【「お化け」のうわさはどのように広まるのか】クダンの誕生から近世の社会を考える
2022/09/07

ヒュー……ドロドロ……

夏になると何となく怖い話が聞きたくなるもの……

怖い話といえば「お化け」がつきものですが、そのお化けが社会学の対象となっていることは知っていますか?

お化けなんて空想のものなのに、どうして社会学の対象になるんだろうと思う方もいるかもしれません。

しかし、お化けとは、本質的に「流言・うわさ」としての性質を持つものです。人が語り継ぐことで、お化けは誕生し、その形をなしていきます。

人との関わり合いの中で生まれる流言・うわさは、まさに社会学が研究対象とするものです。流言・うわさの一種であるお化けもまた、そのお化けのうわさが流行した当時の社会の状況について知る重要な手がかりとなります。

この記事では、「クダン(件)」という妖怪をテーマとしながら、近世以降の社会のあり方を探っていきます。

「お化けから社会に迫ることができるなんて、なんか面白そう!」

まずはこんなふうな、軽い気持ちで読み進めていただければと思います。

ただ、記事を最後まで読んでいただけると、お化けから社会を分析することで初めてみえてくるものがあるということがわかってくるはずです。

今回の記事は、UTokyo OCWで公開されている佐藤健二先生の講義動画「「お化け」もまた社会学の対象であるークダンの誕生」の内容をまとめたものになります。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

記事を読んで興味を持たれたら、ぜひ講義動画の方をご覧になってください。

クダンについて理解するためのテキスト分析

まず、クダンとはどのような妖怪なのでしょうか?

クダンにはさまざまな流言やうわさ、言い伝えがあり、明確な像があるわけではありませんが、一般的には以下のような特徴を持つと考えられています。

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①人間の顔をもった牛

②生まれてすぐ死ぬ

③ことばを話す

④予言をするが、その予言があたる

簡単にまとめると、「クダン=予言を行う人面の牛」だといえます。

講義中で佐藤先生は、クダンに関して述べられた13の文献を紹介しています。

そのうち最も新しいのは1945年のものですが、古いものになると、1820年代の終わり頃まで遡ります。

松山や播磨、名古屋、肥前、越中など、その流言は全国に広がっており、それぞれのエピソードにもバリエーションがあります。

しかし、それぞれの資料を分析すると、クダンにとって重要な要素が見えてきます。

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特に、上の図に示されているとおり、「予言する」というのはクダンにとって欠かせない要素だといえそうです。

このように、お化けを社会学の対象とする際には、テキストを精緻に眺めることが、まず重要です。

「流言=デマ」なのか?

以上で、クダンを分析するための下準備はできました。

ここから、クダンの流言がどのように生まれたかの説明が始まるのですが……

佐藤先生はそのまえに、「流言」とはそもそも何であるのかの捉え直しをはかります。

みなさんはなんとなく、流言を「デマ」だと考えているかもしれません。間違った情報を鵜呑みにした人が、その間違った情報を人に伝えることで、流言は広がっていくということです。

流言の研究がすすんだのは、1940年代のアメリカでした。なかでも、オルポートとポストマンの『デマの心理学』は流言研究の基礎となります。

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オルポートとポストマンの主張が力をもったために、流言研究においては、「流言=デマ」という図式が常識になっていました。特に、戦時下における情報統制などの目的もあり、「どのようにすれば流言(=デマ、間違った情報)を撲滅できるのか」という態度で流言研究がすすめられることも多くありました。

しかし佐藤先生は、その常識に疑問を呈します。流言は必ずしもデマなのではなく、むしろ単なる笑い話として広められるケースもあるのではないかというのです。

もしくは、「このような間違った情報が広められている」という、啓蒙的、批判的な語りそれ自体が、流言を広めるための重要な要素になっていることも考えられます。

流言はどのようなものであるのか、それを捉え損ねてしまうと、どれほど精緻にテキストを分析したとしても、その実態を掴み切ることはできないのです。

クダンは文字が重要な社会を反映している?

