だいふくちゃん通信

2024/02/02
2017年、本郷キャンパスの総合図書館の地下に新館ができたことを知っていますか?これは、東京大学生産技術研究所の川添善行先生が中心となって設計したものです。今回はその川添先生の講義を紹介します。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
突然ですが、皆さんは以下の二つの文章の違いを説明できますか?「重力加速度は9.8である。」「その件については、 明日、私から彼に話します。」
前者はどの国においても文脈によらず同じ意味を持つ文、後者は「その件?彼って誰?」と、文脈がないと全くわからない文だと言えます。
川添先生は、この二つの文章の違いが建築の歴史において重要な意味を持つと言います。一体どういうことなのでしょうか。はじめに建築の歴史の概略を見ていきましょう。
建築の歴史をサクッと振り返る
まず古代において、世界の美しさは整数の比で表されるものであり、建築も比例によって構成されるから美しい、と考えられていました。(音階や図形の弦の長さ、建築でいうとギリシャのパルテノン神殿などがその例です。)
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
中世に入ると修道院が生まれ、森の中にあった修道院が町の中に建設されるようになります。街の人たちはそこで修道士からキリスト教を教わりました。ステンドグラスなどで装飾された美しい建築物は、文字がわからない人たちにキリスト教を体験させる装置として機能していたのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
近世に入ると自然科学の考え方が発展していき、黄金比などのギリシャ時代の考えをどう建築に適応するかという流れができます。(16世紀は建築のルネサンスとも言われています。)
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
さらに近代では、進化論の考えによって建築の世界が大きく揺らぎます。適者生存で未来に行くほど良くなっていく、という進化論は、今までに見たことのない建物を作るのが良いのだというモダニズムの考えを生み出したのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
建築を「よむ」「かく」ということ
さて、ここまで建築史を大まかに振り返ってきました。ここからは、それをもとにこの授業のメインテーマである「建築をよむ・かく」ということの意味について具体的に考えていきます。
川添先生が定義する「建築をかく」とは、図面を描くことで、「建築をよむ」とは、建築を見ることで世界の有り様が見えてくることだと言います。建築の特徴を分析することで、その土地の気候や地理などを知ることができるということです。
過去の建築やそれを取り巻く文化や歴史を探る「建築をよむ」という行為と、未来の建築の意匠を考える「建築をかく」行為は全く別のもののようですが、川添先生は、両者は不可分なものであると言います。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
冒頭では、前後の文脈がなくても伝わる文章と、文脈に依存する二つの文章の違いを比較しました。
では、建築の場合は、
「もともとある土地環境」を前後の文脈ととらえ、「新しく設計する建物」を文章とすると、新しく建物を作るときに、どの程度土地環境を考慮する必要があるのでしょうか。過去の建築や土地環境を「よむ」ことと、新しい建築を「かく」ことの一体はどのくらいできるのでしょうか。その問いに対する探究の過程として、川添先生が手掛けた建築の事例をいくつか紹介します。
事例①栃木県佐野市
川添先生は、佐野市の特産品でありながら技術の継承が危ぶまれている飛駒和紙を建築に利用しました。小さな建築でありながらもその土地に根差した特産品を使用することで風景に接続するという可能性を探ったと言います。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
事例②長崎県佐世保市
佐世保市ではかつて造船業が盛んでしたが、最近ではその生産は勢いをとどめています。そこで川添先生は、建物の設計に造船の技術を用いることを考えました。2mの鉄の柱に水やお湯を流すという空調システムをデザインし、そのシステムに造船の技術を用いることで、水分が漏れることのない設計を実現したのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
事例③岩手県大槌町
岩手県大槌町では、東日本大震災での津波で荒廃した町の中に、地元の人と一緒に手作りの屋台を建てました。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
廃墟のようになってしまった町の中で、ある場所に光が灯されることによって新しい土地ができていくという、「よむ」・「かく」の両方向性を感じることができる事例だと言います。
事例④東大図書館新館
2017年、東京大学本郷キャンパスの地下に、「新館」と「ライブラリープラザ」という空間ができました。工事の過程で、昔の図書館の基礎や、加賀藩前田家の上屋敷の遺構が出土しました。それらの一部は現在もベンチなどに姿を変えて利用されています。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
また、夏目漱石の『三四郎』に記述されている執筆当時の景色も考慮しながら設計を変更していったと言います。過去を注意深く「よみ」ながら、未来の建物を「かいて」いくという、建築における両者のスパイラルの実践例になりました。
建築の普遍性と特殊性
ここまで、「重力加速度は9.8である。」「その件については、 明日、私から彼に話します。」という二つの文章が建築においてどのように異なり、そしてどのように交わるのかということを見てきました。これは普遍性と特殊性の話と言い換えることもできます。未来の建築を作るだけでも過去の建築を見るだけでもなく、両者が円環状に関連していくということが大切だといいます。
講義動画では、先生の手掛けた事例をさらにたくさんの写真と併せて見ることができます。ぜひご覧ください。
<文/下崎日菜乃(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
今回紹介した講義:情報<よむ・かく>の新しい知識学(学術俯瞰講義)第3回 建築をよむ・かく 川添善行 先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/01/18
みなさん、こんにちは。UTokyo OE(UTokyo Online Education)スタッフです。
UTokyo OE(Online Education)が提供するウェブサイト「UTokyo OCW」「東大TV」では、東京大学で公開された講義やイベントの動画・講義資料などを、数多く公開しています。
見たい動画を探す際には、ウェブサイトのトップから、興味のある学問分野や講師の名前によって検索することができます。
「そうは言われても、あまりに多くの動画があってどれから見たらいいか分からないよ!」という方にオススメの、コラム記事のコーナーがあります。
コラム記事は、東京大学の現役学生サポーター・卒業生・スタッフなどが持ち回りで執筆しており、講義動画の概要を紹介したり、執筆者が講義動画を見た感想・自身の体験談などを綴っています。
執筆するトピックは、執筆者の専攻・得意分野に基づいている場合もあれば、ご本人の純粋な興味関心・驚き・感動などから選んでいる場合も。
東京大学を、より身近に感じていただくことができる内容となっております。
「UTokyo OCW」の「だいふくちゃん通信」では、2021年から、学生サポーターの協力を得る現在のスタイルを取り入れました。
約2年間で既に100本程度の記事を公開し、SNSなどで好評をいただいております。
そして、この度、「東大TV」の方でも、同じ執筆チームによるコラムの連載を始めることになりました。
題して、「ぴぴりのイチ推し!」です。
これらのコラムを
・見る動画を選ぶ際の導入として・ひとつの読み物として・動画を視聴する際のヒントとして
みなさまの日々の学習にご活用いただけましたら、執筆者一同、大変うれしく思います。
UTokyo OCW「だいふくちゃん通信」
「UTokyo OCW」には、「だいふくちゃん」というマスコットキャラクターがいます。とても可愛らしい姿に、スタッフたちからも溺愛されております。お見知り置きを。
〇お名前:だいふくちゃん
〇お誕生日:2月9日
〇役職:広報部長
〇ストーリー:立派なふくろうになるべく、いろいろなことを勉強中。OCWめがねを拾ったことをきっかけにUTokyo OCWと出会い、その面白さにはまってしまいUTokyo OCWのスタッフのお部屋へやってきた。
スタッフも、へぇ、そうなんだ……と忘れている情報が多かったですが、改めて記憶に刻みたいと思います。
さて、我らが広報部長のお名前を冠した「だいふくちゃん通信」と、そのアクセス方法を紹介します。
「UTokyo OCW」では、東京大学が開講する正規講義(所属する学生が履修して単位をもらう通常の授業)を取り扱っています。実際に学生・大学院生が受講している授業をご覧になりたい方、ぜひご活用ください。
まずは、「UTokyo OCW」にアクセスしましょう。
そして、画面上部のメニュー「だいふくちゃん通信/特集」からプルダウンして、「だいふくちゃん通信」を選択してください。記事一覧が表示されます。
とはいえ、「記事もたくさんあってどれから読んだらいいか分からない!」という方は、ぜひ、こちらのページを。
●【2022年度を振り返る!】だいふくちゃん通信ライターが紹介する人気記事(2023/08/23)
●【2023年最も読まれた記事はどれ!?】2023年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング(2023/12/26)
学生ライターさんが、2022年、2023年にたくさん読まれた人気記事をランキング形式にまとめ、おすすめコメントとともに紹介してくれました!
東大TV「ぴぴりのイチ推し!」
「東大TV」にも、「ぴぴり」というマスコットキャラクターがいます。
ゆるキャラの王道を行くだいふくちゃんのフォルムとは、また違ったおもむき。そして、既存の生き物とも違う独創的な姿(学生サポーターさんから「鳥?」と言われていましたが、空想上の生き物のようです。)
こちらも、負けず劣らず可愛がられています。
〇お名前:ぴぴり|Pipili(公募によって決まりました)
〇発見日:2016年6月1日
だいふくちゃんは「お誕生日」が判明していますが、ぴぴりは「発見された日」とのことで……それぞれにいろんなドラマがありそうですね。
「東大TV」で扱っているのは、東京大学で開催されるオープンキャンパス・公開講座・著名な方をゲストに迎えた講演会など、多彩な内容です。YouTubeチャンネルとしては、登録者数11万人を超える大人気コンテンツとなっております。
こころなしか、ぴぴりの顔が誇らしげに見えます。
だいふくちゃんも、お友だちの晴れ舞台なので、よろこんでお手伝いしました。
さて、こんなに人気があり、多様で豊かなコンテンツを持つサイトですから、さらに多くのみなさんに知ってもらいたいと考え、(「UTokyo OCW」と同様に)講義やイベントをピックアップして、コラム形式で紹介することになりました。
ぴぴりが、頭のてっぺんのアンテナからみなさんに発信する、「ぴぴりのイチ推し!」です。
「東大TV」にアクセスの上、「ぴぴりのイチ推し!/特集」からプルダウンして、「ぴぴりのイチ推し!」を選択してください。
もちろん、ぴぴりちゃんは心の中では全ての講義を「推し」ていますよ!しかし、なにぶんたくさんのコンテンツがありますので、みなさんの動画視聴のきっかけのひとつとして参考にしていただけるよう、どんどん連載していきたいと思います。
これからも応援をよろしくお願いします!
