だいふくちゃん通信

2026/01/14
2026年一発目!ということで、毎年恒例(例年は年末ですが)となっている、だいふくちゃん通信のアクセス数ランキングをお届けします!
本記事では、ランキング記事前編として、過去1年間(2024年12月〜2025年11月)に公開された20本の記事(特別版を除く)の中から、特にアクセス数が多かったものをランキング形式でご紹介して、昨年のだいふくちゃん通信を振り返りたいと思います。
また、ランキング記事後編では、今まで公開された全記事を対象とした2025年のアクセス数ランキングと、担当者のおすすめ記事をご紹介します。
それでは早速第5位から見ていきましょう!
(集計期間:2024年12月1日〜2025年11月30日)
第5位 【農業の環境負荷とのジレンマ】人口爆発に対応する食糧の増産方法とは(「栄養の循環と社会」藤原徹先生)
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1379/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku25_2015a_gfk_fujiwara/ 
産業革命以降、世界人口の急速な増加に直面する中で、食糧の増産は常に避けて通れない課題の一つであり続けてきました。こちらの記事で紹介している講義では、植物栄養学や肥料学という観点で、これらの学問が食糧の増産をどのように支えてきたのかを、たくさんの写真や図を交えながら説明しています。また、記事・講義では化学肥料がもたらす環境負荷についても触れています。関係がない人はいないといえる「食」に関する問題。年末年始はたくさんのごちそうを食べたでしょうから、改めて食の問題に向き合ういいタイミングかもしれません。
第4位 私たちの言葉に潜むバイアスとは?—言語と社会の関係を見つめ直す(「言語とジェンダー」伊藤たかね先生)
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2332/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku25_2022a_gender_itou/ 
記事冒頭の問いかけに、私は案の定、無意識のうちに”his”を選んでしまいました。私たちが日々使う言語に、ジェンダーやマイノリティなどに対するバイアスがどれだけ反映されているのかを学ぶことができるこちらの記事。言語という定性的な側面が強いテーマについて、ただ定性的に議論するのではなく、定量的・客観的に議論するための具体的な実験なども紹介しながら講義が展開されます。そのため、抽象的な話題が苦手!という(私のような)方にもおすすめです。
第3位 あなたの世界史観はどこから来た?歴史の多様な解釈を考える(「世界の世界史」羽田正先生)
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1080/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku25_2012_gfk_haneda/ 
「歴史は暗記の教科?」「そもそもなんで歴史を学ぶの?」などと思ったことがある人は、少なくないかもしれません。日本における世界史といえば、各地域でいつ頃どんな出来事が起きたかについて学ぶイメージが強いです。しかし、それは日本だけなのかもしれません。記事・講義では、フランス、イラン、中国など、世界で学ばれている「世界史」について紹介しながら、歴史とは何か、なぜ歴史を学ぶのか、といった疑問について受講者と考えていきます。学校で今まさに歴史を学んでいる中高生はもちろん、大人になった私たちにも重要な示唆を与えてくれるこちらの記事が第3位になりました。
第2位 【マイケル・サンデルと自由主義】これからの「正義」と「善」の話をしよう(「法と道徳:同性愛を題材として」児玉聡先生)
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_923/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku25_2011_gfk_kodama/ 
マイケル・サンデル、あるいは世界中でベストセラーとなった著書の『これからの「正義」の話をしよう』と言えば、多くの人が一度は耳や目にしたことがあるのではないでしょうか?こちらの記事・講義では、そんなサンデルのリベラリズム批判を中心に話が展開されます。そもそもリベラリズムとは何なのか?法や道徳はどのようなものとされてきたのか?一見抽象的なテーマですが、具体的な例も交えながら説明されており、哲学・倫理学の入口としても楽しむことができます。2011年開講と14年も前の講義を再発掘したこちらの記事が、第2位となりました。
第1位 中国に今も息づく!?「中華」と「正統」の政治思想史(『「中華」の世界観と「正統」の歴史』杉山清彦先生)
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1087/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku25_2012a_gfk_sugiyama/ 
「中華主義」とか「中華思想」とかよく聞きますけど、皆さんはどのようなイメージをお持ちですか。この記事、そして紹介している講義は、このような問いかけから始まります。日本と関係性が強く、連日メディア等で話題になる中国に根付いている思想はどのようなものなのでしょうか?どのような思想が、どのような経緯で発生し、今に続いているのか。それを理解する、あるいは理解しようとするだけでも、他者を理解する第一歩になるかもしれません。時代を問わず関心を集めるトピックであることに加え、最近の時事性も相まって、こちらの記事が2025年に公開されただいふくちゃん通信で、最多アクセスとなりました。既に読んでいただいた方も今だからこそ、再度読み直してみてはいかがでしょうか。
記事の執筆者(MSさん)から一言コメントをいただきました!
読んでくださった皆さん、スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。講義が行われた2012年から13年が経った現在、日中関係がまた不穏になっていて、「中華思想」はやっぱり今も中国に息づいているのかも知れないなぁ、と思わされます。2026年が皆さんにとってより良い年になることを願うばかりです。
2026年もだいふくちゃん通信をよろしくお願いいたします
だいふくちゃん通信では、引き続き、UTokyo OCWで公開している、東京大学の講義・講演をご紹介し、東大で行われている研究や学問の魅力を多くの人に知ってもらうための記事を公開していきます。ぜひ、2026年もお楽しみください!
また、東大TVの動画をご紹介している「ぴぴりのイチ推し!」でもランキング記事をお届けしています。こちらもご覧ください。
そして、後編の公開もお楽しみに!
【2025年ランキング記事はこちら】【だいふくちゃん通信】2025年アクセス数ランキング!(この記事)【ぴぴりのイチ推し!】2025年アクセス数ランキング!(1月23日頃公開予定)【だいふくちゃん通信】2025年アクセス数総合ランキング&おすすめ3選!(1月30日頃公開予定)【ぴぴりのイチ推し!】2025年アクセス数総合ランキング&おすすめ3選!(2月上旬公開予定)
【過去のランキング記事はこちら】2024年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング2024年ぴぴりのイチ推しアクセス数ランキング2023年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング2022年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/12/26
冬といえば気を付けなければならないのが火災。
2024年1月1日の能登半島地震に伴って発生した輪島市の大規模火災は、まだ皆さんの記憶にも新しいと思います。
また、筆者は今年(2025年)の夏に沖縄の首里城に行きました。こちらも2019年10月31日に大規模な火災が発生し、正殿の復元工事は来年秋にようやく完成します。夏に見学した際はまだ工事中でしたが、復元の過程や様子を見学できました。
さて、このような火災のたびに話題になるのが、木造建築です。
被害にあった輪島市の建物も木造のものが多く、首里城も木造です。
木材は日本の建築では古来から用いられてきましたが、木造建築はどうすれば火事を防げるのでしょうか?また、そもそも木造建築は本当に火事に弱いのでしょうか?
今回は、そんな木造建築の防火をテーマにした講義『歴史的木造建築の防火』をご紹介します。
講師は、ご自身も京都の伝統的な木造の町家で生まれ育った、安井昇先生です。木造建築の防火などについて研究をしながら、技術開発や、木造住宅の設計なども手がける安井先生。ご自身の経験や、たくさんの実験なども紹介しながらお話ししてくださいました。
木造建築は他の建築と何が違うのか?
