だいふくちゃん通信

2022/08/24

2022年7月以降、報道やネット上で大変話題になっている、「政治と宗教」の問題……その距離感や関係性が盛んに議論されています。

今回紹介するのは、仏教学者である末木 文美士(すえき ふみひこ)先生の講義。
一連のオウム真理教事件が最も大きく問題となった90年代半ばから、10年ほど経った、2006年に開講されました。

2006年とは、どういう時期であったか。
その少し前、2001年にイスラーム過激派組織によるアメリカ同時多発テロ事件があり、2003年にイラク戦争が起きています。
同時期に、国内では、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝について政教分離を疑問視する議論がありました。
つまり、国内外において、政治と宗教の関係性に注目が集まるような機会が続いていた頃であると言えるでしょう。
また、宗教研究の分野にとっては「オウムから10年」と振り返る節目でもあったと末木先生は語ります。

それからさらに16年の時を経た2022年の私たち。
この期間に、アラブの春、過激派組織イスラム国の新興、天皇陛下の御生前退位など、様々な出来事を経験しました。
政治と宗教は、昔も今も常に変わらず、密接に関わり続けています。
この講義で語られる危機感や問いは決して遠い過去の話ではなく、未だ褪せることなく我々につきつけられています。

さて、この講義の主なテーマは、「明治時代以降、日本の政治が宗教とどのような関係性を持って営まれてきたか」「宗教を学問として研究することはできるのか」ということです。
日本の政治と宗教の関係性に大変な注目が集まっている今は、「そもそも歴史的に、日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在なんだろう?」「今後、宗教とどう向き合っていけばいいのだろう?」ということを改めて考える良い機会かもしれません。

現代の宗教観:日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在?

前述の通り、講義の当時は「オウムから10年」という節目の時期でした。
一連の事件以来、日本国内では、宗教に対して「なんだか危ないものなのではないか」といったイメージが広く形作られ、(東京大学ではそのような傾向は顕著ではありませんでしたが)大学で宗教研究を志望する学生が減少したと末木先生は語ります。

現在でも、「宗教はなんだか触れてはいけないもの」「日常生活とはかけ離れた特殊な領域にあるもの」というイメージを持つ人は、多いのではないでしょうか。

「あなたにとって宗教とは何ですか?」
「あなたは何教徒ですか?」

と、改めて自分自身と宗教の結びつきについて質問されたら、答えに困ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。
先生ご自身も、仏教について研究しているけれども、「では仏教徒なのですね」と言われれば困惑があるのだとか。

さて、ある世論調査では、日本で信教(信じている特定の宗教)がある人は30%以下だそうです。
この数字を見ると、日本は世界の中でも「国民が宗教離れをしている国」と言えます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。

ここで、文化庁が行った統計調査による「宗教年鑑」を見てみましょう。
この統計は、あらゆる教団が各々信者の数を申告する方法をとっており、「仏教徒は9500万人」「キリスト教徒は190万人」と足していくと……

——全部でなんと2億人!!

「あれ? 信仰を持つ人が国民の2倍もいるなんて、随分と宗教に熱心な国なんだなぁ〜」

という笑い話になってしまうのですが、なんとも不思議な結果ですよね。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士

……と、ここで勘の良い皆さまはもうお分かりでしょう。

そう、日本で暮らす多くの人は、明確に特定の宗教を信仰しているわけではない、かといって完全に無縁になりきれるわけでもない日々を送っているのです。

(1)自覚的な信仰:「私はこれを信じている・この道にいる」などと明確に言えるもの。礼拝・修行・祈祷を行うなど。

(2)生活に根ざして習慣化した宗教由来の行動:冠婚葬祭、初詣、七五三、お盆など。

この2つは全く違うもので、自覚的に特定の宗教の信者だという人は少ないかもしれませんが、ほとんどの人は、生活の一貫や文化的な営みとして、お寺・神社・教会などを訪れる機会がたくさんあるのです。

そして、このような日本の文化について、

「クリスマスの飾りをはずして、数日後にはもう正月飾りを準備している」
「教会で結婚式をしたのに、お寺のお墓に入る」

などと茶化して話題にすることはありますが、大抵の人は強く問題視せずに暮らしていますよね。

歴史的な宗教観:明治時代に二重の「隠蔽・補完」が行われた日本の宗教とは?

なぜ日本の多くの人が、宗教由来の行動を習慣化しつつ、特定の宗教を意識せずに暮らしているのでしょうか。
ここで、近代日本で政治と宗教がどのような関わりを持って来たのか、歴史を辿ってみましょう。

時は明治の初め、西洋から様々な文化が流入します。
夏目漱石をはじめ、当時の人々は新しく入ってきた「自由」や「愛」などの概念にも次々と訳を当ててゆきました。
英語における「religion」——(当時は主にキリスト教において神と契約を結び救済されるために)個人が信仰を持つという、当時の日本人にとってやや新しい概念も流入してきます。
その訳語として、もともと仏典に登場する「宗教」という言葉が当てられ、定着していきました。
(「宗教」とは、「仏教の真髄を説く法」を表す、仏教でこそ意味をなす用語でした。)
それまでの日本の一般庶民にとって、宗教の存在は、共同体維持のための制度や習俗などに近いものであったと考えられるでしょう。

一方、時の政府は、列強諸国と肩を並べることができるよう、今まで各藩バラバラだった日本が固く強くひとつになれるような新しい体制を、一生懸命作っている最中です。
明治政府は、天皇を君主とした政治を行う「王政復古(おうせいふっこ)」の考え方を重視し、さらに神道を国教とする「祭政一致(さいせいいっち)」(政教分離の反対の体制)を目指します。

それ以前、江戸時代まではどうだったかというと、神道ではなく、徳川幕府の統制下にあった仏教が強大な力を持っていました。
末木先生は「仏教は事実上の国教だったのでは」と語ります。
例えば、徳川幕府は宗教統制の一貫として、「寺請(てらうけ)制度」というものを設けていました。
各お家(いえ)が特定のお寺の檀家(だんか)となることによって、キリスト教などの信徒ではないことを証明したり、お寺からの報告で地域の人口を把握したりしていたのです。
仏教は、政治の仕組みに組み込まれ、人々の生活とも深く結びついていたと言えます。

このように強い影響力を持つ仏教を、明治政府は、神道の対抗勢力になる恐れがあるとして、神道と仏教を切り離す「神仏分離(しんぶつぶんり)」を押し進めようとします。
やがて、分離が行き過ぎた「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の運動が広まり、具体的には、仏具の廃棄や寺院の所領の接収などを行い、仏教だけでなく、修験道(しゅげんどう)など他の関連する宗教も禁止されました。

ところで。
「神仏分離」とは反対の状態を「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。
(この段落は授業には無い、おまけの説明です。)
みなさんは、パッと見ただけではお寺か神社か区別が付かない施設を見たことはありませんか?
例えば、東京の高尾山の上にある薬王院には、薬師如来(仏教)・天狗(修験道)・鳥居(神道)が大集合していて、建物の構造や形式なども入り混じっています。
このように、日本古来の神道と、6世紀に大陸から伝来した仏教とは、長い歴史の中で時にぶつかり時に形を変えながら、共存共栄する形を培ってきていました。
そして廃仏毀釈では、特にこの神仏習合のタイプの寺院が狙われ、寺の部分が破壊されるなどの被害に遭いました。
例えば、鹿で有名な奈良公園は、なんと、春日大社(神社)と共にあった興福寺(寺)の敷地の一部が接収された跡地なんです。
高尾山の薬王院は、破壊の手を逃れ、伝統的な神仏習合の様子が見て取れる貴重な場所なので、訪れる機会がある方は、ぜひよく見てみてください!

さて。
結果的に、無茶な廃仏の政策は失敗します。
当然、仏教側からの強い反発が起きますし、西洋から流入するキリスト教の勢いに対抗するためにも、影響力の強い仏教を排除することは現実的ではなかったのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士

仏教が権利を保ったことに加えて、欧米諸国からキリスト教の布教を進めたいという要望もあり、大日本帝国憲法(明治憲法/旧憲法)には「信教の自由」が明記されることとなりました。

かくして、日本で公的に、個人個人が自由に宗教を選んで信仰を持つことが認められたのです。

——進歩的! 
——日本の夜明けぜよ!

