2023年度Sセメスター学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」から、第10回『人と空気の歴史社会学(空気にも歴史がある)』です。講師は、総合文化研究科の佐藤健二(さとう けんじ)先生です。
空気の価値とは?
私たちにとって“空気”とはどのような存在でしょうか。説明するまでもないですが、空気は我々人間たちが生きる上で必要不可欠な要素の一つです。そのため、当然ながら空気は価値があるものとして捉えられます。しかしながらそれと同時に、手に取って見ることのできない性質やその無限性から人間が発見しにくい自然資本、社会的共通資本としての側面も持ち合わせています。本講義は、この”空気”に対して大きく二つの話題とともに進められていきます。一つ目の話題は、空気の「価値化」についてです。このキーワードをもとに、「価値化」それ自体の含意の拡がりを価値と価値意識の研究から考え、佐藤先生に社会学の立場から解説していただきます。二つ目の話題は、ひとが「空気」を論じてきた枠組みについてです。空気に対する理解の社会的な変化についてを歴史社会学の視点から考察していきます。加えて、空気そのものだけではなく、それを管理する技術、空気との関係、環境の捉え方などから価値意識の変化に触れ、そこに存在する問題について言及していきます。
「歴史」とはなにか
空気の歴史について語る前に、そもそもの「歴史」について簡単に定義しておきましょう。”全ての歴史は現代史である”と佐藤先生は語ります。しかしながら、この言葉に違和感を感じるひとも多いのではないでしょうか。歴史は一つ一つの事象の足し算であるというような捉え方をされる場合が多いです。ただ、それぞれの出来事が独立して存在しているのではなく、むしろ各々が複雑に絡み合うことで成立しているのです。歴史は過去の事実の掛け算であり、変化・進化・退化は全てそれらの事象の掛け合わせの結果なのです。そのため、過去の事象でも今起きていることと繋がりをもつことから、全ての歴史は現代史であると形容することができるのです。
「価値」のコトバの意味
価値とは、価値化とは一体なんなのでしょうか。その意味を改めて捉えるために、辞書をひいてみると、下記の通り、そのコトバ自体のコンセプトが極めて曖昧なものであることがわかります。
これらの意味の曖昧さから、「ひょっとしたら”価値”というコンセプトは日本語としてけっこう新しいのではないだろうか?」という疑問が浮かび上がってきます。
”価値”という言葉はどちらも”あたい”を意味する漢字から成り立つ。”価”の字は、適合する・すりあう・多用するという意味を持ち、交換・交易・市場のなかでの言葉です。”値”の字も同様に市場の中で使われる言葉であり、このことから、”価値”というコトバは市場交換の性質が生活感覚に入り込んできた中でつくられた言葉なのでは?ということが推測できます。
上記のようにコトバの意味を探ることは、実は狭義の言語論の範囲に留まる話ではなく、社会学的研究の方法論とリンクするのです。
新しいコトバの登場・使用または、従来ある言葉の新しい意味での使用はそれ自体が社会の大きな構造変容、システムの変化の兆しである場合が多いのです。必ずしも、社会システムの変容があると常に新しいコトバが生み出されるわけではないものの、使われているコトバの意味、新しいコトバの必要性の高まりは社会の変動の一つの指標になります。これらのコトバの変容は「歴史は過去の事実の足し算ではなく、掛け算である。」という話題に大きく結びつくものです。
「価値」をめぐる主題の拡がり
ということで、改めて”価値化”とは一体何なのでしょうか?価値化について図式化したのが以下のものです。
価値というのは、”客体の属性”つまり、対象に備わっている性質・値打ちだけではなく、価値観や価値意識などの主体的要素が掛け合わされて初めて成立しているのです。つまり、ここも掛け算なのです。
よりわかりやすくするために、金(GOLD)を例に挙げて説明するとします。金はものとしての希少性、変化しにくい鉱物であるという特徴があり、これが客体、ここでいうと金の属性です。ただ、これら属性のみで金の価値を語ることはできず、誰もが金に対して”値打ちがある”と思っていることが前提条件です。この前提条件の発生、すなわち主体のモノへの”価値観”や”価値意識”といった主体的要素があって始めて金に価値が生まれるのです。
金以外のモノにおいても、モノの価値はそれ自体の価値ではなく、そのモノを取り巻くストーリーも相まって”価値”が成立します。主体による”意味付け”が、”価値”を語る上で非常に重要な役割を果たしているのです。そのため、空気の価値化を語る上で、空気にどのような意味を与えているのかという人間側の問題意識、価値観を深く考察する必要があるのです。
価値意識の構成要素ー欲求と規範ー
