だいふくちゃん通信

2023/08/18
古代ギリシアの最高傑作ともいわれる文学作品、『オデュッセイア』。
紀元前8世紀末の詩人、ホメロスがその作者として伝えられています。吟遊詩人の詠唱で伝承されたのち、紀元前6世紀ごろから文字に起こされるようになりました。
古典の代表ともいえるような『オデュッセイア』ですが、その名前を聞いたことがあっても、実際に読んでその内容を知っている人は多くないかもしれません。
『オデュッセイア』の物語を一言で表すと、「ギリシア神話の英雄・オデュッセウスの冒険譚」です。
主人公のオデュッセウスは、10年にわたるトロイア戦争のために祖国を離れたあと、帰国の途中で嵐に遭遇し、さらに10年の放浪の旅に出ます。
さまざまな苦難を乗り越え、20年の時を経て祖国に戻ったオデュッセウスでしたが、そこで待っていたのは変わり果てた自らの家の姿でした。
オデュッセウスを死んだものとみなした地元の独身者たちが、オデュッセウスの妻・ペネロペイアに求婚し、オデュッセウス家を食い潰すという悪行を重ねていたのです。
オデュッセウスは怒りに震え、極悪非道の求婚者たちを弓矢で全員打ち倒します。
こうしてオデュッセウスは再びペネロペイアと結ばれることになりました。
以上が、『オデュッセイア』の大まかなあらすじです。
見事なまでの英雄譚で、物語を読む人(詠唱されていた時代であれば、聞く人)は、オデュッセウスの勇敢さに心動かされてしまいます。
しかし、オデュッセウスは本当に「英雄」だったのでしょうか?
求婚者たちは、たしかにオデュッセウスとペネロペイアの名誉を損ねるような悪事を働いています。
しかし、それは果たして死に値するような罪だったのでしょうか?
むしろ、問答無用で求婚者を皆殺しにしたオデュッセウスこそ、より極悪非道な存在なのではないでしょうか?
殺人(大量虐殺)という罪を犯しているにもかかわらず、長らくその面が無視されてきたオデュッセウス。
しかし、視点を変えてみると、また見え方が変わってきます。
本当に求婚者たちは悪かったのか、求婚者たちに架空の「法廷弁論」(自己弁護)を行ってもらいながら、一緒に考える講義を紹介します。
ヒュブリスをなす悪党たち
講師を務めるのは、西洋古典学が専門の葛西康徳先生。
葛西先生は、古代ギリシア・ローマの古典について研究されながら、学部では東大の法学部を卒業されています。そのため、研究対象とされているのは、古代の裁判や法律、政治などです。
この講義でも、司法に関わる点に注目しながら『オデュッセイア』の分析がなされます。
講義動画は2本立てですが、この記事ではそれぞれの動画から要点を抜き出しつつ、内容をまとめていきます。
講義でまず言及されるのは、「ヒュブリス」という概念。
これは日本語で「傲慢、非道、無礼」などと訳される言葉です。
古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは、人の「怒り」を生む「過小評価」を、「侮辱(contempt)」、「いじめ(spite)」、そして「ヒュブリス」の3つに分けられるとしました。(『弁論術』第二巻第2章)
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳
アリストテレスは、他人に恥をかかせて心地よさを得ることを、ヒュブリスだと述べます。
つまり、他者のヒュブリスに対する怒りは、周りにかっこ悪いと思われたくないという気持ちからくると考えられます。
この怒りは、自身が守るべき人々(両親・子供・妻・支配下の者)が過小評価されたときに、より強く起こるといいます。
オデュッセウスが妻・ペネロペイアの求婚者たちに対して抱いたのは、まさにこのヒュブリスに対する怒りだったといえるでしょう。
一つ目の怪物・ポリュペーモスは悪だったのか?
『オデュッセイア』において、ヒュブリスをなす者として描かれるのは、求婚者たちだけではありません。
オデュッセイアが祖国に帰る旅で遭遇した一つ目の怪物・ポリュペーモスもまた、ヒュブリスの典型と見なされています。
島に住むポリュペーモスは、訪れたオデュッセウスの一行を洞窟に閉じ込め、なんとオデュッセウスの部下を順番に食べてしまいます。
ポリュペーモスはそののち、オデュッセウスたちからそのたった一つの目を杭で潰され、失明してしまいました。
オデュッセウスたちの命を軽んじる、横暴で獰猛な怪物のように見えるポリュペーモス。素直に読むとこのシーンは、ヒーローが極悪非道な敵を倒すシーンのように見えます。
ですが葛西先生は、『オデュッセイア』をよく読み込むと、ポリュペーモスがそれほど単純な存在ではないことがわかるといいます。
講義では、ドイツの思想家・テオドール・アドルノ(1903-1969)とマックス・ホルクハイマー(1895-1973)による共著『啓蒙の弁証法』で取り上げられた、ポリュペーモスの情に溢れた面が紹介されます。
彼(=ポリュペーモス:筆者補足)が自分の羊や山羊の仔たちに親の乳房をあてがってやるとき、この実際的行為には生き物たち自体に対する思いやりが含まれているわけだし、また眼を抉られた彼が、先導の牡羊に対して、わが友と呼びかけ、なぜ今度に限ってお前は一番最後に洞穴を出るのか、お前は主人の災難を悲しんでいてくれるのか、と尋ねるあの有名な件は、終りのところではひどく粗暴なものとなっては来るが、感動的な力に溢れており、これに匹敵する場合といっては、僅かに、あの『オデュッセイア』のクライマックス、帰宅するオデュッセウスを老犬アルゴスがそれと認める場面があるだけである。
アドルノ・ホルクハイマー著『啓蒙の弁証法 : 哲学的断想』徳永恂訳、岩波文庫、2007年、pp.137-138
やや読みにくい文章ですが、ここで指摘されているのは、ポリュペーモスが自身の飼っている羊たちに対してもっていた慈しみの心です。
アドルノとホルクハイマーは、ポリュペーモスは野蛮なだけの怪物ではなく、人間的な側面も持ち合わせていたのだと主張しています。
また葛西先生は、ポリュペーモスの立場に立つと、主人が不在の間にポリュペーモスの島にあるものを食べ、無条件での庇護を要求したオデュッセウスにも非があると述べます。
講義では、ポリュペーモスの人間的な側面が表れた例として、下の絵も取り上げられました。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳
一番右で目を突かれているのがポリュペーモス、左で杭を突き刺しているのがオデュッセウスとその部下たちですが、その描かれ方には大きな違いがありません。
この絵においては、一般的な『オデュッセイア』の解釈で見られるような、「野蛮」と「文明」の対比はないのだといえます。
現実の法とヒュブリス
「ヒュブリス」は、文学作品だけでなく、実際の裁判にも持ち出される概念でした。
講義では、アリストテレスと同世代の弁論家・デモステネスの第21番弁論が紹介されます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳
そこでは、ヒュブリスをなしたものは賠償が求められると述べられています。
しかしその賠償の程度(服役の期間や賠償金額)については詳しく述べられていません。
これは、訴えを起こした側が報復目的で罰則を決めてしまえるような、曖昧な法であったといえます。
同じく紹介される第43番弁論75章でも、同じく罰則は規定されていません。ここでも、原告であるアルコーン(担当公職者)が、相手に下される処罰を希望することができました。(ただし、いずれの場合も、希望した処罰が直接反映されるわけではなく、一度評議にかけられます)
求婚者の罪はペネロペイアに責任がある!?
さて、講義動画2本目の後半、いよいよ求婚者たちの「法廷弁論」が始まります。
そこでは、求婚者たちにも情状酌量の余地があると思わせられるような、様々な証言が飛び出します。
たとえば講義で取り上げられたのは、求婚者たちではなくオデュッセウスの妻・ペネロペイアに責任があるとする主張。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳
ペネロペイアはその気がないにもかかわらず、求婚者と約束を結び、たぶらかしているというのです。
もしこれが本当だとすれば、また求婚者たちへの見方も変わってくるのではないでしょうか?
講義では、そのほか色々の主張が取り上げられますが、ここではその全てを紹介できません。
本当にオデュッセウスは英雄だったのか、それとも罪人だったのかは、講義動画を見て、みなさんで判断してみてください。
どれだけ評価が確立されているものであっても、素直な目で疑いを持って読むことが、学術的な古典読解には重要なのではないでしょうか。
講義ではそのほか、『オデュッセイア』と並ぶギリシアの古典の名作でその前日譚でもある『イリアス』や、有名なジブリの『風の谷のナウシカ』のモデルにもなったナウシカアーについてなど、幅広く語られています。
2本に及ぶ講義ですが、色々な場面が取り上げられるので、単調に感じることなく最後まで楽しめます。(ただし、内容が分からないと少しついていくのが難しくなる場面があるので、ある程度予習しておくことをお勧めします…!)ギリシア古典の傑作『オデュッセイア』に興味のある人は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。
今回紹介した講義:古典は語りかける (学術俯瞰講義)第2回 『オデュッセイア』の世界: 物語前半 (1-12巻)、第3回 法廷弁論としての『オデュッセイア』: 物語後半 (13-24巻)葛西 康徳先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
関連記事:
ロシア文学研究者による『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』解説
【実は風刺だらけ⁉︎】『ガリヴァー旅行記』の政治性について英文学者と考える
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
2023/08/10
突然ですが、皆さんは「不正」についてどう思いますか?
恐らく、ほとんどの方が確実に無くした方が良いものだと感じているはずです。
会社の利益を計算し開示するプロセスである「会計」においても利益の水増しや圧縮など様々な不正が見受けられます。会計の世界ではルールの「解釈」に幅があり、その解釈を悪用して不正が行われてしまうことがあるのです。
「じゃあ、解釈の余地をなくして、不正をなくせばいいじゃないか」と思いませんか?