と思われるかもしれません。

しかし末木先生は、実はここで「二重の隠蔽と補完」が行われたという持論を展開します。

それはどういうことなのか、一緒に見ていきましょう。

まず、このスライドの画像をご覧ください。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士

ここで示されているのは、近代化した日本において、「仏教と神道が表層ではどのように扱われたのか」また「一方で実態はどのようであったのか」ということです。
いわば、仏教と神道の「本音と建前」です。

分かりやすいところから、左上の「個人宗教としての仏教」を見てみましょう。
これは、先ほども申し上げたように、1人の個人が、その人の心の問題として仏教を信仰してよいという自由が、憲法で保証されたということを表しています。
仏教がこのように英語の「religion」の意味で捉えられること自体は、まさに近代の幕開けだという印象を与えたかもしれません。

が、表層はそのように見えているだけであって、実際のところ、仏教が「お家(いえ)の問題」であることは、近代以降も引き継がれていました。
末木先生は、むしろ明治時代以降、「家」の縛りは民法によってますます厳しくなったというのです。
例えば、現在メジャーな「○○家の墓」という形式は、明治以後に定着したもので、遡ってみても幕末頃からしか見られない、新しい習慣であるとのこと。
いわゆる「葬式仏教」と揶揄されるものの始まりです。
このような家と仏教の切っても切れない結びつきは、深層に沈められた、江戸時代から続く「民俗としての仏教」の姿です。

次に、右下の神道を見てみましょう。
この頃、仏教の勢力には、「八百万の神を信仰して、土着の習慣と深く結びついた神道は、低俗であり、(religionとしての)宗教の要件を満たしていない」と主張する者もいました。
欧米の神学において主流であった「多神教は原始的な宗教であり、一神教は進歩的である」という考え方の影響があったと言います。
神道のこのような側面は、深層へ隠されます。

そのような考え方が存在する一方、明治政府は神道を「天皇家の祖先である神を祀り、その偉業を称えるもの」として、さらに憲法上「宗教ではないもの」「政治に属するもの」としました。
これが、「国家神道(こっかしんとう)」として理解されているものの始まりであり、上の画像の右上にある「非宗教としての神道」(神道非宗教論)です。
つまり、「個人の信教の自由を認めるけど、それとは別に(神道は宗教じゃないから)天皇の祖先のことはみんなで崇拝しようね」というわけです。
(この国家神道のあり方が、第一次・第二次世界大戦中の日本で大きな影響力を持ったことは、みなさんご存知の通りです。)

先生は、このような「二重の隠蔽と補完」が、近代日本の宗教体制を作り上げており、「新しい観念」と「実態」のずれや、「個人の内面の信教」と「制度的な都合」の捻れが、現代まで続く様々な問題を生んでいるのではないか、と主張します。
実際に、第二次世界大戦後にできた現行の日本国憲法では、政教分離が原則となっていますが、例えば、「公共施設の建造に際して地鎮祭をすることは祭事なのか、社会的な慣例なのか」ということは、度々問題に(裁判にも)なります。

「宗教」という言葉が指しているのは、信仰の対象としての宗教なのか、それとも習俗なのか……定義が揺れ動いてしまうため、違和感や居心地の悪さを伴い続けてしまうのでしょう。

今後の展望:宗教を学問することはできるのか?

さて、今までのパートでは、「今」を見つめ直すために「過去」を振り返りました。
ここからは、未来の話になります。

授業の最後のパートでは、これまでの議論を踏まえ、「それでは、学問的に宗教を定義することはできるのか?」「宗教を本質的に研究・学問するということはできるのか?」という問いへの答えが語られます。

——学問、そして大学は、本来、何のために生まれたのか。
——宗教も学問も、そもそも既存の人間社会の枠組みを飛び越えるためにあるのではないか。
——今、それらは部分現象として矮小化されており、今一度、問い直されるべきなのではないか。

このパートは最も熱く、先生の力強い言葉を、(特に学生のみなさんには)ぜひとも動画で見ていただきたいです!

また、この記事では都合上、歴史的経緯を主軸に抜き出しましたが、先生はその傍で、現代日本の哲学者・宗教学者らが宗教をどう定義しようと試みてきたか、繰り返し紹介しています。
我々にとって、宗教とは何なのか。
今まさに起きている問題をしっかり捉える・熟慮するためのヒントは、そこにあるような気がします。

今回紹介した講義:学問と人間(学術俯瞰講義)第5回 宗教はあぶない?! 島薗 進・末木 文美士先生

<文:加藤なほ/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/08/18

あなたは、コンピュータを操るのが得意でしょうか?それとも、ちょっと苦手?

ここで一度、あなたが非常に高いコンピュータ操作能力を持っていると仮定してみてください。

そこで「人間の知能と同じようなコンピュータを作れ」と言われたら、一体どうしますか?

コンピュータを操るのに長けているわけですから、きっと実現可能なさまざまな計算パターンなどが思いつくと思います。

しかし、少し考えて、こう疑問に感じるはずです。

そもそも人間の知能は、どういう仕組みで動いているんだろうか、と。

人類は、コンピュータを発明した直後から、いかにして人工知能(AI)を作り出せるかという課題に取り組んできました。

ただコンピュータの知識をつけるだけでは、この問題を解決することはできません。AIを作るためには、どのように人間が世界と関わり、思考しているのかという、ある意味究極の難問とも言える問題に向き合う必要があるのです。

AI研究が始まってから70年ほど経った現在、めざましい成果が諸分野で現れており、私たちの日常生活にAIが与える影響も、加速度的に強まっています。

しかしながら、「人間の知能」と言えるようなAIはまだ生まれておらず、どうすれば「人間の知能」が作れるのかというアプローチも定まっていません。

今回は、AIの歴史を辿りながら、AIと人類の未来について考える講義を紹介します。

1950年代に始まったAI研究

講師を務めてくださるのは、人工知能研究者の中島秀之先生です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

講義では、AIの説明に入る前に、まずコンピュータ(計算機)の歴史が紹介されます。

講義中で紹介される下の年表に示されている通り、コンピュータは1940年代ごろから開発が進んでいきます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

対するAIの研究が始まったのは、1950年代ごろのことです。1956年には、「Artificial Intelligence(AI)」の名を冠した初めての会議であるダートマス会議が開かれます。このころからコンピュータでAIを作るという大きなミッションが意識されるようになりました。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

知能は記号を処理するだけのものなのか

それでは、これまで人工知能の研究者たちは、どのようにして人間の知能のようなコンピュータを作ろうとしてきたのでしょうか?

講義では、知能研究の立場の変遷として、3つのアプローチが挙げられます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

1つ目は、物理記号システム仮説です。これは、知能の本質は記号処理にあるという立場で、初期の人工知能の研究者たちは、主にこの仮説にしたがって研究を進めていきました。

初期の人工知能の研究者は、うまく外部の情報を処理すれば、人間の知能のような働きができるとしていました。それはたとえば、辞書の内容を丸暗記すれば、自由に翻訳ができると考えるようなものです。

しかし、人間の知能の働きがそれほどシンプルではないことは、現在のGoogle翻訳の精度などを知っている私たちは、よく理解していると思います。(Google翻訳は辞書を丸暗記しているだけではありませんが)

同じ単語でもさまざまな意味を持つものがあり、文脈やそのときの情報などを多角的に踏まえてようやく、ひとつの文意を理解することができます。私たちは自然とそれを行っていますが、辞書ひとつで成し遂げられるほど単純なことではないのです。

世界を分節するものとしての知能

次に、知能の本質はパターン認識(世界の分節化)にあるとする立場が生まれてきます。

たとえば、私たちは猫を見たときに、それが初めて見る猫であっても、「これは猫だ」と認識することができますが、それができるのは、「猫」という対象を他の対象と区別しているからです。

このように、世界の文節化を行うものとしてのAIを開発する研究者によって、優れた画像認識技術などが生まれていきます。おそらく皆さんも耳にしているであろう、「Deep Learning」なども、この立場から発展した技術のひとつです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

今では、高性能のAIは、人間より優れた精度で人の顔を識別することができるようになりました。

環境と知能の相互作用

講師の中島先生は、さらに別の立場に立って、人工知能の研究を進めています。

それは、環境との相互作用を重視するというものです。

私たちの知能がどのように環境と関わっているのかと聞かれたときに、多くの人は下のようなモデルを素直に思い浮かべると思います。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

まず、外界の環境を認識して、そのあとその認識内容を推論する。そこで推論した内容をもとに行動を起こし、環境に影響を与える。これは物理記号システム仮説だけでなく、パターン認識を重視する立場にも共通する知能観です。

これに対し、環境との相互作用を重視する立場は、「認識」、「推論」、「行動」が一直線上にあるのではなく、それぞれ独立して機能するものだとします。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之


