります。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

これらの対策の結果、実際に湖の溶存二酸化炭素量は減少し、災害の再発を防ぐことができています。

下の写真は、穴澤先生が実際に現地で調査してきたときのものです。講義では、度々穴澤先生が直接現地に調査に行った時の画像や動画などが体験談とともに紹介されています。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

この写真に写っているのが穴澤先生ご本人で、その後ろに3本立ち上っている水しぶきが、実際に脱ガスが行われている様子です。

穴澤先生曰く、お風呂もない現地の調査では、湖に浸かって汗を流すのが一番の楽しみだそうです。

湖のその後

脱ガスにより湖の二酸化炭素は減少しましたが、全てが上手くいったわけではありません。

下の画像のように、パイプを追加した2013年には噴出量が減少し、湖面が赤くなっているのが分かります。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

なぜ噴出量が減少し、何が湖の水を変色させたのでしょうか。

ここで穴澤先生は身体を張って実験をします。何と、湖の水を飲んで自分の舌で確かめたのです。曰く、「化学者にとって味見は大切で、舌で味を見るという化学反応を使うのが早い」そうです。

UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎

さて、水はどんな味がしたのでしょうか。そして何が分かったのでしょうか。

その結果や湖面の色が変化した理由は、ぜひ講義で確かめてみてください。

講義では、事件の真相や原因、そしてその対策やその結果まで、より詳しく説明されています。

また、先ほども紹介したように、実際に現地に行って調査をしている穴澤先生の写真や動画、体験談も沢山使われており、楽しみながら研究されている様子が伝わってきます。

恐らく多くの人は知らないであろう災害とその対策について、ぜひ講義を通じて学んでみてください。

今回紹介した講義:人間環境システム学 第9回 不思議な災害(カメルーン) 穴澤 活郎先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

関連記事:【温泉で学ぶ!】「中和」という化学反応

<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>

2023/08/30

 最初にちょっとしたクイズです。以下の4つの状況を満たす国はどこでしょうか?

  • 平均寿命が40代前半(男性43.9才、女性44才)  
  • 家庭への電気普及率は約2%  
  • 高校進学率は1割以下  
  • 乳児死亡率(1歳まで)は約15%

 急速な経済発展を遂げつつも、未だ発展途上と言えるような東南アジアの国? それとも、貧困のイメージが強く、そのイメージは当たらずといえども遠からずといったようなアフリカや中米の国々でしょうか?

 実は、1890年の日本が、上に挙げた条件を満たす国なのです。およそ130年前であり、年号で言えば明治ですが、決して遠い昔の話ではなく、世代で言えば3世代ほど前の話です。

 つまり、何が言いたいかというと、わずか百数十年の間に日本だけでなく、世界各地で異常と言えるような経済成長が起こっているということです。

 ただ、日本に関してみると、ここ30年ほどは大きな経済成長を遂げているとは言い難い状況です。日本は、1960年ごろから急速な成長を遂げ、1980〜1990年代にかけてはOECDにおける1人当たりの名目GDPがアメリカを上回ってトップでした。ここ数十年の失速の原因は、人口構造や社会構造の変化に対して、日本の労働市場が対応しきれなかったことというのが今回の内容です。講義を詳しく見ていきましょう。

 (以下で取り上げられているデータは講義が行われた2015年時点のものです。最新のデータについてはご自身でご確認ください。)

50年後にはカナダ1国分の人口が減る?

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 宮本 弘暁

 日本の人口が減少傾向にあることは周知の事実ですが、実際どのくらいのペースで減ると考えられているのでしょうか? 宮本先生は、2015年の統計によると50年後には生産年齢人口は半減し、その数はカナダ1国分の生産年齢人口と等しいと言います。GDPは大まかに「生産性×労働者数」で考えることができるので、労働者が半減するということは、大きくGDPが低下してしまう可能性を示唆しています。

 また、日本の問題は人口が減ることだけでなく高齢化が進む点にもあります。2010年には現役世代2.8人で1人の高齢者を支えているような状況でしたが、50年後の2060年には現役世代が1人で高齢者1人を支えるような状況になるのではないかという推計もあります。更に、高齢化に伴う介護問題も深刻だといいます。まだ働けるにもかかわらず、介護のために離職してしまうような労働者もおり、これは労働人口の更なる減少につながっています。

 このような状況を打破するために、安倍元総理大臣は「新アベノミクス」と呼ばれる「3本の矢」(宮本先生によれば「3本の的」)を打ち出しました。GDP600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロがその内容であり、政府も労働人口の減少に大きな危機感を抱いていることが分かります。

「失われた20年」って結局何?