今回の講義を担当した佐藤先生の恩師であった社会学者の見田宗介氏によると、価値意識の構成要素は欲求と規範の二つであるそうです。欲求は人を突き動かす力であり、規範は人間がすすむ方向、動き方をコントロールする枠組みであり、これらは心理学の基本的な概念になります。
欲求について
三つの段階的位相
欲求にはさらに三つの段階的位相があるといいます(見田、「人間的欲求の理論」より引用)。欲求には必要・要求・欲望の3つのレベルに分かれており、それぞれ違う性質を持っています。必要は欲求の客観的・絶対的な段階、自然的・身体的基盤であり、例えば栄養があるから食事を摂るといった行為が挙げられます。これは満たされればなくなる欲求と区別することもできます。要求は一般的に高次化したレベルでの欲求であり社会的・人間的なことをベースとして発生する欲求です。最後の欲望については、欲求の特定方向への昂進、発展性をともない、これらは無限性も持ち合わせている、個性的・文化的基盤による欲求です。これは身体的制限から解放され、歯止めなく膨らんでゆく、人間固有の駆動力です。
欲求における他者の存在
これら三段階の欲求の位相を語るうえで、押さえておきたいポイントは個人、主体だけが欲求を持つのではなく、他者もまた同様に欲求を持っているということです。これをどう共存させるかが、人間社会の問題として存在するのです。人間は複数の欲求をもち、多様性がある一方で、他者との共存から、他者の欲求の保持も認識しており、そのなかで共存することがいわば宿命付けられています。”他者との共存と欲求”について例を挙げるとすると、”食欲”はその例の一つです。
例えば、自分がお菓子を食べたいとしましょう。一方で他者もお菓子を食べたいと考えており、ここでの主体(自分)は他者(客体)も同様に”お菓子を食べたい”という欲望を抱えていることを認識しています。そこで、主体は他者と仲良くしたいし、自分だけ食べて気まずくなるのを避けるために、お菓子を独り占めせずに一緒に食べるという解決方法が取られます。これら一連の動きは極めて人間的な解決であり、動物がそのようなプロセスを踏んで、人間のような解決をするかは甚だ疑問です。
規範について
このあたりで価値意識の理解において、欲求とともに”規範”というもう一つの構成要素が深く関わっていることが見えてきます。
規範は、依るべきルール、基準であるのと同時に、望ましい在り方を指し示すものでもあります。見田氏によると、欲求が性向しているのが幸福、規範が性向しているのが善です。
ここでの問題は、幸福と善、つまり欲求と規範のそれぞれの性向がいつも自然に、自動的にピッタリと重なり合うわけではないということです。個人の中でも、それを超えた社会にしても、善と幸福との間でギャップが発生するために、不安、失望、無気力などの人間の悩みが生み出されるのだといいます。
使用価値・交換価値
価値意識の理解において使用価値・交換価値という、非常に経済思想史的な概念によって光が当てられている部分も忘れてはなりません。これら二つの価値区分は商品の存立を分析する資本的な枠組みです。簡潔に説明すると、
・使用価値
主体としての人間が、自ら利用することにおいて生ずる価値
・交換価値
使用せずに市場にだして、他の財と交換する局面で語られる価値
というふうに区分されます。
これらの価値は互いに、人とものとの関係が大きく異なっており、
主体と客体どちらに焦点を置くかに違いがある、つまり前提となっている構造がちがうという訳です。
「使用価値、交換価値」の概念の性能
これらふたつの価値区分について改めて説明すると、
・使用価値:対象となるものが持つ属性、内容、特質が具体的に認識されている
それに対して、
・交換価値:抽象化、一般化、ときに記号化される
ということです。
交換価値はモノの価値の抽象化、一般化、ときに記号化がなされるため、そのものの有する性質から離れ、不透明化していきます。価値が直接的な要素をもとにするのではなく、数字という形で抽象化されて、それ自体が自立して意味を持ち始めるのです。これら一連のプロセスが”使用価値→交換価値”の矢印の動きを語る上で非常に重要な役割を果たしており、この動きに先述した”人間の欲望の歯止めの無さ”が関わってくると、交換価値は実際のものの持っている価値から乖離して分離して、無制限に高騰していく、暴騰していく、コントロール不可能になっていくという問題があります。マグロの競りやポケモンカードの売買などにおける価値はまさに”使用価値→交換価値”のプロセスにおける人間の欲望の無制限さを表す良い例でしょう。
ただ、これまで語ってきた使用価値、交換価値の尺度は資本論において商品の存立のメカニズムの分析のなかで工夫されているものの、商品・市場の存立を論ずる目的に縛られていて、これらの問題を批判した後の社会を論ずるところでは実は非常に物足りません。