ロボット研究者のBrooksは「昆虫の知能」という言葉を使っていますが、これは認識や推論を挟むことのない、ほとんど反射的な知能の働きのことです。中島先生は、掃除機のルンバが障害物を避ける機能を、認識や推論と独立に機能する知能システムの「行動」の働きの例として言及しています。

環境との相互作用とは、計算を知能の内部で完結するものと見なすのではなく、環境にも計算を行わせるということです。私たちは複雑な環境を全て理解して制御できているわけではありません。そこでは、まるで昆虫やルンバのように、環境を利用しながら、相互に関わり合う領域があります。

私たちの知能をより深く知るためには、全てを内部で計算するのではなく、何が起こったのか、外部の環境を分析する必要もあるのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 中島秀之

AIから人間の未来について考える

人間の知能の機能として、「認識」、「推論」、「行動」の3つを挙げました。

これをそれぞれ「思考」、「情動」、「生存」に置き換えるなら、別々の脳の部位との対応関係を見出すこともできます。

現在、AIは基本的にボトムアップで情報を処理していますが、人間の知能は、トップダウンで行われる機能が多くの割合を占めています。そのため、AIには人間の「ぱっと見の印象」のようなものがありません。

うまくトップダウンとボトムアップの仕組みを融合させることで、AIは更なる進歩を遂げていくのではないでしょうか。

講義ではそのほか、AIに関する教育の議論や、AIと人間社会の未来についても紹介されています。

近年では、身近なメディアがAIを取り上げることも増えてきました。ただ、そこで語られるのは、目を引く最新技術など、表面的なものがほとんどです。

しかし、この記事で紹介したようにAIは人間のあり方を考えるうえでも、重要な鍵を握っています。大学に入学したばかりの学生向けであるこの講義動画は、その入門にぴったりです。

皆さんもぜひ、この講義動画を視聴して、AIと人間の未来について考えてみてください。

今回紹介した講義:ビッグデータ時代の人工知能学と情報社会のあり方(学術俯瞰講義)第1回 AIの歴史概観 中島 秀之先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/08/08

みなさんは「3囚人問題」というものをご存知ですか?

それは、次のような問題です。

……

いま、3人の囚人A、B、Cが監獄に閉じ込められ、処刑を待っています。

恐怖に震えながら処刑を待つ3人のもとに、看守が現れてこう言いました。

「君たち3人のうち1人を恩赦にする」

つまり、A、B、Cの囚人それぞれが、3分の1の確率で、処刑を免れることができるのです。3人の囚人は喜びましたが、まだ処刑される確率は3分の2もあります。

囚人Aは、看守に「B、Cのうち、処刑される人を教えてくれ」と聞きました。

すると看守は、「Bは処刑される」と答えました。

ということはつまり、AかCのうち、どちらかは恩赦になるということです。

囚人Aは、自分が助かる確率が3分の1から2分の1になったと喜びました。

しかし、本当にそうでしょうか?囚人Aが恩赦になる確率は、本当に2分の1に上がったのでしょうか?

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

以上が、3囚人問題です。同型の「モンティ・ホール問題」の方を知っている人もいるかもしれません。(知らない方は検索してみてください)

実はこの問題、確率は3分の1のまま変わらないのです。

しばしば、確率というのは私たちの直感に反することがあります。

どうして確率が3分の1のままなのでしょうか。この確率は(全パターン)分の(A恩赦パターン)を示した以下の数式で求められるのですが……

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

いかがでしょうか?これを見ても、数式を理解するのが得意ではない人は、うまくイメージが掴めないかもしれません。

コロナ禍で話題になった「感染者問題」(精度が高い検査薬でも、陽性反応が出た人のうち、実際は非感染である人が相当な割合で生じうるという問題。この記事内で紹介するので、知らない方は読み進めてみてください)など、実際の確率が直感に反する例は、私たちの身近なところにあります。

数字が苦手という方でも、間違った情報に惑わされないために、なぜ実際の確率が直感に反するのか、理解しておく必要があると言えるでしょう。

今回は、3囚人問題や感染者問題などの原理について、数式を使わずに理解する方法について考える講義を紹介します。

まずは3囚人問題を数式で考える

今回講義を担当してくださるのは、教育学研究科(当時)の市川伸一先生です。

市川先生は、「視覚化」によって3囚人問題や感染者問題を解決する方法について解説します。

さて、先ほど紹介した3囚人問題ですが、数式として解く際は、「ベイズの定理」というものを使用します。(以下、数式の説明に入ります)

求める確率は、「Bは処刑される」と言われたときに、Aが恩赦である確率なので、

分母が

Aが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1/2)+Bが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×0)+Cが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1)

分子が

Aが恩赦であって「Bは処刑される」と言われる確率(1/3×1/2)

です。

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

改めて数式を提示します。どうでしょう、理解できたでしょうか?

「大丈夫、ばっちりだ」という方もいる一方、「何がなんだか分からない」という方もいると思います。

それでは、恩赦になる確率が囚人ごとに異なる場合、AとBが恩赦になる確率が4分の1で、Cが恩赦になる確率が2分の1の場合はどうでしょうか?こうなってくるとだんだん複雑になってきます。

改めて数式を提示します。どうでしょう、理解できたでしょうか?

「大丈夫、ばっちりだ」という方もいる一方、「何がなんだか分からない」という方もいると思います。

それでは、恩赦になる確率が囚人ごとに異なる場合、AとBが恩赦になる確率が4分の1で、Cが恩赦になる確率が2分の1の場合はどうでしょうか?こうなってくるとだんだん複雑になってきます。

「うー!難しいよ!」という方!安心してください。

この3囚人問題は、より分かりやすく、図で表すことができるんです。

高性能の検査薬でも偽陽性を大量に出すのはなぜ?

3囚人問題の図について説明する前に一度、別の例としてあげた感染者問題について考えてみましょう。

……

1000人に1人の割合で感染する病気があります。

その病気の検査薬は精度が高く、

検査対象となる人が感染していた場合「98%が陽性、2%が陰性」

非感染だった場合「99%が陰性、1%が陽性」を示します。

その検査薬で陽性が出た場合、多くの人は直感的に、高い確率で感染しているのだろうと考えるはずです。

しかし、ベイズの定理で計算すると、陽性反応が出た場合の感染確率は、たった0.089(=8.9%)しかありません。

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

この式の構成も、先ほど紹介した3囚人問題のベイズ解の構成と全く同じです。

「ルーレット表現」によって直感に反する確率を理解する

市川先生によれば、このような確率の問題は、「ルーレット表現」というものを用いて図解することができます。

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

感染者問題のルーレット表現は、以下の図の通りです。

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

この図を見ると、非感染の陽性反応が感染の陽性反応よりも多くなっているのが分かると思います。これは、非感染の割合が圧倒的に高いためです。

このように、図解してみることで、言葉にしたときには意識しなかった要素(この場合は、非感染と感染の割合の差)がはっきりとあらわれ、確率を正しく認識することができるようになります。

このルーレット表現は、先ほどの3囚人問題でも利用することができます。みなさん、ぜひ自分で作ってみてください。

また、このルーレット表現を使えば、ただの3囚人問題だけでなく、囚人が恩赦になる確率がそれぞれ異なる変形3囚人問題を図解することもできます。

UTokyo Online Education 学習と教育の心理学 Copyright 2008, 市川伸一

この図を見ると、「Bは処刑と答える」場合のうち、Aが恩赦になる確率が5分の1であるというのがよく分かると思います。

なぜ間違った直感を抱いてしまうのか考えるために

講義ではそのほか、割り算やツルカメ算を図解して考える方法や、条件付き確率について考える「カセットテープ問題」についても取り扱っています。

市川先生によれば、私たちは、数式と同等の情報を持つ同型図式によって、瞬時に数式が示す内容を理解する能力を持っています。

このような、人間を間違った直感に導く確率問題の研究の射程は、単なる数学の領域にとどまりません。

数学的な考え方を理解するうえでどういう手立てを取ればいいのかという点で、心理学や教育学と結びついているのです。

数学が好きだという方はもちろんですが、なかなか数式が理解できないという方にこそ、ぜひこの講義動画を視聴して、自分の考え方の「癖」を認識していただければと思います。

今回紹介した講義:心に挑む-心理学との出会い、心理学の魅力(学術俯瞰講義)第9回 学習と教育の心理学 市川 伸一先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/08/05

突然ですが、「イスラモフォビア」という言葉を知っていますか?
イスラームやその信徒であるムスリムに対する憎悪や偏見を意味する言葉で、「イスラーム嫌悪」と表現されることもあります。

このイスラモフォビアが現れていると言われている国の一つがフランスです。
フランスでは2015年、ムハンマドの風刺画を誌面に掲載した新聞社が襲撃された1月のシャルリ・エブド事件と、イスラーム過激派による無差別テロで計130名の命が失われたパリ同時多発テロ事件という、イスラモフォビアを喚起する2つの大きな出来事がありました。
以降フランスでは、イスラームといかに向き合うかがよりいっそう切実な問題となっているのです。

そこで今回は、宗教学とフランス語圏の地域研究を専門にされている伊達聖伸先生と一緒にフランスのイスラモフォビアの背景と実情を学び、異文化共生を達成するために必要なことを考える講義をご紹介します。

結論を少し先取りすると、イスラモフォビアの背景には、人間誰しもが持つ心の弱さ――それでいて乗り越えなければいけない心の弱さ――が存在します。
いったいどういうことなのでしょうか?

