だいふくちゃん通信

2022/03/14

今から11年前、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。

震災、そして被災地について、当時の自分の体験、自分の記憶に思いを馳せてみます。

どのような記憶とつながりましたか。
忘れてしまっていること、もしくは知らないままになっていることはありませんか。

震災は今もなお様々なかたちの記憶となって、ある記憶は語り継がれ、ある記憶は忘れ去られようとしています。

「巡礼」は、このような”忘却”に抵抗する1つの希望です。

「巡礼」とは、実際に現地を訪れて、そこにあるシンボルを巡ることをいいます。
しかしそこにはまた、ただシンボルを巡るだけではない、人々との出会い、人々による語りがあります。
そのような人々との出会い、人々による語りこそが、忘却に抵抗するための重要な鍵であると張先生は述べます。

「巡礼」という言葉を手掛かりに、”忘却”と向き合い、そして”忘却”への抵抗について考えてみませんか。

「巡礼」による忘却への抵抗について、第1の故郷を香港、第2の故郷を仙台に持つ、張政遠先生と考える講義動画を紹介します。

東日本大震災発生

2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
当時は家屋の基礎だけ辛うじて残っている状態で、周りの生活世界が無くなっているような光景が広がっていたそうです。

当時津波の犠牲になった方の中には、逃げようとしない人を説得しているうちに逃げ遅れた方もいたそうです。
心の痛む話ですが、愛他心を持つ社会的動物である人間には、他人を見捨てて自分だけ逃げるという行為は難しいとされています。
このような、人間ならではの”優しさ”によって、悲しくもいくつかの悲劇が生み出されてしまったそうです。

香港

そして、張先生の出身地である香港に話は移ります。

実は、被災地と香港にはいくつかの共通点があるのをご存じですか。

その1つが原子力発電所です。
香港には深海から50km未満のところに原発が存在します。
東日本大震災による原発事故後には、住民による「”反核”不要再有下一個福島(”核反対”フクシマを再び起こしてはいけない)」というスローガンが沢山見られるようになったそうです。

記憶装置とその忘却

被災地と香港の共通点において、もう1つ重要となってくるのが記憶装置の存在です。

被災地では、震災発生後、目に見えるシンボルとなるようないくつかの建物などが記憶装置として存在しました。
しかし時間が経つにつれ、徐々にそれらも記憶装置として機能しなくなり、住んでいる人々さえ記憶が薄らいでしまう、また町全体の工事が進み、当時の記憶が町ごと土の中に消えてしまっている現状があります。

香港でも同様のことが起こりつつあります。
植民地支配、学生運動といった歴史の中で、重要なシンボルとして存在したいくつかの建物や像などもまた、記憶装置としての機能が薄れつつあります。

このようなことから分かること。

それは、記憶装置だけでは結局忘却されてしまう可能性があるということ、記憶装置だけでは足りないということです。

それでは、どうすれば忘却に抵抗することができるでしょうか。

「巡礼」による忘却への抵抗

そこで張先生は、「巡礼」による忘却への抵抗について述べます。

ここで言う「巡礼」とは、宗教上の意味の巡礼ではなく、むしろ忘れかけていた記憶を蘇らせる意味の巡礼であるとされます。

記憶を繋ぐために、歴史をたどるために人は動き、「巡礼」をします。
そしてそれは、人と出会う、人と話す巡礼であるとも言われています。
ただ目に見えるシンボルを巡るだけではなく、そこで人と出会い、人の語りを聴くということにむしろ価値があるとされています。

つまり、記憶装置だけでなく、人の語り、人の記憶がなければならない。
oral Historyがないと、記憶装置だけでは上手く機能しないというメッセージ
です。

30年後の世界へ

30年後の世界がどのようであるかは誰にも分かりません。

しかし張先生は、「未来は分からないけれど、想像することはできる」とおっしゃいます。

30年後、東日本大震災、そして被災地は、人々や社会にどのように記憶されているでしょうか。

もしかしたら忘却が進んでいるかもしれません。

その時、きっと「巡礼」は忘却に抵抗するための1つの希望となるかもしれません。

過去の記憶とつながり、そして未来へと記憶を繋ぐために重要な足掛かりになるはずです。

皆さんも張先生と一緒に、「巡礼」による忘却への抵抗について考えませんか。

今回紹介した講義:2020年度開講 30年後の世界へ ―「世界」と「人間」の未来を共に考える(学術フロンティア講義)第8回 30年後の被災地、そして ― 香港 張 政遠先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/03/14

東日本大震災が発生してから今年、2022年で11年。

月日が経過した今でも、私たちは3月11日に震災犠牲者の死を悼み、追悼しています。「追悼」という行為は尊く、意義のある行為です。

しかし、一体私たちはそこで何を悼んでいるのでしょうか?

一般的には、暴力的な災害によって無慈悲に命を奪われた死者に対して、可哀想だと感じる気持ちが追悼の原動力になっていると言えるでしょう。しかし、人は死んだらいなくなってしまうという前提に立てば、死んでしまった時点で悲しみを感じる主体にはなりえないわけです。

死によって、苦しい、悲しいと感じる主体がいなくなるとすれば、その「害」を可哀想だと感じるというのはどういうことなのでしょうか?

苦しい、悲しいと感じる主体が既にいないのであれば、そこに可哀想だと感じるべき何かしらの「害」はあるのでしょうか?

死は「害」だと本当に言えるのでしょうか?

死者を悼むとはどういう行為なのか、一ノ瀬正樹先生と考える講義動画を紹介します。

東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2012,一ノ瀬正樹

「死は害ではない」という考え方と、それに対する反論

先ほど紹介した考え方は「死無害説」に基づくものです。
死無害説では、「それを感じる主体が存在しないという点で、死は無益であり無害」だと考えます。(古くは古代ギリシアの哲学者、エピクロスまで遡ることのできる思想です)

この考え方に照らすと、「追悼」という行為は全く理解できないものです。それどころか、死無害説では死は害ではないと考えられるため、「殺人は加害ではない」という一見常識はずれな主張まで生じてきます。

東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2012,一ノ瀬正樹

この死無害説には、それを論破しようとする対抗議論があります。

たとえばその一つである「剥奪説」は、死は生きていることに伴うさまざまな利益を奪うので害だと主張するものです。

また、時間的に隔たった対象にも存在を認める「四次元枠」の考え方などもあります。


しかし、「じゃあ誰がその害を受けているの?」という死無害説からの決定的な反論に、これらの説は応答できません。私たちの実感から離れたところがあるにしても、たしかに死無害説には一定の理論的根拠があるのです。

「声主」として経験を共有する

それでは「追悼」という行為に意義はないのでしょうか?

