2025/10/28
人は死者とどのようにつながっているのか。そのつながりから、私たちは何を見出すことができるのか。宗教学を専門とし、近年は「死生学」の研究に深く携わる池澤優先生は、講義の冒頭でこのような問いを提示します。
今回ご紹介するのは、2019年度開講の朝日講座『「つながり」から読み解く人と世界』より、『未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から―』という講義です。
ここで言う「死者」とは、宗教的な意味での霊魂ではありません。生きている私たちが、亡くなった人々との関係をどのように感じ、どのように記憶し、それが私たちの生にどんな意味をもたらすのか。その営みを学問的な観点から紐解いていきます。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
死生学とはどんな学問か
死生学は英語で「サナトロジー(thanatology)」と呼ばれます。語源は古代ギリシアの死の神「タナトス(Thanatos)」に由来します。
死生学が学問として始まったのは1959年。心理学者ヘルマン・フェイフェルの論文『死の意味するもの』を契機に、1960〜70年代にかけて死や死別をテーマとした研究が盛んになり、学問領域が確立されました。
当初の研究は「死の恐怖」と「不安」を主題にしていましたが、現代の死生学では「死別」や「死者と生者の関係」へと視野を広げています。
「二重過程モデル」と死者とのつながり
現代の死生学では、死をめぐる体験は単に「悲しみを乗り越える」直線的な過程ではないとされています。人は喪失の痛みと、日常生活への回復を行き来しながら、少しずつ新たな意味を見いだしていきます。
このような「死別の悲嘆」のプロセスを説明するのが、心理学者ロバート・ニーマイヤーによる「二重過程モデル(DPM)」です。死別を経験した人は、悲しみ(喪失志向)と前向きな生活(回復志向)の間を揺れ動きながら、自分なりの新しい物語(ナラティヴ)を作り上げていく。
この理論では、亡くなった人の存在は、悲しみを癒すだけでなく、新たな人生の意味を形づくる中核、「象徴的きずな」として機能します。
悲嘆とは、喪失と回復の間を行き来する「揺らぎ」であり、人を成長させる可能性を持つ過程でもあります。池澤先生はこの理論をもとに、阪神・淡路大震災の被災者の語りを紹介し、死者の記憶を保つことがどのように悲嘆を超える力となるかを説明しています。
ロバート・リフトンの「死者との一体化」
では、なぜ私たちは死者とのつながりを必要とするのでしょうか。この問いを考えるために、心理学者ロバート・リフトンの理論を見ていきましょう。
リフトンは、戦争や災害を生き延びた人々の心理を研究しました。とくに『ヒロシマを生き抜く(Death in Life)』では、被爆者への聞き取り調査を通して「生存者の心理」を明らかにしています。
原爆という未曾有の出来事の中で、人々は日常の秩序や道徳を失い、心を閉ざすことでしか自分を守れませんでした。この「心理的締め出し」は自己防衛の一種ですが、その後には「感じるべきことを感じなかった」ことへの後ろめたさ、つまり羞恥心が残ります。
「なぜ自分が生き残って、あの人が死んだのか」という答えのない問い。その問いの前で、人は「自分が生き残ったことを正当化しなければならない」という思いを抱きます。
リフトンはこのような生存者の心理を「死者との一体化」と呼びました。死者こそが純粋であり生き残った自分を「不純」と感じながらも、死者に向かおうとする生き方です。精神的麻痺の状態と、死者とつながっていたいという指向性の両方があると言えるのです。
リフトンは、現代では他者を思う感覚が薄れ、この一体化の傾向が弱まっていると警鐘を鳴らしました。だからこそ、死者とのつながりを意識することが重要になっています。
死者の記憶が生きる意味をつくる
池澤先生は、私たちが死者とのつながりを保とうとするのは、人が他者との関係の中で生きているという根源的な事実に基づくものだと言います。
そもそも私たちが自分の生を意味づける価値観は、無から生まれるものではなく、親しい他者との交流の中で育まれるものです。
そして、私たちが関係を持つ多くの他者は、自分よりも先に亡くなります。亡くなった人は、生きている人の記憶の中で「こういう人だった」という物語として残り、その物語の中には「今どう生きるか」「未来をどうありたいか」という理念や理想が含まれています。
たとえば、原爆で亡くなった人々の記憶には、平和への理念が刻まれています。その理念が未来に生かされるならば、その死は単なる犠牲ではなくなります。
死者の記憶に込められた理念を生きることは、他者の死を無意味なものにしない行為であり、同時に自分自身の死をも無意味にしない行為です。もし死者が自分にとって意味を持たないなら、自分もまた未来にとって意味を持たないことになります。
過去の死者とつながる現在と、未来を見つめる理念は、同じ流れの二つの側面で、過去の記憶の中には自ずと価値観が含まれていて、それによって私たちは現在の生を見いだし、未来への行動を起こすのだと池澤先生は語ります。
まとめ
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
池澤先生の講義は、死者を単に「過去の存在」としてではなく、私たちの生を支え、未来を拓く存在として捉えます。死者の記憶には、未来への理念が宿っています。その理念を生きることは、私たち自身の生を意味あるものとし、人類がどのような未来を築くべきかという根源的な問いへとつながっていくのです。
さらに詳しく学びを深めたい方はぜひ講義動画をご覧ください。
また、UTokyo OCWでは死生学に関連した他の講義シリーズの動画も配信しています。こちらもぜひご覧ください。死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)
〈文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 第4回 未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から― 池澤優先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