まずは、木造建築の現状を確認します。
建築は多くの場合、建設当時の最先端の材料や技術で作られます。今となっては伝統的などと呼ばれる建築も、建設当時は最新の材料や技術が使われていたことでしょう。
戦後、日本の建築は鉄骨造、RC(鉄筋コンクリート)造が主です。
一方、ヨーロッパなどでは環境配慮はもちろん、工期短縮の観点からも、あえて木材を取り入れることも多くなっているそうです。また、特に大規模な建築物は木造が困難でしたが、近年はそれも可能になっています。
UTokyo Online Education 歴史的建築工学 2020 安井 昇
RC造や鉄骨造の台頭で一時は下火になった木造も進化していて、建物に必要な性能の中で木造が鉄筋造やRC造に勝てないのは、上下階方向の遮音性だけだと安井先生は言います。
UTokyo Online Education 歴史的建築工学 2020 安井 昇
「あれ、木造は火事に弱い(防耐火性が低い)んじゃないの?」と思われるかもしれませんが、近年の研究や最新の技術、そして昔からの工夫により、木造も防耐火性を高めることができるようになっています。
木造は火事に弱いのか?
木造家屋は一般的には火災に弱いとされ、実際、1950年の建築基準法制定時には、都市の不燃化のため、先述の通り木造からRC造が主流になりました。
しかし、技術進歩や実験などにより木造の防耐火性も認められるようになりました。そして制定後の改正で、耐火要件が材料などを規定するのではなく、性能(何時間火に耐えられるか、など)で規定されるようになっていき、木造の利用も促進されてきました。
UTokyo Online Education 歴史的建築工学 2020 安井 昇
※筆者注:講義開催から5年が経ち、さらに改正が重ねられ、木造、特に大規模な木造に関する規制が(前向きに)見直されています。
そもそも木造は、燃焼の速度が遅かったり、木を厚く・太くすることで燃焼の時間を遅らせたりといった利点もあります。
では木造が火災に弱いと言われるのはなぜなのでしょうか?
安井先生は、火災にあった建物の構造のデータを例に説明します。
木造の中でも、防火造・準耐火木造のものは、非木造の建築と比べて、延焼率や延焼件数にそこまで大きな差があるわけではありません。一方で、防火や耐火がなされていない木造(いわゆる昔の木造だと思えばよいそうです)は、延焼率や延焼件数が他と比べて圧倒的に多くなっています。
UTokyo Online Education 歴史的建築工学 2020 安井 昇
輪島の火災も延焼が問題となりましたが、他の家に燃え移る延焼が起きやすいのが、(対策が甘い)木造が火事に弱いとされる理由と言えるかもしれません。
では、どうしたら木造は火事に強くなるのでしょうか?
どうしたら木造が火事に強くなるの?
まず、伝統的な京町家で行われている工夫を紹介します。
京町家の建築の特徴の一つに、「袖うだつ」というものがあります。うだつとは元々小さい柱のようなものでしたが、やがて防火目的として袖うだつが発展していきます(「うだつが上がらない」のうだつです)。軒は木がむき出しで燃えやすいため、火事の際に軒を伝って隣の家に火が燃え移るのを防ぐために設けられました。
UTokyo Online Education 歴史的建築工学 2020 安井 昇
安井先生は講義の中で度々、「燃え抜けにくい」ことの重要性にも触れています。
詳しくは講義の随所で説明されているのでご覧いただければと思いますが、上の京町家では、隣家と隣接させて家の表側以外に窓を設けないことにより、内部で発生した火が燃え抜けにくいようにしています。
また、木材は外側が燃えると炭化して酸素の供給が遅くなり、燃焼が遅くなります。先にも触れたように、厚く・太くすることでも燃焼を遅らせることができます。こうした利点も活用されてきました。
さらに、火災をどこでコントロールするかも重要だと言います。そもそも出火を防ぐのか、内部の燃焼を防ぐのか、他の建物に燃え移らないようにするのか。
例えば、東大寺の大仏殿や首里城の正殿といった文化財は、文化財という性質上、材料や構造を劇的に改善するのは難しく、そもそも火を出さないことや、いかに早く消し止めるかが重要になります。
一方で、キッチンなどがある住宅では出火を完全に防ぐことはできません。なので、出火したときの影響を最小限にするよう工夫が必要です。
このように、建築の特徴などに応じて、どこで、どのように火災を防ぐかという設計が重要になります。
おわりに
講義では、実際に木材や木造建築を燃やす実験の動画や解説、また先に挙げた「燃え抜けにくい」ことの重要性がたっぷり説明されています。
また、質疑応答では、実験で杉が使われることが多いのはなぜか?木造密集地域の防火対策はどうする?といった興味深い説明もなされています。
盛りだくさんの講義をここで全て紹介することは難しいので、まだまだ物足りない!という方はぜひ講義をご覧ください!
だいふくちゃん通信・UTokyo OCWでは木造建築に関するその他の記事・動画も公開しているので、併せてお楽しみください!
【古民家っていいですよね】伝統的な木造建築と地震【対策を知って木造住宅の地震被害に備えよう!】
【木造建築の現代】時を超える木の温もり
歴史的建築工学(今回紹介した講義が行われたシリーズ)
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:歴史的建築工学 第4回 歴史的木造建築の防火 安井昇先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/12/12
かつて「教養ある人」といえば、膨大な知識を記憶している人のことを指しました。博覧強記――数多くの書物を読み、細部まで覚えていることに価値があるとされたのです。しかし、現代では、検索ひとつで必要な情報にたどりつくことができます。このような時代に、果たして「教養」とは何を意味するのでしょうか。
今回ご紹介するのは、2025年度開講「学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)」の第12回「古典の最終章を書く」です。本講義では、哲学者の中島隆博先生が、先ほどの問いを出発点として、生成AIが脚光を浴びる時代に、私たちは「教養」のあり方をどう考えていくべきかを解説します。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 中島 隆博
「考える」を考える
まずは、「考える」ということを考えてみましょう。皆さんは、ひとりで呻吟しながら、あーだこーだと思う姿をイメージするのではないでしょうか。
しかし、ある経済史の研究者は、そのような状態は「妄想にすぎない」と指摘します。確かに夜中に思いつくまま書きつけた言葉を後日読み返すと、整理されておらず、自分でも何を言いたかったのか掴めないことがあります。では「考える」と「妄想」を分けるものは何でしょうか。その研究者によれば、「考える」とは共同⾏為であり、妄想は⾃分だけの世界に閉じたものだというのです。
「考える」が共同⾏為であるとは意外に聞こえるでしょうか。哲学者のイメージには、ひとり孤独に思考することが付きまとっているからです。もちろん、「考える」ことが孤独の底で⾏われることは事実です。しかし、その孤独は決して孤⽴ではありません。それは友情のもとでの孤独なのです。
「ひとの頭で考える」ということを考えてみてください。これはかなり素朴な直観に頼った表現です。友⼈や家族あるいは先⽣と話をしている場⾯を思い返してみてください。話をしているなかで、当初は曖昧だったことが、くっきりと輪郭をとった概念になって、⾃分が思っていたのはこういうことだったのか、と得⼼がいくことがあるかと思います。三⼈寄れば⽂殊の知恵とも⾔いますが、複数のひとと喋ると、発⾒的に頭が働き、それ以前には⾒えてこなかったことが⾒えるようになることがあるのです。
インテグリティーとインティマシー
では、なぜこのような共同性が必要になるのでしょうか。中島先生は、それは人間が本来もつ根元的な社会性に由来すると説明します。
近代、とりわけ西欧近代では、他者から影響を受けない「自律した個人」という理想像が重視されてきました。哲学者トマス・カスリスは、そうした個人像を「インテグリティー(完全無欠性)」という概念で説明します。インテグリティーは、傷つかず、揺るがない、独立した存在としての個人を前提とします。19世紀は、特にインテグリティーが強調された時代です。そうすると、考えるということも、インテグラルな個人が考えた所有物、となります。
しかし、人と人が関わるとき、感情の問題、共感の問題を避けては通れないと思います。別の⾔い⽅をすれば、「インテグリティー」の後景には必ず「インティマシー」というあり⽅が存在すると言います。そこには、親密で、相互関与的で、傷つきやすい特徴を⾒出すこともできるのではないか、カスリスはこのように問いかけます。
さらに、講義では、ヒュームやドゥルーズ、中国の思想家・戴震(たいしん)といった議論を通じて、共感は他者との関わりの中でこそ生まれるものだからこそ、適切に手入れされることで、人間の社会性にもとづく道徳が形づくられると説明しています。
AIは親密な他者になりうるか?
