だいふくちゃん通信

2022/11/02

戦後から1970年代までの日本の文壇で活躍した知識人に、竹内好(たけうちよしみ)という人がいます。

日本文化についてさまざまな論考を残している竹内ですが、ほとんどの人はその名を耳にしたことがないでしょう。

今回紹介する講義の講師である中島隆博先生も「竹内の主張は無視されてきた」と述べます。

日本では忘れ去られてしまったともいえる竹内ですが、その竹内が提示したあるひとつの考え方がいま、中国や韓国といったアジア諸国で受容されつつあります。

その考え方は、「方法としてのアジア」というものです。

違和感のある表現かもしれません。「方法」と「アジア」という慣れ親しんだ言葉をつかっているにもかかわらず、それが組み合わさると、なんとなく不安な印象があります。しかし一方で、何か新しさも感じさせてくれる言葉です。

いったい、「方法としてのアジア」とは、どのような考え方なのでしょうか?

今回は、「方法としてのアジア」という考えをもとに、「普遍化」のプロセスについて考える講義動画を紹介します。

(竹内について知りたい方は、こちらの記事もチェックしてみてください【講義紹介】30年後の世界へー学問とその”悪”について(学術フロンティア講義)第12回 私たちの憲法”無感覚”-竹内好を手がかりとして

西洋をもう一度東洋によって包み直す

講師をつとめる中島隆博先生は、中国哲学を専門とされており、とくにその概念の普遍化に取り組まれています。

中島先生は「方法としてのアジア」について、「普遍を考えるための重要な概念」だと述べます。

「普遍」とは文字通り、すべての事物に当てはまるもののことです。近代以降、西洋は世界の「普遍化」を推し進めるのですが、その試みはある種の限界にぶつかりました。

たとえば授業では、「普遍的なもの」の例として「人権」が挙げられます。「世界人権宣言」というものがあるように、人権は世界中の人に普遍的に適用可能なものと想定されています。

しかし、この人権という概念は、そう簡単に普遍的だと言い切ることができません。西洋が作り出したのそのままのかたちで、他の国でも受け入れられる保証はないし、実際に不和を起こしている場面もあるからです。

中島先生は、西洋で生まれた「人権」という概念がより普遍的になるためには、西洋の外での経験を踏まえる必要があるといいます。この経験を通して、より突き詰めていくことで、人権という概念の普遍性が鍛え直されていくのです。

この鍛え直しのプロセスが、竹内の主張した「方法としてのアジア」です。

竹内は、「西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻返し、あるいは価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す」(『〈竹内好全集5〉方法としてのアジア;中国・インド・朝鮮;毛沢東』筑摩書房、1981年)と述べています。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島隆博

いまの世の中には、「民主主義」、「科学」、「資本主義」など、西洋から生まれた「普遍的」なものが数多くありますが、これらを本当に普遍化するためには、西洋の思想それ自体を外部から変形させていく必要があるのです。

「近代の超克」の「超克」

しかし、「東洋によって西洋近代の世界を普遍化する」とだけ聞くと、当たり前で、なんとなく聞き覚えのある話だと感じる人もいるかもしれません。

じっさい、東洋の側からの西洋近代の乗り越えは、竹内が活躍するよりも前から目指されていたものでした。

東洋と西洋の対抗関係の解決を目的として開かれた有名な座談会に、「近代の超克」というものがあります。これは竹内が「方法としてのアジア」というエッセイを出す1961年より約20年も前、1942年に開かれたものです。この座談会で目指されていたのも、まさに西洋近代の乗り越えでした。

一方で竹内は、この「近代の超克」を否定的に捉えてもいました。

竹内は「近代の超克」について、「亡霊のようにとらえどころがなく、そのくせ生きている人間を悩ませる」(『〈竹内好全集8〉近代日本の思想;人間の解放と教育』筑摩書房、1980年)と評しています。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島隆博

なぜ「亡霊」なのでしょうか?それはこの「近代の超克」論が、戦後になって捨て去られてしまった議論だからです。

太平洋戦争開戦の直後に開かれたこの座談会は、戦争遂行とファシズムを思想的に支持したとして戦後批判されました。つまり、「近代の超克」は、国家主義を導く危険な思想だと考えられたのです。

たしかに、「東洋によって西洋近代の世界を普遍化する」というのは、かえってアジア中心的すぎる試みのようにも思えます。丁寧に実践していかないと、簡単に東洋を西洋より優位な立場に置くことになるでしょう。

そういう理由で「近代の超克」論は捨て去られたものの、その主張が捉えようとしていたものは亡霊となって残っていると、竹内は考えます。竹内は、その「亡霊払い」をするために、「方法としてのアジア」という主張を打ち立てました。

「方法としてのアジア」が「近代の超克」論と異なるのは、「方法」という立場をとっているということです。

「東洋の側からの西洋近代の乗り越え」を行うには、「東洋」というものがまず何であるのか捉える必要があります。

しかし、そこで東洋という「実体」を掴もうとしてしまうと、「近代の超克」と同じように、ナショナリスティックな議論に陥ってしまう可能性があるでしょう。国の「実体」というのは、ある種のイデオロギーの拠り所になりうるからです。

竹内は、東洋を「実体」としてではなく「方法」として捉えることで、「近代の超克」を「超克」しながら、「東洋の側からの西洋近代の乗り越え」を行おうとしたのです。

(注:ただし竹内自身は、「近代の超克」について、「戦争とファシズムのイデオロギイにすらなりえなかった」(『〈竹内好全集8〉近代日本の思想;人間の解放と教育』筑摩書房、1980年)と述べています。)

「方法としてのアジア」とは何か考えていくために

しかし、東洋を方法として捉えるとは、どのようにすれば良いのでしょうか?

実は竹内は、「方法としてのアジア」というものを「明確に規定することは私にもできない」と述べています。

「方法としてのアジア」が具体的にどういうもので、どのようにそれを実践するかということは、後世の研究者に委ねられてしまっているのです。

冒頭で、中国や韓国で「方法としてのアジア」という考え方が受容されつつあると述べました。講義では、現在の中国や韓国の知識人の間で、「方法としてのアジア」がどのように受容されているのか、実際のテクストを読みながら解説されています。そこでは「方法としての中国」がどういうものであるのかについても語られます。

また冒頭では、「日本で竹内の主張は無視されている」とも述べました。

それでは、「方法としての日本」というものについては考察されていないのでしょうか?

まさに、この講義を担当されている中島先生こそが、日本でそれを行っているのだといえるでしょう。

どうすれば西洋近代中心の世界観を捉え直すことができるのか、そのような問題に関心がある人は、この記事を読むだけでなく、ぜひ中島先生の講義動画も視聴してみてください。

講義の最後には、30分ほどの質疑応答タイムもあります。実際に学生から出た質問と、それに対する先生の答えは、この問題をより理解する助けになるはずです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島隆博

今回紹介した講義:第5回 東アジアにおける概念の循環――方法としての日本そして儒教 第一講 中島 隆博先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/10/26

突然ですが質問です!

文学の世界における、一番の大作家は誰だと思いますか?

もちろん、その答えは人それぞれでしょうが、ここでそのひとりとして19世紀ロシアの作家、ドストエフスキーの名前を挙げることに、異論がある人はあまりいないでしょう。

『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』といった代表作のタイトルは、文学に馴染みのない方でも、きっと聞いたことがあると思います。

しかし、ドストエフスキーの作品を読んだことがあるという人は、その名の有名さの割に、多くないかもしれません。長編の名手であるドストエフスキーの作品は、とても長いものが多く、気軽に手を出すことができないからです。

前提知識なく読み始めると内容がよく理解できないということもあり、挫折してしまった人も多いと思います。(私も大学1年生のときに『罪と罰』を上巻だけ読んで投げ出してしまったことがあります……)

「ドストエフスキー、凄いと言われているけど、何が凄いんだろう?」

今回はそんな疑問を持つみなさんに、ロシア文学研究者の大家、沼野充義先生による、ドストエフスキーの読書案内講義を紹介します。

ドストエフスキーの作品には「死」が満ちている

長編の名手として知られるドストエフスキーですが、そのなかでも特に名作として挙げられることの多い「後期5大長編」として、以下の作品があります。

◯『罪と罰』1866年

◯『白痴』1870年

◯『悪霊』1875年

◯『未成年』1875年

◯『カラマーゾフの兄弟』1879年〜1880年

(このうち『未成年』を外して「後期4大長編」とすることもあります)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

講義では、そのうち特に知名度の高い『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』が詳しく解説されます。

そんなドストエフスキーですが、その特徴に、どの作品も数々の「異常な死」に満ちているということがあります。

講義で解説されるこの2つの作品も例外ではなく、どちらも死が作品の重要なテーマです。

どうしてドストエフスキーは、死をテーマとした作品を書き続けたのでしょうか?

