だいふくちゃん通信

2022/09/29
近年、「持続可能な社会」という考え方が広く共有されるようになってきました。
これは、将来の世代のために自然環境を適切に保全しながら、現在の世代の要求も満たしつつ存続していく社会を指します。
これからの社会を長く維持できるものにするために、過度にCO2を排出したり、資源を消費したりすることのない、持続可能な社会へと転換していくことが目指されています。
しかし、持続可能な社会とは、具体的にはどういった社会なのでしょうか?
目標として立てることはできたとしても、実際にそのような社会は実現可能なのでしょうか?
こういった話をするときに話題に上がりやすいのが、江戸時代の社会です。
みなさんも、「江戸時代はエコな社会だった」などという話を聞いたことがあるかもしれません。
実際、江戸時代には、基本的に鉱物資源はつかわれず、再生産可能な動植物資源が主なエネルギー源でした。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
資源の利用という観点において、確かに江戸時代の日本はバランスが取れていたといえます。
一方で、動植物資源では成長できなかったから、鉱物資源中心の社会に移行したのではないかと考える人もいるかもしれません。
しかし、動植物資源に依拠した江戸時代も、経済社会の拡大局面を含んでいました。
一体なぜ動植物資源に依存しながら、江戸時代の社会は経済的に成長することができたのでしょうか?
今回は、江戸時代の経済システムを概観しながら、その持続の可能性と限界を探る講義動画を紹介します。
17世紀に激増した、人口と耕地面積
今回講師を担当してくださるのは、日本経済史の専門家である谷本雅之先生です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
先生はまず、江戸時代の日本の人口と耕地面積の推移を示します。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
上のグラフのとおり、江戸時代で人口と耕地面積が大きく増えたのは、17世紀でした。
人口については、1600年からの100余年で2倍近くになっています。
その後18世紀に入ると、人口と耕地面積はほぼ横ばいになり、19世紀にまた少し上昇しています。
家族を基体とした農業が、人口増加につながった
それでは、なぜ17世紀にここまで大きく人口と耕地面積が増加したのでしょうか?
ひとつの理由は、それまで農地として利用できなかった肥沃な平野の開拓が進んだことです。
一方で谷本先生は、経済システムという面でみると、直系家族の形態の定着が大きな鍵になると主張されます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
江戸時代になると、3、4世代が同居するひとつの家が独立した経済主体となりました。
この直系家族が、江戸時代の農業の基体になっています。つまり、血のつながったひとつの家族ごとに農業を営む形態が一般化するのです。
17世紀には、二毛作の発展や鍬の使用(それまでは鋤を使用していた)、肥料の利用拡大などにより、土地の生産性が増大しました。そしてそれが、17世紀の経済成長につながっています。
ただし、このような土地の生産性を上げるための施策には、労働投入が必要です。これまでと比べて厳しい労働を行い、しばらくその施策を続けたうえで、ようやくその成果があらわれます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
直系家族を農業基体とする形態は、このような労働投入型の農業に適していました。家族労働であれば、たとえ投資と成果に少しタイムラグがあっても、確実に成果の配分に預かることができるからです。
頑張る分だけ成果が出たことで、農民の労働意欲も上昇し、結果として経済的な成長が達成されました。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
農業の固着性により、共同資源が維持される
江戸時代の農業から持続可能な社会を考えるうえで、もうひとつ重要なのは、地域の農民が総有する入会地の存在です。
17世紀は、農業の肥料として、柴や草を原料とした草肥の重要度が高い時代でした。その肥料を手に入れるために、農民たちは森林などの土地をみんなで共同利用します。
「共同利用」と聞いて、果たしてそのようなシステムがうまく成り立つのか、疑問に思われた方もいるかもしれません。
たしかに、共有地は一般的に、うまくいかない制度だと考えられています。資源の濫用や過剰利用へとつながってしまうからです。(生物学者のギャレット・ハーディンが「コモンズの悲劇」という論文を発表して、共有地化による資源の枯渇が広く認知されるようになりました)
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
まさに現在、資源が減少しているひとつの理由も、私たちが「共有」している地球という環境資源を過剰に消費しているからでしょう。
しかし、谷本先生は、江戸時代の入会地は、実はある程度うまくいったといいます。
どうして共有地であるにもかかわらず、入会地では過剰に資源が消費されることがなかったのでしょうか?
そのひとつの理由は、農民が入会地を長期利用することに重きを置いていたことにあります。
先ほど紹介したように、江戸時代の農業は直系家族を基体とする形態であり、その家族は同じ場所に定住して生活していました。つまり、江戸時代の日本の農村は固着性が強かったのです。
もしそこで、ひとつの家族が資源を過剰に消費してしまうと、ほかの家族の反感を買います。場合によっては、村八分になってしまうリスクさえあります。
そのような環境では、ルールに従って、適度に資源を共同利用する必要があるのです。
共有資源を過剰に消費しないための条件
経済学者のエリノア・オストロムは、共有資源が管理できる条件として、次の6つを挙げています。(画像参照)
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
ここで挙げられる条件の多くを、江戸時代の農村は満たしていたのだといえるでしょう。
そのため、入会地という制度は一定の成功をおさめることができたのです。
固着性の強い農業形態に親しんでいる私たちは、このような江戸時代の農業環境をスタンダードなものだと捉えてしまいます。
しかし、谷本先生いわく、世界的、歴史的に見て、江戸時代の日本の農業は特に固着的なものであったようです。
このような共有地利用の条件についての考察は、そのまま持続可能な社会の議論にも応用することができると思います。
では、どうして18世紀に人口は停滞したのか?
ここまで記事を読んできて、江戸時代の社会システムに可能性を感じる一方、その限界を感じ取った方もいるかもしれません。
たしかに17世紀の日本では人口と耕地面積が大きく増加しているものの、18世紀ではそれらの拡大が止まってしまったからです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2018 谷本雅之
その停滞に対し、動植物資源に依存した成長には限界があったとみる向きもあります。
やはり、更なる経済成長のためには、鉱物資源中心の社会に転換するしかなかったのでしょうか?
結論から述べると、18世紀に人口が停滞した明確な理由はいまだ分かっていません。
『人口論』で知られる経済学者のマルサスは「人口が停滞するのは飢饉などによる」と主張していますが、これまでは江戸時代の人口停滞もマルサス的な理論で考えられてきました。
しかし、17世紀と比べて、18世紀の日本の平均寿命は基本的に伸びているということが明らかになっています。必ずしもマルサスの主張通りにはなっていないのです。
明確な理由は分からないものの、講義では、18世紀日本の人口停滞の原因に対する考察が、可能性としていくつか述べられています。
そのほか、水産資源の利用や、江戸時代の都市の社会システムについての解説もあります。
江戸時代の社会は過去のものではありますが、たしかにその社会システムは日本という環境で成立していたものです。その資源利用の仕方など、これからの社会をつくっていく際に、参考とすべき点は多くあります。
ぜひ講義動画を視聴して、動植物資源には本当に限界があったのか、みなさんも考えてみてください。
今回紹介した講義:ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)第10回 歴史の中の動植物資源と経済活動 谷本雅之先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2022/09/21
なんで自分はこうなのだろうか‥‥‥?
こうなってしまうのは全部自分のせいなんじゃないか‥‥‥?