ここで、話を共同⾏為としての「考える」に戻してみましょう。中島先生は、「考える」も共感のように、根元的な社会性の上にはじめて成⽴するものではないか、と言います。
講義では、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を禅の視点から読み解きながら、考えることによって「わたし」という存在そのものが変容しうる点に注目します。「考える」ことが変容すれば、「考える」エージェントである「わたし」もまた変容し得るのではないかということです。
禅における説法は、知識や情報の単なる伝達ではなく、⾃分の⼀部を分け与え共有する親密な知(インティマシーに⽀えられた知)です。古典の読者と古典、師と弟子といった他者との親密な関係があってこそ、「わたし」が変容するほどの、強烈な「考える」に晒されると言えます。
では、生成AIにおいて、いわゆる「壁打ち」で議論を⾏なうことは、「ひとの頭で考える」ことになり得るのでしょうか?そして、私たちはただ覚えることでは意味が薄くなってしまった古典や知識に対して、どのような関係を結び直せばよいのでしょうか?
講義内では、ここでは紹介しきれなかった考え方を中島先生が丁寧に解説しながら、この問いの答えを導いていきます。少しでも興味を持った方はぜひ講義動画をご覧ください!
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)  第12回 古典の最終章を書く 中島隆博先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/12/05
みなさんは普段どのようにニュースに触れていますか?SNSやネットニュースの普及で、新聞やテレビといったマスメディアをめぐる状況は大きく変化しています。新聞の購読者数が減る一方で、スマホで読める電子版へ移行する人も増えています。新聞の役割について、一緒に考えてみましょう。
今日は、長年朝日新聞社に務め、東京大学大学院客員教授として授業を担当されたこともある西村陽一先生の講義を紹介します。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2016 西村陽一
今回ご紹介するのは、2016年度開講の朝日講座「守るべきもの、変えるべきもの (知の調和―世界をみつめる 未来を創る)」から、「第10回 新聞の過去・現在・未来」。講師は西村陽一先生です。
西村先生は、メディアについて大きく二つの視点から講義をします。一つ目は、いつの時代にも変わらない、変えてはならないジャーナリズムの精神です。二つ目は、デジタル革命を乗り切るために進化しつつある、変えていかなければならないメディアの姿です。いつも変わらない普遍的な役割と常に更新されていくメディアの世界について、第一線で活躍されてきた西村先生と一緒に考えてみませんか。
昔も今も変わらないメディアの役割
①災害や事件、事故の報道
西村先生が朝日新聞社に入社したのは1981年のことです。当時は原稿用紙に鉛筆やボールペンを使って記事を書いていました。スマホはもちろんデジタルカメラもない時代です。現場で撮影した写真を、自分で現像していました。入社後に配属された長野支局で、衝撃的な事件を取材することになります。1985年8月、西村先生が入社5年目のとき、死傷者250人という悲惨な事故である日航機墜落事故が発生したのです。40人の記者が朝日新聞から現場に行きました。岸壁をよじ登り藪を分け入り山を登って現場に駆けつけました。現場にたどり着いた瞬間、女性と女の子が自衛隊の手で谷底から救出された瞬間を目撃します。ハンディ無線機で「生存者はいる!」と叫び、目に映るものを記録するためにありったけの状況を自分の声で吹き込みました。
また、2011年3月の東日本大震災発生時は、編集局長を務めていました。号外をだし、避難所にいる人たちにも情報を届けました。避難所で孤立状態にあった人たちが、携帯の明かりを頼りに新聞を読んで情報を得ていました。Twitter(現X)上に大量の情報が氾濫する中で、記者自身もTwitterを見て、事実の確認をとりながら素早く必要な情報を発信していくという姿勢がとられました。
このように、事件や事故の発生に素早く対応し駆けつけ、現場で起きていることを伝えるというのは、昔も今も変わらない重要なジャーナリズムの役割の一つです。
②調査報道
また、調査報道もメディアの重要な役割です。調査報道とは、特定の話題や出来事を継続的に調査・取材することで、社会に潜む構造的な腐敗や放っておいたら公開されないような事実を掘り起こすというものです。新聞社にとって、読者の共感や信頼を得ることは重要であり、いかに調査報道を展開できるかはその重要な鍵の一つだと言います。
リクルート事件やパナマ文書といった社会を揺るがすスキャンダルについて明らかにしたのは、メディアによる調査報道でした。しかし講義当時からすでに、アメリカの新聞社では経営悪化が深刻化し、コストのかかる調査報道チームの解散が相次いでいました。この状況に危機感を持った富豪や財団が資金を拠出して非営利の報道機関が次々と誕生し、そこに人材が流れ込むという現象が起きていたと言います。
報道をめぐるパワーシフト
ここまで、いつの時代も変わらないジャーナリズムの役割として事件や事故のニュース報道、社会の問題を掘り下げる調査報道について見てきました。この基本的な役割を踏まえて西村先生は、現代社会においてジャーナリズムをめぐる状況が大きく変化していることを指摘します。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2016 西村陽一
ジャーナリストが「私を信じてくれ(trust me)」と読者や視聴者に対してリーダーシップをとるという関係性から、読者や視聴者が「私に見せてみろ(show me)」とニュースを品定めするというように力関係の構図が逆転したのです。ジャーナリズムは長きに渡り情報に対して絶対的な力を持ってきましたが、デジタル時代になり、ニュースの消費者や市民へと力が移っていきました。
その象徴となった出来事に、『ハドソン川の奇跡』という映画にもなった有名な事故があります。2009年、アメリカの旅客機が水面に不時着した事件です。事件発生時に、たまたま現場近くにいた人がiPhoneで撮影した一枚の写真をSNSに投稿し、その写真がニューヨークタイムズに転載され世界中にニュースを伝えたのです。今となってはこのようにスマホで撮影された写真がSNSを通してニュースを伝えるというのは当たり前のことです。デバイスの普及と発信の場の整備により、誰もが発信者になれる時代となったのです。それによって現場に駆けつけてニュースを伝えるという記者の特権性が弱まりました。
ジャーナリズムによるコミュニティの支援
報道をめぐるパワーバランスの変化の中で、ジャーナリズムはどのような役割を果たしていくことができるのでしょうか。西村先生は一例として、コミュニティの支援を挙げます。Facebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグは、社会にすでに存在するコミュニティを支援することの重要性を強調しました。報道機関がコミュニティのまとめ役としての役割をひきうけ、知識の体系化を助けることが求められているのです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2016 西村陽一
メディアを取り巻く環境が変化する中で、人々の声に耳を傾け、何が求められているのかを知り、時代によって変化していくニーズに対応していくことは、災害や事件のニュース報道、調査報道に加えて大切なジャーナリズムの仕事なのです。
これからのジャーナリズムのあり方
西村先生はさらに、デジタル時代におけるメディアの新しい発信方法について検討していきます。みんながデバイスを持ち、気軽に情報を共有できる時代において、メディアはどのような可能性を模索していくことができるのでしょうか。
続きはぜひ講義動画にてご覧ください。
<文/下崎日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:守るべきもの、変えるべきもの(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2016年度講義) 第10回 新聞の過去・現在・未来 西村陽一先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/11/14
皆さんは「サステナビリティ」という言葉をどのような意味で使っていますか?
地球にやさしく持続可能な未来——そのようなイメージを持って使っているのではないでしょうか。
しかし、「サステナビリティ」はそのように簡単に定義できる言葉なのでしょうか?