ドストエフスキーの死の原体験と罪と罰

『罪と罰』は、元大学生による、金貸しの老婆殺害事件を描いた作品です。

舞台は1860年代のペテルブルク。主人公の貧乏学生であるラスコーリニコフは、自分が「選ばれた」天才であると信じこみ、他者を殺しても許されるという考えから、金貸しの老婆を殺害します。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

どうしてドストエフスキーはこのような物語を書いたのか、沼野先生は、ドストエフスキーには、2つの死の原体験があったと言います。

そのうちひとつが、父親が領地で農奴(封建社会における農民)に殺害されたという事件です。事件の真相はいまだによく分かっていませんが、自分の親が殺されるという衝撃的な出来事は、18歳のドストエフスキーに強い印象を与えたと考えられます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

そしてもうひとつ、死刑判決を受け、銃殺刑執行寸前の状態を体験したということも、ドストエフスキーの死に対する考えに影響を及ぼしました。社会主義グループのメンバーであったドストエフスキーは、逮捕され、そのまま処刑寸前の状態にまでなりましたが、当時の皇帝であったニコライ1世からの恩赦が届き、一命をとりとめます。(実際にはこの恩赦は、事前に仕組まれたものでした)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

沼野先生は、このようなドストエフスキーを「死にとり憑かれた作家」として紹介します。

『罪と罰』で描かれているのも、まさにドストエフスキーが身近なものとして体験した「殺人」です。

沼野先生は、『罪と罰』の主題は「踏み越え」と「復活」であるといいます。

『罪と罰』という作品のタイトルは、原語のロシア語では『Преступление и наказание(プレストゥプレーニエ・イ・ナカザーニエ)』になるのですが、「罪」という訳部分にあたる「Преступление(プレストゥプレーニエ)」には、語源的に「踏み越える」という意味があります。そして、「罪」というより、むしろ「犯罪」に近い単語です。

(沼野先生は、『罪と罰』のタイトルは『犯罪と刑罰』と訳すべきだったかもしれないといいます)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

殺人という「犯罪(踏み越え)」を犯してしまった主人公のラスコーリニコフが、どう「復活」するのか。

この「踏み越え」と「復活」が、作中でも示される聖書の「ラザロの復活」のエピソードになぞらえられて、作品の重要な主題となっています。

もちろん、作品は作者から切り離して読んでよいのですが、父親の殺害を経験したドストエフスキーが、どのように殺人という「踏み越え」を犯した主人公を「復活」させるのかという視点でこの作品をみると、大筋を理解しながら読み進めることができるのではないでしょうか。

カラマーゾフの兄弟と父親殺し

次に紹介される『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ家の父親殺害事件を描いた作品です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

「父親殺害事件」と聞くと、まさにドストエフスキーの父親が殺害された死の原体験を思い浮かべると思います。

このように、具体的に作品に反映されるかたちで、ドストエフスキーの死の原体験は尾を引いているのです。

一方で沼野先生は、ここでの「父親」はそのまま家族の父親でありながら、また「国民の父」である皇帝だと解釈することもできるといいます。

ドストエフスキーが活躍した19世紀末は、まさにロシア帝国が崩壊する前夜の時代であり、先ほど紹介したように社会主義活動も行っていたドストエフスキーにとって、皇帝殺害の企ては現実的なものでした。

さらにこの「父親」は、より大きな「神」という存在を具体化したものと考えることもできます。

ドストエフスキーの作品には、「死」と同じように、「神」というテーマが頻出します。『罪と罰』の「復活」も、聖書のエピソードをもとにしたものでした。

この『カラマーゾフの兄弟』にも、『罪と罰』と同じように、キリスト教が重要なモチーフとして登場します。

『カラマーゾフの兄弟』における「父親殺し」は、「家庭の父」、「国家の父(皇帝)」、「人類の父(神)」の3層を含んでいると考えることができるのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2009, 沼野充義

具体的な話を展開しながらも、このような壮大なテーマへの示唆に富んでおり、多様な読みを導くのが、ドストエフスキーが大作家である所以だといえます。

小説は要約しても意味がない!

みなさん、いかがでしたでしょうか?

ドストエフスキーの何が凄いのか、少しは掴んでいただけましたか?

なんとなく、ドストエフスキーの作品について理解できて、満足したという人もいるかもしれません。

しかし、沼野先生は「小説は要約しても意味がない」といいます。

講義中で、ドストエフスキーと同じくロシアの大作家であるトルストイが『アンナ・カレーニナ』という作品を出版したときのエピソードが紹介されています。

ある批評家がトルストイに対して、「あなたは『アンナ・カレーニナ』という作品で何が言いたかったのですか」と尋ねました。

トルストイはそれに対して、「それを説明するためには、『アンナ・カレーニナ』という作品を最初から最後までもう一度書かないといけないでしょう」と答えたそうです。

そう考えると、やはりドストエフスキーを知るためには、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を実際に読むしかないのでしょう。

ボリュームのある作品が多いですが、大枠が掴めれば、きっと読み切ることができるはずです。講義動画では、ドストエフスキーや紹介したふたつの作品について、より詳しい説明がされています。良い読書体験をするうえでの助けとなると思います。

どうしてもハードルが高い、という方のために、講義では沼野先生による、オススメのドストエフスキーの短編も紹介されています。不安がある方はぜひ、まずそこから手を出してみてください。

今回紹介した講義:

今回紹介した講義:死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)第7回 ロシア文学における生と死(その1) ドストエフスキー 沼野 充義先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/10/17

想像してみてください。

あなたのお母さん(お父さん)の咳がこのところ長引いています。体調が今一つすぐれないことも気になって、一緒に病院に行ったところ、「肺がん」と診断されました。

あなたは、お母さん(お父さん)にどのような医療を受けさせたいですか。

どのような情報を、どうやって探しますか。

がんになった人にとって、情報は”命”であるとされています。

しかし、特に最新の治療法といった”新しい”医療や情報を巡っては、その届けられ方に課題があることも明らかになっています。

新型コロナウイルスに関連した”新しい”医療や情報が多く溢れている今だからこそ、

情報を届ける側はそれらをどう届けることができるのか、

情報を届けられる側はそれらをどう探し、見極めることができるのか、

がん対策情報センターに所属している講師と一緒に考えてみませんか。

がん医療に関する情報提供をめぐる変遷

2005年以前、がん医療に関する情報提供の問題点として、多くの国民が情報の不足感を抱えていることや、正しい情報を手に入れることに難しさを感じていることが挙げられていました。

このような問題を解消するために、役立つ情報の提供と正確な情報に基づく支援を目指し、がん対策推進アクションプラン2005が策定され、以降、様々ながん対策計画が発表されてきました。

そして、アクションプラン策定から10年以上経った現在では、利用できる情報は増加・拡大を続けています。

科学的根拠などに基づき、各疾患ごとに診断や治療の標準的な指針をまとめた文書である「診療ガイドライン」にもその傾向は現れています。

10年前は、非常に限られた種類のがんに対してしか診療ガイドラインが作られておらず、またそれらはほとんど改訂されないか、されたとしても改訂に5年ほどを要するものでした。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 高山 智子

しかし現在は、乳がんや肺がんなど、多くの種類のがんに対応した診療ガイドラインがあり、改訂も昔と比べ短いスパンで行われています。

また、専門家用だけでなく、患者用の診療ガイドラインも多く作成されてきています。

このように、昔と比べ、現在では科学的根拠に基づいた利用可能な情報が非常に増えてきているという現状があります。

新しい医療を巡る情報支援における現在の課題

科学的根拠に基づいた利用可能な情報が増え、医療者や患者により届きやすくなっていることは喜ばしいことです。

しかし一方で、特に新しい医療や情報を巡っては、その届けられ方に課題があることも明らかになっています。

通常、新しい医療ほど、患者や家族に対してその安全性やリスクの説明をしっかり行うことが医療者には求められます。

しかし、患者一人当たりの在院日数が短くなり、入院患者数が増え、さらに忙しさを増している現在の医療現場において、医師と患者・家族間で十分なコミュニケーションがとれず、患者・家族が十分な情報を得られない、十分に情報を理解できないままになってしまうことが往々にしてあります。

すると、患者・家族はメディアの中に、不足する情報を探そうとします。

しかし、メディアには探した以上の情報が存在し、患者・家族は情報過多に陥り、時に医師の発言への懸念や、誤った情報の修正に医療従事者が苦労するといった事態につながります。

このように、医師からの情報が希薄なことで、信頼関係が十分にないまま、患者や家族は色々な情報に翻弄されるということが起こるのです。

また、患者側だけでなく、医療者・病院側も十分な情報を持っていなかったり、誰が対応したら良いか、どこに窓口を設ければ良いのか、どのように他の機関と連携するのかといったことを巡って混乱に陥ります。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 高山 智子

