だいふくちゃん通信

2024/09/04
みなさんは「偶然」を感じたことはありますか?「ご縁がある」「運が良い」「持ってる」「神ってる」といった言葉は日常的に耳にするように、私たちの生活はさまざまな偶然に取り囲まれています。偶然というものは、私たちが生きている上で必ず出会うものです。その「偶然」という言葉を、学問研究はどう考えるのか。この講義は、「偶然」を様々な切り口から考えていく朝日講座「〈偶然〉という回路」の第一回です。
「日本文学にとっても、偶然という要素は切り離せません」と渡部泰明先生は言います。渡部先生は東京大学文学部教授(2017年当時・現在は国文学研究資料館の館長)で、和歌文学を専門とされている方です。
この講義では、渡部先生と一緒に、和歌と「偶然」の関係について考えていきます。
和歌と「偶然」ー序詞とは何かー
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 渡部泰明
和歌と「偶然」を考えるうえで重要なのが、「序詞」という修辞技法です。
「序詞」とは、「二句もしくは七音節以上から成り、和歌の主想部・本旨を導き出す働きをする語句」のことです。和歌は五・七・五・七・七という三十一音からなる短い文学ですが、序詞は、そのうちの二句(たとえば最初の五音と七音の部分)、あるいは七音以上を使った表現で、「その和歌が最も伝えたい内容」を導くためのものである、ということです。
序詞には三つの特徴があります。第一に、序詞は一首の前半に置かれることが多いということ。たとえば、上の句が序詞で、下の句は序詞によって導かれた主想部になる、といった例が多く、下の句に序詞が来ることはほぼありません。第二に、序詞は景物を主とするということ。景物というのは自然の風物のことです。第三に、序詞によって導かれる主想部は心情を主とするということ。つまり、序詞で自然の風景や物を詠んだあと、心情を述べる表現が続く、という構造になります。
和歌と「偶然」ー序詞の種類ー
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 渡部泰明
さらに、序詞には三種類あります。ここでは具体的な和歌とともに学んでいきましょう。
一つ目が、類音の繰り返しに基づく序詞。「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな(古今集・恋一・四六九・よみ人知らず)」の和歌では、「あやめ草」までが序詞で、「あやめも知らぬ恋もするかな」が主想部です。植物「あやめ草」の「あやめ」という音だけ借りてきて、下の句の「あやめも知らぬ」というフレーズを導き出しています。「あやめ」というのは物の筋目のことで、「あやめも知らぬ」では、物の道理もわからなくなる、闇の中を彷徨うような恋の様子を描いています。そんな恋の思いを表現するにあたり、特に「あやめ」という言葉を導き出すためだけに、序詞を用いているのです。それなら、序詞は無駄な要素だと言えるのではないでしょうか。たった三十一音しかない和歌の十七音分を、一番言いたいこととは異なる序詞に費やすのはなぜでしょうか。
また、「浅茅生の小野のしの原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき(百人一首・源等)」の和歌では、「浅茅生の小野のしの原」までが序詞で、「しのぶれどあまりてなどか人の恋しき」が主想部です。「しの原」という語が「しのぶれど」の「しの」を導き出しています。「浅茅生の小野のしの原」という情景は、和歌の意味とはあまり関係がありません。ただ「しの」を導くためだけに「浅茅生の小野のしの原」と表現されています。「しのぶれどあまりてなどか人の恋しき」という、我慢して我慢してそれでも我慢しきれない恋心を伝えたいのに、なぜ序詞を使うというまわりくどいことをするのでしょうか。
二つ目が、比喩に基づく序詞。「我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわくまもなし(百人一首・二条院讃岐)」の和歌では、「沖の石の」までが序詞で、「人こそ知らねかわくまもなし」が主想部です。「誰も知らない(人こそ知らね)」ことと「いつも濡れている(かわくまもなし)」こと、両方を兼ね備えた表現が「潮干に見えぬ沖の石」です。私の袖は潮が引いても見えない沖の石だ、だから、誰も知らないけれどもいつも濡れている…序詞の部分で「我が袖」を「沖の石」に喩えており、その情景と重なる心情が下の句に続きます。これは序詞の内容と心情が重なり合っているため比較的理解しやすいですが、それでもなぜこのように比喩を用いるのかは疑問が残ります。
三つ目が、掛詞に基づく序詞。掛詞とは、一つの言葉に二つの意味を持たせる洒落のような技法です。「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝む(百人一首・柿本人麿)」の和歌では、「しだり尾の」までが「長々し」を導く序詞、「長々し夜を独りかも寝む」が主想部になっています。この和歌で最も言いたいことは夜の心理的な長さですが、その「長々し」を導くために、心情とは関係のない序詞で十七音も使ってしまっています。
このように見ていくと、序詞というのは「音が重なる」というのが一番大事な要素であることがわかります。特に類音の繰り返しに基づく序詞や掛詞に基づく序詞は、「偶然同じ音だった」ということだけで言葉を選んでいるように思えます。和歌というのは詩であり、詩というのは内面の表現です。それなのに、なぜ内的な必然性に基づく表現ではなく、「音が偶然同じだった」という外的な偶然性に基づく表現を用いるのでしょうか?
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 渡部泰明
和歌と「偶然」ー現代短歌の序詞的表現ー
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017 渡部泰明
上記の疑問を解決する糸口を見つけるため、今度は現代短歌における「序詞的な表現」を見ていきましょう。
「くろ髪の〜」の短歌は、「みだれ髪」までが下の句の「かつおもひみだれおもひみだるる」を導いている、同音の繰り返しによる序詞的表現となっています。 
「大工町〜」の短歌は、この短歌で最も言いたいことは「老母買う町あらずやつばめよ」であり、それを導くために「大工町寺町米町仏町」と表現している序詞的表現です。
さらに、渡部先生は、「サバンナの〜」の短歌は「サバンナの象のうんこよ」が序詞的表現だと言います。もし、「サバンナの象のうんこよ」が無かったら、どうでしょうか。「聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」だけでは、自意識の垂れ流しのようで、誰も共感できないのではないでしょうか。ところが、「サバンナの象のうんこよ聞いてくれ」と表現されることで、広大なサバンナという空間のイメージが加わるほか、「自分は広大なサバンナの中の象のうんこくらいしか価値がない人間だ」といった自己の隠喩が含まれます。その情景があって「聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」と言われることで、自己表現が共感を得るものへと変貌していっています。
このように、序詞の効果は、心情の表現が具体的なイメージと対置されることで、共感を得るものに変わっていくことにあるのです。共感を得るものへと変わる理由は、「外からきたものが自分の内面にいつの間にか寄り添う」という体験ができるからだと渡部先生は言います。遠いと思っていたことが結びついていくんだ、全然無関係なものが結びつくんだ、という運命的な出会いを序詞によって経験できるのです。
課題ー和歌・短歌を作ってみよう!ー
上記で述べたような運命的な出会いは、実際和歌・短歌を作ってみてこそわかるものです。そこで、この講義の後半では、実際に短歌を作るという課題に取り組みます。
まず、心情を表す下の句(七・七)を各々作ります。次に、その下の句をシャッフルされたうえで個々人に割り当てられ、自分に割り当てられた下の句に序詞をつける、という作業です。ただし、「東大」に関わる言葉を必ず一つ入れる、という条件もあります。
受講者がこのように共同作業で作った短歌を、グループワークで鑑賞・批評する、というのがこの講座の特徴になっています。
見応えのある短歌五首とその鑑賞が見られますので、ぜひ動画を最後までご覧いただき、序詞による「運命的な出会い」を体験してみてください!