「失われた20年」とはバブル崩壊後1990年ごろからの経済低迷を指す言葉で、その大きな要因は長期的なデフレだと宮本先生は言います。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 宮本 弘暁

 デフレとは、ざっくり言うと、物価が下がりお金の価値が上がることを指します。宮本先生はデフレのことを「経済衰退の病」と言います。しかし、私たち一般の市民にとっては、物価が下がるのは嬉しいような気がします。いったい、デフレの何がいけないのでしょうか? 経済学の基本ともいえる、需要供給曲線を用いて見ていきましょう。

 まず、デフレに陥るということは日を追うごとに商品の値段が下がっていくということです。そうすると、今日買うよりも明日買う方が得になるので消費や投資意欲が下がり、総需要が落ち込みます。結果的に需要曲線が下側にシフトするので、供給曲線との均衡価格が下がり、商品価格の低下や株安を招きます。同時に円高が発生し、輸出不振に陥るため、関連する株式がさらに低下します。以上のようなからくりで、経済停滞を引き起こしてしまうのだと宮本先生は言います。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 宮本 弘暁

 この経済停滞に対して挑んでいったのが、アベノミクスです。まず安倍元総理が最初に打ち出したアベノミクスでは大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という3つの経済政策パッケージでデフレ脱却を目指しました。3つのうち、主に金融緩和によりお金の価値が下がり、円安が起こって輸出増からの株高が発生したため、アベノミクスはある程度の成功を収めたように見えます。

 ただ、宮本先生はデフレ脱却成功のカギは労働市場が握っていると言います。一体どういうことなのでしょうか?

デフレ脱却には賃金上昇が不可欠!

 日本では1997年をピークに賃金水準は低い状態にあります。これは日本特有の現象であり、ITバブルの崩壊やリーマンショックなどの不況を経ても、他国の賃金水準は右肩上がりの状態です。これは、不況期にも賃金は下がりにくい性質があるからとされています。では、なぜ日本では賃金が下がっているのでしょうか? 

 それには大きく3つ理由があると宮本先生は言います。ボーナスの存在、非正規社員の増加、労働者の賃金交渉力の低下です。なぜこれらによって賃金が低下したのか、詳しくは講義をご覧ください。

 更に、宮本先生はミスマッチの増加も労働市場が抱える課題だと言います。日本の失業率は低い状態にありますが、景気による失業は少なく、有効求人倍率も上昇基調です。つまり、人手不足になっているということです。人手不足であれば賃金が上がっていくのが原則なのですが、そのようなメカニズムが働いている様子はありません。これらは地域や職種間でのミスマッチが原因ではないかということです。

 以上のような状態を引き起こしているのは、日本の労働市場が根本的な原因を抱えているからだと、宮本先生は言います。では、その原因とは何なのか。是非、ご自身で講義を見ていただければと思います。

今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義) 第8回 日本経済と労働市場 宮本 弘曉先生

関連記事:

不正は絶対に「悪い」もの?会計の世界から見る「決まり事」のあり方

他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

<文/園部 蓮(東京大学学生サポーター)>

 

2023/08/23

みなさま、この暑い夏をいかがお過ごしでしょうか。
日頃、だいふくちゃん通信をお読みくださり、誠にありがとうございます。
だいふくちゃん通信は、東京大学で学ぶ現役大学生・大学院生を中心に、卒業生やOCWのスタッフを交えて、持ち回りで執筆しています。

この記事は、学生ライターの大澤亮介さんが、2022年12月にチームメイトに向けて書いた内部のコラムです。
大変良い紹介文だったため、みなさまにもご覧いただきたく、この度、公開いたしました。
暑い夏に、大澤さんの熱い思い、お届けいたします!

一部、編集してお送りします。
また、アクセスランキングは執筆当時のものであり、現在は更新されております。
ご了承くださいませ。

(OCWスタッフ)

2022年だいふくちゃん通信アクセスランキング ベスト5

だいふくちゃん通信とは、UTokyo OCWの動画を紹介しているブログ特集記事のことです。
まだUTokyo OCWを見ていない方々に、動画の内容に興味を持ってもらうために、毎週記事を更新しています。

現在の、学生ライターがだいふくちゃん通信を書く体制になって1周年!(2022年12月当時)
ということで、2022年に公開されただいふくちゃん通信の閲覧数をOCWスタッフの方に集計していただき、ベスト5をランキングにしてみました。
集計期間は、2021年12月01日〜2022年12月01日です。

2022年に公開されただいふくちゃん通信の記事は50本以上!

まだ読んだことがないという方、どれを読んだらいいか分からないという方、この機会におすすめの記事を読んでみましょう!

第5位 20世紀最大の哲学者、ハイデガーについて知りたい方へ【「存在」とは何か】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_711/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2009s_gfk_09kumano/

  • 2022年05月25日 公開 
  • 1,334 PV(2022年12月当時)

「存在」とは何かという極めて哲学的な問いに対し、ハイデガーはどうアプローチをしたのか。
「現存在」や「世界内」とは、どんな概念なのか。
簡単には分かりにくいハイデガーの功績を紹介するとともに、「他者」「死」とは何かという、これもまた哲学的な問いに続くヒントを与えてくれる記事です。

第4位 【今一度 振り返ってみよう 日本の宗教観】宗教はあぶない?!

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_82/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2006a_gfk_sueki/

  • 2022年08月24日 公開
  • 2,221 PV(2022年12月当時)

多くの日本人は特定の宗教を信じていないとされていますが、かといって宗教に無縁かと言われると、全くそんなことはないはずです。
日本では政教分離が原則となっていますが、2022年の日本では政教分離や宗教というテーマに触れ、考える機会が多くありました。
今に続く宗教観はどうやってできあがったのか。
近代日本における政治と宗教の関わりを紐解いていくことで、日本の宗教がどんなものなのか、理解していきます。
「オウムから10年」、同時多発テロ、イラク戦争、首相による靖国神社参拝といった政治と宗教に注目が集まるできごとを経た時代、2006年に行われた講義を紹介した記事が、時事要素も相まってか、4位に!!