このように考えてしまったことはありませんか。
自分の心に問題や悩みを抱えた時、私たちはひたすら頭を抱えて、自分の中に苦しさの原因があると思ってしまいがちです。
そうして、「自分が全て悪い」、「周囲に申し訳ない」、といったふうに全ての責任を自分で負おうとしてしまいます。
人間の苦悩とは、個人の中だけにあり、その人が全ての責任を負うものでしょうか。
決してそうではないと、講師は言います。
人間の心に生じる問題は、当事者である人間と、周辺の他者との交流や会話といった、「環境」との相互作用によって生み出されます。
それが悪循環に陥ることで、人は多くの苦悩を抱えてしまいます。
そして、そこから抜け出すための鍵の一つが、認知行動療法です。
臨床心理学を専門とされる下山先生と一緒に、苦悩の「つながり」とは何か、その「つながり」から抜け出すにはどうすれば良いのか、一緒に考えてみませんか。
きっと、この複雑な社会で、自分や周囲の心に生じる問題や苦悩とどう向き合っていけば良いのか、そのヒントが得られるはずです。
1.問題の背景に潜む、悪循環という「つながり」
まず、問題の背景に潜む「つながり」とはどういうものか知らないと、そこから自由になることはできません。
不登校状態にある”心理君”を例にとって考えてみます。
すると、下図のような悪循環、つまり、苦悩の「つながり」が潜んでいることが分かります。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦
このように、問題の背景に潜む苦悩の「つながり」を理解するためには、
不登校状態という「問題」だけに着目するのではなく、その背景にある様々な基本要素と、それら同士の「つながり」を丁寧に紐解いていく必要があります。
問題行動は、あくまで悪循環の一部でしかありません。
学校に行かないという心理君の問題行動の背景には、
実は、親からの刺激、学校で失敗しないか、いじめられないかという本人の認知・考え方、怖いという感情、ドキドキして震えるという生理的反応、そして、学校にいけないという行動があるのです。
2.ミクロな視点とマクロな視点で問題を考えていく
問題行動というのは、あくまで苦悩の「つながり」の一部であり、その背景には様々な要因と要因同士の関係が潜んでいるということを述べてきました。
もう一つ、問題の成り立ちを探るために重要なこととして、個人の問題行動のみにフォーカスするミクロな視点と、
環境も含め問題の全体を見るマクロな視点を併せて考えていく必要があると講師は言います。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦
問題の裏にある「つながり」は決して甘いものではありません。
実は、この世に生まれた時から既に色々な問題が起きていることも多く、それらの積み重ねが、結果として今の問題につながっていることが往々にしてあります。
生まれた時から色々な問題を抱えている子に限って、幼稚園や小学校に行った時に、いじめられたり、勉学でつまずいたりといった問題が発生しやすいと講師は述べます。
多くの場合、色々な失敗をしても、周りが上手くサポートしてくれたり、あるいは自分が上手く対処して、生きていくことができます。
しかし、周りが上手にサポートしてくれないと、どんどんつまずいていってしまいます。
これは、周囲の無理解、無視、不適切な介入も含みます。
本人や周囲が上手に対応できないことで、これらが発展要因となり、問題がさらに大きくなったり、次の問題に発展していくことがあります。
心理君の例に戻り、マクロな視点を加えて、その「つながり」を見ていきます。
心理君の歴史をよくよく見ていくと、
心理君は実は、小さいころから他者の意図や会話の理解などが苦手であり、周囲との集団行動ができない、いわゆるASD(自閉症スペクトラム障害)でした。
また、本人だけでなく、母親や学校側の要因も関係していることが分かってきました。
マクロな視点で見た、心理君の悪循環を図式化すると下図のようになりました。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦
このように、問題行動の裏に、実は本人だけでなく、家族や学校といった社会的な要因が複雑に絡み合っていたということは決して稀ではないと、講師は述べます。
3.認知行動療法による介入
認知行動療法(CBT)は、このような苦悩の「つながり」から抜け出す方法の一つとして、臨床をはじめとして実践されている介入方法です。
CBTは、悪循環を分析・解明・改善するツールの宝庫であるとも講師は言います。
CBTとはどのようなものでしょうか。
問題の背景にある「つながり」には、認知・感情・生理・行動がありますが、
これらの中でも、特に認知の影響は強く、また感情や生理と比較して、変えていくことが意外と易しいとされています。
だからこそ、考え方を変えていくことで、その先の行動を変え、上手に環境に適応できるようにしようというものが認知行動療法の考え方になります。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 下山 晴彦
そしてもう一つ、介入において重要なポイントになってくるのは、環境にも協力をしてもらうことです。
先ほどから述べているように、問題解決(改善)のためには、その人の行動を変えるだけでは不十分です。
周りの環境との悪循環の相互作用が、特に子供の場合は必ずあるため、そこを見つけて、外堀から埋めていくことが重要になってきます。
だからこそ、家族や学校といった環境の協力が必要となるのです。
実際に講師は、環境の協力を得るために以下のようなことを行っていると述べています。
・ 学校でいじめがあったり、学級崩壊がある場合は、出来る限り学校に行って、先生と話し合いをする
・ 大人であっても、パートナーの協力が必要になることがしばしばあるため、場合によっては夫婦で来てもらう
・ 社会人の職場復帰であれば、職場の上司や人事の方に来てもらったり連絡を取るようにする
4.終わりに
人間の心に生じる問題の背景には、様々な要因と、その要因同士の複雑な「つながり」が潜んでいます。
このような「つながり」が悪循環に陥ることで、人は多くの苦悩を抱え、時にその一部が問題行動として表れます。
この苦悩の「つながり」から抜け出すためには、
その人の考え方を変えることで、その先の行動を変えて、上手に環境に適応できるようにしようという認知行動療法といった介入方法や、
問題の背景にある、周りの環境との悪循環の相互作用を見つけ、環境にも協力をしてもらう、
といったことが重要となります。
臨床心理学を専門とされる下山先生と一緒に、苦悩の「つながり」とは何か、その「つながり」から抜け出すにはどうすれば良いのか、一緒に考えてみませんか。
きっと、この複雑な社会で、自分や周囲の心に生じる問題や苦悩とどう向き合っていけば良いのか、そのヒントが得られるはずです。
★おまけとして‥‥‥
不登校状態となっていた心理君
結局どのような介入がされたのでしょうか
気になる方も是非、こちらの講義を見てみてください。
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義)第3回 苦悩の「つながり」から自由になる 下山 晴彦先生
<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>
2022/09/14
あなたにとって、「家族」とはどのような存在ですか?
あなたにとって、「家族」とは誰を指しますか?
本来であれば、血縁や婚姻関係で客観的に、かつ明確に記述できるはずの「家族」。
しかし、いざ自分の身に置き換えて「家族」を考えた時、
客観的に定義されるはずの自分の「家族」と、自分が認知する「家族」との間にギャップを感じたことはありませんか?
なんだか不思議な話ですよね……。
そんな、家族の「境界」について、社会学者の赤川先生と一緒に考えてみませんか?
「家族」の定義や境界線をめぐる、とても面白い講義をご紹介します。
1.家族定義の不可能性~社会学の観点より~
あなたにとって誰が「家族」なのか、
「家族」というのはどのような「意味」を持っているのか
これらは社会学において普遍的なテーマであると考えられています。
まず始めに、いくつかの観点から、社会学における家族の定義について考えていきます。
UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学
① 血縁と婚姻の組み合わせによる客観的な記述は可能か
ある個人が親族内に占める位置づけは、血縁と婚姻の組み合わせで客観的に記述できるように見えます。
ところが世の中には色々な社会があり、生物学的には父親に見えるような人を父親とみなさずに、父親はいないものとして扱う社会も実際にあります。
このことから、家族とは、血縁・婚姻関係で客観的に定義することが難しいとも考えられます。
② 家族が果たす機能による定義の可能性
血縁・婚姻関係による客観的な定義は難しいということが分かりました。
では、家族が果たす機能、つまり子どもの基礎的社会や成人のパーソナリティ安定化といった機能での定義はどうでしょうか?
すると、じゃあそういう機能を果たさない家族は家族ではないのか、という話になると講師は言います。
例えば、愛し合っていなかったり性行為をしなかったりする夫婦は家族ではないのかという疑問に突き当たるわけです。
家族とされる成員の範囲は、研究者が客観的に確定できるかと言われると、
「できない」という傾向になってきていると講師は述べます。
学者は家族を客観的に定義しようと頑張るが、結局「無理だ」という結論になるのだそうです。
2.家族の認知的境界~ファミリー・アイデンティティ(F.I.)論~
ここで一つ、家族の認知的境界に焦点をあてた理論である、ファミリー・アイデンティティ論を紹介します。
ファミリー・アイデンティティ論とは、社会学者の上野千鶴子氏が提唱したものです。
UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学
上野氏は、家族は血縁やDNAといった実体よりも、より多くの意識の中に存在するとしました。
なぜなら、
「自分はこの人を家族だと思うと定義しても、この人が自分のことを家族と思ってくれなければ、家族としてのコミュニケーションは難しい」からだそうです。
そのため上野氏は、
家族というのは、そのような意味できわめて「相互主観的」な現象であるとしました。
実際に、意識と形態の面で非伝統的な50の類型の人たちに対して行った、家族の「境界の定義」を尋ねる調査において、最初に分かった一番重要なことは、
親子・配偶者間でも、家族の範囲はずれる場合がある
ということだったそうです。
3.家族境界の歴史的変容~血縁/同居から親密性へ~
今まで述べてきたように、家族の境界に関しては絶対の回答はなく、それぞれに腐心しながら、家族の境界を設定しています。
しかしながら、その境界設定は歴史的に変化してきています。
近年明らかに浮上しているのは、親密性の基準であると講師は言います。
つまり、親しさや愛情のようなものが家族の境界を決める基準になるという考え方です。
これはある意味、選択の対象として家族が表れているとも言えます。
UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学
4.家族とは、相手を思いやる気持ちや愛情の深さ?
