だいふくちゃん通信

2025/03/04
まもなく東日本大震災の発生から14年が経ちます。震災や原発事故による被災地域では、インフラの復旧などが進みましたが、被災者支援など「復興」に向けた取り組みは現在も行われています。
ところで、「復興」とは何でしょうか?復興に終わりはあるのでしょうか?今回はそんな復興について、溝口勝先生が、自身の取り組みや考えを語った学術フロンティア講義「レジリエンスと地域の復興」を紹介します。溝口先生は農学生命科学研究科の教授で、福島県飯館村での調査など、震災復興に尽力されてきました。講義では震災直後から現在に至るまでの活動が軽快に紹介されています。
溝口先生わくわくグラフ
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
駒場生向けの講義ということもあり、講義の冒頭では、溝口先生の大学時代の話や、研究にハマっていった経緯も含め、自身のこれまでの経歴をそのときのわくわく度とともに紹介しています。ちょうど今年(2025年)3月をもって東大を退職される溝口先生ですが、様々なことに挑戦され続けてきたことがわかります。まずはこの部分だけでも講義を見てみてください。きっと続きが見たくなると思います。
原発事故と農業
さて、農業をするには、土壌や水資源の整備など、農業基盤を整えることがまず重要です。例えば、栄養のある土壌にしたり、水がないところに水を引いたり、反対に水浸しのところから水を除いたり。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
ところが、皆さんもご存知のように、東日本大震災に伴う原発事故により、福島などでは土壌に放射性物質が降り注ぎ、安全に農業を行うことが難しくなってしまった場所がありました。
この農業基盤が失われたという出来事が、土の研究者である溝口先生が復興に取り組んでいこうと思ったきっかけでした。
原発事故後の活動
原発事故直後、大学教授は動かなくてよいという指示が出ていたそうですが、そういわれるとむしろ動きたくなってしまう溝口先生は(本人談)、震災のわずか4日後、学内に東大福島復興農業工学会議を立ち上げます。その後、セミナーや講習会を行いながら、福島の飯館村に現地調査にも行きます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
さらにその後は、農業再生に向け、農地除染法の開発や、放射性セシウムの調査、東大と連携した活動などを行っていきます。
大学との連携では、再生した土壌で米などを作っても最初は風評被害などがあるかもしれないと考え、酒米を作ってオリジナルの日本酒を製造しました。その名も「不死鳥の如く」。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
これは東大野球部の応援歌から名づけられたそうです。飯館村のふるさと納税返礼品として今も人気で、農学部がある弥生キャンパス近くの高崎屋商店でも購入できるそうです。お酒好きの方はぜひチェックしてみてください!
詳細は溝口先生の研究室HPから↓http://madeiuniv.jp/phoenix/index.html 
学問的な功績としては、地表に張り付いたセシウムを剥がして地中に埋めると、セシウムが地表に出てくることなく線量が減衰していくことを示しました。しかし、除染は国の公共事業として行われ、実績のある方法しか採用されなかったそうで、実際には剥がした土は廃棄物として別の場所に輸送され、処分されたそうです。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
復興農学とは?
さて、溝口先生はこれらの取り組みを「復興農学」として体系づけています。2020年には自ら「復興農学会」を設立しました。「復興農学(Resilience Agriculture)」という言葉にも溝口先生の思いが込められています。
「復興」という日本語は、英語だと”Reconstruction”という単語と対応させることが一般的で、例えば「復興庁」には”Reconstruction Agency”という英語が当てられています。しかし、溝口先生は”Resilience”という単語を当てています。
Reconstructionだと一度壊れたものなどを再び作り上げるという印象ですが、Resilienceという単語には、困難などの後に再びHappyになるという意味が含まれます。溝口先生は、それぞれがHappyになることが復興だと言います。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
ここに、講義のタイトルにもあるように「復興」と「レジリエンス」の結びつきが現れています。
また、最近では、復興知として取り組みなどを広める活動も行っています。自らを「Dr.ドロえもん」と称し、高校生や大学生など次世代教育や海外への情報発信にも力を入れています。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
農業の再生
話は農業に戻ります。除染を行ったとしても、農業にはたくさんの課題が残ります。除染により肥沃度が失われてしまったり、担い手が減ってしまったり。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
特に新しい農業の担い手を呼び込み、農業を持続可能にするには、IoTなどの活用や、そのための通信インフラの整備が重要だと溝口先生は言います。中でも、中山間地域や高齢者に適した技術を利用したスマート農業が重要になります。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
講義では実際の取り組みがいくつか紹介されているので、ぜひご覧ください。また、「そもそもスマート農業って何?」という方は、東大TVの講演を取り上げた「【データと技術で進化する農業】スマート農業の挑戦と実践」という記事をぴぴりのイチ推し!に掲載しているので、ぜひご覧ください。
復興の今後
さて、ここまで溝口先生の復興へ向けた取り組みや復興とは何かについてご紹介してきました。単に元通りにするのではなく、これまでよりも強く持続的な再建をし、そしてHappyだと思えるようにするのが復興の肝だといえるでしょう。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2024S 溝口 勝
講義では、ここではご紹介しきれなかった溝口先生の取り組みが、ジョークなども交えながら楽しく紹介されています。また、2024年1月の能登半島地震についても、現地に足を運んだ話やそこで感じたことが語られています。さらに、終盤の質疑応答では、「なぜ飯館村には新しい日本型農業を始めるチャンスがあるのか」「最近の溝口先生のわくわくは何か」「新たなテクノロジーの導入で本当に復興は可能なのか」といった興味深い議論が交わされています。ぜひ、最後までご視聴いただき、溝口先生の様々な取り組みと考えを通して、「復興」とは何か、学び、考えてみてください。
溝口先生の福島での取り組みについては、ご自身の研究室HPで詳しく紹介されており、東大TVでも講演などを視聴することができます。大学との連携や除染の話など、今回よりも詳細にお話されている動画もありますので、興味のある方はぜひご覧ください。
研究室HP
東大TV農業土木関係の取組み飯舘村に通いつづけて8年半:大学と現場をつなぐ農学教育除染後の農地と農村の再生
また、だいふくちゃん通信・ぴぴりのイチ推し!では地震・災害関連の講義紹介記事を他にも掲載しています。こちらもぜひご覧ください。
だいふくちゃん通信【インドネシアのアチェの人々に学ぶ! 多様化する社会での防災・災害対応とは?】スマトラが繋いだ世界【古民家っていいですよね】伝統的な木造建築と地震【対策を知って木造住宅の地震被害に備えよう!】
ぴぴりのイチ推し!【記憶を未来につなぐ】地図上に「災いの記憶」をデジタルアーカイブするということ楽しい実験動画満載!地震研究所の活動をのぞいてみよう!【地震の予測はなぜ難しいのか?】地震研究の大変さを知る
今回紹介した記事:学術フロンティア講義 (30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える) 第2回 レジリエンスと地域の復興 溝口 勝 先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
2025/02/06
『UTokyo Open Course Ware』では、東京大学で開講された講義のスライド資料や動画を一般公開しており、日頃より多くの方からご視聴いただいています。
この度、2020〜2024年と連続して『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』シリーズを収録させてくださった東京大学東アジア藝文書院(ひがしあじあ-げいもんしょいん)の現院長、石井剛(いしいつよし)先生に、連携5年目を記念してインタビューいたしました。
 
石井剛先生とUTokyo OCWのマスコットキャラクターだいふくちゃん
 
前回『めんどくさそうだと思っていたOCWを5年間楽しく続けている理由』に引き続き、後半は、いわゆる「コロナ禍」の影響による収録形態の変化や、この5年間の講義の思い出などについて、より具体的に振り返ります。普段なかなか紹介する機会がない収録の裏側を、たくさんのお写真とともにお見せいたします。
 
このメンバーでお話しました(所属・職位等は2024年7月当時):
石井 剛  大学院総合文化研究科 教授(専門分野:中国哲学),東アジア藝文書院 院長
金子 亮大 東アジア藝文書院 教務補佐員,大学院総合文化研究科 大学院生
湯浅 肇  大学総合教育研究センター 学術専門職員,UTokyo Online Education スタッフ
三野 綾子 UTokyo Online Education スタッフ(2024年8月 退職)
加藤 なほ UTokyo Online Education スタッフ(2024年3月 退職)
 
左から加藤・金子・石井・湯浅・三野(2024年7月19日 駒場キャンパスにて)
 
後半のお話
 
2020年度、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、東京大学の授業は、基本的に全てがオンラインになりました。スタッフたちも在宅勤務を開始するにあたり、データの受け渡し方法や連絡手段の検討、自宅で動画編集するための環境整備など、技術的な問題に悩まされることに。『UTokyo Open Course Ware(以下:UTokyo OCW)』では、講義主催者の先生方や事務局の方に各自でオンラインの講義を録画していただき、そのデータを編集する形態をとりました。
 
オンラインで実施された講義の様子(2021年度 第4回より)
 
やがて2022年度になると、『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』は教室での対面授業に戻り、OCWの収録はスタッフが現地に足を運ぶスタイルに。カメラやレコーダーも2年ぶりの出番です。
 
2022〜2024年度の撮影隊の様子
 
しかし、以前と異なるのは、同時にZoomによるリアルタイムのオンライン配信を兼ねた、いわゆる「ハイブリッド形式」で実施すること。何度もテスト撮影を繰り返し、配線図や使用機材の見直しを続けました。
 
教室の内外から登壇する講師に扮しての音声テストと配線図の試作
 
幾度か教室の変更があり、その度に設備が変わるため、機材を組み直しました。音声トラブルや配信ミスを起こしつつも、できるだけ全ての参加者がインタラクションできる方法を探りました。例えば、オンラインの人が話す声が教室のスピーカーから流れるようにしたり、オンラインで登壇する先生が教室の受講者の様子を見ながら講義できるようにしたり工夫しました。
 
ハイブリッド授業の講義の様子(2023年度 第2回より)
 
 
 
ゲスト講師が遠隔から登壇する講義の様子(2023年度 第11回より)
 
このように、2022年度から全く新しい取り組みに挑戦することになったため、既存の人員・やり方では太刀打ちできない場面も多々生じてきました。そこで、新たに、東アジア藝文書院(以下:EAA)から、授業の実施のみならず配信・収録まで垣根を超えて共に行うメンバーとして、教務スタッフとして働く金子亮大(かねこりょうたい)さんにご協力いただきました。金子さんは、大学院総合文化研究科の現役大学院生でもあります。
金子:石井先生がSNSに投稿した公募情報がたまたま回ってきて。募集要項を見たら……「呼ばれている! これは僕のことを言っている!」と思いました。
皆:(笑)
金子:今年で駒場に通って10年目になりますが、「そんな人がいたんだ」「そんな組織や取り組みがあったんだ」ということはしょっちゅうで、それが駒場の一番面白いところだと思います。面白そうに感じて応募しました。
 