情報支援における3つのポイント

では、どうすればよいのでしょうか。

医療関係者、患者、家族、国民らの間を行き交いながら様々な情報を発信していく、”情報コーディネーター”になったつもりで考えてみましょう。

そこには、以下の3つのポイントがあると講師は述べます。

① 怪しい情報が目立ちやすい中で、正しい情報をきちんと目につきやすくし、使えるようにする

② 医師・医療者へのサポート

③ 苦しい思いで情報を探しているという患者・家族の気持ちに寄り添いながら、理解を助けること

①正しい情報を(つくり、改善し)、活用しやすくする

ガイドラインは、まず網羅的に情報を集め、専門家集団がその情報を評価し、まとめて、推奨を出すという流れで策定されます。

作られたものはさらに、しっかりとしたガイドラインと言えるかどうか、第3者からチェックされます。

このプロセスでは、患者の視点でのチェックも大切とされています。

この表現が理解しにくい、(Webサイトであれば)読みづらいといった指摘がある場合は、さらに分かりやすい情報にブラッシュアップしていきます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 高山 智子

ガイドラインに記載されている、標準的な、もしくは推奨される治療やケアの実際の実施率、(実施率が低い場合は)低実施率の理由を知ることも非常に大事になってきます。

実施しない理由を基に、さらに改善すべきところがあるのかないのか、対象を絞るべきなのかなどを検討する必要があるためです。

②医師・医療者をサポートする 

情報社会の中で困っているのは医療者も同じです。

がん対策計画においては、医師は患者・家族に適切な説明を行う必要があると記載されています。

適切な説明をするためには、単に言葉を知っていれば良いわけではなく、ある程度その用語や制度を詳しく知っている必要があります。

がん拠点病院のスタッフ数は2015年時点で常勤・非常勤合わせて40万人程度います。

全員が同レベルの情報を知っている必要はありませんが、これらの人たちがきちんと情報を使えるようにサポートしていくことが大事になってくると講師は述べます。

③気持ちに寄り添い、患者の不足している情報・理解を助ける

患者・家族に寄り添い、情報の理解を助けるためには、がん専門相談員の役割と対応が重要になります。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 高山 智子

がん相談支援センターにはがん専門相談員がいるため、このような窓口を紹介することも大切な支援です。

がん相談支援センターは、誰でも、匿名で、無料で相談できます。

終わりに.

繰り返しになりますが、がんになった人にとって、情報は”命”であるとされています。

最新の治療を受けたいという思いの裏には、

「良い医療を受けたい」

「治りたい・(家族に)治ってほしい…」

という切実な気持ちがあります。

だからこそ、求める情報、必要とする情報を何とかして得ようと必死になるのです。

新型コロナウイルスに関連した”新しい”医療や情報が多く溢れている今だからこそ、

情報を届ける側はそれらをどう届けることができるのか、情報を届けられる側はそれらをどう探し、見極めることができるのか、一緒に考えてみませんか。

今回紹介した講義:新しい医療が社会に届くまで ~データサイエンスが支える健康社会~(学術俯瞰講義)第12回 新しい医療や情報をどう患者や市民に届けるか 髙山 智子先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>

2022/10/12

みなさん、生物はどのように進化するのか、知っていますか?
進化に関する学説で広く知られているのは、チャールズ・ダーウィンの「自然選択理論」です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

「生物は、生存に有利な性質をもつ個体が子孫を増やすことで進化してきたんでしょ?」

自然選択という考え方があまりに有名なため、このように「進化=自然選択」だと考えている人も多いのではないでしょうか?

しかし、生物の進化は自然選択によってのみ起こるわけではありません。

進化には色々なかたちがあり、さまざまな過程を辿りながら、生物の遺伝的形質は変化してきたと考えられています。

進化学について考える講義動画を通して、生き物がどのように進化していくのか、捉え直してみませんか?

遺伝的浮動による偶然の進化


今回講義を担当してくださるのは、東京大学総合文化研究科(当時)の森長真一先生です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

森長先生は、進化を「集団内の遺伝子or遺伝的形質頻度の時間的変化」と定義します。遺伝的形質が変化することが進化だとするこの定義は、私たちの進化に対して抱くイメージとも一致するでしょう。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

遺伝的形質の時間的変化は、個体が持つ遺伝的形質が変異し、それが子孫に遺伝することによって起こります。

このように聞くと、やはり「有利な形質が時間とともに増える」というダーウィンの自然選択理論は、もっともな理論だと感じるかもしれません。

しかし、現在の進化学では、なんでも自然選択理論で説明してしまうのは、正しくないだろうと考えられています。

森長先生が注目するのは、「遺伝的浮動」による「中立進化」という概念です。

遺伝的浮動とは、「偶然の作用による遺伝子or遺伝的形質頻度の変化」のことです。

自然選択による「適応進化」では、生存上有利な変異が増える、もしくは生存上不利な変異が除去されることによって形質が変化します。

一方、遺伝的浮動による中立進化では、変化する形質は、有利でも不利でもありません。有利でも不利でもないために、その形質はランダムに増減を繰り返します。ランダムに増減し、その形質が集団内において一定の割合を占めることになった結果、遺伝子が固定されます。このように起こるのが中立進化です。

森長先生は、適応進化を「必然」の進化、中立進化を「偶然」の進化だと捉えます。この区分は、フランスの生物学者であるジャック・モノーが提唱したものです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

進化が「必然」であれば、生物間の形質の違いには意味があり、進化は予測可能だと考えられます。

一方、進化が「偶然」の場合、生物間の形質の違いには意味がなく、進化は予測不可能です。

過去について知る進化学の限界

それでは、生物の進化は必然的に起こっているのでしょうか?それとも、それは偶然によるものなのでしょうか?

森長先生は、DNAレベルの進化では、そのほとんどが中立進化(偶然)であり、そのうち一部だけが適応進化(必然)であると考えられているといいます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

つまり、進化には、必然的なものも、偶然的なものも、それぞれあるということです。

ただ、ここまでは多くの研究者が意見を一致させていますが、それ以上のことはいまだに分かっていません。

DNAレベルの進化のうち、一部が適応進化であるとすれば、その一部のDNAの機能はなんなのでしょうか?

目に見える形質がその一部のDNAに支配されている可能性はないのでしょうか?

いくらDNAの大半が中立的に進化しているとしても、目に見える形質に関係するDNAが適応的に進化しているのであれば、進化は実質的に自然選択であると言えてしまうのかもしれません。

逆に、一見自然選択の結果に見える形質変化の例があっても、それが中立進化ではなく適応進化であると言い切ることはできません。これまで、世界中の生物の進化で「適応」と考えられる事例が数多く発見されてきましたが、それを遺伝的浮動の偶然の作用の結果として説明してしまうこともできるのです。

このように、進化の過程について複数の可能性を挙げられてしまうのは、進化によって成り立った現在の生物の姿だけしか確認することができないからです。タイムマシンを使って過去を直接見てこない限り、ある生物がどのような進化を遂げてきたか説明し切ることはできません。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

ゲノムから推測する進化のあり方

しかし、現実にはタイムマシンなどはありません。それでは、生物の進化の過程については全くのブラックボックスになってしまうのでしょうか?

問題を解決するための鍵となるのが、「ゲノム」です。森長先生は、ゲノム情報を利用すれば、進化の過程についてある程度検討をつけることができるのではないかと主張します。

ゲノムとは、生物のもつ全DNA配列のことです。ゲノムに着目すれば、形質の変化が適応進化で起こったのか、中立進化で起こったのか見極められる可能性があります。

まず、自然選択は、特定の遺伝子と、その近傍に強く作用します。

一方、遺伝的浮動は、不特定の遺伝子に弱く作用します。

また、個体の数が急激に減少したり、集団の中の一部が別の場所に移動したりして、元の集団とは遺伝子頻度が異なった集団ができる場合があります。(講義内では「ボトルネック効果」や「創始者効果」といった言葉で説明されます)

このボトルネック効果や創始者効果はゲノム全体に作用します。

着目する変異があるゲノムとないゲノムをそれぞれ着色して、その変異が全体に均一化されたらそのゲノムの配色がどうなるのかを示したのが下の図です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義Copyright 2011 森長真一

自然選択が起こっている場合と、遺伝的浮動が起こっている場合、「ボトルネック効果」や「創始者効果」が起こってる場合とで、それぞれゲノムの配色が異なっています。

自然選択の場合は、着目する変異が広がったとき、着目している遺伝子の周囲も同じ色になります。

ボトルネック効果の場合は、着目する変異が広がったとき、ゲノム全体が同じ色になります。

遺伝的浮動の場合は、着目する変異が広がったとき、着目している遺伝子の周囲以外も均一化されている部分が見られます。

このようなゲノムの違いに着目することで、遺伝の流れを推測することができるのです。

更なる進化学の発展

この講義は2011年に開講されたものですが、それから10年あまりが経った現在、ゲノム解析技術は更なる進歩を遂げています。

しかし、講義で説明される進化学の根底の考え方は、今の研究にも通じているものです。分かりやすい例を交えて展開されるこの講義は、進化学への導入としてピッタリだといえるでしょう。

みなさんもぜひ、この講義動画を視聴して、進化についての学びを深めてみてください。

今回紹介した講義:「かたち」と「はたらき」の生物進化-偶然か必然か(学術俯瞰講義)第4回 進化は進歩か?:自然選択と遺伝的浮動が織りなす生物史 森長 真一先生、塚谷 裕一先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/10/06

「見ず知らずの他人に自分のクレジットカードのセキュリティが破られた!」

「SNSで他人に秘密にしたい内容を話したのに、知らない人に内容を知られていた!」

普段生活していてこのようなトラブルに滅多に遭遇しないのは、暗号が私たちの生活を支えてくれているおかげなのです。

では、そもそも暗号とはどのようなものなのでしょうか?