このように、家族を、愛情や親しさをもって定義しようとする傾向を、アンソニー・ギデンズは、「純粋な関係性」と呼びました。
UTokyo Onine Education 東京大学朝日講座 「知の冒険」Copyright 2013, 赤川学
近代社会とは、色々な制度を自己反省して問い直していく社会であり、
あらゆる制度や慣習が、自由や平等といった民主的な価値観によって見直されていく。
その中で、家族や性の領域もその例外ではなく、
父親、母親、子どもといった役割もまた、
利害や慣習に基づかず、自発的に選び取る対象となる。
このようにギデンズは述べています。
このような、「純粋な関係性」は、一見リベラルで民主的で、とても良い理想的な状態に見えます。
しかし、こういう関係性には困難もあることをギデンズは指摘しています。
純粋な関係性では、社会の中でどういうふうに自分たちがふるまうべきかを、
その都度その都度二人で選択しながら、合意して決めていく必要があります。
そうすると、「家族の調整コスト」問題が浮上します。
つまり、1から10まで全部自分たちで決めなければならず、自分たちで自発的に選び取って、合意的に選択していくというのもそれはそれなりに困難があるということです。
これは、人間に課された大きな問いであると講師は述べます。
5.まとめ
家族の認知、家族の規範、家族の意味というのは、時代によって変わったり、組織によって変わったり、人によって違ったりします。
ですが、人は必死でそこに意味を与えて、家族というものを作り上げています。
どういう良い家族を作っていくかが、社会学者に与えられた課題であると講師は言います。
様々な視点から、「家族」の定義や境界線について考えていくこの講義を通して、
普段は恐らく考えることの少ないであろう、「家族」という身近なテーマについて、ふと立ち止まって考えてみませんか?
★おまけとして‥‥
実はこの講義、もう一つ大きなテーマがあります。
それはずばり、ペットです。
ペットを家族とみなす人の割合は昔に比べて増加しているそうです。
山田昌弘氏は、
家族というのは、「自分を自分としてみてくれ、自分であることを識別してくれる存在」であり、
この、かけがえのなさ、自分らしさの感覚を人間の家族に求めることは難しいため、「理想の家族」としての投影先がペットになる。
むしろ、ペットのほうが家族らしく、家族の方が家族らしくないかもしれない
と述べているそうです。
ペットは家族か、人はなぜペットを飼うのか、そして、ペットの死はなぜあんなにも辛いのか
それらの問いについて考えることは、
私たちが「家族」に求めるもの、私たちにとっての「家族」の意味を考えることにもまた、つながっていくのではないでしょうか。
今回紹介した講義:境界線をめぐる旅(朝日講座「知の冒険—もっともっと考えたい、世界は謎に満ちている」2013年度講義)第4回 家族とは誰のことか-家族の境界をめぐって 赤川 学先生
<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>
2022/09/07
ヒュー……ドロドロ……
夏になると何となく怖い話が聞きたくなるもの……
怖い話といえば「お化け」がつきものですが、そのお化けが社会学の対象となっていることは知っていますか?
お化けなんて空想のものなのに、どうして社会学の対象になるんだろうと思う方もいるかもしれません。
しかし、お化けとは、本質的に「流言・うわさ」としての性質を持つものです。人が語り継ぐことで、お化けは誕生し、その形をなしていきます。
人との関わり合いの中で生まれる流言・うわさは、まさに社会学が研究対象とするものです。流言・うわさの一種であるお化けもまた、そのお化けのうわさが流行した当時の社会の状況について知る重要な手がかりとなります。
この記事では、「クダン(件)」という妖怪をテーマとしながら、近世以降の社会のあり方を探っていきます。
「お化けから社会に迫ることができるなんて、なんか面白そう!」
まずはこんなふうな、軽い気持ちで読み進めていただければと思います。
ただ、記事を最後まで読んでいただけると、お化けから社会を分析することで初めてみえてくるものがあるということがわかってくるはずです。
今回の記事は、UTokyo OCWで公開されている佐藤健二先生の講義動画「「お化け」もまた社会学の対象であるークダンの誕生」の内容をまとめたものになります。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
記事を読んで興味を持たれたら、ぜひ講義動画の方をご覧になってください。
クダンについて理解するためのテキスト分析
まず、クダンとはどのような妖怪なのでしょうか?
クダンにはさまざまな流言やうわさ、言い伝えがあり、明確な像があるわけではありませんが、一般的には以下のような特徴を持つと考えられています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
①人間の顔をもった牛
②生まれてすぐ死ぬ
③ことばを話す
④予言をするが、その予言があたる
簡単にまとめると、「クダン=予言を行う人面の牛」だといえます。
講義中で佐藤先生は、クダンに関して述べられた13の文献を紹介しています。
そのうち最も新しいのは1945年のものですが、古いものになると、1820年代の終わり頃まで遡ります。
松山や播磨、名古屋、肥前、越中など、その流言は全国に広がっており、それぞれのエピソードにもバリエーションがあります。
しかし、それぞれの資料を分析すると、クダンにとって重要な要素が見えてきます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
特に、上の図に示されているとおり、「予言する」というのはクダンにとって欠かせない要素だといえそうです。
このように、お化けを社会学の対象とする際には、テキストを精緻に眺めることが、まず重要です。
「流言=デマ」なのか?
以上で、クダンを分析するための下準備はできました。
ここから、クダンの流言がどのように生まれたかの説明が始まるのですが……
佐藤先生はそのまえに、「流言」とはそもそも何であるのかの捉え直しをはかります。
みなさんはなんとなく、流言を「デマ」だと考えているかもしれません。間違った情報を鵜呑みにした人が、その間違った情報を人に伝えることで、流言は広がっていくということです。
流言の研究がすすんだのは、1940年代のアメリカでした。なかでも、オルポートとポストマンの『デマの心理学』は流言研究の基礎となります。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
オルポートとポストマンの主張が力をもったために、流言研究においては、「流言=デマ」という図式が常識になっていました。特に、戦時下における情報統制などの目的もあり、「どのようにすれば流言(=デマ、間違った情報)を撲滅できるのか」という態度で流言研究がすすめられることも多くありました。
しかし佐藤先生は、その常識に疑問を呈します。流言は必ずしもデマなのではなく、むしろ単なる笑い話として広められるケースもあるのではないかというのです。
もしくは、「このような間違った情報が広められている」という、啓蒙的、批判的な語りそれ自体が、流言を広めるための重要な要素になっていることも考えられます。
流言はどのようなものであるのか、それを捉え損ねてしまうと、どれほど精緻にテキストを分析したとしても、その実態を掴み切ることはできないのです。
クダンは文字が重要な社会を反映している?
