だいふくちゃん通信

2023/12/19

「日本の近代建築」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。

丸の内に残る東京駅や三菱一号館のような、煉瓦造りのかっこいい建物? 鉄筋コンクリートやガラスでできたシンプルな高層ビル?

建築史に興味がある人なら、ル・コルビジェ設計のピロティが美しい国立西洋美術館を思い浮かべるかもしれませんね。

いずれにしても、明治維新以後、外国から日本に持ち込まれた、西洋的な建築物を思い浮かべる人が多いはずです。

では、日本の建築における近代化とは、建築の西洋化とイコールなのでしょうか?

19世紀以降世界中に広がった近代化は、西洋で生み出された技術や美意識が各地の文化を飲み込んでいく、「均質化」だったのでしょうか。

実はそうとも限らないのです。近代化という明治維新以降の日本を襲った大きな波のなかで、建築家たちは単なる西洋建築の模倣に限らない様々な表現を生み出してきました。

そしてその表現の歴史を紐解くことで、人間が何かを作る、何かを生み出すという行為の背後にある複雑さ、面白さを垣間見ることができます。

今回紹介するのは、建築史研究者としてその魅力を追い求めた鈴木博之東大名誉教授の、35年にわたる東大での研究・指導の締めくくりとなった最終講義です。

鈴木博之最後の講義

鈴木先生は1968年に東京大学工学部建築学科を卒業。1974年の講師就任から2009年の退官まで35年間に渡り、東京大学で教鞭を取ってきました。

一研究者の立場を超え、著名な建築家である安藤忠雄さんの東大建築学科教授就任の人事、東京駅の駅舎復元、国立競技場コンペの審査員など、日本の建築界の分岐点となる重要な出来事に中心人物として関わりながらも、2014年に68歳の若さでこの世を去った鈴木先生。

東大での最後の講義として福武ホールで行われた本講義では、鈴木先生が何を考え、どんな人に出会い、何に刺激を受けながら研究を積み重ねてきたのか、たくさんの事例とクスッと笑えるようなエピソードトークと共に鈴木先生自らが振り返ります。

偉大な教授も昔は一人の野心あふれる学生だったのだなあと親近感を覚えると同時に、野心を忘れず人脈を広げながら己の探究を深めていく様に身の引き締まる思いのする、とても魅力的な講義です。

なお、最終講義に先駆けて1年間に渡り開講された学術俯瞰講義『変化する都市-政治・技術・祝祭』もOCWで視聴できますので、興味のある方はそちらもぜひご覧ください。

建築の近代化再考

鈴木先生が建築史の研究を通して向き合った大きなテーマは、建築における「近代の相対化」です。

近代化を促進する役割を果たしてきた工学部に所属するからこそ、近代化を必然的・絶対的な流れとせず、批判的に捉える必要があるのではないかと考え、現代へとつながる建築の近代化の系譜を再考しようとしました。

鈴木先生はそのキャリアの中で、いくつもの問いに向き合ってきました。本講義ではそれぞれについて鈴木先生が研究した事例や関わったプロジェクトをたくさん例に出しながら先生なりの答えが提示されますが、ここではその一部を抜粋してご紹介しましょう。

近代化≠西洋化?

一つ目は近代化が建築においてどのように表現されてきたか、という問いです。

冒頭でも述べたように、日本のような非西洋諸国における近代化は、西洋化と「≒(ニアリーイコール)」なものとして考えられがちです。

これに対して鈴木先生は、日本の近代建築の事例を出しながら、近代化や現代化は西洋の模倣といった単純なものではなく、その土地の伝統的な文化や作法などといった「過去」が様々な形で解釈されながら新しいものが生み出されていく、複雑な過程なのだと答えます。

例えば、代々木体育館や東京都庁の設計で知られ、戦後東京の都市計画にも深く関わった丹下健三の建築。

彼の代表作である広島の平和記念公園は鉄筋コンクリート作り、ピロティつきの、一見西洋近代的な建築です。しかし実はこれも、日本の伝統的な建築様式で建てられた厳島神社の読みかえなのではないか、と鈴木先生は指摘します。

UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之

確かにこの二枚の写真を見比べると、横長の社屋や高床など、似ている部分が多い気もしますよね。

さらに、ピロティの下を抜けると慰霊碑があり、慰霊碑の隙間を覗いた先に原爆ドームがあるという空間構造は、まさに厳島神社の鳥居ー社殿の吹き抜けー御神体の山という軸線構造を応用させたものなのではないかというのです。

厳島神社では海が軸線を守っていますが、平和記念公園でも同様に慰霊碑と原爆ドームの間は長い水路になっています。

(余談ですが、この話を聞いて私は映画『ドライブ・マイ・カー』で主人公たちが訪れる広島市のゴミ処理場を思い出してぞくっとしました。このゴミ処理場は違う建築家の作品ですが、原爆ドームと平和記念公園を結ぶ平和の軸線をゴミ処理施設が遮らないよう、軸線上だけが吹き抜けになっているのです。)

このことから丹下は、日本の伝統的な建築の持つ「超越性」を近代建築に取り入れることに成功していると言えます。

そしてこの超越性の発想は皇居周辺を含む東京の都市計画にも反映されていくのですが、この続きはぜひ講義本編をご覧ください。

このように、日本の建築家たちは西洋からもたらされた技術を取り入れつつ日本のレガシーを様々に折り重ねながら建物の近代化を進めていきました。

私たちが普段何気なく利用している建物にも、かつての建築家が解釈した日本の伝統文化のエッセンスが含まれているかもしれないと思うと、建築の見方も変わってきますよね。

土地の所有形態が近代化を紐解く鍵?

鈴木先生が取り組んだ二つ目の問いは、建築の近代化において「場所性」がどのような意味を持ったか、ということです。

建築の近代化といっても、全ての場所で同様に進んでいったわけではもちろんありません。

東京の中でも一気に変化が起きた場所もあれば、徐々に建物が置き換わっていった場所もあります。江戸時代までの区割りがそのまま生かされた地域もあれば、昔の面影が全くみられない地域もあります。

そして近代化のプロセスに大きな影響をもたらした「場所性」は現代の都市の土地利用や都市計画の進み方の違いにも現れています。

この場所による近代化のプロセスの違いはどのように生まれるのでしょうか?

鈴木先生が注目するのは、場所、つまりその土地が誰によってどのように所有されていたか、ということです。

こちらの写真をご覧ください。

UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之

どこだかお分かりでしょうか。そう、東京駅前の丸の内エリアです。

丸の内といえば、一つ一つのビルがとても大きく、しかもエリア全体で同じようなタイプの近代的な建築物が並んでいるイメージがありますよね。

それもそのはず、丸の内エリアは元を辿れば皇居のお膝元の広大な大名屋敷街。そして明治維新後その十万坪もの広大な土地をまとめて払い下げられた岩崎家(三菱財閥創始者一族)によって一挙に開発が進められてきたエリアなのです。

このように、まとまった広い土地を所有している地主を集中型大土地所有者と呼びます。

集中型大土地所有者による開発は非常に大規模で、単なるビル建設などではなく「まちづくり」と呼ばれるスケールで行われます。

そしてこのような土地では都市が変化していくスピードも速い。実際、丸の内エリアでは講義が行われた2009年時点で、その30年前に建てられたほとんどの建物が建て替えられていたそうです。

これに対し、江戸時代以来の大店である三井家など、まとまってはいないけれど各地にたくさんの土地を集積して持っている地主を集積型大土地所有者と呼びます。

集積型大土地所有者はあちこちに散らばる土地を全て自分で管理することは難しいため、土地を貸すことで収入を得ます。

よって集積型大土地所有者が所有する土地では、ある一定範囲の宅地開発などが業者によって行われたりします。

さらに狭い面積の土地を持つ地主は小規模土地所有者と言われますが、彼らはより利回りの良い家貸しをするため、小さな貸家がひしめき合う下の写真のような都市景観が形成されます。

UTokyo Online Education 建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義) Copyright 2008, 鈴木博之

そしてこのような異なる所有の仕方をされた土地がモザイク上に組み合わさることによって、多層的な都市景観、土地利用が見られるようになったのです。

日本における建築の近代化がいかに一筋縄では捉えられないか、わかっていただけたのではないでしょうか。

これをヒントに、あなたがいつも通る土地の景観はどのような発想によって、どのような土地所有の形態によって生まれたものなのか、調べてみるのも楽しいかもしれません。

建築:未来への遺産

さらに講義の最後では、鈴木先生がずっと関わってきたアンコールワット遺跡の修復をはじめとする建築保存という試みについて、一見浮世離れして実利がないと思われがちなこの活動がどのように現代に響きうるのか、リアルな経験談を交えながらお話しされています。

講義全体を通じて、鈴木先生は建築という表現のなかで近代化のその前から現代まで残り続けているものをさまざまな観点から紐解き、私たちに見せてくれるようです。

これを受け継ぐ私たちは、未来に何を遺すべきなのか。

鈴木先生が遺してくれた思索の道筋をたどりながら、一緒に考えてみませんか。

<文/下山佳南(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

今回紹介した講義建築:未来への遺産(鈴木博之最終講義)第1回 鈴木博之 最終講義 鈴木博之先生

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2023/11/17

小学校、中学校の義務教育のあと、高校に行き、大学へ進学する

そしてその後は社会で働く…

私たちは、学びの場の最終段階として(もしくは働き始めるまでの最後の学生生活の場として)大学を位置づけています。

しかし、大学は単なる教育機関ではなく、研究の場でもあります。そして、そこで得る知の在り方も、それまでの小中高の課程で学んできたことから大きく隔たっています

そのため、高校を卒業して大学に入ると、しばらくのうちは、それまでの受験勉強的な学びとのギャップに困惑し、大学という場所で何をすべきなのか掴めない日々が続くかもしれません。

それどころか、大学を卒業してもなお、大学で教えられたこと、学んだことがどういった意味を持つのか、分からないままになってしまうこともあるでしょう。

そもそも、大学とはどういった場なのでしょうか?

私たちはなぜ大学で学んでいるのでしょうか?