UTokyo OCW広報部長のだいふくちゃんに聞いてみると、こんな暗号をくれました!

みなさんが「暗号」と聞くと思い浮かぶイメージに近いかもしれませんね。

せっかくなので、この暗号を一緒に解いてみましょう!

昔ながらの暗号

あまり手がかりがなくて難しいですが…何もできないでいるよりは、とりあえずこの暗号は「伝えたい文章をローマ字に直して、アルファベット順に同じ数だけずらしたもの」だと考えて進めてみましょう。

たとえば、「IB」や「XP」や「HB」といった部分は短いので何かわかるかもしれないですね。

日本語のローマ字なら、単語の最後が「A I U E O」で終わるのが自然な気がするので、「B」や「P」を「A I U E O」などにずらしたときに文章の意味が通じるか考えてみましょう。

「A I U E O」のなかで「B」にいちばん近いアルファベットは「A」ですね。

「B」は「A」のひとつ後のアルファベットですが、「P」のひとつ前のアルファベットは「O」なので、これも「A I U E O」に含まれていますね。どうやらこの暗号は、伝えたいメッセージのローマ字をひとつ後のアルファベットに置き換えたもののようです。

では、暗号のアルファベットをひとつずつ前にずらしてみましょう。

だいふくちゃん通信は 楽しく 東大の授業を知ることができる 心躍るメディアです」となり、意味が通じました!どうやら暗号の解読に成功したみたいです。

だいふくちゃんは「暗号」といえばこのような暗号を思い浮かべるようですが、では現代社会でこのような暗号を使って安全に暮らすことができるのでしょうか?

現代社会で使われている暗号

だいふくちゃんが考えてくれた暗号は「伝えたい内容をローマ字にして、アルファベット順に従って決まった文字数だけずらしてできた文章」でしたね。

もし、ネットショッピングなどでクレジットカード情報をこの暗号方式で伝えると、数字なら10通り、アルファベットなら26通り試せば突破されてしまいます。パソコンで計算すれば一瞬です。悪意をもった盗聴者にすぐにバレてしまうので、安全とはいえませんね。

だいふくちゃんの暗号のよくなかったところを考えてみましょう。まず挙げられるのは、内容を伝えたい相手にも暗号化の方法が秘密なので、伝えたい相手が正しく暗号を解くという確証がないことです。

これは逆にいえば、内容を知られたくない相手にも内容を知られてしまう可能性がある、ということです。現代社会は秘密にしたいことだらけなので、これは良くないですね。

では、暗号化の方法は公開しつつ、特定の相手にだけ秘密の情報を渡すにはどうすれば良いのでしょうか?

現代社会では、公開鍵暗号という方式の暗号が使われています。公開鍵暗号とは、暗号化に使う鍵を公開し、それを解読(専門的には複号という)するための鍵は秘密にする、という方式です。役割の違う鍵が2つあるのがポイントです!

鍵を公開してしまっても安全なの?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、これがなんと大丈夫なのです。どのような仕組みでそれを実現するのかはさておき、図解してみます。

いらすとやの画像を元にOESが作成

先ほども説明したとおり、だいふくちゃんが作った暗号の場合は暗号化の方法さえわかってしまえばパソコンですぐ解けてしまいます。では現代社会で使われている暗号である公開鍵暗号ではどうなるのでしょう?

いらすとやの画像を元にOESが作成

公開鍵暗号は、「メッセージを暗号にする魔法の合言葉」と「暗号をメッセージに戻す魔法の合言葉」が別々なので、「メッセージを暗号にする魔法の合言葉」だけ公開しておけば、もう一つの魔法を知られなければ安全、というわけです。通信を盗聴されたとしても、盗聴者は暗号をメッセージに戻す魔法を知らないので、解読できないわけですね。

では、このような2つの対になる「魔法」をどのようにして作れば良いのでしょうか?

RSA暗号

暗号が安全であるためには、暗号文をメッセージに戻す操作が盗聴者にとってとても時間がかかる作業でなくてはなりません。しかし、受信者にとってはその操作は簡単じゃないと困ります。でも送信主は、メッセージをわざわざ面倒臭い手順で暗号文にしたくはありませんよね。

これらのバランスがちょうどよい「魔法」が、数学の世界には存在します。素因数分解です。難しい言葉が出てきたので、簡単に説明しますね。

まず、11×34を計算してみてください。筆算を使えば電卓がなくてもすぐに答えが374だとわかると思います。

では次に、先ほど「11 × 34 = 374」と求めましたが、そのような感じで、「?×? = 57」となるような、「?」に当てはまる2つの整数を求めてみてください(2つの?にはそれぞれ異なる数字が入ります)。簡単すぎる方は57の代わりに893で計算してみてもいいかもしれません。

最初に出題した掛け算と違って、後に出題した「?」を求める問題は難しかったと思います。普通の電卓でも計算できないでしょう。

このように、あるひとつの数が与えられて、その数に対応した「?」を求めることを素因数分解と言います。今までに説明してきた状況では、与えられる数をうまく作れば素因数分解の答えは1つしかないことが知られています。

この素因数分解の逆の計算である整数の掛け算は、すぐに計算できましたよね。でも素因数分解は難しかった。数字の桁が大きくなれば、より一層掛け算と素因数分解の面倒臭さはかけ離れていきます。このような、計算の難しさが行きと帰りで大きく異なる一方向性のある計算は、安全な公開鍵暗号に求められる資質を満たしています。

実際に素因数分解の難しさを根拠として暗号が開発され、この理論に基づく暗号はRSA暗号と呼ばれています。(その具体的な仕組みまで説明すると長くなりすぎてしまうので、他の記事を参照していただければと思います。)RSA暗号は現代社会の多くの側面での暗号通信を支えており、今や私たちの生活になくてはならない技術となっています。

しかし実は、長年私たちの安全な暗号通信を支えてきたRSA暗号にも重大な欠点があるのです…!

RSA暗号を脅かす技術

RSA暗号の欠点を2つ紹介します。

1つめは、素因数分解が困難ということの数学的な証明がまだ発見されていないという問題です。どういうことかというと、素因数分解を効率よく計算する方法を世界のどこかでものすごく賢い誰かが発見してしまうかもしれないということです。

2つめは、量子コンピュータという次世代のコンピュータを使うと、RSA暗号を従来の方法よりも素早く解くことができるようになる、という問題です。この方法は非常に難解なので、今回は説明しませんが、興味のある方は「Shorのアルゴリズム」と検索してみてください!

近年、量子コンピュータの実用化に向けて世界中の研究者がハードウェア開発に取り組んでいます。世界中の暗号の標準になっているRSA暗号が安全と言えなくなるのは時間の問題、なのかもしれません。

量子鍵配送 – 未来社会を支える暗号技術

では私たちのプライバシーはもう守れないかというと、実はそうでもないようです。今回紹介するのは、量子鍵配送という技術です。

さっきから量子という言葉が時々出てくるので気になっていた方も多いかもしれませんが、量子とはもともと物理学で研究されてきたものです。量子暗号を理解する上で非常に重要な概念なので、しっかり解説します。

量子とはなんなのか

古典的な物理学の長年の研究の結果、世界の全ての運動は粒の理論波の理論の2つで説明できる、という結論に辿り着きつつありました。ここでいう粒に該当するものには、例えば野球ボールなどがあります。野球ボールを投げるタイミング、投げる角度、投げるスピードを知ることができれば、いつ、どこに着地するのか予測できそうです。粒の理論はこの予測を可能にしました。

一方で波の理論で予測できるものは、例えば水面に石を投げ入れた時に波紋がどんな広がり方をするかといった問題です。石が水面に落ちる瞬間と、その時の水面の揺れ具合が分かれば、10秒後に波紋がどんな大きさでどれくらい激しく揺れているのか予測することができます。

確かに野球ボールと水面の動きは全然違うし、野球ボールの運動を波だと捉えてうまくいく訳がないことも、水面の運動を粒と捉えることが難しいこともわかると思います。古典的な物理学では、波と粒は全く別々の概念でしたし、複雑な現象も分解していけば必ずこの2要素で説明できると考えられていました。

しかしそんな中、波とも粒とも言えない微妙な存在があることがわかりました。です。光は波に独特の性質である干渉という現象を起こすため、素直に考えればのように思えます。しかし一方で、光の強度を弱めていくと光は連続的には弱くならず、飛び飛びの強度になることがわかりました。この事情を考えると、光はエネルギー単位の塊のとして扱うほうが飛び飛びの性質を扱うのに都合が良さそうです。では光とは一体なんなのでしょうか?