クダン誕生の経緯については、これまでさまざまな人によって、いくつもの説明が考えられてきました。
それはたとえば、「社会的・政治的不安 あるいは集合的不満」であったり、「構造的な両義性 アンビバレンス」であったり、「信仰・伝統の衰弱 あるいは『神』の零落」、「非合理性あるいは戦争という非日常」であったりしたのですが(これらについて詳しく知りたい方は講義動画を視聴してみてください)、そのどれもがクリティカルな説明になっていないと、佐藤先生はいいます。
特に、どうして「予言」がクダンに必須の要素になっているのかを説明できていないことが問題です。
そこで佐藤先生は、クダン誕生の経緯について、いくつかの新たな説明を試みます。
そこで注目されるのが、まさに先ほど述べた「流言は必ずしもデマなのではなく、パロディ・からかいや批判・啓蒙として広められることもある」という、流言の性質です。
なんとなく私たちは、昔の人はお化けを真剣に信じていて、恐怖を感じていたからこそ、それを語り継いでいったのだと考えてしまいます。しかしそこにあるのは必ずしも恐怖なのではなく、少し距離を取った態度である可能性もあるのです。
このような前提から、佐藤先生は、「文字」というものが一般化し始めた時代だからこそクダンが生まれたのだとする説を展開します。
それはたとえば、クダンという妖怪の絵は、そのまま「件」という漢字を示している図像化された「文字」なのではないかという説です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
たしかに、人の頭と牛の体をもったクダンは、人へんに牛という字で構成された件という漢字の構成と一致します。
クダンが話題として広まったのは、みんながそれを信じていたからというよりも、文字に対する知識が重要になってきた社会が背景にあるのではないかと、佐藤先生はいいます。
さらに、クダンの見た目だけでなく、その「予言する」という能力もまた、文字の文化から説明できます。
江戸時代における契約書である証文に書かれた「クダンノゴトシ(如件)」という文字を音声から断片的に理解した文字の読めない人々が、「契約する・約束する」という証文の機能を独自解釈して生まれたのが、「予言する」というクダンの能力だったのではないかというのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2010, 佐藤健二
このように考えると、単なる恐怖や社会不安に還元されないかたちでの妖怪のあり方が見えてきます。
当時の人も自分と同じであるという気づき
クダンが文字文化を反映したものであるという説を、佐藤先生が考えついたきっかけは、社会学者である先生自身が、江戸の書き文字をうまく読めなかった経験であるといわれます。
佐藤先生はそのとき、「もしかしたら、私が書き文字に悪戦苦闘しているのと同じように、当時の人も文字を読むのに苦労していたのではないか」とひらめき、そのままクダン誕生の説を考案されたというのです。
「当時の人も自分と同じではないか」という気づきは、まさに先生が主張された流言の性質にも共通しているように思います。
みなさんは、お化けの存在を信じていないかもしれません。しかし、お化けについて人と話した経験はきっとあるのではないでしょうか?少なくとも、お化けの情報を見聞きした経験はあるでしょう。なにしろ、この記事もそのひとつです。
いくら科学技術や情報網が発達していなかったとはいえ、昔の人をみな無知蒙昧だと考えてしまうと、お化けの流言の実態を捉え損なう可能性があります。
お化けについての佐藤先生の研究からは、「当時の人も自分と同じである」という重要な考え方を知ることができます。
庶民のなかで広まったお化けの流言は、まさに当時の一般市民のあり方を探る重要な手がかりです。
みなさんもぜひ講義動画を視聴して、「当時の、自分と同じような人」は何を考えていたのか考えてみてください。きっとそこから、当時の社会が違って見えてくるはずです。
今回紹介した講義:社会学ワンダーランド(学術俯瞰講義)第5回 「お化け」もまた社会学の対象である ークダンの誕生 佐藤 健二先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2022/08/31
皆さんは日本人の死因として30年以上にわたり第1位となっている病気が何か、ご存じでしょうか?それは「がん」です。現在も日本社会では高齢化に伴ってがんによる死亡者数が増え続けています。一方で 、 診断には時間もかかり医師の数や労働にも限界があります。
そんな課題に対して新しい技術をもって立ち向かい、研究者たちはがん診断装置の開発に取り組んできました。研究者たちのたゆまぬ努力によって医療は日々進化し続けているのです!しかし、その新しい医療が社会に届くまでにはどのようなことが起きているのでしょうか。
ということで今回の講義は2部構成!まず、がん診断装置の開発を例に医療機器開発の道のりについてお話があります。装置開発には医学に関わらず機械学習といった他分野領域も関わっています。そのため後半では機械学習やその概念に関して説明します。医療機器開発と機械学習の両面について学べる講義です。
第1部 データサイエンスの医療への応用
まず竹田扇先生から、今まさに開発しているがん診断装置の紹介があります。今回紹介される装置ではがん診断にかかる時間を短くするため、質量分析と機械学習を融合した装置の開発に取り組んでいます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士
質量分析とはタンパク質を調べるための技術として開発されたもので、2002年には田中耕一先生がノーベル賞を受賞しています。
質量分析を用いることで患者の組織の状態のデータを得ることができます。例えばがん組織の場合には、データのある部分に山が見られます。このことから、計測データを用いて組織のどこががんなのか診断することができます。しかし、このように質量分析の計測結果を使うだけでは単純にこの山があればがんであると見ているだけで新しさはありません。
じゃあどうするの?ということで機械学習を用います。通常の研究では、がん組織のデータに特徴的な値があると仮説を立て検証します。その仮説が正しければ、その特定の値をがん診断に使おうとなります。しかし、がん診断のような生体に関することは複雑なデータ構造を持っています。 そのため、測定データの特定の部分だけではなく、その他の目立たない部分も最終的な診断には必要であると考えられます。 実際に医師が診断するときにも、ひとつの値だけではなく、その他の総合的な経験と直感が大切です。 そこで機械学習を用い、生体のような複雑なシステム全体を把握するように解析することで、下の図のような、見た目はよく似ているデータでもがんかそうでないか判別をすることができるのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士
第2部 機械学習
続いて田邉國士先生による機械学習と統計科学の説明です。機械学習やAIといった言葉はよく耳にしますね。AIが囲碁の名人にも勝ったというニュースを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。しかし、その機械学習とは実際にはどのように行われているのでしょうか。次のような質問に、講義を通して答えてくださるようです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2019 竹田扇、田邉國士
これまでの科学は、ニュートン-デカルト・パラダイム(仮説演繹法)に基づいて発展してきました。これは、何か現象があったらその原因となる要素を見つけて名前をつけたりどういう因果関係なのか推論したりしていくことです。このような考え方は力学のような単純な構造の分野では役に立ちます。
しかし、医学は何千何百という様々な因子が影響した結果に立ち向かわなくてはなりません。がんのDNA変異の機序も完全には分かりません。
ここで登場するものが機械学習です。この機械学習がニュートン-デカルト・パラダイムを覆すものなのです!生体現象のように、単純な因果関係とみなすことが難しく、多様な要素が絡んだ対象を考える際には、機械学習が適しています。機械学習ではデータを入力することで、データにある規則や構造を人間が介入せずに推論することができます。そうすることで、人間には因果関係が複雑で予測不可能な現象の予測が可能となるのです。
まとめ
がん診断装置を開発するためには医学だけではなく、機械学習のような他分野領域の研究も関わっています。しかも、がん診断装置の実用化に向けて既に10年以上かかっているという説明が講義内でもありました。開発にあたって分野を横断した協力や、産学官連携により少しずつ進んできたことが分かります。非常に長い道のりです。この長さは皆さんの想像通りでしょうか。それとも想像より長いでしょうか、短いでしょうか。こうして開発された装置も様々な試験に合格しないと私達のもとには届きません。長い道のりを経て、初めて社会に医療が届けられるのです。
詳しい開発の内容や機械学習の解説はぜひ講義でご視聴ください!
今回紹介した講義:新しい医療が社会に届くまで ~データサイエンスが支える健康社会~(学術俯瞰講義)第9回 質量分析と機械学習を融合したがん診断支援装置の開発:学際的研究から産学連携へ
<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>
2022/08/24
2022年7月以降、報道やネット上で大変話題になっている、「政治と宗教」の問題……その距離感や関係性が盛んに議論されています。
今回紹介するのは、仏教学者である末木 文美士(すえき ふみひこ)先生の講義。一連のオウム真理教事件が最も大きく問題となった90年代半ばから、10年ほど経った、2006年に開講されました。
2006年とは、どういう時期であったか。その少し前、2001年にイスラーム過激派組織によるアメリカ同時多発テロ事件があり、2003年にイラク戦争が起きています。同時期に、国内では、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝について政教分離を疑問視する議論がありました。つまり、国内外において、政治と宗教の関係性に注目が集まるような機会が続いていた頃であると言えるでしょう。また、宗教研究の分野にとっては「オウムから10年」と振り返る節目でもあったと末木先生は語ります。
それからさらに16年の時を経た2022年の私たち。この期間に、アラブの春、過激派組織イスラム国の新興、天皇陛下の御生前退位など、様々な出来事を経験しました。政治と宗教は、昔も今も常に変わらず、密接に関わり続けています。この講義で語られる危機感や問いは決して遠い過去の話ではなく、未だ褪せることなく我々につきつけられています。
さて、この講義の主なテーマは、「明治時代以降、日本の政治が宗教とどのような関係性を持って営まれてきたか」「宗教を学問として研究することはできるのか」ということです。日本の政治と宗教の関係性に大変な注目が集まっている今は、「そもそも歴史的に、日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在なんだろう?」「今後、宗教とどう向き合っていけばいいのだろう?」ということを改めて考える良い機会かもしれません。
現代の宗教観:日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在?
前述の通り、講義の当時は「オウムから10年」という節目の時期でした。一連の事件以来、日本国内では、宗教に対して「なんだか危ないものなのではないか」といったイメージが広く形作られ、(東京大学ではそのような傾向は顕著ではありませんでしたが)大学で宗教研究を志望する学生が減少したと末木先生は語ります。
現在でも、「宗教はなんだか触れてはいけないもの」「日常生活とはかけ離れた特殊な領域にあるもの」というイメージを持つ人は、多いのではないでしょうか。
「あなたにとって宗教とは何ですか?」「あなたは何教徒ですか?」
と、改めて自分自身と宗教の結びつきについて質問されたら、答えに困ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。先生ご自身も、仏教について研究しているけれども、「では仏教徒なのですね」と言われれば困惑があるのだとか。
さて、ある世論調査では、日本で信教(信じている特定の宗教)がある人は30%以下だそうです。この数字を見ると、日本は世界の中でも「国民が宗教離れをしている国」と言えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。
ここで、文化庁が行った統計調査による「宗教年鑑」を見てみましょう。この統計は、あらゆる教団が各々信者の数を申告する方法をとっており、「仏教徒は9500万人」「キリスト教徒は190万人」と足していくと……
——全部でなんと2億人!!