コラムの更新情報は、公式Twitter・Facebookでも配信しています。
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そして、Twitterでは、だいふくちゃんとぴぴりがお仕事したり遊んだりしている姿も、ときどき登場しますよ!
2人がイラストになって登場する栞(しおり)もご好評をいただいており、引き続き、東京大学本郷キャンパスの「コミュニケーションセンター」(東京大学本郷キャンパス赤門から入ってすぐ横です)・生協・図書館などで配布中です。
横断検索サイトだから、「横断歩道」を渡っております。
4枚集めると、「あの有名な横断歩道」にそっくりな横断歩道が完成します。
ぜひ、入手してください!
大変好評で、すでに30,000枚近く配布されているのですが、在庫が無い場合もございます。あらかじめご了承ください。(みなさんがしおりに出会えることを祈っています。)
それでは、引き続き、UTokyo OEをお楽しみくださいませ。
<文/加藤 なほ>
2024/01/12
突然ですが皆さん、東京大学工学部に所属する学生のうち、女性の割合はどれくらいだと思いますか?
なんと、約12%。同じく理系の理学部でも約13%とかなり低くなっています。
そもそも女性の割合が全体でも2割強ほどと少ない東京大学ですが、理系は特に女性が少ないことが分かります。
今、この記事を読んでいる人のうち、どれだけの人が理系に女性が少ないことに対し、違和感を持っているでしょうか。
世界に目を向けてみると、これほど理系に女性が少ないケースは非常に珍しいです。
ではなぜ、日本では理系の女性が少ないのでしょうか。
今回紹介するのは、この問題にアプローチしている横山広美先生の講義です。
横山先生は、数学と物理の専門家が集まるカブリ数物連携宇宙研究機構という東京大学の機関で、科学と社会の認知の違いや、コミュニケーションなどの人社系の分野を専門にしている唯一の研究者です。
タイトルと同じ『なぜ理系に女性が少ないのか』という著書もある横山先生と一緒に、日本における現状と、研究から分かったことを見ていきましょう。
日本はどれほど理系に女性が少ないのか
世界の中で日本は理系に女性が少ないと書きましたが、どれほど少ないのでしょうか。
下の画像はOECD(経済協力開発機構)加盟国の理系の女性率を表していますが、日本が最下位であることが分かります。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
「工学・製造・建築」の分野ではOECD平均も26%と低くなっていますが、その中でも日本は16%です。
そして「自然科学・数学・統計学」に関しては、OECD平均は52%と半数を上回っているのに対し、日本は27%と大差で最下位となっています。
中でも、数学や物理学の分野で女性の割合が低くなっています。
下の図は、日本における理学部入学者の女性割合を示しており、2017年は数学・物理学で2割弱となっています。
一方、生物学では約4割となっており、ひとえに「理系」といっても科目により差があることが分かります。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
これは他の国でも同じような傾向がみられ、アメリカでも工学・物理学は比較的低い一方、化学などが人気で、生物学では6割近くが女性となっています。
ただ、日本と違い、数学も人気で5割に迫っています。
では、日本の女性は数学が苦手なのでしょうか?
全くそんなことはなく、むしろ世界的にみると日本は男女ともに数学が得意な国だといえます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
図の丸印が男性、ひし形が女性の数学の成績を示しており、見て分かるように男女ともに日本はトップクラスの成績です。
また、各国とも男女にそこまで大きな差がなく、国によっては女性の方が数学の成績が優秀であることも分かります。
2022年にはウクライナの女性数学者マリナ・ヴィヤゾフスカが数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を受賞したことも話題になりました。
これらのデータを見ても、数学における能力に性差があることは少し考えにくそうです。
能力に差が無いとすると、「理系に女性が少ない」のは、なぜなのでしょうか。
「平等度」と関係があるか
日本は世界的に男女格差が大きいといわれ、世界経済フォーラムの発表している「ジェンダーギャップ指数」では2023年に過去最低となる125位(/146ヵ国)となっています。
理系に女性が少ないのはこのような文化的な背景が原因かもしれません。
そこで、横山先生を中心とした研究プロジェクトでは、「ジェンダー度」「平等度」などの考え方を用いて、定量的に原因の分析を行います。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
そこで、まずは「○○は女性に向いている」「○○は女性に向いている」(○○には数学、医学など分野名が入る)というアンケートを通し、各分野のジェンダー度(男性的か女性的か)のイメージを調査しました。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
この調査から、「機械工学」などで男性イメージが強く、反対に女性では機械工学は最も向いていないと考えられ、「看護学」などのイメージが強くなっていることが分かります。
次に、個人の男女平等度を測る「SESRA-s」という調査により、個人が持つ男女平等度を簡単に調査します。この調査と先ほどのイメージ調査の相関を示したのが、次のグラフです。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
ここで特徴的なのは、平等主義的態度が低い、つまり男女平等の意識が低い人ほど「看護学が女性に向いている」や「機械工学は男性に向いている」といったイメージを強く持っているということです。
少なくとも平等度が何かしら関係していそうなことが分かってきました。
しかし講義の終盤で、実はジェンダー平等と理工系人材の相関については、謎が多く残っていることも紹介されます。
研究により分かってきたこと
講義では、このほかにも様々な調査が紹介されています。
どれも非常に興味深いのでぜひ全て見ていただきたいのですが、ここではもう一つだけ紹介しておきます。
各分野におけるキーワードのジェンダー度の調査が行われ、ここで機械工学において「油まみれ」「溶接」といったキーワードで男性的だという傾向が強く見られました。
しかし、例えば工学部では、実際に油まみれになったり溶接をしたりする機会はめったにありません。
私も工学部に所属していますが、現在は私を含めコンピュータでシミュレーションを回すことが中心というケースも多く、他学科でも男女でできることに違いが生じるという話は一切聞いたことがありません。
最先端の精密工学などは非常に綺麗なクリーンルームで研究などを行うと講義でも紹介されており、現実とは異なるイメージが持たれてしまっていることがわかります。
また、そもそも男性的なイメージが強く持たれた溶接なども性別を問うような作業ではなく、どこか少し古い印象が強く残っているのかもしれません。現在は少しづつ溶接業でも女性が増えているようで、男性的なイメージを払拭しようと「溶接女子会」というサイトもあります。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
さらに、従来のモデルを拡張したより定量的な分析も行われました。
モデルの詳細などは講義で説明しているので割愛しますが、成果の一つとして、「就職イメージ」と「数学ステレオタイプ」が大きく影響していることが改めて分かりました。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 横山広美
数学は男性に向いているといったイメージや、数学や物理学の分野で女性が活躍するイメージが薄いことなどにより、数物に男性的イメージがついてしまい、理系の女性が少ない原因となっているのではないかということが考えられます。
これらのイメージやステレオタイプを払拭することは簡単ではないですが、理系の女性を増やすのには必要なアプローチであるといえます。
おわりに
さて、ここまで紹介してきましたが、研究を通して分かったこと・まだ分かっていないことはまだまだあります。
冒頭に紹介したように、東京大学でも特に工学部など理系には女性が少なく、男性イメージを少しでも改善しようと様々な取り組みが行われています。
例えば工学部のYouTubeチャンネルや、「メタバース工学部」というプロジェクトのInstagramでは、理系の女性の活躍をうかがうことができます。
https://youtu.be/JV3N4dNsgC4?si=XyJYz85yN2qbrmcG
<メタバース工学部 Instagram>
この投稿をInstagramで見る 東大メタ工(@ut.metaschool)がシェアした投稿
ぜひ、皆さんも講義を見ながら一度、自分もステレオタイプを持ってしまっていないか、考えなおす機会にしてみてください。
東京大学の学部生の男女比は以下の令和5年5月時点のデータを参考にしています。https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/edu-data/e08_02_01.html
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)第7回 理系になぜ女性が少ないのか 横山広美先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2023/12/26
2023年も終わりを迎えようとしています。今年もだいふくちゃん通信を読んでいただき、ありがとうございました。
だいふくちゃん通信では、UTokyo OCWの動画に興味を持っていただくため、学生を中心に動画を紹介するコラムを執筆して、ほぼ毎週更新しています。
だいふくちゃん通信は、学生ライターが記事を執筆する現行の体制になり、ちょうど2周年を迎えます。そこで、今回は2023年にアクセス数の多かった記事と、今年公開された中で特におすすめの記事を紹介します。
(2022年版のランキングはこちら)
2023年だいふくちゃん通信アクセスランキング TOP5
この2年間で公開された記事は累計100本ほどです(そのうち、今年1年で新しく公開された記事は約50本!)。その記事の中から、どのような記事が特に読まれたのでしょうか。
アクセス数を見てみると、2022年は1万PVを超えたのが1位の記事だけでしたが、今年は5位の記事も1万PV以上あり、非常に多くの人に読んでいただくことができました。
普段から読んでくださっている方にとっては今年の振り返りに!少ししか読んだことない方や初めて読んでいただく方は「こんな記事があるのか!」と知っていただく機会に!