  
石井:金子さんが来てくれたとき、スタッフみんなで本当に喜んだんですよ、「素晴らしい若者が来た」って。EAAの取り組みをどうやってオンラインで外に向けて開いていくかということが当時の大きな命題で、テクニカルなことができる人がほしかったんです。
湯浅:初めてお会いしたのって、2022年?
石井:ちょうど、わたしたちがハイブリッドでやろうとしていたときですよね。
金子:そうです。いろんな物事をハイブリッドでやるのはすごく難しいんだってことが、世の中のいろんなところで、ちょっとずつ分かってきて。春先に教室の下見をして、機材の構成を設計する段階が一番苦労しました。「ああでもない、こうでもない」と一緒に考えて。そもそも、当然のことですが、「授業そのものの実施に責任を持つのがEAAで、撮影・収録を担当するのがUTokyo OCW」という本来の役割分担があります。しかし、今回はハイブリッド配信の都合などもあり、お互いに相乗りでやったほうがうまくいく部分も見つかりました。その両者のリエゾンという立ち位置が、わたしのお仕事の一番大事なところだと思ってやらせていただいています。
湯浅:これほど一緒に二人三脚でやるのは初めての出来事だったので、インタビューの動機としては、こういう事例を残しておきたいというのもありました。
石井:楽しんでくれているんですよね、この仕事を。金子さんがいてくれたから、一緒にやることが余計に楽しくなったし。
 
大活躍の金子亮大さん
 
EAAにとっては、2019年に創設して「いよいよ始動」という矢先にパンデミックに見舞われた、大変な期間でしたね。ところで、2020年の春、全国の大学がオンライン授業への移行を迫られて混乱している時期に、SNS上で石井先生の投稿がやや拡散され、「すごいことを言っている先生がいる」「かっこいい」と、ちょっとした話題を呼びました。当時はまだ、不安や不満などネガティブな意見が溢れている最中のことでした。
【オンライン授業に不安を感じる東大新入生の皆さんへ】その不安は杞憂ですので、まずはZoomから授業に出てみてください。(中略)わたしたちは、誰一人として取り残さないためのオンライン授業を構築しようと決意しています。(2020年03月27日)
石井:あのときはね、そんなにちゃんとできる自信はなかったんです。だけど、頑張ってやるしかない。先行して全学オンライン化を決定していた北京大学に電話をして、やり方を聞いたりしました。それで、「全員がちゃんとオンラインで授業を受けられるようにしないと成功じゃない」と、3月からわりと明確に意識していました。やっぱり、わたしたちはマイノリティのことを考えなきゃいけないと思ったんです。
 
お言葉のとおり、遠隔の参加者への配慮を怠らず、丁寧に授業を進行する姿が印象的だった石井先生ですが、一方で、「キャンパスに集うことの大切さ」について繰り返し語っていますね。
 
キャンパスでの授業の再開を喜ぶ2022年度(2022年度 第13回より)
 
石井:わたしは、オンライン授業は「緊急避難先」で、大学はキャンパスを共有することによって初めて大学たりえると、今でも思っています。想定していた以上にオンラインの期間が長くなりすぎました。本当はイヤなんです、スクリーンに向かって話しかけるのは。
金子:オンライン授業開始初期に、「まるで宇宙に向かって話しかけているようだ」「無人島で瓶に手紙を詰めて大海原に向かって送り続けているような感じだ」とおっしゃった先生がいて、卓抜な比喩だなと思いました。
石井:教室では、学生さんが反応してくれているか、面白がっているか、表情を見ながら言葉を選んでいますからね。オンラインであっても、中国との会議に出ると、わりと皆さん平気でカメラをオンにするんですよ。そうすると急に臨場感が増すことはあります。だから、「どちらか」というふうに二元論的に考えちゃうと良くなくて、わたしたちは、「オンラインだからこそできたこと」をちゃんと評価して、対面に戻った今も続ける必要があります。オンライン・ツールを得たことは、大学にとって間違いなくいいことですから。2020年の秋学期に、IARU(国際研究型大学連合)で国際授業をやったんです。当時の議長大学が東大で、北京大学と一緒に、複数国の学生が同時に受講できるコースを開講しました。国際的な授業には、オンライン・ツールってすごくいいなと思いました。でも、地球の反対側の人たちは時差のせいでだんだんと脱落していってしまいました。時差は、今のところ、技術的に解決できないことなのかもしれません。
加藤:コロナ禍の当時は、うち(大学総合教育研究センター)の事業なども含め、オンライン授業をできるだけきちんと本質的なものに近付けようという試みがなされていて。わたしと金子さんは、偶然なのですが、過去に学内のオンライン系をサポートする趣旨の業務でもご一緒していました。その時期にはオンライン・ツール上で、顔を見たことがない、名前とアイコンしか知らない人たちと仲良く働いていました。
石井:実は、わたしも現在研究活動で一番仲良くしている人たちは、オンライン時代に知り合った人たちなんです。去年から実際に国際的な行き来が可能になってきましたが、オンラインで出会った人たちと初めて対面で会ったときはとても嬉しかったですねえ。オンラインだけでは味わえないもので、会ったから感動するんですけど。
 
  
金子:何らかの事情でその場から離れられない人にオンラインで留学するチャンスがあるのはいいことですが、「アメリカの大学の授業をオンラインで受けられるから、君はアメリカに行かなくてもいいよね」とか、「オンラインコンテンツがあるから授業はいらないよね」というふうになってはいけなくて。選択肢が増えたと考えるべきだというのは間違いないですよね。いろんな選択肢を全部保証するのは、やる側にとってはすごく大変なことですけれども。
石井:オンラインじゃなければ学問にアクセスできない人もいますから、可能な限りアクセスの方法があった方がいいんじゃないかと思います。ただ、それらをどういう場面でどういう意図で使うのかということを、使う人が明確に意識していないと、せっかくのツールも活かせません。
金子:技術・ツール・メディアなどが、そのコンテンツの中身を規定することもありますね。一体不可分なのだと思います。
石井:わたしたちの講義の場合は本当に不可分で、ハイブリッド配信じゃなければいけない。産学連携をしているダイキン工業株式会社の方々にもリカレント教育として講義にご参加いただいていますが、全国の社員が参加できる方法は、やはりオンラインですから。ときどき、海外のダイキンの方も参加してくれているはずです。
 
2023年度「空気の価値化」ではダイキンの方にも講義をしていただきました(2023年度 第6回より)
 
教員として、授業の実施形態やOCWの収録形態の変化は、コースそのものにどのような影響を与えたと感じていますか?
石井:……あんまり何も感じていないから続けていられるのかもしれませんね。個人的なことですが、基本的に、皆さんにいてもらうのが、ただ楽しいんです。それしかないので、あんまり振り返ったことないんです、実は。良くないですね、立派じゃないですね(笑) 楽しいことをやりたいんです、わたしは。
加藤:だから、とりあえず全部やってみた?
石井:ええ。で、実際、ホラ、やってくれる——「やりたい」って言ってくれる人たちがいたわけですし。楽しいですもんね、端的に。
 
たしかに楽しそうですね
 
石井:海外の大学との共同講義や大学に来られない人への配信のように地理的に離れているということとは別に、オンラインだからこそ上手くいった授業というのは、やっぱり明確にあります。それは、2022年度の青山和佳(あおやまわか)先生の回です。あれは、オンラインでなければできませんでした。というのは、青山先生ご自身が非常に深刻なPTSDを抱えていて、それを「自伝的物語」というタイトルで話してくださったんです。ご自身の心の安定を保たないと話せないことなので、事前にビデオを録画なさって、質疑応答のときだけオンラインで学生さんたちの質問に答えてもらいました。
 
青山和佳先生の講義の様子(2022年度 第2回より)
 
せっかくなので、スタッフの皆さんにも思い出に残っている回や印象深い回についてお話してもらいましょう。
湯浅:特に印象に残っているのは、2020年度の國分功一郎(こくぶんこういちろう)先生と熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)先生の回。自閉症や依存症がテーマの講義で、OCW掲載時にはカットした部分ですが、質疑応答のときに学生さんが、人生相談じゃないけど——
石井:あぁ、そうそうそう。
湯浅:本当に人との繋がりが断たれていた時期だったので、先生が「仲間だよ」っていうふうに言ってくれていて、良かったなぁって。
石井:ただ同時に、「その問いには答えられない」ということも率直に言っていて、応答のしかたが非常に巧みでしたよね。國分さんと熊谷さんのパーソナリティーが大きかったと思います。偶然、國分さんの考えはわたしたちEAAが考えていたことと一致していました。「ひとりの教員が教室を支配するのではなく、学生には、教員同士が話しているところに参加してもらうのがリベラル・アーツとしてあるべき姿だろう」と。依頼した際、すぐに「熊谷さんと一緒にやります」と言ってくれたんです。
 
國分功一郎先生・熊谷晋一郎先生の講義(2020年度 第13回より)
 
三野:わたしは人文系の内容に興味があるので、2022年度が面白かったです。自分が収録に関わった2022年度から2024年度を通して一番印象に残っているのは、中島隆博(なかじまたかひろ)先生です。熱いパッションが感じられるので。すごくファンになりました。
石井:うんうん。
湯浅:中島隆博先生の世界哲学の授業は、再生回数も多くて、皆さん視聴されています。
 
中島隆博先生の講義の様子(2020年度 第4回より)
 
湯浅:1コースごとの再生回数は、大体、年間で9,000の後半ぐらいです。
石井:そんなにあるんですか。へぇ、すごい。
湯浅:わたしが感じた小さな影響としては、だいふくちゃん通信・ぴぴりのイチ推し!*の学生ライターさんの中に、「前年度に学術フロンティア講義を受講していたからOCWの存在を知っていた」という方がいました。
石井:そうですか。
*だいふくちゃん通信・ぴぴりのイチ推し!:UTokyo OCWと東大TVの講義動画紹介コラムのページです。東京大学の学生サポーター・卒業生・UTokyo Online Educationスタッフを中心に持ち回りで執筆しています。
金子:僕は、いかにも鼻息の荒い1年生が鼻息の荒い質問をしてくれるのを見ると、ニコニコしますね。最初の年は特に、1年生で質問している人が多かった印象があって、それを見てニコニコしていました。
加藤:おじいちゃん目線(笑) 何年か通して受講して、沢山質問している学生さんがいましたね。毎年内容が変わるから固定ファンが付くのかな。
石井:4年間履修してくれた人もいるし。
三野:思い出深い。毎年テーマを作るのは大変そう。
石井:OCWに出していないものも含めて、2019年から2021年までの最初の3回は「EAAが何を考えているか」をテーマ化していました。2022年度からは「EAAが誰と一緒に仕事をするか」によって決めるようになりました。来年度も社会連携を意識しながら作るつもりでいます。
湯浅:こうして全体を振り返ると、毎年ひとつのテーマに沿いながら、本当に縦横無尽に話している。「哲学」から「食」「空気」といった身近なところまで。EAAだからこそできるっていうのがいいな、って。
 
さて、楽しいことが大好きな石井先生、今後チャレンジしたいことは何ですか?
石井:もう既に始めていますが、EAAがやっていることを世界的なアソシエーションにすることです。地球的危機に対して学問のレベルで真剣に考えている人たちが、世界中に、同時多発的にいっぱいいます。例えば「ロシアとウクライナ」「イスラエルとパレスチナ」とか、対立構造ばかり見えてしまうけど、両者の中に似たようなことを考えている人たちがいるはずなんです、個人や集団として。世界が決裂・分裂しそうなときにも、その次の「よりよい世界」のことを考えている人たちがいる。それを、なるべく広くネットワーク化して、ひとつのダイナミックなアソシエーションとして機能させたいんです。それで、ときどき意見交換して、学問的責任の中で、「解決」は無理かもしれないけど、一緒に知恵を絞るんです。
加藤:国連や政府が抱えるシンクタンクなどの公式な動きとは違うところで、別途、勝手にお友だちになるという意味ですか?
石井:両方です。両方必要だと思うんですよ。わたしたちのような組織や個人、つまり点と点がそれぞれお友だちになって線で結ばれていく横の繋がりがありつつ、その個々の点は、たまたま国連などと一緒にプロジェクトをやっているといった縦の繋がりを持っているかもしれません。実際、既にOECDや国連に対するアプローチや知見のフィードバックの試みもあります。あちこちで横と縦にネットワークが広がって、思いが伝播していく——そうじゃないと、世の中、動いていきませんから。「思い」といっても、必ずしもみんなが全く同じ思想ではないかもしれない。だけど、「希望」はみんな持っているに違いないんですよね。
加藤:「世界をよりよくしよう」ぐらいの統一感ということですか?
石井:何が本当に「よい」のかは分からないですからね。あちこちに「希望の種」があるって知りたいし、それを使って、また別のところに「希望の種」を分けられるじゃないですか。
 