しかし、そうもいかない理由があるのです。
今回紹介する講義では会計を専門としている米山正樹先生と共に、会計の世界の事例を通して、世の中の決まり事のあり方について考えていきます。会計について全く知らない方でも分かりやすいものになっていますので、見ていきましょう!
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹
そもそも会計って何?
「会計」という言葉についてはほとんどの方が一度は耳にしたことがあるかと思います。また、何となくお金の計算をしているんだろうな~というイメージを抱いている方は多いのではないでしょうか?
会計とは「利益(会社の業績)の計算と開示」を一覧表にして外部の人たちに示すような行為のことを指します。
では会計の結果はどこで見ることができるのでしょうか?上場している企業であれば、会社のHP内における「IR情報」といった名前のページやEDINETという金融庁のサイトにおいて「有価証券報告書」や「決算短信」といったタイトルで決算書類が公開されています。
(参考)EDINET:https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/WEEK0010.aspx
是非お勤めになっていたり興味のあったりする会社の情報を確認してみてください。
講義内では2015年3月期の森永乳業の資料が用いられています。
まずはB/Sとも呼ばれる、貸借対照表を見てみましょう。貸借対照表は以下のように左側に資産、右側に負債と純資産が記載されています。企業の財政状態(誰からどれだけ資金を預かっているのか、預かった資金をどのように運用・管理しているのか)といった内容が貸借対照表からは読み取れます。米山先生は「確定した実績値というよりは、むしろ将来お金を稼ぐための資産が書かれているのが貸借対照表」だと言います。では、実績値はどこで確認できるのでしょう?
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹
実績を直接的に報告するのが損益計算書(P/L)です。損益計算書には本業の成果である「営業利益」、投資活動などの副業も含めた成果である「経常利益」、その他たまたま発生した成果や損を含む「当期純利益」が掲載されています。利益が発生した原因別に段階を分けて記載することで、どんな活動で利益が発生しているのかを明示しています。損益計算書には売上原価なども記載されており、投入した資金に対してどれくらいの成果が得られたのか、といった点も意識されています。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹
ここまでで説明された貸借対照表、損益計算書に実際のお金のやり取りを記録したキャッシュフロー計算書を加えて「財務三表」と呼ばれています。
誰が決算なんて見るの?
公開されている決算情報の読み方について見てきましたが、実際のところ誰が見ているのでしょうか?「こんなの投資をしている人しか見ないんじゃないの?」と思われる方も多いかもしれません。ただ、これらの企業の情報は私たちが消費者や労働者として関わる場合でも必要となってきます。
例えば、就職するのであれば儲かっている会社の方がお給料も良いし、倒産する可能性が少なさそうでいいですよね。あるいは、ずっと使い続けたいモノに関しては安定して供給されるかどうかを考える必要があります。企業が安定してモノを生産し続けるには、基本的に儲かっていなければいけません。
つまり、投資家がこれらの情報をもっとも欲していることは確かに間違いないですが、労働者や消費者としても企業の「利益」に関する情報は重要となることが多いのです。
同じ活動をしても利益が一緒にならない?
会計というのは企業の活動を報告し、その利益を公開するものです。では、ある年度において企業Aと企業Bが全く同じ活動をした場合、その利益は一致するのでしょうか? 米山先生によると、驚くべきことに利益が必ずしも一致するとは言えないそうです。なぜ、同じ活動をしているのに違う利益を報告しうるのでしょうか?
ここでキーとなってくるのが冒頭で述べた事実やルールの「解釈」です。受注した段階で売上を計上するのか納品が終わった段階なのか、等の具体的な事例について講義内では触れられています。詳しくは講義を見ていただきたいと思いますが、重要な点は「企業ごとに置かれている環境や与えられた会計ルールに対する解釈が異なり、その『解釈の幅』が同じ活動をしていても異なる利益になる原因を作っている」という点です。
そして、この解釈の幅を利用して、多くの企業は日常的に「適法な範囲」で利益の水増しや圧縮を行っています。この「適法な範囲」を超えたものが「粉飾決算」と呼ばれるものです。粉飾決算は架空の売り上げや利益の計上といった強引な方法で行われる場合もありますが、適法な方法を過剰に利用するといった「みえにくい手法」「グレー・ゾーンを悪用した手法」による場合も少なくありません。
粉飾をなくすことが理想なの?
今までの話を踏まえると、「じゃあ粉飾できないような水増し・圧縮の余地が乏しいルールを適用すれば良いんじゃないか」といった当然の疑問が湧き上がります。事実として、そのような形にすることは可能です。では、なぜ粉飾をなくすような強い制限のルールを設けずに、不正の温床となり得るような事実認識や解釈に依存したルールが適用されているのでしょうか?
ここで考えるべきなのが「会計において粉飾をなくすことは数ある目標の一つに過ぎない」という点です。最初に触れたように、会計というのは企業の利益を開示するというのが原理的な目標になります。粉飾決算を絶対許さないような強い制限をかけたルールを作った場合、直面している環境や経営理念が異なる各企業が自分たちの状態を適切に反映した利益を報告できなくなってしまうかもしれません。社会が会計に求める役割を果たせなくなり、本末転倒な事態となってしまうのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2015, 米山正樹
適切なバランスを考える
社会には様々な活動が存在しており、それらに対して決まり事やルールが設定されています。活動に対して設定されている目標は決して一つではなく、複数の目標が設定されていることの方が多いです。そして決まり事は特定の目的を達成するために制定されます。ただ、「決まり事」を作った影響は達成したい目的だけではなくその周辺にも及びます。ひとつの目的を達成するためだけに作られた決まりごとは社会全体にとっては好ましくないかもしれません。ある物事に対して近視眼的に接することなく、大局的な視点を持ち、バランスの取れたベターな解決策を探っていくことが、社会活動を円滑に成り立たせるうえでは重要になります。
以上が米山先生の講義の紹介になります。
本文内で触れられませんでしたが、米山先生は「なぜ利益が重要なのか」といった点やより詳細な事例についてもお話しされています。
ぜひ、講義動画を見て会計に限らず社会の「決まり事」のあり方について考えてみてください。
今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義)第4回 粉飾決算の原因を探る-「社会のきまりごと」の多面性 米山 正樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/園部 蓮(東京大学学生サポーター)>
2023/08/02
新型コロナウイルスによる感染症が世間の話題をかっさらったのは記憶に新しいと思います。そしてこの記事を執筆している時点でも、新型コロナウイルスは未だに多くの新規感染者を発生させています。
さて、この「ウイルス」とはそもそも何者なのでしょうか?
ヒトに病気を引き起こす目に見えない小さなものは、ウイルス以外にもあります。
有名なのは「細菌」。
例えばしばしば問題になる、いわゆるO-157による食中毒というのは大腸菌の一種が原因となって起こります。
この、病原体としての「細菌」と「ウイルス」は、いずれもヒトにとって迷惑であることに変わりはありませんが、生物学的に見たときには大きな違いがあります。
ウイルスがどういった存在で、どのようにして増殖し、そしてどのようにして我々の健康を脅かすのか、野本先生の講義を見れば理解を深めることができます。
ウイルスは生命体か?