一ノ瀬先生は、死無害説の主張を汲み取りながら、「追悼」という態度を意義づけるために、「害グラデーション説」という新たな説を提示します。(一ノ瀬先生のオリジナルの仮説です)

死無害説では死ぬその瞬間のみに害が発生すると考えますが、害グラデーション説では害は死ぬ瞬間に極大になるが、その前後にもグラデーションをなして広がっていくと考えます。

遺品が現物として残っているだけでなく、生前のかすかな匂い、生前の声による空気の振動が、亡くなった人の死後も、もちろん次第に薄らいではいきますが、今この世界にも影響として確かに残っているのです。

ただ、この主張に対しても、「じゃあ誰がその害を受けているの?」という反論は可能です。それに答えるためには、この害グラデーションの考え方を踏まえたうえで、害経験の主体についても論じ直さなければいけません。

一ノ瀬先生は、害経験の主体である「person」を互いに共鳴し合う「声主」と捉えます。(「person」の語源である「persono」は「声を出す、響かせる」という意味だそうです)

東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2012,一ノ瀬正樹

「声主」は独立した存在ではなく、他の人と接することによってできあがっていきます。

死者もその「声主」だとすれば、その害経験は本人にしかアクセスできないものではなく、広く共有可能なものだと考えられるのです。

死者が今現在も何らかのかたちで私たちに影響を与えているからこそ、そして、私たちは互いに共鳴し合うことで存在しているからこそ、人は死者を悼むのだという一ノ瀬先生の考えは、人間のあり方を考えるうえで私たちに救いをもたらしてくれると思います。

他者を慈しみ、死者を悼むという感情は、誰しもが持つものですが、それを意識的に捉えようとする人は多くないはずです。ぜひこの動画を視聴して、他者、死者との向き合い方について、じっくり考えてみてください。

今回紹介した講義:震災後、魂と風景の再生へ(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2011年度講義)第4回 死者とは誰なのかー震災犠牲者を想いながら 一ノ瀬 正樹先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/03/11

※この記事は、地震と建物の倒壊を取り扱っており、災害を想起させる表現を多く含みます。予め、ご了承ください。

年に何度か訪れる、防災について考える機会が多い季節になって参りました。
2021年も、震度4〜5程度と、大きめの地震が10件ほどありました。

地震だけでなく台風や土砂崩れなどの水害も多い、「災害大国」と呼ばれる国……日本。
比較的温暖で湿気が多いゆえに、苔、虫、カビ、キノコたちもモリモリ育つ国……日本。
それでも、縄文の昔から主な建材として愛されてきたのは、柔らかい、そして腐りやすい有機材料である、木材です。
もちろん、度重なる火災や第二次世界大戦の空襲で失われてしまった建物は多いですが、木でできた寺社仏閣やお城などの歴史的な建造物が、何百年、あるいは千年以上も立派に建ち続けているのは、よくよく考えてみると、とても不思議なことですね。

スライドの画像。五重塔など、寺社仏閣の画像が3点示されている。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

そして昨今また、公共施設などの大型の建築物であっても、木材がふんだんに取り入れられるようになったり。
古民家ブームや地方移住ブームで、古い住宅が、喫茶店やDIYの器として生まれ変わったり。
今はまさに、木造建築の新時代が到来していると言えるでしょう。

昔も今も、ずっと愛されて続けています、木造建築!
木って、落ち着くし、いい匂いだし、温かみあるし、やっぱり素敵!
材料としても扱いやすい、まさに自然が産んだスーパーマテリアル!

今回ご紹介する授業では、そんな木造建築と地震の関係性を扱っています。

日本には木造建築がいっぱい

木造建築が、どのぐらい愛されているかと申しますと。
日本の国土で、年間に新築される住宅の約4割、そして既存の住宅の約6割が木造だそうですよ。

なんと。
思っていたより、とても多い

とはいえ、現実を見ると、1980年代の建築基準法改正以前に建てられた木造住宅が有している耐震強度は、現在求められている基準の約半分、もしくはそれ以下である可能性が高いとのこと。

うーん、これは、大きな地震が発生した際にはとても心配な状況ですね。

スライドの画像。既存住宅について、構造別割合の円グラフ、建設年別割合の円グラフ。既存木造住宅の35%(1050万戸)が1980年以前に建設。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

地震で木造家屋が壊れてしまうのはなぜ?

さて、建築学というと「新しい建物を作るぞ!」というイメージを持たれがち……すなわち、未来に向かっていくような華やかな側面が注目されがちですが。
実は、材料、歴史、意匠などの研究、また防災のための検証など、既に存在している過去の建物にじっくり目を向けるのもまた、重要な建築学の分野なのです。

みなさんは、伝統的な木造家屋が地震で倒壊する主な原因って、なんだと思いますか?

木造住宅は、実に様々な「要素」の集合体です。
基礎、柱、梁、土壁、床、屋根、それらの接合部……などなど。

壁が崩れてくる?
屋根が落ちてくる?
基礎が割れる?
さぁ、確かめてみよう!

スライド画像。実験で使用した江戸時代末期の茅葺き屋根の古民家。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

実験は、すでに解体することが決定している家屋をお借りしたり、実験場に模造の家屋を再現したりして行われました。
対象家屋のあらゆる箇所に測定器を付け、実験装置を使って地震のような力のかかり具合を再現、家が変形を起こすほど揺さぶりをかけます。
どの部分が、どの程度の時間、どの程度の力をかけていくと、どのように弱ったり壊れたりするかを調査します。

スライド画像。実験装置を組んでいる人々の写真と、装置の図解。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

実験の話をする先生、ちょっと(とっても)楽しそうで素敵です。

伝統的な日本家屋の多くは、東西の面が土壁で、南北方向に開口部が集中しています。
開口部とは、障子や襖などの建具(たてぐ)が入る、外に向かって開いた箇所のこと
縁側があって、眺めが良かったり、夏は風通しが良かったり、火鉢を置いてみたり……日本の伝統的な生活に欠かせない光景ですよね。

スライド画像。西教寺客殿の写真。お坊さんが生活するところ。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

実験の結果、最初に壊れると被害が大きくなるのは、開口部の柱でした。
土壁は意外に強度があり、壊れ方もゆっくりで、ほとんどヒビが入っていないことも。
また、たとえ剥落したり壊れたりしても、水で練って修復することが比較的簡単にできるそうです。

一方、細い柱が土壁や梁を支えられずにボキッと行ってしまった場合、修復はかなり困難。
家の正面が路上に崩れ込んだり、梁が落ちてきたりと、全体が倒壊する危険性がいっそう高まりと、影響が大きくなってしまいます。

スライド画像。垂壁構造の古民家の断面図と、柱と垂壁の部分図。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

耐震診断と補強の普及で被害を小さくしよう!