  
石井:この講義の先生方も、地に足の付いた研究をしていて、それぞれの現場があるからこそ成り立っていることが分かりましたよね。リベラル・アーツって、体が伴ってないとダメなんですよ。福永真弓(ふくながまゆみ)先生は、講義の中で「地球にまみれる」と表現していました。ひとりひとりがそれぞれの現場の土にまみれる——ものすごく生活に密着していることなんです。例えば、北京大学の呂植(ろしょく)先生はチベットの土にまみれる人で、チベットや四川省のパンダの保護区に住んでいる人たちのマインドを、30年かけて「自然保護に意味がある」というように変えていった。そういう人が存在するという事実を知ることは、わたしたちが自分たちの土に戻る(現場に立ち返る)ときに、とても大事なことではないでしょうか。そうやって地球にまみれる人たちが世界中にいっぱいいて、彼らがひとつの場を共有できるとすれば、それは学問の場になりますし、別々の現場同士を繋ぐことこそ、まさに学者の役割で、政治には難しいことなのではないかと思います。そういういろんな泥臭い人たちがあちこちから集まって来ているのが「大学」で、その場を確保していくのが駒場キャンパスの役割だと思うんですよね。
加藤:そのような力を持つ組織や機関に所属していない、いわゆる一般の個人が「賛同するよ」っていう場合は、どのように応援できるんですか?
石井:それは簡単です。OCWを見てもらえばいいんですよ。
湯浅・三野・金子:おぉ〜!(笑)
加藤:いいことを言いましたね。
石井:そのためにやっているんですから。OCWも書籍も、その方法のひとつですよね。
 
毎回コースの最後の締めくくりは石井先生の講義(2023年度 第13回より)
 
湯浅:本当に、EAAがテーマにしているようなことは、ますます重要度が増していますよね! コースが始まった頃から比べて、やっぱり、危機というのが本当に迫って来ているなぁという感じがする。日々暑くなってるし。いろいろな戦争も……
石井:人々も熱くなってね。
湯浅:そういうふうに、思います。
最後は、先生ではなく、湯浅さんが締めくくってくれました。
 
終わりに
 
先生の夢は、大学が教育資源を通じて世界中に「知」の繋がりと再生産を促すOpen Educational Resourcesの考え方とリンクするところがあり、UTokyo OCWがEAAと長らく手を取り合うことができた理由の一端を見つけられたように感じました。「知」の共同体のようなものが持つ広く大きな繋がりの中には、もちろん、わたしたちのコンテンツを視聴してくださる皆さまもいらっしゃることでしょう。
そして、新たにコンテンツをご提供くださる先生方のことも、心からお待ちしております。(お問い合わせ方法につきましては、こちらをご参照くださいませ。)
 
〈編集:加藤 なほ,校正校閲:中谷 静乃〉
 
その他 学術フロンティア講義「30年後の世界へ」に携わった UTokyo OCWスタッフ(2024年度に在職中の職員のみ記載,50音順):佐藤 芙美・蒋 妍・田中 かおり・中谷 静乃・古田 紫乃・村松 陽子・山本 直美
  
おまけとして、スタッフの思い出やメッセージを紹介いたします:
スタッフとして聴講させていただきましたが、先生方の声の温度やそこに乗せられてくる思いや情熱が伝わってくるような気がして、毎回、心から楽しみにしていました。普段、著作権確認でパソコンの画面上でしか伝わってこないものが、liveだと心に沁みる感覚があります。そうした先生方のご講義を、まるで教室で講義を受けているかのような感覚で全世界に届けることができるんだということに、感動とやりがいを感じます。特に印象に残っているのは、羽藤先生の『復興の未来』、岩川先生の『パンデミックを銘記する』の回です。
溝口勝先生『レジリエンスと地域の復興』で、応援団長がエールを送ってくださったのがとても印象的でした。また、どの先生もOCW収録に関する一連の作業に丁寧にご対応いただき、感謝しています。
この授業は、基本的にどのご講義も、学生だけでなく一般の方が聞いても興味深いお話が多いように思います。自分は、撮影業務に集中しているため、その場ではそれほど内容が頭に入ってくることはありませんでしたが、福永真弓先生の『藻と人間』は先生の表現力が素晴らしかったこともあり、お話に引き込まれました。結果、私はプライベートの会食で幾度となく「藻」の話を友人たちに披露しており、最近ではこすり倒して、若干、話が上手くなってきています。
OCWの大ファンだという学生さんと話ができたことが良かったです。
わたしが大学生の頃受けていた講義は、ここまで講師の専門性に大きな幅があるものはなかったように思い出されます。同じ「30年後の世界へ」という命題でも毎年毛色が違うこと、「共生」や「空気」、「希望」といったキーワードにそれぞれの講師が自分の専門分野から切り込んでいくことに学問の多様性や可能性を感じ、また、それを持ち寄ってさまざまな側面からみんなで未来を考えていくことの包含する発展性のようなものを、強く感じました。今年の講義シリーズでは、前半によく取り扱われた復興に関する講義が、どれも心に残りました。自分の視野の狭さを思い知るとともに、また、自分の知らなかった復興への多様な取り組みを知ることで状況が着実に前進しているという安心感、テーマにある希望のようなものが胸に響きました。この講義を多くの人に聞いてもらいたいと、この事業の役割について初心に立ち返る思いがしています。
私は、溝口勝教授の責任感と行動力に深く感銘を受けました。日本の学者の方々と接する機会がある中で、溝口先生の姿勢は特に印象的でした。先生は被災地に対する強い責任感を持ち、小さなことでも率先して行動されています。東京大学の教授という立場でありながら現場に寄り添う姿勢に感動すると同時に、その献身的な取り組みに深い敬意を表します。石井教授のご活動にも大変感銘を受けています。以前、私も先生方にご講義をお願いするイベントを企画したことがあり、その際の調整の難しさを経験しました。今回の撮影を含むイベントでは、さらに多くの行政手続きや調整が必要だったことでしょう。それにも関わらず、石井教授が長年にわたってこのような活動を継続されてきたことに、心から敬服いたします。両教授の献身的な姿勢と、社会貢献への揺るぎない意志に深く感謝すると同時に、大きな励みとなっています。このような素晴らしい先生方と共に活動できることを、心から光栄に思います。
いつも笑顔で話しかけてくださる働き者のEAAスタッフの方々・野澤先生、既に退職されたUTokyo OCW教職員の方々、東京大学出版会の方に、この場をお借りしてお礼と拍手を。皆さまあってこそでした。全ての回がおすすめなので……直感でピンと来たものから、気ままにご自身のペースで、お散歩のように訪ね遊んでみてください!(加藤)
2025/01/31
『UTokyo Open Course Ware』では、東京大学で開講された講義のスライド資料や動画を一般公開しており、日頃より多くの方からご視聴いただいています。
わたしたちのウェブサイトは、講義の収録やデータ提供をご快諾くださる、多くの部局および先生方のご協力によって、成り立ってまいりました。
この度、2020〜2024年と連続して『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』シリーズを収録させてくださった東京大学東アジア藝文書院(ひがしあじあ-げいもんしょいん)の現院長、石井剛(いしいつよし)先生に、連携5年目を記念してインタビューいたしました。
 
石井剛先生とUTokyo OCWのマスコットキャラクターだいふくちゃん
 
わたしたちが連携した5年間を改めて振り返ってみると、2020年度、パンデミックの影響によって突如授業が全面オンラインになり、数年後には再び対面授業に戻るなど、技術的なルーティーンを崩され、幾度かの変革を迫られた、少し特殊な期間でもありました。普段、視聴者の皆さまには主に完成したコンテンツだけをお届けしておりますが、この機会に、収録や編集など製作過程の裏側も少しお見せしたいと思います。
このインタビューは、数年にわたって講義収録・ハイブリッド配信を担当したスタッフたちが石井先生を囲む座談会の形で行われました。その内容を、前編・後編にまとめてお届けいたします。
 
このメンバーでお話しました(所属・職位等は2024年7月当時):
石井 剛  大学院総合文化研究科 教授(専門分野:中国哲学),東アジア藝文書院 院長
金子 亮大 東アジア藝文書院 教務補佐員,大学院総合文化研究科 大学院生
湯浅 肇  大学総合教育研究センター 学術専門職員,UTokyo Online Education スタッフ
三野 綾子 UTokyo Online Education スタッフ(2024年8月 退職)
加藤 なほ UTokyo Online Education スタッフ(2024年3月 退職)
 
左から加藤・金子・石井・湯浅・三野(2024年7月19日 駒場キャンパスにて)
 
意外にも、最初は講義の収録・公開に対して「なんだかめんどくさそう、やりたくない」という印象を持っていたという石井先生。そんな先生が、なぜ5年間もの長い間、積極的に取り組んでくださるのか……その謎にも迫ります!
 
前半のお話
 
東アジア藝文書院(以下:EAA)が、わたしたち『UTokyo Open Course Ware(以下:UTokyo OCW)』を知って、講義コンテンツの提供を始めようと思った一番最初のきっかけは、何だったのでしょうか?
湯浅:X(旧Twitter)のEAAのアカウントが、UTokyo OCWのアカウントに「いつかEAAのコンテンツもOCWで公開できますように」とメッセージをくださり、こちらから「では、ぜひお話させてください」とお声がけしたのが発端だったかと。
石井:当時EAAで活躍していた特任助教の前野清太朗(まえのせいたろう)さんがキーパーソンです。わたしは、今回教えてもらうまで、その投稿のことは知りませんでした。彼がいたからこそ始まった、大事な人です。そちらのセンター(東京大学大学総合教育研究センター)の『フューチャーファカルティプログラム(東大FFP)』で学んでいたときから、OCWを知っていて関心があったみたいです。当時、「石井先生、OCWをやってください」って言われて、わたしは「イヤだ」って言ったんです。
皆:(笑)
石井:正直、「講義資料の著作権処理とか、しなきゃいけないのかな」「なんだかめんどくさいな」と思ったものですから。でも、EAAでは若い人がやりたいって言うことを基本的にノーと言わないので、「やってみましょうか」と。明確に声を上げてくれた人がいた、というのがきっかけですね。
 
先生がおっしゃるように、わたしたちは、講師の皆さまからいただいた講義スライドを確認し、使用されている素材について、出典調査および編集処理をしています。講義をOCWのような形式で一般公開する際には、厳格な著作権処理が必要となります。
 
著作物に出典を記載した例(2023年度 第1回より)
 
湯浅:やっぱり、先生方には「負担が増えちゃう」というイメージがあるんでしょうか?
石井:実際に大変だったのは、わたしじゃなくてOCWのスタッフの方々ですよね。基本的に、すごくプロフェッショナルな仕事をしてくださるので、教員側で何か負担が増えるということはあまり無くて、全然めんどくさいことはないですね。もちろん、教員はどういう資料を出すべきか考える必要はありますが、その点さえご自身でコントロールできれば、さほど大変ではないはずです。わたしの場合は、スライドに使う素材として、最初から著作権の上で全く問題ないものだけを選ぶようにしています。
加藤:フィールドワークのように、多くの他者が関わる題材を扱う先生は、大変かもしれませんね。
 