「あれ? 信仰を持つ人が国民の2倍もいるなんて、随分と宗教に熱心な国なんだなぁ〜」
という笑い話になってしまうのですが、なんとも不思議な結果ですよね。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
……と、ここで勘の良い皆さまはもうお分かりでしょう。
そう、日本で暮らす多くの人は、明確に特定の宗教を信仰しているわけではない、かといって完全に無縁になりきれるわけでもない日々を送っているのです。
(1)自覚的な信仰:「私はこれを信じている・この道にいる」などと明確に言えるもの。礼拝・修行・祈祷を行うなど。
(2)生活に根ざして習慣化した宗教由来の行動:冠婚葬祭、初詣、七五三、お盆など。
この2つは全く違うもので、自覚的に特定の宗教の信者だという人は少ないかもしれませんが、ほとんどの人は、生活の一貫や文化的な営みとして、お寺・神社・教会などを訪れる機会がたくさんあるのです。
そして、このような日本の文化について、
「クリスマスの飾りをはずして、数日後にはもう正月飾りを準備している」「教会で結婚式をしたのに、お寺のお墓に入る」
などと茶化して話題にすることはありますが、大抵の人は強く問題視せずに暮らしていますよね。
歴史的な宗教観:明治時代に二重の「隠蔽・補完」が行われた日本の宗教とは?
なぜ日本の多くの人が、宗教由来の行動を習慣化しつつ、特定の宗教を意識せずに暮らしているのでしょうか。ここで、近代日本で政治と宗教がどのような関わりを持って来たのか、歴史を辿ってみましょう。
時は明治の初め、西洋から様々な文化が流入します。夏目漱石をはじめ、当時の人々は新しく入ってきた「自由」や「愛」などの概念にも次々と訳を当ててゆきました。英語における「religion」——(当時は主にキリスト教において神と契約を結び救済されるために)個人が信仰を持つという、当時の日本人にとってやや新しい概念も流入してきます。その訳語として、もともと仏典に登場する「宗教」という言葉が当てられ、定着していきました。(「宗教」とは、「仏教の真髄を説く法」を表す、仏教でこそ意味をなす用語でした。)それまでの日本の一般庶民にとって、宗教の存在は、共同体維持のための制度や習俗などに近いものであったと考えられるでしょう。
一方、時の政府は、列強諸国と肩を並べることができるよう、今まで各藩バラバラだった日本が固く強くひとつになれるような新しい体制を、一生懸命作っている最中です。明治政府は、天皇を君主とした政治を行う「王政復古(おうせいふっこ)」の考え方を重視し、さらに神道を国教とする「祭政一致(さいせいいっち)」(政教分離の反対の体制)を目指します。
それ以前、江戸時代まではどうだったかというと、神道ではなく、徳川幕府の統制下にあった仏教が強大な力を持っていました。末木先生は「仏教は事実上の国教だったのでは」と語ります。例えば、徳川幕府は宗教統制の一貫として、「寺請(てらうけ)制度」というものを設けていました。各お家(いえ)が特定のお寺の檀家(だんか)となることによって、キリスト教などの信徒ではないことを証明したり、お寺からの報告で地域の人口を把握したりしていたのです。仏教は、政治の仕組みに組み込まれ、人々の生活とも深く結びついていたと言えます。
このように強い影響力を持つ仏教を、明治政府は、神道の対抗勢力になる恐れがあるとして、神道と仏教を切り離す「神仏分離(しんぶつぶんり)」を押し進めようとします。やがて、分離が行き過ぎた「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の運動が広まり、具体的には、仏具の廃棄や寺院の所領の接収などを行い、仏教だけでなく、修験道(しゅげんどう)など他の関連する宗教も禁止されました。
ところで。「神仏分離」とは反対の状態を「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。(この段落は授業には無い、おまけの説明です。)みなさんは、パッと見ただけではお寺か神社か区別が付かない施設を見たことはありませんか?例えば、東京の高尾山の上にある薬王院には、薬師如来(仏教)・天狗(修験道)・鳥居(神道)が大集合していて、建物の構造や形式なども入り混じっています。このように、日本古来の神道と、6世紀に大陸から伝来した仏教とは、長い歴史の中で時にぶつかり時に形を変えながら、共存共栄する形を培ってきていました。そして廃仏毀釈では、特にこの神仏習合のタイプの寺院が狙われ、寺の部分が破壊されるなどの被害に遭いました。例えば、鹿で有名な奈良公園は、なんと、春日大社(神社)と共にあった興福寺(寺)の敷地の一部が接収された跡地なんです。高尾山の薬王院は、破壊の手を逃れ、伝統的な神仏習合の様子が見て取れる貴重な場所なので、訪れる機会がある方は、ぜひよく見てみてください!
さて。結果的に、無茶な廃仏の政策は失敗します。当然、仏教側からの強い反発が起きますし、西洋から流入するキリスト教の勢いに対抗するためにも、影響力の強い仏教を排除することは現実的ではなかったのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
仏教が権利を保ったことに加えて、欧米諸国からキリスト教の布教を進めたいという要望もあり、大日本帝国憲法(明治憲法/旧憲法)には「信教の自由」が明記されることとなりました。
かくして、日本で公的に、個人個人が自由に宗教を選んで信仰を持つことが認められたのです。
——進歩的! ——日本の夜明けぜよ!
と思われるかもしれません。
しかし末木先生は、実はここで「二重の隠蔽と補完」が行われたという持論を展開します。
それはどういうことなのか、一緒に見ていきましょう。
まず、このスライドの画像をご覧ください。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
ここで示されているのは、近代化した日本において、「仏教と神道が表層ではどのように扱われたのか」また「一方で実態はどのようであったのか」ということです。いわば、仏教と神道の「本音と建前」です。
分かりやすいところから、左上の「個人宗教としての仏教」を見てみましょう。これは、先ほども申し上げたように、1人の個人が、その人の心の問題として仏教を信仰してよいという自由が、憲法で保証されたということを表しています。仏教がこのように英語の「religion」の意味で捉えられること自体は、まさに近代の幕開けだという印象を与えたかもしれません。
が、表層はそのように見えているだけであって、実際のところ、仏教が「お家(いえ)の問題」であることは、近代以降も引き継がれていました。末木先生は、むしろ明治時代以降、「家」の縛りは民法によってますます厳しくなったというのです。例えば、現在メジャーな「○○家の墓」という形式は、明治以後に定着したもので、遡ってみても幕末頃からしか見られない、新しい習慣であるとのこと。いわゆる「葬式仏教」と揶揄されるものの始まりです。このような家と仏教の切っても切れない結びつきは、深層に沈められた、江戸時代から続く「民俗としての仏教」の姿です。
次に、右下の神道を見てみましょう。この頃、仏教の勢力には、「八百万の神を信仰して、土着の習慣と深く結びついた神道は、低俗であり、(religionとしての)宗教の要件を満たしていない」と主張する者もいました。欧米の神学において主流であった「多神教は原始的な宗教であり、一神教は進歩的である」という考え方の影響があったと言います。神道のこのような側面は、深層へ隠されます。
そのような考え方が存在する一方、明治政府は神道を「天皇家の祖先である神を祀り、その偉業を称えるもの」として、さらに憲法上「宗教ではないもの」「政治に属するもの」としました。これが、「国家神道(こっかしんとう)」として理解されているものの始まりであり、上の画像の右上にある「非宗教としての神道」(神道非宗教論)です。つまり、「個人の信教の自由を認めるけど、それとは別に(神道は宗教じゃないから)天皇の祖先のことはみんなで崇拝しようね」というわけです。(この国家神道のあり方が、第一次・第二次世界大戦中の日本で大きな影響力を持ったことは、みなさんご存知の通りです。)
先生は、このような「二重の隠蔽と補完」が、近代日本の宗教体制を作り上げており、「新しい観念」と「実態」のずれや、「個人の内面の信教」と「制度的な都合」の捻れが、現代まで続く様々な問題を生んでいるのではないか、と主張します。実際に、第二次世界大戦後にできた現行の日本国憲法では、政教分離が原則となっていますが、例えば、「公共施設の建造に際して地鎮祭をすることは祭事なのか、社会的な慣例なのか」ということは、度々問題に(裁判にも)なります。
「宗教」という言葉が指しているのは、信仰の対象としての宗教なのか、それとも習俗なのか……定義が揺れ動いてしまうため、違和感や居心地の悪さを伴い続けてしまうのでしょう。
今後の展望:宗教を学問することはできるのか?