大学は、何処から来て何処へ行くのか

今回紹介するのは、社会学者の吉見俊哉先生による2014年開講「新・学問のすゝめー大学は、何処から来て何処へ行くのか」という講義です。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉

これは東京大学の歴史を学ぶオムニバス講義「新・学問のすゝめー東大教授たちの近代」の第1回で、世界の大学の成り立ちまで遡り、大学のこれまでとこれからについて考えています。

講義は、東京大学に入学した1、2年生を主な対象としたもので、東大(大学)がどういった場であるのかが、初学者に分かりやすく解説された内容になっています。

これから大学で学びを深めていく学部生はもちろん、すでに大学を卒業しつつも大学の在り方に関心のある方は必見の講義です。

大学が直面している困難

大学の歴史を振り返る前に、講義ではまず「大学の現在」について語られます。

吉見先生は、現在の日本の大学は、時代の変化に伴ういくつかの困難に直面しているといいます。

その大きなひとつの要因は、知識のグローバル化です。大学制度が世界的に広がったことで、アカデミアが国際的な競争に晒されることになりました。

また、著しい情報爆発も深刻です。デジタル化により世界中の多様な情報にアクセスできるようになったことで、知識の複雑化とボーダレス化が進んでいます。

一方で、大学の数の増加と少子化によって、志願者が減少していることも大きな問題になっています。志願者数の減少は、大学の質の低下にも直結します。

この困難は不可逆な変化によるもので、既存の大学システムのままで対応できるものではありません。

大学は、いまひとつの転換期を迎えているのだといえます。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉

大学は2度生まれているー中世の大学

大学はいま転換期を迎えていると述べました。

しかし実は、大学は過去に一度大きな転換をすでに経験しているのです。

その転換が起きたのは、16世紀のこと。グーテンベルクの活版印刷によって、本が大量生産されるようになった時代でした。

大学の始まりは、それから300年ほど時代を遡ります。

一番最初にできた大学は、1158年のボローニャ大学だといわれています。1231年にはパリ大学ができました。

時代は中世。中世都市に最初の大学ができた背景には、中世都市の交易ネットワークの興隆がありました。

当時は、デジタル機器どころか本すらまともに流通してない時代。なにか知識を求める際には、その知識をもつ知識人に会いに行って直接話を聞くか、修道院などに収蔵されている写本を読むしかありませんでした。

つまり、「学び」と「旅」は不可分な存在だったのです。

旅をする際には自由な移動が必要で、都市の支配層に対抗しなければいけませんでした。

その後ろ盾として教皇権や皇帝権を巧みに利用し、資本として知識を擁して結成された協同組合が、中世の大学でした。

しかしその後、14世紀から16世紀にかけて大学の数が増加し、単なる資格授与機関として知の形骸化が進んでいきます。

また、宗教改革によって宗派ごとに大学に断絶が起きたり、国家形成によってヨーロッパを横断するような知のネットワークが作られにくくなったりしたことで、中世的な大学のシステムが機能不全になっていきました。

追い打ちをかけるように、グーテンベルクの活版印刷により、大量に複製された知識(本)が普及します。これにより、中世的な大学システムの基盤は失われてしまいました。

その後、16世紀から18世紀にかけて、知識は「大学」よりもむしろ「出版」によって生み出されるようになります

デカルトやパスカルといった、16世紀から18世紀にかけて活躍した大思想家のような人を思い浮かべてみると、大学の先生であった人はきわめてわずかです。

大学の先生は教育者としての側面が強く、最先端の知を生み出す知識人は、在野の著述家のなかから生まれていました。

大学は2度生まれているー近代の大学

「2度目」の大学は、近代の成立過程のなかで生まれていきました。

新たな大学を生み出すきっかけとなったのはドイツです。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉

ナポレオンとの戦争に敗戦したドイツは、自国の文化を復興させるべく、国民国家の基盤としての大学のあり方を打ち立てました。

そこには、ドイツの哲学者カントが「有用な学」と呼ぶような学問分野(神学・法学・医学)と「リベラル(自由)な学」と呼ぶような学問分野(哲学)があり、そのダイナミクスによって大学の知が形成されました。これは、現在も続く大学の知のあり方だといえます。

また、文系におけるゼミナール、理系における実験室が確立していったのもこの時期です。

19世紀には、ドイツの生み出した大学制度が圧倒的な優位を誇るようになりました。

この時期に成立した近代的な大学が、いまも日本の大学制度の根幹になっています。

日本における大学制度

それでは、日本において大学はどのように成立していったのでしょうか?

授業では、日本の大学の嚆矢といえる東京大学の成立過程が紹介されます。

東京大学は1877年に創立されましたが、その母体となる機関は様々でした。

文学部/理学部 :幕府天文方(1684)→蕃書調所→大学南校
医学部     :幕府種痘所(1858)→大学東校
法学部/経済学部:司法省明法寮(1871)→東京法学校
工学部     :工部省工学寮(1871)→工部大学校 
農学部     :内務省農事修学場(1874)→駒場農学校/東京山林学校
教養学部    :第一高等学校(1894) 

東京大学は、歴史的に異なる経緯で生まれた複数の専門学校・高校が寄り集まる形で成立しています。

さらに、学部はそれぞれ、ドイツ、フランス、アメリカなど、異なる国の大学のモデルを参考にしてつくられました。

東京大学は、それぞれの学部が違うDNAを持っているのです。

このような背景のもと生まれた東京大学は、学部ごとに縦割りの制度体制になっていました。

縦割りを解消すべく、戦後に導入されたのが、教養学部です。

教養学部を導入した当時の東大総長である南原繁(1945.12~51.11)は、これからの大学には「一般教養」が必要だと考えました。

南原は、戦争の経験で大きな脅威となった原子力の仕組みについて、理系の専門家に任せきりにするのではなく、文系の学生も理解する必要があるとしました。一方、理系の学生も、哲学や歴史などを知らなければいけないと考えます。

文系と理系をつなぐような教育をしなければいけないという考えのもと、南原は第一高等学校を教養学部に改編して東京大学に組み込み、一般教養を学べる場としました。

専門課程に入る前に、東大の学部生がみな所属することになる教養学部は、知の専門分化が孕む危機に対抗する、東大の重要な要素になっています。

これからの大学を考える

講義は再び世界的な話に戻ります。

吉見先生は、大学の歴史を振り返ると、16世紀と21世紀は似ているといいます。

確認したように、16世紀は活版印刷によって手に入れられる知識の量が大きく増加した時代でした。現在は、デジタル技術の普及によって、より著しい情報爆発が起こっています。

そして、「大航海時代」ともいわれる16世紀はまた、世界的な交流が進んだ時代でもありました。つまり、グローバリゼーションの最初のプロセスができたということです。

21世紀は、一度大学の制度が崩壊した16世紀に近い状況にあります。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2014, 吉見俊哉

吉見先生は、これまで日本の大学は足し算をやってきたといいます。

ドイツのモデルを基準とし、近代的な大学に新たな要素を継ぎ足しながら、拡大する形でここまで残ってきたということです。

しかし、大学制度にいくつかの困難が立ちはだかっているいま、もっているものを削ぎ落とし、新たな大学に生まれ変わる必要があるかもしれません。

吉見先生は、南原の行った教養学部の導入は正しかったといいます。これからの時代にあった知を生み出すには、「有用な学」と「リベラル(自由)な学」のどちらも必要不可欠です。

講義では、吉見先生がこれからの大学を考えるうえでの3つのビジョンを提示しています。

ぜひ講義動画を視聴して、これまでの大学の歴史を学びながら、これからの大学のあり方について考えてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:新・学問のすゝめー東大教授たちの近代(学術俯瞰講義)第1回 新・学問のすゝめー大学は、何処から来て何処へ行くのか 吉見俊哉先生

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2023/11/08

「自然環境を守るために、森林伐採を防ごう」

「動物が苦しまないように、過度な食肉を戒めよう」

SDGsが国連で採択されるなど、近年ますます関心が高まっている環境問題

 このように環境問題が注目されるようになった理由の一つは、温暖化などの地球環境の変化にあります。

しかし一方で、「人間中心主義」からの脱却を目指すようになったという、私たちの意識の変化も重要です。

人間中心主義とはすなわち、自然を人間の専有物と見なし、都合よく利用しようとする考え方のことです。

中世ヨーロッパの研究者・リン・ホワイトは、キリスト教は人が自分のために自然を搾取することが神の意思であると主張したと述べています。

西洋では、自然を道具のように捉えるキリスト教が普遍的な価値を持っていました。つまり人間中心主義の自然観が長らく支配的だったといえます。

しかし現在は、人間中心主義が見直され、自然そのものの重要性が主張されるようになりました。その変化が、環境問題への意識の違いとしてもあらわれています。

西欧が人間中心主義からの乗り越えを図るなかで注目するようになったのが、人間を自然のなかの存在として位置づける東洋の思想です。

たとえば、仏教の輪廻転生や易の陰陽理論といった思想は、米国の環境倫理思想にも影響を与えているといいます。

古来より自然とともに生きる世界観を持っていた東アジア。しかし、そのような言説を耳にすると、次のような疑問が生じます。

それは、「古来から自然と共生する意識を持っているはずの東アジアの私たちは、環境について、本当に高い倫理思想を持っているのか?」という疑問です。

考えを巡らせてみると、実際はそうでもないことに気づくはずです。現在の環境問題への取り組みは、むしろ西欧が発信していることが多く、東アジアの国々はそれに追随しているだけの場合があります。

それでは、東洋における「共生」自体が幻想だったのでしょうか?

考えるうちに、実は東洋の思想も同じく「人間中心主義」であったということに気づきはじめます。

私たちはどのように環境問題を捉えればよいのか、中国思想の伝統から考える講義動画を紹介します。

 「人間中心主義」でないことはありえない

今回紹介する講義は、2022年開講の学術俯瞰講義「30年後の世界へー「共生」を問う」の第7回「類を違える物と共に生きる世界:中国思想から考える環境倫理」です。

講師は、中国の音楽と科学に関する思想が専門の、田中由紀先生が務めています。

先ほど、東洋の自然観もまた「人間中心主義」であったと述べました。

しかし東洋の思想は、人間と自然の有機的な関係を認め、両者の間に本質的な違いはないとしています。

それでは、東洋思想のどこが「人間中心主義」的なのでしょうか?