硬直化するライシテ

フランスにおける宗教的な問題を議論する際、「ライシテ(laïcité)」への言及は避けて通れません。
ライシテとは、公的領域の宗教的中立と私的領域の信教の自由を指すフランス共和国の基本原則のことで、一般的には「フランス独特の厳格な政教分離」と説明されます。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸

ところで、フランスのイスラモフォビアの原因をこのライシテに求めようとする言説が存在します。

「<政治と宗教を厳格に分ける>ライシテは<政治と宗教を分けない>とされるイスラームと相性が悪く、両者の共生は本質的に難しい」というものです。

しかし伊達先生はこの言説に異を唱えます。ライシテという理念は一枚岩ではなく、イスラームの政治と宗教の関係性をも包含できるような、柔軟性を持った概念だからです。
そもそも歴史的に見ても、ライシテはカトリックの原理と共和派の原理との対立の間で練り上げられてきた、かなり解釈の幅が広い概念なのです。

むしろ、このように柔軟であるはずのライシテの厳格な面だけが取り出されて市民の間の支持を受けている状況を踏まえ、市民の共生がうまく行われていないフランス社会をいかに解釈すべきかを考えるのが重要だと伊達先生は言います。

フランスにおける反イスラームの現状

続いて伊達先生は、こんにちのイスラームをめぐるフランスの現状を示すため、2020年10月に発生したパリ郊外教師斬首事件を取り上げます。
「シャルリ―・エブド襲撃事件」のきっかけとなった風刺画を授業の中で扱った中学校教師がイスラーム過激派に斬首されるという、たいへん痛ましい事件です。

このようなテロ事件が起こってしまった際、フランスでは2つの世論が沸き起こるといいます。

「<イスラーム過激派>と<ムスリム>の混同はされてはならないし、自分たちもしていない」という世論と、「たとえ宗教批判を含むような内容であったとしても、表現の自由は守られるべきだ」という世論です。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸

中立的に思える2つの世論ですが、伊達先生は本当にそうなのかと問います。

<イスラーム過激派>と<ムスリム>との間の境界を外部者が客観的に線引きすることなど、果たして可能なのでしょうか。
偶像崇拝を徹底的に禁じるイスラームを厚く信じるムスリムにとっては、ムハンマドの風刺は自分の人格を踏みにじられているのに等しい行為なのではないでしょうか。

このように立ち止まって検討してみると、一見中立的に思える先ほどの世論は、ムスリムの価値観を無視し共生を一方的に阻むものなのではないかという考え方が生まれてきます。

供犠としてのイスラモフォビア

ここまで見てきたフランスにおける反イスラームの動きですが、伊達先生はこれを現代フランス社会が抱える不安が表出した形であると分析します。
ここでキーワードとなるのが「供犠(くぎ)」です。

もともと供犠というのは、人間の世界を神の世界につなぐために生贄を捧げる行為やその生贄のことです。
宗教や呪術がかつてほど身近でなくなった現代社会では、宗教儀礼としての「流血の」供犠はあまりリアリティをもって受け取られることはありません。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2020 伊達聖伸

しかし供犠へと人間を駆り立てる心理作用についてはどうでしょう。
特定の成員をスケープゴートに仕立て上げ、社会の負い目を被せ排除することで社会の安定を保とうとする心理は、今の人間も昔と変わらず持っているのではないでしょうか?

伊達先生はこのように宗教学の供犠論を用い、フランスの反イスラームはフランス社会の諸問題のはけ口をイスラームやムスリムに求める動きだと主張します。

「外を見ればかつて覇権国家だった自国。なのに、外を見れば文化的にも経済的にも後退している。内を見れば若者の高い失業率や学校の機能不全などが明るい未来を描きづらくしている。」
こうした現状からくる鬱屈とした不安から、異質性の高いイスラームやムスリムを「供犠」にすることで逃れようとしているというのが伊達先生の見方です。

このようにしてイスラモフォビアの生成過程を一歩引いた目で観察・分析し、そのうえで何ができるか考えていくことが求められていると伊達先生は言います。

そしてそのような検討は、ひるがえって自分たちへの反省へと向かわせます。

会社や学校のようなミクロな社会でも、国のようなマクロな社会でも、特定の成員を排除することで安心感を得たり社会を維持しようとしたりする作用はフランスから遠く離れた日本でも容易に見ることができるからです。

日本で暮らす私たちにとっても、イスラモフォビアはまったく他人事ではないのです。

イスラモフォビアをフランスの文脈から取り外して一般化し、自分自身の反省へと誘うこちらの講義。
気になった方はぜひご覧になってみてください。

今回紹介した講義:不安の時代(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年度講義) 第8回 フランス語圏の反イスラーム問題

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/07/27

みなさんは,地球温暖化についてどれくらい理解しているでしょうか。

地球温暖化は現代社会における最も重要なトピックの1つです。

最近も,地球温暖化に関する先駆的な研究を行った真鍋淑郎先生のノーベル物理学賞受賞のニュースを始め,SDGs,国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」,異常気象など,様々な話題を通して見かけるようになりました。

もはや,「地球温暖化」という言葉を知らない方はいないのではないでしょうか。

そして多くの人が,地球温暖化が「人為起源の温室効果ガス排出量増加に伴って地球の平均気温が上昇すること」だということを知っていると思います。

では,あえて問います。

地球温暖化は本当に人間のせいなのでしょうか。なぜそんなことが分かるのでしょうか。

地球が暖かくなることが,なぜ大きな社会問題になるのでしょうか。

もはや当たり前となっている社会常識について,深く理解している方は実は多くないのではないでしょうか。

本講義では,住明正先生と一緒に,

  • 地球温暖化がどのようにして理解されているのか。
  • 地球温暖化に伴ってどのようなリスクが生じるのか。

について,学んでいきます。

身近な社会問題でありながら,普段触れることない専門的な内容について,一緒に学んでみませんか?

気候形成メカニズムとその研究

地球温暖化を理解するには,まずはじめに現在の地球の気候がどのように形成されているのかを考える必要があります。

住先生によると,ある場所における「気候」とは,そこでの気象や海象の平均的な特徴のことを表し,温度と降水量によって特徴づけられます。

「南極は赤道域と比べて寒い」や,「日本の6,7月は雨がよく降る」などといったことです。

この地球の平均的な温度の構造は,主に太陽放射と地球の赤外放射のバランス,つまり,地球の外から入ってくるエネルギーと地球から出ていくエネルギーの釣り合いによって決まっています。

ここで言う「地球」とは,地球大気の上端から地面・海までのことを指します。

そして,人間活動によって大気の組成が変化することが,このエネルギーのバランスの仕組みをちょっとだけ変えており,その結果生じているのが地球温暖化ということになります。

宇宙から入ってくる太陽光エネルギーはどのような経路をたどっていき,どのように再び宇宙に放出されるのか。

そのメカニズムはどのようにして理解されるのか。

住先生の授業から学んでみましょう。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

授業の途中では,昨年ノーベル物理学賞を受賞された真鍋先生の研究も紹介されています。

※授業当時の2012年にはまだ受賞されていません。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

気候モデル

自然科学は仮説の検証のために実験を行うことが多々あります。

しかし,気候の研究対象は地球です。実験室の中に地球をまるごと入れて扱うわけにもいきませんから,実験を行うことは困難です。

そこで,コンピュータの中に仮想的な地球を構築し,温度や風などの物理量を計算することで雲や台風などあらゆる気象をシミュレーションする,気候モデルというツールを用います。

これは日々の天気予報にも用いられているのと基本的には同じものです。

気候モデルを駆使して様々な実験を行い,気象・気候形成のメカニズムの理解を進めていくことが,地球温暖化の理解のためにはとても重要です。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

住先生の本講義では,気候モデルを用いて過去の気候を再現する実験が紹介されています。

その結果によると,最近の急激な温度上昇は人間活動の影響を加味しないと再現されないことが分かっているそうです。

これが,人間活動が近年の温暖化の要因であることの一つの根拠になっています。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

気候変化の影響

地球が温暖化することが分かっても,これだけでは人間社会に対するリスクを考えるには不十分です。

なぜなら,地球規模で温暖化することが分かっても,その温暖化の進み具合や,”1000年に一度の豪雨”のような極端現象の発生頻度は,地域によって異なるからです。

したがって,空間解像度の高い情報,すなわち地域ごとのより細かな情報が必要になってきます。

授業では,この”高解像度化”に関する手法が紹介されています。

地球温暖化の地域ごとへの影響の推定,特に稀にしか起きない極端現象の推定は簡単ではありません。

例えば,1000年に1回あるかどうかの現象が今後温暖化によってどのように変化するかということを,100年間のデータから推定することは非常に困難です。

今日も最前線で研究されています。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

温暖化して何が悪いか?〜リスクに対する考え方〜

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 住 明正

”温暖化したらまずい”というのは現代社会の常識になりつつありますが,具体的に何が問題なのでしょうか?