今回ご紹介するのは、2019年度開講の朝日講座『「つながり」から読み解く人と世界』より、『未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から―』という講義です。
ここで言う「死者」とは、宗教的な意味での霊魂ではありません。生きている私たちが、亡くなった人々との関係をどのように感じ、どのように記憶し、それが私たちの生にどんな意味をもたらすのか。その営みを学問的な観点から紐解いていきます。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
死生学とはどんな学問か
死生学は英語で「サナトロジー(thanatology)」と呼ばれます。語源は古代ギリシアの死の神「タナトス(Thanatos)」に由来します。
死生学が学問として始まったのは1959年。心理学者ヘルマン・フェイフェルの論文『死の意味するもの』を契機に、1960〜70年代にかけて死や死別をテーマとした研究が盛んになり、学問領域が確立されました。
当初の研究は「死の恐怖」と「不安」を主題にしていましたが、現代の死生学では「死別」や「死者と生者の関係」へと視野を広げています。
「二重過程モデル」と死者とのつながり
現代の死生学では、死をめぐる体験は単に「悲しみを乗り越える」直線的な過程ではないとされています。人は喪失の痛みと、日常生活への回復を行き来しながら、少しずつ新たな意味を見いだしていきます。
このような「死別の悲嘆」のプロセスを説明するのが、心理学者ロバート・ニーマイヤーによる「二重過程モデル(DPM)」です。死別を経験した人は、悲しみ(喪失志向)と前向きな生活(回復志向)の間を揺れ動きながら、自分なりの新しい物語(ナラティヴ)を作り上げていく。
この理論では、亡くなった人の存在は、悲しみを癒すだけでなく、新たな人生の意味を形づくる中核、「象徴的きずな」として機能します。
悲嘆とは、喪失と回復の間を行き来する「揺らぎ」であり、人を成長させる可能性を持つ過程でもあります。池澤先生はこの理論をもとに、阪神・淡路大震災の被災者の語りを紹介し、死者の記憶を保つことがどのように悲嘆を超える力となるかを説明しています。
ロバート・リフトンの「死者との一体化」
では、なぜ私たちは死者とのつながりを必要とするのでしょうか。この問いを考えるために、心理学者ロバート・リフトンの理論を見ていきましょう。
リフトンは、戦争や災害を生き延びた人々の心理を研究しました。とくに『ヒロシマを生き抜く(Death in Life)』では、被爆者への聞き取り調査を通して「生存者の心理」を明らかにしています。
原爆という未曾有の出来事の中で、人々は日常の秩序や道徳を失い、心を閉ざすことでしか自分を守れませんでした。この「心理的締め出し」は自己防衛の一種ですが、その後には「感じるべきことを感じなかった」ことへの後ろめたさ、つまり羞恥心が残ります。
「なぜ自分が生き残って、あの人が死んだのか」という答えのない問い。その問いの前で、人は「自分が生き残ったことを正当化しなければならない」という思いを抱きます。
リフトンはこのような生存者の心理を「死者との一体化」と呼びました。死者こそが純粋であり生き残った自分を「不純」と感じながらも、死者に向かおうとする生き方です。精神的麻痺の状態と、死者とつながっていたいという指向性の両方があると言えるのです。
リフトンは、現代では他者を思う感覚が薄れ、この一体化の傾向が弱まっていると警鐘を鳴らしました。だからこそ、死者とのつながりを意識することが重要になっています。
死者の記憶が生きる意味をつくる
池澤先生は、私たちが死者とのつながりを保とうとするのは、人が他者との関係の中で生きているという根源的な事実に基づくものだと言います。
そもそも私たちが自分の生を意味づける価値観は、無から生まれるものではなく、親しい他者との交流の中で育まれるものです。
そして、私たちが関係を持つ多くの他者は、自分よりも先に亡くなります。亡くなった人は、生きている人の記憶の中で「こういう人だった」という物語として残り、その物語の中には「今どう生きるか」「未来をどうありたいか」という理念や理想が含まれています。
たとえば、原爆で亡くなった人々の記憶には、平和への理念が刻まれています。その理念が未来に生かされるならば、その死は単なる犠牲ではなくなります。
死者の記憶に込められた理念を生きることは、他者の死を無意味なものにしない行為であり、同時に自分自身の死をも無意味にしない行為です。もし死者が自分にとって意味を持たないなら、自分もまた未来にとって意味を持たないことになります。
過去の死者とつながる現在と、未来を見つめる理念は、同じ流れの二つの側面で、過去の記憶の中には自ずと価値観が含まれていて、それによって私たちは現在の生を見いだし、未来への行動を起こすのだと池澤先生は語ります。
まとめ
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 池澤 優
池澤先生の講義は、死者を単に「過去の存在」としてではなく、私たちの生を支え、未来を拓く存在として捉えます。死者の記憶には、未来への理念が宿っています。その理念を生きることは、私たち自身の生を意味あるものとし、人類がどのような未来を築くべきかという根源的な問いへとつながっていくのです。
さらに詳しく学びを深めたい方はぜひ講義動画をご覧ください。
また、UTokyo OCWでは死生学に関連した他の講義シリーズの動画も配信しています。こちらもぜひご覧ください。死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)
〈文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 第4回 未来を拓く死者の「記憶」―生死のつながりの視点から― 池澤優先生
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