
2025/04/16
世界史は、地域や時代ごとに話がばらばらに出てきて難しい…皆さんはそんなイメージを持っていませんか?
入試のために勉強したけど、ほとんど忘れてしまった。年号や名称はなんとなく覚えていても、それが何を意味しているかは思い出せない…。という経験も少なくないはずです。
もしかすると、その原因は日本特有の歴史教育にあるかもしれません。
今回の講義では、様々な国の歴史の教科書を参考に、他の国ではどう歴史を教えているのか、日本の歴史の教え方との共通点や相違点は何か、考えていきます。
講師は歴史学者の羽田正先生です。学術俯瞰講義『「世界史」の世界史』から、第1回「世界の世界史」をご紹介します。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
歴史とは何か?
「世界史」について考える前に、そもそも歴史とは何か、考えてみましょう。
まず第一に、存在としての歴史があります。皆さんがこの記事を読んでいる今この瞬間も、世界中では色々なことが起きていますが、時間を軸にすると今よりも前に起きたことはすべて歴史と言うことができます。つまり、過去に起こった出来事とその変遷の総体としての歴史です。
しかし、今この瞬間に起きたことすべてを覚えておくことはできません。そこで必要となるのが、記録・叙述としての歴史です。
過去に記録・叙述されたものを集め、整理して、解釈、体系化する。まさに歴史学者の仕事ですが、これにより過去を現在に蘇らせることができます。
もちろん、膨大な過去の記録から何を選ぶかは歴史学者の環境や関心に拠るもので、特に何も記録が残されていないものは蘇りにくい点には注意が必要です。
そしてもう一つ、歴史小説や大河ドラマのような史実に基づいて作られた作品も、記録・叙述としての歴史に含まれます。実際に、私たちが作品から受けている影響は少なくありません。
最後に、私たちが「歴史」と聞いてすぐに思い浮かぶもの。それは高等学校で教えられる日本史と世界史です。
今回はこの学校教育の科目としての歴史に注目していきます。
何のために歴史を学ぶのか?
では、そもそもなぜ歴史が教えられているのでしょうか?歴史とは暗記科目で、入試のために勉強するもの、というイメージを持っている方も少なくないと思います。しかし、ただ単に固有名詞を覚えるだけのものだとしたら、私たちが本当に歴史を学ぶ必要はあるのでしょうか?
また、歴史を教えることには、負の側面もあります。例えば、中国や韓国からは日本の教科書に対して批判があがり、国家間で歴史認識の問題を引き起こしています。
それでもなお、歴史を学ぶ必要があるのはなぜなのか、羽田先生は受講生たちに問いかけます。
現在起こっている事象を理解したり、未来を予測できるようになる。一つの出来事にいろんな解釈があることを知ることができる。過去の反省を現在に活かすため…など考え方は様々です。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
歴史は世界共通ではない!
ここで、本題に入る前に確認しておきたいことがあります。それは、「歴史は世界共通ではない」ということです。
私たちは、1+1=2が世界共通であるように、歴史も同じように認識されていると考えがちですが、数学や物理学の法則とは違い、歴史は国によって教え方も教えられている内容も異なります。
よく考えてみると、そもそも世界史と日本史、という二軸で教えているのは日本だけだということがわかると思います。
日本の「世界史」
日本で教えられている「世界史」とはどのようなものでしょうか?
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
皆さんがよく知る世界史の教科書を思い出してみてください。ある章ではイスラーム世界の成立を学び、ある章では中国の歴史を古代から学び…というように、地域ごとに時間軸に沿って語られていたと思います。
上の図のように、世界をいくつかの地域に分けて、それぞれ独自の歴史を持って現代に至っているという考えのもと、地域ごとの歴史が時代順に書かれているのです。そして、16世紀以降になるとヨーロッパが世界に進出し、現代はアメリカとヨーロッパが力を持ち世界の一体化が進んでいる、という全体像が描かれています。
この中で日本について触れられるのは一部で、世界史は日本以外の地域の歴史を学ぶものとなっています。
ここで問題となるのは、本当に「日本以外の」歴史と捉えてよいのか?地域ごとに独自の歴史が展開していると考えてよいのか?ということです。
実際に、他の国の教科書ではそのような書き方をしていないと羽田先生は指摘します。
フランスの教科書「歴史」
早速、フランスの教科書を見ていきます。講義内で羽田先生はフランスの教科書の表紙を提示していますが、タイトルから、フランス史や世界史と言わずに「歴史」としていることがわかります。
次は肝心の内容についてです。
第1巻「現代世界の基礎」では第1部:古代における市民権の例第2部:キリスト教の誕生と伝播第3部:12世紀の地中海海第4部:人文主義とルネッサンス第5部:革命と1851年までのフランスにおける政治経験第6部:19世紀前半のヨーロッパ
第2巻「世界、ヨーロッパ、フランス(1850-1945)」では、第1部:19世紀中葉から1939年の産業化の時代とその文明第2部:19世紀中葉から1914年のフランス第3部:戦争、民主主義、全体主義第3巻では第1部:1945年から今日までの世界 第2部:1945年から今日までのヨーロッパ 第3部:1945年から今日までのフランス という構成です。ここで、何か気付くことはないでしょうか?