現代物理学では、光が粒か波かといった論争はしない代わりに、量子という新しい概念を導入します。量子は波と粒の2つの性質を同時に持つことのできる概念です。

量子1つがどんな動きをするのか見てみましょう。

OESが作成

粒が2つの箱のどちらかに入っているという状況を考えます。古典的な粒、例えば野球ボールといった私たちの直感に沿う物体は、右か左の箱のどちらかに入っている状態を取ることができ、それ以外の状態はありえません。

一方、量子はそのような状態を重み付きで足し合わせることができます。でも誰もこのような状態を見たことはないですよね。それはどうしてなのでしょう?

実は、量子の場所を測定しようとすると、その重みに応じた確率で位置が決まってしまうという性質があるのです。つまり観測によって「2つの状態が足し合わされた状態」が壊され、足し合わされる前の状態のどちらかに確率的に変化してしまうのです。

OESが作成

もっとたくさんの状態を重ね合わせることもできます。箱の場所がとても小さくなると、あたかも波のように見えますね。

OESが作成

実はこのような「状態の重みの波」の動きは以前の物理学で知られていた挙動によく似ていることもわかりました。これが粒と波の二重性のざっくりとしたイメージです。もちろん、このような重ね合わせ状態でも位置を決定しようとすると状態が壊れます。

量子鍵配送のイメージ

量子鍵配送ではこのような量子の性質をたくみに利用しています。先ほどの公開鍵暗号とは異なり、メッセージを解読する鍵とメッセージを暗号文にする鍵が同じであるような暗号を使うとします。送信者が受信者に鍵を送ろうとしている、という状況を考えてみましょう。量子に鍵の情報を載せて送っている場合、盗聴者は盗聴のために量子を観測する必要があります。

いらすとやの画像を元にOESが作成

盗聴者によって量子が壊されたかは見分けることができ、盗聴されたかどうかがわかってしまいます。量子コンピュータでも解読が困難な暗号盗聴されなかった鍵を使えば、RSA暗号よりもっと安全な暗号通信ができるというわけです。

このようにして鍵の候補の情報を量子に乗せて安全な通信を作る技術を量子鍵配送といいます。ついに、物理法則という、誰もが破ることのできない規則のレベルで安全な暗号通信が考案されたのです!

終わりに

今回は、暗号という技術の歴史を俯瞰し、実用化が待たれる最先端の暗号について紹介しました。物理学と数学が協力し合い、新しい暗号を形作りつつあるということを皆さんに知っていただければ幸いです。

「量子鍵配送の際に盗聴されたかどうか見分けるにはどういう通信方法にすれば良いの?」

「量子暗号はいつ実用化されるの?」

「実際の通信装置はどんな感じ?」

「やっぱり量子ってのがよくわからない!」

この記事をここまで読んでくださった皆さんは、きっと上のような疑問を持たれていることでしょう。

この記事では触れられなかった多くの数学的・物理的事情も全部ひっくるめて「量子論や暗号について勉強してみたい!」という方には、UTokyo OCWで誰でも閲覧できる、2012年の小芦先生の授業動画「微弱光を用いた究極の暗号」がおすすめです。こちらの授業動画では、光を使った量子暗号の作り方について説明されています。難しい数学の証明などはほとんどなく、量子の振る舞いや暗号としての利用方法を楽しく学ぶことができます!

東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013. 小芦雅斗

UTokyo OCWではこのほかにも、最先端の研究を行っている研究者による、わかりやすく内容も充実した講義動画をたくさん提供しています。これらの講義動画は誰でも無料で、会員登録なしで閲覧可能です。皆さんのご利用をお待ちしております!

今回紹介した講義:光の科学−未来を照らす究極の技術とアイデア(学術俯瞰講義)第11回 微弱光を用いた究極の暗号 小芦 雅斗先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/09/29

近年、「持続可能な社会」という考え方が広く共有されるようになってきました。

これは、将来の世代のために自然環境を適切に保全しながら、現在の世代の要求も満たしつつ存続していく社会を指します。

これからの社会を長く維持できるものにするために、過度にCO2を排出したり、資源を消費したりすることのない、持続可能な社会へと転換していくことが目指されています。

しかし、持続可能な社会とは、具体的にはどういった社会なのでしょうか?

目標として立てることはできたとしても、実際にそのような社会は実現可能なのでしょうか?

こういった話をするときに話題に上がりやすいのが、江戸時代の社会です。

みなさんも、「江戸時代はエコな社会だった」などという話を聞いたことがあるかもしれません。

実際、江戸時代には、基本的に鉱物資源はつかわれず、再生産可能な動植物資源が主なエネルギー源でした。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之


資源の利用という観点において、確かに江戸時代の日本はバランスが取れていたといえます。

一方で、動植物資源では成長できなかったから、鉱物資源中心の社会に移行したのではないかと考える人もいるかもしれません。

しかし、動植物資源に依拠した江戸時代も、経済社会の拡大局面を含んでいました。

一体なぜ動植物資源に依存しながら、江戸時代の社会は経済的に成長することができたのでしょうか?

今回は、江戸時代の経済システムを概観しながら、その持続の可能性と限界を探る講義動画を紹介します。

17世紀に激増した、人口と耕地面積

今回講師を担当してくださるのは、日本経済史の専門家である谷本雅之先生です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

先生はまず、江戸時代の日本の人口と耕地面積の推移を示します。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

上のグラフのとおり、江戸時代で人口と耕地面積が大きく増えたのは、17世紀でした。

人口については、1600年からの100余年で2倍近くになっています。

その後18世紀に入ると、人口と耕地面積はほぼ横ばいになり、19世紀にまた少し上昇しています。

家族を基体とした農業が、人口増加につながった

それでは、なぜ17世紀にここまで大きく人口と耕地面積が増加したのでしょうか?

ひとつの理由は、それまで農地として利用できなかった肥沃な平野の開拓が進んだことです。

一方で谷本先生は、経済システムという面でみると、直系家族の形態の定着が大きな鍵になると主張されます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

江戸時代になると、3、4世代が同居するひとつの家が独立した経済主体となりました。

この直系家族が、江戸時代の農業の基体になっています。つまり、血のつながったひとつの家族ごとに農業を営む形態が一般化するのです。

17世紀には、二毛作の発展や鍬の使用(それまでは鋤を使用していた)、肥料の利用拡大などにより、土地の生産性が増大しました。そしてそれが、17世紀の経済成長につながっています。

ただし、このような土地の生産性を上げるための施策には、労働投入が必要です。これまでと比べて厳しい労働を行い、しばらくその施策を続けたうえで、ようやくその成果があらわれます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

直系家族を農業基体とする形態は、このような労働投入型の農業に適していました。家族労働であれば、たとえ投資と成果に少しタイムラグがあっても、確実に成果の配分に預かることができるからです。

頑張る分だけ成果が出たことで、農民の労働意欲も上昇し、結果として経済的な成長が達成されました。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

農業の固着性により、共同資源が維持される

江戸時代の農業から持続可能な社会を考えるうえで、もうひとつ重要なのは、地域の農民が総有する入会地の存在です。

17世紀は、農業の肥料として、柴や草を原料とした草肥の重要度が高い時代でした。その肥料を手に入れるために、農民たちは森林などの土地をみんなで共同利用します。

「共同利用」と聞いて、果たしてそのようなシステムがうまく成り立つのか、疑問に思われた方もいるかもしれません。

たしかに、共有地は一般的に、うまくいかない制度だと考えられています。資源の濫用や過剰利用へとつながってしまうからです。(生物学者のギャレット・ハーディンが「コモンズの悲劇」という論文を発表して、共有地化による資源の枯渇が広く認知されるようになりました)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

まさに現在、資源が減少しているひとつの理由も、私たちが「共有」している地球という環境資源を過剰に消費しているからでしょう。

しかし、谷本先生は、江戸時代の入会地は、実はある程度うまくいったといいます。

どうして共有地であるにもかかわらず、入会地では過剰に資源が消費されることがなかったのでしょうか?

そのひとつの理由は、農民が入会地を長期利用することに重きを置いていたことにあります。

先ほど紹介したように、江戸時代の農業は直系家族を基体とする形態であり、その家族は同じ場所に定住して生活していました。つまり、江戸時代の日本の農村は固着性が強かったのです。

もしそこで、ひとつの家族が資源を過剰に消費してしまうと、ほかの家族の反感を買います。場合によっては、村八分になってしまうリスクさえあります。

そのような環境では、ルールに従って、適度に資源を共同利用する必要があるのです。

共有資源を過剰に消費しないための条件

経済学者のエリノア・オストロムは、共有資源が管理できる条件として、次の6つを挙げています。(画像参照)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

ここで挙げられる条件の多くを、江戸時代の農村は満たしていたのだといえるでしょう。

そのため、入会地という制度は一定の成功をおさめることができたのです。

固着性の強い農業形態に親しんでいる私たちは、このような江戸時代の農業環境をスタンダードなものだと捉えてしまいます。

しかし、谷本先生いわく、世界的、歴史的に見て、江戸時代の日本の農業は特に固着的なものであったようです。

このような共有地利用の条件についての考察は、そのまま持続可能な社会の議論にも応用することができると思います。

では、どうして18世紀に人口は停滞したのか?

