【モラルジレンマと功利主義】「直観に反する」道徳理論をどのように考えるべきか?
2023/05/17

道徳的に正しいことと、正しくないこと。
私たちは普段、この二つを特に意識することなく区別して生活しています。

しかし特殊な状況に置かれたとき、事態は一変します
何が正しいのかわからない。ある面では正しいと思われる選択が、他の面では間違っていることのように思われる。

こうしたジレンマを合理的に解決するための理論を、道徳哲学や政治哲学の先人たちは探ってきました。
その結実の一つが、19世紀のイギリスで生まれた「功利主義」です。

ではそうした理論を用いれば、どんな状況でも迷いなく正しい行為を選ぶことができるのでしょうか?
…どうやら、そうでもないようです。

今回は、医学系研究科(当時)の児玉聡先生と一緒に、倫理的に正しい行為について考え直す講義をご紹介します。

1.モラルジレンマ

いつも私たちは、「家族を大切にするのはよいことだ」「嘘をつくのはよくない」といった原則に照らし合わせて、倫理的に正しいことと正しくないことを区別しています。

その際、いちいち理屈をこねて論理的に考えているわけではなく、直観(直感)的に判断しています
正しいことは考えるまでもなく正しく、正しくないことは考えるまでもなく正しくないといった具合です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2011, 児玉 聡

しかし、私たちが直観的に正しいと考えている倫理原則が衝突するケースがあります。
この状態を「モラルジレンマ」といいます。

児玉先生がモラルジレンマの例として挙げているのが、山口良忠裁判官の事例です。
太平洋戦争終戦後の食糧難の時代、政府の配給制度が麻痺していたため、人々は非合法のヤミ市で食料を入手して生きていました。
しかし東京地裁の山口良忠は法を司る立場からヤミ市を使うのを拒否し、その結果栄養失調で亡くなりました。

この事例では、「何が何でも生き延びるべきである」という倫理原則と、「法を守らなければいけない」という倫理原則が衝突していることがわかります。

モラルジレンマが発生するケースにおいては、何をすべきか考えるために、直観に頼らない判断の仕方が求められます。
すなわち、倫理的問題に対処するための合理的で一貫性のある理論が要求されます

そして、その理論の代表が功利主義です。
次章では、この功利主義について詳しく見ていきましょう。

2.功利主義

功利主義と呼ばれる考え方は、19世紀のイギリスでJ.ベンサムやJ.S.ミルらによって始まりました。

その基本的理念は、社会全体にとってより多くの量の幸福を生み出す行為が正しい、というものです。
ベンサムの「最大多数の最大幸福」という端的な表現がこの理念をよく示しています。

児玉先生はより詳しく、功利主義の特徴を4つの性質に整理して説明します。

行為の正しさは予想された結果によって判断されるという「帰結主義」
結果のなかで重要なのはその行為が人々にもたらした幸福であるという「幸福主義」
一人だけの幸福ではなく、社会全体の幸福の総量を検証すべきだという「総和主義」
幸福の総量を検証する際には一人ひとりの重み付けを等しくするという「公平性(不偏性)」
です。

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こうした功利主義の特徴を確認するために、ベンサムと同時代の功利主義者であるW.ゴドウィンが提示した思考実験を見てみましょう。

ゴドウィンはこのように問います。
あなたの前に火事の建物があり、そこから一人しか助け出せない。このとき、自分の母親である侍女(メイド)か、多くの人の心を動かす名著『テレマコスの冒険』(1699)を書く前のフェネロン大司教のいずれかしか助けられないとすると、どちらを助けるべきか。

さて、あなたならどうしますか?

ゴドウィンの答えは次のとおりです。
助ける相手を選ぶにあたり、その人が自分の身内であるかどうかは道徳的重要性を持たない。公共の功利性の観点から考えて、社会に多くの幸福を生み出すことになるフェネロンを迷わず助けるべきだ。

このゴドウィンの主張に対して、多くの批判が寄せられました。
直観的に正しいと思われる「家族を大切にするのはよいことだ」という倫理原則と、大きく対立しているからです。

ここでいったん整理しましょう。
私たちは普段、直観を用いて行為の倫理的正しさを判断しています。しかしその直観どうしがぶつかるケースがあるため、功利主義という合理的な理論が編み出されました。
しかしその功利主義の立場を貫き通すと、人々の倫理的判断を支える直観に反してしまうのです。

ここにおいて、「直観と倫理との関係をどのように考えるべきか」というテーマが立ち現れてきます。
功利主義者たちはこれまで、このテーマについてどのような答えを示してきたのでしょうか。

3.直観と理論との関係を考える

直観と理論との関係を考えるとき、直観を批判するというのが功利主義者の手法の一つです。

たとえばイギリス出身の哲学者J.J.C. スマートは、功利主義者としての立場から、直観を人々の「混乱」の産物だとして低い位置に置きました。

その一方で、より洗練された考え方で直観と理論との折り合いをつけようとした人もいました。
同じくイギリス出身の哲学者であるR.M.ヘアがその一人です。

ヘアは道徳的思考を「直観レベル (intuitive level)」「批判レベル (critical level)」の二層に分けて考えました。

日常生活においては、「約束を守る」「身内を大事にする」などの直観的に正しく感じられる原則にもとづき、個別のケースに対処できます。これが「直観レベル」の思考です。

しかし、モラルジレンマが発生するようなケースや全く新しい事態に直面するようなケースでは、直観レベルの思考では正しい行為を判断することができません。ヘアは、こうしたケースでは功利主義にもとづいて合理的に判断をすべきだと述べます。
これが「批判レベル」の思考です。

日常の場では直観レベルの思考を用いてうまく生活しつつ、道徳が根底から問われる特殊な場合においては批判レベルの思考を用いて合理的に考えるという、思考スタイルの使い分けをすべきだというのがヘアの主張です。

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児玉先生によれば、直観と理論との関係を考えることが様々な道徳や政治哲学の理論の中で主要な論点になってきているそうです。

ヘアの主張はそうした議論の現在地の一つとしてとらえられるでしょう。

そして先生は、どのような行為が正しいのかを考えるためには、自分の直観を起点にするのではなく、まずは直観そのものを「一つ一つ石をひっくり返すように」検討してみることが重要であると言います。

その取っ掛かりの一つとして、道徳哲学でどのような議論がおこなわれているかを調べてみるのは面白いかもしれませんね。


以上、道徳における直観と理論との関係について考えてきました。

児玉先生は功利主義は「直観に反する」主張を提起し続けているとおっしゃっています。
功利主義者が他にどんな主張を繰り広げており、それがどんなふうに自分の「石をひっくり返し」てくれるのか、もっともっと知りたいと思わせられるような講義でした。

とてもおすすめの講義です。気になった方はぜひ講義動画を見てみてください!

今回紹介した講義:正義を問い直す(学術俯瞰講義) 第2回 モラル・ジレンマと功利主義 児玉 聡先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

<文/小林裕太朗(東京大学オンライン教育支援サポーター)