講義においては、具体例として7種類の病原微生物(非生物も含めて)が紹介されています。
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
プリオンは例外ですが、「病原体」と呼ばれるものは基本的に核酸ゲノムを持っています。ここで核酸とはDNAやRNAのことを指します。我々ヒトや、マウスのような動物、チョウのような虫やシロツメクサのような植物に至るまで、地球上の生物はこの核酸という分子に自身の遺伝情報を保持しています。この点ではウイルスも我々の想像する生物に近いと言えますね。
しかし、ウイルスは細菌と違って「自己増殖」ができないという差異があります。
この自己増殖ができるかどうかというのは、培地上で増やせるかどうかということを指します。栄養のある培地の上に細菌を乗せると、細菌は増殖してコロニー(細菌の塊)を形成します。つまり、細菌は「栄養を取り込んで代謝し、自分自身を増やす」といった一連の動作ができるということです。
一方、ウイルスはその一連の動作を行うことができません。外から栄養を取り込むことはできず、仮に栄養が取り込まれたとしてもそれをエネルギーに変える機能もありません。さらに、生きていくために必要なタンパク質合成を行うこともできません。
後ほど詳しく書きますが、ウイルスはこういった機能を自分で持たない代わりに、宿主となる他の生物の細胞にあるシステムを利用して自身を増殖させます。
ウイルスの構造
ウイルスは自身の増殖に必要なシステムを持たないので、細菌や我々の細胞と比較して中身はシンプルです。増殖に必要なものは宿主の細胞から乗っ取れば良いため、ウイルスにとって本来必要なものはほぼ自身のゲノム核酸だけです。しかし、核酸を分解する酵素は至る所に存在しているため、裸の核酸はすぐに分解されてしまいます。それらの酵素から自身のゲノムを守るために、ウイルスのゲノムは何かしらに囲われて保護されています。
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
タンパク質によって囲まれているものや、タンパク質の上からさらに脂質で保護されているタイプもあります。(なお、コロナウイルスは、外周に脂質二重膜を持つタイプのウイルスです。
ウイルスの活動
では、ウイルスはどのようにして生活しているのでしょうか。
ポリオウイルスを例にとって説明します。ウイルスは、標的となる細胞の表面にある受容体と呼ばれるタンパク質と結合し、細胞内へと入ります。細胞内に入ったウイルスは先ほどの図で出てきた、タンパク質や脂質二重膜の殻が取れ、剥き出しのRNAの状態になります。ポリオウイルスの場合、ゲノムRNAそのものがmRNAとして働き、自身を複製するためのタンパク質を細胞に作らせます。また、このゲノムRNA自体も大量に複製され、タンパク質とセットになって新たなウイルスとなり、細胞外に放出されます。
※mRNA:メッセンジャーRNA。ごく簡単に言えばタンパク質を作るための設計図のようなものです。
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
つまり、ウイルスは普段はただのDNAやRNAとタンパク質の塊であり、増殖や代謝などを行うことはない静的な存在であり、すなわちただの化学物質に過ぎないが、特定の細胞に入り込んだときだけあたかも生物のように振る舞うということになります。
なお、上の図はゲノムがそのままmRNAとして働くタイプのウイルス(1本鎖+鎖RNAウイルスと呼びます)ですが、実際にはその他にも、ゲノムとしてDNAを持っているタイプやゲノムがmRNAの相補鎖となっているタイプなどがあり、その種類によって微妙にライフサイクルが異なっています。講義では53分過ぎにこれらのバリエーションが紹介されていますので、気になる方はぜひそちらをご覧ください。
また、少し話がそれますが、ウイルスの研究によって得られた成果は、ヒトの病気に関わるものだけではありません。ウイルスの研究を通じて得られた成果には、細胞の仕組みそのものに関する知見もあります。臨床、医学的な研究だけではなく、ウイルスを直接の対象としない研究においても、ウイルスの持つ細胞の形質を変える力を利用して、道具としてウイルスは役に立っています。
ウイルス病原性研究
ウイルスは宿主となる細胞の機構を乗っ取って増えるわけですから、ウイルスと宿主の間には様々な相互作用があると言えます。
ウイルスは生命体と比べれば遥かに少ない遺伝子しか持っていません。これらの遺伝子には、ウイルス自身のからだとなるカプシドタンパク質、自身のゲノムを複製するためのタンパク質などの他に、感染した細胞を言わばハッキングして一部機能を改造してしまうものがあります。
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
ウイルスは自身の都合が良いように細胞の性質を変えることがあります。(細胞変性効果)
また、宿主の細胞側には、異常が発生すると自ら細胞死することで影響を最小限に抑える「アポトーシス」と呼ばれるシステムが備わっていますが、ウイルスとしては自分自身が増える前に寄生している細胞が死んでしまっては困ります。そのためウイルス側は、このアポトーシスを阻害するための遺伝子を持っていることがあります。
なお、このアポトーシス阻害の程度が強すぎると細胞が不死化し、がん化に繋がることもあります。逆にアポトーシス阻害の程度が弱ければ、そのウイルスは細胞を変性させ細胞死へと導く能力を持っていることとなります。
また、宿主側は異物であるウイルスを排除するために様々な防衛システムを使いますが、ウイルスの側もこれに対抗して防衛システムを回避するために作戦を練っています。宿主の免疫系の分子によく似たものを放出したり、宿主の防衛システムがウイルスを認識しにくいようにしたりしています。
こういったウイルスと宿主の相互作用は、自然生態系という言葉で表現できます。
ウイルスと感染症
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
ウイルスはほとんどの場合粘膜か血液から個体へ侵入します。侵入したウイルスは標的となる細胞に攻撃し増殖を開始します。多くの場合、ウイルスが増殖できる場所はそのウイルスの種類ごとにかなり限定されていて、例えばインフルエンザウイルスの場合は上気道が標的となります。別の種類のウイルスでは、消化管を好むものや泌尿生殖器を好むものなどがあります。一口に粘膜と言っても、その場所によって粘膜を構成する細胞は別々の分子を持っています。ウイルスが細胞に取り込まれるためには、その標的となる細胞の表面にある分子を利用する必要があり、基本的にウイルスはウイルスの種類ごとに決められた特定の分子を持った細胞にしか感染できません。
多くのウイルス感染症ではこの一段階目の攻撃によって様々な症状が発生しますが、一部のウイルスではこの段階では症状がほぼなく、ここからさらに体内を伝播し最終標的へと辿り着いて症状を起こすものがあります。
代表的なものは狂犬病で、噛まれた部位の筋肉に入ったウイルスは、その筋肉を動かしている神経へと入り、あたかも導火線についた火のごとく神経を少しずつ遡りながら蝕み、最終的に脳にウイルスが達した時点で重篤な症状を引き起こします。
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
粘膜の細胞に感染したウイルスが、細胞内で増殖したあと新たに別の細胞に感染するには、細胞を脱出して放出される必要があります。この「ウイルスが細胞から放出される現象」を、出芽(budding)といいます。
上の図は粘膜の細胞を表しています。この粘膜が腸管だとすれば、図の上(apical surface)は管腔、つまり食物が通る側であり、下側(basal surface、基底膜側)は体の内側となります。ウイルスによっては、細胞の上側から出るか下側から出るか決まっているものがあります。
上側(apical surface)から出芽する場合は感染が別の場所に広がりにくく、逆に下側(basal surface)から出芽する場合は基底膜から体の内側にウイルスが広がってしまうため体内に感染が広がりやすいと言えます。
感染から発症まで〜氷山説〜
UTokyo Online Education ウイルスからみた生命科学 Copyright 2005, 野本 明男
ウイルスへの感染は目に見えないところでひっそりと進んでいて、目にみえる症状が現れるのはその感染現象のほんの一部の側面に過ぎない、ということを、水面上に見えるのはほんの一部で大部分が水中にある氷山になぞらえて「氷山説」といいます。
例えば、図一番下の遺伝子多型とは、宿主側もウイルス側も、同じ種であっても個体ごとに少しずつ遺伝子が異なってるということを意味します。ある宿主の個体にあるウイルスの”個体”がやってきたとして、ウイルスと宿主の個体の組み合わせごとに感染しやすいかしにくいかといった条件分岐がまず発生します。
この条件をくぐり抜けた後も、図にあるような宿主とウイルスの持つ分子同士の複雑な相互作用があり、その最終結果の一つとして症状があるということです。ウイルスがたとえ感染したとしても、これらの相互作用によって発症に至らないケースもあります。つまり、感染と発症は決して同じものではなく、我々が実際に症状として認識しているものは感染現象のほんの一部に過ぎないのです。
まとめ
ウイルスとは何か、どのように活動しているのかといったところから、宿主の健康との関係まで、講義で解説されていたことを紹介してまいりました。
今回の記事では紹介しきれなかった部分も多くありますので、興味を持って下さったかたはぜひ講義動画をご覧ください!野本先生が研究されていた、ポリオウイルスに関する話もなかなか興味深いと思います。
今回紹介した講義:生命の科学−構造と機能の調和(学術俯瞰講義)第8回 ウイルスと生命体 野本 明男 先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。 
<文/K.S.(東京大学学生サポーター)>
2023/07/25
「宇宙になぜ我々が存在するのか」。
これは、今から紹介する講義のタイトルになっている問いかけです。
誰もが教科書や、図鑑や、テレビや、マンガなど、どこかでふと興味をもったことがあるであろう宇宙。
これまでに多くの人が宇宙の神秘に惹かれ、多くの研究がなされ、様々なことが分かってきました。
しかし、これだけ文明が発達し、研究が進んだ現代でも、まだまだ分かっていないことがたくさんあります。
今回紹介するのは、様々な物質の不思議について紹介する講義シリーズ『物質の神秘 ― その生い立ちから私たちの未来まで(学術俯瞰講義)』の第1回。村山斉先生による、ズバリ『宇宙誕生』という講義です。
宇宙がどうやってできたのか、どのようにして過去に起きたことを知るのか。一緒に学んでいきましょう!
遠くの星を見れば過去を知れる!?
そもそも地球上で昼と夜があるのも、季節が変わるのも、宇宙規模の現象です。
簡単にいってしまえば、昼夜は地球が自転をしており太陽光の当たる面が変わるから存在するもの、季節は地軸の傾いた地球が太陽の周りを公転しており太陽光の当たり方が変わるから存在するものです。
地球が太陽の周りを楕円軌道で周回していることを示したのが、ドイツの天文学であるヨハネス・ケプラー。
そしてこの公転を物理的に説明するのが、ニュートンによる万有引力の法則です。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
万有引力の式から、質量が大きい物ほど引き付ける力が強いことが分かります。太陽は非常に質量が大きいため、地球はどこかに飛んで行ってしまうことなく、太陽の周りを公転しているのです。
地球以外にも、太陽の引力を受けて運動する天体はたくさんあり、これらをまとめて「太陽系」と呼びます。水星や木星などの惑星は太陽系の有名な天体ですね。
さて、地球から太陽までの距離はどのくらいかご存知ですか?
その距離、何と8.3光分。「光分」というのは光が1分間に進む距離なので、8.3光分は光が8.3分間に進む距離、なんと約1.5億kmになります。
光が太陽から地球まで届くのに8.3分もかかるということは、我々が見ている太陽というのは8.3分前の太陽の姿ということになります。光はとても速いので、近くのものを見るときにそのタイムラグを考えることはありませんが、宇宙という広い世界を考えると、光でさえもタイムラグが生じるのです。
では、次は太陽系の外に目を向けます。太陽系に最も近い恒星が「Proxima Centauri」という星で、日本語では「プロキシマ・ケンタウリ」などと呼び、4.2光年も遠くにあります。
つまり、この星が我々に見えたらそれは4.2年前の姿を見ていることになります。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
このように、遠くの星を見るということは、過去の姿を見ることになります。
すなわち、過去の宇宙の姿を知りたければ、遠くの星や銀河を観察すればよいのです。
そうなると、最も遠くにある星を観察すれば、それは最も過去を観察していることになる、つまりは宇宙の誕生に限りなく近づくことができると思いませんか?