(集計期間:2022年12月1日〜2023年11月30日)
第5位 20世紀最大の哲学者、ハイデガーについて知りたい方へ【「存在」とは何か】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_711/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2009s_gfk_09kumano/ 
2022年05月25日 公開 
15,214 PV
昨年も5位にランクインしたこちらの記事。「存在とは何か」という非常に哲学的な問いを提示した哲学者・ハイデガーの功績を紹介します。さらに講義では、「他者」「死」といった概念について、より発展した議論が展開されます。ハイデガー、そして哲学の世界に精通している方はもちろん、哲学という学問の世界に足を踏み入れてみたいという方にも大変おすすめです。
第4位 「教授」坂本龍一の東大講義録【「自己表現」でない音楽とは?】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_117/  コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2007_gfk_sakamoto/ 
2023年03月22日 公開 
18,782 PV
音楽グループ イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーで、音楽界に多大なる功績を残した坂本龍一氏。今年3月、この記事の公開から約1週間後に逝去されました(今年は残念ながら同じくYMOの高橋幸宏氏も逝去されました)。「教授」の愛称でも知られる坂本龍一氏ですが、東大の教授だったわけではありません。そんな坂本龍一氏が東大で対談形式の講義を行った貴重な映像を紹介しています。「坂本龍一」とはどんな人なのか。そして彼が求めた音楽とはどのようなものだったのでしょうか。
X(旧Twitter)でも大きな反響のあった記事となりました。
https://twitter.com/UTokyo_OCW/status/1638843030877933576
第3位 【自閉症の人は不安を感じやすいのか】不安の仕組みについて考える
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2028/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2020a_asahi_watanabe/ 
2022年05月13日 公開 
21,058 PV
こちらの記事も昨年(3位)に続きランクインしました。誰もが感じることがある「不安」を極度に感じ、日常生活に支障が出てしまう「不安症」。この不安症は「自閉スペクトラム症(ASD)」と呼ばれる発達障害にも強く関係があります。不安やASDはどのようにして起きるのか、そして我々はどのように向き合っていけばいいのでしょうか。不安や発達障害について考えるきっかけになる記事が今年も上位にランクインしました。
第2位 【今一度 振り返ってみよう 日本の宗教観】宗教はあぶない?!
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_82/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2006a_gfk_sueki/ 
2022年08月24日 公開 
22,431 PV
公開当時は、安倍元首相襲撃事件に社会が震撼し、宗教の存在に再び注目が集まっていた時期でした。そして今年もパレスチナ問題をはじめ宗教に関する深刻な話題は尽きませんでした。特定の宗教を信仰している人が少ない日本において、宗教というのは近いような遠いような存在と言えるかもしれません。近代日本における政治と宗教の関わりをきっかけに、現在に続く日本の宗教観の成立について考えていきます。また、講義では同時に現代日本の哲学者・宗教学者らがどのように宗教にアプローチしているかもうかがい知ることができます。
第1位 「家族」の基準って何?「家族」って誰のこと?【「家族」の境界線について考える】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1237/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2013a_gfk_akagawa/ 
2022年09月14日 公開 
34,657 PV
今年最も閲覧されたのは、我々にとって最も身近な存在と言えるであろう「家族」を取り上げた記事でした。身近すぎて考えたこともないかもしれませんが、あなたにとって家族とは誰で、どのような意味をもつ存在ですか?家族の定義や「境界」について、こちらの記事、そして講義と一緒に今一度考えてみてはいかがでしょう。
番外編 その1 2023年公開のおすすめ記事3選
ランクインしなかった記事の中にも面白いものがたくさんあります。ここでは2023年に公開された記事の中からおすすめの記事を3つ、本コラム執筆者の独断で紹介します。記事が多すぎてどれから読めばいいかわからないよ〜という方、まずはこちらから読みましょう。
【職場を居場所とするのは危険?】バリバリ働きたいAさんと仕事以外の時間が大切なBさんは同じ職場で働けるのか
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1718/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2018a_asahi_mizumachi/ 
もうタイトルからして面白そうじゃないですか?恐らく誰もが感じたことがあるであろう、「労働観」の違い。この講義、そして記事では「労働」に注目し、古代ギリシアから近世日本における労働のあり方が紹介され、終盤には現代日本における労働、そして職場という居場所についての見解が述べられます。働くことについて何かもやもやがある方など、多くの人に刺さるであろう記事です。
不正は絶対に「悪い」もの?会計の世界から見る「決まり事」のあり方
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1377/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2015a_gfk_yoneyama/ 
「粉飾決算」ってよく耳にするし、なんとなく悪いことだというのはわかりますが、その実態を知っている人はそう多くないのではないのでしょうか。この記事では、そもそも「会計」とは何かというところから始まり、なぜ粉飾ができ、なぜ防ぐことができないのかを知ることができます。そして最終的には「決まりごと」のあり方についても考えることができます。みんな大好き、お金とルールの話、気になりませんか?
身の回りの「文化」をみつける—災害・民俗文化財・神田祭
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1611/ コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2017a_gfk_kinoshita/  
講義の導入であり、記事の導入にもなっている「東大のキャンパスにどれだけの銅像があるのか」という話題。「こんな講義(導入)、キャンパスに銅像がたくさんある東大じゃなかったらできないよな」と思わせてくれる、東大らしい講義です。講義ではさらに文化・文化財と災害とのつながり、宗教とのつながりなどに触れられ、身近な話題から民俗文化などについて学ぶことができます。東大ならではの講義を多くの人に見ていただくことは、OCW、そしてだいふくちゃん通信の使命なので、それにぴったりの記事と言える記事です。
番外編 その2 アクセスランキング第6位〜10位
惜しくもTOP5を逃した記事を紹介します。もちろんこちらの記事も面白いものばかりなので、ぜひご覧ください。
第6位 【「進化=自然選択」だと思っていませんか?】進化学のこれからについて学ぶ
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_884/  コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daiduku_2011s_gfk_morinaga-tsukatani/
第7位 【実は風刺だらけ⁉︎】『ガリヴァー旅行記』の政治性について英文学者と考える
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1981/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2020s_frontier_takeda/ 
第8位 【食べていたのは「幻想」だった?】ヨーロッパ中世の食卓をのぞいてみよう!
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1345/  コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2015s_gfk_ikegami/ 
第9位 確率のワナに騙されないために【直感に反する確率を、図にして捉える方法】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_608/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/daifuku_2008s_gfk_ichikawa/ 
第10位 「善」を求める正義感が「悪」に転じうるのはどうして?【「善」と「悪」のパラドックスとは】
講義動画はこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_2077/   コラムはこちらから:https://ocw.u-tokyo.ac.jp/eaa06/ 
来年もだいふくちゃん通信をよろしくお願いいたします
2024年も学生ライターを中心に東大の魅力的な講義を発信するべく活動していきますので、ぜひだいふくちゃん通信を読み、そしてOCWにある講義を見ていただけたら幸いです。
また、年明けからは同じく東大の講義映像などを発信している「東大TV」でも、だいふくちゃん通信のように講義を紹介するブログ『ぴぴりのイチ推し!』が始まります。東大TVには、授業とはまたひと味違った、短い動画や、高校生向けの動画など、より見やすい動画がたくさんあるので、こちらもぜひご覧いただけたら嬉しい限りです。
来年も皆様の「興味」に火をつけてまいりますので、ぜひお楽しみに!
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2023/12/19
「日本の近代建築」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。
丸の内に残る東京駅や三菱一号館のような、煉瓦造りのかっこいい建物? 鉄筋コンクリートやガラスでできたシンプルな高層ビル?
建築史に興味がある人なら、ル・コルビジェ設計のピロティが美しい国立西洋美術館を思い浮かべるかもしれませんね。
いずれにしても、明治維新以後、外国から日本に持ち込まれた、西洋的な建築物を思い浮かべる人が多いはずです。
では、日本の建築における近代化とは、建築の西洋化とイコールなのでしょうか?
19世紀以降世界中に広がった近代化は、西洋で生み出された技術や美意識が各地の文化を飲み込んでいく、「均質化」だったのでしょうか。
実はそうとも限らないのです。近代化という明治維新以降の日本を襲った大きな波のなかで、建築家たちは単なる西洋建築の模倣に限らない様々な表現を生み出してきました。
そしてその表現の歴史を紐解くことで、人間が何かを作る、何かを生み出すという行為の背後にある複雑さ、面白さを垣間見ることができます。
今回紹介するのは、建築史研究者としてその魅力を追い求めた鈴木博之東大名誉教授の、35年にわたる東大での研究・指導の締めくくりとなった最終講義です。
鈴木博之最後の講義
鈴木先生は1968年に東京大学工学部建築学科を卒業。1974年の講師就任から2009年の退官まで35年間に渡り、東京大学で教鞭を取ってきました。
一研究者の立場を超え、著名な建築家である安藤忠雄さんの東大建築学科教授就任の人事、東京駅の駅舎復元、国立競技場コンペの審査員など、日本の建築界の分岐点となる重要な出来事に中心人物として関わりながらも、2014年に68歳の若さでこの世を去った鈴木先生。
東大での最後の講義として福武ホールで行われた本講義では、鈴木先生が何を考え、どんな人に出会い、何に刺激を受けながら研究を積み重ねてきたのか、たくさんの事例とクスッと笑えるようなエピソードトークと共に鈴木先生自らが振り返ります。
偉大な教授も昔は一人の野心あふれる学生だったのだなあと親近感を覚えると同時に、野心を忘れず人脈を広げながら己の探究を深めていく様に身の引き締まる思いのする、とても魅力的な講義です。
なお、最終講義に先駆けて1年間に渡り開講された学術俯瞰講義『変化する都市-政治・技術・祝祭』もOCWで視聴できますので、興味のある方はそちらもぜひご覧ください。
建築の近代化再考
鈴木先生が建築史の研究を通して向き合った大きなテーマは、建築における「近代の相対化」です。
近代化を促進する役割を果たしてきた工学部に所属するからこそ、近代化を必然的・絶対的な流れとせず、批判的に捉える必要があるのではないかと考え、現代へとつながる建築の近代化の系譜を再考しようとしました。
鈴木先生はそのキャリアの中で、いくつもの問いに向き合ってきました。本講義ではそれぞれについて鈴木先生が研究した事例や関わったプロジェクトをたくさん例に出しながら先生なりの答えが提示されますが、ここではその一部を抜粋してご紹介しましょう。
近代化≠西洋化?