さてさて。
どこが壊れやすいのかを念入りに調べると、どこをしっかり補強すれば安全性が高まるのかがわかってきますね。

下の画像は、耐震補強を施した一例。
見えますでしょうか、白っぽい柱と格子が補強材で、その後ろに覗いている少し飴色に日焼けした障子が、元からあったものです。

スライド画像。耐震補強のリフォームを済ませた和室の写真。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

まぁ、なんということでしょう。

新素材との組み合わせでお値段も抑えつつ、ちゃんと強度があり、空間の角でがっちり補強。
伝統的な和室の雰囲気も壊さず、さらに明かりとりの役割も果たしてくれる。

「でも、お高いんでしょう?」

はい、そうですね、ある程度は。
でも、手の届く価格で提供できて強度のある素材の追究も進んでいるし、要件を満たしていれば耐震診断には公的な助成金が降りるんですよ!
実際には、まだまだ一般住宅の診断や補強が普及しているとは言えませんが、周知戦略も進められているところだそうです。
むしろ自治体は推奨していますから、ご自分のお家「大丈夫かな?」と思ったら、ぜひ調べてみてくださいね!

スライド画像。耐震診断と補強工事の実施例。間取り図と、診断結果の表。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 藤田香織

詳しくは動画で!

講義動画は、実験の詳細、建築界の未来のお話など盛り沢山だったのですが、全部は書ききれないので、この記事はここで終わりにするとしましょう。

日本の財産である素敵な木造建築たちを、良い形でたくさん残していけたら、それはもちろん素晴らしいこと。
そして、まず大事なのはみなさんの命ですから、災害が起きる前にできるだけ対策をして、被害を小さくとどめていきたいと感じました。

憧れの古民家カフェをやりたいあなた、田舎のおばあちゃんのお家がちょっと心配になってきたあなた……ぜひ動画をごらんください!
ちょっと小難しい物理のお話もありますが、先生のユーモラスな語り口に引き込まれ、80分があっという間です。

木造のお家を見る目が変わるだけで、明日から、お散歩中や旅先のありふれた景色が、とってもおもしろいものに見えてくるかも。

今回紹介した講義:工学とは(学術俯瞰講義 2017年度開講)第8回 歴史と文化と工学:伝統的な木造建築と地震 藤田 香織先生

※ 講義動画には、過去の地震や実験によって変形および倒壊した木造家屋の写真が含まれます。予め、ご了承ください。地震や実験の振動および倒壊の映像などは一切含まれません。

おまけ:本日の単語帳

普段、聞き慣れない単語やちょっとだけ難しい単語が出て来るので、ちょっとした単語帳を作ってみました。
動画鑑賞のおともにどうぞ。
ただし、筆者は専門家ではないため、動画を見る際の参考程度にとどめていただきたいと思います。

  • 田の字型:襖で仕切られた和室4部屋(茶の間、仏間など)が「田」の形に並んでいる間取り。
  • 土間:床を張らない、土が剥き出しになった箇所。玄関、台所、作業場などとして利用される。
  • 長手方向=桁行(けたゆき)方向:長方形の長い辺。伝統的な日本家屋では多くが南北に当たる。
  • 短手方向=梁間(はりま)方向:長方形の短い辺。伝統的な日本家屋では多くが東西に当たる。
  • 鴨居:引き戸の枠の上部の横木。現代の薄鴨居(うすがもい)は建具の枠に過ぎないが、(古い時代の)差鴨居(さしがもい)は構造上も重要な役割を果たし、見た目も太くて立派。
  • 大黒柱:土間と座敷の中心に、1番最初に建てる最も太い柱。構造上重要であり、また家の象徴としても重要視される。
  • せん(剪)断破壊/せん(剪)断変形:簡単に言い換えると、ガラスや石材などがパキッ、ボロっと割れるように壊れる。ヒビが入ってからすぐに壊れるので、部材や位置によっては曲げ破壊より危険と言える。
  • 曲げ破壊/曲げ変形:簡単に言い換えると、(ヒビが入るなどしつつ)グニャッ、メリメリメリ、という壊れかた、変形のしかたをする。
  • 耐力:部材が、加えられる力に対して、耐える力。どこまで耐えられるか。損傷限界耐力、最大耐力、などと使用する。
  • 弾性設計:弾性は、力を加えて変形したものが、力を加えるのをやめると元の形に戻る性質。簡単に言い換えると、部材の耐力を基準に、例えば地震が来て揺れている間に多少変形をしても、揺れがおさまった後に申し分なく元の形に戻るように設計すること。
  • 垂れ壁=下がり壁:天井と開口部の間に垂れ下がったようにある壁。
  • 安全側・危険側:その部材の耐力に対して余裕を持って設計することを「安全率を掛ける」などと言う。例えば、とある力にを加えた際に直径100mmの柱なら耐えられるところを130mmで作ると、これは「安全側にある」と言える。この柱が80mmしかない場合、変形または破壊が起こる可能性が高まるので「危険側にある」と言える。
  • 建具:開口部に取り付けられる、窓や戸などの部品。
  • 掃き出し窓:開口部が床面まである。出入り口になる。昔はここからチリを掃き出していた。
  • 腰高窓(こしだかまど)=腰窓:開口部の下枠が人間の腰の高さあたりにくる窓。
  • 引き違い:2枚以上の建具を2本以上のレールの上を滑らせて開閉させる戸や窓。例えば、旅館の大広間を仕切っている襖などはこれに当たる。
  • 片引き(かたびき):1枚の建具を左右どちらかに滑らせて開閉する戸や窓。
  • 初期剛性:建物の、初めて力が加わる前の剛性(変形しにくさ)。例えば地震などによって一度力が加わると、建物の完成時よりも剛性が低くなる可能性がある。
  • 座屈:部材に力を加えた際、限度を超えると急に変形が大きくなる(急に前にはみ出すように湾曲する)。例えば、茹でていないスパゲッティーの麺(5cm程度)を縦にし、人差し指と親指で上下に挟んでグッと力を入れ続けたら、しばらく持ち堪えた後、急に湾曲してすぐメキョッと折れる、そんなイメージ。

<文 加藤なほ/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/03/08

昨今、「ウクライナ情勢」という言葉を見聞きしない日はありません。テレビ番組、新聞、SNSなどで多くの情報が伝えられ、世界各地で抗議デモが行われています。

2022年2月22日、ロシアのプーチン大統領が、親ロシア派が支配するウクライナ東部2地域の独立を承認し、ロシア軍を派遣することを明らかにしたことで、国際社会は震撼しました。そして2月24日から、ウクライナ各地で軍事作戦が開始されました。

他国に対して軍事的に攻撃することは、国際法上、認められているのでしょうか?