講義が行われた2013年当時、最も遠くに見つかっていた銀河が下図にある133億光年先の銀河です。実は、現在ではもっと遠くにある銀河が見つかっているので、気になる方はぜひ調べてみてください。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
さて、133億光年より先にある銀河が見つかりましたが、さらに頑張って136億光年先を観察しようとすると、真っ暗なのです。これは技術的に観測ができないのではなく、この時期には星や銀河がなかったからだそうで、「暗黒時代」と言われています。
では、それより昔はどうだったのでしょう。
宇宙は広がっている
その前に、宇宙の膨張について知っておく必要があります。
光は光源が近づいてくる場合、その光の波長が短くなって青く見え、遠ざかる場合その光の波長が長くなって赤く見えます。前者を「青方偏移」、後者を「赤方偏移」といいます。
この現象はドップラー効果と呼ばれます。ドップラー効果といえば、有名なのは音のドップラー効果で、近づいてくる救急車の音は高く、遠ざかる救急車の音は低く聞こえるのは、ご存知の方も多いでしょう。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
先ほど133億光年先の銀河を紹介しましたが、赤く見えます。光のドップラー効果により赤く見えるということから、遠くの銀河は地球から遠ざかっていっているのではないかと言われたのです。
そしてこれは、銀河が動いているというよりも、宇宙が膨張して空間が広がることによってその中にある銀河がそれぞれ遠ざかっているような現象なのだそうです。宇宙は大きさや形が決まった箱のような入れ物ではないということです。
宇宙の膨張に伴い、光も引き伸ばされます。また、光などの電磁波は波長が長いほどエネルギーは小さくなります。したがって、宇宙が膨張して光が引き伸ばされるほど、その波長は長くなり、持っているエネルギー、つまり熱が小さくなるので、宇宙の温度が下がって冷たくなります。
裏を返せば、かつて宇宙が小さかったころは、光がそこまで伸びないので、光の波長が短く、エネルギーが大きいため、とても熱かったことになります。
この非常に小さく、高温・高密度の状態をビッグバンと呼び、そこからどんどん膨張していきました。これが現在の宇宙の始まりとされているのです。
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2013, 村山斉
宇宙の誕生:ビッグバン
ビッグバンの証拠を最初に見つけたのは、宇宙の研究者ではなく、二人の電波技師だったそうです。
彼らはどうしても通信に入ってしまうノイズが宇宙から来ているのではないかと思い、大学の先生に相談しました。
宇宙の始まりがビッグバンだったとすると、できたてのころは熱くたくさん光を発していたことになり、それが宇宙の膨張により引き伸ばされて赤くなり、赤外線になり、電波になって今もあるはずだ、と思っていた大学の先生は、このノイズの発見をビッグバンの証拠であると言いました。
その後も色々な発見によりビッグバンが起きたことが裏付けられていきます。
講義で紹介されているそれらの発見の中でも、ノーベル賞も受賞しており村山先生の同僚だというジョージ・スムート先生のおっちょこちょいエピソードが面白いので、気になる方はぜひ講義を見てみてください。
まだまだ未知な宇宙
ビッグバンの証明がなされてきたと書きましたが、ビッグバンが起きた頃は非常に高温で、物質がプラズマという状態にあり、光を通しにくいので、実際の宇宙からその頃の様子を観測するのは難しいそうです。
そのため、粒子加速器という装置を使って、実際にビッグバンのような現象を起こすことでその様子を観察するという研究が行われています。
ここまで、宇宙の誕生について紹介してきました。しかし、この記事を読んでいても「銀河とは何なのか」「そもそもなぜ宇宙は膨張しているのか」といった更なる疑問も浮かんできます。この記事では講義の、そして宇宙の誕生のほんの一部しかカバーできていません。また、そもそも分かっていないことも数々あります。今回紹介した『宇宙誕生』に続き『物質誕生』『銀河誕生』といった講義もあります。どれも村山先生の軽快な語りが非常に分かりやすいので、ぜひご覧ください。
今回紹介した講義:物質の神秘 ― その生い立ちから私たちの未来まで(学術俯瞰講義)第1回 宇宙誕生 村山 斉先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。 
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
2023/07/19
東大のキャンパスを歩くと、歴代の総長や教授など、様々な人の肖像彫刻(いわゆる「銅像」)をたくさん見かけます。
果たしてキャンパスのどんなところに、全部でいくつあるのでしょうか?
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 木下直之
かつて東京大学総合研究博物館に勤めていた木下直之先生は、展覧会のためにこれを調査しました。すると、驚きの事実が明らかになりました。
なんと、誰にも分からなかったというのです。銅像の数や位置、歴史をすべて把握している人は誰もおらず、誰が所有権を持っているのかも分からない肖像彫刻がたくさんありました。極めつきは、ある建物の廊下のゴミ集積場にひっそりとおかれたままの彫刻まであったということで、なんとも衝撃的です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 木下直之
そこで、木下先生は、そもそも「人はなぜ肖像を残すのか」という問いをたてて、東大のキャンパス中にある、調査できる限りの肖像画・肖像彫刻を調べ、動かせるものは博物館に動かして、1998年に東大博物館で展覧会「博士の肖像」を開催しました。その様子は、今はカタログとして読むことができます(木下直之編(『博士の肖像 人はなぜ肖像を残すのか』東京大学出版会、1998年))。
(ゴミ集積場に置かれた彫刻は展覧会により無事「復権」し、ゆかりの研究室によって引き取られたそうです。)
木下直之先生はこのように、屋外の彫刻やお祭り、見世物、動物園など、身の回りの身近な風景や事物に着目し、隠されたり忘れられたりしてしまっている「文化」を見出す第一人者です。文化資源学研究室で教鞭を採られた後、現在は静岡県立美術館の館長をされています。
今回紹介する「近くても遠い場所へ―文化資源の発見」は、そんな木下先生が、「近くても遠い場所へ」と題し、日本各地の街並みやさまざまな場所・風俗・歴史に潜む「文化」にじっくりと目を凝らす、その方法について教えてくれる講義です。
災害と文化
先生の著書『股間若衆』(新潮社、2012年)の紹介の後、講義のテーマは「災害のあとにおこること」に移ります。江戸時代の安政大地震から、明暦の大火、関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災に至るまで、歴史上災害は絶えません。そして災害のあとには、亡くなった人とどのように向き合うか? という文化的な問題が必ず生まれます。
 現在の東京にも残っている両国の回向院や、東京都慰霊堂などの建物に、それを見てとることができます。こうした場所は、災害で亡くなった数多くの人を弔うため、特定の様式ではなく、様々な宗派や宗教の要素を取り入れたような、文化的にとても不思議な空間になっているというのです。特に近代以降の公共建築では、「政教分離」の原則を守る必要がありました。そのために、東京都慰霊堂は、仏教も神道もキリスト教も混ざっているような不思議な建築様式を持っています。これは広島の原爆ドームや、平和記念公園などにも当てはまります。
そして広島の原爆ドーム。世界遺産となっているこの建物ですが、原爆によって「崩壊した建物をそのまま永遠に保存する」という(ある意味で)無茶な取り組みのために、原爆ドームが保存・修復・「建設」されてきた歴史が紹介されます。
文化遺産の保存と修復のジレンマは、東日本大震災の被災地でも起こっていました。
これらのように災害のあとでは、生者と死者が関係を結ぶための不思議な空間が生まれるのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 木下直之
民俗文化財の歴史
次のお話は「民俗文化財」について。日本での文化財保護の歴史をひもとくと、お祭りや芸能など形のない(無形の)文化財は、美術工芸品など形のある(有形の)文化財、いわば典型的な「お宝」のようにはじめから守られていたわけではありませんでした。保護の対象としては実は新しい概念なのです。特に「民俗」文化財—いってみれば貴族ではなく、庶民が大切に育んできた文化—が、守るべき「文化財」として「発見」されたのは、実は最近のことだったのです。こうした民俗文化財は、今は各地域の観光資源として使われたり、あるいは災害からの「復興」において重要な役割を果たしたりしています。
講義では、2016年にユネスコ無形文化遺産として登録された「山・鉾・屋台行事」を例にお話しされます。こうした行事にはもちろん国や各地方自治体が関わりますが、祭礼は慰霊や宗教と切っても切れない関係にあります。となると、ふたたび「政教分離」が問題になります。公共による「文化財」の保護、特にお祭りのような無形文化財の保護においては、そこで宗教性がどのように排除されているかに注目すべきポイントがあります。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 木下直之
埼玉県川越市の「川越まつり」で、市役所の前に山車が勢揃いしている写真です。先生は、こうしたお祭りで政教分離がどう行われているかはとても興味深い問題だとしています。
神田祭と文化財
話題は「神田祭」に移ります。神田祭といえば、京都の祇園祭・大阪の天神祭とならんでいわゆる日本三大祭りと言われ、現在も続く大きなお祭りです。今年(2023年)の5月に4年ぶりに開催されたのも記憶に新しいですね。
しかし、実は江戸時代の絵を見てみると、現代の神田祭のそれとはずいぶん様子の違う、ユニークな出し物がたくさん出ていたそうなのです。講義当時(2017年)、木下先生がいらした文化資源学研究室は、江戸時代の神田祭の姿を現代に甦らせる(!)ことを目指して、10年以上神田祭に関わってきていたそうです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 木下直之
研究室のプロジェクトで、『江戸名所図会』に登場する鬼の首や象、ナマズなどの巨大で奇抜な山車が再現されました。(上の写真には木下先生も映っていらっしゃいます!)講義ではたくさんの写真とともに紹介されるので、見ているだけでもとても楽しいです。
おわりに
日本の文化財保護法の文章にはじまり、原爆ドームのプラモデル、世界遺産、最後にはお祭りとアニメの「聖地巡礼」の話題まで、さまざまな話題が自由自在に飛び出す、とてもユニークな講義です。
美術やお祭り、世界遺産などに興味がある方はもちろん、歴史や宗教とも密接に関わるので、広く文化に関心がある方にはどなたにでもおすすめの講義です。
身の回りの物事を文化資源として「発見」し、「近くても遠い場所へ」ゆくための扉が開けるかもしれません。
今回紹介した講義:文化資源、文化遺産、世界遺産 (学術俯瞰講義)第3回 近くても遠い場所へ―文化資源の発見 木下 直之先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/W.H.(東京大学学生サポーター)>
2023/07/12
毎年「村上春樹の受賞なるか!」と話題になるノーベル文学賞。
日本では、これまで2人の作家がノーベル文学賞を受賞しています。
1968年に受賞した川端康成と、1994年に受賞した大江健三郎です。
この2人の日本人作家は、活躍した時代も違いますし、その文学性も、世界に向き合う態度も違います。共通点といえば、ただ日本人として世界的な文学の賞を受賞したということくらいです。
そんな川端と大江ですが、それぞれノーベル賞を受賞した際、受賞記念の講演を行っています。
川端が行った講演のタイトルは「美しい日本の私」、
そして大江が行った講演のタイトルは「あいまいな日本の私」。
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
大江は、同じ日本人としてノーベル賞を受賞した先人、川端の講演を踏まえて、自身の講演を行ったのです。
しかしこのタイトル、日本語として少し違和感を感じないでしょうか?