第3位 「善」を求める正義感が「悪」に転じうるのはどうして?【「善」と「悪」のパラドックスとは】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2077/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/eaa06/

  • 2021年12月10日 公開
  • 3,825 PV(2022年12月当時)

「『自分は正しい、正義だ』という思い込みが危険だという実感、ありませんか?」という問いかけから始まる、この記事。
「善」と「悪」の繋がりについて、「善が実は悪であること」「悪が実は善であること」「善と悪は同じであること」という3つのパラドックスを簡潔に紹介しながら、考察していくことができます。

第2位 【自閉症の人は不安を感じやすいのか】不安の仕組みについて考える

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2028/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2020a_asahi_watanabe/

  • 2022年05月31日 公開
  • 6,438 PV

「不安症」と聞くと、あまり馴染みがないかもしれませんが、単に「不安」と言われれば、おそらく誰もが経験したことがある感情でしょう。
この、不安を極度に感じて日常生活に支障が出る不安症と、自閉スペクトラム症(ASD)と呼ばれる発達障害は、似たような難しさを抱えています。
誰もが感じる不安を発端に、不安症とASDの関係性、そして、その他の様々な精神的な症状や発達障害に、どう対処していくべきなのか、我々はどう捉えればいいのか、考えることができます。

第1位 ウクライナ情勢をより深く理解するために〜国際法入門〜

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1317/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/2014_asahi_11_mori/

  • 2022年03月08日 公開
  • 17,541 PV

国家同士の関係を規律している国際法。
国家間の関係にルールがありながらも、ロシアのウクライナ侵攻という事態に至ってしまったのは、なぜなのか。
そもそも国際法とはどんなものなのか、そしてどうやってできていったのか。
武力不行使原則や、日本でも度々話題になる集団安全保障といった仕組み・原則を学びながら、ウクライナ侵攻に繋がった国際法の「穴」を知ることできます。
今年、世界を揺るがした時事問題を、国際法という側面から紹介した記事が、全記事の中でもダントツの人気となりました。

番外編 その1 第6位〜10位

惜しくもベスト5を逃した6〜10位の記事も紹介します!!

第6位 【東大の建築はなぜゴシック様式?】東大を作った建築家・内田祥三に迫る

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1249/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/gfk2014s-03/

第7位 「家族」の基準って何?「家族」って誰のこと?【「家族」の境界線について考える】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1237/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2013a_gfk_akagawa/

第8位 少数派のヒトラー政権が権力を集中させるまで【緊急事態条項について考える】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2033/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/asahikouza-2020-09/

第9位 哲学が戦争を支えてしまった歴史を知っていますか?【京都学派の田辺元と九鬼周造の思想を知る】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2075/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/2021s_eaa_04/

第10位 ロシア文学研究者による『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』解説【だいふくちゃん通信】

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_709/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2009s_gfk_numano/

番外編 その2 大澤の印象に残った記事

ここからはおまけです。

私(大澤)は、だいふくちゃん通信の校正作業などで、比較的、だいふくちゃん通信をたくさん読んでいる方だと思っています。

せっかくなので、ここで、個人的に印象に残っているおすすめの記事を2つ紹介します。
(記憶力がないので2つとも下半期からです、すみません。)

みなさんも、ぜひ、自分のお気に入りを見つけてください!!

数学と物理学が形作る暗号の未来

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1120/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2012a_gfk_koashi/

シーザー暗号の導入が、まず、好きです。
RSA暗号や量子鍵配送といった、難しそうだ(というか難しい)けど身近に使われている手法を、馴染みのない人にも分かりやすいように説明してくれます。
そして、これらの理解に必要な素因数分解や量子についての基礎知識も提供してくれていて、数学や物理がどのように社会で役に立つかということにも気づくことができます。
全人類に読んでほしい!!

【「お化け」のうさわさはどのように広まるのか】クダンの誕生から近世の社会を考える

講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_827/
コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2010a_gfk_satou-2/

導入部分に、「『お化けから社会に迫ることができるなんて、なんか面白そう!』 まずはこんなふうな、軽い気持ちで読み進めていただければと思います」という文があるのですが、本当にその通り。
そもそも、私は「社会学」がどんなものかよく知らないし、しかも「お化け」がその研究対象になっているなんて、よく分からなすぎる!
しかし、この記事を読むと、「へ〜、こんな研究やアプローチがあるのか〜」と納得してしまいます。
面白い大学の授業を世に広めることができる、OCWの真髄を体現するかのような記事だと思いました。

引き続き だいふくちゃん通信をよろしくお願いいたします

以上、大澤さんが書いてくださった、2022年の振り返りでした。
このように、学生同士でも互いの記事やOCWの講義コンテンツそのものを楽しみながらお仕事しています。

2023年度も引き続き、だいふくちゃん通信を継続的に公開しています。
今年度はさらに、理系の記事、経済やアートに関する記事も増えてまいりました。

ちなみに、2022年のこのコラムの執筆時以降、最も反響が大きかった記事は、2007年に公開された故・坂本龍一氏の講義を紹介する記事 「教授」坂本龍一の東大講義録【「自己表現」でない音楽とは? です。

また、同2022年、「東大発オンラインメディア UmeeT」にて、OCWをはじめとする UTokyo Online Educationの取り組みを2回に渡って紹介してくださいました。
こちらの記事も、だいふくちゃんライターを兼任している学生さん(当時)による力作です。併せてお読みくださると、よりUTokyo OEの楽しみ方を詳しく知っていただけると思います。

