私たちの言葉に潜むバイアスとは?—言語と社会の関係を見つめ直す
2024/12/20

突然ですが、皆さんにクイズです。
次の文章の続きを英訳してみてください。

私が手を洗うと、教授も手を洗った。
I washed my hands, and then……

さて、あなたの回答は次のうちどれでしたか?
・the professor washed his hands.
・the professor washed her hands.
・the professor washed their hands.

この問いに対して無意識のうちに「his」を選ぶ人が多いのではないかと、本講義の講師、伊藤たかね先生は指摘します。

日本語では教授の性別を特定する必要はありませんが、英訳をするには性別を明確にしなければいけません。その際に、教授という職業から、無意識のうちに男性の代名詞を使ってしまうという問題が起こります。

今回ご紹介するのは、ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)の第11回、「言語とジェンダー」です。

無意識のバイアスを測る手法「IAT」

はじめに、「バイアス」という言葉をご存知でしょうか?
バイアスとは、思い込みや偏見からくる先入観のことです。

先程は、教授は男性だろうというバイアスにより、無意識のうちにhisを選択しやすいという例を取り上げました。これには、実際の生活の中で女性に比べて男性の教授に出会う回数が多かったという私達の経験が影響しています。

では、私達のバイアスを知るためにはどうすればよいでしょうか。

有効な手法として知られているのが、「IAT(Implicit Association Test)」と呼ばれるものです。IATでは、言葉を分類する課題を通じて概念と概念の結びつきの強さをはかります。

例を見てみましょう。

被験者は提示される単語を分類する課題を行います。
まずは、提示される単語が男性を示すものであれば「左」、女性を示すものであれば「右」に分類する、というルールにした場合を考えてみます。例えば弟という単語は左、おばあちゃんという単語は右、といった具合に回答していきます。

続いて、家庭に関することは左、仕事に関することは右に分類するというルールにします。
昇進、台所、ベビーカー、経営会議…など関連するワードが提示されるので、「昇進」は右、「台所」は左、「ベビーカー」は左、「経営会議」は右…と回答していきます。

そしてこれら2つを組み合わせてみます。ここから先は皆さんも挑戦してみてください。
男性あるいは仕事に関することは左、女性あるいは家庭に関することは右に分類してみましょう。

息子、給料、ベビーカー、掃除機、母親、姉妹、おじいさん、会議資料…

今度は組み合わせを変え、女性あるいは仕事に関することは左、男性あるいは家庭に関することは右、とします。

息子、給料、ベビーカー、掃除機、母親、姉妹、おじいさん、会議資料…

ここで、後半が難しく感じたという方はどれほどいるでしょうか?
実際には、同じ作業をしているはずなのに、後半を難しく感じる人は多くいます。

なぜなら私達にとって、男性と仕事、女性と家庭は結びつけやすく、女性と仕事、男性と家庭は結びつけにくいためです。頭の中で結びつけている組み合わせと逆の組み合わせには迷いが生じ、難しく感じるのです。

実際の実験では左右ではなくAとEなどキーを設定し、単語が提示されてからキーを押すまでの時間を測定します。無意識のうちに関連づけているものを同じキーに割り当てた時には反応が早くなります。

IATは顕在化しにくいバイアスを量的かつ客観的に測れるものとして、広く社会言語学で使われています。

言語に関わる無意識のバイアス

ここからが本題です。
言語に関わる無意識のバイアスを

  1. マイノリティを表す言語に対するバイアス
  2. マイノリティが使う言語(変種)に対するバイアス

の2つに分けて考えてみましょう。

言語変種とは、地域(方言)、社会階層、年齢、性別などによって同一言語内で相違を持つ変種のことです。私達に馴染み深い方言以外にも、同じ言語内で男性と女性が使う言葉、お年寄りと若者が使う言葉には違いがあり、それらを言語変種と呼びます。

マイノリティを表す言語に対するバイアス

先程の実験から、女性を表す表現に対して家庭に関する物事を表す表現と結びつけるバイアスがあると指摘できます。

ただしここで考える必要があるのは、
社会に実在する偏りに基づいて人がバイアスを持ち、それが言語に反映されているのだとしたら、変えるべきは社会で言語ではない、とみなして良いのだろうか?ということです。