実は、フランスの歴史教科書ではアジアや日本についてほとんど言及されていないのです。
日本について触れられるのは、19世紀半ばの明治維新と第二次世界大戦の話題のみで、江戸時代以前の話は全く出てきません。
日本ではフランスの歴史について詳しく習っている一方で、フランスの高校生は日本の歴史をほとんど教わっていないということがわかります。
イランの教科書「イランと世界の歴史」
続いてイランで使われている教科書「イランと世界の歴史」についてです。
イランといえばイスラム教のイメージ。イスラム教に基づく教え方をしているのではないかと想像される方もいるかもしれません。
実はイスラム教は、キリスト教と同じようにアダムとイブをこの世の始まりとしています。
もしイスラム教に基づく教科書となると、アダムとイブから世界が始まって現代に至り、最後の審判で世界が終わるという構成になるはずです。
しかし実際のところ、イランの教科書ではそのような描かれ方はしていません。
イスラム教はあくまで歴史の一部として触れられ、イランを中心にしつつもイラン以外の国や地域にも目を向けています。
細かな違いはありますが、教科書の前半部分は意外にも日本の歴史認識に近い書き方がされています。ただし、地域を分けずに書いている点が日本とは異なります。
中国の教科書「世界通史」
最後に、中国の歴史の教科書「世界通史」を紹介します。この教科書で特徴的なのは、中国についてほとんど書かれていないということです。
なぜかというと、中国史は別で学習しているためです。世界通史では、中国以外の地域の歴史を扱っています。
このことから、中国は中国で独自の歴史を持っているという認識に基づいて歴史を教えていることが推測できます。
日本との相違点・共通点
今まで見てきた通り、一口に歴史と言っても、国によって教え方に違いがあることがわかるかと思います。
そして、これらは「現在の自分たちのことを理解するためにどう過去を認識するか」に対する考え方の違いから生まれていると言えます。
例えば、中国や日本は、自国の歴史と他の地域の歴史を分けていますが、これは自国独自の歴史を学んだうえで、他の地域を知るために世界史を学ぶという見方が根底にあります。
一方で、フランスの場合は、歴史はあくまで自国の歴史を理解するためのものとして、周辺諸国の歴史は自国の歴史に影響している場合に限り学ぶという姿勢です。そのため、フランスの歴史にあまり関係しない日本についてはほとんど言及していません。
このような歴史理解はフランスだけでなくヨーロッパでは一般的で、ドイツやオランダでも似たような書き方がされています。
一方で、共通している点は何でしょうか?
それは、枠組みは違えどヨーロッパが頻出する点です。フランス、中国、日本、イランでも19世紀にヨーロッパ勢力が進出し、世界の一体化が進んだという書き方は共通しています。
それをもし世界史と呼ぶのであれば、「誰が世界史を書いたのか?」という点に目を向けることが重要になります。
まとめ
最後に、アメリカのプリンストン大学で発行されている、大学1・2年生向けの歴史の教科書を紹介します。
※著作権の都合で、教科書のタイトルや著者等の情報のみを記載した画像に差し替えています。
この教科書のタイトルは「Worlds together Worlds apart」、複数の世界(ある人間の集団)が合わさったり離れたりしていることを意味しています。
これを見てわかるのは、地域ごとで時代に沿って歴史を捉えるのではなく、ある一定のタイミングで世界全体を見る、横ぐしを刺す手法をとっていることです。
そもそも、人が生まれてから死ぬまで時間に沿って変化していくように、何かしらの主体が時間に沿って展開していくという考え方は、非常に近代的な見方です。
実は、私たちが世界史だと思っているものは、300年前の人は誰一人知らない、真実だと思わない、あくまで現代の人が認識している世界史であり、物理学の法則のように普遍的・絶対的なものではありません。
ではこのような非常に限定的な世界の見方はどのように生まれたのでしょうか?そして、そもそも世界史とは何なのでしょうか?学生との対話形式で進む講義で、ぜひ一緒に考えてみませんか?