「美しい日本」までは分かりますが、そこに「私」がついて「美しい日本の私」となると、一体何が対象となっているのかピンときません。
そのうえ「あいまいな日本の私」となると、「あいまいな日本」というものがそもそも分からないので、そのタイトルの輪郭すら掴めないでしょう。
川端と大江の講演では、一体どんなことが語られているのでしょうか?
今回は、そんな2つの講演から、国や文学の「境界」について考える講義を紹介します。
川端康成「美しい日本の私」
講師を務めるのは、ロシア文学の研究者・沼野充義先生です。
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
この講義が行われた2013年には、東大文学部の現代文芸論研究室、スラヴ語スラヴ文学研究室に所属されていて、現在は東京大学の名誉教授となっています。
さて、川端が行った「美しい日本の私」という講演、これは主に西洋とは異なる日本の美意識について語ったものでした。
(ノーベル賞受賞記念講演の全文は、すべてノーベル賞財団のホームページで無料で読むことができます。川端の講演はこちら。全編英語です)
この講演で川端は、道元や明恵の和歌や、瞑想に基づく禅の精神などを紹介しています。そこで語られるのは、日本的なうつろいの美学です。
日本人で初めて世界的な文学の賞に選ばれたという気負いがあったのでしょうか、川端は、ときに西洋的な価値観と対比させながら、自然と調和的な日本の美しさを前面に押し出しています。
それはまた、川端が講演を行なった1968年という時代が反映されているでしょう。
大江健三郎「あいまいな日本の私」
一方、大江が講演を行なった1994年は既に、オリエンタリズムを反映させた川端のような日本論を語る時代ではなくなっていました。そこで大江は川端の講演を受けて、「あいまいな日本の私」という講演を行うのです。
(大江の講演はこちら。全編英語です)
大江は講演で、川端の講演を振り返ります。そして、川端によって語られた日本の美意識を、あいまいなもの(vague)だと捉えました。
そのあいまいさは、「美しい日本の私」というタイトルにも表れています。大江はこのタイトルのあいまいさは「美しい日本"の”私」の「の」に由来しているといいました。
違和感のあるこのタイトルこそが、日本的なあいまいさのひとつの発露であり、川端が講演で「美しい」と讃えた美のあり方の一例です。
そして、大江の講演のタイトルは、「あいまいな日本の私」でした。ここまでの話だと、大江の講演は、「美しい」を「あいまいな」と捉え直し、川端の主張に追随するもののように思われるかもしれません。
しかし、大江のいう「あいまいな」は、日本的美学が根差す「あいまいな」とは異なります。
大江の「あいまいな」は「vague」ではなく、「ambiguous」なのです。
「vague」は、「漠然とした、不明瞭な、はっきりしない、ぼやけた、かすかな」とも訳されるような言葉です。そこでは、掴めなさ、拠り所のなさが意識されています。
一方の「ambiguous」は、「両義的な」と訳されます。つまりここに、「義(意味)」となるような拠り所は存在しているのです。
大江は、「開国以後、百二十年の近代化に続く現在の日本は、根本的に、あいまいさ〔アムビギュイティー〕の二極に引き裂かれている、と私は観察している」(大江健三郎『あいまいな日本の私』、岩波新書、1995年、p8)と語ります。
何もかも漠然としているわけではないものの、どちらの側につくか決めることができないという点で「あいまい」なのです。
夏目漱石はどのくらい日本の作家なのか?
沼野先生の講義は、そのまま「二極に引き裂かれた」作家の話に移ります。
この記事では(そして沼野先生の講義では)、「ノーベル文学賞を受賞したたった2人の日本の作家」として、川端康成と大江健三郎を紹介してきました。
しかし、2人は本当に「日本の作家」といえるのでしょうか? 
逆に、それ以外のノーベル文学賞受賞者に「日本の作家」はいないのでしょうか?講義では、沼野先生から「夏目漱石は日本の作家か?」という質問が投げかけられます。
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
当たり前じゃないかという声が返ってきそうです。それでは、「夏目漱石はどのくらい日本の作家か?」という質問ならどうでしょうか?
よく知られているように、漱石はイギリスでの留学経験があります。その期間は2年間だけだったとはいえ、その経験は漱石の文学に少なからず影響を与えているはずです。
また、漱石は当時の知識人として、漢文に熟達していました。若い頃から晩年に至るまで、漢詩を作り続けています。
このような英語や漢学の知識により、文学というものにおける思考法さえも変わってくるはずなのです。
そのように考えると、沼野先生は、夏目漱石は100%日本の作家だとは言い切れないだろうと語ります。
「二極に引き裂かれた」作家たち
日本の外を見ると、どの国の作家だと定義できない事例が数多くあります。
プラハに生きた、ドイツ語で書くユダヤ人のフランツ・カフカ。
ロシア出身だが英語が堪能なバイリンガルで、英語とロシア語どちらでも作品を書いたウラジーミル・ナボコフ。
講義ではまた、カズオ・イシグロについても紹介されました。
カズオ・イシグロは日本で生まれ、イギリスで育った作家です。
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
イシグロは日本人の両親のもとに生まれたものの、5歳でイギリスに移住しており、あまり日本語が堪能ではないといいます。作品はすべて英語で書かれています。
それにもかかわらず、2017年のノーベル文学賞受賞時には、日本で大きなニュースになりました。
あのときのメディアの取り上げ方は、他の作家が受賞したときとは全く異なっていたはずです。まるで「日本人」の作家が受賞したかのような盛り上がりようで、イシグロの著作もベストセラーになりました。(本来、ノーベル文学賞作家の作品だからといって、日本の市場でヒットするとは限りません)
イシグロはノーベル文学賞受賞後のインタビューで「私の一部は日本人」と語っています。
沼野先生の講義はイシグロのノーベル文学賞受賞前に行われたものでしたが、もし講義がイシグロの受賞後であれば、また別の構成になっていたはずです。そのときは、「カズオ・イシグロはどのくらい日本の作家か?」という質問が投げかけられていたかもしれません。
そして、私たちが「日本の作家」だと見なす「村上春樹はどのくらい日本の作家か?」と考えてみてもいいでしょう。
村上は日本で生まれ育っていますが、作家としてデビューしてからは長く日本国外で暮らしていました。また、作品のスタイルは強くアメリカ文学の影響を受けています。作品はどれも何十か国語に翻訳され、その読者も日本だけでなく世界中に散らばっています。
村上もまた、100%日本の作家とは言い切れません。
境界を越えて生きていく
きっと川端は、自身が「日本人最初のノーベル文学賞受賞者」だという自覚と矜持をもって、「美しい日本の私」という講演を行なったはずです。
しかし実際には、私たちはたとえ日本生まれ日本育ちであっても、混じり気のない「日本人」ではありません。
講義の結びで、沼野先生は以下のふたつのことを主張しました。
① いくつもの境界が一人の人間(作家)の中で交差していること
② 人間(作家)は必ずどこかで境界を越えて生きていく存在であること
UTokyo Online Education 朝日講座 2013, 沼野 充義
講義では主にナショナルアイデンティティーについて語られてきましたが、ここでの境界はなにも国の境目だけではありません。性別、所属など、そのほかの属性でも、境界が交差しています。
私たち人間は、このような境界を越えながら生きていると、沼野先生はいいます。
沼野先生が講義で、「今後この越境は進んでいく」と予想したように、インターネットの発展もあり、私たちは自らの境界について自覚的になることが増えてきました。そして、その越境も容易に行えるようになっています。
講義では、もし村上春樹がノーベル賞をとったら、その記念講演は「どんな日本の私」になるかという問いが投げかけられます。
川端が受賞した1968年から大江が受賞した1994年までの間は、26年。
2023年の現在、大江の受賞からさらに29年が経過しています。
みなさんは、「どんな日本の私」を考えますか?
講義動画には、この問いについて学生たちが考えるディスカッションタイムと、それを受けた沼野先生の応答もあります。
ぜひ講義動画を視聴して、この問いについて考えてみてください。
今回紹介した講義:境界線をめぐる旅(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2013年度講義)第2回 文学と越境―<あいまい>な日本に境界はあるのか? 沼野 充義先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/竹村 直也(東京大学学生サポーター)>
2023/07/06
ソクラテスといえば、対話を通して真理を探究しようとする問答法で有名なギリシアの哲学者です。
そんなソクラテスですが、ある日突然アテネの市民を堕落させたという罪で死刑になってしまいます。哲学のモデルだと言われるソクラテスはなぜ死を迫られたのでしょうか。彼の生き方に迫る授業を紹介します。
今回講義を担当するのは、西洋古代哲学を専門とする、東京大学哲学研究室の納富信留先生です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
「ソクラテスは哲学をしたから殺された」
紀元前399年、ソクラテスはポリスの信じる神々を信じず(不敬神)、若者を堕落させたという罪で訴えられ、通称「ソクラテス裁判」が開かれました。裁判の結果、彼は死刑となったのです。
ソクラテスの死後、弟子たちが無罪を主張しました。その中の一つで、哲学の古典として最も重要とされているのがプラトンの『ソクラテスの弁明』です。
授業では、謎が多いとされているこの『弁明』を読み解いていきます。
プラトンが訴えている強烈なメッセージは、
「ソクラテスは哲学をしたから殺された」ということです。
なぜ哲学をすることで殺されたのか?哲学を「する」とは?ソクラテスは不幸だったのか?