ここまで記事を読んできて、江戸時代の社会システムに可能性を感じる一方、その限界を感じ取った方もいるかもしれません。

たしかに17世紀の日本では人口と耕地面積が大きく増加しているものの、18世紀ではそれらの拡大が止まってしまったからです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之

その停滞に対し、動植物資源に依存した成長には限界があったとみる向きもあります。

やはり、更なる経済成長のためには、鉱物資源中心の社会に転換するしかなかったのでしょうか?

結論から述べると、18世紀に人口が停滞した明確な理由はいまだ分かっていません。

『人口論』で知られる経済学者のマルサスは「人口が停滞するのは飢饉などによる」と主張していますが、これまでは江戸時代の人口停滞もマルサス的な理論で考えられてきました。

しかし、17世紀と比べて、18世紀の日本の平均寿命は基本的に伸びているということが明らかになっています。必ずしもマルサスの主張通りにはなっていないのです。

明確な理由は分からないものの、講義では、18世紀日本の人口停滞の原因に対する考察が、可能性としていくつか述べられています。

そのほか、水産資源の利用や、江戸時代の都市の社会システムについての解説もあります。

江戸時代の社会は過去のものではありますが、たしかにその社会システムは日本という環境で成立していたものです。その資源利用の仕方など、これからの社会をつくっていく際に、参考とすべき点は多くあります。

ぜひ講義動画を視聴して、動植物資源には本当に限界があったのか、みなさんも考えてみてください。

今回紹介した講義:ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)第10回 歴史の中の動植物資源と経済活動 谷本雅之先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/09/21

なんで自分はこうなのだろうか‥‥‥?

こうなってしまうのは全部自分のせいなんじゃないか‥‥‥?

このように考えてしまったことはありませんか。

自分の心に問題や悩みを抱えた時、私たちはひたすら頭を抱えて、自分の中に苦しさの原因があると思ってしまいがちです。

そうして、「自分が全て悪い」、「周囲に申し訳ない」、といったふうに全ての責任を自分で負おうとしてしまいます。

人間の苦悩とは、個人の中だけにあり、その人が全ての責任を負うものでしょうか。

決してそうではないと、講師は言います。

人間の心に生じる問題は、当事者である人間と、周辺の他者との交流や会話といった、「環境」との相互作用によって生み出されます。

それが悪循環に陥ることで、人は多くの苦悩を抱えてしまいます。

そして、そこから抜け出すための鍵の一つが、認知行動療法です。

臨床心理学を専門とされる下山先生と一緒に、苦悩の「つながり」とは何か、その「つながり」から抜け出すにはどうすれば良いのか、一緒に考えてみませんか。

きっと、この複雑な社会で、自分や周囲の心に生じる問題や苦悩とどう向き合っていけば良いのか、そのヒントが得られるはずです。

1.問題の背景に潜む、悪循環という「つながり」

まず、問題の背景に潜む「つながり」とはどういうものか知らないと、そこから自由になることはできません。

不登校状態にある”心理君”を例にとって考えてみます。

すると、下図のような悪循環、つまり、苦悩の「つながり」が潜んでいることが分かります。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦

このように、問題の背景に潜む苦悩の「つながり」を理解するためには、

不登校状態という「問題」だけに着目するのではなく、その背景にある様々な基本要素と、それら同士の「つながり」を丁寧に紐解いていく必要があります。

問題行動は、あくまで悪循環の一部でしかありません。

学校に行かないという心理君の問題行動の背景には、

実は、親からの刺激、学校で失敗しないか、いじめられないかという本人の認知・考え方、怖いという感情、ドキドキして震えるという生理的反応、そして、学校にいけないという行動があるのです。

2.ミクロな視点とマクロな視点で問題を考えていく

問題行動というのは、あくまで苦悩の「つながり」の一部であり、その背景には様々な要因と要因同士の関係が潜んでいるということを述べてきました。

もう一つ、問題の成り立ちを探るために重要なこととして、個人の問題行動のみにフォーカスするミクロな視点と、

環境も含め問題の全体を見るマクロな視点を併せて考えていく必要があると講師は言います。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦

問題の裏にある「つながり」は決して甘いものではありません。

実は、この世に生まれた時から既に色々な問題が起きていることも多く、それらの積み重ねが、結果として今の問題につながっていることが往々にしてあります。

生まれた時から色々な問題を抱えている子に限って、幼稚園や小学校に行った時に、いじめられたり、勉学でつまずいたりといった問題が発生しやすいと講師は述べます。

多くの場合、色々な失敗をしても、周りが上手くサポートしてくれたり、あるいは自分が上手く対処して、生きていくことができます。

しかし、周りが上手にサポートしてくれないと、どんどんつまずいていってしまいます。

これは、周囲の無理解、無視、不適切な介入も含みます。

本人や周囲が上手に対応できないことで、これらが発展要因となり、問題がさらに大きくなったり、次の問題に発展していくことがあります。

心理君の例に戻り、マクロな視点を加えて、その「つながり」を見ていきます。

心理君の歴史をよくよく見ていくと、

心理君は実は、小さいころから他者の意図や会話の理解などが苦手であり、周囲との集団行動ができない、いわゆるASD(自閉症スペクトラム障害)でした。

また、本人だけでなく、母親や学校側の要因も関係していることが分かってきました。

マクロな視点で見た、心理君の悪循環を図式化すると下図のようになりました。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦

このように、問題行動の裏に、実は本人だけでなく、家族や学校といった社会的な要因が複雑に絡み合っていたということは決して稀ではないと、講師は述べます。

3.認知行動療法による介入

認知行動療法(CBT)は、このような苦悩の「つながり」から抜け出す方法の一つとして、臨床をはじめとして実践されている介入方法です。


CBTは、悪循環を分析・解明・改善するツールの宝庫であるとも講師は言います。

CBTとはどのようなものでしょうか。

問題の背景にある「つながり」には、認知・感情・生理・行動がありますが、

これらの中でも、特に認知の影響は強く、また感情や生理と比較して、変えていくことが意外と易しいとされています。


だからこそ、考え方を変えていくことで、その先の行動を変え、上手に環境に適応できるようにしようというものが認知行動療法の考え方になります。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦

そしてもう一つ、介入において重要なポイントになってくるのは、環境にも協力をしてもらうことです。

先ほどから述べているように、問題解決(改善)のためには、その人の行動を変えるだけでは不十分です。

周りの環境との悪循環の相互作用が、特に子供の場合は必ずあるため、そこを見つけて、外堀から埋めていくことが重要になってきます。

だからこそ、家族や学校といった環境の協力が必要となるのです。

実際に講師は、環境の協力を得るために以下のようなことを行っていると述べています。

・ 学校でいじめがあったり、学級崩壊がある場合は、出来る限り学校に行って、先生と話し合いをする

・ 大人であっても、パートナーの協力が必要になることがしばしばあるため、場合によっては夫婦で来てもらう

・ 社会人の職場復帰であれば、職場の上司や人事の方に来てもらったり連絡を取るようにする

4.終わりに

人間の心に生じる問題の背景には、様々な要因と、その要因同士の複雑な「つながり」が潜んでいます。

このような「つながり」が悪循環に陥ることで、人は多くの苦悩を抱え、時にその一部が問題行動として表れます。

この苦悩の「つながり」から抜け出すためには、

その人の考え方を変えることで、その先の行動を変えて、上手に環境に適応できるようにしようという認知行動療法といった介入方法や

問題の背景にある、周りの環境との悪循環の相互作用を見つけ、環境にも協力をしてもらう、

といったことが重要となります。

臨床心理学を専門とされる下山先生と一緒に、苦悩の「つながり」とは何か、その「つながり」から抜け出すにはどうすれば良いのか、一緒に考えてみませんか。

きっと、この複雑な社会で、自分や周囲の心に生じる問題や苦悩とどう向き合っていけば良いのか、そのヒントが得られるはずです。

★おまけとして‥‥‥

不登校状態となっていた心理君

結局どのような介入がされたのでしょうか

気になる方も是非、こちらの講義を見てみてください。

今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義)第3回 苦悩の「つながり」から自由になる 下山 晴彦先生

文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/09/14

あなたにとって、「家族」とはどのような存在ですか?

あなたにとって、「家族」とは誰を指しますか?