例えば,生態系が乱れることが問題だと指摘する人がいる一方で,生態系は元から変化し続けているのだから問題ではないと捉える立場の人もいるかもしれません。

誰にとって,何が,どのように問題なのかということを具体的に考えていくことで,リスク対策に対してより本質的な視点が見えてきます。

住先生は,様々な問題があるだろうが,本音としては経済的な損害が一番の問題なのではないかとおっしゃっています。

現在の様々な投資は現在の気候を想定しながら行われており,急激な気候変化は投資効率が悪くなったり無駄が増えてしまうからです。

しかし,地球温暖化に伴うリスクの問題には様々な価値観が重なり合っており,それぞれのリスクを比較するための統一的な尺度がお金以外に存在しないため,「非常に難しい問題である」と住先生は何度も口にします。

また,100年後の地球の平均気温をなるべく上げないようにお金を使うよりも,直近10年間の景気のためにお金を使えという意見もあります。

それでも,一見対立するような2つの問題の中にも,なんとか共通の解決策を見つけ出し,10年後の我々と100年後の人たちの両方にとって有益な対策がないか考えていくことが重要であろうと住先生は訴えます。

最後に,最悪の事態が起きる前に合理的に判断することの大切さ,そのためには科学の知見を適切に用いることが重要だということをおっしゃっていました。

その後,質疑応答に移り,温暖化に関する情報をどのように発表するべきか,市民が温暖化を止めるための最善の方法など,様々なトピックについて学生さんと意見を交わされて,授業は終了です。

まとめ

この記事では,講義のほんの一部しかご紹介できていません。

しかし,ここまで読んでいただいた方は,地球温暖化について新たな視点を持ったのではないでしょうか。

「より詳しく地球温暖化の研究について知りたい!」「地球温暖化について自分はどう考えればよいのか考えたい!」と思った方は,ぜひ住先生の授業動画を視聴してみてください!

今回紹介した講義:リスクと社会(学術俯瞰講義)第4回 地球温暖化とそれに伴うリスク

< 文/佐藤 瞭 (オンライン教育支援サポーター)

2022/07/20

私たちには誰でも、「子ども」と言われる時代がありました。

小学校、中学校、高校、など様々な時期を通し、色々な経験をしてきたと思います。

中には苦しい、辛い経験もあったかもしれません。

思い出したくない、隠したい部分というのは、誰にでもあると思います。

その経験の背後にはどのような「現実」があったでしょうか。

そして、そのような時期に、「誰か」と「つながる」ことはありましたか。

この講義では、不登校経験を持つ子どもへの取材のを行ったことがある朝日新聞の記者が講師となり、

不登校の話を入り口に、子どもとつながることについて考えていきます。

子どもを取り巻く問題が扱われる時、多くは大人による認識が語られますが、

子ども自身はどう社会を認識しているのでしょうか。

子どもによる語りを通して、その「世界」をのぞいていきませんか。

<不登校という「状態」は、様々な「理由」のつながりの中で生まれる>

不登校はあくまで「状態」であり、様々な要因が複雑に絡まりあって生まれます。

講義で紹介された2つの事例を取り挙げます。

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事例①:中学で不登校状態を経験し、18歳で高校1年生になったひとみさん

ひとみさんは父子家庭で育ちました。

父親はリストラされましたが、酒量が多かったこともありその後安定した職に就けず、さらに浪費癖もありました。

一家は貧困状態にあり、一時期は生活保護も受給していました。

ひとみさんは小学校から自分でお金を貯めていました。

祖母も認知症になり、ひとみさんが面倒を見なければいけませんでした。

ひとみさんは、学校でいじめも受けていました。

保健室登校になった時、担任や保健室の先生から言われた言葉は、「ここまで来れたなら教室に行きなさい」というものでした。

このような教師の不理解にも苦しみ、ひとみさんは、結局学校に行かなくなってしまいました。

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事例②:ふみさん

ふみさんもまた、ある日突然不登校の状態になりました。

母親は引っ張ってでも学校に行かせようとし、玄関から追い出して鍵を閉めたこともありましたが、ふみさんはドアの向こうで立ち尽くすだけでした。

母親が何があったのか尋ね続け、ようやく口を開いたふみさんから語られたのは、

【先生への不信感】でした。

ある生徒が他の生徒にからかわれて泣いた時に、担任がその生徒をかばうことなく、「なぜ泣くのか」と言ったそうです。

その光景を見て、かつて同じようにいじめにあった経験があったふみさんは、

その先生は信頼できない、自分がいじめられたときに止めてくれないかも、と不安になり、

学校に行くのが怖くなったということでした。

子どもとの関係を語る上で、先生はとても大切な存在と言えます。

しかし、なぜか不登校を語るときに、先生とのつながりは軽視されがちであると講師は言います。

<不登校の理由に対する、教師と生徒での認識の違い>

UTokyo Online Education 東京大学朝日新聞講座 2019 山下知子

調査により、教師が認識する不登校理由と、生徒自身が認識する不登校理由は、比率が全く違うことが分かっています。

上記の調査で、不登校の理由について「教師との関係」を挙げた割合は、

子どもは23%、教師は2.2%と、大きな差がありました。

このような、生徒自身と教師との間にある認識のギャップは、もっと問題視されるべきであると講師は述べます。

<不登校状態の裏に潜む要因から、子どもを取り巻く「現実」をのぞいていく>

不登校状態の背景に潜む要因のいくつかを丁寧に見ながら、子どもの「現実」をのぞいていきましょう。

①学習障害:

学習の困難さから、不登校になるケースがあります。

例えば、文字の読みにくさです。

ある子どもは、教科書の文字にずっと読みづらさを感じており、タブレット端末で書体を変えたところ、読みやすくなり、「みんなこんな風に見えてたんだ、ずるい」と衝撃を受けたそうです。

教科書体とUDフォント(ユニバーサルデザインフォント)での誤読の割合について調べた調査では、

UDフォントの方が正答率が高く、特に教科書で正答率が低かった子がUDフォントで正答率が上がっているらしいことが分かったそうです。

このように、字を上手く読めない子ども、また上手く読めないことに気づかないまま教室で読んでいる子は、結構な数いるのではないかと言われています。

②性的マイノリティ:

性的マイノリティも、不登校につながりやすい要因の一つとして捉えられています。

ある子どもは、規則のために無理やりセーラー服を着ましたが、そんな自分が無様に思えて学校を休んだそうです。

トランスジェンダーの子は、自分の性別とは別の性別を日々求められ、

また、同性愛の子は、「同性を好きになるのはおかしい」という価値観が支配的な中で

自分を受け入れることが難しくなると言われています。

トランスジェンダーの子も同性愛の子も、ともに自己肯定感は低くなりがちで、自殺を考える割合も高いことが指摘されています。

このような性的マイノリティの子どもは、学年で1人の割合ではいると言われています。

③貧困:

貧困家庭が比較的多く通っている、ある公立高校の教師は、授業は受け持たず、主な仕事は生徒の中退予防だそうです。

その教師は、貧困家庭の子どもが、低学歴になってしまうという現状を講師に語りました。

交通費が払えない、交通費が支給されても親が使い込んでしまう(経済的虐待とも言う)