そこで、国際法の知識がない方向けの国際法の導入として、法学政治学研究科(当時)の森肇志先生の講義を紹介します。

国際法ってなんだろう?

国際法がどういうものかご存じですか?
国際法とは、国家同士の関係を規律するルールを指します。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2015, 森肇志

国内では、国会で法律が作られ、それに違反をすると、警察に逮捕されて、裁判を受けたり、罰金を払ったりしますよね。あなたが知っていようといまいと、合意しようとしまいと、ルールは等しく適用され、罪に問われてしまいます。

しかし、国家間ではどうでしょうか?国際社会においては、各国政府の上に立つ世界政府は存在しないので、国同士が合意したもののみが、ルールになります。したがって、「国際法は穴だらけ」になると森先生は言います。各国が合意した範囲でしか規範を作ることができないので、合意ができない部分は抜け落ちてしまうのです。そして、何か違反があったとしても、犯人を逮捕してくれる世界警察はいません。国家は、トラブルがあったときには、自力で対応するか(自衛権などを指します)、国連などによる対応(集団的安全保障などを指します)を求めるしかありません。

今回のウクライナ情勢に大きく関わる重要な国際法の中のルールの一つとして「武力不行使原則」があります。

武力不行使原則をめぐる歴史

今日、国家による武力の行使は、国際法により原則として禁止されています。

しかし、19世紀末までは、戦争は禁止されていませんでした。当時、各国は同盟を結んで自国の平和を守ろうとしました。同盟とは、国家同士が協力を約束することを言います。平和を目指して作られた同盟でしたが、同盟が発展すると、次第にそれぞれの同盟は対立し始めました。そしてそのまま第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ全域が戦火にのまれてしまいます。

こうした歴史の反省を踏まえ、国際連盟が発足し、国家間は戦争防止に努めるとともに、それに違反した国には経済制裁が課されることになりました。また、不戦条約が作られ、戦争が禁止されました。

しかし、国際連盟は戦争の抑止力として十分ではありませんでした。国際連盟は軍事的な制裁手段を持っていなかったからです。また、当時の大国であるアメリカが国際連盟に参加していなかったのも大きな要因でした。そして、各国は再び世界戦争に突入してしまいました。

こうした経緯を踏まえて、第二次世界大戦のあと、国際連合が発足しました。そして、国連憲章にて「武力不行使原則」(国連憲章2条4項)がつくられ、今日の集団安全保障体制(国連憲章7章)が構築されることになります。

武力不行使原則と集団安全保障体制

武力不行使原則とは、国際連合の目的と両立しない武力による威嚇または武力の行使を禁止するルールです。このルールに違反して、もし、「侵略行為」や「平和の破壊」と呼ばれる行為を行う国があった、ないしはそういう脅威があった場合には、国連の「安全保障理事会」がそれを「認定」し、それに対応するために「軍事的・非軍事的措置」がとられることになります。これを、集団安全保障体制と言います。

国際連盟が第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかったという反省を生かし、国際連合では紛争解決手段として国際連合による武力行使を容認する仕組みを採用したのです。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2015, 森肇志

集団安全保障体制の機能不全

では、集団安全保障体制はどれほど機能してきたのでしょうか?実際に世界の平和を守ることができたのでしょうか?

実は、集団安全保障体制は、想定していた形では機能しなかったとされています。

「軍事的措置」をとることが想定されていた「国連軍」は、2022年現在まで、存在していません。また、安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの5か国が拒否権を行使することによって、望ましい措置をとることができないこともありました。安全保障理事会の決定は、拒否権を持っている常任理事国のうち、1か国でも反対があった場合には成立しません。したがって、例えば、冷戦中には、アメリカとロシアが互いの拒否権を乱発することで、身動きがとれなくなってしまったのです。

もっとも、国連も、ただ手をこまねいて見ていたわけではありません。安全保障理事会が特別協定に基づいて指揮を執る国連軍は一度も組織されませんでしたが、代わりに、国連加盟国が自らの責任で指揮し派遣する多国籍軍が編成され、それを安全保障理事会が容認することで、軍事的措置を可能にしてきました。また、国連が停戦監視や武装解除、選挙支援などを行う国連平和維持活動(PKO)が実施され、日本も自衛隊を派遣したことがあります。

自衛権

このように、集団安全保障体制だけで安心、というわけにはいきませんでした。

その「穴」をさらに埋めるのが、「自衛権」(国連憲章51条)です。

「自衛権」は、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」に分けられます。

個別的自衛権とは、自分の国が攻撃されたときに、自分の国を守るために、武力で反撃する権利のことを言います。集団的自衛権とは、自分の国が攻撃されたわけではないが、自分の国と密接な関係にある国が攻撃されたときに、共同して反撃に加わる権利のことを指します。

こうした権利は、国際連合の集団安全保障体制が機能するまでの間、それを補完するものとして認められています。

すなわち、武力不行使原則の例外として、集団安全保障と自衛権(個別的・集団的)という2つが認められることになったのです。

ここで注意していただきたいのは、集団安全保障体制と集団的自衛権はまったく異なるものだということです。

集団安全保障体制とは、国連加盟国が互いに武力行使を慎むことを約束し、もし約束を破った場合には残りのすべての国が結集して制裁を加えることです。そして、約束を破ったかどうかを判断するのは、国際連合の安全保障理事会です。一方で、集団的自衛権とは、一国に対する攻撃について、その国から要請があった場合に、直接攻撃を受けていない同盟国や友好国が共同して反撃することです。そして、攻撃があったかどうかの判断は、各国にゆだねられます。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2015, 森肇志