クダン誕生の経緯については、これまでさまざまな人によって、いくつもの説明が考えられてきました。

それはたとえば、「社会的・政治的不安 あるいは集合的不満」であったり、「構造的な両義性 アンビバレンス」であったり、「信仰・伝統の衰弱 あるいは『神』の零落」、「非合理性あるいは戦争という非日常」であったりしたのですが(これらについて詳しく知りたい方は講義動画を視聴してみてください)、そのどれもがクリティカルな説明になっていないと、佐藤先生はいいます。

特に、どうして「予言」がクダンに必須の要素になっているのかを説明できていないことが問題です。

そこで佐藤先生は、クダン誕生の経緯について、いくつかの新たな説明を試みます。

そこで注目されるのが、まさに先ほど述べた「流言は必ずしもデマなのではなく、パロディ・からかいや批判・啓蒙として広められることもある」という、流言の性質です。

なんとなく私たちは、昔の人はお化けを真剣に信じていて、恐怖を感じていたからこそ、それを語り継いでいったのだと考えてしまいます。しかしそこにあるのは必ずしも恐怖なのではなく、少し距離を取った態度である可能性もあるのです。

このような前提から、佐藤先生は、「文字」というものが一般化し始めた時代だからこそクダンが生まれたのだとする説を展開します。

それはたとえば、クダンという妖怪の絵は、そのまま「件」という漢字を示している図像化された「文字」なのではないかという説です。

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たしかに、人の頭と牛の体をもったクダンは、人へんに牛という字で構成された件という漢字の構成と一致します。

クダンが話題として広まったのは、みんながそれを信じていたからというよりも、文字に対する知識が重要になってきた社会が背景にあるのではないかと、佐藤先生はいいます。

さらに、クダンの見た目だけでなく、その「予言する」という能力もまた、文字の文化から説明できます。

江戸時代における契約書である証文に書かれた「クダンノゴトシ(如件)」という文字を音声から断片的に理解した文字の読めない人々が、「契約する・約束する」という証文の機能を独自解釈して生まれたのが、「予言する」というクダンの能力だったのではないかというのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

このように考えると、単なる恐怖や社会不安に還元されないかたちでの妖怪のあり方が見えてきます。

当時の人も自分と同じであるという気づき

クダンが文字文化を反映したものであるという説を、佐藤先生が考えついたきっかけは、社会学者である先生自身が、江戸の書き文字をうまく読めなかった経験であるといわれます。

佐藤先生はそのとき、「もしかしたら、私が書き文字に悪戦苦闘しているのと同じように、当時の人も文字を読むのに苦労していたのではないか」とひらめき、そのままクダン誕生の説を考案されたというのです。

「当時の人も自分と同じではないか」という気づきは、まさに先生が主張された流言の性質にも共通しているように思います。

みなさんは、お化けの存在を信じていないかもしれません。しかし、お化けについて人と話した経験はきっとあるのではないでしょうか?少なくとも、お化けの情報を見聞きした経験はあるでしょう。なにしろ、この記事もそのひとつです。

いくら科学技術や情報網が発達していなかったとはいえ、昔の人をみな無知蒙昧だと考えてしまうと、お化けの流言の実態を捉え損なう可能性があります。

お化けについての佐藤先生の研究からは、「当時の人も自分と同じである」という重要な考え方を知ることができます。

庶民のなかで広まったお化けの流言は、まさに当時の一般市民のあり方を探る重要な手がかりです。

みなさんもぜひ講義動画を視聴して、「当時の、自分と同じような人」は何を考えていたのか考えてみてください。きっとそこから、当時の社会が違って見えてくるはずです。

今回紹介した講義:社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)第5回 「お化け」もまた社会学の対象である ークダンの誕生 佐藤 健二先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>