このような現実にあって、物理的に、金銭的に、学校までたどり着けない子が不登校になってしまうそうです。

UTokyo Online Education 東京大学朝日新聞講座 2019 山下知子

これらの他にも、

外国籍で、日本語の支援を受けておらず、授業が苦痛となり学校から足が遠のいてしまう子ども、

一見恵まれている環境にいても、親による教育虐待で疲弊している子ども

がいることなどが言われています。

子どもとつながる、ということ

講師は、不登校を経験した子どもへの取材を通して、子どもとつながるということについて、以下のようなことを考えたと言います。

UTokyo Online Education 東京大学朝日新聞講座 2019 山下知子

<1.つながることの難しさ>

不登校のど真ん中にいる子にはなかなかつながれないと講師は言います。

「誰かに話す」には体力が必要です。

不登校の人とつながっているつもりだったけれど、実はサバイバー(不登校を抜け出せた人)にしか話を聞けていないのかもしれないと、講師は振り返っています。

夜6時に開く中学校で取材した時に、その学校の教師は講師にはっきりとこう言いました。

「ここに来れた子は、一種抜け出した子。

来れない子がいる、ここに来させるために、今先生たちは家に行ってるんですよ。

これで(今回の取材で)、不登校の子を理解したと思われたくない。」

もしかしたら、もっとしんどい人は、家の中で、さなぎのようになっているのかもしれない。

本当に難しい子たちの現実とどうつながるのかは、非常に難しいと講師は言います。

<2.「かつて自分も子供だった」にひそむ罠>

UTokyo Online Education 東京大学朝日新聞講座 2019 山下知子

子どもが生きている今の世界と、自分の世界とが違うということに気づくことが、

子どもとつながっていくうえで大事であると講師は語ります。

LINEのいじめで自殺した高校1年生がいました。

同じ「いじめ」という言葉でも、今の時代を生きている子どもと、昔の時代に子どもであった大人とはイメージする内容が違う可能性があります。

今はSNSが普及し、閉じたSNSの中でいじめをどう見つけるか難しく、

昔と比べ、パトロールが難しいと言われています。

また、SNS上でのつながり故に、学校から帰っても、夜でも、朝起きた時でも、いじめは続くとされています。

その結果、いじめというものが、昔より苦しいものになっているかもしれないと講師は言います。

<3.子どもだってプライドがある>

ある子どもは、昼食が少ない理由を聞かれて、ダイエット中と答えましたが、

本当はダイエットではなくて、買うお金がなかったためでした。

その子どもはいわゆる進学校に通っており、周りに貧しい子が少ない現状にあって、

お金がなくて昼食が用意できなくても、そのことをなかなか周囲に言えず、ダイエット中と言っていたそうです。

また講師は、ある私立校の制服を着た子どもが、トイレに入り、出てきたときには公立校の制服に変わっていた光景を目にしたことがあると言います。

その生徒は、もともと超進学校に通っていましたが、辞めざるを得ず、

でも地元ではその生徒が進学校に進学したことが広く知られていたため、

地元では元の私立校の制服を着て、トイレで転校先の実際の制服に着替えていたそうです。

子どもは赤の他人に対して、触れてほしくないことはとことん守る傾向があると講師は言います。

きっと、ダイエット中と言った学生も、トイレで服を着替えていた学生も、最も隠したい部分を懸命に守ろうとしていたはずです。

子供とつながって本音を聞きたくても、きっと踏み込んでよい領域、踏み込んではいけない領域がそこにはあると講師は述べます。

<まとめ.子どもとつながるということは、異文化理解??>

同じ言葉の中で暮らしていても、捉えていること、見えている世界は子どもと大人では全く違うはず。

これを分かっているかどうかで全然違うと講師は述べます。

完全に子ども目線にはなれないけれど、なるべく近づく、視線を下げる、

その子たちが夢中になっているもの、夢中になっている言葉、

そういったものに触れて、なるべくその子たちを理解する

このような姿勢でいることが 一番その子たちとつながる近道なのかもしれないと講師は語ります。

不登校経験のある子供たちを取材したことがある講師と、

不登校を入り口として、子どもの「現実」とは、子どもと「つながる」とはどういうことか

一緒に考えてみませんか。

おまけとして…

冒頭で触れた、ひとみさん。

ひとみさんには、その後不登校状態を抜け出すことができたという、アフターストーリーがあります。

ひとみさんにとって、不登校状態を抜け出したきっかけ、鍵となったものは何だったのでしょうか。

気になる方も是非、こちらの講義、見てみてください。

きっと、不登校だけでなく、複雑に見える、この人間社会を生きていくヒントがあるかもしれません。

今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」) 第3回 子どもの現実とつながる 山下 知子

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/07/14

先日行われた参院選では、「保守」や「革新(リベラル)」という、政治的な立場を表す言葉を耳にする機会が多くありました。

みなさんは、一般に「保守」と言われる「保守主義」について、どういったイメージを持っているでしょうか?

伝統主義者?資本家?ナショナリスト?昔は良かったという懐古主義者?

何となく、「ジェンダーフリー」や「LGBT」を批判し、レイシズム的な思想を持った人のことを、保守主義者だと考えている人もいると思います。

保守主義という言葉はさまざまな場面に登場しますが、その概念に対しては実は共通理解がなく、曖昧に使用される状態になっていると言えます。

今回は、保守主義とは何かということを改めて考える講義動画を紹介します。

保守主義の元祖、エドマンド・バーグ

講師を務めてくださるのは、政治学者の宇野重規先生です。(先生の著書『民主主義とは何か』は、2021年に東京大学生協書籍部で最も買われた本にもなっています!)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

先生は、保守主義という言葉が曖昧に使われている現状に対し、私たちは保守主義について改めて考えるべきだと提案します。たとえば、先ほど例としてあげたレイシストなどは、本来の意味での保守主義者だと思えないというのです。

宇野先生は、保守主義の元祖として、18世紀のイギリスの政治家であるエドマンド・バークを挙げます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

バーグは、多くの人にとってあまり馴染みのない人物かもしれませんが、フランス革命を批判した「保守思想の父」として知られています。(2015年の衆議院予算委員会における岸本周平議員と安倍晋三首相(当時)との質疑でも、保守主義の元祖としてバークの名前が言及されました)

しかしバーグは、現在の私たちが一般的に保守主義と聞いてイメージするような特徴とは真逆の立場や政治的信条にある人物でもありました。

たとえば、バーグの出身はアイルランドで、人種や宗教の面において、当時のイギリスではマイノリティと言える立場でした。

青年期には、文学青年らしく『崇高と美の観念の起源』という著書で文壇に登場し、アダム・スミスやデイヴィッド・ヒュームなどの啓蒙思想家と交流します。

その後、父親の勧めを受けて政治家になりますが、所属した政党はリベラルなホイッグ党で、大半は野党として活動していました。

そのほか、東インド会社といった巨大資本や、当時のイギリス国王であったジョージ3世とも対立しています。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

自由の制度を守るための保守主義

このように聞くと、バーグはほとんど左派的な人物であるように思えます。しかしどうして、バーグは王政を打ち破る市民革命であるフランス革命を批判したのでしょうか?

宇野先生は、ここで「長く住んできた古い家にどう住み続けるべきか」という質問を投げかけます。

家に住み続けるための方法として、ひとつは、家を全て壊してしまって、一から作り直すという選択肢があるでしょう。しかしこの方法では、家に対する愛着や思い出さえも全て消え去ってしまいます。

それとは別に、元ある部分を残しながら、問題のある箇所を直していくというやり方も考えられます。このやり方であれば、過去との断絶なく、大事な思い出を引き継ぐことができると言えます。

バーグが望んだのは、まさにこの後者のように、元ある仕組みを残しながら、少しずつ作り替えていく方法でした。

人間の知性には限界があり、いくら理性的に新しい制度を考案しても、それが正しく機能するという保証はどこにもありません。

それよりも、長く存続してきた過去の制度にも見るべきものがあるとして、その良い点を維持していこうとするのが、バーグの保守主義でした。

バーグは決して、一部の人の利益のために、マイノリティを虐げようとしたわけではありません。むしろ、「自由」を守ることこそが、バーグの至上命題でした。

一方でバーグは、フランスにはフランスの自由の伝統があるとしました。自由を守るために、既存の制度を維持しようとしたのだと言えます。

本来の保守主義において、保守するべきは具体的な制度なのです。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

「保守主義」を曖昧に理解しないために

それでは、日本における保守主義とは、一体何なのでしょうか?