<文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:〈偶然〉という回路(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2017年度講義) 第1回 偶然と日本古典文学 渡部泰明先生
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2024/08/21
私たちが昔の歴史や文学、宗教について本気で知ろうとしたら、洋の東西を問わず、どうしても古い文字資料を使うことになるでしょう。大抵は、アクセスしやすい図書館にある文庫本とか、オンラインで手軽に見つかるテキストデータとかで事を済ますことになります。
しかし、あなたの目に入った文字資料は、果たして信頼に足るものなのでしょうか。古い時代のものほど著者本人の自筆本などは残っておらず、その文章が他人による書写や出版の作業過程で改変されてしまった可能性は排除できません。たった1文字のタイポ(誤字や脱字)のせいで、文章全体の意味が変わってしまうことすらあり得ます。そのため、人文学を専門とする学生や研究者は、自分の使う資料の信頼性に敏感であることが求められます。
今回ご紹介したい講義は、デジタル人文学などをご専門とする永崎研宣(ながさき きよのり)先生による「デジタル時代のcriticism」です。講義自体は2018年度のものであり、その後にデジタル技術の更なる進歩などもありました。本記事の読者の中には、「自分はこの分野の専門家になりたいわけではない」という人もいるでしょう。ですが、この講義で永崎先生が解説しているデジタル人文学の理念は今日なお維持されているものであり、また専門外の人であっても有益な知見が得られるのではないかと思います。
UTokyo Online Education デジタル時代のcriticism Copyright 2018, 永崎 研宣
“criticism”の意義
まず先生は、この講義を「デジタル時代のcriticism」と題した理由を説明することから始めます。通常は「資料批判」または「史料批判」という言葉を使うそうですが、現代の日常語で「批判」は後ろ向きなニュアンスがあるため、あえて「criticism」にしたといいます。いずれにせよ、これは歴史学者のレオポルト・フォン・ランケ(1795–1886)が提唱した概念で、様々な周辺情報も駆使して「自分の見ている史資料がどれくらいあてになるか」を確認しようとする学問的手続きであり、大きくは「外的批判」と「内的批判」に分けることができるとします。
外的批判は、「この史資料は後世に偽作された偽文書ではないのか」という根本的な検討から始まって、「いつ、どのような場で書かれたのか」や「どのような経緯で発見されたのか」などの分析に進むそうです。他方の内的批判は、著者の思い込みや勘違い、願望、利害関係が史資料に影響した可能性を慎重に見極める作業となります。
ここで先生が紹介した「個人的に衝撃だった」事例は、日本の「慶安の御触書」です。32の条文と奥書から成るとされるこの農民への教諭書は、徳川幕府の第3代将軍家光が江戸前期の慶安2年(1649年)に出した幕法として、先生が10代だったころには歴史の教科書にも載っていました。しかし、慶安2年に発布されたはずの原本が見つからず、しかも写本が一部地域から見つかるだけなので、今日では「幕法ではなかった可能性が高い」として教科書からほぼ消えたそうです。
このように、教科書で取り上げられたような有名な史資料でさえも、最新のcriticismによる結果が「怪しい、疑わしい」となれば排除または留保せざるを得なくなります。逆に言えば、criticismは従来の常識を覆す可能性を帯びた、それだけ重要な手続きだということです。
時代は紙からデジタルへ
明治以降の日本では、東洋と西洋の校勘(こうかん。複数の伝本を比較検討して、本文の異同を明らかにしたり正したりすること)の伝統が混ざり合い、本文の上や下の欄外に「この字は別の本ではこうなっている」という校勘記の付いた本が作られていきました。
UTokyo Online Education デジタル時代のcriticism Copyright 2018, 永崎 研宣
そのような校勘本は便利で有益なものですが、読者が見られるのは校勘者の出した結論だけです。例えば、校勘記で「この字は○○図書館所蔵の写本ではこうなっている」と書かれてあっても、本当にそうなっているかを確認するために読者がその図書館を訪問し、所蔵本を閲覧することは手間です。古典籍の多くは厳重に管理されているため、閲覧を申請してから許可されるまで時間も掛かります。
そこで近年、世界各地で活用されつつあるのがデジタル技術です。貴重な古典籍をデジタル撮影して(または過去に撮影されていたマイクロフィルムなどをデジタル変換して)画像をネットで公開することで、見たい古典籍の画像がいつでもすぐに見られるようになります。そのデジタル画像へのパーマネントURL(ウェブサイトのリニューアルなどがあっても変更されないURL)が論文などに付記されれば、議論や検証が飛躍的に容易になります。
一部の研究者は、このような新技術の活用に抵抗感があるようです。ですが先生は、従来も影印(えいいん。古典籍を撮影して印刷したもの)が活用されてきたのだから、デジタル画像は必ずしも異質なものとして警戒しなくてよいと解説します。また、「デジタルデータは簡単に書き換えられる危険がある」という意見については、バージョン管理(旧いバージョンも消さずに残す)がきちんとできていれば、むしろ紙よりも効率が格段に高いとします。それどころか、様々な古典籍のデジタル画像を深層学習(Deep Learning)で横断分析させれば、人間の力では分からないことも分かるようになるかもしれません。
デジタル時代の現在と未来
近年は、単純なデジタル画像化とそのネット公開だけでなく、ソースコードで各本の異同の比較検討をより効率化しようという事業も進められています。ある古典籍のある個所が諸本でどのように表記されているのかを比較する作業時間は、これまでよりも格段に短縮できます。このようなデータベースが公開されれば、専門の研究者に限らず、広く学生や愛好家もまた恩恵を受けられるようになるでしょう。
UTokyo Online Education デジタル時代のcriticism Copyright 2018, 永崎 研宣
UTokyo Online Education デジタル時代のcriticism Copyright 2018, 永崎 研宣
最初にお断りしましたように、この講義は2018年度に行われたものです。その後にデジタル技術が日進月歩の発展を続けていることは、皆さんもご存知の通りです。ですが、これまでは紙と人間(の手と目と頭)に頼って行ってきたcriticismをデジタル技術によって効率化し、しかもそれをオンラインで公開していこうという方向性は今も変わっていません。ここでは紹介しきれなかった部分も少なくありませんので、今後とも発展を続けるだろうデジタル時代のcriticismの基本理念を知るためにも、先生の講義動画をご覧になってみてはいかがでしょうか。
<文/MS(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:デジタル・ヒューマニティーズ ―変貌する学問の地平― (学術俯瞰講義) 第3回 デジタル時代のcriticism 永崎研宣先生
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2024/07/31
本日ご紹介するのは、「人と物」「人と動物」「人と人」など、様々な「つながり」を見つめ直すコース、
「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義)
から、第10回『災害とつながり―社会関係の中で生きる人間像―』です。
講師は、災害情報論と社会心理学がご専門の、田中 淳(たなか あつし)先生です。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
社会学から見る災害研究
この授業は、東日本大震災から8年という年に行われました。講義には、東日本大震災だけでなく、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、四川大地震、令和元年(2019年)の台風19号など、様々な災害が例として挙げられます。
「災害研究」という言葉を聞くと、地震研究のような理学的な学問、また、防災には工学的な学問のイメージを抱かれるのではないでしょうか。長らく防災に取り組んできた田中先生は、「人の命を救う防災には、全ての学問が関係している」と語ります。災害に立ち向かうには、財政の健全化が必要であり、必要に応じて法律改正があり、また医療や国際関係にも関係があります。「生きること」などを考える際には、宗教学も関係してくるでしょう。そして、東大は、世界的に見ても早い段階で、社会学が災害研究に参入していました。
「つながり」について考えてみよう
「つながり」という言葉は、何か明るくて良い意味合いを持っていそうです。東日本大震災の際にも、さかんに「絆」という言葉が謳われました。しかし、災害においては、この「つながり」の全てがポジティブに捉えられるわけではありません。
災害は、新しい「つながり」を生み出すこともあれば、同時に、「つながり」を分断することもあると、先生は言います。一体、どういうことでしょうか。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
いくつか、講義の中で印象に残ったエピソードを取り上げて、ご紹介します。
災害で損なわれる「つながり」
災害で失うものには、どのようなものがあるでしょうか。
まず、人の命や健康が損なわれます。そして、家や家財、財産、社会システムなど、生活基盤が失われます。また、生き残った人の間でも、コミュニケーションのすれ違いを起こしたり、元々あったコミュニティが瓦解したりと、まさに「つながり」が壊れてしまうことがあります。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
「つながり」に影響されて意外に個人で決断できないことが多い
皆さんは、日頃、自動販売機でジュースを買うときに、どの程度、未来や影響を考えて、購入する1本を選び抜いていますか?「自分がこのメーカーさんのジュースを選んだことによって、違うメーカーさんが潰れてしまうかもしれない」などと考えたことはありますか?おそらく、誰もそんなに深く考えておらず、気楽に数秒で決断して購入していることでしょう。
被災すると、ありとあらゆる決断を瞬時に迫られる場面が出てきます。様々な選択肢や起こりうる問題などを検討しつつ、慎重に選び抜かなければならない重要な事項なのに、多くの場合は、短いスパンでどんどん決めていかなければなりません。
津波の警報が出た後に、すぐに避難するか、しないか。避難所に行くか、車中泊するか。元の町に戻るか、移転するか。
こういったことは、意外に、自分1人で決められるものではありません。様々な個人の計画には、家族・地域・共同体・行政などの意向が、強く影響してきます。
例えば、自分が元の家に戻りたいと思っていても、家族は、同じ土地で再び同じ目に遭うことを恐れて反対するかもしれません。また、自分の一家ではその地域に帰りたいと考えていても、元々住んでいた住民がどの程度戻るのかによって将来の地域の活性や復興の度合いが変わってしまいますから、多くの他者の振る舞いが自分の生活に影響を与えることになります。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
また、印象的だったのは、「避難行動は、実は一般に言われるほど個人で決めるものではない」というお話です。地震や津波の警報が出た際、本当は避難しようと思わなかった人も、周りに合わせて避難しているケースがあります。これは、避難するかどうかということは、個人の意志によって決定している他に、かなり大きく「規範」が影響するということです。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
顕在化されたり分断されたりする「つながり」
普段、1人の人間は、社会の中でいくつもの役割を持って暮らしています。例えば、田中先生の場合は、ご自身で、こんな顔を持っていると考えているそうですよ。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
このように多様な側面を持つ人が、もしも災害に遭うと、たちまち「被災者」というカテゴリに入れられてしまうことがあります。
このことは、どのような影響をもたらすでしょうか。
例えば、被災すると、避難所や仮設住宅で、常にボランティアさんに助けてもらったり、常に炊き出しで食事を貰ったりする側になります。つまり、ずっと「被災者」という役割になってしまうのです。普段、お店でお金を出して商品やサービスを買う際には、作ってくれた人や販売してくれた人に引け目を感じることはありませんが、無償で何かを受け取るだけの側になると、申し訳ない気持ちが湧いてきて、その状況が続くと、だんだん辛くなってきます。これを「互酬性の顕在化」と呼びます。このような気持ちを抱え続けなければならないのは、健全な環境とは言えません。
また、被災者は、報道などによって多くの人の目に晒されます。その際、「被災者」は、しばしば、1つの定まった意見を持った人物であるかのように伝えられてしまうことがあります。
例えば、東日本大震災の際、校庭で待つように指示された多くの小学生が津波から逃げ遅れてしまった「大川小学校」という学校があります。ご遺族は、当時の小学校の方針に対して「賛成なのか、反対なのか」など、意見を述べるよう迫られることがあります。迫られて、どちらか述べることによって、分断が生まれてしまうのだと言います。ご遺族の立場や気持ちは、白か黒かではなく揺れ動くものであり、一定ではありません。つまり、「怒りもある」「しかし、先生方のお子さんも逃げ遅れているのも知っている」といった具合です。
被災者は、他の形でも、分断の危機に晒されることがあります。
まず、一つ目は、「内外問題」です。
例えば、田中先生が他の地域で起きた災害の現場に出向いていくと、先生は「東京の人」と呼ばれます。また、同じ地域の中でも、被害の程度によって、「なんだ、⚪︎⚪︎市の人か、大したことないじゃないか、うちはもっと酷い目に遭ったんだ」「あなたには、こんな酷い被害に遭った私の気持ちは分からない」といったランク付けが生じます。生々しい話ですが、被害の大きさによって、下りる助成金や義援金の額も変わります。そこには、お互い、自分の気持ちを分かってほしいけど、そう簡単に分かってほしくもないという、複雑な心理があるのです。
次に、災害後、長い時間が経ってくると、次第に被災者は世間から厳しい目を向けられるようになると言います。例えば、公的な経済支援を受けていることについて、妬まれて嫌味を言われたりするようになることがあるそうです。何もかも失って、なかなか元の仕事や生活を取り戻すことが難しく、そのエネルギーも湧いてこないときに、このような視線や言葉を向けられるのは、どれほど辛いことでしょうか。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
今だからこそこの講義がよく理解できるかも?