そもそも、私たちはサステナビリティという言葉を使って、何を持続させようとしているのでしょうか?地球を持続させたいのだとしたら、その地球とは具体的にどのような地球でしょうか?
持続させるべきなのは、誰にとって都合のいい地球環境なのでしょうか?
このように考え始めると、私たちが素朴に使っている「サステナビリティ」という概念の奥深さに気づきます。
今回は、このようなサステナビリティの奥深さに「藻」という視点から迫る講義「藻と人間:惑星サルベージとテラフォーミングの倫理」をご紹介します。講師は福永真弓先生です。
「惑星サルベージ」と「テラフォーミング」とは?
The University of Tokyo 学術フロンティア講義 2024 福永 真弓
気候危機のなかで、私たちは、地球と人間の関係について改めて考え直す必要に駆られています。福永先生は、地球と人間の関係について、「惑星サルベージ」「テラフォーミング」という二つの概念から考えていきます。まず、惑星サルベージとは、人間が安全に生活できるシステムとしての「宇宙船地球号」を再生・維持することを指します。つまり、環境の変化に対して、現在私たちが地球だと思っているその環境をサルベージ=救出するということです。一方、テラフォーミングとは、「地球」に似た生物圏を、環境改変することで新たに作り出す試みのことを指します。例えば、地球への環境負荷を避けるために宇宙空間に擬似的な地球環境を作り出すという試みは、テラフォーミングの一種です。
なんだかSFのような話だと思われるかもしれませんが、福永先生は、まさにSFのような想像力こそが、地球と人間の関係を考えていく上で重要なのだと指摘します。
私たちが惑星サルベージやテラフォーミングで新たな世界を作り出そうとしていくとき、その新たな世界とこれまでの世界の繋がりをどのように保てばいいのでしょうか?人類はこれまでもこれからも、テクノロジーを用いて「自然」をデザインしてきました。人類は、「自然」をデザインしてきた中で、何を廃棄し、何を失いたくないと考えてきたのでしょうか?福永先生は、「自然」のデザインにおいて何を取捨選択するべきかという想像力が、惑星サルベージやテラフォーミングを行う上で重要になってくると指摘します。このように、テクノロジーと共に私たちがどのように社会や地球と向き合い、どうデザインしていくべきなのかを構想する力のことを、福永先生は「社会技術的想像力」と呼んで重視します。
「藻」の重要性
The University of Tokyo 学術フロンティア講義 2024 福永 真弓
福永先生は、このような地球環境の変化とそれに対する人間のテクノロジカルな適応において、「藻」が重要な役割を果たすことを説明します。
この地球において、最初のテラフォーマーは「藻」でした。藻による光合成の活動によって、我々は酸素を吸って生きていけるようになったのです。
そもそも、私たちが現在「空気」や「水」だと思っているものの構成は、人類以前の遥かな歴史のなかで成立してきたものです。また、科学やテクノロジーの進歩によって、空気や水は化学的な要素として理解されるようになり、人間がエンジニアリングする対象へと変化してきました。
水や空気を浄化する能力を持つ藻類は、その二つのエンジニアリングを結合するものです。
空気を育て、水圏を整える藻類は、テラフォーミングの基盤となるような存在です。また、藻類は大きさや種類が多様で、資本やエネルギーの投入が少なくても生育するため、人間が利用しやすい存在でもあります。藻類は、生命圏を作る・作り直すという「惑星サルベージ」と「テラフォーミング」の両方の場所にあるのです。
惑星倫理の問い
福永先生によれば、私たちがそれに向けてエンジニアリングする「理想の自然」とは、あくまで現在の人間にとって都合のいい環境です。
福永先生は、「自然」をデザインする上での人間と自然の緊張関係について想像力を働かせることが重要だと指摘します。私たちは、テクノロジーを用いて、自然を私たちの理想の姿に近づけていくことができます。しかし、そのような「理想の自然」はあくまで人間にとっての理想でしかありません。自然は、人間以外の多様な生命体と共にあるものです。そして、それらの生き物たちは人間とは異なるロジックで生きています。「自然」のデザインでは、人間中心的で合理的な改良に囚われるのではなく、他者としての生きものたちの力を想像することが重要になるのです。また、同じ人間でも、社会のなかでどのような役割を果たしているかによって、その人の「理想の自然」は異なります。福永先生は、そのような複数の「自然」の間の緊張関係について、社会技術的想像力を働かせながら思考することが重要だと考えます。どのように自然をデザインするかという問題は、私たちがどのような人間でありたいのかという問題に繋がるものだからです。
The University of Tokyo 学術フロンティア講義 2024 福永 真弓
最後に、福永先生は、私たちと、人間以外の多様な生き物を含めた地球環境との関係をどのように考えていくかについて思考する惑星倫理が、「自然」をデザインする上で重要であると指摘します。
福永先生は惑星倫理の開かれた問いとして三つの問いを提起します。
一つ目は、「地球」という惑星を支える意味、社会文化的な連続性とはなにか?という問い。そもそもどうして地球を支えなければならないのでしょうか、そして、私たちが介入していく未来の地球と今の地球の繋がりをどう保てばいいのでしょうか?
二つ目は、意味と価値を再びつけていくにはどうすればよいか?という問い。単なる操作対象としての水や空気ではなく、それらが意味と価値を持ち続けるためにはどうすればいいのでしょう?
三つ目は、適応していくための介入の質・程度をどのように考えるのか?という問い。人類が生存していくための環境への介入は、どれほどまで許されるものなのでしょうか?
私たちがSDGsなどの文脈でよく耳にする「サステナビリティ」という言葉。その言葉の内実を曖昧なままにせずに追究した結果、惑星倫理の深い世界が見えてきました。福永先生と一緒に、惑星倫理の問いと真剣に向き合ってみませんか?