東大の授業が誰でも無料で受けられるって知ってましたか?【東大生じゃない人必見】【東大生も必見】

【進学選択お役立ち】無料公開されている東大文学部教員の授業動画を全てまとめました【人文学について知りたい方も】

今回のランキングで掲載していない記事も、全て一つ一つが、オリジナリティ溢れる視点と豊かな感性によって書かれた、かけがえのないものです。

それはもちろん、OCWの大元のコンテンツである講義資料・講義動画あってこそです。
貴重な教材の提供にご協力くださる講師のみなさまに感謝いたします。

そして、OCWはご視聴・ご活用くださるみなさまに支えられて活動を継続しております。
今後とも、UTokyo OCW・だいふくちゃん通信をお楽しみただけましたら幸いです。

(OCWスタッフ)

<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)・加藤なほ>

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

2023/08/18

古代ギリシアの最高傑作ともいわれる文学作品、『オデュッセイア』

紀元前8世紀末の詩人、ホメロスがその作者として伝えられています。吟遊詩人の詠唱で伝承されたのち、紀元前6世紀ごろから文字に起こされるようになりました。

古典の代表ともいえるような『オデュッセイア』ですが、その名前を聞いたことがあっても、実際に読んでその内容を知っている人は多くないかもしれません。

『オデュッセイア』の物語を一言で表すと、「ギリシア神話の英雄・オデュッセウスの冒険譚」です。

主人公のオデュッセウスは、10年にわたるトロイア戦争のために祖国を離れたあと、帰国の途中で嵐に遭遇し、さらに10年の放浪の旅に出ます。

さまざまな苦難を乗り越え、20年の時を経て祖国に戻ったオデュッセウスでしたが、そこで待っていたのは変わり果てた自らの家の姿でした。

オデュッセウスを死んだものとみなした地元の独身者たちが、オデュッセウスの妻・ペネロペイアに求婚し、オデュッセウス家を食い潰すという悪行を重ねていたのです。

オデュッセウスは怒りに震え、極悪非道の求婚者たちを弓矢で全員打ち倒します。

こうしてオデュッセウスは再びペネロペイアと結ばれることになりました。

以上が、『オデュッセイア』の大まかなあらすじです。

見事なまでの英雄譚で、物語を読む人(詠唱されていた時代であれば、聞く人)は、オデュッセウスの勇敢さに心動かされてしまいます。

しかし、オデュッセウスは本当に「英雄」だったのでしょうか?

求婚者たちは、たしかにオデュッセウスとペネロペイアの名誉を損ねるような悪事を働いています。

しかし、それは果たして死に値するような罪だったのでしょうか?

むしろ、問答無用で求婚者を皆殺しにしたオデュッセウスこそ、より極悪非道な存在なのではないでしょうか?

殺人(大量虐殺)という罪を犯しているにもかかわらず、長らくその面が無視されてきたオデュッセウス。

しかし、視点を変えてみると、また見え方が変わってきます。

本当に求婚者たちは悪かったのか、求婚者たちに架空の「法廷弁論」(自己弁護)を行ってもらいながら、一緒に考える講義を紹介します。

ヒュブリスをなす悪党たち

講師を務めるのは、西洋古典学が専門の葛西康徳先生。

葛西先生は、古代ギリシア・ローマの古典について研究されながら、学部では東大の法学部を卒業されています。そのため、研究対象とされているのは、古代の裁判や法律、政治などです。

この講義でも、司法に関わる点に注目しながら『オデュッセイア』の分析がなされます。

講義動画は2本立てですが、この記事ではそれぞれの動画から要点を抜き出しつつ、内容をまとめていきます。

講義でまず言及されるのは、ヒュブリス」という概念。

これは日本語で傲慢、非道、無礼」などと訳される言葉です。

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは、人の「怒り」を生む「過小評価」を、「侮辱(contempt)」、「いじめ(spite)」、そして「ヒュブリス」の3つに分けられるとしました。(『弁論術』第二巻第2章)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

アリストテレスは、他人に恥をかかせて心地よさを得ることを、ヒュブリスだと述べます。

つまり、他者のヒュブリスに対する怒りは、周りにかっこ悪いと思われたくないという気持ちからくると考えられます。

この怒りは、自身が守るべき人々(両親・子供・妻・支配下の者)が過小評価されたときに、より強く起こるといいます。

オデュッセウスが妻・ペネロペイアの求婚者たちに対して抱いたのは、まさにこのヒュブリスに対する怒りだったといえるでしょう。

一つ目の怪物・ポリュペーモスは悪だったのか?

『オデュッセイア』において、ヒュブリスをなす者として描かれるのは、求婚者たちだけではありません。

オデュッセイアが祖国に帰る旅で遭遇した一つ目の怪物・ポリュペーモスもまた、ヒュブリスの典型と見なされています。

島に住むポリュペーモスは、訪れたオデュッセウスの一行を洞窟に閉じ込め、なんとオデュッセウスの部下を順番に食べてしまいます。

ポリュペーモスはそののち、オデュッセウスたちからそのたった一つの目を杭で潰され、失明してしまいました。

オデュッセウスたちの命を軽んじる、横暴で獰猛な怪物のように見えるポリュペーモス。素直に読むとこのシーンは、ヒーローが極悪非道な敵を倒すシーンのように見えます。

ですが葛西先生は、『オデュッセイア』をよく読み込むと、ポリュペーモスがそれほど単純な存在ではないことがわかるといいます。

講義では、ドイツの思想家・テオドール・アドルノ(1903-1969)とマックス・ホルクハイマー(1895-1973)による共著『啓蒙の弁証法』で取り上げられた、ポリュペーモスの情に溢れた面が紹介されます。