自衛権は、「攻撃した」「攻撃された」の判断を各国が行うことになるので、攻撃の存在を恣意的に判断するという濫用の危険性が常に伴います。集団的自衛権は、こうした諸刃の剣の性質を持っています。

諸刃の剣の性質を最悪の形であらわにしたのが、今回のウクライナ情勢でした。

今回のロシアの軍事的侵攻は、上述した「武力不行使原則」の違反になる、とアントニオ・グテーレス国連事務総長は述べています。各国の代表、研究者、多くの人々も、ロシアの侵攻は「国際法と国連憲章違反だ」と強く批判しています。一方で、ロシアは個別的・集団的自衛権を定めた国連憲章51条に従った行使だと主張しています。ロシア側の主張は明らかにその範疇を超えていると思われますが、いずれにせよ、武力が行使されてしまったことは確かです。

そして、安全保障理事会のロシア軍即時撤退を求める決議案は、ロシアの拒否権行使によって廃案になってしまいました。

再び戦争が勃発してしまった今、国際法の「穴」を埋める作業が再び必要とされているのかもしれません。

まとめ

常に複雑な利害関係が絡み合った国際社会の調和を図るツールが国際法です。

一国の主張にとらわれすぎず、現状何が起こっているのか、国際法に「どんな穴があるのか」を俯瞰的に知ることがまずは必要です。

穴に対する現実的な認識をもって初めて、穴をどのように埋められるかを考えることができます。

森先生は、「穴埋めというのは、一度穴を埋めたら終わりではない」と述べています。

国際社会の一員であるわたしたち一人ひとりが自ら情報収集を行い、何が起こっているのかを知ると共に、何ができるのかを考えていきたいものです。

今回紹介した講義:共に生きるための知恵(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」)第11回 国際社会における共生の法 森肇志

<文/島本佳奈(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/03/08

ウクライナ情勢は今最も世界の注目を集めています。
実際にテレビやSNSなどを通して現地の様子を目にすると、心が痛むばかりです。

改めて、平和は当たり前ではないこと、国家内、国家間の争いはいつでも起こりうるということを実感します。

誰もがそこに価値を見出す平和。

それを実現しようとして努力をしても、その努力が平和の実現につながらないのは一体なぜなのでしょうか。
厳しい条件・現実の中でどうすれば平和を目指すことができるのでしょうか。

昨今のウクライナ情勢は、今一度国際社会における平和とは何か、その維持・実現に必要な条件は何か改めて考えることの必要性を、私たちに訴えています。

平和の追及・実現を目指す温かいこころ(ウォームハート)を持ちながら、その条件や課題について冷静な頭脳(クールヘッド)で考えていく、教養学部の石田淳先生の講義を紹介します。

サムネイルの画像クレジット:The official website of Ukraine

1. 国際の平和~集団安全保障体制~

まず、国際の平和、つまり国際安全保障について考えます。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 石田淳

平和の定義は非常に複雑ですが、石田先生は平和とは安全(Security)と同義である、つまり価値配分の現状に対する脅威の不在とおっしゃいます。

Securityには安全であるという状態と、安全な状態を作り出すという作為の2つの意味があり、日本語では後者を安全保障と言います。

国連憲章では加盟国に対し、その国際関係において武力による威嚇又は武力の行使の禁止を定めています(武力不行使原則)。
そして、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為があった場合、国連の安全保障理事会が「その存在を決定」し、「対応措置を決定」することも定めています。

このような仕組みを集団安全保障体制と言い、基本的に以下の2つの約束から成り立っています。

1つ目は、集団の中で互いに武力の不行使を約束するということ、2つ目は、約束に反して武力を行使する国家があった場合、その国家に対して制裁実行を約束するということです。

2. 集団安全保障体制が上手く機能するには~威嚇の説得力~

集団安全保障体制が上手く機能するためには、単に当該国の現状防衛のために相手国に対する威嚇の説得力を整えるだけではなく、約束にも説得力、つまりリアリズムを持たせることが必要であると石田先生はおっしゃいます。

これはどういうことか、以下で説明していきます。

まず国家間においては、威嚇(相手国にとって好ましくない行動を辞さない)約束(相手国にとって好ましくない行動を自制する)があるとされています。
そしてこれらを通じて、当該国にとって好ましい状況をつくっていきます。

例えば、A国が現状変更した場合(B国への侵略など)、B国は、A国の最悪事態につながる行動も辞さないという威嚇をA国に対し行うことによって、B国の最善事態につながる行動をA国に選択させます。
このような、相手国にとっての最悪事態を威嚇することによって当該国の現状を維持し、当該国にとっての最善事態を実現させるといった考え方が抑止政策の本質です。

そして威嚇の説得力とは、いかに威嚇が本当に実行されそうかということであり、この場合当該国は威嚇を実行に移す動機を実際に持っているため、当該国の威嚇には説得力があると言えます。

3.集団安全保障体制が上手く機能するには~約束の説得力~

では、当該国の威嚇に説得力があるからといって、本当に当該国の現状が維持できるでしょうか。

冷静な頭脳(クールヘッド)を持って考えると、それは決して容易なことではないと石田先生はおっしゃいます。

なぜなら、相手国には相手国の不安があるからです。

例えば、B国の威嚇によりA国は現状維持をしたとします。
しかしA国にとっては、B国が現状変更行動を自制するという約束を守らないかもしれないという、また別の不安があるのです。

これはつまり、相手国・相手国の約束への不信感であると言えます。

相手国にとって、当該国が約束を守らないことは破滅的な事態を意味します。
そのため、相手国は当該国が約束を守らないことをとても恐れ、相手国に対し不信感を抱くのです。

このように、威嚇には説得力があるけれど約束には説得力がない場合、それは相手国の不信感につながります。
その結果、相手国としては現状維持行動よりも、より自国にとって利得が大きい現状変更行動をとり、これが国家間の争いに発展するのです。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 石田淳

相手国の最悪事態につながる行動は自制するとの約束によって、当該国 の最悪事態につながる行動を相手国に自制させる外交 を、安心供与外交と呼びます。

そして、この約束にどのくらい説得力があるのか、互いの約束・言葉をどのくらい信じることができるのかが、国際関係において、国家間の争いを阻止する抑止力として重要な働きをするのです。