そのひとつの例となるのが、儒教の「聖人」である皇帝・尭が、同じく「聖人」である禹に命じて行わせた大規模な治水工事鳥獣の被害の除去です。

治水工事や鳥獣の駆除は、人間の利益のために自然を変容させる行為にほかなりません。

しかし儒教は、ある意味自然破壊とも言える政策を推し進めた彼らを、聖人として讃えています

環境倫理学者の鬼頭秀一は、次のように述べています。

西洋でも東洋でも等しく、ある特定の生業形態をとって生活がなされてきている限り…その「生業」のあり方は、人間中心的であるのか人間非中心的であるのかという次元ではなく、自然とのかかわりのあり方という次元からしか捉えられない
鬼頭秀一『自然保護を問い直す:環境倫理とネットワーク』、筑摩書房、1996、pp.119 -120 

田中先生は、人間が文明を維持し自らの生活を向上させるために自然に干渉する以上、 「人間中心主義」でないことはありえないと主張します。

鬼頭の主張に従うと、注目すべきなのは、人間中心主義かどうかではなく、自然に対し、人間が具体的に「どう」ふるまってきたのか、 あるいは「どう」ふるまうべきだと考えていたのか、を常に意識しながら、 人間と自然に対し、どのような理論的位置付けを与えているのかということなのです。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀

形体によって理に制限がかかる

続いて講義では、中国思想における人間と自然の理論的位置付けの具体例が紹介されます。

まず語られるのが、宋の思想家・朱熹(1130-1200)による動物論です。

朱子学の開祖としても知られる朱熹は、「理気二元論」を唱えて、人間と自然の一貫性を主張しました。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀

理気二元論とは、すべてのものは天から与えられた非物質的な原理である理と、物質を形成する気から成り立っているとする思想です。

朱熹は、人間、動物、植物、無生物のすべては、理を持つという点で同質だとしました。

この主張だけを聞くと、人間と自然を同じように扱っているように思えます。

 しかし、両者の間の理に違いがないわけではありません。

理はもともと普遍的なものですが、理が万物に与えられたとき、つまり物体になったとき、理は制限が加えられるからです。

形体(物体の性質)によって、発現する理が異なってくるのです。

私たち人間は「仁」・「義」・「礼」・「智」の4つの徳目を持ちますが、そのほかの動物や事物は、有する徳目に偏りがあります。

たとえば、君臣関係を重視する蜂や蟻は「義」が強く、父子関係を重視する虎や狼は「仁」が勝るといわれます。

つまり、人間と形体の異なる動植物(自然)は、人間と同じ理を持つことはできないのです。

結局のところ朱熹の主張でも、人間と人間でないものの間には、乗り越えられない壁があるのだといえます。

(ただし朱熹は、「不善に溺れた人間」もまた物と同様の存在として扱い、人間一般と区別しています)

憐れみの感情で動物を愛する

次に紹介されるのは、清末の思想家・康有為(1858‐1927)です。

康有為が活躍したのは、朱熹からかなり時代が下り、西欧由来の民主思想が中国にも伝わってきていたころです。しかし一方で、世界には依然として問題が山積みでした。

康有為は、国家や人種の違い、男女の不平等といった苦悩の原因を取り去ることで、多くの問題は解決され、人類は進歩すると考えます。

康有為が主張したのは、類(=形体の違い)を取り去ることでした。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀

私たちは、自分と同じ見た目(類)をしたものばかりを愛していて、見た目が異なるものを愛すことはあまりないと、康有為はいいます。

たしかに私たちは、多くの動物たちよりも、自分と類する人間のほうに愛情を向けています。

康有為は、「大同の世」という一種のユートピアを構想していました。

その大同の世では、類による差別は撤廃され、同形同類のものばかりでなく、あらゆる物を愛することができるようになるといいます。

つまり、人間と形体の異なる動物も、人間と同様に愛されるということです。

このような康有為の思想は、西欧的な発想に似たところがあります。

なぜなら、西欧の環境倫理は、自然権の範囲を拡大させていく過程の中で、動物や自然も平等に扱うようになって発展してきたという歴史があるからです。

たとえば、オーストラリアの哲学者・ピーター・シンガーは、動物も含めて「苦痛を感じるか否か」という利害を平等に配慮すべきだという「動物解放論」を唱えています

類を取り去ることで、動物をみずからと同じ側に引き入れていく康有為の思想は、シンガーの提示するような、権利の範囲を拡大させていく西欧の倫理思想と通じているといえるでしょう。

しかし一方で、康有為の思想にはまた、「動物解放論」とは異なる点があります。

その違いは、康有為は動物の利害を考慮する理由を「仁(≒人間側の憐れみの感情)」においているということです。

シンガーが「平等に配慮されるべき利益」を念頭に置いていたのに対して、康有為は、人間が憐れみの感情を喚起できるかどうかを重要な問題としています。

康有為の理論は、類による差別を撤廃すべきという主張においては、たしかに「人間中心主義」を脱しています。

しかし、人間が動植物に対しどうふるまうかという実践的な態度においては、人間側が仁を喚起できるかどうかということしか考えておらず、「人間中心主義」へと戻っているのだと、田中先生は述べています。

さらに、ありとあらゆる万物に対して憐れみの感情を持つことは現実的に不可能です。

つまり、仁の範囲を万物に拡大させることはできません。

康有為の思想が明らかにしたのは、人間の仁の限界でした。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 田中有紀

不完全な私たちに何ができるか

講義ではこのように、人間の仁の限界が示されます。

これはつまり、西欧由来の環境倫理の発展にも限界があるということを意味しています。

私たち人間は、動植物と同質であるからこそ、自然を完全に救うことはできないのです。

それでは私たちは、これから何をすることができるのでしょうか?

講義は、このような悲観的な結論を出して終わりではありません。

そこから私たちが取りうる可能性についても、いくつかの提案がなされています。

今回紹介した講義は、情報が細かくスライドにまとめられているため、スライドを眺めるだけでも、ある程度内容をつかむことができるはずです。

ただし、環境倫理について考えることに対する田中先生のスタンスなど、実際に動画を視聴してしか確認できない部分にも重要な要素があります。

紹介した内容についてもっと考えてみたいと思った方は、ぜひ講義動画を視聴して確認してみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)第7回 類を違える物と共に生きる世界:中国思想から考える環境倫理 田中有紀先生

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2023/11/02

 多様な人々が生きている現代の社会。多様性を認め、少数派の人びとも生きやすいような社会を作っていこうといった動きが日本では近年より活発になっています。

 でも、少し待ってください。このような話を耳にしたとき、多くの皆さんは自分のことを多数派だと思っていませんか? 見方を変えると誰もが少数派になりえます。例えば、「若者」という存在は昨今の超高齢化社会により既に少数派です。

 現在の日本はマクロな動きである人口変動によって急速な少子高齢化の最中にいます。そのマクロな現象をミクロの視点(この講義では「家族」が主な視点になっています)から見ていくと、今後の社会構造や少数派・多数派のあり方について新たな発見があるかもしれません。社会学を専門とされ、家族と社会制度の変化についてを研究している白波瀬先生の考えを見ていきましょう。

一億総中流と格差社会

 1960年代から1970年代にかけて、日本では「一億総中流」という国民意識が醸成されていきました。実際に、60年代から70年代にかけて自らの暮らし向きが大体真ん中であると考えている人が増えたことは、内閣府の意識調査によって明らかにされていると白波瀬先生は言います。翻って現在は「格差社会」という言葉が叫ばれて久しいです。しかし、意識調査を見ても、一億総中流といわれた1970年代から比べて、国民の意識に大きな動きはありません。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義
Copyright 2015, 白波瀬佐和子

 

 では、どのようなデータをもとに格差社会という言説が発生しているのでしょうか? 白波瀬先生は「ジニ係数」と呼ばれる所得格差を表す指数から来ていると述べています。ここではジニ係数について詳しい説明はしませんが、1に近づくほど所得格差が大きいことを示しているのがジニ係数です。実際にデータを見てみると、1970年代までは上下はありつつもほぼ横ばいでしたが、1980年代後半から緩やかに1に近づいていっており、格差が開いていっていることが分かります。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義
Copyright 2015, 白波瀬佐和子

「一億総中流」という言説は内閣府の意識調査という世論によって醸成されたものですが、「格差社会」という言説はジニ指数の上昇というデータに裏付けられたものです。ここに言説のねじれがあると白波瀬先生は指摘します。すなわち、我々は、実際の社会が「一億総中流社会だったのに、なんらかの原因をきっかけに総中流社会を形成していた根本が変化し、いつの間にか格差社会に移行していた」かのように考えがちです。ただ、厳密に言えば、2つの概念は時代を経て、別々の根拠をもとに生まれたものであり、繋がりをもった1つの変化の表れとして語れるものではないのです。講義の中で白波瀬先生は、「生活意識スコア」といった指数も取り上げながら更なる示唆を与えています。こちらについては直接動画をご覧ください。

人口ピラミッドの変化と福祉制度

 「一億総中流」の意識は、日本が右肩上がりに成長していく、といった見通しから生まれてきたものでした。が、現在は決してそうではありません。少子高齢化と人口減少が日本経済の停滞を招いているとも言えます。更には、少子高齢化による人口ピラミッドの変化が今までの日本を支えてきた福祉制度にも影響を与える可能性があるのです。

 まず考えやすいのは、福祉の支え手の減少です。少子高齢化によって当然、若者の人口が減るため、高齢者を支える人口が減ってしまいまいます。もう一つ大きな影響が存在します。それは、核家族化の進行です。数十年前の日本では3世代で同居するのが一般的でした(サザエさんをイメージしてもらえると分かりやすいでしょう)。しかし、現在は高齢の夫婦のみや高齢者の単独世帯が増えてきています。3世代同居の時代は、家庭内の誰かが労働者であったため、高齢者はその収入で暮らし、それが福祉の役割を果たしていましたが、現代の高齢世帯や単独世帯では、世帯の収入源が年金に代わってしまっています。つまり、福祉制度が設計された当時は家族という社会を前提に、皆保険・皆年金といった形になりましたが、家族制度を主とする社会構造が大きく変わってしまったため、制度としての福祉が担う役割が大きくなりすぎてしまっている面があります。ゆえに、現代の福祉制度には限界が来つつあるのです。