公開時にモザイク処理や許諾申請などをすることも(画像は編集者作成)
 
石井:映画などを題材に授業をなさってる方もいますからね。そして、処理されていないものを提供することにこそ意味があるというタイプの授業もあります。先生方はきっと、「授業を通じて自分の研究を深めていきたい」という強い希望をお持ちなんですよね。だから、なんでもかんでも一般公開向けだと困るわけです。「秘密」って結構大事なんですよ。要するに余白と余剰——それが学問の多様性を保証しているので。キャンパスに集まって、そこで授業をしたり授業を受けたりすることって、やっぱり意味があると思うんです。それは「秘密」が共有できるからです。OCWへの向き・不向きは、その授業の性質にだいぶ左右されるのではないでしょうか。例えば、わたしには1・2年生向けに中国語を教える仕事があるのですが、映り込んだり発言したりする学生たちを守らなければならないし、授業中の雑談っていろんな「秘密」めいたこともいっぱい話しますから。
加藤:他大学で、そういった性質の講義を、作り込んだダイジェスト版として公開するケースがありました。
石井:それは大学のPRとして有効な手段だと思います。やり方次第ですね。この『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』については、わたしがゲスト講師の方々に登壇を依頼する際は、あくまでも教員としてお願いしているので、著作権など細かい事務手続きの説明はしていなくて、毎年、コースの趣旨文を長めに書いているけれども、それに沿って、参加してもらうことの教育的・学問的な意義を説明して、理解してやってくださる方にお願いしています。ただし、あらかじめ「OCWとして動画コンテンツ化されます」「将来的に書籍にまとめて出版される可能性があります」ということを申し上げておくので、先生方は公開されてもいいように内容をアレンジしてくださっています。
 
それでは、EAAが講義シリーズ『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』を長期にわたってUTokyo OCWに提供してくださっているのは、一般公開と相性がいい講義ということでしょうか? また、単発ではなく長期間継続してOCWに携わることのメリットはなんでしょうか?
石井:この講義は、OCWで積極的に展開していくことによって、授業自体の価値が高まるタイプのものです。「30年後の世界へ」というテーマが続く限り、OCWに収録に入ってもらいたいと思っている、それぐらい欠かせないものになりました。こういうやり方自体、少なくとも教養学部における前期課程向けの授業としては、全く新しい形態です。学生だけでなく、社会に向けても開かれている——「駒場キャンパスでやっている教養教育を、いかに、より大きな社会のリカレント教育と結び付けるか」というチャレンジを、OCWと協力することによって可能にしたのだと思っています。実際にそれをやってしまいましたからね。EAAが標榜する「東アジアからのリベラル・アーツ*」の具体的な実践として、「学術フロンティア講義 × OCW」は、厳然たるひとつの形式になっているわけですよね。
*リベラル・アーツ:一般的には、多角的な視点・批判的思考・さまざまな手法によるアプローチなどを身に付けるため、「文系」「理系」といった枠を超えて幅広い学問領域を横断的(学際的)に学ぶことをさします。
 
撮影と配信が入る教室の様子(2022年度 第11回より)
 
石井:コンテンツ公開と一体になっていることが、ほぼプロジェクトの定義になった——これは、わたしたちEAAの最大の収穫です。以前はそんなふうに思っていませんでしたから。イメージが「変わった」というよりも、「生まれた」というふうに言った方がいいかもしれません。もともとゼロだったものだったのですから。
加藤:ゼロではなくマイナス(笑)
石井:「最初はやりたくなかった」というのはマイナスかもしれませんね。
 
  
石井:このコースでは毎年違うテーマを設定していますが、問い続けること自体、ある種、わたしたちが社会的に前に進んでいくためのエンジンになっていて、長期間OCWを続けることは、利点どころか「それ以外にはない」ということだと思います。教室における当日のレクチャーがあり、その録画を公開すること、そして書籍として出版すること——この三つが連動するという形が、確固たるものとなっています。
加藤:先日の授業で、それらの三つを「(それぞれに)ちょっとずつ違うんですよ」と語っていましたね。
石井:それはシンプルな話で、実際にそれぞれ異なる加工(編集)が入るからです。
 
2022年度の講義を元に刊行された書籍『裂け目に世界をひらく』(詳細はこちら)
 
石井:特に大事なことは、その三つの過程において、講義を担当した先生方の考えが変わっていくことだと思っています。教員は、最初から答えと結論を持って授業に来ているわけではないんですよ。まずは、自分が抱えている問いを——ラフな生のアイディアを、学生さんにぶつけるでしょう? そして、その場で学生さんからリアクションをもらう。その後、OCWでいろいろな編集を経て公開される。さらに、最終的に——といっても本当に最終じゃなくて暫定的な結論として本にするときには、それらを踏まえて改めて書き直します。先生自身が、考えを深め、ちょっとずつ変わるんですよね。すごく面白いじゃないですか。そのような学術生産のプロセスを、あえて一般公開してしまっているんだけれども、それ自体は、実はすごく異例なことだと思います。
金子:先生方が問いと答えを深めていかれるプロセスに学生が関われるのは、このコースのコンセプトのひとつとして、質疑応答の時間を長く取るからだということがあると思うんですけれども。
石井:そうです。学生さんには「先生方のお話は60分ぐらいで、残り時間は皆さんとのインタラクションです」と伝えてあります。EAAを始めた最初の頃から、「ひとりの教員が教室を支配するのをやめよう」と思っていました。通常、オムニバスの講義だとコース・コーディネーターの先生はあまり出てこないと思うのですが、わたしは全部に出ようと決めています。それで、最初にわたしがレベルが低い変な質問をしてあげると、ハードルが下がって、学生さんたちも質問しやすくなるでしょう? これは、EAAの理念に関わることですが——2019年の創立以来、最初の数年間を引っ張ってくれた中島隆博(なかじまたかひろ)先生が、人間の定義を「Human Being」でなく「Human Co-becoming」だと言うんです。人間は、単独の存在ではなく、誰かと共に変容しながら成長していくというわけです。その人間として当たり前の姿を、ちゃんと具体的に実践して、体現してみせることが大事だと思っています。授業・動画・本というプロセスに学生が入ってくることによって、自動的に「Human Co-becoming」が示されていると思います。
 
中島隆博先生の講義の質疑応答の様子(2023年度 第2回より)
 
OCWは、そのような一連の流れの中でお役に立つことができていたのですね。Co-becomingという意味では、もちろん視聴者の皆さまの存在も共にあるような気がいたします。さて、そのような存在意義の他に、OCWのようなオンライン教育コンテンツの蓄積・公開という活動には、どのような価値があると考えられますか?
三野:例えば、EAAの公式ウェブサイトにも、ブログなど、活動の記録の蓄積がありますよね。一般的に、公式ウェブサイトって、部署の再編や改組などが起きると、伴って無くなってしまったり移管したりということがあるかと思います。アーカイブを(消失の危機から守るために)分散させておいた方がいいのかなって。
石井:もちろん、そういう意味でも意義はありますよね。
金子:OCWの効果って、必ずしも直接的に目に見えてご利益があるかというと、多分そういうわけではなくて。やってみる中で何かいいことがあるかもしれないし、もうちょっと大きな目線で見ると、大学・学問の営みにとっての意義があるとか、あるいは、このように一緒にやっていくやり方そのものが楽しいとか……そういったことを、石井先生は前向きに捉えていらっしゃるんじゃないかと。
石井:EAAの取り組みをなるべく広く人々にお見せして、関心を持ったり批判したりしていただくことが大事なので、より沢山の人が見てくだされば、それだけ効果が大きいということは、一般論として言えますよね。同様に、やっぱり、大学全体として「知的な営み」が持つ意味を社会にアピールする必要も、絶対にあります。オンライン教育コンテンツをその一部として位置付けることは、もっと積極的に考えられて然るべきですよね。現状は、わたしたちEAAのような自主的にやりたい人たちだけがやっているというふうに見えます。
 
 
石井:そもそも、大学がオンライン教育コンテンツを公開する取り組みは、アメリカなどを中心に始まったと思いますので、本来は、英語の講義動画を「やがて我が大学に来てくれるであろう世界中の人たち」に届けるという戦略だったのではないでしょうか。日本の大学の場合、主に日本語でコンテンツを公開する以上、オーディエンスが自ずと限られてくる(英語のコンテンツと比較すると視聴数を稼げない)ので、英語圏のグローバル戦略とは何か違う意図を持たないと、続けていけないですよね。もしも、そこに意味を見出すとするならば——例えば、少なくともわたしたちEAAがやろうとしているのは、一義的には「生活態度としてのリベラル・アーツ」みたいなものを社会に向けて提供していくことですが、当然、そこにはもうちょっと戦略性があって、日本社会の新しいイノベーティブなマインドを日本社会において作り出すことに意味があると考えているんです。大学全体ということになると、EAAがやっている実践レベルとは違うレベルで考えなければいけないでしょう。いろんな可能性があると思いますね。大学としてもっとお金を投入する、もしくは、社会からお金を頂戴するような形にまでなっていくといいと思いますけれども。
 
  
加藤:例えば、以前勤めていた他校では、欧米にバックグラウンドのある先生方で、「わたしはいい授業をやってるから、撮ってどんどん公開してくれ」という人たちが何人もいて。そのマインドは面白いと思うし、マネタイズとは別に、そういう純粋なモチベーションも必要で。個人的には、「理念」だけで支えられている美しいものが残されている世の中であってほしいな、と思っています。
石井:そもそも、マネタイズは「理念」がないと上手くいくはずがないですね。
 
  
石井:わたしは最近、「生活態度としてのリベラル・アーツ」を、SDGs(持続可能な開発目標)の現在ある17項目を牽引する18番目のゴールにするべきだと主張しています。「生活態度としてのリベラル・アーツ」というのは、結局のところ、知的な問いを持ち続ける習慣のことです。わたしたち人類は、問うことをやめてしまえば前に進めなくなってしまうでしょう。イノベーティブなマインドは、問いの立て方に関わってくるはずです。大学が社会に提供するリカレント教育は、世の人々がそういう習慣を育んで生活をより豊かにし、社会全体をよりよい方向に導いていくために行われるべきで、EAAとUTokyo OCWのコラボレーションもそうした試みのひとつですね。
 
後編に続く!
 
今回のお話では、東アジアを拠点に日本語・中国語・英語の3カ国語を使って学術活動する石井先生ならではの着眼点から、貴重なヒントをいただくことができました。日本語のコンテンツの世界的な拡散の難しさはスタッフも痛感しているところですが、それと同時に、母国語で専門的な高等教育を受けることができる日本の学問環境は、世界的にも恵まれており、守られるべきものであるとも感じました。せっかく持っている豊かな教育資源をどのように有効活用していくべきか——わたしたちの今後の課題と言えるでしょう。
次回『わたしたちの「コロナ禍」と「ポスト・コロナ」を振り返る』では、『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』について、5年間の技術の変遷や、授業の内容そのものを振り返ります。引き続き、お楽しみください!
 