さて、ここまで講義内容を紹介してまいりました。
2019年に行われたこの講義ですが、今だからこそ、より多くの人が理解できる内容なのではないかと感じました。
災害について話す際は、多くの場合、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、熊本地震、東日本大震災など、多くの人が知る大きな出来事を例に挙げて話します。実際に何らかの災害に遭ったことがある方は、ご自身が体験したことの記憶と重ねて、つぶさにイメージを思い浮かべながら話を聞くでしょう。そして、より多くの、幸いにも大規模な災害に遭ったことがない人は、頭の片隅からニュースで見聞きした様子を引っ張り出してきて、なんとか自分に引き寄せて想像しながら、話を聞くでしょう。実際に体験していないことを想像することには限界がありますから、世代や出身地域などのバックグラウンドによって、イメージを描いたり議論したりする際、個々の理解度には様々な差が生じていたことと思います。
しかし、2020年以降の我々はどうでしょうか。この記事を読んでいるほとんどの人が、世代や地域の枠を超えて、一様に、いわゆる「コロナ禍」を経験しています。現在の我々は、災害時に生まれる新たな「つながり」や、災害時に起きる分断を、ありありと思い浮かべることができるようになっているでしょう。
例えば、授業で語られた下記の2つのことは、我々がかなりよく知っていることです。
まず、「何か出来事が発生すると、普段隠れている(地下に潜められていた)偏見・差別・社会構造の弱さなどが露呈する」ということについて考えてみましょう。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
コロナ禍では、エッセンシャルワーカーの労働環境、外国人差別、行政への不満など、元々あった様々な問題が、さらに浮き彫りになりました。もっと小さな単位では、「ステイホーム」によって、普段はバラバラに過ごしていた家族が四六時中、顔を突き合わせていることにより、家族間の価値観の相違などに気付いたというご家庭もあるでしょう。
そして、次に、社会システムの変容についても、今ならば実感を持って理解することができるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
災害が起きると、通常運行していた社会システムは、停滞したり、その機能をぐんと低下させてしまいます。そして、緊急の代替として、応急的なシステムが発動します。しかし、それはあくまでも臨時のものであって、効率が悪いため、また元に戻されてゆきます。(例えば、震災が起きた際には、臨時的に行政の職員が生活用品や飲食物を配布しますが、これらはコンビニエンスストアやスーパーマーケットの物流が復旧したら、そちらの方が圧倒的に効率が良いでしょう。)被災者は、この度重なる環境変化に見舞われ、そして、順応していかなければなりません。
このことは、コロナ禍では、多くの学校が通常の授業の代わりにオンライン授業を取り入れ、やがて1〜2年掛けて、元の「対面」授業に戻していったことに当てはめられるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2019 田中 淳
この記事内ではご紹介しきれませんでしたが、この講義では、被災者が置かれる状況や心理状態について、とても丁寧に説明されています。ぜひ、講義動画をご覧ください。
「つながり」の分断がどのようなものか、よく知るようになった我々は、その経験を持って、前よりもうまく、新たな「つながり」を生み出す方法を考えられるようになっていると思いたいものです。
<文・加藤なほ>
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 第10回 災害とつながり―社会関係の中で生きる人間像― 田中淳先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/06/04
兼好法師の『徒然草』は、『方丈記』『枕草子』と並んで、日本三大随筆と言われている作品です。名前だけは聞いたことがある、古典の授業で習った、という方も多いのではないでしょうか。
「つれづれなるままに」という有名な序文から始まる、無常観を描いた散文集として知られています。今回は、大量の情報に溢れた現代社会で感じる生きづらさを考えるためのヒントとして読み解いてみましょう。
所有欲と生きること/「持つ」ことと「在る」こと
今回講師を務めるのは、東京大学名誉教授で平安時代の国文学を専門とされている、藤原克己先生です
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 藤原克己
突然ですが、動詞の「ある」と「いる」の区別ってなんでしょうか?花が「ある」、犬が「いる」というように、動かないものには「ある」、動くものには「いる」、を使うと考えて良いのでしょうか。現代語では人間にも「いる」を使いますが、古語では人間には「あり(在り)」という動詞を使っていました。源氏物語の中に、「ある時は ありのすさびに憎かりき なくてぞ人の恋しかりける」という和歌があります。これは、「生きているときは憎いこともあったが、亡くなってみたら恋しいものだ」という思いを歌ったもので、人に対しても「ある」というという動詞を使っていることがわかります。
ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは「To have or to be」(持つということと生きるということ)を対比しました。これはシェイクスピアのハムレットの有名なセリフ「To be or not to be」をもじったもので、「所有欲が大きくなって物を持てば持つほど、生きるということ(「在る」ということ)が少なくなってしまう」と主張したのです。
徒然草にみる所有欲
第十八段徒然草の中には、所有欲を否定するという発想が繰り返し出てきます。まずは、第十八段です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 藤原克己
「人は、おのれをつづまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるはまれなり。」という文に象徴されるように、財や物を持たない質素な暮らしが良いとされています。
この第十八段では全く物を持たないことが良いという極端な考えが書かれていますが、兼好法師の目指す生き方はもう少し穏やかなもので、それがよく現れているのは次にみていく第十段です。
第十段ここでは兼好法師が理想とする住まいについて述べられています。一文ずつ丁寧にみていきましょう。
「よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。」徒然草における「よき人」は、身分が高貴な人ではなく、人柄や趣味が優れている人のことで、兼好法師が理想とする人物像のことです。そのような人が住んでいる家では、差し込んでくる月の光も一際しみじみと感じられるものだと言います。
「今めかしくきららかならねど、木立もの古ふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)、透垣(すいがい※板や竹で作った垣根のこと)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えて安らかなるこそ、心にくしと見ゆれ。」冒頭の単語「いまめかしい」とは、くすんだもの・地味なものの反対で明るいもの・華やかなものという意味です。華やかで美しいものではないけれど、手入れしていない庭にも何か心休まる風情があり、そのような暮らしぶりが良いのだという兼好の好みが読み取れます。
これらの描写では、古い家屋である程度落ち着いた暮らしをしている人がイメージされています。兼行法師は全く物を持たない極端に貧しい暮らしが良いと言っているのではないということがわかります。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 藤原克己
「(中略)さてもやは、ながらへ住むべき、また、時の間の烟(けぶり)ともなりなん、とぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。(後略)」
こちらの文では、住居はあっという間に火事になって消えてしまうものだと述べています。中国唐代の詩人、白居易も同様のことを述べました。白居易は、立派な家を建てても人はずっとそこに住めるものではなく、また人が実際に暮らしているのは小さな範囲なのだから大きな家を建てるのは良くないと主張し、平安時代の貴族に大きなインパクトを与えました。
ちなみに、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と言う冒頭で有名な鴨長明の『方丈記』は無常観を述べた文章とされがちですが、実際は「河のように住む人も住居のあり方も移り変わっていくのだ」というように住居について述べたものだと言います。