これらの問いを見ていきましょう。
ソクラテスの対話と神の存在
ソクラテスはある日、「知らないということを知っているソクラテスこそが最も賢い」という神の声を聞きます。 
自分より賢い人がいるはずだと信じたソクラテスは、様々な人物のところに尋ねて行き対話を重ねることで、この信託が間違っているということを示そうとしたのです。
しかし驚いたことに、優れているとされている人物でさえ多くのことを知らず、さらには自分は知っているのだと思い込んでいました。ソクラテスは、自分より優れている人を探せば探すほど自分が最も優れているということを示してしまい、周囲の反感を買うというスパイラルに陥りました。
哲学=知を愛し求めること
裁判でソクラテスは、自分の行動は神から与えられた真理を全うするためのものであり、哲学(φιλοσοφία フィロソフィア)であると主張しました。
不敬神という罪に対して、自分と神との関わりを示すことで弁論しようとしたのです。
哲学(φιλοσοφία)とは、対話を通してお互いに知らないことを自覚し探究する行為で、知を愛し求めることだといいます。
神の命令を聞き知を愛し求めること(哲学)によって、人々に疎まれ不敬神の罪で裁判にかけられてしまうという皮肉なストーリーがプラトンによって描かれています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
「私は死を恐れない」
死刑という刑罰を前にして、ソクラテスは自分が死をどう捉えるかという演説を始めます。
例に出したのはギリシア神話の英雄アキレウスです。親友の復讐のために死を覚悟して戦場に赴いたアキレウスと、神から与えられた「哲学をやる」という使命を全うする自分とを重ねます。
ソクラテスは、神に従うということは自分にとって哲学をし続けるということであり、その行為が人々の反感を買おうとも決してやめることはできない、と言います。
つまり、善く生きることができるのならば、死は恐れるに値しないということです。
ソクラテスは、
「あなたたちは恥ずかしくないのですか?」「あなたたちの考えていることは醜い」とたたみかけます。
彼は「人生には2種類の配慮がある」と話し始めます。一つ目は評判や名誉、金銭の量を増やしたい、という配慮。二つ目は思慮や知恵の質をより善くしたい、という配慮です。
ご想像の通り、ソクラテスが言う本当の配慮は、質をより善くしたいという後者のものです。それに対して、アテナイの人々が普段気にしているのは名誉や金銭、評判などの「量」のことばかりであると批判したのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
この批判は、当たり前すぎて意識すらしていない常識的な価値観を否定することになり、アテナイの人々に衝撃を与えました。
この哲学的問題をプラトンはイデア論の中で、人間をより正しい方へと導く「魂の向け変え」として論じました。
ポカンとして日々を生きている人々の目を覚まさせて死に至ったということから、ソクラテスの死は哲学の始まりとして位置付けられているのです。
納富先生は、ソクラテスの死に対して私たち自身がどう思うのか(ムカつく?それともかっこいい?)、考えることが大切だと言います。
「私に相応しい罪は無料で飯を食べる権利である」!?
ソクラテスは、自分の刑罰を決める際に「私に相応しいのは国の予算で毎日食事をする権利を得ることです」と言ったと記述されています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
先生は、ソクラテスが実際にこれを言ったかは定かではなく、本当だとしたら正気を疑われただろう、と苦笑していました。(『弁明』には、プラトンの解釈や創作も含まれていると考えられるため、このような突っ込みどころや謎がたくさんあるのです!)
このソクラテスの突飛な主張の真意を探っていきます。
当時、オリンピアの大競技会の入賞者はプリュタネイオンというギリシアの迎賓館で毎日国費で食事をする権利が与えられました。
ただし、戦車や騎馬といった競技に関しては、その権利が与えられるのはプレイヤーではなく戦車や馬の出資者でした。自分で鍛錬し努力した人ならまだしも、資金力があるだけの人物が栄誉の恩恵に預かっているのはおかしいと揶揄したのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
この主張の文化的背景として、ギリシアの詩人クセノファネスの存在があります。彼はソクラテスの100年ほど前にオリンピアの選手に批判的な詩を書いており、ソクラテスはおそらくその詩を引用したのだろうと考えられています。
また政治的背景として、ソクラテスの弟子のアルキピアデスという人物の存在があります。彼は戦車競技の出資者としてプリュタネイオンでの食事の権利を与えられていましたが、最終的にアテナイを滅亡へと導いてしまうことになるのです。
さらに哲学的背景として、本当の幸せとは何かという問題があります。
「オリンピアの祭典で勝った人たちは確かに偉いが、それが本当に私たちを幸福にするのか?その幸福は誤魔化しではないのか?」というソクラテスの問いは、スポーツと社会の間に現在も存在する議論です。
ソクラテスは、「本当の幸せ」を人々が得られるように行動してきたと主張しました。
ソクラテスの生き方
死刑が決まった裁判の後、ソクラテスは次のように語っています。
「自分の人生の是非は神を別にして結局誰にも分からない」
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 納富信留
より善く生きるために死を受け入れたソクラテスは、果たして幸せだったのでしょうか?
納富先生は、本当に大切なことはソクラテスが死んだと言う歴史的事実とプラトンがこのように記述したことだと言います。
その記述が洋の東西を問わず読み続けられ、「より善く生きるとははどういうことか」が問われてきたという意味で、ソクラテスの死、そしてプラトンの記述が「哲学の古典」なのです。
授業動画では、プラトンの記述やソクラテスの発言の謎をさらに広く深く掘り下げていきます。ソクラテスの生き方について、あなたはどう考えますか?
今回紹介した講義:古典は語りかける(学術俯瞰講義)第5回 ソクラテスの生は何を生んだのか?(「哲学者の生の弁明」を中心に)納富 信留先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/下崎日菜乃(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2023/06/28
皆さん、温泉は好きですか?
世界屈指の温泉大国である日本では、昔から今に至るまで、多くの人が温泉に癒されてきました。
入ると癒される温泉ですが、実は普通の水と違い、利用するには不便なこともあります。
今回のテーマは、そんな温泉の正体である「酸性水」の特徴と、「中和」という化学反応です。
ご紹介するのは、地球・分析化学や自然環境化学をご専門とされる穴澤活郎先生による「酸性河川中の溶存化学物質の挙動」「酸性温泉水、坑廃水」という2つの講義。
これら2つの講義では、大規模な中和事業が行われてきた「草津温泉」「玉川温泉」「旧松尾硫黄鉱山」という3つの例が紹介されていますが、この記事では草津温泉と玉川温泉の2つについて紹介します。
身近な温泉を舞台に、酸性水や中和を通して化学の世界を少し覗いてみましょう!
そもそも酸性水って何?
溶液は、その水素イオン濃度により「塩基性」「中性」「酸性」に分けられることを、多くの方が中学校などで習ったのではないでしょうか。
酸性水というのは、簡単に言えば水素イオンが多く存在する水です。
水素イオン濃度はpHという指数で表され、一般的に0~14の中で、酸性が強いほど数値は低くなり(0に近づく)、塩基性が強いほど数値が高くなります(14に近づく)。中性はpHが7です。
温泉の水は酸性水で、例えば、草津温泉のpHは約2と結構強め。
そんな酸性水は様々な反応を起こしやすいため、不便なことが多いのです。
例えば、建物などによく使われるコンクリートの劣化を促したり、水中生物や土壌に悪影響を及ぼして漁業や農業に問題を起こしたりすることがあります。
また、普通の水には溶けない、人体に有毒な金属などを溶かすこともあります。
UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎
これを聞くと、「温泉って、そんなに危険そうな水なの!?大丈夫!?」と思われるかもしれません。
ご安心ください。人体は酸性水に比較的強く、ご存知のように温泉に入っても少しピリピリするくらいで、みなさんが温泉につかるのには問題ありません。
温泉の水はどこからくるの?