4.まとめ

各国が平和を実現する行動をとりますが、だからといって自動的に平和が実現するかというと、決してそうではありません。

平和の実現のためには、リアリズムが必要です。

リアリズムとはつまり、実際にそれが実行されそうかどうかということです。

これは、説得力という言葉にも置き換えられます。

そしてこの説得力は、威嚇だけでなく約束にも備わっていなければなりません。

単に現状防衛のために威嚇の説得力を整えるだけではなく、約束にも説得力を持たせることこそが平和実現のためには重要であると石田先生はおっしゃいます。

隣にいる人が何を考えているのか正確には分からないのと同じように、国際社会においても他国が何を考えているかは分かりません。

そこには簡単に互いの意図の誤認や不信感が生まれる可能性があり、これが争いへと発展するのです。

だからこそ、国家の平和、国際の平和のために結んだ互いの約束や言葉に説得力があること、互いの約束や言葉を信頼し合えることこそが大切になるのです。

つまり、平和の問題とは、信頼の問題であるとも言えるのです。

今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義)第9回 国際社会における平和-その条件について考える 石田淳

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/03/03


みなさん、哲学が理念的に戦争を支えてしまった歴史について、ご存知ですか?

「抽象的な議論を展開している哲学は、世の中を変える役には立たない」と考えている人にとって、これは驚くべき事実かもしれません。

しかし、歴史を振り返ってみると、良くも悪くも哲学は強く現実に影響を与えてきました。

今回は、太平洋戦争の遂行に寄与したと考えられている哲学者の田辺元と、田辺と同時代に同じ場所で活躍したにもかかわらず、田辺とは全く異なる哲学を展開した九鬼周造の思想を辿る講義を紹介します。

個人を国家に結びつける田辺の哲学

今回講師を務めるのは、東京大学東洋文化研究所で中国哲学を中心とした世界の哲学について教えておられる中島隆博先生です。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2021 中島 隆博

田辺と九鬼はそれぞれ生まれ年も近く(田辺1885年、九鬼1888年)、共に戦前の京大で哲学を教えていたという共通点がありました。

しかし中島先生は、現実への関与という点において、二人の哲学は全く異なっていたと言います。

戦争に寄与したと考えられている田辺の思想は、「種の論理」というものです。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2021 中島 隆博

中島先生いわく、これは田辺哲学の核心とも言えるものです。その内容は「類と個の間に種を置き、類ー種ー個が一方向的なヒエラルキーをなすのではなく、相互に影響を与えあう弁証法的な関係にあることを明らかにしようとしたもの」だと説明されます。

つまり、私たち個人と、それらを全て合わせた人類の間に、「種」という概念を挟み込もうとしたのです。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2021 中島 隆博

まさに抽象的で難しい、哲学らしい考え方ですが、これがどうして戦争に寄与してしまったのでしょうか?


それは、田辺がこの種の論理における「種的基体」に国家(民族国家)を置いたことに原因があります。

これによって、国家と個人が密接に結びついているということが根拠を持って主張されるようになってしまうのです。

じっさい、田辺はこの種の論理を踏まえて、京大の学生の戦意を高揚させる演説を行なっているといいます。(『歴史的現実』に収録)

偶然性を強調する九鬼の哲学

一方、九鬼周造は、偶然性の哲学を展開したことでよく知られた哲学者です。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2021 中島 隆博


九鬼は、「偶然性は具体的存在の不可欠条件である」と主張するほど、偶然性の概念を重要視しました。

中島先生は、九鬼を「人との邂逅という偶然性を深く生きる個人とその内面性に深く沈潜」した哲学者だと言います。

軽やかに偶然性について説く九鬼の語りは、私たちの身の回りのものに根拠がないことを暴露します。

田辺の種の倫理が国家の根拠を示したのと対照的に、九鬼の偶然性の哲学は「国家には実態がない」という無根拠性を提示するのです。

哲学が現実に良い影響を与えるために

田辺は、自身の哲学が国家主義的傾向を持ってしまったことに反省したと言われており、戦後には『懺悔道としての哲学』という著作も残しています。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2021 中島 隆博

田辺の哲学は確かに戦争に寄与したとして、非難されるべき性質を持つものだと思います。

一方で、田辺の哲学は、哲学が現実へ関与しなければならないことを示したものでもありました。

講義の最後の質疑応答の時間で出た「田辺の哲学で評価できるポイントはどこにあるのか」という学生からの質問に対して、中島先生はまさに、「現実へと直接関与していた点」を挙げています。

逆に言えば、現実に関与的でなかった九鬼の哲学には、限界があったとも言えるでしょう。

まさに今、私たちは戦争について改めて考えなければ考えなければいけない状況に立っています。

そんな状況で、哲学には一体何ができるのでしょうか?

やはり、現実に関わりのないものでも、もちろん戦争に寄与するものでもなく、現実に良い影響を与えるものであってほしいと思います。

そのためには、広く色々な考えを知り、それらを適切に自分のなかに落とし込む必要があるはずです。

みなさんもぜひ、まずはこの講義動画を視聴するところから、戦争と哲学について考えてみてください。

今回紹介した講義:30年後の世界へ ― 学問とその“悪”について(学術フロンティア講義)第4回 近代日本哲学の光と影 中島隆博

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/02/24

「まさに偶然の出会い……!」

恋愛ドラマや恋愛小説などでも定番のこのセリフ。

さまざまな可能性の中から「偶然」巡り会ったと考えるからこそ、私たちはその出会いに感動し、幸せを感じるわけです。

でももし、その「偶然性」が存在しなかったとしたら

つまり、全ての物事が必然的に起こっているとしたら

少し恐ろしい世界のように思えるかもしれません。

しかし17世紀の哲学者、スピノザは、まさにこの偶然性という概念を否定してしまったのです。
哲学者の鈴木泉先生と一緒に、そんなスピノザの哲学を辿りながら、偶然性の存在しない世界を考える講義を紹介します。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 鈴木泉

サーフィンをするように、偶然性のない世界を生きていく

突然「偶然性は存在しない」と言われても、全ての事象が必然的である世界を想像するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

「それじゃあ、私が今まで自分で選んだと思っていた選択は全て必然だったの!」

と文句も言いたくなりますが、まさしく偶然性がない世界には、選択も自由意志も存在しません。
それどころか、スピノザによれば、その世界に「実体を持った個体は存在しない」のです。つまり、これまで自由意志に従って選択をしてきたと思ってきたあなたも、私も、そこには存在しないのです。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 鈴木泉