一つ目は近代化が建築においてどのように表現されてきたか、という問いです。
冒頭でも述べたように、日本のような非西洋諸国における近代化は、西洋化と「≒(ニアリーイコール)」なものとして考えられがちです。
これに対して鈴木先生は、日本の近代建築の事例を出しながら、近代化や現代化は西洋の模倣といった単純なものではなく、その土地の伝統的な文化や作法などといった「過去」が様々な形で解釈されながら新しいものが生み出されていく、複雑な過程なのだと答えます。
例えば、代々木体育館や東京都庁の設計で知られ、戦後東京の都市計画にも深く関わった丹下健三の建築。
彼の代表作である広島の平和記念公園は鉄筋コンクリート作り、ピロティつきの、一見西洋近代的な建築です。しかし実はこれも、日本の伝統的な建築様式で建てられた厳島神社の読みかえなのではないか、と鈴木先生は指摘します。
UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之
確かにこの二枚の写真を見比べると、横長の社屋や高床など、似ている部分が多い気もしますよね。
さらに、ピロティの下を抜けると慰霊碑があり、慰霊碑の隙間を覗いた先に原爆ドームがあるという空間構造は、まさに厳島神社の鳥居ー社殿の吹き抜けー御神体の山という軸線構造を応用させたものなのではないかというのです。
厳島神社では海が軸線を守っていますが、平和記念公園でも同様に慰霊碑と原爆ドームの間は長い水路になっています。
(余談ですが、この話を聞いて私は映画『ドライブ・マイ・カー』で主人公たちが訪れる広島市のゴミ処理場を思い出してぞくっとしました。このゴミ処理場は違う建築家の作品ですが、原爆ドームと平和記念公園を結ぶ平和の軸線をゴミ処理施設が遮らないよう、軸線上だけが吹き抜けになっているのです。)
このことから丹下は、日本の伝統的な建築の持つ「超越性」を近代建築に取り入れることに成功していると言えます。
そしてこの超越性の発想は皇居周辺を含む東京の都市計画にも反映されていくのですが、この続きはぜひ講義本編をご覧ください。
このように、日本の建築家たちは西洋からもたらされた技術を取り入れつつ日本のレガシーを様々に折り重ねながら建物の近代化を進めていきました。
私たちが普段何気なく利用している建物にも、かつての建築家が解釈した日本の伝統文化のエッセンスが含まれているかもしれないと思うと、建築の見方も変わってきますよね。
土地の所有形態が近代化を紐解く鍵?
鈴木先生が取り組んだ二つ目の問いは、建築の近代化において「場所性」がどのような意味を持ったか、ということです。
建築の近代化といっても、全ての場所で同様に進んでいったわけではもちろんありません。
東京の中でも一気に変化が起きた場所もあれば、徐々に建物が置き換わっていった場所もあります。江戸時代までの区割りがそのまま生かされた地域もあれば、昔の面影が全くみられない地域もあります。
そして近代化のプロセスに大きな影響をもたらした「場所性」は現代の都市の土地利用や都市計画の進み方の違いにも現れています。
この場所による近代化のプロセスの違いはどのように生まれるのでしょうか?
鈴木先生が注目するのは、場所、つまりその土地が誰によってどのように所有されていたか、ということです。
こちらの写真をご覧ください。
UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之
どこだかお分かりでしょうか。そう、東京駅前の丸の内エリアです。
丸の内といえば、一つ一つのビルがとても大きく、しかもエリア全体で同じようなタイプの近代的な建築物が並んでいるイメージがありますよね。
それもそのはず、丸の内エリアは元を辿れば皇居のお膝元の広大な大名屋敷街。そして明治維新後その十万坪もの広大な土地をまとめて払い下げられた岩崎家(三菱財閥創始者一族)によって一挙に開発が進められてきたエリアなのです。
このように、まとまった広い土地を所有している地主を集中型大土地所有者と呼びます。
集中型大土地所有者による開発は非常に大規模で、単なるビル建設などではなく「まちづくり」と呼ばれるスケールで行われます。
そしてこのような土地では都市が変化していくスピードも速い。実際、丸の内エリアでは講義が行われた2009年時点で、その30年前に建てられたほとんどの建物が建て替えられていたそうです。
これに対し、江戸時代以来の大店である三井家など、まとまってはいないけれど各地にたくさんの土地を集積して持っている地主を集積型大土地所有者と呼びます。
集積型大土地所有者はあちこちに散らばる土地を全て自分で管理することは難しいため、土地を貸すことで収入を得ます。
よって集積型大土地所有者が所有する土地では、ある一定範囲の宅地開発などが業者によって行われたりします。
さらに狭い面積の土地を持つ地主は小規模土地所有者と言われますが、彼らはより利回りの良い家貸しをするため、小さな貸家がひしめき合う下の写真のような都市景観が形成されます。
UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之
そしてこのような異なる所有の仕方をされた土地がモザイク上に組み合わさることによって、多層的な都市景観、土地利用が見られるようになったのです。
日本における建築の近代化がいかに一筋縄では捉えられないか、わかっていただけたのではないでしょうか。
これをヒントに、あなたがいつも通る土地の景観はどのような発想によって、どのような土地所有の形態によって生まれたものなのか、調べてみるのも楽しいかもしれません。
建築:未来への遺産
さらに講義の最後では、鈴木先生がずっと関わってきたアンコールワット遺跡の修復をはじめとする建築保存という試みについて、一見浮世離れして実利がないと思われがちなこの活動がどのように現代に響きうるのか、リアルな経験談を交えながらお話しされています。
講義全体を通じて、鈴木先生は建築という表現のなかで近代化のその前から現代まで残り続けているものをさまざまな観点から紐解き、私たちに見せてくれるようです。
これを受け継ぐ私たちは、未来に何を遺すべきなのか。
鈴木先生が遺してくれた思索の道筋をたどりながら、一緒に考えてみませんか。
<文/下山佳南(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
今回紹介した講義:建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義)第1回 鈴木博之 最終講義 鈴木博之先生
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2023/11/17
小学校、中学校の義務教育のあと、高校に行き、大学へ進学する。
そしてその後は社会で働く…
私たちは、学びの場の最終段階として(もしくは働き始めるまでの最後の学生生活の場として)大学を位置づけています。
しかし、大学は単なる教育機関ではなく、研究の場でもあります。そして、そこで得る知の在り方も、それまでの小中高の課程で学んできたことから大きく隔たっています。
そのため、高校を卒業して大学に入ると、しばらくのうちは、それまでの受験勉強的な学びとのギャップに困惑し、大学という場所で何をすべきなのか掴めない日々が続くかもしれません。
それどころか、大学を卒業してもなお、大学で教えられたこと、学んだことがどういった意味を持つのか、分からないままになってしまうこともあるでしょう。
そもそも、大学とはどういった場なのでしょうか?
私たちはなぜ大学で学んでいるのでしょうか?