彼(=ポリュペーモス:筆者補足)が自分の羊や山羊の仔たちに親の乳房をあてがってやるとき、この実際的行為には生き物たち自体に対する思いやりが含まれているわけだし、また眼を抉られた彼が、先導の牡羊に対して、わが友と呼びかけ、なぜ今度に限ってお前は一番最後に洞穴を出るのか、お前は主人の災難を悲しんでいてくれるのか、と尋ねるあの有名な件は、終りのところではひどく粗暴なものとなっては来るが、感動的な力に溢れており、これに匹敵する場合といっては、僅かに、あの『オデュッセイア』のクライマックス、帰宅するオデュッセウスを老犬アルゴスがそれと認める場面があるだけである。

アドルノ・ホルクハイマー著『啓蒙の弁証法 : 哲学的断想』徳永恂訳、岩波文庫、2007年、pp.137-138

やや読みにくい文章ですが、ここで指摘されているのは、ポリュペーモスが自身の飼っている羊たちに対してもっていた慈しみの心です。

アドルノとホルクハイマーは、ポリュペーモスは野蛮なだけの怪物ではなく、人間的な側面も持ち合わせていたのだと主張しています。

また葛西先生は、ポリュペーモスの立場に立つと、主人が不在の間にポリュペーモスの島にあるものを食べ、無条件での庇護を要求したオデュッセウスにも非があると述べます。

講義では、ポリュペーモスの人間的な側面が表れた例として、下の絵も取り上げられました。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

一番右で目を突かれているのがポリュペーモス、左で杭を突き刺しているのがオデュッセウスとその部下たちですが、その描かれ方には大きな違いがありません。

この絵においては、一般的な『オデュッセイア』の解釈で見られるような、「野蛮」と「文明」の対比はないのだといえます。

現実の法とヒュブリス

「ヒュブリス」は、文学作品だけでなく、実際の裁判にも持ち出される概念でした。

講義では、アリストテレスと同世代の弁論家・デモステネスの第21番弁論が紹介されます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

そこでは、ヒュブリスをなしたものは賠償が求められると述べられています。

しかしその賠償の程度(服役の期間や賠償金額)については詳しく述べられていません。

これは、訴えを起こした側が報復目的で罰則を決めてしまえるような、曖昧な法であったといえます。

同じく紹介される第43番弁論75章でも、同じく罰則は規定されていません。ここでも、原告であるアルコーン(担当公職者)が、相手に下される処罰を希望することができました。(ただし、いずれの場合も、希望した処罰が直接反映されるわけではなく、一度評議にかけられます)

求婚者の罪はペネロペイアに責任がある!?

さて、講義動画2本目の後半、いよいよ求婚者たちの「法廷弁論」が始まります。

そこでは、求婚者たちにも情状酌量の余地があると思わせられるような、様々な証言が飛び出します。

たとえば講義で取り上げられたのは、求婚者たちではなくオデュッセウスの妻・ペネロペイアに責任があるとする主張。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

ペネロペイアはその気がないにもかかわらず、求婚者と約束を結び、たぶらかしているというのです。

もしこれが本当だとすれば、また求婚者たちへの見方も変わってくるのではないでしょうか?

講義では、そのほか色々の主張が取り上げられますが、ここではその全てを紹介できません。

本当にオデュッセウスは英雄だったのか、それとも罪人だったのかは、講義動画を見て、みなさんで判断してみてください。

どれだけ評価が確立されているものであっても、素直な目で疑いを持って読むことが、学術的な古典読解には重要なのではないでしょうか。

講義ではそのほか、『オデュッセイア』と並ぶギリシアの古典の名作でその前日譚でもある『イリアス』や、有名なジブリの『風の谷のナウシカ』のモデルにもなったナウシカアーについてなど、幅広く語られています。

2本に及ぶ講義ですが、色々な場面が取り上げられるので、単調に感じることなく最後まで楽しめます。(ただし、内容が分からないと少しついていくのが難しくなる場面があるので、ある程度予習しておくことをお勧めします…!)
ギリシア古典の傑作『オデュッセイア』に興味のある人は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。

今回紹介した講義:古典は語りかける (学術俯瞰講義)第2回 『オデュッセイア』の世界: 物語前半 (1-12巻)第3回 法廷弁論としての『オデュッセイア』: 物語後半 (13-24巻)葛西 康徳先生

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<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

2023/08/10

突然ですが、皆さんは「不正」についてどう思いますか?

恐らく、ほとんどの方が確実に無くした方が良いものだと感じているはずです。

会社の利益を計算し開示するプロセスである「会計」においても利益の水増しや圧縮など様々な不正が見受けられます。会計の世界ではルールの「解釈」に幅があり、その解釈を悪用して不正が行われてしまうことがあるのです。

「じゃあ、解釈の余地をなくして、不正をなくせばいいじゃないか」と思いませんか?

しかし、そうもいかない理由があるのです。

今回紹介する講義では会計を専門としている米山正樹先生と共に、会計の世界の事例を通して、世の中の決まり事のあり方について考えていきます。会計について全く知らない方でも分かりやすいものになっていますので、見ていきましょう!