<文/K.S.(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義 (30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える) 第7回 藻と人間:惑星サルベージとテラフォーミングの倫理 福永真弓先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/10/28
人は死者とどのようにつながっているのか。そのつながりから、私たちは何を見出すことができるのか。宗教学を専門とし、近年は「死生学」の研究に深く携わる池澤優先生は、講義の冒頭でこのような問いを提示します。
今回ご紹介するのは、2019年度開講の朝日講座『「つながり」から読み解く人と世界』より、『未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から―』という講義です。
ここで言う「死者」とは、宗教的な意味での霊魂ではありません。生きている私たちが、亡くなった人々との関係をどのように感じ、どのように記憶し、それが私たちの生にどんな意味をもたらすのか。その営みを学問的な観点から紐解いていきます。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
死生学とはどんな学問か
死生学は英語で「サナトロジー(thanatology)」と呼ばれます。語源は古代ギリシアの死の神「タナトス(Thanatos)」に由来します。
死生学が学問として始まったのは1959年。心理学者ヘルマン・フェイフェルの論文『死の意味するもの』を契機に、1960〜70年代にかけて死や死別をテーマとした研究が盛んになり、学問領域が確立されました。
当初の研究は「死の恐怖」と「不安」を主題にしていましたが、現代の死生学では「死別」や「死者と生者の関係」へと視野を広げています。
「二重過程モデル」と死者とのつながり
現代の死生学では、死をめぐる体験は単に「悲しみを乗り越える」直線的な過程ではないとされています。人は喪失の痛みと、日常生活への回復を行き来しながら、少しずつ新たな意味を見いだしていきます。
このような「死別の悲嘆」のプロセスを説明するのが、心理学者ロバート・ニーマイヤーによる「二重過程モデル(DPM)」です。死別を経験した人は、悲しみ(喪失志向)と前向きな生活(回復志向)の間を揺れ動きながら、自分なりの新しい物語(ナラティヴ)を作り上げていく。
この理論では、亡くなった人の存在は、悲しみを癒すだけでなく、新たな人生の意味を形づくる中核、「象徴的きずな」として機能します。
悲嘆とは、喪失と回復の間を行き来する「揺らぎ」であり、人を成長させる可能性を持つ過程でもあります。池澤先生はこの理論をもとに、阪神・淡路大震災の被災者の語りを紹介し、死者の記憶を保つことがどのように悲嘆を超える力となるかを説明しています。
ロバート・リフトンの「死者との一体化」
では、なぜ私たちは死者とのつながりを必要とするのでしょうか。この問いを考えるために、心理学者ロバート・リフトンの理論を見ていきましょう。
リフトンは、戦争や災害を生き延びた人々の心理を研究しました。とくに『ヒロシマを生き抜く(Death in Life)』では、被爆者への聞き取り調査を通して「生存者の心理」を明らかにしています。
原爆という未曾有の出来事の中で、人々は日常の秩序や道徳を失い、心を閉ざすことでしか自分を守れませんでした。この「心理的締め出し」は自己防衛の一種ですが、その後には「感じるべきことを感じなかった」ことへの後ろめたさ、つまり羞恥心が残ります。
「なぜ自分が生き残って、あの人が死んだのか」という答えのない問い。その問いの前で、人は「自分が生き残ったことを正当化しなければならない」という思いを抱きます。
リフトンはこのような生存者の心理を「死者との一体化」と呼びました。死者こそが純粋であり生き残った自分を「不純」と感じながらも、死者に向かおうとする生き方です。精神的麻痺の状態と、死者とつながっていたいという指向性の両方があると言えるのです。
リフトンは、現代では他者を思う感覚が薄れ、この一体化の傾向が弱まっていると警鐘を鳴らしました。だからこそ、死者とのつながりを意識することが重要になっています。
死者の記憶が生きる意味をつくる
池澤先生は、私たちが死者とのつながりを保とうとするのは、人が他者との関係の中で生きているという根源的な事実に基づくものだと言います。
そもそも私たちが自分の生を意味づける価値観は、無から生まれるものではなく、親しい他者との交流の中で育まれるものです。
そして、私たちが関係を持つ多くの他者は、自分よりも先に亡くなります。亡くなった人は、生きている人の記憶の中で「こういう人だった」という物語として残り、その物語の中には「今どう生きるか」「未来をどうありたいか」という理念や理想が含まれています。
たとえば、原爆で亡くなった人々の記憶には、平和への理念が刻まれています。その理念が未来に生かされるならば、その死は単なる犠牲ではなくなります。
死者の記憶に込められた理念を生きることは、他者の死を無意味なものにしない行為であり、同時に自分自身の死をも無意味にしない行為です。もし死者が自分にとって意味を持たないなら、自分もまた未来にとって意味を持たないことになります。
過去の死者とつながる現在と、未来を見つめる理念は、同じ流れの二つの側面で、過去の記憶の中には自ずと価値観が含まれていて、それによって私たちは現在の生を見いだし、未来への行動を起こすのだと池澤先生は語ります。
まとめ
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
池澤先生の講義は、死者を単に「過去の存在」としてではなく、私たちの生を支え、未来を拓く存在として捉えます。死者の記憶には、未来への理念が宿っています。その理念を生きることは、私たち自身の生を意味あるものとし、人類がどのような未来を築くべきかという根源的な問いへとつながっていくのです。
さらに詳しく学びを深めたい方はぜひ講義動画をご覧ください。
また、UTokyo OCWでは死生学に関連した他の講義シリーズの動画も配信しています。こちらもぜひご覧ください。死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 第4回 未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から― 池澤優先生
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2025/09/22
今や私たちにとって身近なものとなった生成AI。ChatGPTのことを「チャッピー」と呼んで愛用しているという人も多いのではないのでしょうか。
わからないことがあったとき、文章を書きたいとき、誰かに相談したいことがあるとき、今では気軽にAIを利用することができます。早く解決策が知りたい、楽をしたい、理解や共感が欲しい、といった欲望を瞬時に満たしてくれるAIですが、AIを使って「効率化」することは良いことばかりなのでしょうか。
この問いに対して、脳科学を専門とする酒井邦嘉(さかいくによし)先生は、AIを使うことはすなわち「脳を使わず楽をすること」だと警告します。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 酒井 邦嘉
今回ご紹介するのは、2025年度開講の学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)から、「第5回 脳を変える教養、AIに変えさせない教養」。講師は酒井邦嘉先生です。
「対話型」ではなく「対話風」AI
酒井先生は、AIの使用に伴う懸念点を三つあげます。
一つ目は、自分で考える前にAIに頼り、迅速に答えを得られることによって、思考力や創造力が低下してしまうということです。
二つ目は、AIに「欲しい言葉」を言わせることによって、自己肯定感が過剰に増幅する可能性があるということです。例えば、AIとの対話上で人の悪口を言ったり、片思いの人との妄想を膨らませたりすることができます。
三つ目は、文章の書き手と読み手の間の信頼関係が損なわれてしまうということです。学生が提出したレポートがAIによって書かれたものなのか生徒が書いたものなのか、両者の共同でできたものなのか判断することは時に難しいことがあると言います。
これらの懸念点に対する解決策として酒井先生は、「AIを適切に規制し、読書を取り戻すことが必要だ」と強調します。
なぜAIを規制する必要があるのでしょうか。その理由は、「人間の脳についてまだ研究で明らかになっていないから」です。現在、人間が生まれつき持っている言語能力については、言語学や脳科学の分野で解明が進んでいます。しかし、経験を通して身につけていく「経験知」については、まだ科学的に解明されていないと言います。それにもかかわらずAIをデザインしようとするのは乱暴な行為になりかねないのです。
「普遍文法」を通して世界を解釈する
ここからは、脳の構造に焦点を当てて見ていきましょう。
「普遍文法」は、アメリカの科学者ノーム・チョムスキーが提唱した言語機能です。誰もが生まれつき持っていて、言葉を扱うために必要な言語の秩序であるということができます。この普遍文法が、脳の中に入ってくる情報を分析し、新しい組み合わせを合成し出力するという「生成」のプロセスの素となっています。
普遍文法は科学的に解明されておらず謎に満ちたものであるため、現時点でのAIは人間が脳で行っている「生成」の機能を搭載しているということはできません。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 酒井 邦嘉
私たちはそれぞれ異なる普遍文法を持っているため、同じ情報に触れた時でも全く同じように理解するということはできないのです。どんなに気が合う友人とも持っている脳は異なります。全く別の脳のフィルターを通して物事を理解し記憶するからこそ、会話をして解釈をすり合わせ、お互いの考えを理解しようと努めるプロセスが必要になるのです。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 酒井 邦嘉
ここで重要になるのが文学です。たった一つの正解があるわけでもなく、作者が何を意図したのか、他の読者はどのように解釈するのか、「想像」する必要があります。それを踏まえて、自分なりの解釈を「創造」し、それを話したり書いたりして他者と共有することができるのです。
教養とは:後付けの知識ではなく生まれ持っているもの
さて、次に酒井先生は「教養」について話を発展させます。教養とは、知識を学び吸収することではなく、もともと持っているものの方向性をどう変えるかということだと言います。どういうことでしょうか。
ギリシャ哲学において、プラトンがソクラテスと若者メノンとの対話を記した文章の中に、「ものを知らない人の中には、その人が知らないその当のことがらに関する、正しい考えが内在しているのである」という言葉があります。つまり、教養とは、新たに知識を学び身につけるというものではなく、もともと生まれ持っているものを呼び起こすということだと言うのです。
これを踏まえて「教養」というものを考えたとき、教育を通して身につけた知性や技術を正しい方向に導くということが重要だと言えます。あらゆる学問分野において、『その知識を人間にとって適切に利用できるか?」「そこにリスクはないか?」ということを問い続ける必要があります。
私たちはAI時代をどう生きるか
酒井先生は最後に、AI時代を生きる上での三つの戦略を提示します。
一つ目は、様々なことに取り組み、そして徹底的に努力する経験を得るということです。例えば10年間バイオリンを練習していたら、その練習方法や向き合い方を他のことにも応用することができます。やる気を失わず、慢心せず、自分の限界のギリギリのところまで負荷をかけたトレーニングを継続することが大切だと言います。
二つ目は、AIの意思決定を超える人間的なセンスを磨くことです。人間は大局的な流れや文脈を把握することに強みがあります。将棋を例に挙げると、人間の棋士は対戦相手の性格まで考え、流れを捕まえようとします。膨大なインプットと経験を積み重ねることによって、AIは持っていない「直感的なセンス」を磨くことができるのです。
三つ目は、芸術作品や文学作品を見極める感覚を育てることです。膨大なデータベースに照らして作品の価値を判断するのではなく、自分の直感を磨くことが大切だと言います。そのためには、美術館、博物館やコンサートに足を運び生の体験をする中で、自分なりの価値判断の土台のようなものを作っていくことができるはずだと言います。
さて、皆さんの脳は「AIを遠ざけることで教養を磨く」という酒井先生の主張をどのように解釈しましたか?もう少し詳しく話を聞きたい…そう思った方はぜひ講義動画全編をお楽しみください!