大学は、何処から来て何処へ行くのか
今回紹介するのは、社会学者の吉見俊哉先生による2014年開講「新・学問のすゝめー大学は、何処から来て何処へ行くのか」という講義です。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉
これは東京大学の歴史を学ぶオムニバス講義「新・学問のすゝめー東大教授たちの近代」の第1回で、世界の大学の成り立ちまで遡り、大学のこれまでとこれからについて考えています。
講義は、東京大学に入学した1、2年生を主な対象としたもので、東大(大学)がどういった場であるのかが、初学者に分かりやすく解説された内容になっています。
これから大学で学びを深めていく学部生はもちろん、すでに大学を卒業しつつも大学の在り方に関心のある方は必見の講義です。
大学が直面している困難
大学の歴史を振り返る前に、講義ではまず「大学の現在」について語られます。
吉見先生は、現在の日本の大学は、時代の変化に伴ういくつかの困難に直面しているといいます。
その大きなひとつの要因は、知識のグローバル化です。大学制度が世界的に広がったことで、アカデミアが国際的な競争に晒されることになりました。
また、著しい情報爆発も深刻です。デジタル化により世界中の多様な情報にアクセスできるようになったことで、知識の複雑化とボーダレス化が進んでいます。
一方で、大学の数の増加と少子化によって、志願者が減少していることも大きな問題になっています。志願者数の減少は、大学の質の低下にも直結します。
この困難は不可逆な変化によるもので、既存の大学システムのままで対応できるものではありません。
大学は、いまひとつの転換期を迎えているのだといえます。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉
大学は2度生まれているー中世の大学
大学はいま転換期を迎えていると述べました。
しかし実は、大学は過去に一度大きな転換をすでに経験しているのです。
その転換が起きたのは、16世紀のこと。グーテンベルクの活版印刷によって、本が大量生産されるようになった時代でした。
大学の始まりは、それから300年ほど時代を遡ります。
一番最初にできた大学は、1158年のボローニャ大学だといわれています。1231年にはパリ大学ができました。
時代は中世。中世都市に最初の大学ができた背景には、中世都市の交易ネットワークの興隆がありました。
当時は、デジタル機器どころか本すらまともに流通してない時代。なにか知識を求める際には、その知識をもつ知識人に会いに行って直接話を聞くか、修道院などに収蔵されている写本を読むしかありませんでした。
つまり、「学び」と「旅」は不可分な存在だったのです。
旅をする際には自由な移動が必要で、都市の支配層に対抗しなければいけませんでした。
その後ろ盾として教皇権や皇帝権を巧みに利用し、資本として知識を擁して結成された協同組合が、中世の大学でした。
しかしその後、14世紀から16世紀にかけて大学の数が増加し、単なる資格授与機関として知の形骸化が進んでいきます。
また、宗教改革によって宗派ごとに大学に断絶が起きたり、国家形成によってヨーロッパを横断するような知のネットワークが作られにくくなったりしたことで、中世的な大学のシステムが機能不全になっていきました。
追い打ちをかけるように、グーテンベルクの活版印刷により、大量に複製された知識(本)が普及します。これにより、中世的な大学システムの基盤は失われてしまいました。
その後、16世紀から18世紀にかけて、知識は「大学」よりもむしろ「出版」によって生み出されるようになります。
デカルトやパスカルといった、16世紀から18世紀にかけて活躍した大思想家のような人を思い浮かべてみると、大学の先生であった人はきわめてわずかです。
大学の先生は教育者としての側面が強く、最先端の知を生み出す知識人は、在野の著述家のなかから生まれていました。
大学は2度生まれているー近代の大学
「2度目」の大学は、近代の成立過程のなかで生まれていきました。
新たな大学を生み出すきっかけとなったのはドイツです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉
ナポレオンとの戦争に敗戦したドイツは、自国の文化を復興させるべく、国民国家の基盤としての大学のあり方を打ち立てました。
そこには、ドイツの哲学者カントが「有用な学」と呼ぶような学問分野(神学・法学・医学)と「リベラル(自由)な学」と呼ぶような学問分野(哲学)があり、そのダイナミクスによって大学の知が形成されました。これは、現在も続く大学の知のあり方だといえます。
また、文系におけるゼミナール、理系における実験室が確立していったのもこの時期です。
19世紀には、ドイツの生み出した大学制度が圧倒的な優位を誇るようになりました。
この時期に成立した近代的な大学が、いまも日本の大学制度の根幹になっています。
日本における大学制度
それでは、日本において大学はどのように成立していったのでしょうか?
授業では、日本の大学の嚆矢といえる東京大学の成立過程が紹介されます。
東京大学は1877年に創立されましたが、その母体となる機関は様々でした。
文学部/理学部 :幕府天文方(1684)→蕃書調所→大学南校医学部     :幕府種痘所(1858)→大学東校法学部/経済学部:司法省明法寮(1871)→東京法学校工学部     :工部省工学寮(1871)→工部大学校 農学部     :内務省農事修学場(1874)→駒場農学校/東京山林学校教養学部    :第一高等学校(1894) 
東京大学は、歴史的に異なる経緯で生まれた複数の専門学校・高校が寄り集まる形で成立しています。
さらに、学部はそれぞれ、ドイツ、フランス、アメリカなど、異なる国の大学のモデルを参考にしてつくられました。
東京大学は、それぞれの学部が違うDNAを持っているのです。
このような背景のもと生まれた東京大学は、学部ごとに縦割りの制度体制になっていました。
縦割りを解消すべく、戦後に導入されたのが、教養学部です。
教養学部を導入した当時の東大総長である南原繁(1945.12~51.11)は、これからの大学には「一般教養」が必要だと考えました。
南原は、戦争の経験で大きな脅威となった原子力の仕組みについて、理系の専門家に任せきりにするのではなく、文系の学生も理解する必要があるとしました。一方、理系の学生も、哲学や歴史などを知らなければいけないと考えます。
文系と理系をつなぐような教育をしなければいけないという考えのもと、南原は第一高等学校を教養学部に改編して東京大学に組み込み、一般教養を学べる場としました。
専門課程に入る前に、東大の学部生がみな所属することになる教養学部は、知の専門分化が孕む危機に対抗する、東大の重要な要素になっています。
これからの大学を考える
講義は再び世界的な話に戻ります。
吉見先生は、大学の歴史を振り返ると、16世紀と21世紀は似ているといいます。
確認したように、16世紀は活版印刷によって手に入れられる知識の量が大きく増加した時代でした。現在は、デジタル技術の普及によって、より著しい情報爆発が起こっています。
そして、「大航海時代」ともいわれる16世紀はまた、世界的な交流が進んだ時代でもありました。つまり、グローバリゼーションの最初のプロセスができたということです。
21世紀は、一度大学の制度が崩壊した16世紀に近い状況にあります。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉
吉見先生は、これまで日本の大学は足し算をやってきたといいます。
ドイツのモデルを基準とし、近代的な大学に新たな要素を継ぎ足しながら、拡大する形でここまで残ってきたということです。
しかし、大学制度にいくつかの困難が立ちはだかっているいま、もっているものを削ぎ落とし、新たな大学に生まれ変わる必要があるかもしれません。
吉見先生は、南原の行った教養学部の導入は正しかったといいます。これからの時代にあった知を生み出すには、「有用な学」と「リベラル(自由)な学」のどちらも必要不可欠です。
講義では、吉見先生がこれからの大学を考えるうえでの3つのビジョンを提示しています。
ぜひ講義動画を視聴して、これまでの大学の歴史を学びながら、これからの大学のあり方について考えてみてください。
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:新・学問のすゝめー東大教授たちの近代(学術俯瞰講義)第1回 新・学問のすゝめー大学は、何処から来て何処へ行くのか 吉見俊哉先生
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2023/11/08
「自然環境を守るために、森林伐採を防ごう」
「動物が苦しまないように、過度な食肉を戒めよう」
SDGsが国連で採択されるなど、近年ますます関心が高まっている環境問題。
 このように環境問題が注目されるようになった理由の一つは、温暖化などの地球環境の変化にあります。
しかし一方で、「人間中心主義」からの脱却を目指すようになったという、私たちの意識の変化も重要です。
人間中心主義とはすなわち、自然を人間の専有物と見なし、都合よく利用しようとする考え方のことです。
中世ヨーロッパの研究者・リン・ホワイトは、キリスト教は人が自分のために自然を搾取することが神の意思であると主張したと述べています。
西洋では、自然を道具のように捉えるキリスト教が普遍的な価値を持っていました。つまり人間中心主義の自然観が長らく支配的だったといえます。
しかし現在は、人間中心主義が見直され、自然そのものの重要性が主張されるようになりました。その変化が、環境問題への意識の違いとしてもあらわれています。
西欧が人間中心主義からの乗り越えを図るなかで注目するようになったのが、人間を自然のなかの存在として位置づける東洋の思想です。
たとえば、仏教の輪廻転生や易の陰陽理論といった思想は、米国の環境倫理思想にも影響を与えているといいます。
古来より自然とともに生きる世界観を持っていた東アジア。しかし、そのような言説を耳にすると、次のような疑問が生じます。
それは、「古来から自然と共生する意識を持っているはずの東アジアの私たちは、環境について、本当に高い倫理思想を持っているのか?」という疑問です。
考えを巡らせてみると、実際はそうでもないことに気づくはずです。現在の環境問題への取り組みは、むしろ西欧が発信していることが多く、東アジアの国々はそれに追随しているだけの場合があります。
それでは、東洋における「共生」自体が幻想だったのでしょうか?
考えるうちに、実は東洋の思想も同じく「人間中心主義」であったということに気づきはじめます。
私たちはどのように環境問題を捉えればよいのか、中国思想の伝統から考える講義動画を紹介します。
 「人間中心主義」でないことはありえない
今回紹介する講義は、2022年開講の学術俯瞰講義「30年後の世界へー「共生」を問う」の第7回「類を違える物と共に生きる世界:中国思想から考える環境倫理」です。
講師は、中国の音楽と科学に関する思想が専門の、田中由紀先生が務めています。
先ほど、東洋の自然観もまた「人間中心主義」であったと述べました。
しかし東洋の思想は、人間と自然の有機的な関係を認め、両者の間に本質的な違いはないとしています。
それでは、東洋思想のどこが「人間中心主義」的なのでしょうか?