本来であれば、血縁や婚姻関係で客観的に、かつ明確に記述できるはずの「家族」。

しかし、いざ自分の身に置き換えて「家族」を考えた時、

客観的に定義されるはずの自分の「家族」と、自分が認知する「家族」との間にギャップを感じたことはありませんか?

なんだか不思議な話ですよね……。

そんな、家族の「境界」について、社会学者の赤川先生と一緒に考えてみませんか?

「家族」の定義や境界線をめぐる、とても面白い講義をご紹介します。

1.家族定義の不可能性~社会学の観点より~

あなたにとって誰が「家族」なのか、

「家族」というのはどのような「意味」を持っているのか

これらは社会学において普遍的なテーマであると考えられています。

まず始めに、いくつかの観点から、社会学における家族の定義について考えていきます。

UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学

① 血縁と婚姻の組み合わせによる客観的な記述は可能か

ある個人が親族内に占める位置づけは、血縁と婚姻の組み合わせで客観的に記述できるように見えます。

ところが世の中には色々な社会があり、生物学的には父親に見えるような人を父親とみなさずに、父親はいないものとして扱う社会も実際にあります。

このことから、家族とは、血縁・婚姻関係で客観的に定義することが難しいとも考えられます。

② 家族が果たす機能による定義の可能性

血縁・婚姻関係による客観的な定義は難しいということが分かりました。

では、家族が果たす機能、つまり子どもの基礎的社会や成人のパーソナリティ安定化といった機能での定義はどうでしょうか?

すると、じゃあそういう機能を果たさない家族は家族ではないのか、という話になると講師は言います。

例えば、愛し合っていなかったり性行為をしなかったりする夫婦は家族ではないのかという疑問に突き当たるわけです。

家族とされる成員の範囲は、研究者が客観的に確定できるかと言われると、

「できない」という傾向になってきていると講師は述べます。

学者は家族を客観的に定義しようと頑張るが、結局「無理だ」という結論になるのだそうです。

2.家族の認知的境界~ファミリー・アイデンティティ(F.I.)論~

ここで一つ、家族の認知的境界に焦点をあてた理論である、ファミリー・アイデンティティ論を紹介します。

ファミリー・アイデンティティ論とは、社会学者の上野千鶴子氏が提唱したものです。

UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学

上野氏は、家族は血縁やDNAといった実体よりも、より多くの意識の中に存在するとしました。

なぜなら、

「自分はこの人を家族だと思うと定義しても、この人が自分のことを家族と思ってくれなければ、家族としてのコミュニケーションは難しい」からだそうです。

そのため上野氏は、

家族というのは、そのような意味できわめて「相互主観的」な現象であるとしました。

実際に、意識と形態の面で非伝統的な50の類型の人たちに対して行った、家族の「境界の定義」を尋ねる調査において、最初に分かった一番重要なことは、

親子・配偶者間でも、家族の範囲はずれる場合がある

ということだったそうです。

3.家族境界の歴史的変容~血縁/同居から親密性へ~

今まで述べてきたように、家族の境界に関しては絶対の回答はなく、それぞれに腐心しながら、家族の境界を設定しています。

しかしながら、その境界設定は歴史的に変化してきています。

近年明らかに浮上しているのは、親密性の基準であると講師は言います。

つまり、親しさや愛情のようなものが家族の境界を決める基準になるという考え方です。

これはある意味、選択の対象として家族が表れているとも言えます。

UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学

4.家族とは、相手を思いやる気持ちや愛情の深さ?

このように、家族を、愛情や親しさをもって定義しようとする傾向を、
アンソニー・ギデンズは、「純粋な関係性」と呼びました。

UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学

近代社会とは、色々な制度を自己反省して問い直していく社会であり、

あらゆる制度や慣習が、自由や平等といった民主的な価値観によって見直されていく。

その中で、家族や性の領域もその例外ではなく、

父親、母親、子どもといった役割もまた、

利害や慣習に基づかず、自発的に選び取る対象となる

このようにギデンズは述べています。

このような、「純粋な関係性」は、一見リベラルで民主的で、とても良い理想的な状態に見えます。

しかし、こういう関係性には困難もあることをギデンズは指摘しています。

純粋な関係性では、社会の中でどういうふうに自分たちがふるまうべきかを、

その都度その都度二人で選択しながら、合意して決めていく必要があります。

そうすると、「家族の調整コスト」問題が浮上します。

つまり、1から10まで全部自分たちで決めなければならず、自分たちで自発的に選び取って、合意的に選択していくというのもそれはそれなりに困難があるということです。

これは、人間に課された大きな問いであると講師は述べます。

5.まとめ

家族の認知、家族の規範、家族の意味というのは、時代によって変わったり、組織によって変わったり、人によって違ったりします。

ですが、人は必死でそこに意味を与えて、家族というものを作り上げています。

どういう良い家族を作っていくかが、社会学者に与えられた課題であると講師は言います。

様々な視点から、「家族」の定義や境界線について考えていくこの講義を通して、

普段は恐らく考えることの少ないであろう、「家族」という身近なテーマについて、ふと立ち止まって考えてみませんか?

★おまけとして‥‥

実はこの講義、もう一つ大きなテーマがあります。

それはずばり、ペットです。

ペットを家族とみなす人の割合は昔に比べて増加しているそうです。

山田昌弘氏は、

家族というのは、「自分を自分としてみてくれ、自分であることを識別してくれる存在」であり、

この、かけがえのなさ、自分らしさの感覚を人間の家族に求めることは難しいため、「理想の家族」としての投影先がペットになる。

むしろ、ペットのほうが家族らしく、家族の方が家族らしくないかもしれない

と述べているそうです。

ペットは家族か、人はなぜペットを飼うのか、そして、ペットの死はなぜあんなにも辛いのか

それらの問いについて考えることは、

私たちが「家族」に求めるもの、私たちにとっての「家族」の意味を考えることにもまた、つながっていくのではないでしょうか。

今回紹介した講義:境界線をめぐる旅(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2013年度講義)第4回 家族とは誰のことか-家族の境界をめぐって 赤川 学先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>

2022/09/07

ヒュー……ドロドロ……

夏になると何となく怖い話が聞きたくなるもの……

怖い話といえば「お化け」がつきものですが、そのお化けが社会学の対象となっていることは知っていますか?

お化けなんて空想のものなのに、どうして社会学の対象になるんだろうと思う方もいるかもしれません。

しかし、お化けとは、本質的に「流言・うわさ」としての性質を持つものです。人が語り継ぐことで、お化けは誕生し、その形をなしていきます。

人との関わり合いの中で生まれる流言・うわさは、まさに社会学が研究対象とするものです。流言・うわさの一種であるお化けもまた、そのお化けのうわさが流行した当時の社会の状況について知る重要な手がかりとなります。

この記事では、「クダン(件)」という妖怪をテーマとしながら、近世以降の社会のあり方を探っていきます。

「お化けから社会に迫ることができるなんて、なんか面白そう!」

まずはこんなふうな、軽い気持ちで読み進めていただければと思います。

ただ、記事を最後まで読んでいただけると、お化けから社会を分析することで初めてみえてくるものがあるということがわかってくるはずです。

今回の記事は、UTokyo OCWで公開されている佐藤健二先生の講義動画「「お化け」もまた社会学の対象であるークダンの誕生」の内容をまとめたものになります。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

記事を読んで興味を持たれたら、ぜひ講義動画の方をご覧になってください。

クダンについて理解するためのテキスト分析

まず、クダンとはどのような妖怪なのでしょうか?

クダンにはさまざまな流言やうわさ、言い伝えがあり、明確な像があるわけではありませんが、一般的には以下のような特徴を持つと考えられています。

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①人間の顔をもった牛

②生まれてすぐ死ぬ

③ことばを話す

④予言をするが、その予言があたる

簡単にまとめると、「クダン=予言を行う人面の牛」だといえます。

講義中で佐藤先生は、クダンに関して述べられた13の文献を紹介しています。

そのうち最も新しいのは1945年のものですが、古いものになると、1820年代の終わり頃まで遡ります。

松山や播磨、名古屋、肥前、越中など、その流言は全国に広がっており、それぞれのエピソードにもバリエーションがあります。

しかし、それぞれの資料を分析すると、クダンにとって重要な要素が見えてきます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

特に、上の図に示されているとおり、「予言する」というのはクダンにとって欠かせない要素だといえそうです。

このように、お化けを社会学の対象とする際には、テキストを精緻に眺めることが、まず重要です。

「流言=デマ」なのか?