<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)2025年度開講 第5回 人脳を変える教養、AIに変えさせない教養 酒井邦嘉先生
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2025/09/10
私たち日本人は、世界の中でも特に発酵食品に囲まれた食生活を送っています。納豆、日本酒、醤油、味噌...
そんな「発酵」の鍵を握っているのが微生物です。でも、食べ物がカビたり腐ったりするのも微生物の仕業。
「微生物」とは一体どのような存在なのでしょうか。
今回は、そんな微生物をテーマとした講義「人類に役立つ微生物たち――いろいろな境界線から微生物を語る――」をご紹介します。講師は東大農学部の微生物学系研究室の歴史を受け継ぐ大西康夫先生。
「境界線をめぐる旅」と題する講座の一部として、「発酵と腐敗の違い」「人類の敵か役立つか」「普通の菌か病原体か」といった「境界」に着目しながら行われた講義です。
では、さっそく微生物について学んでいきましょう!
そもそも微生物って何?
そもそも微生物とはどのような生物なのでしょうか。
講義では「小さすぎて肉眼では、はっきりとは認識できない生きもの」と紹介されています。肉眼では見えなくても顕微鏡では見えるので、研究もできるわけです。
有名なのは小学校などでも習うゾウリムシやミドリムシなど。
東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 大西康夫
また、普通は肉眼で見ることのできない微生物も、集まったり広がったりすると見ることができるようになります。
その例がカビなど。
さらに、皆さんおなじみのキノコも、カビの子実体(胞子を作るための構造体)の大きなものであるため、微生物であると言えます。
微生物学の歴史
さて、ここからは微生物についてより詳しくなるために、微生物の歴史、そして人間と微生物の歩みの歴史を学んでいきましょう。
原始微生物、つまり最初の微生物が誕生したのが36億年前です。
そしてさらに11億年後の27億年前に、ラン藻という微生物が誕生します。ラン藻はシアノバクテリアとも言われ、光合成を行い酸素を生産します。
余談ですが、シアノバクテリアが活動の過程で海中の泥や砂粒を取り込んで固めてできた層状の堆積物は「ストロマトライト」と言われています。化石となったストロマトライトは世界各地の地層で発見されており、世界遺産にもなっているオーストラリアのシャーク湾など、一部の場所では現生しているものを見ることもできます。
ストロマトライト
さてその後、真核生物という少し複雑な微生物が出現し、9億年前に多細胞生物が出現します。
何億年前と言われても昔過ぎて、私たちにはなじみがないということで、大西先生が生命の歴史を1年に例えた年表を作成してくださっています。
東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 大西康夫
原始微生物が誕生したのが元日だとすると、先ほどご紹介したラン藻が誕生して、酸素が生産されだしたのは四半期が経過した4月ごろ。皆さんが大好きな恐竜は12月に繁栄し、クリスマスには絶滅しました。人類が出現するのは大晦日で、紅白歌合戦も佳境を迎える23時半ごろ、現生人類が出現したそうです。
微生物の歴史が人類や恐竜の歴史に比べどれだけ長いか、イメージがつかめましたか?
人類と微生物
さて年が変わる直前に人類が誕生したわけですが、人類が微生物を認識できるようになるのはさらに先のことです。
しかし、人類は微生物を認識するはるか前から、経験的に微生物を利用してきました。
代表的な例が酒や食べ物。酒の起源は神話の時代に遡り、日本では古事記に登場し、メソポタミアのビール製造や旧約聖書のワインなど、世界中で微生物が利用されてきました。
そんな微生物を初めて見た人間がレーウェンフックです。
東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 大西康夫
レーウェンフックは自ら発明した顕微鏡を用いて微生物を観察したことから、微生物学の父と言われています。これは17世紀の出来事。
しかし、この段階ではまだ、微生物の役割までは解明されていませんでした。
微生物の機能の発見で知られているのが、フランスの生化学者であるパスツールです。彼は19世紀に、実験により生物の自然発生説を完全に否定したり、発酵の過程における微生物の役割を証明したりしたことから、近代微生物学の祖とされています。
また、同時期に活躍したドイツの医師・細菌学者であるコッホは、病原微生物を発見したり、微生物の純粋培養法(特定の微生物だけを人工的に増殖させる方法)を確立したりしたことから、彼もまた近代細菌学の祖とされています。
このころようやく、微生物の働きを人類が理解できたのです。
ここで東大にも目を向けてみると、大西先生も所属している農学部で、1900年に初めて微生物に関する講座が開講されました。大西先生はそんな微生物系研究室の系譜を受け継いでいます。
東京大学 Todai OCW 朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 大西康夫
そんな研究室の系譜の三代目に当たる坂口謹一郎先生はお酒の博士としても知られています。
特に、沖縄で、泡盛の製造に欠かせない黒こうじ菌が第二次世界大戦で全滅してしまった際、坂口先生が東大で保存していた黒こうじ菌により再び泡盛製造が始められたというエピソードが有名だそう。その縁で、東大では「御酒(うさき)」という泡盛を販売しています。(本郷キャンパス構内のお店やオンラインでも購入できるので、泡盛好きの方はぜひ!)https://utcc.u-tokyo.ac.jp/user_data/sake
おわりに
さて、微生物の歴史と人類とのつながりを簡単にご紹介しましたが、講義ではここから、最初に紹介したような様々なトピックで微生物について説明されています。
講義終盤には遺伝子組換えについてのお話や受講生からの意見などもあり、倫理的な問題といった課題についても触れられています。
また、大西先生は講義中盤と最後に坂口謹一郎先生の「微生物に頼んで裏切られたことはない」という言葉を紹介しています。
微生物が敵か味方かを判断するには、各々が微生物のことを良く知っておく必要があるでしょう。ぜひ、皆さんも講義を視聴して、微生物の世界に飛び込んでみましょう!
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:境界線をめぐる旅(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2013年度講義) 第8回 人類に役立つ微生物たち――いろいろな境界線から微生物を語る 大西康夫先生
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2025/09/04
インクルージョンやダイバーシティを考える時、皆さんはどのような議論を思い浮かべるでしょうか?もちろんどのようなテーマも重要なものですが、実は精神障害について語られる機会はまだ多くありません。
今回ご紹介するのは、「学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)第4回 教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて」です。
本講義では2つの事例を精神保健福祉の観点から振り返ります。
ソーシャルワーカー(認定精神保健福祉士)、公認心理士である細野正人先生と一緒に、今私たちに求められる「教養としての福祉」について考えてみませんか?