そのひとつの例となるのが、儒教の「聖人」である皇帝・尭が、同じく「聖人」である禹に命じて行わせた大規模な治水工事と鳥獣の被害の除去です。
治水工事や鳥獣の駆除は、人間の利益のために自然を変容させる行為にほかなりません。
しかし儒教は、ある意味自然破壊とも言える政策を推し進めた彼らを、聖人として讃えています。
環境倫理学者の鬼頭秀一は、次のように述べています。
西洋でも東洋でも等しく、ある特定の生業形態をとって生活がなされてきている限り…その「生業」のあり方は、人間中心的であるのか人間非中心的であるのかという次元ではなく、自然とのかかわりのあり方という次元からしか捉えられない鬼頭秀一『自然保護を問い直す:環境倫理とネットワーク』、筑摩書房、1996、pp.119 -120 
田中先生は、人間が文明を維持し自らの生活を向上させるために自然に干渉する以上、 「人間中心主義」でないことはありえないと主張します。
鬼頭の主張に従うと、注目すべきなのは、人間中心主義かどうかではなく、自然に対し、人間が具体的に「どう」ふるまってきたのか、 あるいは「どう」ふるまうべきだと考えていたのか、を常に意識しながら、 人間と自然に対し、どのような理論的位置付けを与えているのかということなのです。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀
形体によって理に制限がかかる
続いて講義では、中国思想における人間と自然の理論的位置付けの具体例が紹介されます。
まず語られるのが、宋の思想家・朱熹(1130-1200)による動物論です。
朱子学の開祖としても知られる朱熹は、「理気二元論」を唱えて、人間と自然の一貫性を主張しました。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀
理気二元論とは、すべてのものは天から与えられた非物質的な原理である理と、物質を形成する気から成り立っているとする思想です。
朱熹は、人間、動物、植物、無生物のすべては、理を持つという点で同質だとしました。
この主張だけを聞くと、人間と自然を同じように扱っているように思えます。
 しかし、両者の間の理に違いがないわけではありません。
理はもともと普遍的なものですが、理が万物に与えられたとき、つまり物体になったとき、理は制限が加えられるからです。
形体(物体の性質)によって、発現する理が異なってくるのです。
私たち人間は「仁」・「義」・「礼」・「智」の4つの徳目を持ちますが、そのほかの動物や事物は、有する徳目に偏りがあります。
たとえば、君臣関係を重視する蜂や蟻は「義」が強く、父子関係を重視する虎や狼は「仁」が勝るといわれます。
つまり、人間と形体の異なる動植物(自然)は、人間と同じ理を持つことはできないのです。
結局のところ朱熹の主張でも、人間と人間でないものの間には、乗り越えられない壁があるのだといえます。
(ただし朱熹は、「不善に溺れた人間」もまた物と同様の存在として扱い、人間一般と区別しています)
憐れみの感情で動物を愛する
次に紹介されるのは、清末の思想家・康有為(1858‐1927)です。
康有為が活躍したのは、朱熹からかなり時代が下り、西欧由来の民主思想が中国にも伝わってきていたころです。しかし一方で、世界には依然として問題が山積みでした。
康有為は、国家や人種の違い、男女の不平等といった苦悩の原因を取り去ることで、多くの問題は解決され、人類は進歩すると考えます。
康有為が主張したのは、類(=形体の違い)を取り去ることでした。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀
私たちは、自分と同じ見た目(類)をしたものばかりを愛していて、見た目が異なるものを愛すことはあまりないと、康有為はいいます。
たしかに私たちは、多くの動物たちよりも、自分と類する人間のほうに愛情を向けています。
康有為は、「大同の世」という一種のユートピアを構想していました。
その大同の世では、類による差別は撤廃され、同形同類のものばかりでなく、あらゆる物を愛することができるようになるといいます。
つまり、人間と形体の異なる動物も、人間と同様に愛されるということです。
このような康有為の思想は、西欧的な発想に似たところがあります。
なぜなら、西欧の環境倫理は、自然権の範囲を拡大させていく過程の中で、動物や自然も平等に扱うようになって発展してきたという歴史があるからです。
たとえば、オーストラリアの哲学者・ピーター・シンガーは、動物も含めて「苦痛を感じるか否か」という利害を平等に配慮すべきだという「動物解放論」を唱えています。
類を取り去ることで、動物をみずからと同じ側に引き入れていく康有為の思想は、シンガーの提示するような、権利の範囲を拡大させていく西欧の倫理思想と通じているといえるでしょう。
しかし一方で、康有為の思想にはまた、「動物解放論」とは異なる点があります。
その違いは、康有為は動物の利害を考慮する理由を「仁(≒人間側の憐れみの感情)」においているということです。
シンガーが「平等に配慮されるべき利益」を念頭に置いていたのに対して、康有為は、人間が憐れみの感情を喚起できるかどうかを重要な問題としています。
康有為の理論は、類による差別を撤廃すべきという主張においては、たしかに「人間中心主義」を脱しています。
しかし、人間が動植物に対しどうふるまうかという実践的な態度においては、人間側が仁を喚起できるかどうかということしか考えておらず、「人間中心主義」へと戻っているのだと、田中先生は述べています。
さらに、ありとあらゆる万物に対して憐れみの感情を持つことは現実的に不可能です。
つまり、仁の範囲を万物に拡大させることはできません。
康有為の思想が明らかにしたのは、人間の仁の限界でした。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀
不完全な私たちに何ができるか
講義ではこのように、人間の仁の限界が示されます。
これはつまり、西欧由来の環境倫理の発展にも限界があるということを意味しています。
私たち人間は、動植物と同質であるからこそ、自然を完全に救うことはできないのです。
それでは私たちは、これから何をすることができるのでしょうか?
講義は、このような悲観的な結論を出して終わりではありません。
そこから私たちが取りうる可能性についても、いくつかの提案がなされています。
今回紹介した講義は、情報が細かくスライドにまとめられているため、スライドを眺めるだけでも、ある程度内容をつかむことができるはずです。
ただし、環境倫理について考えることに対する田中先生のスタンスなど、実際に動画を視聴してしか確認できない部分にも重要な要素があります。
紹介した内容についてもっと考えてみたいと思った方は、ぜひ講義動画を視聴して確認してみてください。
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)第7回 類を違える物と共に生きる世界:中国思想から考える環境倫理 田中有紀先生
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2023/11/02
 多様な人々が生きている現代の社会。多様性を認め、少数派の人びとも生きやすいような社会を作っていこうといった動きが日本では近年より活発になっています。
 でも、少し待ってください。このような話を耳にしたとき、多くの皆さんは自分のことを多数派だと思っていませんか? 見方を変えると誰もが少数派になりえます。例えば、「若者」という存在は昨今の超高齢化社会により既に少数派です。
 現在の日本はマクロな動きである人口変動によって急速な少子高齢化の最中にいます。そのマクロな現象をミクロの視点(この講義では「家族」が主な視点になっています)から見ていくと、今後の社会構造や少数派・多数派のあり方について新たな発見があるかもしれません。社会学を専門とされ、家族と社会制度の変化についてを研究している白波瀬先生の考えを見ていきましょう。
一億総中流と格差社会
 1960年代から1970年代にかけて、日本では「一億総中流」という国民意識が醸成されていきました。実際に、60年代から70年代にかけて自らの暮らし向きが大体真ん中であると考えている人が増えたことは、内閣府の意識調査によって明らかにされていると白波瀬先生は言います。翻って現在は「格差社会」という言葉が叫ばれて久しいです。しかし、意識調査を見ても、一億総中流といわれた1970年代から比べて、国民の意識に大きな動きはありません。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義Copyright 2015, 白波瀬佐和子
 
 では、どのようなデータをもとに格差社会という言説が発生しているのでしょうか? 白波瀬先生は「ジニ係数」と呼ばれる所得格差を表す指数から来ていると述べています。ここではジニ係数について詳しい説明はしませんが、1に近づくほど所得格差が大きいことを示しているのがジニ係数です。実際にデータを見てみると、1970年代までは上下はありつつもほぼ横ばいでしたが、1980年代後半から緩やかに1に近づいていっており、格差が開いていっていることが分かります。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義Copyright 2015, 白波瀬佐和子
「一億総中流」という言説は内閣府の意識調査という世論によって醸成されたものですが、「格差社会」という言説はジニ指数の上昇というデータに裏付けられたものです。ここに言説のねじれがあると白波瀬先生は指摘します。すなわち、我々は、実際の社会が「一億総中流社会だったのに、なんらかの原因をきっかけに総中流社会を形成していた根本が変化し、いつの間にか格差社会に移行していた」かのように考えがちです。ただ、厳密に言えば、2つの概念は時代を経て、別々の根拠をもとに生まれたものであり、繋がりをもった1つの変化の表れとして語れるものではないのです。講義の中で白波瀬先生は、「生活意識スコア」といった指数も取り上げながら更なる示唆を与えています。こちらについては直接動画をご覧ください。
人口ピラミッドの変化と福祉制度
 「一億総中流」の意識は、日本が右肩上がりに成長していく、といった見通しから生まれてきたものでした。が、現在は決してそうではありません。少子高齢化と人口減少が日本経済の停滞を招いているとも言えます。更には、少子高齢化による人口ピラミッドの変化が今までの日本を支えてきた福祉制度にも影響を与える可能性があるのです。
 まず考えやすいのは、福祉の支え手の減少です。少子高齢化によって当然、若者の人口が減るため、高齢者を支える人口が減ってしまいまいます。もう一つ大きな影響が存在します。それは、核家族化の進行です。数十年前の日本では3世代で同居するのが一般的でした(サザエさんをイメージしてもらえると分かりやすいでしょう)。しかし、現在は高齢の夫婦のみや高齢者の単独世帯が増えてきています。3世代同居の時代は、家庭内の誰かが労働者であったため、高齢者はその収入で暮らし、それが福祉の役割を果たしていましたが、現代の高齢世帯や単独世帯では、世帯の収入源が年金に代わってしまっています。つまり、福祉制度が設計された当時は家族という社会を前提に、皆保険・皆年金といった形になりましたが、家族制度を主とする社会構造が大きく変わってしまったため、制度としての福祉が担う役割が大きくなりすぎてしまっている面があります。ゆえに、現代の福祉制度には限界が来つつあるのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義Copyright 2015, 白波瀬佐和子
 日本の皆保険・皆年金を特徴とする福祉制度は裾野が広く、高齢者に対して多数いる生産年齢人口と、家族の担う役割を基礎として設計されました。しかし、現代ではそのような前提はもう存在しません。保険制度や年金制度は難しい状況にあるのです。
社会のマイノリティである若者
 ここまで見てきたように、少子高齢化によって若者が減ると、経済や福祉など社会の様々なところに問題が出てきます。福祉に関しては、このままでは支え手が減っていくのはなかなか変えがたい事実です。生涯現役を推奨し、支え手を増やすのか、支える対象を限定するのか、いずれかの対応が必要になってきます。
 また、一言に「高齢者」「若者」といってもその中には多様な人がいます。心身共に健康で、アクティブエイジングを体現する高齢者もいれば、健康や人間関係の問題を抱え困窮してしまう高齢者もいます。この高齢者の多様性を制度の中でどう位置付けていくかは今後の課題の一つです。
 また、少数派になってしまった若者がこれからの社会でどのような振る舞いをするかも非常に重要です。若者はこれからの未来を作っていく存在になります。そんな若者こそ、身近な生活圏を超えた想像力と判断力を養ってほしいと白波瀬先生は言います。
  
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義Copyright 2015, 白波瀬佐和子
 自分が豊かであっても、様々な社会問題に関心を持ち、様々な人とふれあって考えを深めていくことが社会の作り手として求められています。今までは、社会福祉を支える若年層・壮年層と、福祉を受ける高齢者層というはっきりとした構図がありました。しかし、だれも経験したことのない超高齢社会で、年齢により機械的に役割を分担した制度では今後の社会を支え切ることはできなさそうです。そのような社会から、若者から高齢者も含めて社会を支えていくような、世代を超えた支え合いの社会にしていくためにも、「見えない」社会問題を「見ようと」してみませんか?