〈編集:加藤 なほ,校正校閲:中谷 静乃〉
 
学術フロンティア講義「30年後の世界へ」の動画視聴・スライド資料閲覧はこちらから:
2020年度 「世界」と「人間」の未来を共に考える
2021年度 学問とその“悪”について
2022年度 「共生」を問う
2023年度 空気はいかに価値化されるべきか
2024年度 ポスト2050を希望に変える
 
東アジア藝文書院の活動詳細はこちらから:
東アジア藝文書院|East Asian Academy for New Liberal Arts > 学術フロンティア講義「30年後の世界へ」
 
東京大学の教員・部局の担当職員の方で『UTokyo Online Education』に講義動画・講義資料を掲載することにご興味がある方はこちらから:
UTokyo Online Education > 教材の公開/作成
2025/01/24
あなたは昨日何を食べましたか。その料理の中にはどんな野菜や穀物が使われていたでしょうか。そして、その野菜や穀物はどこでどのように地球環境に負荷を掛けながら育てられたのでしょうか。農業というと豊かな自然や緑をイメージする方も少なくないと思います。しかし、農業の環境負荷は大きく、あなたが食べたものも気候変動や水質汚染に関わっているかもしれません。多くの人にとって、食べ物は生産するものではなく、お金を出せば買えるもの。食べ物のもとはどこから来て、食べたものはどこへ行くのか。普段は考えなくても生活できる、食べ物の背景にある「みえないもの」について、考えてみませんか。今回は「クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために」と題された学術俯瞰講義より藤原徹先生の「第6回 栄養の循環と社会」をご紹介します。
化学肥料と品種開発が叶える穀物増産
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 藤原徹
図を見ると分かる通り、世界の人口は急速に増加しています。人口が倍増すれば、穀物を食べる人間は倍になる。つまり、倍量の穀物を生産する必要があります。では、そのために何が行われてきたかについて見てみましょう。まず、なぜ肥料が食糧生産において重要なのでしょうか。食糧は植物から生産され、植物は土壌中に含まれる元素を吸って生命を維持しています。現在、植物の生育に必要な元素は17種類あると知られています。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 藤原徹
植物は必須元素を正常な量、摂取できなければ十分に生育しません。ところが、たいていの土壌において、植物は十分に生育できるだけの必須元素を摂取できないのです。土壌内の多くの元素が結合しているために植物が利用することができず、生育の維持が困難になります。そこで、植物の生育に必要な元素を補うために、19世紀以降に肥料が工業的に生産されるようになります。特に画期的だったのが、1900年代初頭に開発された、ハーバーボッシュ法です。これは、空気中の窒素ガスをアンモニアに変換する化学反応の方法です。窒素は植物の生育において、最も重要な元素です。空気中の5分の4は窒素ガスで構成されているにも関わらず、私たちはこれをそのまま利用することができません。しかし、ハーバーボッシュ法によって、空気中に大量に存在する窒素ガスを、生物が利用可能な形に変換できるようになったのです。こうして、工業的な肥料の生産に伴い、人口増に応える食糧の増産が実現されていきます。さらに、アメリカの農業学者であるNorman Borlaugによる矮性品種の開発も手伝って、さらなる増産が可能になります。矮性品種とは、人為的に小さく作られた品種です。与えた窒素肥料が、草丈を伸ばすことではなく種をたくさんつけることに使われるため、単位面積当たりの収量が増加します。高収量である矮性品種への大量の施肥等は穀物の大量増産を導き(緑の革命)、Normanはノーベル平和賞を受賞しました。
化学肥料がもたらす環境負荷
しかし、化学肥料の量が過多になると、冒頭で記したような環境負荷が問題になります。過剰に与えられた化学肥料は植物に吸収されず、バクテリアの働きによって空気中に窒素や温室効果ガス(亜酸化窒素)として空気中に排出され、気候変動の要因となります。あるいは、肥料成分が地下水、川を経て海へと流れ出し、飲み水の硝酸濃度の上昇に繋がったり、赤潮等の微生物の異常発生をもたらしたりします。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 藤原徹
つまり、肥料は人口増を支える食糧の増産を実現してきた一方で、空気中や水中に流出した肥料成分は好ましくない効果ももたらすようになったのです。
以上のような問題点が指摘される化学肥料ですが、化学肥料なくして増加する地球人口分の食糧を供給してゆくことはできません。また、農地面積の限界や、農地の劣化といった課題もあります。それでは、環境に配慮しながら、これからどのように食糧増産を叶えればよいのでしょうか。講義では、「植物の性質を変える」というアプローチが紹介されます。ぜひ講義動画をご覧いただき、それがどのような方法なのか確かめてください。また、講義動画では、窒素の循環や日本の米農家の現状といった、この記事では省略したトピックが、具体的な数字を用いて解説されています。
藤原徹先生の講義で、普段はなかなか気に留めない、食べ物の背景にある「みえないもの」たちを知り、考えてみてはいかがでしょうか。
<文/井出明日佳(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義) 第6回 栄養の循環と社会 藤原徹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/01/08
ここ数年でAIは私たちの生活に非常に身近なものになってきました。これにより世の中が大きく変わってきており、みなさんの日常生活の中でもその変化を感じる場面は多くあることでしょう。そんなAIに関連して、
「仕事を奪われる」
「いつか人間を超える」
といったネガティブな議論を耳にする機会も増え、そのような脅威に怯えることもあるでしょう。しかしながら、実は私たち人間がAIに対応する力を身につけるべき時代でもあると須藤先生はおっしゃっています。
今回ご紹介する「ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義)第8回 ビッグデータ・AIの社会展開と課題――第4次産業革命を超えて」(2016年度開講)では、AIがこれからどのような軌跡をたどっていくのか、そして私たちはそれとどう付き合っていくかについて、須藤修先生が詳しく解説されています。
UTokyo Online Education ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義) Copyright 2016, 須藤 修
この講義自体は今から数年前のものであり、AIは間違いなく当時よりも着実に進化を遂げています。しかしながら、AIの発展自体のみならず、私たちがそれとどう付き合っていくかを考える上では非常に意義のある講義となっていますので、是非最後まで記事をご覧ください。
ビッグデータとAI
普段の我々は、AIからさまざまなかたちで答え・結果をもらいます。では、それらの答え・結果は何をもとに得られるのでしょうか。答えはズバリ、ビッグデータです。ビッグデータとは膨大な量のデータの蓄積であり、あまりに量が多いため人間の力だけではそれらを全て処理することは不可能でした。しかしながらAIは、それらのデータを処理することを非常に得意としており、これが我々の世界を大きく変えることになるのですが、具体的には何が変化したでしょうか。
AIがもたらした大きな変化
分かることが増えた
あまりにも直球で、頭に「?」が思い浮かんだ人も多いでしょう。しかしながら、この当たり前の結果が我々のAIに対する対応力の必要性を高める最大の要因となっています。このことを考えるにあたって、一つの具体例をご紹介します。
保険会社とAIの例から
UTokyo Online Education ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義) Copyright 2016, 須藤 修
保険会社の自動車保険にまつわる話です。今日の車には、運転手の運転の特性を全てデータとして内蔵しており、そのため事故の可能性の高低をAIのデータ処理により把握することができます。これにより、保険会社はきちんとしたデータを元に顧客それぞれに合った保険を勧めることができます。
元来、保険というのは事故を起こすかどうか分からないという不確実性を前提とした商品です。その不確実性の上に商売が成り立っていたのですが、正確な分析が可能になってしまったため、かえって保険会社の売上が下がってしまうことがあると須藤先生は指摘しています。そこで、保険会社は生命保険と損保保険の垣根を撤廃した新たな金融商品を作ることで、売上の減少に対応するという現象が起きるのです。
AIへの私たちの対応力の必要性
ご紹介した保険会社の例のように、AIの進展により今までわからなかったことがわかるようになったことで、私たちに変化を迫るという場面が増えてきています。先生は、今後もそういった流れが増え続けるであろうとおっしゃっています。つまり、AIが勢いを増す時代において必要なことは、その脅威に怯えることではなく、AIがもたらす力に対応する能力なのです。
AIと私たちのこれから―須藤先生のメッセージー
UTokyo Online Education ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義) Copyright 2016, 須藤 修
先生は、いま安泰とされている職種がAIに脅かされる可能性は大いにあるとおっしゃっています。人間に残される仕事はクリエイティブなものや、マネージメント、ホスピタリティなど、アイディアの創出や、人間相互間の高度なコミュニケーション能力を必要とするものであるという意見があります。しかしながら、先生はこの意見にも懐疑的であり、希望的推測に過ぎないのではないかという厳しいコメントもしています。その一方で、AIが分野の垣根を超越するきっかけとなり、既存のイメージを変えるような非常に柔軟な時代がやってきたというメッセージも残しています。
まとめ
今回ご紹介した講義は、「これからの時代は、AIに圧倒されるという時代というよりもむしろ、AIに対応する我々の力が試されているのではないか」そんなことを考えさせられる内容となっています。さらに詳しいことが気になる方はぜひ講義動画をチェックしてみてください。
今日紹介した講義:2016年度開講 ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義) 第8回 ビッグデータ・AIの社会展開と課題――第4次産業革命を超えて  須藤 修先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
2024/12/23
今年もこの季節がやってきました!だいふくちゃん通信アクセス数ランキングー!!
2024年もだいふくちゃん通信をご愛読いただき、ありがとうございました。だいふくちゃん通信では、UTokyo OCWの動画に興味を持っていただくため、学生を中心に動画を紹介するコラムを執筆しています。だいふくちゃん通信は、ちょうど3周年となります。本記事では、2024年に公開された記事でアクセス数が高かったものを中心にご紹介して、今年のだいふくちゃん通信を振り返りたいと思います。読むのが初めての方は面白い記事を探す機会として、普段から読んでいただいている方は今年を振り返る機会としてお楽しみください!
過去のランキング記事はこちら↓2023年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング2022年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング
また、今年からは、東京大学で行われた公開講座や講演会などを公開している「東大TV」でも、コラム「ぴぴりのイチ推し!」が始まりました。ぴぴりのイチ推し!でもランキングを紹介しているので、ぜひそちらもご覧ください!2024年ぴぴりのイチ推しアクセス数ランキング
2024年だいふくちゃん通信アクセスランキング TOP3
この1年間(2023年12月〜2024年11月)で公開されただいふくちゃん通信の記事は21本でした。この中で特に読まれた記事は何だったのでしょうか。まずは今年公開された記事の中で、アクセスの多かった記事TOP3をご紹介します!(集計期間:2023年12月1日〜2024年11月30日)
第3位 【心の森を作る?】建築家・安藤忠雄の仕事をのぞく
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_625/  コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku24_2008s_gfk_andou/ 
日本を代表する建築家の一人である安藤忠雄氏。そんな安藤氏が自身の人生を振り返りながら、手掛けた代表的な建築についてや、何を考えながらそれらの設計をしたのかを語った講義を紹介した記事です。記事には、執筆者手書きの、建築のイメージ図も載っており、実際にその建築を見たことがない人にもイメージしやすくなっています。また、記事の最後には講義で取り上げられた建築物のリストもあるため、講義資料がなくても分かりやすくなっています。建築が好きな人は安藤氏の考えをより深く知るきっかけに、全然詳しくないという方は安藤氏について知るきっかけに、ぜひ記事をご覧ください。
第2位 『徒然草』に学ぶ単純な暮らし:現代社会で所有欲から自由になるためのヒント
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1426/  コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku24_2016s_gfk_fujiwara/  
