2026/05/07
幸せって何でしょう?大切な人と過ごす時間、平和な暮らし、好きなものを手に入れること…様々な視点から「幸せ」を語ることができます。
実は、日本国憲法にも「幸せ」について書かれています。第13条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。つまり、私たちが幸せを追い求めることはとても大切であるとされているのです。
今日は、この「幸福」について憲法学の視点から考えてみましょう。
ご紹介するのは、2012年度開講の朝日講座「知と幸福」から、第3回「憲法学における幸福」という授業です。講師は、東京大学名誉教授で憲法学を専門とする長谷部恭男(はせべやすお)先生です。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
憲法には、衆議院と参議院の仕組みのように、ルールを作っているという側面があります。これは、憲法に書いてある大切な決まりとして機能しています。
一方で、「幸福の追求をする権利」はどうでしょうか?これは、憲法がそう定めているから大事なのではありません。もともと大切なことだからこそ、憲法が改めてそれを確認しているのです。
「幸せ」は測れるの?
ここで、功利主義の哲学者であるジェレミー・ベンサムが登場します。彼はイギリス出身のユダヤ人で、法律家の父のもとで子供の頃から勉強していました。ベンサムは、幸福(happiness)とは、「快楽(pleasure)ー 苦痛(pain)」であると考えました。例えば、「アイスクリームがおいしい(快楽)」ー(「お金がかかる」+「太る」(苦痛))のようにプラスとマイナスを計算するのです。このようにして、個々の幸せを最大化することで、社会全体の幸福を最大にすればいいという「最大幸福化原理」というものを唱えました。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
さらにベンサムは、この「最大幸福化原理」こそが正義や道徳の唯一の基準であり、それに即して全ての物事の是非を判断することができると考えました。個人が「幸福の最大化」という判断基準を前提として、より快楽が多く、苦痛が少なくなるように行動することによって、社会全体の幸福が増大すると言うのです。
しかし、ここで疑問が生じます。「社会全体の幸福」というものをどうやって計算するのでしょうか?また、社会の幸せを最大化する際に生じる犠牲についてはどう考えたらいいのでしょうか?
そもそも「社会全体が幸せである」とはいったいどういうことなのでしょうか。「幸福の追求」の大切さは納得することができます。ただ、これが社会の正義や道徳の唯一の基準となるかどうかは、慎重に検討する必要がありそうです。
「やりたい」という気持ちは理由になる?
では、そもそも人はどのように行動を選んでいるのでしょうか?
私たちは、やりたいこと、やりたくないこと、好きなもの、あまり好きでないものがそれぞれあります。ベンサムのように「幸福=快楽ー苦痛」であるとすると、自分が「〜したい」と思っているということが、それをする理由になるのでしょうか?
例えば「アイスクリームを食べたい」と感じたとき、「お腹が空いてる」「暑い」などいろんな理由があります。では、「食べたいと思っていること」そのものは、行動の理由になるのでしょうか。
実は、「〜したい」という気持ちは、そのままでは「そうするべきである理由」にはならないと考えられます。人の行動には様々な理由(reason)が関わっていますが、そこには「やりたい」気持ちもまた複雑に絡み合っているのです。
これは、アイスクリームを食べるかどうかという選択にとどまらず、進路選択のような重大な決断についても同様です。人は理由に基づいて行動を正当化しますが、最終的には自分の意思で、自分がどういう人間なのか決めていくということになるのです。
憲法って、法って何?
長谷部先生は、法は「権威(authority)」であると言います。例えば交通ルールのように、共通の決まりがあることで秩序が生まれ事故が少なくなります。
「人のものを盗んだら10年以下の懲役」のように、一般的な形で法が定めていることは重要ですが、しかし個別の出来事に対しては齟齬が生じることもあります。そのようなときは憲法を持ち出すことができます。その法律の適用が憲法違反だということを裁判所が持ち出してくることがあるのです。
例えば「政府を批判するビラを禁止する」という法律があるとします。それに対して、「表現の自由を侵害する憲法違反なのでは」というように反論する根拠となるのです。
立憲主義って何?
憲法学は、17世紀ヨーロッパの宗教戦争が大きなきっかけとなって生まれた学問です。どの宗教をどのように信仰するかということは、人生や世界といった価値観に関わる大問題であり、何が正しいか決着がつかないような大論争が生じたのです。
その解決策として、価値観が違っても、一緒に社会生活を送れるようなルールを作るという方向に向かっていったのです。グロチウスやホッブスの自然権では、「みんな自分の命が大事であり、だからこそ生命、身体、財産は侵害しない」というような社会の根本的ルールを作っていきました。
近代立憲主義はこのようにして生まれたのです。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
改めて、幸せってなんだろう?
