突然ですが質問です!
文学の世界における、一番の大作家は誰だと思いますか?
もちろん、その答えは人それぞれでしょうが、ここでそのひとりとして19世紀ロシアの作家、ドストエフスキーの名前を挙げることに、異論がある人はあまりいないでしょう。
『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった代表作のタイトルは、文学に馴染みのない方でも、きっと聞いたことがあると思います。
しかし、ドストエフスキーの作品を読んだことがあるという人は、その名の有名さの割に、多くないかもしれません。長編の名手であるドストエフスキーの作品は、とても長いものが多く、気軽に手を出すことができないからです。
前提知識なく読み始めると内容がよく理解できないということもあり、挫折してしまった人も多いと思います。(私も大学1年生のときに『罪と罰』を上巻だけ読んで投げ出してしまったことがあります……)
「ドストエフスキー、凄いと言われているけど、何が凄いんだろう?」
今回はそんな疑問を持つみなさんに、ロシア文学研究者の大家、沼野充義先生による、ドストエフスキーの読書案内講義を紹介します。
ドストエフスキーの作品には「死」が満ちている
長編の名手として知られるドストエフスキーですが、そのなかでも特に名作として挙げられることの多い「後期5大長編」として、以下の作品があります。
◯『罪と罰』1866年
◯『白痴』1870年
◯『悪霊』1875年
◯『未成年』1875年
◯『カラマーゾフの兄弟』1879年〜1880年
(このうち『未成年』を外して「後期4大長編」とすることもあります)
講義では、そのうち特に知名度の高い『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』が詳しく解説されます。
そんなドストエフスキーですが、その特徴に、どの作品も数々の「異常な死」に満ちているということがあります。
講義で解説されるこの2つの作品も例外ではなく、どちらも死が作品の重要なテーマです。
どうしてドストエフスキーは、死をテーマとした作品を書き続けたのでしょうか?
ドストエフスキーの死の原体験と罪と罰
『罪と罰』は、元大学生による、金貸しの老婆殺害事件を描いた作品です。
舞台は1860年代のペテルブルク。主人公の貧乏学生であるラスコーリニコフは、自分が「選ばれた」天才であると信じこみ、他者を殺しても許されるという考えから、金貸しの老婆を殺害します。
どうしてドストエフスキーはこのような物語を書いたのか、沼野先生は、ドストエフスキーには、2つの死の原体験があったと言います。
そのうちひとつが、父親が領地で農奴(封建社会における農民)に殺害されたという事件です。事件の真相はいまだによく分かっていませんが、自分の親が殺されるという衝撃的な出来事は、18歳のドストエフスキーに強い印象を与えたと考えられます。
そしてもうひとつ、死刑判決を受け、銃殺刑執行寸前の状態を体験したということも、ドストエフスキーの死に対する考えに影響を及ぼしました。社会主義グループのメンバーであったドストエフスキーは、逮捕され、そのまま処刑寸前の状態にまでなりましたが、当時の皇帝であったニコライ1世からの恩赦が届き、一命をとりとめます。(実際にはこの恩赦は、事前に仕組まれたものでした)
沼野先生は、このようなドストエフスキーを「死にとり憑かれた作家」として紹介します。
『罪と罰』で描かれているのも、まさにドストエフスキーが身近なものとして体験した「殺人」です。
沼野先生は、『罪と罰』の主題は「踏み越え」と「復活」であるといいます。
『罪と罰』という作品のタイトルは、原語のロシア語では『Преступление и наказание(プレストゥプレーニエ・イ・ナカザーニエ)』になるのですが、「罪」という訳部分にあたる「Преступление(プレストゥプレーニエ)」には、語源的に「踏み越える」という意味があります。そして、「罪」というより、むしろ「犯罪」に近い単語です。
(沼野先生は、『罪と罰』のタイトルは『犯罪と刑罰』と訳すべきだったかもしれないといいます)
殺人という「犯罪(踏み越え)」を犯してしまった主人公のラスコーリニコフが、どう「復活」するのか。
この「踏み越え」と「復活」が、作中でも示される聖書の「ラザロの復活」のエピソードになぞらえられて、作品の重要な主題となっています。
もちろん、作品は作者から切り離して読んでよいのですが、父親の殺害を経験したドストエフスキーが、どのように殺人という「踏み越え」を犯した主人公を「復活」させるのかという視点でこの作品をみると、大筋を理解しながら読み進めることができるのではないでしょうか。
カラマーゾフの兄弟と父親殺し
次に紹介される『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ家の父親殺害事件を描いた作品です。
「父親殺害事件」と聞くと、まさにドストエフスキーの父親が殺害された死の原体験を思い浮かべると思います。
このように、具体的に作品に反映されるかたちで、ドストエフスキーの死の原体験は尾を引いているのです。
一方で沼野先生は、ここでの「父親」はそのまま家族の父親でありながら、また「国民の父」である皇帝だと解釈することもできるといいます。
ドストエフスキーが活躍した19世紀末は、まさにロシア帝国が崩壊する前夜の時代であり、先ほど紹介したように社会主義活動も行っていたドストエフスキーにとって、皇帝殺害の企ては現実的なものでした。
さらにこの「父親」は、より大きな「神」という存在を具体化したものと考えることもできます。
ドストエフスキーの作品には、「死」と同じように、「神」というテーマが頻出します。『罪と罰』の「復活」も、聖書のエピソードをもとにしたものでした。
この『カラマーゾフの兄弟』にも、『罪と罰』と同じように、キリスト教が重要なモチーフとして登場します。
『カラマーゾフの兄弟』における「父親殺し」は、「家庭の父」、「国家の父(皇帝)」、「人類の父(神)」の3層を含んでいると考えることができるのです。
具体的な話を展開しながらも、このような壮大なテーマへの示唆に富んでおり、多様な読みを導くのが、ドストエフスキーが大作家である所以だといえます。
小説は要約しても意味がない!
みなさん、いかがでしたでしょうか?
ドストエフスキーの何が凄いのか、少しは掴んでいただけましたか?
なんとなく、ドストエフスキーの作品について理解できて、満足したという人もいるかもしれません。
しかし、沼野先生は「小説は要約しても意味がない」といいます。
講義中で、ドストエフスキーと同じくロシアの大作家であるトルストイが『アンナ・カレーニナ』という作品を出版したときのエピソードが紹介されています。
ある批評家がトルストイに対して、「あなたは『アンナ・カレーニナ』という作品で何が言いたかったのですか」と尋ねました。
トルストイはそれに対して、「それを説明するためには、『アンナ・カレーニナ』という作品を最初から最後までもう一度書かないといけないでしょう」と答えたそうです。
そう考えると、やはりドストエフスキーを知るためには、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を実際に読むしかないのでしょう。
ボリュームのある作品が多いですが、大枠が掴めれば、きっと読み切ることができるはずです。講義動画では、ドストエフスキーや紹介したふたつの作品について、より詳しい説明がされています。良い読書体験をするうえでの助けとなると思います。
どうしてもハードルが高い、という方のために、講義では沼野先生による、オススメのドストエフスキーの短編も紹介されています。不安がある方はぜひ、まずそこから手を出してみてください。
今回紹介した講義:
今回紹介した講義:死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)第7回 ロシア文学における生と死(その1) ドストエフスキー 沼野 充義先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>