ではこの酸性水、一体どうやってできているのでしょうか。
酸性水の生成機構は二通りあるようですが、ここでは、温泉なども該当する火山による酸性水の生成について紹介します。
少し化学の要素が強いので、分からない方はスルーしていただいても大丈夫です。
まず、雨や雪などが地下水となり、マグマにより熱せられると、マグマの中に含まれる様々な物質が地下水に溶け込みます。
温泉施設ではよく成分や効能が書かれた表を目にしますが、これはこのように様々な物質が溶けているからです。
そして中でも、二酸化炭素(CO2)や硫化水素(H2S)、二酸化硫黄(SO2)、塩化水素(HCl)といった物質はいずれも水に溶けると酸性となるため、これらが溶けた地下水は酸性となります。
地下深くは非常に温度と圧力が高いのですが、酸性となった地下水が段々と上昇していくと温度や圧力が下がっていき、気体(Vapor)と液体(hot spring water)に分かれます。
UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎
この気体は一般に火山ガスと呼ばれるものです。そしてこの液体が温泉にもなる酸性水です。
酸性水が川に流れ込むと酸性河川となります。
先ほど紹介したように、酸性水は農業や漁業には向かないため、利用する場合は適切に処理する必要があります。
それが「中和」です。
中和は中学校などでも習う化学反応で、酸性の物質(酸)と塩基性の物質(塩基)を反応させることで、塩(えん)と水が生成されます。
例えば、下のように酸の塩化水素(HCl)と塩基の水酸化ナトリウム(NaOH)を反応させると、中性の塩化ナトリウムと水を得ることができます。
UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎
酸性水もこの中和により普通の水にすることで、利用することができます。
それでは、ここから実際の中和事業について見ていきましょう。
草津温泉の中和事業
まずは日本有数の温泉地である草津温泉。
付近の川は、1960年以前まで強酸性水であったため魚類が生息せず「死の川」と呼ばれていました。
川の水を農業に利用できず、コンクリートが劣化してしまうため橋などもかけられないということで、1957年から中和事業が開始され、1964年に世界初の酸性河川中和工場ができます。
この中和工場は草津温泉を代表する「湯畑」からも歩いていくことができ、工場見学もできるそうです。
そして翌年には品木ダムができます。
草津温泉の中和事業では、工場内で河川の水を溜めて中和するのではなく、塩基性を示す石灰水を直接川に流し込むことで中和させ、出来た塩をダムで沈殿させているのが特徴的です。
UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎
酸性河川の中和反応を化学式にすると以下のようになります。
H+というのが酸性を示す水素イオンのことで、これを石灰(CaCO3)と反応させ、水(H2O)とカルシウムイオン(Ca+)、二酸化炭素(CO2)が生成されます。
そしてカルシウムイオンは、元々水素イオンと結合していた硫酸イオンなどとくっついて塩となり、沈殿します。
UTokyo Online Education 人間環境システム学 2021 穴澤活郎
中和に使っている石灰は日本でもたくさん採ることができます。
しかし、品木ダムの容量が近年問題となっていると穴澤先生は言います。
中和で生成する塩などを品木ダムで沈殿させているため、沈殿物がどんどん溜まってしまい、2017年の段階で全貯留容量の約87%が使われてしまっています。
沈殿物をダムから取り除く浚渫(しゅんせつ)作業には高いコストがかかるため、この点が草津温泉での中和事業の課題となっています。
玉川温泉の中和事業
次に、秋田県にある温泉である玉川温泉。
玉川温泉の水はpH1.2とかなりの強酸性です。
玉川温泉周辺の河川では、戦時中に食料増産などのため河川水を利用するべく、中和事業が行われました。
このとき、酸性水を地下の岩石などと接触させ、中和させようと試みましたが失敗に終わります。
さらに、日本一深い湖である田沢湖に流し込む事業も行われましたが、こちらは田沢湖の酸性化を招き、中止。
その後、草津温泉に遅れること約10年、1972年に石灰石による中和が始められ、90年代に玉川ダムと中和工場が完成します。
玉川温泉の中和工場では、草津温泉と違って工場内に中和槽があり、ここで中和反応を起こします。そして沈殿物をある程度回収したうえで河川に水を戻すため、玉川ダムでは沈殿があまり起きず、全貯留容量の1%ほどしか利用されていません。
人間の営みにより生成してしまう酸性水も
今回は、身近な温泉をテーマに、酸性水の利用と中和反応について紹介しました。
中和事業のおかげで酸性河川も利用できるようになった一方、草津温泉の品木ダムの容量不足のような問題があることは、あまり知られていないかもしれません。
第8回の講義の後半では、三大中和事業の残る1つ、「旧松尾硫黄鉱山」や、現在研究されている新たな中和方法について紹介されています。
旧松尾硫黄鉱山では、草津温泉や玉川温泉のように自然にできる酸性水とは異なり、人間の影響でできてしまった酸性水を中和するための事業が行われています。
ぜひ講義を実際に見て、その歴史や今に残る課題を学んでみましょう!
今回紹介した講義:人間環境システム学(学術俯瞰講義)第7回 酸性河川中の溶存化学物質の挙動 穴澤 活郎先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
2023/06/22
高校で習う数学の分野に,微分・積分があります.
「なんか聞いたことあるけど習っていない」「高校生のころ苦しめられた思い出が…」「大学受験レベルなら余裕だな」
様々な方がいらっしゃると思います.
そもそも,なぜ微分・積分を勉強するのでしょうか.もっと言うと,この学問はどのような面白さがあり,またどのように活かされていくのでしょうか.これらは,理系の大学に進学しない限り,なかなか実感しにくいと思います.
微分・積分は,もちろん純粋に数学としての面白さもありますが,実は世の中のあらゆる現象を解析し,理解する上で欠かせないツールになっています.
今回は,薩摩先生の2つの講義から,現象の理解にどのように数学が用いられてきたかを,いくつかの現実的な例とともに覗いてみましょう.
マルサスの法則 —駒場キャンパスのねずみ—
それでは,ここで東京大学駒場キャンパスのねずみの数について,考えてみます.
自分は駒場キャンパスではねずみを見たことがないですが,ここでは仮に,今キャンパス内に10匹のねずみがいるとします.そして,このねずみが,「1週間経つと今いる数と同じ数だけ増える」とします.つまり,最初10匹いたのが,1週間後には10 + 10 = 20 匹になり,さらにその1週間後には20 + 20 = 40匹にまで増えます.恐ろしいペースですね.もちろん仮の話です.
さて,もしこのペースで増殖がずっと続いた場合,ねずみの数はどうなるでしょうか?私達は,あるタイミングにおけるねずみの数を,完璧に予測することができます.
少しだけ数式を出すことにしましょう.なるべく簡単にしますが,分からなくなったら数式の箇所のみ飛ばしていただいても構いません.
数学における慣例に倣い,ある週(ここではその数字をtと書きます)におけるねずみの数をu(t)と書くことにします.例えば,u(2)と書いたら,これは2週間後のねずみの数を表します.今(=0週間後)はねずみが10匹いるので,u(0) = 10 です.
ねずみは,「1週間経つと今いる数と同じ数だけ増える」ので,
となります.1週間経った時のねずみの増加数(左辺)は今いるねずみの数(右辺)に等しい,という式です.同じ意味ですが,別の書き方をすると,
ですね.1週間後には今の2倍にまで数が増えます,という式です.
試しに,1週間後から3週間後までのねずみの数を計算してみましょう.
ここで法則性を見つけると,この後はもう計算しなくて良いことに気づきます.u(t)を知りたかったら,
を計算すれば良いわけです(これは,漸化式を習ったことがある人はすぐに分かったかもしれませんね).例えば,20週間後の数を知りたかったら,2の20乗に10をかけて,直ちに10,485,760匹と求まります.
さて,ここまで特殊なねずみについて考えてきましたが,同じような関係性を,マルサスという経済学者が人口の増加について提唱したため,この関係性は「マルサスモデル」「マルサスの法則」とも言われます.マルサスの法則の数学的な本質は「増加率1が今ある量に比例する」ということです.実はそのような関係性は様々なところに見られます.複利の計算もそうですよね.
そして,この関係は,(1週間ごとの飛び飛びの値に注目するのではなく)連続的な変化に対して適用させると,次のような式で書けます.
微分が出てきました.スペースがないため詳しく説明できませんが,意味合いは(1)式と同じようなもので,u(t)の増減率(左辺)がu(t)に比例する(右辺)という意味です.αは単なる定数で,あまり気にしなくても良いです.(一般に,このαは増殖率と呼ばれ,α を 1/週 とすると(1)式に対応します.)
そして,ここから一気に説明を省略しますが,(3)式を解くと以下の式になります.(高校理系レベルの数学を未履修の方にとっては難しい式ですが,この話で大切なのは式の中身ではありませんのでご安心を.)
これは,先ほどの(2)式と同じように,あるタイミングでのuの値を予測できる式です.(微分・積分まで学習した読者は,(3)式を直接解いて(4)式を導けるでしょう.また,より発展的な学習をされている方は,ある条件のもとで先程の漸化式の一般解の極限を取っても,この式にたどり着けるはずです.詳細は薩摩先生の講義で紹介されています.)
これを,グラフで可視化してみると,下の図のようになります.爆発的にねずみが増殖していることが分かりますね.
この話で大切なことは,もし微分・積分を学習していると,「ある瞬間瞬間での数の増減のルール」が分かれば,任意のタイミングでの数を予測できる,ということです.
(3)のような式を専門的には微分方程式と言います.人類は,何かの法則に基づいて(3)式のような微分方程式を立て,それを解いて得た(4)式のような解を見ながら,現象を理解してきたのです.微分・積分は,300年に渡って人類が得てきた,あるいは開発してきた,強力なツールなのです.
このような考え方は,主に科学の分野において,頻繁に用いられています.空中に放り投げられたボールはその後どこに落下するか,コイルとコンデンサで構成された電気回路に電流はどう流れるか,これらは全て微分方程式を解くことによって求められます.
講義では他にも,左右に置かれた餌に魅了されて右往左往する100匹の羊を例に取りながら,拡散方程式という名の付いた微分方程式について説明されています.そんな羊の群れを想像して和むだけでももちろん十分ですが,数学的な興味を持たれた方はぜひ講義の方もご覧ください.
ロジスティック方程式 —爆発的には増えないねずみ—
さて,駒場キャンパスのねずみの話を聞かれた多くの方は,「そんな永遠に増え続けるねずみなんているわけないだろう」とお思いでしょう.自分もそう思います.先程の図のようにねずみに増殖されてしまったら,駒場キャンパスは授業どころではなくなります.
もちろん,現実にはそのようなことはなかなか起こらないはずです.これはすなわち,ねずみに対する先程の仮定「1週間経つと今いる数と同じ数だけ増える」が,いついかなる時も適用されるわけではないということを意味するでしょう.
では,どうすれば良いでしょうか?ここでは,微分方程式の考え方に立ち戻って,「ある瞬間瞬間での数の増減のルール」を,より現実的に仮定してみましょう.先程の仮定には増加の効果しか入っていませんでしたが,数が増えすぎると天敵による捕食や餌の不足によって死んでしまう数も増えそうです.したがって,減らす効果も微分方程式に取り入れるのが適切でしょう.
今回は試しに,「減る効果がねずみの数の2乗に比例する」と仮定して,以下の微分方程式を立ててみます.
先程の(3)式の右辺に,新たな項が加わっただけの式2ですね.この式は,u(t)の増減率(左辺)が,u(t)に比例する増加の効果(右辺第一項)と,u(t)の二乗に比例する減少の効果(右辺第二項)の和で決まる,という意味です.(αは先程と同じく単なる定数(増殖率)で,今回新しく出てきたβは,混雑定数と呼ばれる,これまた単なる定数です.)
この式は,ロジスティック方程式と呼ばれます.ロジスティック方程式は,運良く解くことができて,あるタイミングにおけるねずみの数は以下のようになることが分かっています.