社会的共通資本(本講義に限った話題で言えば”空気”)の議論は、使用価値の復権というような色彩を持ちます。しかし、実はそれだけではない議論の広がりを捕まえられるかは、そもそもこの概念には限定があり、非常に難しいのです。
そのため、議論の範囲を広げるために
・共存価値
・共生価値
といった、使用価値・交換価値とは理想の異なる新しい概念を導入することが必要なのではなかろうかと佐藤先生は提案されています。どうやら空気の価値化という議論は、”既存の価値を論じてきた枠組みで論じきることはできないのでは?”、”新しい概念、切り口が必要なのでは?”ということも問題提起する必要があるそうです。
ひとと「空気調和」の歴史を見渡す
それではいよいよ空気の歴史について、本題に入っていきます。
・空気についての議論の始まり
空気のことについて論じられ始めたのは1920年代、30年代あたりであり、空気調和装置ができてくる時代と重なります。ただ、この時期よりも前に空気の価値は論じられています。
例えば、岸田吟香は1877年に読売新聞にて「水とコレラの汚れだけではなく、空気の良し悪しも非常に重要である。」とし、『「腐った空気」は病気と関連する』と語っている。記事内ではとりわけ、家の内部のかまど、火鉢、炭火からの炭酸ガス、年における集住の中での風通しの悪さなどについて述べています。「空気の良し悪しを水の良し悪しと同じように考えないのは非常に文明的ではないのではなかろうか?」というのが彼の意見であり、これらの考えは当時からすると非常に先駆的でした。そして、仕事場・工場での空気の問題が論じられるようになります。ただ、この当時は窓を開けるなどの対策しかなされませんでした。
・空調の出現
1930年代に入ると、”空調”の語が百科事典に載るようになります。これはまさに、先述した”新しいコトバの登場・使用または、従来ある言葉の新しい意味での使用はそれ自体が社会の大きな構造変容、システムの変化の兆し”であることの一例です。当初は印刷工場における湿度管理の重要性などから、空調は温度よりも湿度に焦点が当てられました。その後、丸ビルのような都市空間におけるオフィスビルディングの登場に並行して、丸の内病と呼ばれる”換気ができないことによる空気の問題”が1930年代後半に話題となったのです。そこで、オフィスビルディングのような、従来は存在しなかった巨大空間に空調が対応しなければならないという流れになりました。また、宇沢氏の「自動車の社会的費用」で述べられているような、銀座などにおける自動車の激増による空気汚染の問題など、まさに空気の社会的共通資本論の幕開けであり、社会の多くの場面で空気について活発に論じられるようになります。ただ1930年代当時の解決策は、”排気口を従来よりも上に設置する”などといった、今考えると非常に未熟なものでした。また、空調設備を整えたはいいものの、在郷軍人病と呼ばれる冷却装置の水に繁殖したレジオネラ菌という細菌による病が広がるなど、閉鎖空間における空気コントロールが温度管理以外の副作用をもたらしてしまうという問題もありました。
・空調の意味の狭義化
1970年代に入ると公害問題が日本の各地で発生し、そこでも空気に対する議論は広く活発に行われました。しかしながらその後、本来さまざまなレベルでの「空気調和」を意味すべき「空調」という言葉が、建造物内の閉鎖空間における「空気調整」という意味に狭められていくようになります。その要因は一体何なのでしょうか。動画内において、複数の要因が紹介されておりますので、ご興味のある方はぜひ講義をご覧ください。
まとめー空気の価値化の議論ー
いい空気、幸福な空気とはいったいどのようなものを指すのでしょうか。本講義では空気を空調の歴史と共に語ってきましたが、空気は調整される対象としてだけではなく、「空気を読む」などのコンテクストにおける空気、人同士を取り巻く空間としての空気など、さまざまな意味を含みます。コロナ禍を通じて、オンライン会議の普及などの、ひととひとの対面的な、空間における関係性の見直しなど、空気に関する課題は現代社会において、考えるべき非常に重要なテーマです。それらの”空調”の意味が狭義化しているいま、我々は「空気の価値化」について改めて考えるべき局面にいることを理解するべきであると感じました。その第一歩として、共存価値や共生価値といった、モノの”価値”について考えるうえでの新たな尺度が必要なのではないかと佐藤先生は考えているのです。講義動画内では、本記事で書き切ることができなかった空気についての話題がより詳しく説明されていますので、気になる方は是非動画をご覧ください。
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」 第10回 ひとと空気の歴史社会学:空気にも歴史がある 佐藤健二先生
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