※本記事では、発表者の臨床経験に基づく事例や自殺に関するデータ(公表されているもの)も取り扱われます。体調が優れない方や苦手な方はご注意ください。
20代女性大学生のケース
まずは20代女性、大学生のケースを説明します。
15歳で自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、精神科外来・精神科デイケアを利用していました。大学に進学後、希死念慮に加え衝動行為が出現したことで急性期閉鎖病棟に入院。
しかし、入院中は問題行動が発生せずすぐに退院となり、その後入退院を繰り返す状態となりました。その中でより自傷リスクの高い行動をとるようになり、他界に至りました。
本ケースでは、家族支援を充実させることや入院治療のリスクとベネフィットについて、より検討する必要があったと考えられます。入院は非日常的な生活であるため、社会復帰が難しくなるというリスクにも目を向けることが必要です。
精神科における入院と急性期閉鎖病棟
精神科での入院形態は、大きく2つに分けることができます。本人が同意して入院する任意入院と、一般的に強制入院とも言われる非自発的入院です。
非自発的入院は、さらに医療保護入院、応急入院、措置入院、緊急措置入院の4つに分けられますが、大半は家族や周囲の人が本人の代わりに同意をして入院する医療保護入院です。
ここで皆さんに想像していただきたいのですが、もし急に医師から「あなたには今から入院してもらいます」と言われたら、どのように感じるでしょうか?私の症状はそこまでではないと思うんだけど…と感じる方が多いのではないかと思います。
医療保護入院は、大半の方が「自分は入院するほどではないはず」と感じている状態で、家族などの同意によって入院するケースで、全体の半分くらいを占めています。
精神疾患の好発年齢
本ケースは、当事者が大学生です。
近年、全国の大学の調査で、大学生の精神的な相談が増えているという結果が出ています。相談に行くことができる人が増えているのは良いことですが、これには大学生の年齢層が精神疾患になりやすい特性を持っていることも関係しています。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 細野 正人
こちらのグラフをご覧ください。実は、精神疾患は、17歳~35歳に発症しやすいというデータがあります。これには、人生の大きな転機がこの年齢に集中していることも関係していると考えられます。
日本国内の自殺者数の推移
続いて、データをもとに日本が置かれている状況を振り返ります。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 細野 正人
日本全体では、平成15年がピークで、最近は2万人程度に減少している傾向にあります。しかし、G7(日本・アメリカ・フランス・ドイツ・カナダ・イギリス・イタリア)では依然として最も高い自殺死亡率です。また、最近では中国、韓国で深刻化しているという問題もあります。
自殺予防は可能か?
では、自殺を防ぐことはできるのでしょうか?
細野先生によると、他の人にとっては突然起きたように思える自殺も、その人なりのプロセスが進行して発生しています。予防には精神科医療によるアプローチも必要ですが、コミュニティやエンパワメントの役割も大きいとされています。
また、助けを求める援助希求も重要な要素となりますが、実際のところでは、「助けて」が言えない人も多くいることを私たちは理解しなければいけません。
30年後、インクルーシブな社会を実現するためには、私たち一人ひとりが向き合うこと、「他人事ではなく全員が当事者だ」と考えることが重要だと細野先生は話します。
20代男性医師のケース
続いて20代男性医師のケースを取り上げます。
内科後期研修中(医師として4年目)に、患者との死別が多いことと恋人との別れが重なったことから、興奮が抑えきれず暴言を吐いたことで、精神科を受診。統合失調症(以降、急性一過性精神病性障害)と診断され、医療保護入院となりました。
入院初期は支離滅裂な言動や、強い興奮が認められ、初日から身体拘束となり薬物療法が開始されましたが、1週間で症状がある程度軽減され、退院し自宅療養となりました。結果的に、3カ月の精神科リハビリテーションと薬物調整によって症状はほとんどなくなり、負担の少ない診療科に転職し6カ月で復職に至りました。
本ケースでは、初期に極めて強い症状が出現したことで早期に介入ができ、回復の大きな要因になりました。また、復職を焦らずに精神科リハビリテーションに通い、安定した生活を送ったことも寄与していると考えられます。
メタ認知トレーニング
ここで、本ケースのリハビリテーションで取り入れられた「メタ認知トレーニング」という療法について説明していきます。
メタ認知トレーニングとは、ハンブルク大学のS.Moritz教授らが開発したもので、現在では日本でも精神科デイケア、作業療法など幅広く導入されています。
説明を読む前に、少し体験してみましょう。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 細野 正人
このスライドにある絵を見て、タイトルを当ててみてください。
皆さんは、a,b,c,dのうち、どれだと思いますか?
正解は……
aの訪問者です。(Carl Spitzweg,1849)
絵をよく見てみると、左の窓枠に鳥がとまっているのがわかると思います。そして描かれている人物も本ではなく鳥を見ていることから、この絵のタイトルは訪問者であると言えます。
しかし、一体これのどこが治療につながるんだ?と思われた方も多いのではないでしょうか。
実際の現場では、患者さん同士で答えを話し合ったうえでトレーナーが答えを教え、困ったときは大事な人に相談してみるなど「情報を多く集めることの大切さ」を繰り返し話します。
実は、メンタルヘルスの問題を抱えると、性急な判断をしてしまいます。例えば、自分が大丈夫だと思える要素をすべて無視して「自分はここにいてはいけないんだ」というような単一的な情報を選択してしまうことも少なくありません。
このトレーニングを繰り返すことで、メタ認知、いわゆる「自分のことに対する認知」が高まりメンタルヘルス不調を防ぐことにつながります。
自分らしさは取り戻せるか?
今回のケースにおいて、当事者は医学部生時代と初期研修医時代に精神科医療を学んでおり、自身が保護室で身体拘束されるという絶望は計り知れません。
身体拘束に関しては自尊心を傷つけるという報告もありますが、本ケースではその後のサポート体制が充実していたことで回復したと考えられます。
看護研究では、その人らしさとは「内在化された個人の根幹となる性質で、他とは違う個人の独自性をもち、終始一貫している個人本来の姿、他者が認識する人物像であり、人間としての尊厳が守られた状態」とされています。
当たり前、と思われるかもしれませんが、入院中にそれが守られていなかったり、日々の生活でも皆さんの尊厳が守られていない状態というのは、残念ながら実際にあることです。
ここで重要となるのは、個人を尊重してパーソナル・リカバリーを理解することです。パーソナル・リカバリーについては講義でさらに詳しく説明されているので、ぜひ動画をご覧ください。
まとめ
本講座では、2つの事例を取り上げながら、精神保健福祉の観点から考察を加えています。
細野先生は、最後に、 精神障害など困難があったとしても、リカバリーを目指し自分らしさを取り戻す可能性は十分にあると言います。
しかし、そのためには、多様性を尊重する(認める)文化ではなく、さらに一歩進んだ、他者を認め・共感し「自分らしさ」を当たり前に実現できるような文化・社会が必要です。
また、心理的安全が確保されたコミュニティがあることも非常に重要です。私たちは様々なコミュニティに属していますが、その中に「自分が否定されない」「自分の情報が漏洩されない」といったことが保証されているコミュニティが必要なのです。
私たちが教養としての福祉を身につけ、エンパワメントやピア・サポートなどが充実した社会になることで、30年後の未来は変わるかもしれません。
講義動画では、ここでは紹介しきれなかった事例や先生ご自身のエピソードも語られています。少しでも興味を持たれた方は、ぜひ動画をご覧ください。
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養) 第4回 教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて 細野正人先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/08/14
「楽しいとは何か?」
そう問われたとき、私たちは意外と答えに詰まります。自分が何をしているときに楽しいのか、どのような条件を満たすと「楽しい」と感じるのか、実は明確には分かっていないのかもしれません。
哲学の世界では、一般に「美しい」の方が「楽しい」よりも高尚なものとされてきました。そのため、「美しい」に関する議論は数多く存在しますが、「楽しい」についての哲学的議論は多くありません。楽しみそのもの、そして楽しむためだけに存在する「嗜好品」についても同様です。
この「嗜好品」という言葉はドイツ語の「Genußmittel」を翻訳したものです。「Genießen」は「楽しむ」「味わう」といった意味の動詞で、「Genuß」はその名詞形。「Mittel」は「手段」ですから、「Genußmittel」とは「楽しむための手段」、すなわち嗜好品というわけです。
講義では、「Genuß」を「享受の快」と訳し、この概念を通してカントが人間の楽しみをどう捉えていたのか、そしてその考えが現代社会においてどのような意味を持ちうるのかを考えていきます。
今回ご紹介するのは、2025年度開講の学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)「第2回 享受の快--カントと嗜好品」。講師は『暇と退屈の倫理学』『手段からの解放』などの著書で知られる哲学者・國分功一郎先生です。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 國分功一郎
カントの理論体系
早速、本題に入ります。まずは、カントの理論体系を踏まえ「享受の快」がどう位置付けられているか見ていきます。
カントには三つの主著、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』があり、それぞれ人間の異なる能力を扱っています。この三冊をもって、カントは人間の経験全体を説明しようと試みました。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 國分功一郎
『純粋理性批判』では認識能力を、『実践理性批判』では欲求能力、すなわち「善をイメージしてそれを実現したいと欲求して行為する」能力を吟味しています。そして、『判断力批判』が対象とするのは人間の「感情能力」です。(ここでの「批判」はケチをつけることではなく、吟味するという意味です。)
表が示しているように、カントはそれぞれの能力を高次と低次に区別しています。たとえば、欲求能力においては「やらなければならないからやる」ことが高次とされ、「何かのためにやる」ことは低次とされます。
人間の「快」は4種類しかない?
