みなさんにとって、「家」とはどのような場所ですか?
睡眠のため、食事のため、、趣味のため・・・そこですることは千差万別です。
また、進学や就職、共同生活の開始など、ライフステージに合わせて人は住む家を変えたり、新しく建てたりします。
私たちの生活にとって「家」は、なくてはならないもののように思えます。
しかし、もし自分ひとりで暮らしていたとしても、そこは完全な「ひとりだけの空間」というわけではありません。
家に住むためにかかるお金は日々の支出でも大きなものですし、私たちはそれをどこからか得る必要があります。また、家で癒したいストレスは家の外から持ち込まれるものかもしれません。
何気なく過ごしている「家」には、その外にある社会との関係があります。
そうした目で「家」を見てみると、私たちにとって「家」とはどのような空間なのか、少し明らかになるのではないでしょうか。
今回はそうした「住居」に関して「居場所」という観点から迫っていく、文学部社会学研究室の祐成保志先生の講義を紹介します。
「バンキング・オン・ハウジング」と福祉
住居に関する典型的な問いとして、「持ち家に住むか、それとも賃貸に住むか」というものがあると思います。みなさんはどちら派でしょうか?
この「持ち家か賃貸か論争」ですが、実は、単に個人の価値観だけに還元される問題ではないのです。
なぜなら、持ち家と賃貸のどちらを獲得するかが、社会を生き抜く上での立ち位置や有利不利に影響を及ぼすことがあるからです。
そのため、自分の住まう社会が陰に陽にどちらの選択を重視しているかが、その社会の政治・経済的な状態や方向性を示す、ひとつの判断材料になるのだそうです。
このことを、祐成先生はイギリスの住宅政策の歴史から説明します。
政治学者スチュアート・ローが著書『イギリスはいかにして持ち家社会となったか』という本で重要な概念として提示しているのが、「バンキング・オン・ハウジング」という言葉です。これを祐成先生は、「金庫としての住宅」と訳しました。
イギリスでは、住宅のエクイティを担保にして、新たに借金をすることができる仕組みがあります。「エクイティ」とは、自身の住宅の市場価値からローンの債務を引いた、住宅の「実質的な価値」のことです。
つまり、住居自体を売却するのではなく、持ち家という現物資産の実質的な価値を担保とすることで、自宅の価値を現金化するということです。
これによって、人々は持ち家さえ保有していれば、医療や教育などの福祉サービスを得るのに必要な多額の出費を、公的な福祉制度に頼らずに、自力で調達することができるようになりました。
しかしなぜ、このような動きが発生したのでしょうか。
実は、このバンキング・オン・ハウジングの流れは、イギリスの福祉国家政策が縮小していく過程と軌を一にしているのです。
戦後から続いてきたイギリス型福祉国家政策が崩壊していくなかで、個人が現物資産の現金化を通じて福祉サービスを獲得できるようになったことは、政府による福祉支出の抑制へと繋がりました。
このような、持ち家に代表される個人の資産(アセット)を重視する福祉のあり方を「アセット・ベース型福祉」と呼びます。
こうした状況下では、より良い福祉サービスにアクセスするために人々はなんとかして、賃貸よりも持ち家を購入しようとするでしょう。
イギリス流の福祉国家がアセット・ベース型へと再編成するとする過程で、賃貸よりも持ち家を選択することが重視される社会へと変わっていったのです。
この例から分かるのは、私たちの住居への関わり方には、社会や政治、市場との関係が大きく影響している場合があるということです。
住居の脱商品化と「もうひとつの政治」
以上の例は、住居が市場で取引されている(=商品である)ということを前提としています。
しかし、すべての社会で住居が商品として扱われているわけではありません。
市場が整備されておらず実質的に持ち家しか存在しない「未商品化」の状態の社会もあれば、市場で住宅を入手できない人のために、政府が市場の外部で公営住宅や社会住宅などを分配する「脱商品化」を実行する社会もあります。
祐成先生は、住宅の脱商品化の多様な側面に注目しながら議論を展開していきます。
先に述べた公営住宅のように、脱商品化には市場における購買力ではなく人々の必要度に応じて住宅を分配するというものがあります。