長谷部先生は、幸福とは何かは「各自が考えるもの」だと言います。
宗教戦争の原因となった「単一の価値観の崩壊」という状況は、近代社会の前提でした。私たちは価値観が多様な社会において、例えば消費税率や福祉水準といったような、生活に密接した国政上の選択を考えていくことが求められているのです。それは、有権者としてどの政策を選択するかという政治参加にもつながります。
私たちは、多様な価値観が共存する社会の中で生きています。その中で何を選び、どのように生きるのか、みなさんも動画を見て、「幸せ」について考えてみませんか。
<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:知と幸福(2012年度 朝日講座)第3回「憲法学における幸福」長谷部恭男先生
実は、日本国憲法にも「幸せ」について書かれています。第13条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。つまり、私たちが幸せを追い求めることはとても大切であるとされているのです。
今日は、この「幸福」について憲法学の視点から考えてみましょう。
ご紹介するのは、2012年度開講の朝日講座「知と幸福」から、第3回「憲法学における幸福」という授業です。講師は、東京大学名誉教授で憲法学を専門とする長谷部恭男(はせべやすお)先生です。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
憲法には、衆議院と参議院の仕組みのように、ルールを作っているという側面があります。これは、憲法に書いてある大切な決まりとして機能しています。
一方で、「幸福の追求をする権利」はどうでしょうか?これは、憲法がそう定めているから大事なのではありません。もともと大切なことだからこそ、憲法が改めてそれを確認しているのです。
「幸せ」は測れるの?
ここで、功利主義の哲学者であるジェレミー・ベンサムが登場します。彼はイギリス出身のユダヤ人で、法律家の父のもとで子供の頃から勉強していました。ベンサムは、幸福(happiness)とは、「快楽(pleasure)ー 苦痛(pain)」であると考えました。例えば、「アイスクリームがおいしい(快楽)」ー(「お金がかかる」+「太る」(苦痛))のようにプラスとマイナスを計算するのです。このようにして、個々の幸せを最大化することで、社会全体の幸福を最大にすればいいという「最大幸福化原理」というものを唱えました。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
さらにベンサムは、この「最大幸福化原理」こそが正義や道徳の唯一の基準であり、それに即して全ての物事の是非を判断することができると考えました。個人が「幸福の最大化」という判断基準を前提として、より快楽が多く、苦痛が少なくなるように行動することによって、社会全体の幸福が増大すると言うのです。
しかし、ここで疑問が生じます。「社会全体の幸福」というものをどうやって計算するのでしょうか?また、社会の幸せを最大化する際に生じる犠牲についてはどう考えたらいいのでしょうか?
そもそも「社会全体が幸せである」とはいったいどういうことなのでしょうか。「幸福の追求」の大切さは納得することができます。ただ、これが社会の正義や道徳の唯一の基準となるかどうかは、慎重に検討する必要がありそうです。
「やりたい」という気持ちは理由になる?
では、そもそも人はどのように行動を選んでいるのでしょうか?
私たちは、やりたいこと、やりたくないこと、好きなもの、あまり好きでないものがそれぞれあります。ベンサムのように「幸福=快楽ー苦痛」であるとすると、自分が「〜したい」と思っているということが、それをする理由になるのでしょうか?
例えば「アイスクリームを食べたい」と感じたとき、「お腹が空いてる」「暑い」などいろんな理由があります。では、「食べたいと思っていること」そのものは、行動の理由になるのでしょうか。
実は、「〜したい」という気持ちは、そのままでは「そうするべきである理由」にはならないと考えられます。人の行動には様々な理由(reason)が関わっていますが、そこには「やりたい」気持ちもまた複雑に絡み合っているのです。
これは、アイスクリームを食べるかどうかという選択にとどまらず、進路選択のような重大な決断についても同様です。人は理由に基づいて行動を正当化しますが、最終的には自分の意思で、自分がどういう人間なのか決めていくということになるのです。
憲法って、法って何?
長谷部先生は、法は「権威(authority)」であると言います。例えば交通ルールのように、共通の決まりがあることで秩序が生まれ事故が少なくなります。
「人のものを盗んだら10年以下の懲役」のように、一般的な形で法が定めていることは重要ですが、しかし個別の出来事に対しては齟齬が生じることもあります。そのようなときは憲法を持ち出すことができます。その法律の適用が憲法違反だということを裁判所が持ち出してくることがあるのです。
例えば「政府を批判するビラを禁止する」という法律があるとします。それに対して、「表現の自由を侵害する憲法違反なのでは」というように反論する根拠となるのです。
立憲主義って何?
憲法学は、17世紀ヨーロッパの宗教戦争が大きなきっかけとなって生まれた学問です。どの宗教をどのように信仰するかということは、人生や世界といった価値観に関わる大問題であり、何が正しいか決着がつかないような大論争が生じたのです。
その解決策として、価値観が違っても、一緒に社会生活を送れるようなルールを作るという方向に向かっていったのです。グロチウスやホッブスの自然権では、「みんな自分の命が大事であり、だからこそ生命、身体、財産は侵害しない」というような社会の根本的ルールを作っていきました。
近代立憲主義はこのようにして生まれたのです。
東京大学 Todai OCW 朝日講座「知の冒険」Copyright 2012, 長谷部 恭男
改めて、幸せってなんだろう?
長谷部先生は、幸福とは何かは「各自が考えるもの」だと言います。
宗教戦争の原因となった「単一の価値観の崩壊」という状況は、近代社会の前提でした。私たちは価値観が多様な社会において、例えば消費税率や福祉水準といったような、生活に密接した国政上の選択を考えていくことが求められているのです。それは、有権者としてどの政策を選択するかという政治参加にもつながります。
私たちは、多様な価値観が共存する社会の中で生きています。その中で何を選び、どのように生きるのか、みなさんも動画を見て、「幸せ」について考えてみませんか。
<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:知と幸福(2012年度 朝日講座)第3回「憲法学における幸福」長谷部恭男先生