さて、今までのパートでは、「今」を見つめ直すために「過去」を振り返りました。ここからは、未来の話になります。
授業の最後のパートでは、これまでの議論を踏まえ、「それでは、学問的に宗教を定義することはできるのか?」「宗教を本質的に研究・学問するということはできるのか?」という問いへの答えが語られます。
——学問、そして大学は、本来、何のために生まれたのか。——宗教も学問も、そもそも既存の人間社会の枠組みを飛び越えるためにあるのではないか。——今、それらは部分現象として矮小化されており、今一度、問い直されるべきなのではないか。
このパートは最も熱く、先生の力強い言葉を、(特に学生のみなさんには)ぜひとも動画で見ていただきたいです!
また、この記事では都合上、歴史的経緯を主軸に抜き出しましたが、先生はその傍で、現代日本の哲学者・宗教学者らが宗教をどう定義しようと試みてきたか、繰り返し紹介しています。我々にとって、宗教とは何なのか。今まさに起きている問題をしっかり捉える・熟慮するためのヒントは、そこにあるような気がします。
今回紹介した講義:学問と人間(学術俯瞰講義)第5回 宗教はあぶない?! 島薗 進・末木 文美士先生
<文:加藤なほ/東京大学オンライン教育支援サポーター>
2022/08/18
あなたは、コンピュータを操るのが得意でしょうか?それとも、ちょっと苦手?
ここで一度、あなたが非常に高いコンピュータ操作能力を持っていると仮定してみてください。
そこで「人間の知能と同じようなコンピュータを作れ」と言われたら、一体どうしますか?
コンピュータを操るのに長けているわけですから、きっと実現可能なさまざまな計算パターンなどが思いつくと思います。
しかし、少し考えて、こう疑問に感じるはずです。
そもそも人間の知能は、どういう仕組みで動いているんだろうか、と。
人類は、コンピュータを発明した直後から、いかにして人工知能(AI)を作り出せるかという課題に取り組んできました。
ただコンピュータの知識をつけるだけでは、この問題を解決することはできません。AIを作るためには、どのように人間が世界と関わり、思考しているのかという、ある意味究極の難問とも言える問題に向き合う必要があるのです。
AI研究が始まってから70年ほど経った現在、めざましい成果が諸分野で現れており、私たちの日常生活にAIが与える影響も、加速度的に強まっています。
しかしながら、「人間の知能」と言えるようなAIはまだ生まれておらず、どうすれば「人間の知能」が作れるのかというアプローチも定まっていません。
今回は、AIの歴史を辿りながら、AIと人類の未来について考える講義を紹介します。
1950年代に始まったAI研究
講師を務めてくださるのは、人工知能研究者の中島秀之先生です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
講義では、AIの説明に入る前に、まずコンピュータ(計算機)の歴史が紹介されます。
講義中で紹介される下の年表に示されている通り、コンピュータは1940年代ごろから開発が進んでいきます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
対するAIの研究が始まったのは、1950年代ごろのことです。1956年には、「Artificial Intelligence(AI)」の名を冠した初めての会議であるダートマス会議が開かれます。このころからコンピュータでAIを作るという大きなミッションが意識されるようになりました。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
知能は記号を処理するだけのものなのか
それでは、これまで人工知能の研究者たちは、どのようにして人間の知能のようなコンピュータを作ろうとしてきたのでしょうか?
講義では、知能研究の立場の変遷として、3つのアプローチが挙げられます。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
1つ目は、物理記号システム仮説です。これは、知能の本質は記号処理にあるという立場で、初期の人工知能の研究者たちは、主にこの仮説にしたがって研究を進めていきました。
初期の人工知能の研究者は、うまく外部の情報を処理すれば、人間の知能のような働きができるとしていました。それはたとえば、辞書の内容を丸暗記すれば、自由に翻訳ができると考えるようなものです。
しかし、人間の知能の働きがそれほどシンプルではないことは、現在のGoogle翻訳の精度などを知っている私たちは、よく理解していると思います。(Google翻訳は辞書を丸暗記しているだけではありませんが)
同じ単語でもさまざまな意味を持つものがあり、文脈やそのときの情報などを多角的に踏まえてようやく、ひとつの文意を理解することができます。私たちは自然とそれを行っていますが、辞書ひとつで成し遂げられるほど単純なことではないのです。
世界を分節するものとしての知能
次に、知能の本質はパターン認識(世界の分節化)にあるとする立場が生まれてきます。
たとえば、私たちは猫を見たときに、それが初めて見る猫であっても、「これは猫だ」と認識することができますが、それができるのは、「猫」という対象を他の対象と区別しているからです。
このように、世界の文節化を行うものとしてのAIを開発する研究者によって、優れた画像認識技術などが生まれていきます。おそらく皆さんも耳にしているであろう、「Deep Learning」なども、この立場から発展した技術のひとつです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
今では、高性能のAIは、人間より優れた精度で人の顔を識別することができるようになりました。
環境と知能の相互作用
講師の中島先生は、さらに別の立場に立って、人工知能の研究を進めています。
それは、環境との相互作用を重視するというものです。
私たちの知能がどのように環境と関わっているのかと聞かれたときに、多くの人は下のようなモデルを素直に思い浮かべると思います。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
まず、外界の環境を認識して、そのあとその認識内容を推論する。そこで推論した内容をもとに行動を起こし、環境に影響を与える。これは物理記号システム仮説だけでなく、パターン認識を重視する立場にも共通する知能観です。
これに対し、環境との相互作用を重視する立場は、「認識」、「推論」、「行動」が一直線上にあるのではなく、それぞれ独立して機能するものだとします。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
ロボット研究者のBrooksは「昆虫の知能」という言葉を使っていますが、これは認識や推論を挟むことのない、ほとんど反射的な知能の働きのことです。中島先生は、掃除機のルンバが障害物を避ける機能を、認識や推論と独立に機能する知能システムの「行動」の働きの例として言及しています。
環境との相互作用とは、計算を知能の内部で完結するものと見なすのではなく、環境にも計算を行わせるということです。私たちは複雑な環境を全て理解して制御できているわけではありません。そこでは、まるで昆虫やルンバのように、環境を利用しながら、相互に関わり合う領域があります。
私たちの知能をより深く知るためには、全てを内部で計算するのではなく、何が起こったのか、外部の環境を分析する必要もあるのです。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之
AIから人間の未来について考える
人間の知能の機能として、「認識」、「推論」、「行動」の3つを挙げました。
これをそれぞれ「思考」、「情動」、「生存」に置き換えるなら、別々の脳の部位との対応関係を見出すこともできます。
現在、AIは基本的にボトムアップで情報を処理していますが、人間の知能は、トップダウンで行われる機能が多くの割合を占めています。そのため、AIには人間の「ぱっと見の印象」のようなものがありません。
うまくトップダウンとボトムアップの仕組みを融合させることで、AIは更なる進歩を遂げていくのではないでしょうか。
講義ではそのほか、AIに関する教育の議論や、AIと人間社会の未来についても紹介されています。
近年では、身近なメディアがAIを取り上げることも増えてきました。ただ、そこで語られるのは、目を引く最新技術など、表面的なものがほとんどです。
しかし、この記事で紹介したようにAIは人間のあり方を考えるうえでも、重要な鍵を握っています。大学に入学したばかりの学生向けであるこの講義動画は、その入門にぴったりです。
皆さんもぜひ、この講義動画を視聴して、AIと人間の未来について考えてみてください。
今回紹介した講義:ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義)第1回 AIの歴史概観 中島 秀之先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2022/08/08
みなさんは「3囚人問題」というものをご存知ですか?
それは、次のような問題です。
……
いま、3人の囚人A、B、Cが監獄に閉じ込められ、処刑を待っています。
恐怖に震えながら処刑を待つ3人のもとに、看守が現れてこう言いました。
「君たち3人のうち1人を恩赦にする」
つまり、A、B、Cの囚人それぞれが、3分の1の確率で、処刑を免れることができるのです。3人の囚人は喜びましたが、まだ処刑される確率は3分の2もあります。
囚人Aは、看守に「B、Cのうち、処刑される人を教えてくれ」と聞きました。
すると看守は、「Bは処刑される」と答えました。
ということはつまり、AかCのうち、どちらかは恩赦になるということです。
囚人Aは、自分が助かる確率が3分の1から2分の1になったと喜びました。
しかし、本当にそうでしょうか?囚人Aが恩赦になる確率は、本当に2分の1に上がったのでしょうか?