『徒然草』といえば、多くの人が古典の授業で習う、あるいはそうでなくとも名前くらいは聞いたことがある文学作品です。こちらの記事・講義では、『徒然草』の文を実際に引用しながら、『徒然草』を通して兼好法師が目指した「単純な暮らし」が現代社会にどう繋がるかを考えています。日本語の表現力や古文の魅力を味わいながら、現代社会の抱える問題や私たちの暮らしについて考えさせられる記事で、校閲などを担当しているスタッフ陣からも特に好評の声が多く挙がりました。忙しい現代を生きる大学生・社会人はもちろん、古典を学ぶ中高生など、幅広い世代の方にぜひ読んでいただきたい記事です。
第1位 なぜ理系に女性が少ないのか
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2329/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku23_2022a_frontier_yokoyama/  
「突然ですが皆さん、東京大学工学部に所属する学生のうち、女性の割合はどれくらいだと思いますか?」という問いから始まるこちらの記事。日本における理系分野の女性割合の低さの現状や、その要因を探る研究を紹介しています。また、女性割合の低さは理系に限らず、東京大学の抱える問題でもあり、今年の5月ごろには「#言葉の逆風」や「なぜ東京大学には女性学生が少ないのか?」というポスターが学内の食堂などに掲示され、話題を呼びました。そんな東京大学・日本の抱える問題やその要因を知ることで、状況の改善につながるかもしれません。
2024年公開の記事でアクセス数1位となったこちらの記事は、番外編でも紹介する記事全体のアクセス数ランキングでも8位に輝きました。また、現在、本講義の後継コース「2024年度学術フロンティア講義:ジェンダーを考える」を撮影・編集中です。ぜひ公開を楽しみにお待ちください!
番外編 その1 2024年公開のおすすめ記事3選
TOP3入りを逃した記事たちも、面白いものだらけです。毎年、ランキング記事では、ランク入りを逃した記事の中から担当者おすすめの記事を紹介しているのですが、こちらが意外にも好評とのことなので、今年もやります!
私たちの生とは…生は支配の対象でも目的でもなく、ともに展開(flourishing)すること
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2398/    コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku24_2023s_frontier_nakajima/   
「空気」や「価値」といった言葉の意味、そしてその重要性について考えることで、私たちの生き方を問い直す機会を与えてくれる記事・講義です。同じ学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」の記事を紹介した「【空気の価値化】人と空気の歴史社会学」でも、同じく「空気」や「価値」といった言葉を通し、社会システムの変容や私たちの「欲求」について考えています。コロナ禍を経験し、私たちは、換気など物理的な空気や、対面で会うことなど空間的な意味での空気について考えることが多くありました。「空気」という身近でありながら奥深い哲学的なテーマを通じ、現代社会について考えてみませんか?
【共生と秩序】合理的意思決定とは?
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_74/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku24_2006s_gfk_tanaka/  
今年は都知事選や衆院選などがあり、政治について考えたり「意思決定」について考えたりする機会が多くあった年でした。「人々の集団は政府が存在しない社会においてどのような行動を示すのだろうか」という問いを出発点に、ゲーム理論の手法などを用いて「合理的な意思決定」について科学的にアプローチする講義が、この記事のテーマです。そして素敵なサムネイルも目を引きます。記事を読み、講義を見れば、”合理的”な意思決定の奥深さにきっと興味を持つ事でしょう。
栄養ってどれくらい採れば良い?~観察と実践の疫学~
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1701/    コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku23_2018a_gfk_sasaki/   
私たちにとってとても身近な「栄養」について、疫学という学問の立場から学ぶことができる講義を紹介した記事です。そもそも疫学とはどんな学問なのか?栄養の不足/過剰摂取とどんなつながりがあるのか?ぜひ記事や講義を通して学んでみてください。きっと普段の生活でも意識する機会が増えることでしょう。こちらの記事は、私が校閲した際に、「海軍にカレーを導入したとされる高木兼寛じゃないですか~」とコメントをしたら記事に採用されたという個人的な思い入れもあります(笑)
番外編 その2 2024年だいふくちゃん通信アクセス数総合ランキング
ここでは、3年間で公開されたすべての記事の中から、今年最も読まれた記事TOP5をご紹介します。公開からずっと読まれ続けていたり、今年になって特に注目を浴びたりといろいろな記事がありますのでぜひご覧ください!
第5位 【自閉症の人は不安を感じやすいのか】不安の仕組みについて考える
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2028/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2020a_asahi_watanabe/  
2022年05月13日 公開 
22,404 PV
第4位 【食べていたのは「幻想」だった?】ヨーロッパ中世の食卓をのぞいてみよう!
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1345/    コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2015s_gfk_ikegami/   
2023年01月18日 公開 
22,634 PV
第3位 【「進化=自然選択」だと思っていませんか?】進化学のこれからについて学ぶ
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_884/    コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daiduku_2011s_gfk_morinaga-tsukatani/ 
2022年10月12日 公開 
26,928 PV
第2位 【今一度 振り返ってみよう 日本の宗教観】宗教はあぶない?!
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_82/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2006a_gfk_sueki/   
2022年08月24日 公開 
28,008 PV
第1位 「家族」の基準って何?「家族」って誰のこと?【「家族」の境界線について考える】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1237/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2013a_gfk_akagawa/   
2022年05月25日 公開 
42,181 PV
2025年もだいふくちゃん通信をよろしくお願いいたします
2025年もだいふくちゃん通信・ぴぴりのイチ推し!では東京大学の講義の、ひいては学問の魅力を多くの人に知ってもらうための記事を公開していきます。皆さんがお忙しい日々の中で、少し立ち止まり、さまざまな学問の魅力を知ったり、自分自身や過去・現代・未来の社会について考えたりしていただけたら、とても嬉しく思います。ぜひ、2025年もよろしくお願いいたします!
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/12/20
突然ですが、皆さんにクイズです。次の文章の続きを英訳してみてください。
私が手を洗うと、教授も手を洗った。I washed my hands, and then……
さて、あなたの回答は次のうちどれでしたか?・the professor washed his hands.・the professor washed her hands.・the professor washed their hands.
この問いに対して無意識のうちに「his」を選ぶ人が多いのではないかと、本講義の講師、伊藤たかね先生は指摘します。
日本語では教授の性別を特定する必要はありませんが、英訳をするには性別を明確にしなければいけません。その際に、教授という職業から、無意識のうちに男性の代名詞を使ってしまうという問題が起こります。
今回ご紹介するのは、ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)の第11回、「言語とジェンダー」です。
無意識のバイアスを測る手法「IAT」
はじめに、「バイアス」という言葉をご存知でしょうか?バイアスとは、思い込みや偏見からくる先入観のことです。
先程は、教授は男性だろうというバイアスにより、無意識のうちにhisを選択しやすいという例を取り上げました。これには、実際の生活の中で女性に比べて男性の教授に出会う回数が多かったという私達の経験が影響しています。
では、私達のバイアスを知るためにはどうすればよいでしょうか。
有効な手法として知られているのが、「IAT(Implicit Association Test)」と呼ばれるものです。IATでは、言葉を分類する課題を通じて概念と概念の結びつきの強さをはかります。
例を見てみましょう。
被験者は提示される単語を分類する課題を行います。まずは、提示される単語が男性を示すものであれば「左」、女性を示すものであれば「右」に分類する、というルールにした場合を考えてみます。例えば弟という単語は左、おばあちゃんという単語は右、といった具合に回答していきます。
続いて、家庭に関することは左、仕事に関することは右に分類するというルールにします。昇進、台所、ベビーカー、経営会議…など関連するワードが提示されるので、「昇進」は右、「台所」は左、「ベビーカー」は左、「経営会議」は右…と回答していきます。
そしてこれら2つを組み合わせてみます。ここから先は皆さんも挑戦してみてください。男性あるいは仕事に関することは左、女性あるいは家庭に関することは右に分類してみましょう。
息子、給料、ベビーカー、掃除機、母親、姉妹、おじいさん、会議資料…
今度は組み合わせを変え、女性あるいは仕事に関することは左、男性あるいは家庭に関することは右、とします。
息子、給料、ベビーカー、掃除機、母親、姉妹、おじいさん、会議資料…
ここで、後半が難しく感じたという方はどれほどいるでしょうか?実際には、同じ作業をしているはずなのに、後半を難しく感じる人は多くいます。
なぜなら私達にとって、男性と仕事、女性と家庭は結びつけやすく、女性と仕事、男性と家庭は結びつけにくいためです。頭の中で結びつけている組み合わせと逆の組み合わせには迷いが生じ、難しく感じるのです。
実際の実験では左右ではなくAとEなどキーを設定し、単語が提示されてからキーを押すまでの時間を測定します。無意識のうちに関連づけているものを同じキーに割り当てた時には反応が早くなります。
IATは顕在化しにくいバイアスを量的かつ客観的に測れるものとして、広く社会言語学で使われています。
言語に関わる無意識のバイアス
ここからが本題です。言語に関わる無意識のバイアスを
マイノリティを表す言語に対するバイアス
マイノリティが使う言語(変種)※に対するバイアス
の2つに分けて考えてみましょう。
言語変種とは、地域(方言)、社会階層、年齢、性別などによって同一言語内で相違を持つ変種のことです。私達に馴染み深い方言以外にも、同じ言語内で男性と女性が使う言葉、お年寄りと若者が使う言葉には違いがあり、それらを言語変種と呼びます。
■マイノリティを表す言語に対するバイアス
先程の実験から、女性を表す表現に対して家庭に関する物事を表す表現と結びつけるバイアスがあると指摘できます。
ただしここで考える必要があるのは、社会に実在する偏りに基づいて人がバイアスを持ち、それが言語に反映されているのだとしたら、変えるべきは社会で言語ではない、とみなして良いのだろうか?ということです。
例えば、過去の大量のテキストデータを学習するAIの自動翻訳は、過去の言語表現に固定化されたバイアスを(社会が変化してもなお)学び続ける可能性があります。言葉は社会と同じスピードでは変わらないため、言語表現が偏りを「固定化」したり、「増幅」したりするリスクには注意が必要です。
具体例を見てみましょう。冒頭で触れた代名詞の性についてです。
例えば、英語の授業で
Every professor is required to submit his report on…
という例文を用いてEvery professorにはhisを使うと教えていたとします。(少なくとも昔はそのように教えていました。)
女性が自分はheではないと認識していると、このような文章に触れる機会が多い場合、教授は男性の職業であり女性である自分の職業ではない、という意識が生まれる可能性があります。社会にある偏りがバイアスを生み、それが言語に反映されるだけではなく、その言語に触れることでよりバイアスが深まるという悪循環が生まれているのです。
■言語の変化が意識の変化に繋がる
悪循環を断ち切るには、言語も変える必要があります。米国では実際に1970年代頃から言葉を変えてきた背景があります。
教授の例では、Every professor is required to submit their…The professor washed their hands.のようにhisを使わず、単数でも性別を特定しないthey,theirで受ける用法を使い始めました。当初は反発もあったものの、2010年代頃から一般的に受け入れられています。