 白波瀬先生はこの講義の中で、大きく変化した人口ピラミッドの問題や労働市場と福祉の関連、母子家庭の貧困率などについてより詳しくお話ししています。また「予測は変えられないが、推計は現在が変われば未来が変わる」といった至言ともいえる発言もあります。今まで見てこなかった社会問題を見て、より深く考えるためにも講義動画の視聴を強くオススメします。
<文/園部蓮(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義)第5回 社会的想像力のススメ-見えないことと見ようとしないこと
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2023/10/26
戦争、紛争、格差、貧困、差別……
私たちが生きるこの世界には、人間社会の誕生以来続く問題が、今もなお繰り返されています。
イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、次のような有名な言葉を残しています。
民主主義は最悪の政治形態だといえる。ただし、これまでの民主主義以外のあらゆる政治形態を除いて。
この言葉は、民主主義の有用性を主張するために用いられてきましたが、一方で現代の政治にまだ多くの問題が残っていることを示してもいます。
しかし、現状の課題を乗り越える新しい政治秩序とは、どういったものなのでしょうか?
そこでカギとなるのが、西洋とは異なる見方で世界を認識してきた、中国の思想です。
実は、中国では今まさに、国際政治学の分野で、西洋を中心に整えられた制度を乗り越えるような世界秩序が次々に提示されています。中国が新しい国際政治制度を考えるホットスポットであるとも言えます。
そして新しい世界秩序のうちのひとつに、長く中国の政治の基盤となってきた「天下」の思想をもとにしたものがあります。
天下思想というと、近代の国際化によって打ち捨てられた古来の思想のように感じる人もいるかもしれません。
そんな天下思想に、問題を解決するどのような可能性が秘められているのでしょうか?
近代の中国哲学を専門とする東京大学大学院総合文化研究科の石井剛先生と一緒に、これからの世界について考える講義を紹介します。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
「中国」はどこにあるのか
しかし、そもそも「中国」とは一体どこにあるものなのでしょうか?
講義はまずこのような問いを立てるところから始まります。
「中国」は「中華人民共和国」のことだろう、と自明に考える人もいるかもしれません。
しかし「中国」は、長い歴史の中で、中心となる王朝も、その支配が及ぶ領域も変遷してきた国です。
講義では、近代中国の思想家、梁啓超(1873-1929)や章炳麟(1869-1936)、康有為(1858ー1927)らによる、中国の捉え方が紹介されています。
時代はちょうど清朝が滅亡する変革期でした。3人はそれぞれ、ただ「中国」について定義したりその未来を予測したりしていたのではなく、中国を捉えなおすことによって、より良い「中国」のあり方を模索していました。
いずれにせよ、「中国」を考える場合は、その長い歴史も視野に入れなければいけません。
「中国」はどこにあるのかという問いは、一見するほど自明な答えを持つものではないのです。
中国に一貫するものとは
それでは、中心から外縁にいたるまで、あらゆるものが変化してきた中国には、一貫するものはないのでしょうか?
講義では、この問いに正面から取り組む現代中国の歴史学者・葛兆光(かつ ちょうこう)が紹介されています。
葛兆光は、雑誌『思想』(2018年第6号)に寄せた論考で、「何が中国か?」という問いに答えています。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
ここでは、先ほど確認した「現代中国 のすべてのエスニック・グループ、領域と歴史を歴史上の中国のものとしてはならない」ということなど、中国の政治的・社会的な枠組みと実態が述べられています。
注目したいのは、5の「近代国家であり天下の帝国という複雑な性格を併せもつ現代中国は、当面の国際秩序の中で 多くのトラブルに直面しています」という文言です。
中国が古来より有してきたのは、西洋で生まれた近代国家の政治制度ではなく、天下による政治制度でした。
天下の政治制度を取ってきた中国は、19世紀から20世紀にかけての厳しい歴史のなかで、やむをえず近代化を進めてきました。しかし、天下の仕組みはまだ残っているため、中国では様々なトラブルが生じていると言います。
それでは、天下の政治制度とは一体どういうものなのでしょうか?
講義はこのあと、「天下」をキーワードとして進んでいきます。
地を天によって支配する
古代中国の世界イメージに「天円地方」というものがあります。
「天円地方」は、天下思想を反映したイメージで、講義ではそれを図にしたものが示されます。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
その図では、天が円形、地が方形であらわされます。
大きさの異なる方形が中心から順に広がっていき、円で囲まれています。
最も中央にある方形は皇帝が治める天下の中心で、その次の方形が朝貢システム下の地域、一番外側の方形は、文明に属さない「野蛮な」地域です。
そしてその外側(ないしは2つ目の方形の外側)に、円、すなわち天があります。
古代の中国の世界観では、中国はひとつの国家だったのではなく、世界そのものでした。
そしてその世界こそが、広大な地を天によって支配する「天下」という言葉であらわされるものなのだと言えます。
天下による世界秩序
ここで紹介した「天下」は、古代中国の世界観でした。
しかし記事の冒頭でも紹介したように、この天下の考え方は現代の政治制度を見直すためのひとつのカギになっています。
天下をひとつのシステムとして捉え、新しい世界秩序を提案している中国の政治学者に、趙汀陽(ZHAO TINGYANG)という人がいます。
趙汀陽は、天のもとのあらゆる土地を、世界の人々全員による共通の選択によって治めるべきだと主張します。ここでの天下は、実質的に世界政府のような役割を果たします。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
世界政府というと、国際連合のようなものをイメージする人もいるかもしれません。
しかし国際連合は、国民国家を前提として成立しているという点で、趙汀陽の提案する世界政府とは根本的に異なります。
 天下による世界秩序は、国民国家を超えたところにある、全世界の共同体のようなものだからです。
趙汀陽は、「世界史は疑わしい概念だ。人類はまだ『世界を世界とする』には至っていない」と述べています。
ここで趙汀陽が主張しているのは、「世界史」は単なる各国の歴史の寄せ集めでしかなく、本来的な意味での「世界史」はまだ存在しないのではないかということです。
近年、歴史学の分野において、「世界史」を各国の歴史の集合体ではなく、世界全体のダイナミックな動きとして捉える「グローバルヒストリー」という潮流があります。
趙汀陽の天下システム論は、実際の政治制度において、グローバルヒストリーのような一体の世界の実現を想定していると言えるのかもしれません。
(グローバルヒストリーに興味のある方は、羽田正先生の講義をまとめたこちらの記事も併せてご覧ください)
天下システムの中心になるもの
さて、ここまで読んで、みなさんのうちには天下システムに多少の不信感を抱いた方がいるかもしれません。
なぜなら、天下システムとは、天下の「中心」を必要とするシステムだからです。
何か特定の国家や人種を中心に据えるのであれば、強い反発が起こるであろうことは容易に想像がつきます。現実に何を中心とすべきかは、難しい問題です。
趙汀陽は、「グローバル金融システム、グローバルテクノロジーシステム、インターネットのように真の意味で実効的な力をもっている機構や組織」が基礎になる可能性を考えています。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
つまり、「世界的にシェアしながら共有し共同管理するようなグローバルシステム」が天下システムの中心になるということです。
講義ではサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた社会「Society 5.0」が天下社会の具体例として紹介されています。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
天下のための世界理念
しかし、グローバルシステムによる世界秩序は、特に天下思想と関係なく実現可能のように思われるかもしれません。
事実、私たちの社会はインターネットや経済のグローバルシステムによって支配されつつあります。(それはある種のディストピアの様相もなしています。)
ですが、グローバルシステムはそのまま天下になるわけではありません。
なぜなら、グローバルシステムが利己的なものであれば、世界中の人々が利益をともに受け取れる世界制度を打ち立てることができないからです。現状のグローバルシステムは、グローバル資本、技術、サービスによって成立するシステム化権力であり、自らの利益と権力の極大化だけを追求しています。
そこで天下の政治制度に必要なのは、「世界理念」だと言います。
その世界理念とは、「天下を以て天下とする」という管子の原則や、「天下を以て天下を観る」という老子の原則です。
UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛
国家権力やシステム化した権力は、世界全体を合理的に秩序立てる理念を受け入れることができません。
そのため、帝国主義的覇権とグローバルなシステム化新権力を牽制するためには、世界普遍秩序を構築することが必要になってきます。
天下の外縁
 天下システムは未来を見据えて提案されている理論です。
そのため、不確定なことも多く、様々な価値観や状況を踏まえながら論じなければいけません。
講義では、東洋と西洋、また過去、現在、未来と、数多くの知見や情報が取り上げられているのですが、この記事ではそれを十分に説明しきれていません。
また、話も抽象的で難解なため、この記事を読むだけでは疑問に思うことや納得がいかないこともあるかと思います。
そんな方はぜひ、講義動画を視聴して、石井先生が語ることを直接確認してみてください。
講義の終わりには、学生による質疑応答の時間もあります。学生の質問に対する石井先生の回答で、天下システム論の印象がこの記事によるものから変わってくるかもしれません。
この記事では、主に「天下の中心」について確認してきました。
しかし講義内では、「天下の外縁」についても述べられています。
外縁とはすなわち、どこまで天に含めるべきか、どこまでを天に含めることができるかという問題です。
それは、他者の排除(差別)や私たちの世界認識の限界の話にもつながります。
実は石井先生は、天と地の間の余剰こそが根本的に重要だと主張されています。
一体なぜ余剰について考えるべきなのか、講義動画を視聴して確認してみてください。
また、この講義はテーマの範囲が広いので、みなさんが興味を持っているトピックとつながる内容も多いはずです。
ぜひ、講義で語られる内容を、未来を考えるための足がかりとしてみてください。
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:30年後の世界へ ―「世界」と「人間」の未来を共に考える(学術フロンティア講義)第11回 「中国」と「世界」:どこにあるのか?