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
以上が、3囚人問題です。同型の「モンティ・ホール問題」の方を知っている人もいるかもしれません。(知らない方は検索してみてください)
実はこの問題、確率は3分の1のまま変わらないのです。
しばしば、確率というのは私たちの直感に反することがあります。
どうして確率が3分の1のままなのでしょうか。この確率は(全パターン)分の(A恩赦パターン)を示した以下の数式で求められるのですが……
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
いかがでしょうか?これを見ても、数式を理解するのが得意ではない人は、うまくイメージが掴めないかもしれません。
コロナ禍で話題になった「感染者問題」(精度が高い検査薬でも、陽性反応が出た人のうち、実際は非感染である人が相当な割合で生じうるという問題。この記事内で紹介するので、知らない方は読み進めてみてください)など、実際の確率が直感に反する例は、私たちの身近なところにあります。
数字が苦手という方でも、間違った情報に惑わされないために、なぜ実際の確率が直感に反するのか、理解しておく必要があると言えるでしょう。
今回は、3囚人問題や感染者問題などの原理について、数式を使わずに理解する方法について考える講義を紹介します。
まずは3囚人問題を数式で考える
今回講義を担当してくださるのは、教育学研究科(当時)の市川伸一先生です。
市川先生は、「視覚化」によって3囚人問題や感染者問題を解決する方法について解説します。
さて、先ほど紹介した3囚人問題ですが、数式として解く際は、「ベイズの定理」というものを使用します。(以下、数式の説明に入ります)
求める確率は、「Bは処刑される」と言われたときに、Aが恩赦である確率なので、
分母が
Aが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1/2)+Bが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×0)+Cが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1)
分子が
Aが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1/2)
です。
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
改めて数式を提示します。どうでしょう、理解できたでしょうか?
「大丈夫、ばっちりだ」という方もいる一方、「何がなんだか分からない」という方もいると思います。
それでは、恩赦になる確率が囚人ごとに異なる場合、AとBが恩赦になる確率が4分の1で、Cが恩赦になる確率が2分の1の場合はどうでしょうか?こうなってくるとだんだん複雑になってきます。
改めて数式を提示します。どうでしょう、理解できたでしょうか?
「大丈夫、ばっちりだ」という方もいる一方、「何がなんだか分からない」という方もいると思います。
それでは、恩赦になる確率が囚人ごとに異なる場合、AとBが恩赦になる確率が4分の1で、Cが恩赦になる確率が2分の1の場合はどうでしょうか?こうなってくるとだんだん複雑になってきます。
「うー!難しいよ!」という方!安心してください。
この3囚人問題は、より分かりやすく、図で表すことができるんです。
高性能の検査薬でも偽陽性を大量に出すのはなぜ?
3囚人問題の図について説明する前に一度、別の例としてあげた感染者問題について考えてみましょう。
……
1000人に1人の割合で感染する病気があります。
その病気の検査薬は精度が高く、
検査対象となる人が感染していた場合「98%が陽性、2%が陰性」、
非感染だった場合「99%が陰性、1%が陽性」を示します。
その検査薬で陽性が出た場合、多くの人は直感的に、高い確率で感染しているのだろうと考えるはずです。
しかし、ベイズの定理で計算すると、陽性反応が出た場合の感染確率は、たった0.089(=8.9%)しかありません。
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
この式の構成も、先ほど紹介した3囚人問題のベイズ解の構成と全く同じです。
「ルーレット表現」によって直感に反する確率を理解する
市川先生によれば、このような確率の問題は、「ルーレット表現」というものを用いて図解することができます。
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
感染者問題のルーレット表現は、以下の図の通りです。
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
この図を見ると、非感染の陽性反応が感染の陽性反応よりも多くなっているのが分かると思います。これは、非感染の割合が圧倒的に高いためです。
このように、図解してみることで、言葉にしたときには意識しなかった要素(この場合は、非感染と感染の割合の差)がはっきりとあらわれ、確率を正しく認識することができるようになります。
このルーレット表現は、先ほどの3囚人問題でも利用することができます。みなさん、ぜひ自分で作ってみてください。
また、このルーレット表現を使えば、ただの3囚人問題だけでなく、囚人が恩赦になる確率がそれぞれ異なる変形3囚人問題を図解することもできます。
UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一
この図を見ると、「Bは処刑と答える」場合のうち、Aが恩赦になる確率が5分の1であるというのがよく分かると思います。
なぜ間違った直感を抱いてしまうのか考えるために
講義ではそのほか、割り算やツルカメ算を図解して考える方法や、条件付き確率について考える「カセットテープ問題」についても取り扱っています。
市川先生によれば、私たちは、数式と同等の情報を持つ同型図式によって、瞬時に数式が示す内容を理解する能力を持っています。
このような、人間を間違った直感に導く確率問題の研究の射程は、単なる数学の領域にとどまりません。
数学的な考え方を理解するうえでどういう手立てを取ればいいのかという点で、心理学や教育学と結びついているのです。
数学が好きだという方はもちろんですが、なかなか数式が理解できないという方にこそ、ぜひこの講義動画を視聴して、自分の考え方の「癖」を認識していただければと思います。
今回紹介した講義:心に挑む-心理学との出会い、心理学の魅力(学術俯瞰講義)第9回 学習と教育の心理学 市川 伸一先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>
2022/08/05
突然ですが、「イスラモフォビア」という言葉を知っていますか?イスラームやその信徒であるムスリムに対する憎悪や偏見を意味する言葉で、「イスラーム嫌悪」と表現されることもあります。
このイスラモフォビアが現れていると言われている国の一つがフランスです。フランスでは2015年、ムハンマドの風刺画を誌面に掲載した新聞社が襲撃された1月のシャルリ・エブド事件と、イスラーム過激派による無差別テロで計130名の命が失われたパリ同時多発テロ事件という、イスラモフォビアを喚起する2つの大きな出来事がありました。以降フランスでは、イスラームといかに向き合うかがよりいっそう切実な問題となっているのです。
そこで今回は、宗教学とフランス語圏の地域研究を専門にされている伊達聖伸先生と一緒にフランスのイスラモフォビアの背景と実情を学び、異文化共生を達成するために必要なことを考える講義をご紹介します。
結論を少し先取りすると、イスラモフォビアの背景には、人間誰しもが持つ心の弱さ――それでいて乗り越えなければいけない心の弱さ――が存在します。いったいどういうことなのでしょうか?
硬直化するライシテ
フランスにおける宗教的な問題を議論する際、「ライシテ(laïcité)」への言及は避けて通れません。ライシテとは、公的領域の宗教的中立と私的領域の信教の自由を指すフランス共和国の基本原則のことで、一般的には「フランス独特の厳格な政教分離」と説明されます。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸
ところで、フランスのイスラモフォビアの原因をこのライシテに求めようとする言説が存在します。
「<政治と宗教を厳格に分ける>ライシテは<政治と宗教を分けない>とされるイスラームと相性が悪く、両者の共生は本質的に難しい」というものです。
しかし伊達先生はこの言説に異を唱えます。ライシテという理念は一枚岩ではなく、イスラームの政治と宗教の関係性をも包含できるような、柔軟性を持った概念だからです。そもそも歴史的に見ても、ライシテはカトリックの原理と共和派の原理との対立の間で練り上げられてきた、かなり解釈の幅が広い概念なのです。
むしろ、このように柔軟であるはずのライシテの厳格な面だけが取り出されて市民の間の支持を受けている状況を踏まえ、市民の共生がうまく行われていないフランス社会をいかに解釈すべきかを考えるのが重要だと伊達先生は言います。
フランスにおける反イスラームの現状
続いて伊達先生は、こんにちのイスラームをめぐるフランスの現状を示すため、2020年10月に発生したパリ郊外教師斬首事件を取り上げます。「シャルリ―・エブド襲撃事件」のきっかけとなった風刺画を授業の中で扱った中学校教師がイスラーム過激派に斬首されるという、たいへん痛ましい事件です。
このようなテロ事件が起こってしまった際、フランスでは2つの世論が沸き起こるといいます。
「<イスラーム過激派>と<ムスリム>の混同はされてはならないし、自分たちもしていない」という世論と、「たとえ宗教批判を含むような内容であったとしても、表現の自由は守られるべきだ」という世論です。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸
中立的に思える2つの世論ですが、伊達先生は本当にそうなのかと問います。
<イスラーム過激派>と<ムスリム>との間の境界を外部者が客観的に線引きすることなど、果たして可能なのでしょうか。偶像崇拝を徹底的に禁じるイスラームを厚く信じるムスリムにとっては、ムハンマドの風刺は自分の人格を踏みにじられているのに等しい行為なのではないでしょうか。
このように立ち止まって検討してみると、一見中立的に思える先ほどの世論は、ムスリムの価値観を無視し共生を一方的に阻むものなのではないかという考え方が生まれてきます。
供犠としてのイスラモフォビア
ここまで見てきたフランスにおける反イスラームの動きですが、伊達先生はこれを現代フランス社会が抱える不安が表出した形であると分析します。ここでキーワードとなるのが「供犠(くぎ)」です。
もともと供犠というのは、人間の世界を神の世界につなぐために生贄を捧げる行為やその生贄のことです。宗教や呪術がかつてほど身近でなくなった現代社会では、宗教儀礼としての「流血の」供犠はあまりリアリティをもって受け取られることはありません。
UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸
しかし供犠へと人間を駆り立てる心理作用についてはどうでしょう。特定の成員をスケープゴートに仕立て上げ、社会の負い目を被せ排除することで社会の安定を保とうとする心理は、今の人間も昔と変わらず持っているのではないでしょうか?