マイノリティが使う言語(変種)に対するバイアス
続いて2つ目のバイアスについて見ていきましょう。
ここで重要なのは、そもそも言語(変種)に本質的な優劣はなく、どのような言語(変種)も、それぞれ精緻な文法体系を持っているということです。
しかしながら実際には、特定の言語(変種)を劣ったものであるとするバイアスと、特定の言語(変種)の使用者を劣ったものであるとするバイアスが存在しています。
■AAEとSAE
例えば、主に都市部のアフリカ系アメリカ人が多く用いるアメリカ英語の変種「African American English(AAE)」は1960年代頃、誤った文法を持つ変種とみなされていました。ところが詳細な研究の結果、標準とされる言語「Standard American English(SAE)」とは異なるものの、複雑で精緻な文法体系を持つことがわかっています。
以下の文章を見てください。
He nice.; They mine.; She gonna do it.
AAEではこのように、be動詞が脱落するという特徴があります。しかし、be動詞はいつでも脱落するわけではありません。
He as nice as he say he is.How beautiful you are.
上の文章で太字にしているbe動詞は省略できません。お気づきかもしれませんが、この太字のbe動詞は、SAEでもhe’s やyou’reと弱く発音してはいけないbe動詞です。つまり、AAEのbe動詞の脱落とSAEのbe動詞の弱化は同じ規則に基づいています。
SAEの文法が正しいとすれば、AAEは誤りが多い言語となります。つまりマジョリティが当然と考えるものがすべての人にとって当然であるべきだとする思い込みから、「間違った言語」「劣った言語」という考えが生まれていると言えるでしょう。このような思い込みは言語に限らずいろんな差別や偏見の根底にあります。
マイノリティが使用する言語は、学校や裁判所など公的な場で使用を禁止されたり、教育現場で誤りとして矯正されたりすることで、「劣った」言語としてのスティグマを与えられてしまうことがあります。本質的には優劣がないにも関わらず、社会の権力構造が言語の優劣を作っているのです。
実際に、IATの結果から、AAEの言葉と「愚かさ」を結びつけるバイアスが指摘されています。(Loudermilk,2015より引用)
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 伊藤たかね
まとめ
最後に皆さんに改めてお伝えしたいのは、言語に本質的に優劣はないこと、社会の権力構造で言語の「優劣」がつくられるということ、そしてその「優劣」はその言語を用いる人の性質(たとえば賢さ、愚かさ)に無意識のバイアスで結び付けられているということです。
この講義では、ジェンダーだけではなくマイノリティの使う言語とマジョリティの使う言語という大きな枠組みの中で、私たちの無意識のバイアスがどのように言語に反映されているのかを学ぶことができます。
当記事で紹介することのできなかった身近な具体例や実験が講義動画内では多く紹介されています。ご興味のある方は是非動画をご覧になってみてください。
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義) 第11回 言語とジェンダー 伊藤たかね先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/12/13
2024年、奄美大島において特定外来種に指定されているマングースを根絶したというニュースがありました。マングースは、もともとはハブ退治を目的として外国から持ち込まれましたが、数が増え、特別天然記念物に指定されたアマミノクロウサギの天敵になり、駆除の対象となりました。
このように、人類は、ときに他の種の動物をコントロールしながら社会生活を営んでいます。鳥獣害の駆除だけでなく、畜産やペットの飼育もその一部です。
今回ご紹介する講義は、そんな動物との関わり方を見つめ直す、『人と動物のつながり?―ハチ公、けれど鳥獣害―』。2019年度開講『「つながり」から読み解く人と世界』(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」)の第7回目です。
講師は、2015年、東京大学のキャンパス内に忠犬ハチ公の像を建てる際に中心人物であった、一ノ瀬正樹先生です。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
人はなぜハチ公物語に感動するのか
ハチ公像といえば、渋谷の駅前の像が最も有名です。(実は、1代目は戦時中に鋳潰されてしまい、現存のものは2代目です。)
忠犬ハチ公は、1923年から1935年まで生きていた秋田犬で、飼い主は東京帝国大学の農学博士、上野英三郎(うえのえいざぶろう)先生でした。当時、上野先生は松濤に住んでいて、徒歩で駒場キャンパスに通っていましたが、出張の際には渋谷駅から電車で帰ってきていました。上野先生は、1925年、出先で脳内出血のため急死してしまいますが、ハチは、渋谷駅に行けば上野先生が帰ってくると思って、度々駅前で待ち続けました。(実際には24時間ずっと駅前にいたわけではなく、引き取って飼育しているお宅があり、ある程度自由にウロウロしている中で、頻繁に渋谷に出没していました。)待つことおよそ10年、やがてハチも亡くなります。ハチは街の人々から可愛がられるようになり、亡くなった後もずっと語り継がれ、今も人々から愛されています。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
このお話は映画にもなり、一ノ瀬先生も、鑑賞したときは相当胸が苦しくなってしまったようです。では、人々は、なぜそれほどまでに、ハチ公のお話に惹かれ、心を動かされるのでしょうか。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
犬自身は、自分の気持ちを説明することはできません。ですから、人間と犬が関わり合うと、必ず人間側が想像した物語性が伴うに決まっているのだと、先生は言います。
ちなみに、後に「ハチは駅前で人々から食べ物を与えられたから学習して行っていただけではないか」という人もありましたが、先生は「中には乱暴に追い払うような人もいたので、ハチが居着いた理由は、利益があるからということだけでは説明できない何かがあるあはずだ」と言います。
ペットを飼うということをどう捉えるか
先生ご自身も、犬や猫を飼う動物好きです。しかし、皆さんもご存知のように、世の中では、人間が動物とペットにして一緒に暮らすことが、全て良い面だけだと考えられているわけではありません。そこには、いくつかの議論が存在します。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
例えば、野生の猫の寿命は5〜6年であるのに対して、飼い猫は長ければ20年ほど生きますが、長く生きる方が彼らにとって本当に幸せなことかどうか、人間には分かりません。ペットとして人間の家で暮らすことが前提となっている種の動物は、もしも突然野生に返されたとしても、自力で生きていく機能を備えていません。飼育を放棄して捨てられてしまった動物はもちろん、売れ残った動物・人間から可愛がられない動物がぞんざいに扱われるという問題も孕んでいます。殺処分は代表的な例でしょう。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
かといって、「今すぐ世界中で人間がペットを飼うことをやめよう!」ということは、既に人類史の中で確立した習慣や産業が存在するため、実現不可能に近いでしょう。
そこで、飼っているペットに、少しでも補償をするという提案もあります。犬であれば散歩をさせてあげることや、シバ犬を山に連れて行って猪に飛びかかる経験をさせてあげるようなことが挙げられます。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
哲学者の顔は犬の顔
これらの考えに対して、先生はいずれも疑問を持っており、あくまでも人間の視点から犬を支配的に見たものだと捉えています。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
そして、先生独自の第3のモデルを提案しています。それは、犬の方がむしろ種の末長い存続のために人間に飼われるように順応してきており、犬の方が優れているし高潔なのではないかという考えです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
先生は、「哲学者の顔は犬の顔だ」と論じたこともあるそうです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
たしかに、先生が飼っていたわんちゃんのお顔、とても賢そうです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
最終的には、犬の方が人間を共存者として選んでくれたのですから、人間はそれに対して返礼しなければならないというご提案でした。もちろん、飼育しているからには食事や寝るところは与えていますが、それよりも余りあるものを、犬側から与えてもらっているからだということです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
この考え方を適用すると、「我々がハチ公の物語で感動するのは、ハチからどれほど恩恵を受けているか、どれほど返礼するべきなのか、感じ入っているからなのだ」と理解することも可能でしょう。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
先生の、犬への強い愛や敬意が伝わってきますね。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
動物倫理とは
講義の後半は、畜産の現場や鳥獣害、食肉についての議論が展開されます。
例えば、近年ニュースでよく見かける話題としては、サル・イノシシ・シカなどが市街地に現れたり農作物を荒らしたりして、駆除の対象になることが挙げられます。ツキノワグマやヒグマについては、よりいっそう深刻な人身被害が起きています。
畜産においては、鳥インフルエンザやBSEにかかった動物の大量殺処分の問題があります。また、少々異例な事例ですが、2011年の東日本大震災のときには、帰還困難地域の農家の人々は、飼育している家畜を置いて避難するしかなく、多くの家畜が飢え死にしてしまいました。
これらの動物たちは、人間の都合で生命をコントロールされているわけです。(当然ながら、農家の方々は動物たちを愛情を持って大事に育てているし、駆除や処分を担当する人々は葛藤や苦しみなどそれぞれの思いを抱えながら、責任を持って職務を全うしていることを忘れてはなりません。)
前半のペット飼育の問題も含め、こうした動物との関係性のあり方を扱う分野を動物倫理(animal ethics)と呼びます。動物に対して、できるだけ苦痛を与えないこと、そもそも苦痛が伴う可能性があることはやらないことが望ましいということです。こうした考えの影響もあり、世界ではヴィーガン(完全菜食主義者)が増えつつあります。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 一ノ瀬正樹
答えは出ません
では、「今すぐみんなでお肉を食べることをやめましょう」というのは、ペット飼育と同様、なかなか難しいことだと思います。先生も、全てスッキリと明確な答えを出したわけではないとのこと。我々はこれからも、生きている限りは、生涯をかけてこの問いに向き合っていくことになるでしょう。
これは講義に含まれていない、筆者からのおまけのお話です。福島県浪江町には、2011年、国からの殺処分命令に抗い、出荷予定のない牛たちを世話し続け、寿命まで看取っている「希望の牧場」があります。「経済的に無意味だ」とする考え方もあるでしょう。しかし、牧場主の吉沢氏は、「牛たちの命には意味がある、寿命を全うすることに意味がある」と考えて、続けています。
いつも、どれか一つの主義主張や価値観が正しいわけではありません。UTokyo OCWには、他にも畜産やペット飼育など動物との関わりについての講義があります。あわせてご覧いただくと、いろんな先生や学生が多種多様な考えを持っていることが分かってくるかと思います。
2015年度 「地域」から世界を見ると?(学術俯瞰講義) 食から見た世界 第13回 食の安全のネットワーク(芳賀猛先生)
2018年度 ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)
2024年度 学術フロンティア講義 (30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える) 第2回 レジリエンスと地域の復興(溝口勝先生)
2024年度 学術フロンティア講義 (30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える) 第3回 人類はこれからどのような食生活をしていくべきか——次世代栄養学とOne Earth Guardiansからの提言(高橋伸一郎先生)
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 人と動物のつながり?―ハチ公、けれど鳥獣害― 一ノ瀬 正樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文・加藤なほ>
2024/11/21
本記事で紹介する講義は、東洋文化研究所の所長で中国哲学がご専門の中島隆博先生の「花する空気」という講義です。こちらの講義は、2023年度の学術フロンティア講義「空気はいかに価値化されるべきか」というシリーズの第2回目の講義として行われました。当シリーズは、“空気“をテーマにゲスト講師陣が様々な切り口から講義を行っています。中島先生によるこちらの講義、「花する空気」とは一体どういう意味なのでしょうか。本記事では、その解説とともに、中島先生が講義を通して伝えようとされていることをご紹介します。