これは、市民の社会権の保障を目的とした脱商品化です。
これとは別に、重要な脱商品化の動きとして先生が指摘するのは、人々による「自作化」です。
「DIY」といった言葉に代表されるように、商品やサービスを市場で購入するのではなく、自分たちでそれらを作ってしまおうという動きです。
ここには、社会や経済が不安定化していくなかでどのように生き抜いていくか、という人々の切実な問題があると祐成先生は指摘します。
イギリスの社会学者レイ・パールは、『分業論(Divisions of Labour)』という本の中で、現代社会における人々の自作化について研究しました。
そこで見出されたのは、”home-centered way of living” と呼ばれる、自分の拠点である住居や町を中心として生活を行うライフスタイルです。
雇用の不安定化や福祉の削減など、従来のような完全雇用や十分な福祉政策に頼ることができなくなった人々にとって、雇われて賃金を受け取り、政府から福祉を享受するというこれまでのやり方は通用しなくなりました。
そうした局面では「狭い意味での働き方」よりも、「どこに住むか」そして「いかに住むか」という「住むということ」が重大な関心事となります。
さらに、パールが指摘していく自作化への促進要因のなかで、祐成先生が特に重視するものがあります。
それが、「自作による楽しみや充実感」、そして「自分の見渡せる範囲をコントロールしたいという願望」です。
不安定な世界で、自分が関与できる範囲に自分の能力を使い、自分にとっての価値を表現できるような世界を制作していくことです。
パールは、こうした住居や私生活への向き合い方は投票行動や社会運動などのいわゆる「フォーマルな政治」とは異なるものの、住居に向き合うことによって自分の人生や社会との関わり方を調整するような「もうひとつの政治」ではないかと主張します。
実際、持ち家は失業や収入減に対する保険としても機能するため、住居を管理することが貧困の回避に直結するという意味で、それは切実な問題意識に基づいてもいるのです。
「ルーフ」と「ルーツ」
以上のような住居に対する感覚は、現代の日本ではどれほど共有されているでしょうか。
パールが研究していた20世紀後半のイギリスほど明確な形ではないかもしれませんが、従来のような、職業と住居をはっきりと区別した上で、雇用と福祉がいつまでも続くような生活のビジョンは、今の日本ではどれほど信じられるでしょうか。
祐成先生は、「住むこと」の意味を「ルーフ」と「ルーツ」というふたつの言葉にまとめました。
「ルーフ(roof)」とは屋根のことで、環境に境界を引き、緊張を解いて睡眠や休息をとることのできる、守られた空間という側面です。
社会のなかで能動的にふるまうことへの期待から解放される、受動的な私たちのあり方が強調されています。
一方、「ルーツ(roots)」とは根のことで、しっかりと根をおろすことのできる空間という側面です。
家に守られながら、その内部で自分を見つめ直したり、新しい家のかたちを作り出したりなど、社会的役割とは異なる能動性や、創造性のある私たちのあり方が強調されています。
このように、「住む」こととは、その外部の社会からの激しい影響を意識しながら、その上で安らぎを得たり、新たな意味を創り出していくことなのです。
家での何気ない行為が、私を取り巻く様々なものとの相互関係にあるということを考えてみると、些細な日常も変わって見えてくるのではないでしょうか。
朝日講座
こちらの講座は、朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2018年度講義 「「居場所」の未来」で行われました。
第一回である今回の講座から始まり、さまざまな分野を横断して「居場所」について考察する一連の講義は、すべてこちらで公開されていますので、ご興味があればぜひご覧ください。
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「居場所」の未来(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2018年度講義) 第1回 退却の作法 祐成保志先生
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