伊達先生はこのように宗教学の供犠論を用い、フランスの反イスラームはフランス社会の諸問題のはけ口をイスラームやムスリムに求める動きだと主張します。
「外を見ればかつて覇権国家だった自国。なのに、外を見れば文化的にも経済的にも後退している。内を見れば若者の高い失業率や学校の機能不全などが明るい未来を描きづらくしている。」こうした現状からくる鬱屈とした不安から、異質性の高いイスラームやムスリムを「供犠」にすることで逃れようとしているというのが伊達先生の見方です。
このようにしてイスラモフォビアの生成過程を一歩引いた目で観察・分析し、そのうえで何ができるか考えていくことが求められていると伊達先生は言います。
そしてそのような検討は、ひるがえって自分たちへの反省へと向かわせます。
会社や学校のようなミクロな社会でも、国のようなマクロな社会でも、特定の成員を排除することで安心感を得たり社会を維持しようとしたりする作用はフランスから遠く離れた日本でも容易に見ることができるからです。
日本で暮らす私たちにとっても、イスラモフォビアはまったく他人事ではないのです。
イスラモフォビアをフランスの文脈から取り外して一般化し、自分自身の反省へと誘うこちらの講義。気になった方はぜひご覧になってみてください。
今回紹介した講義:不安の時代(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年度講義) 第8回 フランス語圏の反イスラーム問題
<文/東京大学オンライン教育支援サポーター>
2022/07/27
みなさんは,地球温暖化についてどれくらい理解しているでしょうか。
地球温暖化は現代社会における最も重要なトピックの1つです。
最近も,地球温暖化に関する先駆的な研究を行った真鍋淑郎先生のノーベル物理学賞受賞のニュースを始め,SDGs,国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」,異常気象など,様々な話題を通して見かけるようになりました。
もはや,「地球温暖化」という言葉を知らない方はいないのではないでしょうか。
そして多くの人が,地球温暖化が「人為起源の温室効果ガス排出量増加に伴って地球の平均気温が上昇すること」だということを知っていると思います。
では,あえて問います。
地球温暖化は本当に人間のせいなのでしょうか。なぜそんなことが分かるのでしょうか。
地球が暖かくなることが,なぜ大きな社会問題になるのでしょうか。
もはや当たり前となっている社会常識について,深く理解している方は実は多くないのではないでしょうか。
本講義では,住明正先生と一緒に,
地球温暖化がどのようにして理解されているのか。
地球温暖化に伴ってどのようなリスクが生じるのか。
について,学んでいきます。
身近な社会問題でありながら,普段触れることない専門的な内容について,一緒に学んでみませんか?
気候形成メカニズムとその研究
地球温暖化を理解するには,まずはじめに現在の地球の気候がどのように形成されているのかを考える必要があります。
住先生によると,ある場所における「気候」とは,そこでの気象や海象の平均的な特徴のことを表し,温度と降水量によって特徴づけられます。
「南極は赤道域と比べて寒い」や,「日本の6,7月は雨がよく降る」などといったことです。
この地球の平均的な温度の構造は,主に太陽放射と地球の赤外放射のバランス,つまり,地球の外から入ってくるエネルギーと地球から出ていくエネルギーの釣り合いによって決まっています。
ここで言う「地球」とは,地球大気の上端から地面・海までのことを指します。
そして,人間活動によって大気の組成が変化することが,このエネルギーのバランスの仕組みをちょっとだけ変えており,その結果生じているのが地球温暖化ということになります。
宇宙から入ってくる太陽光エネルギーはどのような経路をたどっていき,どのように再び宇宙に放出されるのか。
そのメカニズムはどのようにして理解されるのか。
住先生の授業から学んでみましょう。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
授業の途中では,昨年ノーベル物理学賞を受賞された真鍋先生の研究も紹介されています。
※授業当時の2012年にはまだ受賞されていません。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
気候モデル
自然科学は仮説の検証のために実験を行うことが多々あります。
しかし,気候の研究対象は地球です。実験室の中に地球をまるごと入れて扱うわけにもいきませんから,実験を行うことは困難です。
そこで,コンピュータの中に仮想的な地球を構築し,温度や風などの物理量を計算することで雲や台風などあらゆる気象をシミュレーションする,気候モデルというツールを用います。
これは日々の天気予報にも用いられているのと基本的には同じものです。
気候モデルを駆使して様々な実験を行い,気象・気候形成のメカニズムの理解を進めていくことが,地球温暖化の理解のためにはとても重要です。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
住先生の本講義では,気候モデルを用いて過去の気候を再現する実験が紹介されています。
その結果によると,最近の急激な温度上昇は人間活動の影響を加味しないと再現されないことが分かっているそうです。
これが,人間活動が近年の温暖化の要因であることの一つの根拠になっています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
気候変化の影響
地球が温暖化することが分かっても,これだけでは人間社会に対するリスクを考えるには不十分です。
なぜなら,地球規模で温暖化することが分かっても,その温暖化の進み具合や,”1000年に一度の豪雨”のような極端現象の発生頻度は,地域によって異なるからです。
したがって,空間解像度の高い情報,すなわち地域ごとのより細かな情報が必要になってきます。
授業では,この”高解像度化”に関する手法が紹介されています。
地球温暖化の地域ごとへの影響の推定,特に稀にしか起きない極端現象の推定は簡単ではありません。
例えば,1000年に1回あるかどうかの現象が今後温暖化によってどのように変化するかということを,100年間のデータから推定することは非常に困難です。
今日も最前線で研究されています。
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
温暖化して何が悪いか?〜リスクに対する考え方〜
UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正
”温暖化したらまずい”というのは現代社会の常識になりつつありますが,具体的に何が問題なのでしょうか?
例えば,生態系が乱れることが問題だと指摘する人がいる一方で,生態系は元から変化し続けているのだから問題ではないと捉える立場の人もいるかもしれません。
誰にとって,何が,どのように問題なのかということを具体的に考えていくことで,リスク対策に対してより本質的な視点が見えてきます。
住先生は,様々な問題があるだろうが,本音としては経済的な損害が一番の問題なのではないかとおっしゃっています。
現在の様々な投資は現在の気候を想定しながら行われており,急激な気候変化は投資効率が悪くなったり無駄が増えてしまうからです。
しかし,地球温暖化に伴うリスクの問題には様々な価値観が重なり合っており,それぞれのリスクを比較するための統一的な尺度がお金以外に存在しないため,「非常に難しい問題である」と住先生は何度も口にします。
また,100年後の地球の平均気温をなるべく上げないようにお金を使うよりも,直近10年間の景気のためにお金を使えという意見もあります。
それでも,一見対立するような2つの問題の中にも,なんとか共通の解決策を見つけ出し,10年後の我々と100年後の人たちの両方にとって有益な対策がないか考えていくことが重要であろうと住先生は訴えます。
最後に,最悪の事態が起きる前に合理的に判断することの大切さ,そのためには科学の知見を適切に用いることが重要だということをおっしゃっていました。
その後,質疑応答に移り,温暖化に関する情報をどのように発表するべきか,市民が温暖化を止めるための最善の方法など,様々なトピックについて学生さんと意見を交わされて,授業は終了です。
まとめ
この記事では,講義のほんの一部しかご紹介できていません。
しかし,ここまで読んでいただいた方は,地球温暖化について新たな視点を持ったのではないでしょうか。
「より詳しく地球温暖化の研究について知りたい!」「地球温暖化について自分はどう考えればよいのか考えたい!」と思った方は,ぜひ住先生の授業動画を視聴してみてください!
今回紹介した講義:リスクと社会(学術俯瞰講義)第4回 地球温暖化とそれに伴うリスク
< 文/佐藤 瞭 (オンライン教育支援サポーター) >