現代にもできるだけ物を所有せずシンプルな暮らしをしようとする「ミニマリズム」という暮らしのスタイルがあります。これは、兼好の「所有というものにとらわれるな」という考えに通ずるものがあります。白居易など中国の古典や、ストア派哲学などギリシアの時代にも同様の考え方があります。冒頭に言及したエーリッヒ・フロムの「持つ様式(to have)からある生活(to be)に切り替えよう」という思想も古典の系譜をひいたものだといえます。
清貧=貧困の正当化という批判
ここまで、『徒然草』の読解を中心に清貧な暮らしというものについて考えてきました。一方で、このような生活を理想として掲げたときに必ず生じるのが、現代社会の貧困の問題から目を逸らしてはいけないという批判です。貧しさというものを正当化してしまうことによって現実の社会問題から目を背けてしまう危険性があるのです。
ここで、河上肇の『貧乏物語』(1917年)を取り上げます。経済学者で京都大学の総長も務めた河上は、第一次世界大戦後に格差と不安が増していく社会情勢の中で、経済学的な観点から貧困の問題に誠実に向き合いました。その後マルキシズムに傾倒していき、昭和8年に共産党に入党しました。
『貧乏物語』では、「金持ちほど難儀な苦の多きものはない、一物有れば一累を増すというて、百品持った者より二百品持ったものは苦の数が多い」というように、物や富を多く所有することを否定しています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 藤原克己
評論家の加藤周一は、この作品で河上が挙げた貧困対策を次のように分析しました。一つ目に人々が心がけを改めること、二つ目に社会政策をうち立てること、三つ目に貧困解決を国家政策とすることです。『貧乏物語』は当時初めて貧困を学術的に論じ、経済学的に分析したものであり、画期的な文章でした。それと同時に、貧困の第一の解決策が「人々の心がけ」の問題と結論づけられてしまったことから、河上がマルクス主義へ傾倒していったのだと分析しています。
なぜ今「単純な暮らし」が難しいのか
ここまで『徒然草』や『貧困物語』における貧しさを見てきましたが、それを踏まえて我々が今日直面しているグローバル経済の中の暮らしについて考えていきましょう。
経済学者の水野和夫が指摘したように、「より速く、より遠くへ、より合理的に」という近代資本主義の理念に駆り立てられてきた今日の私たちの暮らしは、大量の物や情報に囲まれています。そのような暮らしの中で私たちは、本来単純であるはずの「日々を生きる」というところからどんどん離れて、生活とは無縁なものに翻弄されてしまっているといえるのではないでしょうか。
SNSで他人の持ち物や生活スタイルを見たり、ネットショッピングで気軽に買い物をしたりという経験は私たちの日常に入り込んでいます。
兼好法師は所有欲と向き合うことだけでなく、ひとりの時間の重要性についても述べています。所有欲から自由になり、他人の視線や評価にとらわれず孤独の中で自分を見つめ直す時間を持つこと。兼好法師が目指したような、「ただそこにある生を紡ぐ」という単純な暮らしのあり方(To be)は、現代社会を生きる私たちにとっても必要なことだと考えることができるのではないでしょうか。
『徒然草』の冒頭は、「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」という有名な一文で始まります。兼好法師も、たった1人で自分と向き合うことの難しさに直面していたのかもしれません。その中で、世間の騒がしさから逃れてひっそり暮らし、孤独に文章を書くということによって「生きる」ということを確かめていたのではないでしょうか。それこそが彼なりの「在る」ということだったのかもしれません。
動画では、名誉教授である藤原先生の口から和歌や知識がどんどん飛び出していく圧巻の講義を楽しむことができます。講義動画を視聴して、私たちが失ってしまっているかもしれない「単純な暮らし」について、『徒然草』をヒントに考えてみませんか?
<文/下崎日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:古典は語りかける (学術俯瞰講義 2016年度開講) 第11回 貧しく閑暇に生きること (第10、12、13、18、19、75、93、108、235、241段等) / 藤原克己先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/05/28
皆さん、建築家の安藤忠雄(あんどうただお)先生をご存知でしょうか。
丹下健三氏・前川國男氏・隈研吾氏などと同様、日本の建築の歴史に名を残す、指折りの建築家の一人です。
「安藤忠雄が設計した施設を利用したことがあるよ」
「ニュースで名前を見聞きしたことがあるような気がする」
「建物を利用するときに建築家や設計のことなんて意識したことなかった」
様々な方がいらっしゃるでしょう。
今回ご紹介する「変化する都市-政治・技術・祝祭(学術俯瞰講義) 第13回 建築をつくる、都市をつくる」(2008年開講)は、「建築ファンの人にはたまらない」でも、「今までよく知らなかった人も思わず好きになってしまう」、そんな講義です。
UTokyo Online Education  建築をつくる、都市をつくる Copyright 2008, 安藤忠雄
温かな関西弁は、まるで漫談を聞いているようで、会場の笑いは最後まで絶えません。
そうでありながら、安藤先生が手掛けてきた主要な建物・プロジェクトの裏話と、今を生きる現代日本人への熱いメッセージが満載の、贅沢な内容となっています。
このコラムでは、講義に登場したエピソードの中から、いくつか、有名なものや印象深いものをお届けしようと思います。
※この講義では当日使用されたスライド資料が(権利関係の都合上)収録・公開されていないため、建築物等の画像は筆者が選出した代替のものとなっております、ご了承ください。
長い長い旅に出た若者時代
大阪生まれの安藤先生。
学校で公式に建築を学んだことはなく、なんと独学でその道に入り、本格的にお仕事を始めたのは40代の頃でした。
お話は、まず、若い頃に出かけた旅から始まります。
20代の初め、大学の卒業時に1ヶ月ほど掛けて国内を旅行した安藤先生。
四国の石積みの町を見て、日本の風景がどんどん変わっていくこのときに、この風景を心にとどめておきたいと感じたり。
広島で、丹下健三氏の平和記念資料館に出会ったときは、建物の美しさよりも、ただただ原子爆弾の威力に驚いたり。
様々な地域を巡るうちに、「日本て、結構広いな」と感じると同時に、それぞれの地域に根ざした美しさ・文化があることに気付きます。
平和記念資料館 画像:Naokijp(CC BY-SA 4.0) Wikipediaより
そして、安藤先生は遂に世界に飛び出します。
シベリア鉄道でモスクワへ。
ヨーロッパを回り、地中海沿岸のマルセイユに滞在した後、1回きりの人生でせっかくここまで来たので、とセネガルへ。
ケープタウンを回り、さらにマダガスカル、ボンベイ(現在のムンバイ)まで巡りました。
太平洋で初めて水平線というものを見た安藤先生は、「地球はひとつ」と実感したそうです。(瀬戸内海から見える海の向こうには常に淡路島や四国があり、それまで水平線を見たことがなかったのだとか。)
そして、その時もやはり、あらゆる地域にあらゆる文化と生活が息づいていることを目の当たりにしました。
先生は、「生きるということは面白い」「この社会の中で、自分には一体何ができるのか」と考え始めます。
先生は、講義を聞く学生たちに、「10代〜20代の初めに、自分がどう生きるか(考えさせられるような)体験をしていかないといけない」と説きます。
少し不便な建物を作りまくる
さて、講義の大部分は、先生が手掛けた建築物・プロジェクトの紹介と、その裏話です。
まずは、通称「住吉の長屋」をご紹介します。
この建物は、1979年に完成した個人邸で、日本建築学会賞を受賞した、安藤先生の代表作の一つです。
長屋とは、間口が狭く、奥に向かって細長くのびた形が特徴の家のこと。
安藤先生は、初期に、ローコストの個人邸建築/改修を数多く受注しています。
外壁は、費用を抑えるため、安藤先生のトレードマークであるコンクリート打ちっ放し(塗装やタイル張りなどを施さない、むき出しの状態)を採用し、床や家具は木などの自然材を使用しています。
住吉の長屋 画像:alonfloc(CC BY 3.0) Wikipediaより
そして、狭く長細い形の建物ですが、「小さいながら自分の空を持てる」というコンセプトのもと、真ん中に中庭を作りました。
安藤先生は「これは住人からは大変不評でした」「猛烈に批判されました」と笑います。
部屋から部屋に移動する際、中庭によって隔てられた部屋があるため、そのような部屋から別の部屋へ移動するときに、必ず外に出なければならなくなるからです。(雨天の場合は傘をさす必要があります。)
住吉の長屋の断面図のイメージ 画像:筆者作成
また、エネルギーゼロを目指し、なんと冷暖房は無し!