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹

そもそも会計って何?

「会計」という言葉についてはほとんどの方が一度は耳にしたことがあるかと思います。また、何となくお金の計算をしているんだろうな~というイメージを抱いている方は多いのではないでしょうか?

会計とは「利益(会社の業績)の計算と開示」を一覧表にして外部の人たちに示すような行為のことを指します。

では会計の結果はどこで見ることができるのでしょうか?上場している企業であれば、会社のHP内における「IR情報」といった名前のページやEDINETという金融庁のサイトにおいて「有価証券報告書」や「決算短信」といったタイトルで決算書類が公開されています。

(参考)
EDINET:https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/WEEK0010.aspx

是非お勤めになっていたり興味のあったりする会社の情報を確認してみてください。

講義内では2015年3月期の森永乳業の資料が用いられています。

まずはB/Sとも呼ばれる、貸借対照表を見てみましょう。貸借対照表は以下のように左側に資産、右側に負債と純資産が記載されています。企業の財政状態(誰からどれだけ資金を預かっているのか、預かった資金をどのように運用・管理しているのか)といった内容が貸借対照表からは読み取れます。米山先生は「確定した実績値というよりは、むしろ将来お金を稼ぐための資産が書かれているのが貸借対照表」だと言います。では、実績値はどこで確認できるのでしょう?

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹

実績を直接的に報告するのが損益計算書(P/L)です。損益計算書には本業の成果である「営業利益」、投資活動などの副業も含めた成果である「経常利益」、その他たまたま発生した成果や損を含む「当期純利益」が掲載されています。利益が発生した原因別に段階を分けて記載することで、どんな活動で利益が発生しているのかを明示しています。損益計算書には売上原価なども記載されており、投入した資金に対してどれくらいの成果が得られたのか、といった点も意識されています。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹

ここまでで説明された貸借対照表、損益計算書に実際のお金のやり取りを記録したキャッシュフロー計算書を加えて「財務三表」と呼ばれています。

誰が決算なんて見るの?

公開されている決算情報の読み方について見てきましたが、実際のところ誰が見ているのでしょうか?「こんなの投資をしている人しか見ないんじゃないの?」と思われる方も多いかもしれません。ただ、これらの企業の情報は私たちが消費者や労働者として関わる場合でも必要となってきます。

例えば、就職するのであれば儲かっている会社の方がお給料も良いし、倒産する可能性が少なさそうでいいですよね。あるいは、ずっと使い続けたいモノに関しては安定して供給されるかどうかを考える必要があります。企業が安定してモノを生産し続けるには、基本的に儲かっていなければいけません。

つまり、投資家がこれらの情報をもっとも欲していることは確かに間違いないですが、労働者や消費者としても企業の「利益」に関する情報は重要となることが多いのです。

同じ活動をしても利益が一緒にならない?

会計というのは企業の活動を報告し、その利益を公開するものです。では、ある年度において企業Aと企業Bが全く同じ活動をした場合、その利益は一致するのでしょうか? 米山先生によると、驚くべきことに利益が必ずしも一致するとは言えないそうです。なぜ、同じ活動をしているのに違う利益を報告しうるのでしょうか?

ここでキーとなってくるのが冒頭で述べた事実やルールの「解釈」です。受注した段階で売上を計上するのか納品が終わった段階なのか、等の具体的な事例について講義内では触れられています。詳しくは講義を見ていただきたいと思いますが、重要な点は「企業ごとに置かれている環境や与えられた会計ルールに対する解釈が異なり、その『解釈の幅』が同じ活動をしていても異なる利益になる原因を作っている」という点です。

そして、この解釈の幅を利用して、多くの企業は日常的に「適法な範囲」で利益の水増しや圧縮を行っています。この「適法な範囲」を超えたものが「粉飾決算」と呼ばれるものです。粉飾決算は架空の売り上げや利益の計上といった強引な方法で行われる場合もありますが、適法な方法を過剰に利用するといった「みえにくい手法」「グレー・ゾーンを悪用した手法」による場合も少なくありません。

粉飾をなくすことが理想なの?

今までの話を踏まえると、「じゃあ粉飾できないような水増し・圧縮の余地が乏しいルールを適用すれば良いんじゃないか」といった当然の疑問が湧き上がります。事実として、そのような形にすることは可能です。では、なぜ粉飾をなくすような強い制限のルールを設けずに、不正の温床となり得るような事実認識や解釈に依存したルールが適用されているのでしょうか?

ここで考えるべきなのが「会計において粉飾をなくすことは数ある目標の一つに過ぎない」という点です。最初に触れたように、会計というのは企業の利益を開示するというのが原理的な目標になります。粉飾決算を絶対許さないような強い制限をかけたルールを作った場合、直面している環境や経営理念が異なる各企業が自分たちの状態を適切に反映した利益を報告できなくなってしまうかもしれません。社会が会計に求める役割を果たせなくなり、本末転倒な事態となってしまうのです。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹

適切なバランスを考える

社会には様々な活動が存在しており、それらに対して決まり事やルールが設定されています。活動に対して設定されている目標は決して一つではなく、複数の目標が設定されていることの方が多いです。そして決まり事は特定の目的を達成するために制定されます。ただ、「決まり事」を作った影響は達成したい目的だけではなくその周辺にも及びます。ひとつの目的を達成するためだけに作られた決まりごとは社会全体にとっては好ましくないかもしれません。ある物事に対して近視眼的に接することなく、大局的な視点を持ち、バランスの取れたベターな解決策を探っていくことが、社会活動を円滑に成り立たせるうえでは重要になります。