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義
Copyright 2015, 白波瀬佐和子

 日本の皆保険・皆年金を特徴とする福祉制度は裾野が広く、高齢者に対して多数いる生産年齢人口と、家族の担う役割を基礎として設計されました。しかし、現代ではそのような前提はもう存在しません。保険制度や年金制度は難しい状況にあるのです。

社会のマイノリティである若者

 ここまで見てきたように、少子高齢化によって若者が減ると、経済や福祉など社会の様々なところに問題が出てきます。福祉に関しては、このままでは支え手が減っていくのはなかなか変えがたい事実です。生涯現役を推奨し、支え手を増やすのか、支える対象を限定するのか、いずれかの対応が必要になってきます。

 また、一言に「高齢者」「若者」といってもその中には多様な人がいます。心身共に健康で、アクティブエイジングを体現する高齢者もいれば、健康や人間関係の問題を抱え困窮してしまう高齢者もいます。この高齢者の多様性を制度の中でどう位置付けていくかは今後の課題の一つです。

 また、少数派になってしまった若者がこれからの社会でどのような振る舞いをするかも非常に重要です。若者はこれからの未来を作っていく存在になります。そんな若者こそ、身近な生活圏を超えた想像力と判断力を養ってほしいと白波瀬先生は言います。

  

東京大学 UTokyo OCW 学術俯瞰講義
Copyright 2015, 白波瀬佐和子

 自分が豊かであっても、様々な社会問題に関心を持ち、様々な人とふれあって考えを深めていくことが社会の作り手として求められています。今までは、社会福祉を支える若年層・壮年層と、福祉を受ける高齢者層というはっきりとした構図がありました。しかし、だれも経験したことのない超高齢社会で、年齢により機械的に役割を分担した制度では今後の社会を支え切ることはできなさそうです。そのような社会から、若者から高齢者も含めて社会を支えていくような、世代を超えた支え合いの社会にしていくためにも、「見えない」社会問題を「見ようと」してみませんか?

 白波瀬先生はこの講義の中で、大きく変化した人口ピラミッドの問題や労働市場と福祉の関連、母子家庭の貧困率などについてより詳しくお話ししています。また「予測は変えられないが、推計は現在が変われば未来が変わる」といった至言ともいえる発言もあります。今まで見てこなかった社会問題を見て、より深く考えるためにも講義動画の視聴を強くオススメします。

<文/園部蓮(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:クールヘッド・ウォームハート-みえない社会をみるために(学術俯瞰講義)第5回 社会的想像力のススメ-見えないことと見ようとしないこと

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2023/10/26

戦争、紛争、格差、貧困、差別……

私たちが生きるこの世界には、人間社会の誕生以来続く問題が、今もなお繰り返されています。

イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、次のような有名な言葉を残しています。

民主主義は最悪の政治形態だといえる。ただし、これまでの民主主義以外のあらゆる政治形態を除いて。

この言葉は、民主主義の有用性を主張するために用いられてきましたが、一方で現代の政治にまだ多くの問題が残っていることを示してもいます。

しかし、現状の課題を乗り越える新しい政治秩序とは、どういったものなのでしょうか?

そこでカギとなるのが、西洋とは異なる見方で世界を認識してきた、中国の思想です。

実は、中国では今まさに、国際政治学の分野で、西洋を中心に整えられた制度を乗り越えるような世界秩序が次々に提示されています。中国が新しい国際政治制度を考えるホットスポットであるとも言えます。

そして新しい世界秩序のうちのひとつに、長く中国の政治の基盤となってきた「天下」の思想をもとにしたものがあります。

天下思想というと、近代の国際化によって打ち捨てられた古来の思想のように感じる人もいるかもしれません。

そんな天下思想に、問題を解決するどのような可能性が秘められているのでしょうか?

近代の中国哲学を専門とする東京大学大学院総合文化研究科の石井剛先生と一緒に、これからの世界について考える講義を紹介します。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

「中国」はどこにあるのか

しかし、そもそも「中国」とは一体どこにあるものなのでしょうか?

講義はまずこのような問いを立てるところから始まります。

「中国」は「中華人民共和国」のことだろう、と自明に考える人もいるかもしれません。

しかし「中国」は、長い歴史の中で、中心となる王朝も、その支配が及ぶ領域も変遷してきた国です。

講義では、近代中国の思想家、梁啓超(1873-1929)や章炳麟(1869-1936)、康有為(1858ー1927)らによる、中国の捉え方が紹介されています。

時代はちょうど清朝が滅亡する変革期でした。3人はそれぞれ、ただ「中国」について定義したりその未来を予測したりしていたのではなく、中国を捉えなおすことによって、より良い「中国」のあり方を模索していました

いずれにせよ、「中国」を考える場合は、その長い歴史も視野に入れなければいけません。

「中国」はどこにあるのかという問いは、一見するほど自明な答えを持つものではないのです。

中国に一貫するものとは

それでは、中心から外縁にいたるまで、あらゆるものが変化してきた中国には、一貫するものはないのでしょうか?

講義では、この問いに正面から取り組む現代中国の歴史学者・葛兆光(かつ ちょうこう)が紹介されています。

葛兆光は、雑誌『思想』(2018年第6号)に寄せた論考で、「何が中国か?」という問いに答えています。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

ここでは、先ほど確認した「現代中国 のすべてのエスニック・グループ、領域と歴史を歴史上の中国のものとしてはならない」ということなど、中国の政治的・社会的な枠組みと実態が述べられています。

注目したいのは、5の「近代国家であり天下の帝国という複雑な性格を併せもつ現代中国は、当面の国際秩序の中で 多くのトラブルに直面しています」という文言です。

中国が古来より有してきたのは、西洋で生まれた近代国家の政治制度ではなく、天下による政治制度でした。

天下の政治制度を取ってきた中国は、19世紀から20世紀にかけての厳しい歴史のなかで、やむをえず近代化を進めてきました。しかし、天下の仕組みはまだ残っているため、中国では様々なトラブルが生じていると言います。

それでは、天下の政治制度とは一体どういうものなのでしょうか?

講義はこのあと、「天下」をキーワードとして進んでいきます。

地を天によって支配する

古代中国の世界イメージに「天円地方」というものがあります。

「天円地方」は、天下思想を反映したイメージで、講義ではそれを図にしたものが示されます。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

その図では、天が円形、地が方形であらわされます。

大きさの異なる方形が中心から順に広がっていき、円で囲まれています。

最も中央にある方形は皇帝が治める天下の中心で、その次の方形が朝貢システム下の地域、一番外側の方形は、文明に属さない「野蛮な」地域です。

そしてその外側(ないしは2つ目の方形の外側)に、円、すなわち天があります。

古代の中国の世界観では、中国はひとつの国家だったのではなく、世界そのものでした。

そしてその世界こそが、広大な地を天によって支配する「天下」という言葉であらわされるものなのだと言えます。

天下による世界秩序

ここで紹介した「天下」は、古代中国の世界観でした。

しかし記事の冒頭でも紹介したように、この天下の考え方は現代の政治制度を見直すためのひとつのカギになっています。

天下をひとつのシステムとして捉え、新しい世界秩序を提案している中国の政治学者に、趙汀陽(ZHAO TINGYANG)という人がいます。

趙汀陽は、天のもとのあらゆる土地を、世界の人々全員による共通の選択によって治めるべきだと主張します。ここでの天下は、実質的に世界政府のような役割を果たします。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

世界政府というと、国際連合のようなものをイメージする人もいるかもしれません。

しかし国際連合は、国民国家を前提として成立しているという点で、趙汀陽の提案する世界政府とは根本的に異なります。

 天下による世界秩序は、国民国家を超えたところにある、全世界の共同体のようなものだからです。

趙汀陽は、「世界史は疑わしい概念だ。人類はまだ『世界を世界とする』には至っていない」と述べています。

ここで趙汀陽が主張しているのは、「世界史」は単なる各国の歴史の寄せ集めでしかなく、本来的な意味での「世界史」はまだ存在しないのではないかということです。

近年、歴史学の分野において、「世界史」を各国の歴史の集合体ではなく、世界全体のダイナミックな動きとして捉える「グローバルヒストリー」という潮流があります。

趙汀陽の天下システム論は、実際の政治制度において、グローバルヒストリーのような一体の世界の実現を想定していると言えるのかもしれません。

(グローバルヒストリーに興味のある方は、羽田正先生の講義をまとめたこちらの記事も併せてご覧ください)

天下システムの中心になるもの

さて、ここまで読んで、みなさんのうちには天下システムに多少の不信感を抱いた方がいるかもしれません。

なぜなら、天下システムとは、天下の「中心」を必要とするシステムだからです。

何か特定の国家や人種を中心に据えるのであれば、強い反発が起こるであろうことは容易に想像がつきます。現実に何を中心とすべきかは、難しい問題です。

趙汀陽は、「グローバル金融システム、グローバルテクノロジーシステム、インターネットのように真の意味で実効的な力をもっている機構や組織」が基礎になる可能性を考えています。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

つまり、「世界的にシェアしながら共有し共同管理するようなグローバルシステム」が天下システムの中心になるということです。

講義ではサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた社会「Society 5.0」が天下社会の具体例として紹介されています。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

天下のための世界理念

しかし、グローバルシステムによる世界秩序は、特に天下思想と関係なく実現可能のように思われるかもしれません。

事実、私たちの社会はインターネットや経済のグローバルシステムによって支配されつつあります。(それはある種のディストピアの様相もなしています。)

ですが、グローバルシステムはそのまま天下になるわけではありません。

なぜなら、グローバルシステムが利己的なものであれば、世界中の人々が利益をともに受け取れる世界制度を打ち立てることができないからです。現状のグローバルシステムは、グローバル資本、技術、サービスによって成立するシステム化権力であり、自らの利益と権力の極大化だけを追求しています。

そこで天下の政治制度に必要なのは、「世界理念」だと言います。

その世界理念とは、「天下を以て天下とする」という管子の原則や、「天下を以て天下を観る」という老子の原則です。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2020 石井剛