冬には、とても寒くなるそうです。
「スキーウェアを着て」「アスレチック行って(体を鍛えて)がんばれ」と言う安藤先生。
寒い問題と言えば、もうひとつ……
安藤先生の建築の中でも最も有名ともいえる、通称「光の教会」が挙げられるでしょう。
こちらの建物は、正式には「大阪の茨木春日丘教会」という名前のキリスト教の教会です。
安藤先生は、人々が集まってきて生活の基盤になる場を作るイメージで、80人が入る礼拝堂を設計しました。
光の教会 画像:Bergmann(CC BY-SA 3.0) Wikipediaより
一般的なプロテスタント教会の礼拝堂内では、信者が向き合う壁面に、十字架が掲げられたり、パイプオルガンが設置されたりします。(プロテスタントの礼拝堂は、多くの場合、カトリックなどの他宗派と比べて装飾が削ぎ落とされ、とてもシンプルです。)
一般的な礼拝堂内のイメージ 画像:筆者作成
光の教会では、この壁面は大きく4つのブロックに区切られており、外から日光が射し込むと、文字通り、壁いっぱいに光り輝く大きな十字架が立ち現れます。
キリスト教の聖書の中では、光は大変重要な意味を持ちます。
もちろん、キリスト教徒でなくとも、この十字架を前にすれば、荘厳な気持ちになることでしょう。
光の教会 画像:Bergmann(CC BY-SA 3.0) Wikipediaより
安藤先生は、なんと、当初はこの十字架の部分にガラスを入れないつもりだったのだとか。
「風は……受け止めたら?」と思っていたそうです。
もちろん大反対されまして、結果的には窓ガラスが入っているので、ご安心ください。
さらに大胆なのは、六甲の集合住宅です。
最初に依頼主に建設予定地を案内してもらった安藤さんは、麓の開けた土地についての説明そっちのけで、その背後に聳える急斜面の虜になってしまっていたようです。
理由は、有名な建築家のル・コルビジェが斜面地に建つ集合住宅の絵を描いていたのを覚えていて、どうしてもやってみたかったからだそうです。
六甲の集合住宅 画像:Raphael Azevedo Franca(Public domain) Wikipediaより
しかし、急斜面に大規模な集合住宅を作るのは、至難の技。
周囲からは最後まで「実現不可能」と言われていたといいます。
ところが、安藤先生は、「崩れてもどないかなるやろ」という心意気で諦めません。
当時は「若くて適当だから」できたのだろうと語ります。
日本全体が、今よりもおおらかで大胆なことが許される雰囲気を持っていたのでしょう。
と同時に、日本の建築技術は、世界的に見ても、品質管理やスケジュール管理において最高であったと安藤先生は語ります。
おそらく、その両方があってこそ、奇抜なアイディアが現実のものとなったのだと思います。
森を育てる
安藤先生は、植林など緑化の活動も積極的に行っています。
淡路夢舞台や東京都の都心部の緑化はその代表です。
淡路夢舞台は、かつて土砂の採取場所となり、当時はすっかり禿げ上がった土地でした。
安藤先生は、そこに自然と一体化できるような複合施設のグランドデザインを手掛けます。
鳥や蝶々が来るように、実がなる木を植えたり、水溜りを作ったりしました。
一般的には、建築物を建てたあと、その周りに庭を作ったり木を植えたりしますが、建築物を作る前に植林をし、森ができてきた頃に建築物を作ることにしました。
そして、阪神淡路大震災で亡くなった人たちを思う「祈りの庭」に花を植えました。
「心に残る森を作りたい。心の森を作らないと。それは本来は何も建築物を建てることではなしに、木1本でもできること。自分たちの家の前に大きな木があればじゅうぶん」と語ります。
冷暖房なし・窓ガラスなし・寒い、それは、ずっと一貫した「人間が自然と一体化する空間を作りたい」という信念なんだなぁと感じます。
若者へのメッセージ
最後に安藤先生から、講義を聞く学生たちへのメッセージが語られます。
「地球のために何ができるか」「自分が生きていく社会をどうしたいか」といったことを、大きな規模ではなく、自分自身の中で考えるべきだと安藤先生は言います。
「考えれば、いたずらすること、やることがいっぱいある。ならば、人生は面白くなる」「夢は自分で作り出すもの。向こうからやって来るじゃなくて、自分で追いかけていくものだ」と。
感想
思わずみんなが笑顔になってしまうような、ユルッとおおらかな語り口で進む講義ですが、その端々に、キラッと熱いメッセージが込められている……そんな講義でした。
UTokyo Online Education  建築をつくる、都市をつくる Copyright 2008, 安藤忠雄
筆者は、実は有名な建築家が戦後すぐに作った古い住宅で育っており、周囲の友人たちの多くもまたそれと同時代に建てられた住宅群に住んでいる環境でした。
森の中の、独特なデザインの素敵なお家……しかし、正直に申し上げますと、住んでいた当時は、かなり不便だと思っていました。
古い、汚い、寒い……文句を言い始めると枚挙に遑がないのですが、思い返してみると、最も思い出が深く、未だに家族の話題に上るのは、当時住んでいた家のことです。
「なんでこんなところに出っ張った柱が?」「なんで虫や蛇が普通に家の中に入って来るんだ?」と、日々その不便さと奮闘しつつも、新築の綺麗な住宅と違う歪さが、安藤先生のおっしゃる「心の森」になっていたのだろうと思うのです。
みなさんの心の森はどんな場所ですか?
講義で題材になった建築物・プロジェクト
講義動画では、下記のプロジェクトが題材となっています。
動画にはスライド資料が含まれないため、宜しければ下記のリストをご参照ください。
00:15:00 松村邸|神戸市東灘区(1975年)00:17:03 住吉の長屋(東邸)|大阪市住吉区(1976年)00:22:30 茨木春日丘教会(光の教会)|大阪府茨木市(1989年)00:24:42 水の教会|北海道勇払郡占冠村(1988年)00:27:49 六甲の集合住宅 I〜IV|兵庫県神戸市灘区(1983年〜)00:36:48 淡路夢舞台|兵庫県淡路市(1999年)00:48:05 フォートワース美術館|アメリカ合衆国テキサス州(2002年)00:51:08 表参道ヒルズ(同潤会 青山アパートメント)|東京都渋谷区(2006年)00:53:14 21_21 DESIGN SIGHT|東京都港区赤坂(2007年)00:54:25 東京メトロ副都心線/東京急行電鉄東横線 渋谷駅|東京都渋谷区(2008年)01:03:33 異人館街|兵庫県神戸市中央区北野町01:03:39 国際子ども図書館|東京都台東区(2002年)01:03:48 プンタ・デラ・ドガーナ|イタリア ヴェネツィア(2009年)
〈文・加藤なほ〉
今回紹介した講義:変化する都市-政治・技術・祝祭(学術俯瞰講義)第13回 建築をつくる、都市をつくる 安藤忠雄先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
また、当センターが運営する大規模公開オンライン講座『UTokyo MOOC』では、「Four Facets of Contemporary Japanese Architecture: Technology」というコースを開講しており、こちらにも安藤忠雄先生が出演されています。日本の現代建築を代表する建築家の先生方が実際に現地に赴いてインタビュー形式で作品解説をする魅力的なコースになっています。ぜひ、コースの受講を検討ください。
2024/05/08
UTokyo OCWや東大TVでは、東大で行われた様々な講義や講演会の映像、及びその講義資料を公開しています。
講義を撮影し、配信するまでの過程の中で、重要な作業の一つが著作権の確認・著作物の処理です。
大学の講義で用いるスライドなどは教育目的であるため、インターネット上の画像などを比較的自由に使うことができます。
しかし、その映像やスライドをインターネット上で誰でも見れるように公開する場合は、そう簡単ではありません。画像などに存在する「著作権」を守るため、「スライドに使われている画像は誰が撮影したものなのか」、「どのサイトから取ってきたのか」、「どの書籍から引用しているのか」、「出典を明記すれば使用可能なのか」、スライド1枚1枚を丁寧に確認し、適切な処理をしています。
今回ご紹介する講義を含め、これまでだいふくちゃん通信で紹介してきた講義の資料でも、「著作権等の都合により、ここに挿入されていた画像を削除しました。」などと書かれている箇所や著作権を保護するためのマークなどが見つかると思うので、ぜひ探してみてください。
前置きが長くなりましたが、今回紹介するのは、そんな「著作権」について、弁護士であり様々な機関で著作権に関わるお仕事をされている福井健策先生がお話しになる講義です。
著作権とは何か?
そもそも著作権とは何なのでしょう?
福井先生は一言で表すと「『私に無断で使うな』といえる権利」であると言います。
そしてこの権利は「著作権法」という法律により守られています。
「法律」そのものの歴史は非常に古く、紀元前のハンムラビ法典に始まりますが、著作権法の歴史は比較的浅く、まだ300年程度の歴史しかありません。
著作権という権利が初めて考えられるようになったのは、活版印刷技術の発明により複製が容易になった14世紀頃からです。
その後、音、映像、画像など様々な形の創作物についても「複製」が容易になっていくにつれて著作権が考えられるようになりました。
つまり著作権は複製芸術時代と深くかかわっていると言えます。
創作物の作者が作品により得られる収入を、複製物により妨げられることのないよう保護しているのです。
東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2015, 福井健策
誰しも著作権侵害をしたことがある?
先ほど紹介したように、日本では著作権法により著作権が保護されており、これを侵害した場合は罰則が課されますが、それがどの程度の罰なのか、皆さんはご存知でしょうか?