講義の後半では、「果たして日本に保守主義といえる勢力は存在したのか?」という議論がなされます。

かつてより、政治学者の丸山眞男や評論家の福田恆存など、左右両方の陣営の文化人などから、「日本にはバーグ的な意味における保守主義が欠如している」と言われてきました。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

しかし、宇野先生は、日本にも保守政治家がいたとして、明治から続くその系譜を紹介しています。

一体誰が日本の保守政治家と言えるのでしょうか?それはぜひ講義動画を視聴して確認いただければと思います。

この講義が行われた2016年は、先日亡くなった安倍晋三氏が現職の総理大臣を務めていた時期でもありました。そのため、講義内では、保守政治家を自認する安倍氏の政治的立場に対しても考察が加えられています。

結論から言えば、宇野先生は、安倍氏はバーグ的な意味における保守主義者ではないだろうと判断しています。

ただ、この講義の終わりには、学生からの質問タイムがあるのですが、そこで学生から、宇野先生の主張に対するやや反論めいた質問が投げかけられます。

学生からの真っ当でクリティカルな質問と、それに対する宇野先生の真摯な応答は、きっと保守主義に対して自発的に考える良い材料となるはずです。

当然ですが、広く「保守」や「革新(リベラル)」などと呼ばれる勢力も、一枚岩ではありません。これらの言葉は定義が曖昧なために、さまざまな立場にある人をひとまとめにしてしまうという恐ろしい力を持っています。(そして、ひとまとめにした人々を「敵」だと認識してしまったときには、往々にして悲惨な結果が生じることになると思います)

この力から逃れるためには、自ら学びを深めていくしかありません。

みなさんも、まずはこの講義動画を視聴するところから、ぜひ保守主義について考えてみてください。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 宇野重規

今回紹介した講義:現代日本を考える (学術俯瞰講義)第9回 現代日本の保守主義:「保守」とは何か 宇野 重規先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター

2022/07/06

私たちは皆、当然のように言葉を話します。

しかし、どうして言葉が話せるようになるのか、不思議に思ったことはありませんか?

特に、悪戦苦闘しながら外国語などを勉強しているときなどには、どうして右も左も分からない幼児期に言語を習得することができたのか、全く理解できない気持ちになります。

幼児期にどのように言語を習得するかというのは、人間の思考の過程を探るうえでも、非常に重要なトピックです。

しかし、意思伝達が十分でない幼児を研究対象としなければならないということもあり、やはりその調査は一筋縄ではいきません。今回は、人間の言語習得のあり方を探るためにはどのようなやり方を取ればいいのか、過去に実際に行われた実験とその成果について説明する講義動画を紹介します。

赤ちゃんの語彙が20ヶ月を境に急激に増加するのはなぜ?

今回講義を行っていただくのは、教育学研究科の針生悦子先生です。

まず、人が言葉を覚える際には、いくつかの段階があります。講義内では、そのうちの「1、発話の聴き取り」、「2、語彙の獲得」、「3、文法の理解」の3つの段階に注目します。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

講義では、この3つの全ての段階において、どのように達成されるのかの調査とその結果について紹介されているのですが、この記事では「2、語彙の獲得」にのみ触れます。

(他の項目が気になる方は、ぜひ講義動画を視聴してみてくださいね!)

語彙の獲得ですが、赤ちゃんは大体10ヶ月ごろから言葉を覚え始めるといいます。

しかしそこから8ヶ月間ほどは、なかなか語彙が増えていきません。

(もちろん個人差はありますが)18ヶ月時点での語彙数は、20〜30程度です。

急激に言葉を覚えはじめるのは、20ヶ月ごろからになります。

そしてそれ以後は、語彙はそのまま増え続け、28ヶ月のころにはなんと400を超えます。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

一体どうして、このような「語彙爆発」と言えるような現象が起こるのでしょうか?

逆に言えば、なぜそれまではなかなか語彙の獲得が進まないのでしょうか?そこには、私たちが当たり前に認識している「言葉」というものの枠組み自体を捉える作業が関わってきます。

色々なものを意味する「ニャンニャン」

講義では、岡本(1982)が、自分の娘を対象にして行った以下の研究が紹介されます。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

この研究は、娘が「ニャンニャン」という言葉を何に対して用いているかを調査したものです。

言葉というものに慣れ親しんだ私たちは、言葉と対象が一対一で対応しているということを、当然のものとして理解しています。(例えば、「ニャンニャン」であれば、おそらくそれは「猫」と一対一対応しているでしょう)

しかし、語彙を獲得している途中の幼児は、そのような規則を理解していません。

実際、ここで調査の対象となった娘は、「ニャンニャン」という言葉を、「白い壁」や「ライオン」など、いくつもの対象を指すために使用しているのです。

「ウサギ」がウサギを意味するのは当たり前ではない

次は、親が子供の赤ちゃんに対し、「ウサギ」と呼びかけながら、ウサギを指差す場面を想像してみてください。

私たちは、当然この動物の種類が「ウサギ」であり、赤ちゃんにもそれを伝えていると理解します。

しかし、実際は、「ウサギ」が指すものの選択肢として、「目の前にいる動物の種類」以外にも、「長い耳」や「ふわふわしている」といった特徴、ウサギが食べている「にんじん」、または「このウサギの名前」など、さまざまなものがあるのです。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

「ウサギ」という言葉が動物の種類であると理解するためには、「言葉は対象の属性でなく対象それ自体を意味しうる」ということや「言葉は個体ではなくカテゴリを意味しうる」という、言葉のルールを知っておく必要があります。

先ほど示した岡本の研究で、娘が「ニャンニャン」という言葉を多数の対象に用いていたのも、「基本的に言葉はある特定のものを意味しうる」というルールを理解できていなかったからです。

言葉のルールを身につけていき、意味を推論できるようになってようやく、幼児は言葉を覚えられるようになります。

市川先生によれば、それがまさしく先ほど紹介した「語彙爆発」が起こる理由です。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

言語の習得には「意味推論」が重要な役割を果たしているのです。

「言葉」について考える

今回紹介したのは、講義動画のほんの一部です。講義ではそのほか、言葉を話せない赤ちゃんが単語を聞き取れているか調べる調査や、動詞という概念や助詞の使われ方についての理解を探る方法についても紹介されています。

UTokyo Online Education  ことばの発達心理学 Copyright 2008, 針生悦子

(不思議な質問ですね……)

言語習得の探究は、人間の思考の根幹に迫る行為でもあり、それ自体で私たちをワクワクさせてくれるものです。

しかし、そんな壮大な話は抜きにしても、専門外の人からすると奇抜で独創的な調査によって、幼児がどのように言葉を覚えていくか明らかになっていく様子は、きっと楽しいものだと思います。

みなさんもぜひ講義動画を視聴して、自分が日頃意識せずに使っている言葉について、改めて考えてみてください。

今回紹介した講義:心に挑む-心理学との出会い、心理学の魅力(学術俯瞰講義)第10回 ことばの発達心理学 針生 悦子 先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/06/30

現場に出向くことで調査対象の集団について深く知ろうとするフィールドワークは、文化人類学や社会学などにおける主要な研究手法の一つです。

しかし度々、フィールドワークはこのような疑問を投げかけられます。
研究者の介入によって調査対象が変容してしまうのではないか?
そうであるとすれば、研究の手法として適当ではないのだろうか?

そこで今回は、フィールドワークによる研究者の現地への介入について、「偶然」をテーマに据えながら、民俗学・文化人類学がご専門の菅先生と一緒に考える講義をご紹介します。

特に人文系や社会系の研究を行う方は必見の内容です!

二十村郷「牛の角突き」と宮本常一の介入

菅先生が調査を行っているフィールドは、新潟県中越地方の山間部に位置する「二十村郷」地域です。
この地では数百年前から「牛の角突き」という闘牛の祭礼行事が受け継がれており、昔の行事の様子をよく保っていることから国の重要無形民俗文化財に指定されています

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017菅豊

実は、菅先生より前にこの二十村郷を扱ったフィールドワーカーがいました。
『忘れられた日本人』や『塩の道』などで知られる民俗学者の宮本常一です。
宮本が初めてこの地を訪れたのは1970(昭和45)年。偶然知り合った当時の山古志村長に招かれ、講演を行ったのがきっかけでした。

二十村郷の豊かな文化を気に入った宮本は、通常の調査に加え、地域の文化財保護や観光振興に積極的に関わりました。
まさに現場に積極的に介入するフィールドワーカーだったのです。

地域振興の一環として、宮本は親交のあった文化庁調査官・木下忠に依頼し、二十村郷に国の文化財指定を受けられる文化資源があるか調査させました。
木下は当初、住民の手で掘られた隧道(トンネル)群を調査していましたが、牛の角突きの存在を偶然知り、指定の見込みがあると判断しました

木下が文化的価値を認めたこともあり、牛の角突きは1978(昭和53)年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
牛の角突きの文化財指定は、宮本のフィールドへの介入をきっかけに複数の偶然が重なり合った結果だったのです。