例えば、過去の大量のテキストデータを学習するAIの自動翻訳は、過去の言語表現に固定化されたバイアスを(社会が変化してもなお)学び続ける可能性があります。言葉は社会と同じスピードでは変わらないため、言語表現が偏りを「固定化」したり、「増幅」したりするリスクには注意が必要です。

具体例を見てみましょう。
冒頭で触れた代名詞の性についてです。

例えば、英語の授業で

Every professor is required to submit his report on…

という例文を用いてEvery professorにはhisを使うと教えていたとします。(少なくとも昔はそのように教えていました。)

女性が自分はheではないと認識していると、このような文章に触れる機会が多い場合、教授は男性の職業であり女性である自分の職業ではない、という意識が生まれる可能性があります。社会にある偏りがバイアスを生み、それが言語に反映されるだけではなく、その言語に触れることでよりバイアスが深まるという悪循環が生まれているのです。

言語の変化が意識の変化に繋がる

悪循環を断ち切るには、言語も変える必要があります。
米国では実際に1970年代頃から言葉を変えてきた背景があります。

教授の例では、

Every professor is required to submit their…
The professor washed their hands.

のようにhisを使わず、単数でも性別を特定しないthey,theirで受ける用法を使い始めました。当初は反発もあったものの、2010年代頃から一般的に受け入れられています。

マイノリティが使う言語(変種)に対するバイアス

続いて2つ目のバイアスについて見ていきましょう。

ここで重要なのは、そもそも言語(変種)に本質的な優劣はなく、どのような言語(変種)も、それぞれ精緻な文法体系を持っているということです。

しかしながら実際には、特定の言語(変種)を劣ったものであるとするバイアスと、特定の言語(変種)の使用者を劣ったものであるとするバイアスが存在しています。

■AAEとSAE

例えば、主に都市部のアフリカ系アメリカ人が多く用いるアメリカ英語の変種「African American English(AAE)」は1960年代頃、誤った文法を持つ変種とみなされていました。ところが詳細な研究の結果、標準とされる言語「Standard American English(SAE)」とは異なるものの、複雑で精緻な文法体系を持つことがわかっています。

以下の文章を見てください。

He nice.; They mine.; She gonna do it.

AAEではこのように、be動詞が脱落するという特徴があります。
しかし、be動詞はいつでも脱落するわけではありません。

He as nice as he say he is.
How beautiful you are.

上の文章で太字にしているbe動詞は省略できません。
お気づきかもしれませんが、この太字のbe動詞は、SAEでもhe’s やyou’reと弱く発音してはいけないbe動詞です。つまり、AAEのbe動詞の脱落とSAEのbe動詞の弱化は同じ規則に基づいています。

SAEの文法が正しいとすれば、AAEは誤りが多い言語となります。つまりマジョリティが当然と考えるものがすべての人にとって当然であるべきだとする思い込みから、「間違った言語」「劣った言語」という考えが生まれていると言えるでしょう。このような思い込みは言語に限らずいろんな差別や偏見の根底にあります。

マイノリティが使用する言語は、学校や裁判所など公的な場で使用を禁止されたり、教育現場で誤りとして矯正されたりすることで、「劣った」言語としてのスティグマを与えられてしまうことがあります。本質的には優劣がないにも関わらず、社会の権力構造が言語の優劣を作っているのです。

実際に、IATの結果から、AAEの言葉と「愚かさ」を結びつけるバイアスが指摘されています。(Loudermilk,2015より引用)

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 伊藤たかね

まとめ

最後に皆さんに改めてお伝えしたいのは、言語に本質的に優劣はないこと、社会の権力構造で言語の「優劣」がつくられるということ、そしてその「優劣」はその言語を用いる人の性質(たとえば賢さ、愚かさ)に無意識のバイアスで結び付けられているということです。

この講義では、ジェンダーだけではなくマイノリティの使う言語とマジョリティの使う言語という大きな枠組みの中で、私たちの無意識のバイアスがどのように言語に反映されているのかを学ぶことができます。

当記事で紹介することのできなかった身近な具体例や実験が講義動画内では多く紹介されています。ご興味のある方は是非動画をご覧になってみてください。

<文/RF(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義) 第11回 言語とジェンダー 伊藤たかね先生

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