それでは、そこで私たちの存在はどう理解されるのでしょうか。鈴木先生はサーフィンのたとえを用いて、偶然性のない世界における私たちのあり方をあらわします。

サーフィンをしている最中、私たちは波に乗るのに必死でそこに自由意志はありません。また、そこで波にのっているサーファーは、身体とサーフボードがほとんどひとつになったような感覚になると言います。

つまりそこでは、サーファーの実感として、身体とサーフボードと波が一体となっているわけです。それはまさに、実体を持った個体が存在していない状態です。

鈴木先生によれば、スピノザは「サーフィンをするようにこの世界を生きていきなさい」と主張していると言います。

あまりに人間的な偶然性概念を消去するために

今回紹介した講義の副題は、「スピノザと共にあまりに人間的な偶然性概念を消去しよう」というものです。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 鈴木泉

確かに、私たちは「可能性」や「選択」、「成功・失敗」、「達成」といった、極めて人間らしい概念を正当化するために、偶然性という概念を持ち出していると言えます。

何かを選択したり、成功したり、失敗したり、物事を達成したり、そんなことが一切起こらない世界を想像してみてください。あなたはそんな世界に住んでみたいですか?

絶対にいやだ?それとも、案外悪くないかも?

どちらにせよ、私たちから見えている現実と全く異なるこのような世界は、興味深いものではあるはずです。

そんな世界に少しでも関心を持った方は、ぜひ講義動画をご覧になって、新たな扉を開いてみてください。

今回紹介した講義:〈偶然〉という回路(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2017年度講義)第8回 必然主義の哲学―スピノザと共にあまりに人間的な偶然性概念を消去しよう― 鈴木 泉先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/02/17

「平和とは何ですか?」
と聞かれたら、あなたはどんな風に説明しますか?
戦争がない状態、安心して暮らせる状態、今の日本みたいな状態…
いろいろな答え方があるでしょう。

どんな風に答えて良いのか分からない人もいるかもしれませんね。
そんなあなたは、総合文化研究所の佐藤安信先生と一緒に、「人間の安全保障」について学んでみましょう。

 

想像してください。戦争はしていなくても、常に自分の命が狙われていたら。毎日お腹がすいて、飢えに苦しんでいたら。そのような状態は平和ではない!と述べたのが、ガルトゥングです。
ガルトゥングによると、「本当の平和というのは、その社会に構造的暴力・文化的暴力がない状態」なのです。つまり、単に戦争をしていないことが平和だとは言えない、ということです。

冷戦終結後、各国では内戦が増加し、ジェノサイドなどが発生しました。さらに、甚大な被害をもたらす感染症の拡大や自然災害も起こるようになりました。

従来、このような問題に対応するのは「国家」の役割であり、「国家安全保障」がその議論の俎上でした。しかし、一国の政府だけでは対応できない課題が増加し、国家安全保障の枠組みでは捉えきれないものも多くなってきました。


そんななか、1994年にUNDPで新たに提案されたアプローチが「人間の安全保障」でした。
国家の枠組みではなく、人間を中心に安全保障の概念が再定義されるようになったのです。直接的な暴力をなくすだけでなく、内戦や抑圧といった「恐怖からの自由」や、貧困や飢餓といった「欠乏からの自由」から人々を守ることが必要になってきたのです。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 佐藤 安信

こうした人間の安全保障は、一人一人にとって必要なものですが、特にそれが重要になるのが、「難民」です。

難民とは、紛争や人権侵害などの恐怖から自分の命を守るために、やむを得ず、逃げざるを得ない人びとを指します。
難民条約がある人を難民として認定するためには、「どういう理由で逃げているのか」、そして「どういう恐怖を有しているのか」、そしてその人が「どこにいるのか」、「何を望んでいるのか(いないのか)」という条件があります。

つまり、紛争から逃げてきた、ということだけではなく、難民条約上で難民として認定されなければ、その人は難民とは認められないことになります。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 佐藤 安信

難民は、近年、内戦の増加とともに、増えています。
2019年のデータによると、難民は世界で2,040万人いると言われています。
さらに、国外に逃亡した難民だけでなく、国内で避難を余儀なくされている国内避難民も多くいます。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 佐藤 安信

こうした世界各地で発生する難民や国内避難民に対して、人間の安全保障を理念として新しい行為規範を作って行こうという動きがあります。また、近年話題になっているSDGsの核となる概念も人間の安全保障です。

人間ひとり一人に目を向けて、その命や生活を守るためにどんな取り組みがあるのか、あなたも一緒に勉強してみませんか?

 


人間の安全保障について学ぶことは、紛争や自然災害、政治的な迫害によって苦しんでいる人々がいるという事実を知ることから始まります。
難民はその一例です。
少しでも関心を持った人は、ぜひ講義動画をご覧になって、一緒に考えてみましょう。
平和構築についてさらに学びたい方には2007年度開講の学術俯瞰講義もおすすめです。

今回紹介した講義:不安の時代(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年度講義)第10回 難民から学ぶ「人間の安全保障」:新型コロナが問いかけるグローバルガバナンスへの展望 佐藤 安信先生

<文 / 島本佳奈(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/02/10

みなさんは「哲学」に対してどのような印象を持っていますか?

きっと、「哲学は『ザ・人文科学』である」と考えている方も多いでしょう。

しかしそんな哲学に、自然科学の知見を積極的に取り入れようとする動きがあることはご存知ですか?
「人類の抱える問題は、文系用と理系用に分かれていない」という考えのもと、科学の知見を生かして哲学を行う戸田山先生と一緒に、「意味する」とはどういうことなのかについて考える講義を紹介します。

「意味する」ことはどのような自然現象なのか

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 戸田山和久

戸田山先生は「生きていることは所詮化学反応に過ぎない」という唯物論者です。

しかし、そのような唯物論的世界に、私たちが当たり前に「ある」と思っている概念を描き込むことには、大変な困難を伴うことがあります。

そのような概念の代表が「意味する」です。

たしかに、私たちは当然のように「意味する」という概念を用いますが、事実それを唯物論的な仕方で正確に定義できているとは言い難いでしょう。戸田山先生は、「意味する」ことがどのような自然現象であるのかの解明に取り組みます。

「意味する」を唯物論的世界に描き込むもっとも単純な方法は、特定の表象Xが特定の対象A(たとえばネズミ)によって引き起こされることを、「表象XがAを意味する」と言いあらわすことです。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 戸田山和久