著作権侵害による刑罰は「10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金、またはその両方」とされています。
映画館で映画を見たときに聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。
これは重い罰であるように思えますが、福井先生によると日本で大麻を栽培したり売ったりするよりも重い刑罰だそうです。
しかし、実際には著作権の侵害で実刑判決が下されることは少ないです。
「著作権侵害をしたことがない人は一人もいない」と福井先生がおっしゃるほど我々にも身近な著作権ですが、普段あまり気にしない人が多いのは、そもそも保護の範囲から除外されるものや例外が多かったり、また侵害かどうかの境界があいまいだったりすることが一つの理由でしょう。
例えば、テレビの番組を録画することは一種の複製ですが、これは誰もが当たり前に行っていることです。これが罰せられないのは、下の画像の「②例外規定」に当てはまるからです。
東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2015, 福井健策
また、著作権を考えるうえで難しいのがパロディや二次創作といった創作活動です。パロディや二次創作は昔から行われてきており、絵画や現代アートにも多く見られます。
日本はパロディ大国と言えるそうで、現在においてはコミケがその例です。
日本で行われているコミケことコミックマーケットは、世界最大規模の同人誌即売会で、ここで売られている同人誌には二次創作のものも多くあります。
現在の日本にはパロディを許すような法律はなく、もし裁判になったら負ける可能性が非常に高いそうです。
しかし、こちらも実際に罪に問われることはまれで、産業として成り立つほど巨大になっています。
どうしてあまり罪に問われることがないのかというと、簡単に言えば見て見ぬふりをされているからだそうで、ある程度であればファン活動の延長として、黙認されているのが現状です。
とはいえ、今後もこのようなグレーな創作活動が見て見ぬふりをされ続けるかは、著作権の前提が変容してきた現在、どうなるか分かりません。
変容する著作権の前提
創作者のビジネスを複製から守るために作られた著作権ですが、従来は、コンテンツが希少であり、複製手段が限られていてそれを捕捉することが可能であるという前提がありました。
つまり、創作物自体の数も少なく、複製が容易になったとはいえ複製される数が限られていて、創作物をしっかり囲い込んで守ることができるという前提のもと成り立っていた制度なのです。
しかし、インターネットなどが発達し、誰でも簡単に創作物や二次創作、複製が可能になった現在では、全てを囲い込むのは困難です。
また、仮に完全に囲い込めたとしても、無料でアクセスできるコンテンツが数多あり、著作権を保護する意味を成さないかも知れません。
このように、現在ではこれまでの著作権制度にあった前提が変容し、そのあり方を見直す必要が出てきました。
東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2015, 福井健策
また、最近では生成AIによる創作物の著作権に関する議論も活発化しており、著作権制度は大きな変革期を迎えています。
講義の後半では、著作権の変革について紹介されており、また終盤には受講生がグループワークで考えた改革案が紹介されています。
誰でも簡単に音楽や画像、動画といった作品を創作し、それをオンライン上でアップロードでき、さらに他者の創作物にも容易にアクセスして複製することが可能になった今こそ、誰もが著作権についての適切な知識を持ち、日頃から意識することが重要であると言えるでしょう。
ぜひ、講義を通して著作権について学び、気をつけるきっかけにしてみてください。
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:媒介/メディアのつくる世界(朝日講座「知の冒険―もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2015年度講義)第10回 変容する、著作権と知の創造/流通/共有 福井健策先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/04/12
いきなりですが、日本国民全体での医療費は、年間いくらくらい掛かっていると思いますか?
2021年度の国民医療費は実に45兆円で、国民1人当たりで考えると約36万円となります。
医療制度によって実際に1人1人が支払う金額はもっと低くなるとはいえ、多くの人は「とても高いな」と感じるのではないでしょうか。
また、高齢化や高額な薬の開発などにより、医療費は過去約10年で5兆円も増加するなど年々増えており、今後も増えていくことが予想されています。
このまま医療費が増え続けてしまっては、現在の保険制度では太刀打ち出来なくなってしまうかもしれません。
こんな問題を考えるとき、薬にどれだけの費用対効果があるか評価することが重要となります。
今回紹介するのは、そんな「クスリとオカネ」について扱った、五十嵐中先生の講義です。
誰しもお世話になるであろう薬や医療について、その費用と効果をどのようにして考えていくべきなのか、一緒に学んでいきましょう!
医療でお金の話をするのは良くない!?
先ほども紹介したように、日本の国民医療費は増加傾向にあり、今後も増加することが予想されています。
医療費の増加は過去にも見られましたが、例えば高度成長期などでは医療費が増加しても、同時に経済も成長するためそこまで問題になりませんでした。
しかし、近年では経済の成長も鈍化し、さらに超高齢化社会に突入したことで医療費も一層増加したため、医療費の増加が無視できない問題となっているのです。
さらに、従来よりも画期的で優れた薬が開発されている一方で、これらは非常に高額であることも多々あります。
以前は「医療でお金の話をするのは、はしたない!」などとも言われ、薬や医療に保険が適用されることが当たり前で、お金について議論されることがあまりありませんでしたが、前述したような背景を踏まえ、2012年ごろから、日本でも「医療とお金」「薬とお金」についての議論が活発になってきました。
特に、日本では国民皆保険により、全ての薬についてその費用を負担するというのが原則とされてきましたが、高い薬が次々使用されるような社会では、全てを負担するには限界があります。
そこで、薬の値段をどのように設定し、また保険でどこまで負担すればいいのかといった議論が必要になります。
このとき、薬にかかる費用と、その薬を使うことでどれだけの効果があるのかを評価することが重要となります。
薬の効果をどのように評価するのか
費用とその効果を一般的に「費用対効果」と言い、一般的には、何かを行うことで得られる効果(=利益)が、それにかかる費用と比較してどれほどであるかを評価します。
例えば、オリンピックの経済効果は、初期費用や運営費などに対し、開催により得られる収益がどれだけ大きいかなどについて考えることとなります。
しかし、医療の世界で費用対効果を考えるのはそんなに簡単な話ではなく、多くの場合、薬の費用がそれにより削減できる医療費を下回ることがある——つまり経済的なメリットがあるケースはほとんどないそうです。
これは、医療の世界では、単に経済的な効果を考えるだけでなく、健康上のメリットそのものも効果として考える必要があるからです。
そこで、「増分費用効果比(ICER, Incremental Cost-Effectiveness Ratio)」という定量的な値により費用対効果を評価する方法があります。
ICERというのは、例えば既存薬と新薬を比較したとき、「新薬の導入による費用の増加分」と、「新薬の導入による効果(例えば導入により救えるようになる人数)」との比のように、費用の増加とそれによる効果の比を示す値になります。
少し難しそうに聞こえますが、講義でも紹介されているようにお弁当を例に考えればより分かりやすくなると思います。
800円の鮭弁当と1200円の焼肉弁当を比較するとき、多くの場合は、鮭弁当から差額の400円を支払うことで、「どれだけ嬉しさが増すか」について考え、判断するのではないでしょうか。
この「どれだけ嬉しさが増すか」を、効果に置き換えればいいのです。
医療の効果をはかるには?
ICERは費用の増加分とそれにより得られる効果の比だと紹介しましたが、この「効果」をどのようにして測るかも重要となります。
効果の指標としては様々ありますが、例えば、ここで「生存年数(寿命)」を効果と捉えることとします。
このとき、「飲んだら生存年数が変わるわけではないが、死ぬまで健康でいられる」薬には効果がないこととなってしまい、これは違和感があるように思えます。
そこで、生存年数をもう少し合理的にした効果として扱う指標が「質調整生存年(QALY)」です。
簡単に言えば、健康状態をQOL(Quality of Life)で点数付けし、これを生存年数に加味した指標となります。
例えば、寝たきりの健康状態を0.3 点としたとき、「10 年寝たきりで過ごす」ときのQALYは0.3 点 × 10 年 = 3 QALYになります。一方、完全健康状態(1 点)で10 年間過ごす場合は、1点 × 10 年 = 10 QALYとなります。
ここで、QALYを薬の効果として考えてみましょう。
「飲むことで余命は改善できないが、健康状態が良くなる(0.6 点になる)」薬を10年間使った場合、薬を投与した場合のQALYは0.6 点 × 10 年 = 6 QALYとなり、薬を投与せず寝たきりのときの3 QALYよりも3 QALY分高くなります。
この改善された3 QALYが、この薬のもつ「効果」であると定量的に考えることができるのです。
そして、このQALYと費用の比を考えることで、ICER、つまりは費用対効果を考えることができるようになります。
さて、ここまで医療や薬における「費用対効果」について紹介しましたが、実際にはどれだけ費用対効果があればその薬を採用したらよいのでしょうか?その費用対効果に基づいて、どれだけの値段をつけたり、どれだけ助成したりするとよいのでしょうか?
また、薬の効果を考えるのに用いたQALYそのものは、どのようにして健康状態に点数付けを行うのでしょうか?
医療の効果をはかるためにはまだまだたくさんのことを考えていく必要があります。
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:新しい医療が社会に届くまで ~データサイエンスが支える健康社会~(学術俯瞰講義)第11回 命とオカネ、くすりとオカネ…くすりの費用対効果とは? 五十嵐中先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/03/29
みなさんは「脳科学」がどのような学問かご存知でしょうか?
その名の通り脳について知ろうとしているのだろう、ということは想像がつきますが、「いつ始まり、どのようなことがどのように解明されてきた学問なのか、詳しくは分からない」という方も多いのではないでしょうか。また、脳は我々人間、ひいては生物にとってとても重要なものであり、誰しも興味の湧く分野であるとも言えるでしょう。
そこで今回紹介するのが、「脳科学の過去・現在・未来」と題された四本裕子先生による講義です。
脳科学の歴史を通し、脳科学で過去にどのようなことが行われていて、そして今はどのようなことが行われているのかを学び、一緒に脳科学の世界に一歩足を踏み入れてみましょう。
古代の脳科学
そもそも「脳科学」とはどのような学問なのでしょうか。
講義では、脳科学の歴史が古代、近代、現代の3つに大別され、各時代の脳科学について紹介されます。
まず、四本先生が「古代の脳科学」として紹介するのは紀元前3500年〜1900年ごろの話です。
紀元前というと遥か昔の話ですが、どうして紀元前の脳科学について知ることができるのでしょうか?