これを,分かりやすくグラフにしたものが下の図で,2つの場合についてそれぞれ描かれています.はじめのねずみの数u(0)が1/βよりも多い場合には単調にねずみが減少し(黒線),少ない場合はS字のカーブを描きます(赤線).そして,どちらの場合も,徐々に1/βに近づいていく(漸近していく)ということが分かります.ねずみが永遠に増殖することはなくなり,より現実的な結果が得られました.今回もまた,微分方程式という素晴らしいツールのおかげで,将来を予測することができましたね.
UTokyo Online Education 数理の世界-新世紀の数学を探る(学術俯瞰講義)第3回 非線形の世界 Copyright 2007年, 薩摩 順吉
しかし,実は,どんな微分方程式もこううまくいくわけではありません.(5)式のような「ある瞬間瞬間での数の増減のルール」が分かったからといって,直ちに(6)式のような一般解,すなわち,任意のタイミングでの数を予測できる式が得られるわけではないのです.
微分方程式の中には,一般解が得られれば,あるいはその存在の有無が分かるだけで,100万ドルの懸賞金をもらえるものもあります.それ程に微分方程式は奥が深いのです.
カオス,フラクタル,ソリトン —より深い非線形の世界へ—
今回はこの辺で終わらなければなりませんが,講義ではここからさらに,より深い非線形の数理の世界へと話が展開されていきます.
カオスの話と天気予報の限界について.マンデルブロ(下の図参照)のようなフラクタル図形について.粒子性を持った波,ソリトンについて.
どれもとても興味深く,引き込まれる世界です.
UTokyo Online Education 数理の世界-新世紀の数学を探る(学術俯瞰講義)第3回 非線形の世界 Copyright 2007年, 薩摩 順吉
理系大学1,2年生向けの講義ですので、高校-大学初頭にかけての数学知識がないと理解できないところも一部あるかもしれません.しかし,先生が必ず最後に大事なことをまとめられているので、そこだけ聞いても十分楽しめるかと思います.
ぜひ,数理の世界を,覗いてみてください.
1ここでの増加率とは,単位時間あたりの増加数のことを意味します.全体に対する増加数の割合という意味ではありません.
2講義では少し異なった形で紹介されていますが,(3)式との対応を見やすくするため,あえてこの形にしています.
今回紹介した講義:数理の世界-新世紀の数学を探る(学術俯瞰講義)第2回 現象の数理
今回紹介した講義:数理の世界-新世紀の数学を探る(学術俯瞰講義)第3回 非線形の世界
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/佐藤 瞭(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2023/06/12
最近、電気代やガス代の値上げが話題となっています。
これにはウクライナ情勢による燃料費の高騰など、背景に様々な理由がありますが、日本が化石燃料などを海外からの輸入に頼っているのは誰もが知るところでしょう。
また、SDGsやカーボンニュートラルといった目標が普及し、エネルギーをとりまく事業やビジネスなどが活発になっています。
そんな中、今回紹介するのは櫛屋勝巳先生による『地域再生における再生可能エネルギーの活用』と題された講義です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
この記事では、講義に沿って、地方都市の現状をきっかけに日本の再生可能エネルギー産業とその持続性について考えていきます。
日本の地方都市のいま
講義ではまず日本の地方の課題などについて触れられています。
地方では過疎化や高齢化が進む中、経済活動を行わなければなりません。
地方の経済活動では、地域で生産したものを消費する地産地消をしながら、余ったものや買ってもらえるもの、その地域の強みを反映したものなどを地域の外に輸出し、地域で生産できないものやより優れたものを輸入します。
ここで新潟県にある佐渡島を例に考えてみましょう。
佐渡島は、令和2年で約52,000人(講義スライドは少し古いデータなのでご注意ください)の人口を抱える、日本最大の離島です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
佐渡が輸出する製品としては、佐渡の特徴であるトキをブランドにした農作物や、観光などが挙げられます。
一方、佐渡が輸入するものには、島内で生産が難しい電化製品や工業製品、日用品や食料品など多くあります。
中でも、支出が大きいのが、石油製品や発電のための燃料などです。
ちょっと不思議!?佐渡島の電力事情
佐渡島の電力事情は少し特徴的です。
これは知られた話ですが、日本の電気の周波数は静岡県の富士川を境に、東日本は50Hz、西日本は60Hzになっています。周波数というのは簡単に言うと、向きと大きさが周期的に変化しながら伝わる電気の、一秒あたりの波の数のことです。
東日本と西日本で周波数が違うのは、明治期に関東ではドイツから50Hzの発電機を、関西ではアメリカから60Hzの発電機を輸入して使っていたためです。
佐渡島は東北電力の管内であるため、佐渡島の電気の周波数は本来、50Hzのはずなのですが、実際は60Hzになっています。
これは明治時代に佐渡の金山が三菱グループに払い下げられた際、三菱グループによって西から60Hz帯の発電設備が導入され、その名残なのだそうです。
というのも、佐渡島では島内で主に火力発電(ディーゼル発電)を行うことにより電力をまかなっています。
日本の離島では、海底ケーブルなどにより本土から送電しているため、佐渡島は珍しいケースです。
発電に必要な燃料は佐渡島では生産できないため、燃料を輸入してくる必要があります。発電のためだけでなく、車のガソリンや暖房用の灯油などの燃料も必要となり、結果的にエネルギー関連に多くのお金がかかってしまいます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
再生可能エネルギーを導入する
化石燃料の使用を減らすために期待されるのが再生可能エネルギーです。再生可能エネルギーにより電力をまかない、また、電気自動車の導入やオール電化なども進めば、理論的にはエネルギーをほぼ自給自足できることになります。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
このように地域で発電をする分散小規模発電を行い、それを地産地消する仕組みはマイクログリッドなどとも呼ばれ、佐渡島に限らず、多くの地域で導入されたり導入が検討されたりしています。
エネルギーを地産地消することで、エネルギーを自給でき、送電による電力損失や環境負荷を減らしたり、またエネルギー源が分散されることで災害等の際に大規模停電などを回避できたりといったメリットがあります。
また、再生可能エネルギーを導入することは、よく知られているように低炭素化にも有効です。
そうは言っても、過疎化や高齢化が進む地方でこのような事業を行い、継続していくのは簡単ではありません。
しかし、これまでに挙げたようなメリットに加え、発電設備の建設や保守・運営など再生可能エネルギー関連産業はすそ野が広く、新たなビジネスや雇用確保も期待されます。
また、日本の地方での分散型電力システム開発は、まだ再生可能エネルギーの導入が進んでいない東南アジアなどの発展途上国での、分散型電力システム導入事業に生かすことができるかもしれません。
過疎化や高齢化も進む地方都市で、再生可能エネルギー事業により地域のエネルギー、経済を安定することができるのかは、今後大きなポイントの一つとなりそうです。
再生可能エネルギー源の主力、太陽光発電
さて、再生可能エネルギーといって多くの人がまず想像するのは太陽光発電ではないでしょうか。
日本でも導入が盛んで、特に郊外では多くの住宅の屋根に設置されていたり、畑や空き地などに設置されていたりするのを至る所で見ることができます。
太陽光発電は小規模でも設置・建設が可能で、日光が当たればどこでも発電できることから、最もメジャーな再生可能エネルギー源となっています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
佐渡島では、トキの生息地となっているため風力発電の導入は進んでおらず、また土地が限られているため、太陽光発電が主となっています。
現在、太陽光パネルは主に中国など海外で生産されていますが、その輸送や建設、運営などで先述したような雇用機会や新たなビジネスの創出が期待されます。
太陽光発電もメリットだけじゃない...
そんな太陽光発電ですが、大きな問題もあります。
その一つが使い終えた太陽光パネルの廃棄。
太陽光パネルはリユースやリサイクルが容易でなく、廃棄に高いコストや環境負荷がかかります。
太陽光発電システムの寿命は約25年とされています。これまで利用されてきたシステムの廃棄が2019年ごろから進んでおり、今後もさらに増加していきます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
ヨーロッパなどでは生産段階から廃棄を意識した設計を行う入口管理から、実際に処理を行う出口管理までのシステムが確立されていますが、日本では最近になって廃棄が進んでいることもあり、比較的遅れています。
これからますます太陽光発電システムの導入、廃棄が行われる中、より経済的に、環境負荷を小さく処理まで行うことができるシステムの構築が、日本をはじめ世界で求められています。
このように、太陽光発電を例にしてみると、多くあるメリットの反面、課題もあります。これは太陽光発電に限った話でなく、あらゆる再生可能エネルギー源、ひいてはそれを利用した分散型電源などにも言えることです。
日本全体、そして世界にも目を向けると
講義の終盤では、エネルギーに関する課題や注目すべき動向がいくつか挙げられています。
国内では原子力発電の使用済み燃料や廃炉の処理といった問題があります。
国外に目を向けると再生可能エネルギー事業で発展途上国への進出も進める中国の動向や、男女格差の問題や再生可能エネルギーの普及によりエネルギー事業の変革が求められる中東地域の動向には注目です。
さらに、冒頭にも挙げたようにロシアのウクライナ侵攻に関連する燃料費の高騰なども大きな問題となっています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2017 櫛屋勝巳
この記事では地方の抱える問題や電力事情、そして再生可能エネルギーや太陽光発電の利用について簡単に紹介しましたが、講義ではより詳しく紹介されています。特に太陽光発電の現状についてはかなり詳しく学ぶことができます。
制度やデータなどに関しては講義が行われた2017年から更新され、現在では異なる点もありますが、課題や展望などは共通している部分が多くあります。我々から切っても切り離せないエネルギーについて、この講義を通して考えてみてはいかがでしょうか。
今回紹介した講義:地球と社会の未来を拓く(学術俯瞰講義)第9回 地域再生における再生可能エネルギーの活用
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/大澤 亮介(東京大学オンライン教育支援サポーター)>