国家権力やシステム化した権力は、世界全体を合理的に秩序立てる理念を受け入れることができません。

そのため、帝国主義的覇権とグローバルなシステム化新権力を牽制するためには、世界普遍秩序を構築することが必要になってきます。

天下の外縁

 天下システムは未来を見据えて提案されている理論です。

そのため、不確定なことも多く、様々な価値観や状況を踏まえながら論じなければいけません。

講義では、東洋と西洋、また過去、現在、未来と、数多くの知見や情報が取り上げられているのですが、この記事ではそれを十分に説明しきれていません。

また、話も抽象的で難解なため、この記事を読むだけでは疑問に思うことや納得がいかないこともあるかと思います。

そんな方はぜひ、講義動画を視聴して、石井先生が語ることを直接確認してみてください。

講義の終わりには、学生による質疑応答の時間もあります。学生の質問に対する石井先生の回答で、天下システム論の印象がこの記事によるものから変わってくるかもしれません。

この記事では、主に「天下の中心」について確認してきました。

しかし講義内では、「天下の外縁」についても述べられています。

外縁とはすなわち、どこまで天に含めるべきか、どこまでを天に含めることができるかという問題です。

それは、他者の排除(差別)や私たちの世界認識の限界の話にもつながります。

実は石井先生は、天と地の間の余剰こそが根本的に重要だと主張されています。

一体なぜ余剰について考えるべきなのか、講義動画を視聴して確認してみてください。

また、この講義はテーマの範囲が広いので、みなさんが興味を持っているトピックとつながる内容も多いはずです。

ぜひ、講義で語られる内容を、未来を考えるための足がかりとしてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:30年後の世界へ ―「世界」と「人間」の未来を共に考える(学術フロンティア講義)第11回 「中国」と「世界」:どこにあるのか?

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2023/10/18

質問です!

みなさんは、どんなメディアを通して「物語」を楽しむことが多いでしょうか?

……少し分かりにくい質問ですみません、別の言い方をしてみます。

みなさんは、文学、映画、マンガ、演劇などのなかで、どの表現形式が好きでしょうか?

今の世の中は、芸術作品からいわゆる娯楽作品まで、数多くの表現に溢れています。

そのなかで、「物語」を伝える表現も文学、映画、マンガ、演劇……と多様です。

「行間が自由に想像できるから小説が好き」という人もいれば、「視覚的に楽しめるから映画が好き」という人もいるでしょう。(ちなみに私は自分のペースで読めるのでマンガが好きです。)

そして、昨今ますます数が増えているのが、異なるメディアで物語が共有されること、いわゆる「メディアミックス」です。

「本屋大賞受賞の小説が実写映画化!」「大ヒットマンガがアニメ化!」なんてことが日常的に起こっている現在、ほとんどの人はメディアミックスされた作品を目にしていると思います。

しかし、そのように「異なるメディアで物語が共有されること」の効果や可能性について考えたことはあるでしょうか?

メディアミックスの作品を観たときに、しばしば「原作と違う」と不満な気持ちを抱くこともあるかもしれません。

ですが、異なるメディアが相互に影響し合うことは、また「物語」が新たに生まれていくことだとも言えます。

フランス文学研究者の野崎歓先生と一緒に、メディアの相互作用について考える講義を紹介します。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座「知の冒険」 Copyright 2016, 野崎 歓

現実を再現したいという欲求

今回紹介する講義は2015年開講の「媒介/メディアのつくる世界(朝日講座「知の冒険―もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」)」の第3回「メディアの相互作用:文学と映画をめぐって」です。

この講義は、「メディア」をテーマに各分野の先生が話すオムニバス講義のうちの1回です。メディアの分野に関心のあるかたは、ぜひ他の講義もあわせてチェックしてみてください。

さて、野崎先生は文学でも映画でもなく、「ラスコーの壁画」に言及するところから講義を始めます。

ラスコーの壁画とは、フランス西南部の洞窟で見つかった壁画です。約二万年前もの昔に描かれた馬や牛、羊などの絵が、今も現存しています。私たちに残されている、最も古い「表現」のひとつです。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座「知の冒険」 Copyright 2016, 野崎 歓

野崎先生はラスコーの壁画について、古代の人が描いたにしては写実的だと言います。

思想家のジョルジュ・バタイユ(1897-1962)もまた、ラスコーの壁画に対して「知的リアリズムという名称がふさわしいような実在の形象化の産物」だと述べています。

たしかに壁画は、画像としてみる限りでも、幾何学的な抽象画というよりは、今にも動き出しそうな現実感をもって描かれています。実際に洞窟に入ってみたら、そのリアリティはより一層感じられるはずです。

野崎先生は、このラスコーの壁画を例として、人間の内には自分を取り巻くリアルな世界を再現したいという欲求があると主張します。

しかしラスコーのリアリズムが直接現在につながるのではなく、表現の歴史は迂回した経路を辿っています。

そして究極のリアリズムの成立には、19世紀の写真の誕生を待たなければいけません。

写真が持つ「リアリズムの美学」

19世紀に生まれた写真という技術は、人間が介在しない初めての表現です。

もちろん、画面の切り取り方には撮影者の意図が反映されますが、映った対象は現実にあるものであり、そのまま現実が再現されています。その意味で、写真はメディアならざるメディアだとも言えます。

映画のリアリズムを語る上で重要なのは、フランスの映画理論家、アンドレ・バザン(1918-1958)です。

講義でも紹介されているバザンは、写真によって初めてもたらされたリアリズムの意味について論じました。

写真はそれまで、芸術に劣るものとして蔑視に晒されてきましたが、バザンの代表的な論稿「写真映像の存在論」(1945)によって、その認識は塗り替えられました。

その論稿では「たしかに写真は芸術ではない、しかしそもそも写真は人間の技ではない」ということが述べられていると、野崎先生は語ります。

つまり写真は、人間が介入するこれまでの芸術の文脈では捉え切れない、リアリズムの美学を持っているのです。

しかし皮肉なことに、写真は次第に芸術と見なされるようになっていきます。そして、写真を時間変化に合わせて動かした映画も次第に、単なる運動の記録ではなく、物語が加わって芸術化していきます。

これは「映画の逆説」とも言えるような事態です。20世紀は物語が様々なメディアを貫いた時代であったと、野崎先生は言います。

こうして映画と文学は、物語を共有することで、切っても切れない縁で結びつけられるようになりました。

(「写真映像の存在論」が入ったバザンの論稿集『映画とは何か(上・下)』は、野崎先生の訳で岩波文庫から刊行されています。また、野崎先生によるバザンの研究書『アンドレ・バザン 映画を信じた男』も春風社より刊行中です)

映画になった文学作品

講義では、小説が原作の具体的な映画作品について語られます。

川端康成の『伊豆の踊り子』の映画や18世紀フランスの小説『マノン・レスコー』の演劇、映画が例として挙げられます。

ただし、とても残念なことに、講義で紹介されていた映画の画像は、著作権の関係でほとんど見ることができません。

講義で5分ほど放映された森鴎外の『山椒大夫』の映画(溝口健二監督)も泣く泣くカットです……

ただし、重要な点はほとんど野崎先生が説明してくださっているので、話についていけなくなるということはないと思います。このパートで語られていることは、この講義の要点にもなっているので、ぜひ視聴して確認していただきたいです。

指摘されるなかで、ひとつの興味深いポイントは、小説で登場人物の外見が具体的に描写されるのは、19世紀になるまでほとんどないということです。

どうして人物の描かれ方が変化したのか、映画との関係も踏まえて野崎先生が語っています。気になる方はぜひ動画をチェックしてみてください。

文学と映画の相互作用

最後に、文学と映画の関わり合いについて語られます。

これまで、文学を元にして作られた映画、つまり文学から生まれた映画について確認してきました。

しかし映画もまた、文学に影響を及ぼしています。そのひとつが、小説におけるカメラの導入です。

野崎先生は、映画ができて以降、20世紀の作家たちはカメラを意識せずに小説を書けなくなっていると述べます。

つまり文学においても、ビジュアルの体験が重要になってきているということです。

イタリアの小説家・批評家のイタロ・カルヴィーノ(1923-1985)は、「これからの文学に必要なもの――それは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」である」と語ったといいます。

小説は映画の先駆でありながら、映画もまた小説の未来形になっているのです。

野崎先生は、「メディアは互いに反響しあい、「物語」に第二、第三の生を与える」と言います。

そして、「文化の創造は、メディアの相関関係の形作る渦巻きによって可能となる 」と結論づけています。

終わりに

講義の終わりには「小説(演劇、マンガ等)の映画化作品をどう楽しむべきか」というテーマで、学生がグループワークを行なってまとめた内容が語られます。

この記事の冒頭で述べたように、メディアミックスされた作品は、しばしば原作のファンから「原作と違う」と批判を受けます。

しかし、原作に忠実であることばかりがメディアミックスの価値ではないかもしれません。

最後には、学生の意見に対する野崎先生からのコメントもあります。ぜひ動画を最後までご覧になって、メディアミックスから生まれる「第二、第三の生」について考えてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:媒介/メディアのつくる世界(朝日講座「知の冒険―もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2015年度講義)第3回 メディアの相互作用:文学と映画をめぐって 野崎 歓先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

2023/10/12

みなさんは普段の生活のなかで、「死」について考えることはどれくらいあるでしょうか?