まず、講義は「空気をいかに価値化するべきか」というテーマについて、再考します。「空気とは?」、「価値とは?」それぞれその言葉のもつあらゆる側面を見直し、“空気の価値化”というテーマから見えてくる、“私たちはどうあるべきか”を問い直すことで人間を再定義しようと試みます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義2023 中島隆博
「価値」について
“価値”とは何でしょうか。一般的に“価値がある“というと、市場経済において価格がつくこと、として考えられています。しかし、中島先生は価格がそのものの価値を示す、ということを否定されます。「”価値“とはそれが独立したものとして存在するのではなく、関係性の中で成立するもの」、続けて、「豊かさとは金銭的なものではなく、『社会関係資本』をどれだけ有しているかである。」とお話されます。「社会関係資本」とは、周囲の人や社会との”関係性、つながり”のことです。例えば、ある億万長者が孤独で他の人とのつながりを持っていなかったとすれば、その人は貧しい、ということになります。これはみなさんもなんとなく想像ができるのではないでしょうか。いくらお金があったとしても精神的な豊かさは別問題である、ということです。
”価値“=”つながり、関係”であるならば、「空気の価値化」とは空気を媒介にした、”その他のものとのつながり“であると言えます。空気を媒介にする、ということは人間だけではなく、その他の生物、また生物ではないものと”私“との関係性について考えなければなりません。講義内では、人間と家畜などの食用とされている動物との関係性を例に挙げ、従来のやり方では問題があるという点について触れています。
「空気」について
このような、あらゆるものとの関係性は、私たちの社会に対するイメージ、”ソーシャル・イマジナリー”に起因し、それを見直していくことがそれぞれの関係性を変化させていく上で重要であると中島先生はおっしゃいます。
“ソーシャル・イマジナリー”とは、「私たちの社会とはこういうものだ」といった固定観念から、実際に社会を動かしている経済システム、国家というシステムなど、”共同幻想“と呼ばれるようなものも含まれます。
”空気“とは”場の空気”などとも言われるように、物質としての空気だけではなく、概念としての空気も考えられます。ソーシャル・イマジナリーもまた“空気“を土台にできあがっていくものであり、人間の関係性を条件づけるものとして、広義の”空気“として把握できるかもしれません。
「空気の価値化」を考えることは、個人と個人との関係性、個人と集団、集団と集団、個人と人間以外のもの、集団と人間以外など、あらゆる関係性を見直していくことだと言えるでしょう。また、「人間以外のものとの関係性を考えるとき、近代以降の人間中心主義的な考え方で形成されている、私たちの今の社会の在り方を考え直すべきだ」と中島先生は講義の中で強調されます。確かに、現在の人間社会の在り方は極めて人間に都合の良いように形成されています。昨今のエネルギー問題や温暖化現象が早急に対処が必要な問題であることは、誰の目にも明らかと言えるでしょう。
「空気の価値化」というテーマを通して、私たちの社会の枠組みや従来の常識として考えられていたような思考の範型について再考することが要請されているのです。
「花する空気」
ここまでで講義シリーズのテーマについて、講義導入部を概略して説明しました。ここからは「花する空気」という本講義のタイトルについてです。
「花する」という言葉はイスラーム神秘主義哲学の研究者、井筒俊彦の言葉です。井筒俊彦はコーランの日本語訳を初めて刊行した人物でもあり、様々な逸話のある偉大な知の哲人です。井筒は、著書『イスラーム哲学の現像』の中で、イスラーム神秘主義を説明する際に、あらゆるもの、例えば花は、「花が存在する」のではなく「存在が花する」と説明しました。どういうことかと言うと、神のような超越した存在が、たまたま花として顕現している、地上の全てのものは神の存在の限定的な顕れとして在るというのです。そのため、神が常に主語であり、その他のものは述語にしかなり得ない、と説明したのです。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義2023 中島隆博
しかし、中島先生は「”存在”が花するのではなく、”空気”が花する、あるいは人間である私たちやその他のものたちがともに花することが重要ではないか」とおっしゃいます。”存在”という言葉は長い西欧哲学の歴史の中で常に重要視されてきました。“存在”と“認識”について考えることが西欧哲学の歴史でもある、と言えるのです。井筒の言う存在も超越的なもの(無、純粋存在)を指します。井筒の哲学では、“私“と”超越的なもの“との関係性を語ることで意識の縦構造が創出されるのです。本来は”神“といった抽象的な概念がその縦構造の頂点であったにもかかわらず、国や宗教組織、権力者などがその構造を利用し、神の代理として自分たちをその頂点に据えるということが歴史上、繰り返されてきました。この成り替わりの行為によって、専制的、または独裁的な社会が構築されてきたと言えるでしょう。
中島先生は、私たちがともに花することを“人間/Human being”の再定義として「Human Co-flowering」あるいは「Human Co-flourishing」と名付けます。“他者とともに花する”、“ともに花開くこと”、縦ではなく水平的な意識構造へとシフトしていくことであり、それは独りではなく誰かとともに変容していくことです。現代にまで至る西欧由来のソーシャル・イマジナリーを変化させ、新しい社会の在り方を創造するための手掛かりとして、中島先生はこれらの概念を提示されています。
Q.「能力がないと望む権利がないのでは?」
講義内で中島先生は中世哲学の研究者である山内志朗先生を引用し、「花は目的なしに開く。私たちの生も、学校や会社、社会のため、といった自分の外部にある目的を達成させるためにあるのではない。また、同時に自身の内部にも目的/理由を持ってはいない。 “能力”をベースにした評価基準には限界がある。そうではなく、“望む”ことで違う人間へと変容していくことができる」とお話されます。それを受けて、講義終了後の質問時に学生から「歴史的に人間は能力によって判断、評価されてきた。そのため、能力のある人間しか望むことができないのではないか。」という質問が出ます。中島先生はこれを受けて、古代中国の禅僧を例に「私たちは老いていくことで、“できない”ことがどんどん増えていく。しかし、“望む”ことで自身や社会を変容させていくことは可能である」と答えます。続けて、「能力による人間の評価は、処理能力や記憶力などの限定的な要素を測るのみで、人間の生を豊かにはしない。どんな人生を望むのか、あなたはどんな言葉を発明しますか」と質問に対して問い返されます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義2023 中島隆博
“どんな言葉を発明するのか”、これは“自分自身の生を生きることで新たな自分と出会うこと”、と換言できるのではないでしょうか。自身の外部にも内部にも目的/根拠はない、と中島先生がおっしゃるように、誰かとともに変容していくこと、それは全く新しい自己との遭遇であり、それが連鎖的に新しい社会の創造へとつながっていくということではないでしょうか。
ここでご説明した内容は講義の一部であり、他にも様々なトピックに触れ、広範に渡る内容となっています。上記の内容も説明が不十分な箇所があり、詳細に記述すると非常に長くなってしまうため、割愛しています。
さらに講義の形式自体も特殊であり、働く人や組織体に向けた内容にもなっています。そういった意味でも、様々な見方のできる刺激的な講義内容となっています。
あなた自身の生き方について、問い直すきっかけとなるかもしれません。哲学に興味のない方にこそ是非見ていただきたい、中島先生の熱いパッションを感じるおすすめの講義動画です!
今日紹介した講義:2023年度学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」第2回 花する空気  中島 隆博先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/みの(東京大学学生サポーター)>
2024/11/14
「ことば」は我々にとって必要不可欠ですが、普段はあまり意識しないで自然に使っています。しかしながら、「ことば」には単なるコミュニケーションの道具という垣根を超えた、多面性を持ち、大きな力を持っているのです。
今回ご紹介する講義では、社会学者の佐藤健二先生が、「ことば」について、「身体性」「社会性」「空間性」「歴史性」の4つの観点から詳しく解説しています。
普段から使っている「ことば」について、佐藤先生と考えていきましょう。
UTokyo Online Education 社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)Copyright 2010, 佐藤 健二
人類の「ことば」獲得の意義
佐藤先生は「ことば」を、動物としての人間が最初に獲得した道具であり、
・カタチを持たないこと
・可能性に満ちていること
以上の点において特異性があるとおっしゃっています。ただ、道具といっても「ことば」には形はありません。しかし「ことば」を使うことによって、概念やイメージを掴んで分けたり、組み立てたり、他者に渡したりすることができるという点で、「ことば」は道具であると佐藤先生は定義します。
また、文学、哲学、科学、歴史など、今日の人間の発展の礎となる学問も「ことば」無しには存在し得ませんでした。佐藤先生は「無形の可能性に満ちた不思議な道具」であることに人類の「ことば」獲得の意義があると語っています。
この特異な道具を用いて、今現在、私たちが享受している文化を作り上げてきたのです。
「ことば」は社会だ
言葉は伝えるための道具の役割もありますが、他にも「ことば」は脳に近い役割も持っている道具だと佐藤先生は言います。ここでは、「ことば」の身体性と社会性について解説していきます。
「ことばが通じる」ということの段階性
「ことば」が通じることには大きく分けて2つの段階があります。それを理解するには、声のメカニズムに注目するとわかりやすいでしょう。
UTokyo Online Education 社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)Copyright 2010, 佐藤 健二
ステップ1:身体の共振と空間の共有
「通じる」ということに焦点を当てるとなると「ことば」を受け取る他者に注目するべきであると考えがちです。しかしながら、「通じる」という現象は他者のみならず、自己と他者の両者が関わっているものなのです。声は「振動」として、他者の耳に届き、受け取られるわけですが、このとき
・他者の耳の「振動」
・自己の耳の「振動」
これら両方が空気を媒介として同時に起こっているのです。言葉を話すとき、その声を話者自身も自分の耳で聞いています。このとき話し手と聞き手の間で同じ声を聞いており、両者の鼓膜の間で共振が起きています。
声のメカニズムについて身体性を中心にして考えると、
・自己と他者の身体の共振と、空間の共有が声という現象によって繋がっている
・さらに、その声を自己も聞いている
これが、「ことば」が「通じる」という現象の基礎であると先生はおっしゃっており、表層的な「ことばが通じる」もしくは「ことばが通じない」などの意味の共有はその後に起こるものだそうです。
ステップ2:意味の共有
私たちが一般に考える「ことば」が「通じる」というのは、「意味の共有」のことでしょう。それはステップ1でご紹介した身体の共振と空間の共有の中で起きていくものなのです。
ことばの意味は、身体の共振と空間の共有の中で調整されていくのだと先生はおっしゃっています。さまざまな状況、経験が作用しながら、安定した意味が形成されていくそうです。そのため、脳などが最初からことばに意味を込めているのではなく、その状況の中で意味が共有可能なものとして発生するのだそうです。このようなメカニズムを考えた方が、「声の身体性と言語の社会性を繋げることができる」というメッセージを先生は残しています。
「ことば」は何のためにあるのか
UTokyo Online Education 社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)Copyright 2010, 佐藤 健二
最後に、ことばの存在意義について考えてみましょう。皆さんは「ことばは何のためにあるのだろう」と考えたとき、どのような答えが思い浮かぶでしょうか。おそらく多くの場合、最初に思い浮かぶことは
・伝達の役割
ではないでしょうか。
もちろん、伝達の役割といった側面は言葉の存在意義のひとつであると言えます。しかしながら、それだけではなく、もう一つ重要な役割を担っています。それは、
・思考の手段
としての役割です。ことばは、自分の内面・思考を作り上げる手段であり、伝えるだけではなく、考える道具なのです。この二重性が、言語が、人間の社会、あるいは人間の存在にとって、他の動物とは違う内面世界、そして外の世界における社会関係を生み出してきた非常に重要なメカニズムであると佐藤先生は考えています。 
「ことば」は思考するための手段という点において、もうひとつの脳であるといえるでしょう。
ことばの不思議
佐藤先生は「ことば」は自分の考えを伝えるための道具である手であり、自分が考えを深めるための道具である脳であると指摘しています。「ことば」は日々の生活の中で未知のものに遭遇したときに、役に立つであろうと先生はおっしゃっています。
ことばには想像を超える力が潜んでいます。今回は、その社会性に焦点を当てて取り上げましたが、講義動画では他にもさまざまな特性が紹介されています。
私たちの生活に欠かせない「ことば」について、改めて考えてみませんか?続きが気になる方はぜひ講義動画をご覧ください。
今回紹介した講義:社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)第4回 ことばの不思議 -身体性・社会性・空間性・歴史性  佐藤 健二先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<執筆:悪七一朗(東京大学学生サポーター)>