以上が米山先生の講義の紹介になります。

本文内で触れられませんでしたが、米山先生は「なぜ利益が重要なのか」といった点やより詳細な事例についてもお話しされています。

ぜひ、講義動画を見て会計に限らず社会の「決まり事」のあり方について考えてみてください。

今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義)第4回 粉飾決算の原因を探る-「社会のきまりごと」の多面性 米山 正樹先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

<文/園部 蓮(東京大学学生サポーター)>

2023/08/02

新型コロナウイルスによる感染症が世間の話題をかっさらったのは記憶に新しいと思います。そしてこの記事を執筆している時点でも、新型コロナウイルスは未だに多くの新規感染者を発生させています。

さて、この「ウイルス」とはそもそも何者なのでしょうか?

ヒトに病気を引き起こす目に見えない小さなものは、ウイルス以外にもあります。

有名なのは「細菌」。

例えばしばしば問題になる、いわゆるO-157による食中毒というのは大腸菌の一種が原因となって起こります。

この、病原体としての「細菌」と「ウイルス」は、いずれもヒトにとって迷惑であることに変わりはありませんが、生物学的に見たときには大きな違いがあります。

ウイルスがどういった存在で、どのようにして増殖し、そしてどのようにして我々の健康を脅かすのか、野本先生の講義を見れば理解を深めることができます。

ウイルスは生命体か?

講義においては、具体例として7種類の病原微生物(非生物も含めて)が紹介されています。

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

プリオンは例外ですが、「病原体」と呼ばれるものは基本的に核酸ゲノムを持っています。ここで核酸とはDNAやRNAのことを指します。我々ヒトや、マウスのような動物、チョウのような虫やシロツメクサのような植物に至るまで、地球上の生物はこの核酸という分子に自身の遺伝情報を保持しています。この点ではウイルスも我々の想像する生物に近いと言えますね。

しかし、ウイルスは細菌と違って「自己増殖」ができないという差異があります。

この自己増殖ができるかどうかというのは、培地上で増やせるかどうかということを指します。栄養のある培地の上に細菌を乗せると、細菌は増殖してコロニー(細菌の塊)を形成します。つまり、細菌は「栄養を取り込んで代謝し、自分自身を増やす」といった一連の動作ができるということです。

一方、ウイルスはその一連の動作を行うことができません。外から栄養を取り込むことはできず、仮に栄養が取り込まれたとしてもそれをエネルギーに変える機能もありません。さらに、生きていくために必要なタンパク質合成を行うこともできません。

後ほど詳しく書きますが、ウイルスはこういった機能を自分で持たない代わりに、宿主となる他の生物の細胞にあるシステムを利用して自身を増殖させます。

ウイルスの構造

ウイルスは自身の増殖に必要なシステムを持たないので、細菌や我々の細胞と比較して中身はシンプルです。増殖に必要なものは宿主の細胞から乗っ取れば良いため、ウイルスにとって本来必要なものはほぼ自身のゲノム核酸だけです。しかし、核酸を分解する酵素は至る所に存在しているため、裸の核酸はすぐに分解されてしまいます。それらの酵素から自身のゲノムを守るために、ウイルスのゲノムは何かしらに囲われて保護されています。

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

タンパク質によって囲まれているものや、タンパク質の上からさらに脂質で保護されているタイプもあります。(なお、コロナウイルスは、外周に脂質二重膜を持つタイプのウイルスです。

ウイルスの活動

では、ウイルスはどのようにして生活しているのでしょうか。

ポリオウイルスを例にとって説明します。ウイルスは、標的となる細胞の表面にある受容体と呼ばれるタンパク質と結合し、細胞内へと入ります。細胞内に入ったウイルスは先ほどの図で出てきた、タンパク質や脂質二重膜の殻が取れ、剥き出しのRNAの状態になります。ポリオウイルスの場合、ゲノムRNAそのものがmRNAとして働き、自身を複製するためのタンパク質を細胞に作らせます。また、このゲノムRNA自体も大量に複製され、タンパク質とセットになって新たなウイルスとなり、細胞外に放出されます。

※mRNA:メッセンジャーRNA。ごく簡単に言えばタンパク質を作るための設計図のようなものです。

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

つまり、ウイルスは普段はただのDNAやRNAとタンパク質の塊であり、増殖や代謝などを行うことはない静的な存在であり、すなわちただの化学物質に過ぎないが、特定の細胞に入り込んだときだけあたかも生物のように振る舞うということになります。

なお、上の図はゲノムがそのままmRNAとして働くタイプのウイルス(1本鎖+鎖RNAウイルスと呼びます)ですが、実際にはその他にも、ゲノムとしてDNAを持っているタイプやゲノムがmRNAの相補鎖となっているタイプなどがあり、その種類によって微妙にライフサイクルが異なっています。講義では53分過ぎにこれらのバリエーションが紹介されていますので、気になる方はぜひそちらをご覧ください。

また、少し話がそれますが、ウイルスの研究によって得られた成果は、ヒトの病気に関わるものだけではありません。ウイルスの研究を通じて得られた成果には、細胞の仕組みそのものに関する知見もあります。臨床、医学的な研究だけではなく、ウイルスを直接の対象としない研究においても、ウイルスの持つ細胞の形質を変える力を利用して、道具としてウイルスは役に立っています。