私たちはみな死を迎える存在でありながら、健康で日々の生活に追われていると、その事実に意識が向かなくなってしまうことがあります。

しかし一方で、いざ死というものが頭をもたげると、不安や焦りが襲ってきます。

死にどう向き合えばよいかというのは、人類がこれまでずっと向き合い続けてきた難問であり、いまだ明快な指標は出ていません。

しかし、そんな掴みどころのない死について、真剣に考える研究分野があります。

それは、「死生学」という分野です。

東京大学の文学部では、2002年より、「死生学」のプロジェクトやプログラムを開設してきました。

2011年には、21世紀COEおよびグローバルCOEプログラムの「死生学」のプロジェクトと、教育プログラムである「応用倫理教育プログラム」が統合される形で、「死生学・応用倫理センター」という研究組織が発足されています。

死生学という学問分野の歴史は浅く、もともと領域がはっきりとしてはいませんでした。そのため、哲学や宗教学などさまざまな人文知を用いることで研究が進められてきましたが、東大でのプログラムも開始から20年以上が過ぎ、段々と、まとまった知見が蓄積されてきています。

今回紹介するのは、2009年に開講された連続オムニバス講義「死すべきものとしての人間-生と死の思想」の最終回、「死生の問いと現代の学術」です。

この全13回の連続講義では、哲学、宗教、文芸などの分野の研究者が、「生と死の思想」の展開について語っています。

(こちらの連続講義は、全ての回の動画をOCWで視聴することができます。こちらのページより、気になるテーマの講義動画をチェックしてみてください)

登壇されるのは、この連続講義のモデレーターでもある宗教学者の島薗進先生と、第9回、第10回で講義を行なった哲学者の熊野純彦先生です。(村松眞理子先生も登壇予定でしたが、私用により欠席)

UTokyo Online Education 死生の問いと現代の学術 Copyright 2009, 島薗 進、熊野 純彦、村松 眞理子

このお二人は、前述のCOEの死生学プロジェクトの立役者でもあります。

対談形式で進む講義の内容を確認しながら、死生学についての学びを深めてみましょう。

それぞれの専門分野から考える「死」

講義の前半は、島薗先生がこれまでの連続講義の内容を振り返る形で進みます。

清水哲郎先生による、臨床の現場での死への態度について考える講義、

逸身喜一郎先生による、西洋古典から「mortal」「inmortal」という概念を捉える講義、

沼野充義先生による、ロシア文学者と死の関係性を探る講義、

金森修先生による、フーコーの生権力に関わる死をめぐる歴史闘争を理解する講義など…

それぞれの先生方が、専門の領域と「死」を結びつけながら、講義で語られた内容に、島薗先生が解説を加えていきます。

そして、登壇されている熊野先生による、ハイデガーの哲学の講義については、島薗先生による質問に熊野先生が答えつつ、内容が確認されていきます。

UTokyo Online Education 死生の問いと現代の学術 Copyright 2009, 島薗 進、熊野 純彦、村松 眞理子

「死をめぐる講義でハイデガーを取り扱う必然性はどこにあるのか」という島薗先生の質問に対する熊野先生の応答など、対談形式の講義ならではの臨場感のあるやり取りは必見です。詳しい内容は、ぜひ講義動画を視聴して確認してみてください。

身体に魂はあるのか?

講義の後半では、島薗先生がご自身の専門である日本人の宗教観から、「死」について語られます。

島薗先生は、「生命倫理は死生観を反映する」として、欧米社会と東アジア(主に日本)では、脳死・臓器移植、安楽死、人工妊娠中絶、生殖補助医療、出生前診断・着手前診断に対する受け止め方がどのように異なるか、その背景にある宗教観とともに紹介しています。

UTokyo Online Education 死生の問いと現代の学術 Copyright 2009, 島薗 進、熊野 純彦、村松 眞理子

日本人の宗教観の特徴のひとつは、それが「アニミズム」に根付いているということです。

アニミズムとは、人間だけでなく、動植物や無生物など全てのものに魂があるとする考え方

たとえばみなさんも、“本を踏んづける”という行為に抵抗感を覚えないでしょうか? このような抵抗感は、ものに魂を見出すアニミズムの思想に通底する感覚です。日本のような多神教の国では、アニミズムが宗教的な基底を成しています。

一方で、キリスト教国家は、アニミズムを排除しながらその宗教観を形作ってきました。

キリスト教的な宗教観では、人間を他の動植物と区別しており、特に理性があることを根拠として「人間の尊厳」が主張されてきました。

このような東西の宗教観(死生観)の違いは、生命倫理の問題への取り組み方にも違いをもたらします。

たとえば講義で取り上げられたのは、脳死・臓器移植の問題

欧米社会では、臓器はまだ動いているものの、脳の機能が停止した人を「脳死」とみなして、臓器移植を行うことを積極的に推奨することが多いそうです。

一方、日本では身体が動いている人を「死んでいる」と捉えることへの抵抗感が根強くあります。それは、身体は理性によって動かされる機械ではなく、それ自体に魂があるものだという考え方が染み付いているからだと、講義の中で島薗先生は指摘します。

その結果、脳死制度の導入の程度は、日本と西洋諸国で大きく異なっています。

他者と生命を共有している感覚

脳死の例では、欧米社会が脳死の人を「死者」と割り切っているのに対して、日本のアニミズム宗教観は判断に留保をとっていました。

しかし、日本の宗教観の方が欧米社会と比較して、全ての面において生命を重んじているのかというと、そういうわけでもありません。むしろ個々の生命は、アニミズムの価値観のもとに、犠牲となることがあります

講義では、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマによる次のような主張が紹介されました。

仏教では人間と人間以外の自然を区別せずともに断絶のない宇宙の一部だと見なしている。キリスト教と比べた場合、仏教、道教、神道のようなアジアの諸伝統は、人間とそれ以外の被造物との間に明確な倫理的区別を立てない傾向がある。(中略)しかしこれは裏を返せば、人間の生命の神聖性(sanctity of human life) に対して敬意を払う度合いが、何ほどか低くなることをも意味する。アジアの多くの地域で、実際、中絶や幼児殺し(とくに女児)といった慣習が広まっている。

アニミズムを基底とする文化圏(アジア)で、中絶やいわゆる間引きなどの幼児殺しが行われやすいことを指摘しています。

16世紀に日本を訪れた宣教師たちも、日本で行われていた間引きや堕胎に難色を示していたようです。

現代においても、カトリックや一部の生命尊重派の宗派が根強い国や地域で、中絶自体が法律で禁止されているところは多く存在します。
(西欧で全く子殺しが行われなかったわけではありません。)

しかし、日本で全く平然と子殺しが行われてきたかと言えば、そうではありません。気が引けたり、悲しみが伴ったりすることもあったはずです。

その慰めとなる考え方として、子どもの生まれかわり信仰があったといいます。その信仰の背景を、波平恵美子は『いのちの文化人類学』の中で「いのちのプール」という言葉を使って説明しています。

そこでは、私たちは、一人一人の個別な人間であるというよりも、ひとつの大きなプールのなかから、ある時間だけ生まれ出てきて、死ぬとまた帰っていくようなものだと考えます。

島薗先生は、他者と生命を共有しているような感覚から、世代間の連帯が生まれていくことも指摘しています。たとえ個人がいなくなったとしても、集団は残るということです。

死生学の分野横断的な発展

島薗先生の講義のあとは、「アニミズム」や「死」を中心としたテーマについて、島薗先生と熊野先生が自由に語り合います。

このパートは、二人で進行するこの講義ならではであり、ぜひ皆さんに視聴していただきたい醍醐味ともいえる部分です。

会話はつらつらと進んでいくため、ここで内容を説明しきるのは難しいのですが、個人的に印象に残った部分を紹介します。

熊野先生は、宗教学や民俗学は、今なお息づく思考を掘り起こして活性化する学問だと語ります。

まさに、宗教学者である島薗先生が講義で説明した内容は、現代の私たちの生命倫理の基底にアニミズムの価値観があることを明らかにしたものでした。

しかし、熊野先生はアニミズムという言葉が、色々な概念を包括しすぎているのではないかと、疑問を投げかけます。

そして、別の言葉でアニミズムを語ることができないかと島薗先生に尋ねるのです。

これは、日々哲学のテキストを精読してその言葉の意味を精査している熊野先生ならではの指摘であり、二人で進行する講義だからこそ生じた問いです。

そもそも最初に紹介したように、死生学という分野自体が人文学を中心とした様々な学問分野の知を集結させる形で生まれてきたものでした。

二人で進められたこの講義は、このような死生学の分野横断的なあり方を実感できるものになっています。(講義前半の、島薗先生による他の先生の講義についての解説にも、そのような側面があります。)

皆さんもぜひ講義動画を視聴して、死生学についての学びを深めてみてください。

そして、死生学について興味を持ったら、連続講義の他の動画もぜひ併せて視聴してみてください。

他の回の講義紹介記事も併せてご覧ください。
ロシア文学研究者による『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』解説
20世紀最大の哲学者、ハイデガーについて知りたい方へ【「存在」とは何か】

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)第13回 死生の問いと現代の学術 島薗 進先生、熊野 純彦先生、村松 眞理子先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

2023/10/06

多様な人々が共に生きる社会がめざされる現在。

しかし今なお、特定の宗教を信仰していることで、制約を受けたり、被害を被ったりする人がいます。

さらに、それぞれ異なる信仰を持った人同士が対立し、戦争やテロといった大きな事態に発展してしまうこともあります。

このような「宗教対立」はどうすれば解決できるのでしょうか?

この先を読む前に、みなさん、少し考えてみてください。

……

手段としてまずひとつ思いつくのは、相手の宗教をよく理解することでしょう。

つまり、互いに言葉を交わしその宗教をよく知る「宗教間対話」が、宗教対立の解消につながるということです。

みなさんのなかにも、話し合いによる異文化理解によって偏見をなくしていくことが重要だと考えた人がいるのではないでしょうか?

しかし実は、この「宗教間対話」という手法には、大きな落とし穴があるのです。

一見平和的で合理的に思えるこの方法に、どんな問題点があるのでしょうか?

そして、どうすればその「落とし穴」を乗り越えることができるのでしょうか?

宗教学者の藤原聖子先生による講義「宗教をめぐる共生の現在ー“異文化理解”的発想の陥穽」を通して、いっしょに学んでみませんか?

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

「宗教間対話」の落とし穴

それでは、「宗教間対話」のどこに落とし穴があるのでしょうか?

講義では、次のことが指摘されます。

まず、類似点の多い宗教でも対立が起こっていること。もし互いの無理解が対立を招くのだとすれば、それぞれかけ離れた宗教ほど対立するはずです。しかし実際は、似た教義を持つ宗教間でも対立が起こっています。それどころか、同じ宗教のなかでも対立が生じていることさえあります。

また、宗教についてよく知ると差別や偏見がなくなるかといえば、必ずしもそうではありません。「宗教についてよく知ると、相手の宗教をからかうのもうまくなる」と述べている宗教教育の先生もいるそうです。

そしてそもそも、宗教間対話に参加する人は、既に一定の価値観や利害を共有しているという前提もあります。元も子もない話になりますが、本当に共存を考えなくてはいけない人同士は、対話のテーブルにつくことがありません。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

それでは、私たちは共生のために何をすればよいのでしょうか?