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「世界史」の世界史(学術俯瞰講義) 第1回 世界の世界史 羽田正先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
入試のために勉強したけど、ほとんど忘れてしまった。年号や名称はなんとなく覚えていても、それが何を意味しているかは思い出せない…。という経験も少なくないはずです。
もしかすると、その原因は日本特有の歴史教育にあるかもしれません。
今回の講義では、様々な国の歴史の教科書を参考に、他の国ではどう歴史を教えているのか、日本の歴史の教え方との共通点や相違点は何か、考えていきます。
講師は歴史学者の羽田正先生です。学術俯瞰講義『「世界史」の世界史』から、第1回「世界の世界史」をご紹介します。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
歴史とは何か?
「世界史」について考える前に、そもそも歴史とは何か、考えてみましょう。
まず第一に、存在としての歴史があります。皆さんがこの記事を読んでいる今この瞬間も、世界中では色々なことが起きていますが、時間を軸にすると今よりも前に起きたことはすべて歴史と言うことができます。つまり、過去に起こった出来事とその変遷の総体としての歴史です。
しかし、今この瞬間に起きたことすべてを覚えておくことはできません。そこで必要となるのが、記録・叙述としての歴史です。
過去に記録・叙述されたものを集め、整理して、解釈、体系化する。まさに歴史学者の仕事ですが、これにより過去を現在に蘇らせることができます。
もちろん、膨大な過去の記録から何を選ぶかは歴史学者の環境や関心に拠るもので、特に何も記録が残されていないものは蘇りにくい点には注意が必要です。
そしてもう一つ、歴史小説や大河ドラマのような史実に基づいて作られた作品も、記録・叙述としての歴史に含まれます。実際に、私たちが作品から受けている影響は少なくありません。
最後に、私たちが「歴史」と聞いてすぐに思い浮かぶもの。それは高等学校で教えられる日本史と世界史です。
今回はこの学校教育の科目としての歴史に注目していきます。
何のために歴史を学ぶのか?
では、そもそもなぜ歴史が教えられているのでしょうか?歴史とは暗記科目で、入試のために勉強するもの、というイメージを持っている方も少なくないと思います。しかし、ただ単に固有名詞を覚えるだけのものだとしたら、私たちが本当に歴史を学ぶ必要はあるのでしょうか?
また、歴史を教えることには、負の側面もあります。例えば、中国や韓国からは日本の教科書に対して批判があがり、国家間で歴史認識の問題を引き起こしています。
それでもなお、歴史を学ぶ必要があるのはなぜなのか、羽田先生は受講生たちに問いかけます。
現在起こっている事象を理解したり、未来を予測できるようになる。一つの出来事にいろんな解釈があることを知ることができる。過去の反省を現在に活かすため…など考え方は様々です。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
歴史は世界共通ではない!
ここで、本題に入る前に確認しておきたいことがあります。それは、「歴史は世界共通ではない」ということです。
私たちは、1+1=2が世界共通であるように、歴史も同じように認識されていると考えがちですが、数学や物理学の法則とは違い、歴史は国によって教え方も教えられている内容も異なります。
よく考えてみると、そもそも世界史と日本史、という二軸で教えているのは日本だけだということがわかると思います。
日本の「世界史」
日本で教えられている「世界史」とはどのようなものでしょうか?
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 羽田 正
皆さんがよく知る世界史の教科書を思い出してみてください。ある章ではイスラーム世界の成立を学び、ある章では中国の歴史を古代から学び…というように、地域ごとに時間軸に沿って語られていたと思います。
上の図のように、世界をいくつかの地域に分けて、それぞれ独自の歴史を持って現代に至っているという考えのもと、地域ごとの歴史が時代順に書かれているのです。そして、16世紀以降になるとヨーロッパが世界に進出し、現代はアメリカとヨーロッパが力を持ち世界の一体化が進んでいる、という全体像が描かれています。
この中で日本について触れられるのは一部で、世界史は日本以外の地域の歴史を学ぶものとなっています。
ここで問題となるのは、本当に「日本以外の」歴史と捉えてよいのか?地域ごとに独自の歴史が展開していると考えてよいのか?ということです。
実際に、他の国の教科書ではそのような書き方をしていないと羽田先生は指摘します。
フランスの教科書「歴史」
早速、フランスの教科書を見ていきます。講義内で羽田先生はフランスの教科書の表紙を提示していますが、タイトルから、フランス史や世界史と言わずに「歴史」としていることがわかります。
次は肝心の内容についてです。
第1巻「現代世界の基礎」では第1部:古代における市民権の例第2部:キリスト教の誕生と伝播第3部:12世紀の地中海海第4部:人文主義とルネッサンス第5部:革命と1851年までのフランスにおける政治経験第6部:19世紀前半のヨーロッパ
第2巻「世界、ヨーロッパ、フランス(1850-1945)」では、第1部:19世紀中葉から1939年の産業化の時代とその文明第2部:19世紀中葉から1914年のフランス第3部:戦争、民主主義、全体主義第3巻では第1部:1945年から今日までの世界 第2部:1945年から今日までのヨーロッパ 第3部:1945年から今日までのフランス という構成です。ここで、何か気付くことはないでしょうか?