しかし、このやり方では「表象間違いがありえなくなる」というような問題が発生します。つまり、対象と表象の因果関係が一対一で結びつくのであれば、対象によって引き起こされた表象は、全て正しく対象を意味していると言えてしまうということです。

(たとえば、モグラをネズミと見間違えてしまうのは表象間違いです。しかし、上のやり方に従うと、ネズミの表象がモグラによっても引き起こされてしまうとすれば、そのネズミの表象はモグラの表象でもあることになり、表象間違いだとは言えなくなります。なかなか難しいと思いますが、詳しい説明はぜひ動画をみて確認してください)

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 戸田山和久

この問題を解消するために、戸田山先生は「本来の機能」という概念を持ち出します。本来の機能とは、「心臓の本来の機能は血液循環である」というように、たとえほかの機能を持っていたとしても、その物体がそれのために存在していると言えるような機能のことです。(逆に、私たちは心臓の拍動で時間をはかることもできますが、これは本来の機能ではありません)

表象Xの本来の機能が「ネズミを表象すること」であるとすれば、それがモグラによって引き起こされてしまった場合に、「表象間違い」が起こったと言うことができます。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 戸田山和久

選択の歴史から「本来の機能」を捉える

しかしここで、「本来の機能」がどのような自然現象であるのかを考えるという新たな課題が生まれます。

戸田山先生は、選択の歴史からこの本来の機能について説明します。

選択の歴史に従えば、「Sが持つというアイテムAがBという本来の機能を持つ」とはすなわち、「SにAが存在しているのは、Sの先祖においてAがBという効果を果たしたことが、生存上の有利さを先祖たちにもたらしてきたことの結果である」と説明できます。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 戸田山和久

つまり、表象について唯物論的に捉えるためには、その「表象の生産」だけを考えているのではだめで、「表象の生存における使い道」を考える必要があるのです。

戸田山先生の哲学は、まさに文系と理系、哲学と生物学をつなげる、科学時代の新しい哲学です。このような哲学は、科学に親しんだ私たちにとって、非常に納得しやすいものになっていると思います。(ただし、すぐに理解できるかは別問題です)

戸田山先生は、「このような哲学を推し進めることで、哲学は原型をとどめなくなるかもしれないが、それもまた良し」だと言います。

新たな哲学の展望に関心がある方だけでなく、「哲学の議論は抽象的で漠然として分かりにくい」と考えている方も、ぜひこの講義動画を視聴して、ロジカルな哲学の営みで世界の枠組みを再構築してみてください。

今回紹介した講義:脳の科学-シナプスから人生の意味まで(学術俯瞰講義)第13回 哲学と生物学をシームレスにつなぐ 戸田山 和久先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/02/04

先日、菅直人元首相が、Twitterに日本維新の会と橋本徹氏について「ヒトラーを思い起こす」と投稿したことが話題となりました。

繰り返してはならない歴史として、2022年の今もナチ・ドイツの政府が参照され続けています。

それでは、そんなヒトラー政権が、実は少数派政権だったのはご存知ですか?

国会の過半数を取れなかったのにもかかわらず、緊急事態条項をしたたかに利用することで、ナチ党は力をつけていきました。

ヒトラーがどうやって権力を集中させていったのか、ドイツ現代史・ジェノサイド研究の専門家、石田勇治先生と一緒に学んでいく講義を紹介します。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 石田勇治

大統領緊急令が法律と化した時代

緊急事態条項とは、非常事態に国家の存立を守るために、国家権力が人権保障と権力分立を一時停止して緊急措置を取ることを許可する条項のことを指します。

ヒトラー政権が台頭したワイマール共和国(1918/19〜33)では、緊急事態条項により、大統領が大統領緊急令を発令できると定められていました。

このワイマール共和国では、ヒトラー政権が成立する以前から、体制が不安定な共和国初期に、防衛・治安維持のため、この緊急事態条項が許可した大統領緊急令が多用されていました。

そして、ヒトラーが力を持ち始める共和国末期には、大統領緊急令が法律代わりに頻繁に発せられるようになります。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 石田勇治

共和国末期の大統領は、元軍人で帝政主義者のヒンデンブルクです。ヒンデンブルクは大統領緊急令を法律のように用いることで、議会制民主主義を形骸化・有名無実化していきました。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 石田勇治

形骸化していた国会で、政府と議会を批判する抗議政党であったナチ党と共産党が、次第に力をつけていきます。

1933年1月、保守派のヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命し、大統領緊急令をヒトラー政府のために使用することを約束しました。この時点で、ナチ党の国会議席占有率は33.1%しかなく、国家人民党と合わせた連立政権全体でも41.9%と、与党で過半数が取れていない状態(つまり、少数派政権)でした。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 石田勇治

しかし、大統領緊急令という強力な武器を手に入れたことで、国会の議席数が少ないにもかかわらず、ヒトラーは実質的に国を支配できるほどの権力を有することになったのです。

緊急事態条項の制定には丁寧な議論が必要

このままヒトラーは大統領緊急令を使って野党を弾圧し、ついには政府が実質的に全権を握ることができる授権法を制定することになります。(詳しい流れも動画で解説されているので、ぜひご覧ください)

ここまで読むと、緊急事態条項が全ての諸悪の根源であるように思えるかもしれません。

しかし、石田先生は、事態はそれほど単純ではないと言います。

じっさい、ワイマール共和国では、ヒトラーが台頭する前から大統領緊急令は使用されていましたが、すぐさま独裁体制に移行することはありませんでした。

また、現在のドイツでも、まだ発令はされていないものの、「合同委員会」を主体とした緊急事態条項が存在していると言います。つまり、緊急事態条項において、権力の中心は必ずしも大統領のような力のあるひとりの政治家である必要はないのです。

石田先生は、緊急事態条項にさまざまなバリエーションがあることを理解し、それぞれのリスクを考えながら、丁寧に議論していくことを私たちに提案しています。(もちろん、緊急事態条項を何らかのかたちで制定すべきだという話でもありません)

冒頭の例で紹介したように、ナチ・ドイツは私たちの現在の政治状況とも無関係なものではありません。

講義動画を視聴して、皆さんも人類史上最悪の歴史を生み出したと言われるナチ・ドイツの悲劇を繰り解さないためには何ができるか、考えてみてください。

今回紹介した講義:不安の時代(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年度講義)第9回 緊急事態条項とナチ独裁―民主憲法はなぜ死文化したか一 石田 勇治先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>