どのような信仰を持つ人も「公平」だと感じる場

もともと、ある宗教を信仰する人は、異なる文化圏に入ったときに、その文化に同化するしかありませんでした。1970年代、藤原先生が中学生で、イギリスに住んでいたとき、そこではイスラム教徒やヒンドゥー教徒の友だちもみな同じようにイギリス風の生活に合わせていたそうです。

次第に「多文化主義」の価値観が広がり、多様な宗教を信仰する人が、自身のアイデンティティを尊重しながら暮らしていくようになります。

そして現在は「ダイバーシティ」の時代。宗教や信仰がオープンになっただけでなく、それらの共生、社会参加と統合がめざされるようになりました。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

このような異なる宗教の共生は、どうすれば実現できるのか? いまはこのような段階です。

正しい知識と、相手への思いやりや誠意があれば、なんとかなると考えている人もいるかもしれません。

しかし、先ほど確認したとおり、異文化の理解は根本的な解決につながりません。「尊重」はできても、「共生」はできないのです。

むしろ問題の本質は別のところにあります。

その「本質」を考えるために、次のシチュエーションを想像してみてください。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

新入社員の親睦会。そこには、宗教上の理由でアルコールが禁じられている人がいます。

会場はどのような場所を選ぶべきでしょうか?

① お酒を飲むことが前提のバーや飲み屋はNG

② ソフトドリンクがあればバーや飲み屋でもOK

みなさんは①と②、どちらの回答に納得感があるでしょうか?

イギリスの「職場の宗教ハラスメント防止」ガイドブックには、①「お酒を飲むことが前提のバーや飲み屋はNG」と記載されているそうです。お酒を禁じる宗教は、自身が飲酒することだけでなく、酩酊した人のいる空間にいること自体が好まれないためです。

「一部の人だけが配慮されてずるい」と感じたでしょうか? もしそのような気持ちになったのであれば、そこにこの問題の本質が隠れています。

つまり、共生のための「落とし穴」とは、さまざまな宗教の人が共存する社会で、「不公平にならない」ようにしなければならないということです。

もし自分が一対一で飲食を共にするのなら、相手の宗教に合わせてあげればよいだけの話ですが、ほかにも人がいるのなら、どのような信仰を持つ人も「公平」だと感じる場をめざさなければいけません

つまり、共生のためのルールが必要なのです。

これには正解がなく、また知識や思いやりで対応できる話でもありません。

多文化主義政策をとる国(英、米、加、豪など)では、さまざまな宗教をもつ人のために、それぞれ異なる施策が実施されています。

講義で紹介されるのは、礼拝所の問題。

空港には、宗教用に礼拝室が設けられていることがありますが、その規模や仕様は国によって異なります。それぞれの国ではどのような施策が取られているのか、ぜひ講義を視聴して確認してみてください。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

学食のお茶は特別サービスなのか?

それでは、多文化主義政策があまり進んでいるとはいえない日本の場合はどうでしょうか?

講義で紹介されたのは、東大のイスラム教徒の学生の主張

困っていることはないか、藤原先生が尋ねたところ、「学食で、豚肉料理がのっていた他の人の食器といっしょに、自分の食器が洗い場に流れるのをみてゾッとした」と答えたといいます。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

この問題の解決方法を日本人の学生に聞いたところ、「マイ食器を持ってくる」、「有料の紙皿を提供する」という回答がありました。

イスラム学生への特別サービスになるので、自己負担ならOKだということです。

しかし、東大の学食ではお茶が無料で提供されています。ふだんお茶を飲まない人も、これがお茶を飲む人への特別サービスだと感じている人は少ないでしょう。一方、イスラム学生から見れば、お茶の方が特別サービスのように思えるかもしれません。

つまり、日本人の学生の多くは、「無宗教」の状態が社会のデフォルトであり、特定の宗教へ対応することは特別な優遇だと感じているということです。

一方、信仰をもつ学生(この場合イスラム学生)は、それぞれ宗教をもっているのが社会のデフォルトであり、一部の人だけ不便であってはいけないと感じています。

東京大学 UTokyo OCW 朝日講座 「知の冒険」 Copyright 2014, 藤原聖子

このように、日本社会は「無宗教」が一般的なので、世俗主義をベースとして暗黙のうちにルールを設定しています

しかし、宗教ベースの社会からみると、そこには不公平に感じることも数多くあるのだといえます。

終わりに

ルール制定のためには、政治的な問題、社会の課題について話し合って、共に解決法を考えていく必要があるでしょう。しかし、その話し合いの前提自体が世俗主義の価値観をベースにしていることも多く、真の公正をめざすのは簡単なことではありません。

ただ、宗教の共生の障害として、特定の宗教への無知や偏見を挙げる段階はもう過ぎていることは確かで、これからは公正な社会を作るためのルールを考えていかなければいけません。

この講義動画は、OCWの動画としては比較的短く、1時間かからず視聴することができます。ぜひみなさんも動画を観て、学びを深めてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:共に生きるための知恵(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2014年度講義)第6回 宗教をめぐる共生の現在―“異文化理解”的発想の陥穽 藤原 聖子先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

2023/09/27

みなさんは、自分は恵まれていると感じるでしょうか?

「まあまあ悪くない」と、ある程度現状に満足している人もいれば、そうではないと感じる人もいるかもしれません。

不満を感じていると、自分よりも恵まれていそうな人を羨んでは、憎んでしまうことも……

ですが、その憎しみがなぜか、強い立場にいる人ではなく、弱い立場にいる人に向いてしまうことがあります

弱い立場にいる人とは、たとえば、女性、エスニックマイノリティ、生活保護受給者など。

現代の日本社会では、このような社会的に立場の弱い人への批判的な運動が、一部で行われています。

本来、「被害者」といえるはずの彼、彼女たちが、どうして責められてしまうのでしょうか?

社会学者の北田暁大先生と一緒に考えてみませんか?

「日本社会は『右傾化』しているか」

今回紹介するのは、2016年に開講された「日本社会は『右傾化』しているか」という講義です。

講義が開講されてから時が流れ、語られる現状には少し変化が生まれていますが、取り上げられる問題は現在も本質的には未だ解決していません。

その本質的な問題とは、社会的弱者の平等の推進に対する「バックラッシュ(反動・揺り戻し)」です。

これまで社会的弱者の地位は、幾多の取り組みの末、部分的に回復してきました。

それに対して、不当だと声を上げ、平等化の流れに反発するのがバックラッシュという動きです。

北田先生は、このようなバックラッシュの動きを「右傾化」として捉えます。(そのため、「右傾化」は現状の維持を求める「保守化」ではなく、むしろ現状を改めようとする「反保守化」の動きとして起こっているといいます。)

講義では「トランプ現象」や「極右政党『ドイツのためのオルタナティブ』の伸長」、「フランスにおける価値統合問題」などが、バックラッシュの世界的な例として紹介されます。 日本でも同様のバックラッシュが起こっていて、北田先生は排外主義的な主張を行う「在特会」について言及しています。

印象論により行われる「現代的差別」

このような激しい政治的な運動が例となると、自分には縁のない話だと考える方もいるかもしれません。

しかし、この運動の背景になっているのは、「社会的な弱者に何かを奪われていると感じる剥奪感」です。

このようなそれなりに恵まれているマジョリティが感じる被害者意識は、ほかにも様々な形で表れています。

たとえば講義で紹介されたのは、生活保護受給者へのバッシング

生活保護受給者は、マジョリティよりも厳しい立場に置かれている社会的弱者ですが、「税金を食い潰している」として責められることがしばしばあります。

そのほかにも、いわゆるニートやゆとり世代へのバッシング、痴漢の被害者への批判など、本来「被害者」とも言えるような人が標的にされる例は枚挙にいとまがありません。

講義で紹介される概念に、「現代的差別」というものがあります。

これは、従来の「〇〇は△△に劣る」と主張する「古典的差別」に代わるものとして、作家の高史明が提示した概念です。

現代的差別は、「差別は既に解消しているにもかかわらず、彼らは自分たちの努力不足による結果による“区別”を受け入れないどころか、不当な特権を得ている」というロジックに依って行われます。

そこでは、実際の制度的な背景は無視され、印象論や身の回りの一部の事象を引き合いに、差別がなされるのです。

「〇〇化」について考えるときの3つのポイント

さて、今回紹介する講義のタイトルは、「日本社会は『右傾化』しているか」というものでした。

講義の前半では、日本社会に上述のようなバックラッシュの動きがあることが示されます。ですが、その現象を「右傾化」といえるか、すなわち過去と比べてその傾向が強まっているかどうかを判断するためには、もう少し詳細に考えていく必要があります。

そもそも、「〇〇化」というのは取り扱いが難しい概念で、正しく見極めないと、単なる印象論になってしまいます。

そしてその印象論は、特定の属性を持つ人々に対する間違った決めつけを生み、現代的差別に発展しかねません。

それでは「〇〇化」について考えるにあたっては、どのようなことに注意すればよいでしょうか?

授業の後半では、よく話題になる「若者の〇〇化」を例に、印象論について考察します。講義で紹介されたこちらのグラフ。

これを見ると、日本では、高齢者と比較して若者の愛国心が低くなっていることが分かります。

しかし、このグラフを見るだけで「日本国民の愛国心は弱まっている」と判断することはできるでしょうか?