そして、カントによれば、人間にとっての「快」は4種類に分類されます。(「快」は、快楽や快感とも訳せますが意味が限定されてしまうのでここでは「快」と訳します。)
快の対象は、快適なもの、美しいもの、崇高なもの、(端的に)善いものの4つのいずれかに当てはまると考えられ、このうち「快適なもの」(Angenehmen)という概念が、「享受の快」に結び付けられています。
4つの快の対象の配置
では、先ほどの快適なもの、美しいもの、崇高なもの、(端的に)善いものは、カントの理論体系においてどのように配置されているのでしょうか?
カントは、欲求能力の高次の実現に「善いもの」、感情能力の高次の実現に「美しいものと崇高なもの」、低次の実現に「快適なもの」を位置づけます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2025S 國分功一郎
こちらの表を見てください。このように配置された4つの枠(象限)に、右上から反時計回りに番号を振ってみます。
すると、お気づきの方もいるかと思いますが、快の対象は4つの象限に不均等に配置されていることがわかります。
そう、第3象限(欲求能力の低次の実現)には、快はないとされています。これは驚くべきことです。なぜなら、私たちの日常生活はほとんどこの領域、つまり「何かのためにやる」ということで成り立っているからです。
例えばいい会社に入るために受験勉強を頑張る、単位を取るために授業に出るのも、この第3象限に当てはまります。
しかし、カントはそこに満足はあっても快はないと言います。なぜなら、自分で自分の行動を決めるのではなく、何かに駆り立てられて行動しているからです。例えば、いい会社に入るために受験勉強をしようと考える時には、いい会社に入るのが良いことだという社会通念に駆り立てられていると言えます。カントは、このような行為を「病的(パトローギッシュ)」とさえ表現しています。
一方で、第4象限(感情能力の低次の実現)は、高次の実現である第1象限と第2象限とグルーピングされています。これを踏まえると、カントはこの第4象限、つまり「享受の快」を重視しているのではないか、とも考えられるのです。
手段と目的からみる「享受の快」
この4つの象限を目的と手段という観点で見つめ直したとき、「享受の快」の特徴が浮かびあがります。カントにおいて、目的は「あるべき姿」を意味するもので、第2象限の善は人間のあるべき姿、目的ということになります。
また、カントによれば「美」の体験というのは、あらかじめ「こうであるべきだ」とわかっているわけではないものを見て、つい「こうあるべきだ」と感じてしまうことです。
國分先生は、彼岸花を初めて見たときの経験を例に挙げています。庭の草むしり中にふと目にし、その複雑で独特な形に「なんだこれは?」と思いながらも、心惹かれ「きれいだ」と感じた経験です。
また、カントは崇高なものというのは、圧倒してくる自然物を前にしたときに、自らの人間性というあるべき姿(目的)を再発見することだと言います。
つまり、快の対象として挙げられた4つのうち、「快適なもの」以外は目的性、「こうあるべき」というべき性質があります。
カントが快適なものを説明する際に最初にあげている例は、ワインです。ただおいしく、ただ単に満足を与えるもので、そこに目的性はありません。
しかし、この中で特に問題になるのが、第4象限と第3象限の区別です。
たとえば、「今日は疲れたからビールを飲みたい」と思っているとしましょう。このとき、目的は「リラックスすること」、ビールはその手段です。実際に飲んで「やっと飲めた」と感じたときの快は、「目的を達成したこと」による満足です。
しかし、ここでの「快」と、ビールそのものの味わいが与える「快」とは異なります。「おいしい」と感じるその感覚は、「享受の快」として第4象限に属するものです。
食事についても同様です。栄養摂取が目的であることは間違いありませんが、たとえ栄養のために食べていたとしても、「今日のご飯はなんだかおいしい」と感じる瞬間には、栄養という目的を超えた「享受の快」が生まれているのです。
つまり、目的達成による満足と、対象そのものが与える快とは、概念的にも区別されなければなりません。
嗜好品と違法薬物の明確な区別、そして依存症の問題
ここで皆さんに考えていただきたいのは、「もし、第4象限が失われ、第3象限のみになると何が起こるか?」ということです。
たとえばアルコール飲料。これが第4象限の「享受の快」を失い、第3象限的な「酔うための手段」としてだけ消費されると、アルコール依存という病的状態へと至ります。このとき、飲酒は何らかの苦しみから逃れるための手段になっていることがあります。
さらに深刻な例が薬物依存です。薬は通常、何らかの症状を抑えるためというような明確な目的があり、手段となるものです。薬は人間が生きていくうえで大切なものですが、それを日常生活が送れない状態になるまで使ってしまうのが薬物依存です。薬には「享受の快」を与える要素が全くないため、純粋に第3象限に閉じ込められていると言えます。
こうした依存症の多くは、人生の苦しみと深く関わっており、その苦しみから逃れる手段としてアルコールや薬を使ってしまうことがあるということを、私たちは心にとめておかなければなりません。
まとめ
「享受の快」がはく奪された「生」、つまり第3象限のみで生きている状態では、すべてが目的と手段の連関の中に組み込まれてしまいます。何かを楽しむことが全くなくなってしまったとき、人は第3象限だけで生きることになるのです。
では、どうすればそのような状態を避けられるのでしょうか?
それは一概には言えないものの、人間にとって「快適なもの」、つまり「享受の快」をちゃんと取っておくことが大事なのではないかと國分先生は言います。
今の世の中では、このようなものを徹底的に排除する傾向にあると言えます。たとえば、たばこ、酒、砂糖のようなものは、健康の観点から忌避されつつあります。流行りである「コスパ」や「タイパ」も、すべて目的と手段だけで回していく考え方で、世の中全体が第3象限に切り詰められていっているとも言えます。
生の中で確かに大事なはずの「ただ楽しむだけのもの」。それが失われていく世の中で良いのだろうか?と國分先生は問いかけています。
講義動画では、ここでは紹介しきれなかった話題も少なくありません。また、内容だけでなく、哲学的な考察を日常と地続きの言葉を使い明快に解説する國分先生の語り口も動画の魅力です。
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へ――変わる教養、変える教養) 第2回 享受の快--カントと嗜好品 國分 功一郎先生
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