実は、フランスの歴史教科書ではアジアや日本についてほとんど言及されていないのです。
日本について触れられるのは、19世紀半ばの明治維新と第二次世界大戦の話題のみで、江戸時代以前の話は全く出てきません。
日本ではフランスの歴史について詳しく習っている一方で、フランスの高校生は日本の歴史をほとんど教わっていないということがわかります。
イランの教科書「イランと世界の歴史」
続いてイランで使われている教科書「イランと世界の歴史」についてです。
イランといえばイスラム教のイメージ。イスラム教に基づく教え方をしているのではないかと想像される方もいるかもしれません。
実はイスラム教は、キリスト教と同じようにアダムとイブをこの世の始まりとしています。
もしイスラム教に基づく教科書となると、アダムとイブから世界が始まって現代に至り、最後の審判で世界が終わるという構成になるはずです。
しかし実際のところ、イランの教科書ではそのような描かれ方はしていません。
イスラム教はあくまで歴史の一部として触れられ、イランを中心にしつつもイラン以外の国や地域にも目を向けています。
細かな違いはありますが、教科書の前半部分は意外にも日本の歴史認識に近い書き方がされています。ただし、地域を分けずに書いている点が日本とは異なります。
中国の教科書「世界通史」
最後に、中国の歴史の教科書「世界通史」を紹介します。この教科書で特徴的なのは、中国についてほとんど書かれていないということです。
なぜかというと、中国史は別で学習しているためです。世界通史では、中国以外の地域の歴史を扱っています。
このことから、中国は中国で独自の歴史を持っているという認識に基づいて歴史を教えていることが推測できます。
日本との相違点・共通点
今まで見てきた通り、一口に歴史と言っても、国によって教え方に違いがあることがわかるかと思います。
そして、これらは「現在の自分たちのことを理解するためにどう過去を認識するか」に対する考え方の違いから生まれていると言えます。
例えば、中国や日本は、自国の歴史と他の地域の歴史を分けていますが、これは自国独自の歴史を学んだうえで、他の地域を知るために世界史を学ぶという見方が根底にあります。
一方で、フランスの場合は、歴史はあくまで自国の歴史を理解するためのものとして、周辺諸国の歴史は自国の歴史に影響している場合に限り学ぶという姿勢です。そのため、フランスの歴史にあまり関係しない日本についてはほとんど言及していません。
このような歴史理解はフランスだけでなくヨーロッパでは一般的で、ドイツやオランダでも似たような書き方がされています。
一方で、共通している点は何でしょうか?
それは、枠組みは違えどヨーロッパが頻出する点です。フランス、中国、日本、イランでも19世紀にヨーロッパ勢力が進出し、世界の一体化が進んだという書き方は共通しています。
それをもし世界史と呼ぶのであれば、「誰が世界史を書いたのか?」という点に目を向けることが重要になります。
まとめ
最後に、アメリカのプリンストン大学で発行されている、大学1・2年生向けの歴史の教科書を紹介します。
※著作権の都合で、教科書のタイトルや著者等の情報のみを記載した画像に差し替えています。
この教科書のタイトルは「Worlds together Worlds apart」、複数の世界(ある人間の集団)が合わさったり離れたりしていることを意味しています。
これを見てわかるのは、地域ごとで時代に沿って歴史を捉えるのではなく、ある一定のタイミングで世界全体を見る、横ぐしを刺す手法をとっていることです。
そもそも、人が生まれてから死ぬまで時間に沿って変化していくように、何かしらの主体が時間に沿って展開していくという考え方は、非常に近代的な見方です。
実は、私たちが世界史だと思っているものは、300年前の人は誰一人知らない、真実だと思わない、あくまで現代の人が認識している世界史であり、物理学の法則のように普遍的・絶対的なものではありません。
ではこのような非常に限定的な世界の見方はどのように生まれたのでしょうか?そして、そもそも世界史とは何なのでしょうか?学生との対話形式で進む講義で、ぜひ一緒に考えてみませんか?
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「世界史」の世界史(学術俯瞰講義) 第1回 世界の世界史 羽田正先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。