以上で、クダンを分析するための下準備はできました。

ここから、クダンの流言がどのように生まれたかの説明が始まるのですが……

佐藤先生はそのまえに、「流言」とはそもそも何であるのかの捉え直しをはかります。

みなさんはなんとなく、流言を「デマ」だと考えているかもしれません。間違った情報を鵜呑みにした人が、その間違った情報を人に伝えることで、流言は広がっていくということです。

流言の研究がすすんだのは、1940年代のアメリカでした。なかでも、オルポートとポストマンの『デマの心理学』は流言研究の基礎となります。

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オルポートとポストマンの主張が力をもったために、流言研究においては、「流言=デマ」という図式が常識になっていました。特に、戦時下における情報統制などの目的もあり、「どのようにすれば流言(=デマ、間違った情報)を撲滅できるのか」という態度で流言研究がすすめられることも多くありました。

しかし佐藤先生は、その常識に疑問を呈します。流言は必ずしもデマなのではなく、むしろ単なる笑い話として広められるケースもあるのではないかというのです。

もしくは、「このような間違った情報が広められている」という、啓蒙的、批判的な語りそれ自体が、流言を広めるための重要な要素になっていることも考えられます。

流言はどのようなものであるのか、それを捉え損ねてしまうと、どれほど精緻にテキストを分析したとしても、その実態を掴み切ることはできないのです。

クダンは文字が重要な社会を反映している?

クダン誕生の経緯については、これまでさまざまな人によって、いくつもの説明が考えられてきました。

それはたとえば、「社会的・政治的不安 あるいは集合的不満」であったり、「構造的な両義性 アンビバレンス」であったり、「信仰・伝統の衰弱 あるいは『神』の零落」、「非合理性あるいは戦争という非日常」であったりしたのですが(これらについて詳しく知りたい方は講義動画を視聴してみてください)、そのどれもがクリティカルな説明になっていないと、佐藤先生はいいます。

特に、どうして「予言」がクダンに必須の要素になっているのかを説明できていないことが問題です。

そこで佐藤先生は、クダン誕生の経緯について、いくつかの新たな説明を試みます。

そこで注目されるのが、まさに先ほど述べた「流言は必ずしもデマなのではなく、パロディ・からかいや批判・啓蒙として広められることもある」という、流言の性質です。

なんとなく私たちは、昔の人はお化けを真剣に信じていて、恐怖を感じていたからこそ、それを語り継いでいったのだと考えてしまいます。しかしそこにあるのは必ずしも恐怖なのではなく、少し距離を取った態度である可能性もあるのです。

このような前提から、佐藤先生は、「文字」というものが一般化し始めた時代だからこそクダンが生まれたのだとする説を展開します。

それはたとえば、クダンという妖怪の絵は、そのまま「件」という漢字を示している図像化された「文字」なのではないかという説です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

たしかに、人の頭と牛の体をもったクダンは、人へんに牛という字で構成された件という漢字の構成と一致します。

クダンが話題として広まったのは、みんながそれを信じていたからというよりも、文字に対する知識が重要になってきた社会が背景にあるのではないかと、佐藤先生はいいます。

さらに、クダンの見た目だけでなく、その「予言する」という能力もまた、文字の文化から説明できます。

江戸時代における契約書である証文に書かれた「クダンノゴトシ(如件)」という文字を音声から断片的に理解した文字の読めない人々が、「契約する・約束する」という証文の機能を独自解釈して生まれたのが、「予言する」というクダンの能力だったのではないかというのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二

このように考えると、単なる恐怖や社会不安に還元されないかたちでの妖怪のあり方が見えてきます。

当時の人も自分と同じであるという気づき

クダンが文字文化を反映したものであるという説を、佐藤先生が考えついたきっかけは、社会学者である先生自身が、江戸の書き文字をうまく読めなかった経験であるといわれます。

佐藤先生はそのとき、「もしかしたら、私が書き文字に悪戦苦闘しているのと同じように、当時の人も文字を読むのに苦労していたのではないか」とひらめき、そのままクダン誕生の説を考案されたというのです。

「当時の人も自分と同じではないか」という気づきは、まさに先生が主張された流言の性質にも共通しているように思います。

みなさんは、お化けの存在を信じていないかもしれません。しかし、お化けについて人と話した経験はきっとあるのではないでしょうか?少なくとも、お化けの情報を見聞きした経験はあるでしょう。なにしろ、この記事もそのひとつです。

いくら科学技術や情報網が発達していなかったとはいえ、昔の人をみな無知蒙昧だと考えてしまうと、お化けの流言の実態を捉え損なう可能性があります。

お化けについての佐藤先生の研究からは、「当時の人も自分と同じである」という重要な考え方を知ることができます。

庶民のなかで広まったお化けの流言は、まさに当時の一般市民のあり方を探る重要な手がかりです。

みなさんもぜひ講義動画を視聴して、「当時の、自分と同じような人」は何を考えていたのか考えてみてください。きっとそこから、当時の社会が違って見えてくるはずです。

今回紹介した講義:社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)第5回 「お化け」もまた社会学の対象である ークダンの誕生 佐藤 健二先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/08/31

皆さんは日本人の死因として30年以上にわたり第1位となっている病気が何か、ご存じでしょうか?
それは「がん」です。
現在も日本社会では高齢化に伴ってがんによる死亡者数が増え続けています。
一方で 、 診断には時間もかかり医師の数や労働にも限界があります。

そんな課題に対して新しい技術をもって立ち向かい、研究者たちはがん診断装置の開発に取り組んできました。
研究者たちのたゆまぬ努力によって医療は日々進化し続けているのです!
しかし、その新しい医療が社会に届くまでにはどのようなことが起きているのでしょうか

ということで今回の講義は2部構成!
まず、がん診断装置の開発を例に医療機器開発の道のりについてお話があります。
装置開発には医学に関わらず機械学習といった他分野領域も関わっています。
そのため後半では機械学習やその概念に関して説明します。
医療機器開発と機械学習の両面について学べる講義です。

第1部 データサイエンスの医療への応用

まず竹田扇先生から、今まさに開発しているがん診断装置の紹介があります。
今回紹介される装置ではがん診断にかかる時間を短くするため、質量分析と機械学習を融合した装置の開発に取り組んでいます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士

質量分析とはタンパク質を調べるための技術として開発されたもので、2002年には田中耕一先生がノーベル賞を受賞しています。

質量分析を用いることで患者の組織の状態のデータを得ることができます。
例えばがん組織の場合には、データのある部分に山が見られます。
このことから、計測データを用いて組織のどこががんなのか診断することができます。
しかし、このように質量分析の計測結果を使うだけでは単純にこの山があればがんであると見ているだけで新しさはありません。

じゃあどうするの?ということで機械学習を用います。
通常の研究では、がん組織のデータに特徴的な値があると仮説を立て検証します。
その仮説が正しければ、その特定の値をがん診断に使おうとなります。
しかし、がん診断のような生体に関することは複雑なデータ構造を持っています。
そのため、測定データの特定の部分だけではなく、その他の目立たない部分も最終的な診断には必要であると考えられます。
実際に医師が診断するときにも、ひとつの値だけではなく、その他の総合的な経験と直感が大切です。
そこで機械学習を用い、生体のような複雑なシステム全体を把握するように解析することで、下の図のような、見た目はよく似ているデータでもがんかそうでないか判別をすることができるのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士

第2部 機械学習

続いて田邉國士先生による機械学習と統計科学の説明です。
機械学習やAIといった言葉はよく耳にしますね。
AIが囲碁の名人にも勝ったというニュースを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
しかし、その機械学習とは実際にはどのように行われているのでしょうか。
次のような質問に、講義を通して答えてくださるようです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士

これまでの科学は、ニュートン-デカルト・パラダイム(仮説演繹法)に基づいて発展してきました。
これは、何か現象があったらその原因となる要素を見つけて名前をつけたりどういう因果関係なのか推論したりしていくことです。
このような考え方は力学のような単純な構造の分野では役に立ちます。

しかし、医学は何千何百という様々な因子が影響した結果に立ち向かわなくてはなりません。
がんのDNA変異の機序も完全には分かりません。

ここで登場するものが機械学習です。
この機械学習がニュートン-デカルト・パラダイムを覆すものなのです!
生体現象のように、単純な因果関係とみなすことが難しく、多様な要素が絡んだ対象を考える際には、機械学習が適しています。
機械学習ではデータを入力することで、データにある規則や構造を人間が介入せずに推論することができます。
そうすることで、人間には因果関係が複雑で予測不可能な現象の予測が可能となるのです。

まとめ

がん診断装置を開発するためには医学だけではなく、機械学習のような他分野領域の研究も関わっています。
しかも、がん診断装置の実用化に向けて既に10年以上かかっているという説明が講義内でもありました。
開発にあたって分野を横断した協力や、産学官連携により少しずつ進んできたことが分かります。
非常に長い道のりです。
この長さは皆さんの想像通りでしょうか。
それとも想像より長いでしょうか、短いでしょうか。
こうして開発された装置も様々な試験に合格しないと私達のもとには届きません。
長い道のりを経て、初めて社会に医療が届けられるのです。

詳しい開発の内容や機械学習の解説はぜひ講義でご視聴ください!

今回紹介した講義:新しい医療が社会に届くまで ~データサイエンスが支える健康社会~(学術俯瞰講義)第9回 質量分析と機械学習を融合したがん診断支援装置の開発:学際的研究から産学連携へ

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>