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2023/10/18
質問です!
みなさんは、どんなメディアを通して「物語」を楽しむことが多いでしょうか?
……少し分かりにくい質問ですみません、別の言い方をしてみます。
みなさんは、文学、映画、マンガ、演劇などのなかで、どの表現形式が好きでしょうか?
今の世の中は、芸術作品からいわゆる娯楽作品まで、数多くの表現に溢れています。
そのなかで、「物語」を伝える表現も文学、映画、マンガ、演劇……と多様です。
「行間が自由に想像できるから小説が好き」という人もいれば、「視覚的に楽しめるから映画が好き」という人もいるでしょう。(ちなみに私は自分のペースで読めるのでマンガが好きです。)
そして、昨今ますます数が増えているのが、異なるメディアで物語が共有されること、いわゆる「メディアミックス」です。
「本屋大賞受賞の小説が実写映画化!」「大ヒットマンガがアニメ化!」なんてことが日常的に起こっている現在、ほとんどの人はメディアミックスされた作品を目にしていると思います。
しかし、そのように「異なるメディアで物語が共有されること」の効果や可能性について考えたことはあるでしょうか?
メディアミックスの作品を観たときに、しばしば「原作と違う」と不満な気持ちを抱くこともあるかもしれません。
ですが、異なるメディアが相互に影響し合うことは、また「物語」が新たに生まれていくことだとも言えます。
フランス文学研究者の野崎歓先生と一緒に、メディアの相互作用について考える講義を紹介します。
東京大学 UTokyo OCW 朝日講座「知の冒険」 Copyright 2016, 野崎 歓
現実を再現したいという欲求
今回紹介する講義は2015年開講の「媒介/メディアのつくる世界(朝日講座「知の冒険―もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」)」の第3回「メディアの相互作用:文学と映画をめぐって」です。
この講義は、「メディア」をテーマに各分野の先生が話すオムニバス講義のうちの1回です。メディアの分野に関心のあるかたは、ぜひ他の講義もあわせてチェックしてみてください。
さて、野崎先生は文学でも映画でもなく、「ラスコーの壁画」に言及するところから講義を始めます。
ラスコーの壁画とは、フランス西南部の洞窟で見つかった壁画です。約二万年前もの昔に描かれた馬や牛、羊などの絵が、今も現存しています。私たちに残されている、最も古い「表現」のひとつです。
東京大学 UTokyo OCW 朝日講座「知の冒険」 Copyright 2016, 野崎 歓
野崎先生はラスコーの壁画について、古代の人が描いたにしては写実的だと言います。
思想家のジョルジュ・バタイユ(1897-1962)もまた、ラスコーの壁画に対して「知的リアリズムという名称がふさわしいような実在の形象化の産物」だと述べています。
たしかに壁画は、画像としてみる限りでも、幾何学的な抽象画というよりは、今にも動き出しそうな現実感をもって描かれています。実際に洞窟に入ってみたら、そのリアリティはより一層感じられるはずです。
野崎先生は、このラスコーの壁画を例として、人間の内には自分を取り巻くリアルな世界を再現したいという欲求があると主張します。
しかしラスコーのリアリズムが直接現在につながるのではなく、表現の歴史は迂回した経路を辿っています。
そして究極のリアリズムの成立には、19世紀の写真の誕生を待たなければいけません。
写真が持つ「リアリズムの美学」
19世紀に生まれた写真という技術は、人間が介在しない初めての表現です。
もちろん、画面の切り取り方には撮影者の意図が反映されますが、映った対象は現実にあるものであり、そのまま現実が再現されています。その意味で、写真はメディアならざるメディアだとも言えます。
映画のリアリズムを語る上で重要なのは、フランスの映画理論家、アンドレ・バザン(1918-1958)です。
講義でも紹介されているバザンは、写真によって初めてもたらされたリアリズムの意味について論じました。
写真はそれまで、芸術に劣るものとして蔑視に晒されてきましたが、バザンの代表的な論稿「写真映像の存在論」(1945)によって、その認識は塗り替えられました。
その論稿では「たしかに写真は芸術ではない、しかしそもそも写真は人間の技ではない」ということが述べられていると、野崎先生は語ります。
つまり写真は、人間が介入するこれまでの芸術の文脈では捉え切れない、リアリズムの美学を持っているのです。
しかし皮肉なことに、写真は次第に芸術と見なされるようになっていきます。そして、写真を時間変化に合わせて動かした映画も次第に、単なる運動の記録ではなく、物語が加わって芸術化していきます。
これは「映画の逆説」とも言えるような事態です。20世紀は物語が様々なメディアを貫いた時代であったと、野崎先生は言います。
こうして映画と文学は、物語を共有することで、切っても切れない縁で結びつけられるようになりました。
(「写真映像の存在論」が入ったバザンの論稿集『映画とは何か(上・下)』は、野崎先生の訳で岩波文庫から刊行されています。また、野崎先生によるバザンの研究書『アンドレ・バザン 映画を信じた男』も春風社より刊行中です)
映画になった文学作品
講義では、小説が原作の具体的な映画作品について語られます。
川端康成の『伊豆の踊り子』の映画や18世紀フランスの小説『マノン・レスコー』の演劇、映画が例として挙げられます。
ただし、とても残念なことに、講義で紹介されていた映画の画像は、著作権の関係でほとんど見ることができません。
講義で5分ほど放映された森鴎外の『山椒大夫』の映画(溝口健二監督)も泣く泣くカットです……
ただし、重要な点はほとんど野崎先生が説明してくださっているので、話についていけなくなるということはないと思います。このパートで語られていることは、この講義の要点にもなっているので、ぜひ視聴して確認していただきたいです。
指摘されるなかで、ひとつの興味深いポイントは、小説で登場人物の外見が具体的に描写されるのは、19世紀になるまでほとんどないということです。
どうして人物の描かれ方が変化したのか、映画との関係も踏まえて野崎先生が語っています。気になる方はぜひ動画をチェックしてみてください。
文学と映画の相互作用
最後に、文学と映画の関わり合いについて語られます。
これまで、文学を元にして作られた映画、つまり文学から生まれた映画について確認してきました。
しかし映画もまた、文学に影響を及ぼしています。そのひとつが、小説におけるカメラの導入です。
野崎先生は、映画ができて以降、20世紀の作家たちはカメラを意識せずに小説を書けなくなっていると述べます。
つまり文学においても、ビジュアルの体験が重要になってきているということです。
イタリアの小説家・批評家のイタロ・カルヴィーノ(1923-1985)は、「これからの文学に必要なもの――それは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」である」と語ったといいます。
小説は映画の先駆でありながら、映画もまた小説の未来形になっているのです。
野崎先生は、「メディアは互いに反響しあい、「物語」に第二、第三の生を与える」と言います。
そして、「文化の創造は、メディアの相関関係の形作る渦巻きによって可能となる 」と結論づけています。
終わりに
講義の終わりには「小説(演劇、マンガ等)の映画化作品をどう楽しむべきか」というテーマで、学生がグループワークを行なってまとめた内容が語られます。
この記事の冒頭で述べたように、メディアミックスされた作品は、しばしば原作のファンから「原作と違う」と批判を受けます。
しかし、原作に忠実であることばかりがメディアミックスの価値ではないかもしれません。
最後には、学生の意見に対する野崎先生からのコメントもあります。ぜひ動画を最後までご覧になって、メディアミックスから生まれる「第二、第三の生」について考えてみてください。
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:媒介/メディアのつくる世界(朝日講座「知の冒険―もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2015年度講義)第3回 メディアの相互作用:文学と映画をめぐって 野崎 歓先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。