ウイルス病原性研究

ウイルスは宿主となる細胞の機構を乗っ取って増えるわけですから、ウイルスと宿主の間には様々な相互作用があると言えます。

ウイルスは生命体と比べれば遥かに少ない遺伝子しか持っていません。これらの遺伝子には、ウイルス自身のからだとなるカプシドタンパク質、自身のゲノムを複製するためのタンパク質などの他に、感染した細胞を言わばハッキングして一部機能を改造してしまうものがあります。

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

ウイルスは自身の都合が良いように細胞の性質を変えることがあります。(細胞変性効果)

また、宿主の細胞側には、異常が発生すると自ら細胞死することで影響を最小限に抑える「アポトーシス」と呼ばれるシステムが備わっていますが、ウイルスとしては自分自身が増える前に寄生している細胞が死んでしまっては困ります。そのためウイルス側は、このアポトーシスを阻害するための遺伝子を持っていることがあります。

なお、このアポトーシス阻害の程度が強すぎると細胞が不死化し、がん化に繋がることもあります。逆にアポトーシス阻害の程度が弱ければ、そのウイルスは細胞を変性させ細胞死へと導く能力を持っていることとなります。

また、宿主側は異物であるウイルスを排除するために様々な防衛システムを使いますが、ウイルスの側もこれに対抗して防衛システムを回避するために作戦を練っています。宿主の免疫系の分子によく似たものを放出したり、宿主の防衛システムがウイルスを認識しにくいようにしたりしています。

こういったウイルスと宿主の相互作用は、自然生態系という言葉で表現できます。

ウイルスと感染症

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

ウイルスはほとんどの場合粘膜か血液から個体へ侵入します。侵入したウイルスは標的となる細胞に攻撃し増殖を開始します。多くの場合、ウイルスが増殖できる場所はそのウイルスの種類ごとにかなり限定されていて、例えばインフルエンザウイルスの場合は上気道が標的となります。別の種類のウイルスでは、消化管を好むものや泌尿生殖器を好むものなどがあります。一口に粘膜と言っても、その場所によって粘膜を構成する細胞は別々の分子を持っています。ウイルスが細胞に取り込まれるためには、その標的となる細胞の表面にある分子を利用する必要があり、基本的にウイルスはウイルスの種類ごとに決められた特定の分子を持った細胞にしか感染できません。

多くのウイルス感染症ではこの一段階目の攻撃によって様々な症状が発生しますが、一部のウイルスではこの段階では症状がほぼなく、ここからさらに体内を伝播し最終標的へと辿り着いて症状を起こすものがあります。

代表的なものは狂犬病で、噛まれた部位の筋肉に入ったウイルスは、その筋肉を動かしている神経へと入り、あたかも導火線についた火のごとく神経を少しずつ遡りながら蝕み、最終的に脳にウイルスが達した時点で重篤な症状を引き起こします。

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

粘膜の細胞に感染したウイルスが、細胞内で増殖したあと新たに別の細胞に感染するには、細胞を脱出して放出される必要があります。この「ウイルスが細胞から放出される現象」を、出芽(budding)といいます。

上の図は粘膜の細胞を表しています。この粘膜が腸管だとすれば、図の上(apical surface)は管腔、つまり食物が通る側であり、下側(basal surface、基底膜側)は体の内側となります。ウイルスによっては、細胞の上側から出るか下側から出るか決まっているものがあります。

上側(apical surface)から出芽する場合は感染が別の場所に広がりにくく、逆に下側(basal surface)から出芽する場合は基底膜から体の内側にウイルスが広がってしまうため体内に感染が広がりやすいと言えます。

感染から発症まで〜氷山説〜

UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男

ウイルスへの感染は目に見えないところでひっそりと進んでいて、目にみえる症状が現れるのはその感染現象のほんの一部の側面に過ぎない、ということを、水面上に見えるのはほんの一部で大部分が水中にある氷山になぞらえて「氷山説」といいます。

例えば、図一番下の遺伝子多型とは、宿主側もウイルス側も、同じ種であっても個体ごとに少しずつ遺伝子が異なってるということを意味します。ある宿主の個体にあるウイルスの”個体”がやってきたとして、ウイルスと宿主の個体の組み合わせごとに感染しやすいかしにくいかといった条件分岐がまず発生します。

この条件をくぐり抜けた後も、図にあるような宿主とウイルスの持つ分子同士の複雑な相互作用があり、その最終結果の一つとして症状があるということです。ウイルスがたとえ感染したとしても、これらの相互作用によって発症に至らないケースもあります。つまり、感染と発症は決して同じものではなく、我々が実際に症状として認識しているものは感染現象のほんの一部に過ぎないのです。

まとめ

ウイルスとは何か、どのように活動しているのかといったところから、宿主の健康との関係まで、講義で解説されていたことを紹介してまいりました。

今回の記事では紹介しきれなかった部分も多くありますので、興味を持って下さったかたはぜひ講義動画をご覧ください!野本先生が研究されていた、ポリオウイルスに関する話もなかなか興味深いと思います。

今回紹介した講義:生命の科学−構造と機能の調和(学術俯瞰講義)第8回 ウイルスと生命体 野本 明男 先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。 

<文/K.S.(東京大学学生サポーター)>