一つの手がかりとなるのが当時の人間の化石です。
古代インカの遺跡から発掘された人間の頭蓋骨に、手術のために開けられた穴が見つかりました。穴の周りは滑らかになっており、これは手術の後もその人物が長く生存し、骨組織が修復されたことを示しています。
このように、化石を分析することで、脳に関する科学は古代からおこなわれていたことが分かっています。
また、科学的な医学を発展させたことから「医学の祖」とも言われる、古代ギリシャの医者・ヒポクラテスは、「心の座」が脳にあると考えた初めての人物だと考えられています。
したがって、紀元前の時代から脳に関する科学は始まっており、さらに脳が認知や思考と関係があることが当時から分かっていた、ということが言えるのです。
近代の脳科学
次に、近代に位置づけられる1900年以降には、細胞の染色ができるようになったことで、脳の部位によって細胞の染まり方が違う、すなわち細胞のかたちや特性が違うことが分かってきました。
さらに、脳の各部位に電極をつけて刺激を与えると足や手などが動くことが観測され、各部位が異なるはたらきを担っていることが徐々に分かってくるようになります。ちなみに、このような脳の「機能局在」を明らかにしたペンフィールド博士は、カナダの切手になっているそうです。
やがて、2000年ごろには、MRIをはじめ様々な脳機能測定法が発達し、脳のどこがどのような形をしており、どのような役割を担っているかがより詳細に分かるようになりました。
より高次で複雑な脳のはたらきも分かるようになります。例えば、プロの音楽家と音楽経験のない人とでは、脳の特定の部位の大きさが違ったり、病気のある人とない人とで異なっていたりと、特技や病気などパーソナリティによる差があることが観察されました。
このように、1900年から2010年くらいにかけて、それぞれの部位がそれぞれ異なった機能をもっており、さらに各部位の大きさなどには個人差があるということが分かった時代でした。
一般化可能な差と一般化不可能な差について考える
さて、脳科学では色々なことが明らかになっているようですが、現在の脳科学にはどのような特徴があるのでしょうか?
その鍵は脳の「多次元性」にあります。
ですが、多次元性について考える前に、まず「平均値の差」について簡単に触れておきます。
下の図のように、ある2つのグループ(ここでは1組と2組)について成績を比べたとき、そこには「個人差」と「グループの差」があります。
個人差は、各グループ内での個々人の成績の差で、グループの差は、例えば青い棒のようにそれぞれのグループでの成績の平均値の差といえます。
次に、2つのグループの差について、下のようなグラフを見てみましょう。
例えば、オスとメスに分類されているカブトムシの角の大きさについて考えます。
このグラフでは、横軸が角の大きさで縦軸が頻度(その角の大きさのカブトムシの数)を表しており、オスについての分布を赤、メスについての分布を青で示しているとします。
ご存知のように、普通カブトムシはオスの方が角が大きいため、角が大きい側にオス(赤)が偏り、小さい側にメス(青)が偏っていることが分かります。
このとき、オスかメスか分からないカブトムシについて、角の大きさからオスであるかメスであるか判断するとします。
もし、角の大きさが赤線の分布の範囲であれば、そのカブトムシはオスで、青線の分布の範囲であればそのカブトムシはメスであると言えそうです。
これを一般化可能な差であると表現します。
一方で、もし角の大きさの分布が上のグラフのようになっていた場合、オス(赤)とメス(青)で、そこまで分布に差が見られません。
よって、オスかメスか分からないカブトムシの角の大きさを測っても、このグラフからはそのカブトムシがオスであるかメスであるかは判断できないこととなります。
これは、グループの差よりも個人の差の影響が大きい場合とも言い換えることができます。
このような差を、一般化不可能な差であると表現します。
そして、「世の中のほぼすべての人間の特性や能力に関する差は、一般化不可能な差である」と四本先生は言います。
つまり、脳科学でも「音楽家の○○の領域が大きい」とは一概に言うことができず、そこには個人差が大きく関係するということになります。
脳の多次元性から脳を科学する
では、ここまで紹介したような一般化できない差について、現在の脳科学ではどのようなアプローチがなされているのか見ていきましょう。
ここで重要となるのが、先ほども挙げた「脳の多次元性」です。
例えば、「脳領域A」と「脳領域B」の活動量について男女の差を考えるとき、それぞれの領域を単独でみても大きな差が見られない場合があるとします。
しかし、横軸に「脳領域A」の活動量、縦軸に「脳領域B」の活動量をとって二次元にしてみると、下の図のように少し男女で特徴がみられるようになることがあります。
さらに「脳領域C」の活動量という軸を増やし、三次元で解析を行うと下の図のように男女の差がより明確になるかもしれません。
このように、脳の領域を細かく分けていき、その組み合わせによってどのような特徴がみられるのかを分析し、脳の差について考えるのが「脳の多次元性」の分析になります。
四本先生の研究室では、脳領域を84に分け、3486次元での解析もおこなわれているそうです(計算には1週間以上かかるらしいです)。
おわりに
ここまで脳科学の歴史について紹介してきましたが、脳の多次元性について、講義ではより詳しく説明されています。
ここまで読んで、「興味は湧いたがいまひとつよくわからない」という方は、ぜひグラフをたくさん使って丁寧に説明がなされている講義をご覧ください。
また、四本先生は講義中、間違った一般化の危うさなどにも触れられています。
特に、テレビなどのメディアで脳科学について取り上げられる際は、間違った一般化が行われていることが多くあるため、鵜呑みにすべきではないと、先生は警鐘を鳴らしています。
脳科学に限らず、多次元性を理解し、多様性を科学的に理解することが重要だということは、誰しも知っておくべきことと言えるでしょう。
さらに、講義の後半には「脳科学と心理学」や「意識」についてなど、興味深い質疑応答・議論が続きます。
こちらも併せて見ていただけると、馴染みのなかった脳科学についてより興味が湧くことでしょう。
<文/大澤 亮介(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:30年後の世界へ ―「世界」と「人間」の未来を共に考える(学術フロンティア講義)第7回 脳科学の過去・現在・未来 四本裕子先生
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2024/03/06
エネルギー:2700kcal、タンパク質:65g、食物繊維:21g以上、ビタミンC:100mg、…
これは厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」に示されている30歳〜49歳の男性の摂取基準です。現在は、どのような栄養が体にどのような影響を及ぼすのかある程度分かってきており、はっきりとした栄養の摂取基準が示されています。
しかし、昔は分からないことも多く、経験則的に摂るべきもの摂らざるべきものを決めていることも多くありました。
そんな健康に関する実践の学問が「疫学」です。今回は佐々木敏教授と共に疫学の実践の世界を見ていきましょう。
疫学とは
そもそも疫学とは何でしょうか?
先生の言葉をそのまま引用すると「明確に規定された人間集団に出現する健康問題の色々な事象の頻度と分布、およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」です。
ここで言う「明確に規定された人間集団」とは、言葉の通りかなり明確に定義されるもので、例えば「○月○日のどこどこの講義室にいた人たち」といった形で定義されます。そして、疫学の目的を簡単に述べると「それは人(集団)で起こるか」「それは現実的に意味があるか」の二つの点に答えることだと先生は言います。
疫学の代表的な例としてイギリスのある地域におけるコレラの流行とその発生源の特定の話を見てみましょう。
1800年代に、コレラは3度の世界的流行を見せ、ヨーロッパを中心に多くの死者を出しました。その3度目の流行は1852年~1860年にかけて発生し、イギリスのロンドンでは1853年~1854年にかけて10,738人がコレラにより死亡しました。
細菌(コレラ菌)がコッホによって発見されるのは、30年後の1884年のことであり、感染が流行した当時はまだコレラが細菌感染によって引き起こされるという発想自体がなく、空気に乗って病気自体が感染していくものだと考えられました。いわゆる「ミアズマセオリー(瘴気)」という考え方です。
そんな中、ジョン・スノーという麻酔科医はイギリスのある地域での流行は汚染された水によって引き起こされているのではないかと考えました。そして、患者や死者の家をマッピングするという調査の結果、感染源となっていた井戸を突き止めました。その井戸を使わないようにした結果、コレラの感染が止まったのです。
このジョン・スノーの活動は非常に疫学的なものだと佐々木先生は言います。井戸を閉じたことによって感染が収束に向かったのか、そもそも感染が終わりかけだったからたまたま対策をしたタイミングで感染が収まっていったのかはよく分かりません。ジョン・スノーは細菌の存在を知らなかったため、井戸を閉じることに効果があるという証拠を示す証拠を示すことはできませんでした。ただ、現場での調査と観察の結果から結論を導き出したのです。疫学は証拠は見せられず実際に何かが起こっている現場だけを見せることができる学問だというのが佐々木先生の考えです。ジョン・スノーの調査が後から「井戸水が細菌によって汚染されていた結果感染が拡大していた」と理論づけられたように、現場での観察が後の時代になって理論になるということなのです。
栄養の不足~脚気の例~
次に栄養の観点から、栄養が不足している状態と過剰な状態によって起きる健康問題とそれらへの対策について見ていきましょう。
皆さんは「脚気」という病気をご存じでしょうか? 脚気とはビタミンB1の不足によって心不全や末しょう神経障害が引き起こされる病気です。ビタミンB1はブドウ糖をエネルギーに変換する際に必要となりますが、体内で生成できないため、ビタミンB1を含む食べ物を取る必要があります。
しかし、古くはビタミンB1の存在が知られていなかったため、脚気は謎の病気でした。ビタミンB1はお米のぬかに含まれているのですが、江戸ではお米を精米して白米を食べるようになっていたため、江戸に行くと脚気になり、地方に戻ると治るということから、江戸時代には「江戸患い」とも呼ばれていました。
明治期になっても脚気は日本の国民病の一つであり、特に軍隊では多くの患者や死者が出たため大きな問題になっていたのです。そこに登場したのが高木兼寛(たかき・かねひろ)という海軍の医者でした。(高木は海軍にカレーを導入した人物としても知られています。)
高木はイギリス留学中に、イギリスに脚気がないことを不思議に思いました。また、日本の船でも外国の港に入港している時には脚気は発生せず、衛生環境がそれほど良くない獄中の囚人にも発生がないことに気が付きました。
高木は以上の観察から軍の食事を洋食化すればよいのではないかと考えました。しかし、日本の軍隊において洋食は嫌われ、加えて予算が潤沢にあるわけではなく、なかなか洋食化は進みませんでした。また、高木の考えはただの説に過ぎず、実証しなければ信じてもらえない状況でした。
そこで高木はほぼ同じ航路、航海日数、乗員の演習航海を利用して対照実験を行いました。当時はビタミンの概念はなかったため、高木はタンパク質に脚気解消のキーがあるのではないかと考えました。食事の内容だけを変え、それぞれ白米中心の和食と大麦や牛肉、大豆といったタンパク質が多い食事を乗員に与えたのです。その結果、タンパク質の多い食事を与えた演習艦では脚気は発生しませんでした。
高木の唱えた説は、実際のところ間違っていました。皆さんはすでにご存じのように脚気の原因はたんぱく質(窒素)ではなく、ビタミンB1です。しかし、高木が勧めた食事自体は正しく、ビタミンB1が十分に含まれているものでした。
この実践こそが疫学だと佐々木先生はおっしゃいます。高木は日本での知名度は低いものの、国際的に高く評価されているのです。
栄養の過剰~食塩~
次は栄養が過剰な状態、特に食塩が過剰な状態を見ていきましょう。
皆さんは日々自分が採っている塩の量を気にしていますか? WHOは「生活習慣病対策のために世界が行うべき5つのアクション」の2番目に食塩を挙げています。つまり、食塩は生活習慣病におけるかなり重要なファクターになっているのです。
特に関わってくるのが高血圧症です。塩分を取りすぎると血圧が上がるというのは周知の事実だと思いますが、実際どのように血圧は上がっていくのでしょうか?