下で紹介するのは、1969〜2009年の間、各年代ごとに全年齢と若者(20-24歳、25歳-29歳)の愛国心を抱く程度をまとめたグラフです。

このグラフから、「今の若者の愛国心が低くなっている」のではなく、「戦後日本では、どの年代においても、若者の愛国心は高齢者と比較して低い傾向がある」のだと見なすべきだと考えられます。

さらに、世代ごとの主張の時系列変化を見る際には、以下の3つの効果を意識する必要があります。

まずは「年齢効果」。これは年齢によって主張が変化していくということです。先ほどの愛国心の例はこの年齢効果を受けているといえます。

次は「コーホート効果」。世代ごとの主張は、その世代が育った時代の歴史背景に影響を受けるということです。たとえば戦争を体験したかどうかは、大きな主張の違いをもたらします。

そして「時代効果」。これは、特定の世代ではなく、特定の時代によって主張が影響を受けるということです。この場合、全世代の主張に変化が見られることになります。

この3つの効果のうちどれが働いているのか、いくつかのグラフを見比べながら判断することが、無根拠な世代語りに陥らないためには必要です。

「若者の関係が希薄化している」は真実か?

若者に対する印象論について、もう一つの例を見てみましょう。

しばらく前に「若者の関係が希薄化している」ということが主張され、話題になりました。

そこでは「今の若者は(職場で)昔の若者より形式的な人間関係を望んでいる」と考えられました。

しかし、実際にはどうなのでしょうか? 講義で紹介されるグラフを見てみましょう。

全体的に形式的な付き合いを望む割合が増えているように見えます。つまり、形式的な付き合いを望むのは、世代の効果ではなく「時代効果」だと考えられそうです。

講義ではさらに情報を絞ったグラフが紹介されます。

これを見ると、なんと若者(20代)の形式的付き合いを望む比率は1973年と2003年であまり変わらないのに対して、40代〜60代の比率は大きく上昇しています。

北田先生はここから、若者ではなくむしろ、職場で中堅以上を担う年齢層が、以前よりも形式的な人間関係を望んでいるといったほうがよいと主張します。

それにもかかわらず、世間では「若者の関係が希薄化している」と言われていたのです。

北田先生は、このような実態と異なる認識が生まれてしまう原因に、人々が「自分自身を固定的なアクターとして設定すること」があると指摘します。つまり、自分の変化には自覚的になることができないため、代わりに他の世代を社会の変化の要因にしてしまうということです。

「自分の若い頃と現在の自分との差異」を「世の中一般の昔と今の差異」として捉えてしまう。そして、「昔と今の差異」をもたらした要因として、新しい世代・若者が見出されてしまう。これが講義で説明される「若者論」の理由です。

「若者の関係が希薄化している」という主張は、実態と異なっていました。このようにピックアップするものを間違えると、誤った印象論になってしまうのです。

現代的差別を行わないために

講義の終わり、北田先生は、現代的差別に対処するために、講義を受けた聴講生に行ってほしいことがあると述べます。

それは、印象論に陥らないことです。

自分の身近なことは大切ですが、一般化する前に、それらについての調査や研究を調べてほしいといいます。

講義を通して、適切にグラフを理解することで、現状が明らかになることが示されてきました。家族や友達などのあり方は、社会制度によって大きく変わってきているため、実態を正しく捉えることが大切だといいます。

「若者は○○だ」「生活保護受給者は○○に違いない」といった対象への誤った見方が、人々を現代的差別に走らせる一つの要因になると考えられるからです。

この講義は、日本や世界の現状が理解できるだけでなく、自分の認識やあり方について問い直すこともできるような内容になっています。

記事では伝えきれなかったことも多くあります。興味を持った方は、ぜひ講義動画を視聴して、学びを深めてみてください。

<文/竹村 直也(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:現代日本を考える (学術俯瞰講義)第2回 日本社会は「右傾化」していてるか?北田 暁大先生

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2023/09/20

「デジタル・ヒューマニティーズ」という言葉を知っていますか? 
デジタル技術を用いて行う新たな人文学研究のあり方です。
デジタル化が急速に進む現代において、人文学の分野でもデータベースなどの存在が研究のあり方に変化をもたらしています。
急速なデジタル化の中で掴みきれないほどの広がりを持つ「デジタル・ヒューマニティーズ」を学ぶことにどんな意味があるのでしょうか?

今回紹介する講義では、中国の古典を専門とする齋藤希史先生が、孔子や朱熹、中島敦といった東アジアの文学作品を通してこの問いに取り組みます。

中島敦『文字禍』

みなさんは青空文庫を知っていますか? 
著作権がない作品や著者が許可した作品が無料で公開されているデータベースです。
作品名を検索したらネット上で無料で読むことができた、という経験をしたことがある人も多いと思います。

ここでは中島敦の『文字禍』を例に挙げて、紙ベースとデジタルにおける読書を比較します。

まず、紙ベースの本を手に取ると、1942年に雑誌「文学界」で『山月記』と同時に発表されたということや、その時代の広告、本の価格など、作品の内容以外の情報を得ることができます。
作品の時代性に触れるという経験は、青空文庫で読むときには得られないものです。

一方、青空文庫からアクセスすると、旧字・旧仮名が現代遣いに変換されていることがわかります。
これによって、過去の作品も現在のものと同じように処理ができ、より手軽に読むことができます。

中島敦『文学禍』|青空文庫

『文字禍』の舞台はアッシリアです。
齋藤先生は、この作品のテーマは文字の物質性であり、本=物ということを強烈に具現化するために、竹簡や木簡、紙ではなく粘土板を使用したアッシリアを舞台に選んだのだろうと言います。
ここでは、本が意味を持つということはその物質性、つまり粘土板であることによって保証されていて、データにしてしまうと、本は意味を持たないのです。
『文字禍』において明らかにされているメッセージは、文字とは物質としての書籍そのものであるということです。

デジタル人文学研究

次に、論語の冒頭を取り上げて、東アジアの観点から人文学について考えていきます。

論語などの重要な書物には、原文の他に2種類の注釈があります。
一つ目は原文をわかりやすく解説する「注」、二つ目はその注をさらに細かく解説した「疏(そ)」です。
古典が読み継がれるうちに、どんどん注釈が増えてその内容も多様化していくと言います。
そのように繁殖していった注釈を含めて、今日では数々の古典がデータベース化されているのです。

現在、古典書籍をデジタル化してさまざまな分析に活用する「デジタル人文学研究」が行われています。
例えば、論語注釈のデジタル版は、OCR(PDFの文書を文字起こしできるツール)を利用してデータ化されています。他にも中国古典の様々な文書がデータベース化され、内容の関連などをデータ上で分析できるようになっています。
また、東京大学総合図書館では、『直江状』という江戸時代の資料を「訓点がついてルビなしの文」、「書き下し文」、「カタカナをひらがなに変換した書き下し文」など、原文データの表示形を自由に変えることができるデータベースを所蔵しています。

このようなデジタルと人文学の関係は私たちに何を示唆しているのでしょうか?

まず、これらは「物としての書物や文献」をデータに移し替えるという行為であるということができます。

ヒューマニティーズは、ギリシャやラテンの研究のように、古典という書物を相手にしています。
また、漢字の「人文」という言葉を辞書で調べると、人間の築いた文明、人の書いた物・文章・書物という語義であることがわかります。
ヒューマニティーズと人文では西洋と東洋の違いはありますが、根本はおそらく同じだろうと言います。
その根本とは書物や古典であり、『文字禍』における粘土版です。

書物をめぐる人文学は以下のように三つの時期に分けることができると言います。

①近代以前:書物は私有されていて誰もが自由に読めるものではありませんでした。

②近代以降:公的な図書館ができ、書物が占有から公有へと変化していきます。

③現在:デジタル化によって、物からデータが分離しています。論語のような貴重な書物をデータベース上で誰でも見ることができるという意味で、公有であるということができます。

書物というものを中心に考えていくとき、我々は書物を読むことで知識や情報を自分の記憶に入れ、それらを言葉として話すことができ、文字として書くことができるというように、体の中に「知」というものを入れ込んでいく作業を行っています。
書物を身体に取り入れて、書く・話すことによって、「知」が身体化されていくのです。

試験の時に暗記した知識を取り出す、という作業は、身体化できているかどうかを試す、いわば体育のテストのようなものだということができます。

この観点から、読書とは知識を体に収める過程であり、書記とは身体からそれらの知識を離して物質化する過程であるということができると言います。

朱子語類『読書法』

次に、東アジアの人文学に多大な影響を与えた人として、朱熹を取り上げます。朱子語類の『読書法』において、書物の身体化はどのように捉えられていたのでしょうか?

本というものはその物質性によって価値が保証されているのであり、竹簡や木簡から書き写して物質性が失われることで、価値が損なわれてしまうという批判が書かれています。
竹簡や木簡を利用していた当時、中国の古典を読むためには訓練が必要でした。

少し前まで、我々がこれらの内容を探すためには、図書館へ行き朱子語類を頭から読んでいく必要がありました。
しかし、デジタル化されることによって、訓練されていない人でも容易に該当箇所を探し出し、類似した記述を他の作品とリンクして検索することができるようになったのです。

また、朱熹は読書を食事に例えています。最初に噛み付き、咀嚼して崩していくと滋味が自ずから出てくるのだと言います。
さらに、書物を音読することにも重きを置いていました。
こうした「身体化」的な読書の仕方が東アジアのスタンダードだったのです

デジタル・ヒューマニティーズの在り方

これらを踏まえて、現在のデジタル化は人文学にとってどんな意味を持つのでしょうか?

あらゆるものを対象として数字化することにより、データ処理速度が上がり、データの複製や共有が急拡大しています。また今日では、デジタルを用いて調べることが一般的になり、意識しないと物に触れることができなくなっています。
昔は「技法」であったデジタルのあり方が逆転したのです。

さらに斎藤先生は、手順や訓練に重きを置く人文学において脱身体化が進み特定の分野に発信されてきた文学や哲学、歴史学が他の分野に発信可能になったり、誰でも簡単に書物を読み解くことができるようになったことで人文学の研究者が謙虚になることを迫られたりするのではないかといいます。

Googleマップがどんどん精密になっていくように、情報のデータ化・脱身体化が進む中で、それでもこの身体がある場所の感覚と私たちとを切り離して生きることはできないという「身体性」を一つの方法として扱うことはできないのでしょうか?

<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:デジタル・ヒューマニティーズ ― 変貌する学問の地平 ― (2018年度開講 学術俯瞰講義) 第12回 デジタル・ヒューマニティーズと東アジアの人文学 齋藤 希史先生

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