年齢が上がると急激に上がるようなイメージがありますが、そうではありません。摂取する食塩の量に応じて、血圧は線形的に上がっていくのです。また、一度上がってしまうと、減塩をしても1ヶ月ほどで下げ止まってしまい、大きく下がることはありません。つまり、若いころから日々気を付けることが高血圧症予防には効果的なのです。
では、どれくらいの食塩を取ればよいのでしょうか? 厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2020年版)」によると、成人一人の1日の必要摂取量は食塩相当量で1.5gです。しかしこれは「必要な」量であるので極めて少なく、これを守ろうとしたら味気ない食事になってしまうでしょう。これは必要摂取量なので最低限の量です。
実際、日本人は平均して10gを超えた量を食べていると言います。アメリカの研究では1日3gの減塩をすることで死亡率が3%下がるという結果が出ています。しかし、3gの減塩はかなり厳しく継続して行うことは難しいです。1gの減塩でも大きな効果があります。そして、1gであれば日々減塩を行うことが可能です。日本人の目標摂取量は7.5g未満、血圧が上がらない摂取量の上限は5gです。みなさんも、ぜひ自分が日々採っている食塩の量について考えてみてください。
学際的な思考を身に付ければ楽しくなる
ここまで主に「観察」について紹介しましたが、講義内で紹介されていた「実践」の事例はお伝えしきれていません。疫学は実践あってこそなので、是非具体的な実践の事例は講義を確認してみてください。
佐々木先生はまとめとして「学際的な思考を身に付ければ楽しくなる」とお話ししていました。例えば、最初に紹介したジョン・スノーは麻酔科医であったため、気体に詳しく、感染症の専門家でなくてもコレラの感染の仕組みが空気感染によるものではないと見抜くことができました。
栄養学は、日本には専門に学べる学校があるわけではなく、様々な専門家が集まって成り立っている学問です。このように、多様なバックグラウンドを持つ専門家が集まることで面白い発見があることがあります。ひとりで様々な分野に首を突っ込むのではなく、多様な分野の友人・知人を作ることで自分が助けられるかもしれません。その一端を、講義を視聴して感じてみてください。
<文/園部蓮(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)第5回 栄養疫学の視点から 佐々木敏先生
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2024/02/02
2017年、本郷キャンパスの総合図書館の地下に新館ができたことを知っていますか?これは、東京大学生産技術研究所の川添善行先生が中心となって設計したものです。今回はその川添先生の講義を紹介します。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
突然ですが、皆さんは以下の二つの文章の違いを説明できますか?「重力加速度は9.8である。」「その件については、 明日、私から彼に話します。」
前者はどの国においても文脈によらず同じ意味を持つ文、後者は「その件?彼って誰?」と、文脈がないと全くわからない文だと言えます。
川添先生は、この二つの文章の違いが建築の歴史において重要な意味を持つと言います。一体どういうことなのでしょうか。はじめに建築の歴史の概略を見ていきましょう。
建築の歴史をサクッと振り返る
まず古代において、世界の美しさは整数の比で表されるものであり、建築も比例によって構成されるから美しい、と考えられていました。(音階や図形の弦の長さ、建築でいうとギリシャのパルテノン神殿などがその例です。)
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
中世に入ると修道院が生まれ、森の中にあった修道院が町の中に建設されるようになります。街の人たちはそこで修道士からキリスト教を教わりました。ステンドグラスなどで装飾された美しい建築物は、文字がわからない人たちにキリスト教を体験させる装置として機能していたのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
近世に入ると自然科学の考え方が発展していき、黄金比などのギリシャ時代の考えをどう建築に適応するかという流れができます。(16世紀は建築のルネサンスとも言われています。)
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
さらに近代では、進化論の考えによって建築の世界が大きく揺らぎます。適者生存で未来に行くほど良くなっていく、という進化論は、今までに見たことのない建物を作るのが良いのだというモダニズムの考えを生み出したのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
建築を「よむ」「かく」ということ
さて、ここまで建築史を大まかに振り返ってきました。ここからは、それをもとにこの授業のメインテーマである「建築をよむ・かく」ということの意味について具体的に考えていきます。
川添先生が定義する「建築をかく」とは、図面を描くことで、「建築をよむ」とは、建築を見ることで世界の有り様が見えてくることだと言います。建築の特徴を分析することで、その土地の気候や地理などを知ることができるということです。
過去の建築やそれを取り巻く文化や歴史を探る「建築をよむ」という行為と、未来の建築の意匠を考える「建築をかく」行為は全く別のもののようですが、川添先生は、両者は不可分なものであると言います。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
冒頭では、前後の文脈がなくても伝わる文章と、文脈に依存する二つの文章の違いを比較しました。
では、建築の場合は、
「もともとある土地環境」を前後の文脈ととらえ、「新しく設計する建物」を文章とすると、新しく建物を作るときに、どの程度土地環境を考慮する必要があるのでしょうか。過去の建築や土地環境を「よむ」ことと、新しい建築を「かく」ことの一体はどのくらいできるのでしょうか。その問いに対する探究の過程として、川添先生が手掛けた建築の事例をいくつか紹介します。
事例①栃木県佐野市
川添先生は、佐野市の特産品でありながら技術の継承が危ぶまれている飛駒和紙を建築に利用しました。小さな建築でありながらもその土地に根差した特産品を使用することで風景に接続するという可能性を探ったと言います。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
事例②長崎県佐世保市
佐世保市ではかつて造船業が盛んでしたが、最近ではその生産は勢いをとどめています。そこで川添先生は、建物の設計に造船の技術を用いることを考えました。2mの鉄の柱に水やお湯を流すという空調システムをデザインし、そのシステムに造船の技術を用いることで、水分が漏れることのない設計を実現したのです。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
事例③岩手県大槌町
岩手県大槌町では、東日本大震災での津波で荒廃した町の中に、地元の人と一緒に手作りの屋台を建てました。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
廃墟のようになってしまった町の中で、ある場所に光が灯されることによって新しい土地ができていくという、「よむ」・「かく」の両方向性を感じることができる事例だと言います。
事例④東大図書館新館
2017年、東京大学本郷キャンパスの地下に、「新館」と「ライブラリープラザ」という空間ができました。工事の過程で、昔の図書館の基礎や、加賀藩前田家の上屋敷の遺構が出土しました。それらの一部は現在もベンチなどに姿を変えて利用されています。
東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 川添善行
また、夏目漱石の『三四郎』に記述されている執筆当時の景色も考慮しながら設計を変更していったと言います。過去を注意深く「よみ」ながら、未来の建物を「かいて」いくという、建築における両者のスパイラルの実践例になりました。
建築の普遍性と特殊性
ここまで、「重力加速度は9.8である。」「その件については、 明日、私から彼に話します。」という二つの文章が建築においてどのように異なり、そしてどのように交わるのかということを見てきました。これは普遍性と特殊性の話と言い換えることもできます。未来の建築を作るだけでも過去の建築を見るだけでもなく、両者が円環状に関連していくということが大切だといいます。
講義動画では、先生の手掛けた事例をさらにたくさんの写真と併せて見ることができます。ぜひご覧ください。
<文/下崎日菜乃(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
今回紹介した講義:情報<よむ・かく>の新しい知識学(学術俯瞰講義)第3回 建築をよむ・かく 川添善行 先生
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