フィールドが被災地になった。新潟県中越地震

時は下り、宮本と木下が活躍した約20年後。偶然の出会いが重なり、菅先生は牛の角突きを調査するフィールドワークを開始しました。

当時の菅先生は「普通の民俗学者」、すなわち外部から来たアウトサイダーとして地域と関わるというスタンスをとっていました。

しかし2004(平成16)年、このスタンスに大きな転回がおきました。
マグニチュード6.8、最大震度7の新潟県中越地震が二十村郷を襲い、地域一帯が被災地になってしまったのです

通常のフィールドワークが困難になる中、復興に関する補助金が入ることで、「雨後の竹の子」のようにたくさんのフィールドワーカーやコンサルタントが現地に集まってきました。

募金やシンポジウムに奔走していた菅先生は、自分は二十村郷においてどのようなフィールドワーカーであるべきか考え抜いた結果、アウトサイダーからインサイダーになる道を選びました
そしてこの地に牛を飼い始めました。「牛を飼う民俗学者」の誕生です

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017菅豊

「消極的に巻き込まれる」フィールドワークから「積極的に関わる」フィールドワークへの転回は、以上のように思いもよらない形でおこったのでした。

「ずれ」「ずらし」の偶然性と、今なお生きる「宮本常一」

菅先生がインサイダーとしてフィールドワークを行う中で、ある出来事が起きました。
動物愛護管理法改正に向けた国の有識者会議の中で、二十村郷の牛の角突きの是非が議論されたのです。

情報をキャッチしていた菅先生が地域の宴会でこの話題を持ちかけたところ、住民に衝撃をもって受け取られ、詳しく解説する場を持つことになりました。
そこでは将来的なユネスコ無形文化遺産の申請リスト記載も見据え、動物愛護の観点を牛の角突きに持ち込むことの必要性を説明しました

しかしなぜか二十村郷の人々はこの説明を、「以前から二つに分裂していた運営団体を再度統一すべし」という内容だと「ずれ」て受け止めました。
そしてこの「ずれ」は解消することなく、実際に統一団体の発足まで一気に進んでしまいました。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2017菅豊

いったいなぜ、このような「ずれ」が生じてしまったのでしょうか。

菅先生によれば、これはフィールドワークという地域への介入が引き起こした、まったく予測のできない偶然の結果だったといいます。

実は一部の住民にとって、運営団体の分裂という状況を修正することが長年の重要課題として残存していた
そこに「動物愛護」「無形文化遺産」という実体のよくわからない概念が持ち込まれたことで、その課題意識が惹起され、触発された
こうした予測不可能な作用がはたらく過程で、住民が情報を「ずれ」て「ずらし」て読み替えていったと、菅先生は分析しています。

ではなぜそもそも、そんな課題が生じていたのか?

実はこちらは数十年前の宮本常一のフィールドワークが引き起こした、これまた予測不可能な偶然の結果だったのです。

どういうことか気になる方は・・・。ぜひ講義動画を観てみてください。

まとめ

菅先生は以上のような自身の経験を踏まえ、フィールドワークにおいて研究者が地域に影響を与えること、そしてその影響が不確実で予測不可能なものであることは避けられないと言います。

そのうえでフィールドの人々と一緒に現実を創り上げることができる点や、そのプロセスに他者だけでなく自己も含めながら研究ができる点に、単なるデータ収集の手法に還元されない、実践としてのフィールドワークの優越性が存在していると述べています。

そしてなればこそ、フィールドワーカーには対象集団の中に長い期間身を置き、現場を体験してその意味世界を理解する「共感(empathy)」が求められる。そのように締めくくり、講義のまとめとしています。

ぜひこちらの講義を通して、フィールドワークという手法について考えてみてください。

今回紹介した講義:〈偶然〉という回路(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2017年度講義) 第6回  フィールドワークでは偶然は避けられない:無形文化財という言葉が生み出した幻影 菅 豊 先生

<文/小林 裕太朗(東京大学オンライン教育支援サポーター)>

2022/06/22

先日、SDGsについての教育が小中高で必修化されるという報道がありました。
「サステナビリティ」や「持続可能な社会」は、もうすっかり当たり前の概念として受け入れられつつあります。

ですがサステナビリティって、なんだか生活の快適性とトレードオフな感じがしませんか?
持続可能な社会のためには禁欲的で味気ない生活が求められる、みたいな…。
そうだとしたら、これからの未来をちょっぴりつまらないものに感じてしまいますよね。

そこで今回は、サステナビリティと人間の快適性の両立について考える講義をご紹介します。
登壇されているのは、世界的建築家の隈研吾先生と、太陽光発電技術のフロントランナーである杉山正和先生です。

お二人の話を聞き、持続可能な社会について一緒に考えてみませんか。

土地の素材や環境を活かした空間づくり(隈先生)

講義の前半では、隈先生がこれまで取り組んできた世界中の建築物を紹介しています。

その際にキーワードの一つとなるのが「材料」です。
20世紀の建築家は建物の材料にあまり関心を持っていなかったそうですが、対照的に隈先生は地元の材料にこだわった建築をおこなっています。

UTokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 隈 研吾、杉山 正和

その一例として紹介されているのが、高知県の「梼原(ゆすはら)木橋ミュージアム」。
立派な建物ですが、地域の町工場が地元の木を加工した小さなユニットを組み合わせることでつくられています。

隈先生によれば、小さなユニットで強い構造物をつくる技術が間伐材の循環を可能にすることで、日本の森林が守られてきたとのこと。
美しい建築の背景には、まさに持続可能な社会を支えてきた伝統的な手法がありました。

さらに建築物が長く使われるためには、人にとって過ごしやすい空間であることが不可欠です。
デザイン性と快適性が両立した建物の一例として、複合交流施設「アオーレ長岡」が紹介されています。

UTokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 隈 研吾、杉山 正和

アオーレ長岡の中央には、「土間」をモチーフにした大きな中庭が設置されています。実際に土を固めてつくられているため、夏の暑い日には水を撒いて温度調節することができるとのこと。
また屋上では太陽光パネルによる発電が行われているそうです。

動画では他にも、風の通りや光の差し込みなどその土地の環境を活かした空間づくりが多数紹介されています。
建築家直々にコンセプトやこだわりを聞ける面白い内容になっているので、ぜひ観てみてください。

受け身の技術と感性への訴え(杉山先生)

隈先生に続いて講義をされるのは杉山先生。

まず最初に、次世代のエネルギーとして注目されている太陽光発電について、天候や時間帯に振り回される「とんでもない技術」だとおっしゃいます。
そのうえで、不便さを受け入れて使いこなす「しなやかな受け身の技術」が必要だと指摘します。

「しなやかな受け身の技術」の一例として紹介されているのが水素蓄電技術です。

UTokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 隈 研吾、杉山 正和

従来は蓄電池の中に水素を蓄えていたため、たくさんの水素を保存しておくには大きな蓄電池を用意する必要がありました。
しかしこの水素蓄電技術では、蓄電池の外に大量の水素を貯蔵し、必要な分だけ取り出して使うシステムをつくることで、コンパクトな蓄電池でも現実的な利用に資することができるようになっています。

このような技術によって電力の地産地消が可能になり、エネルギーは国の政策から地域の課題になっていくと、杉山先生は話しています。

それでは、安定した電力供給が可能になれば太陽光発電は普及するのでしょうか?
「それだけでは足りない」と杉山先生は言います。
杉山先生が必要だと訴えるのは、人間の感性に根差した「感動・心地よさ」です。

ビルの外壁や休耕地に備え付けられた太陽光パネルを思い出してみてください。
青いギラギラした素材と、縦横に張り巡らされた電極線…。

そのような無機質で興趣の薄いデザインでは積極的に太陽光発電を取り入れてもらえないのではないか、という思いから、杉山先生は建材として人の感性に馴染む太陽光パネルの開発を進めています。

UTokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 隈 研吾、杉山 正和

おしゃれで落ち着くし、さらに発電もできる。
そんな太陽光パネルなら、家などを建てるときに取り入れようと思いますよね。
実際に具体的な導入の例も紹介されていますので、ぜひ動画を観て確かめてみてください。

技術とアートの掛け算で開かれるサステナブルで快適な未来

地元の材料を組み合わせる伝統的な手法を取り入れるとともに、風や光などの環境を活用した過ごしやすい空間づくりをおこない、その土地で愛される建物を生み出す隈先生。

自然に左右される不安定さを抱きかかえる「受け身の技術」と、人の感性に根差した「感動・心地よさ」を実現させることで、太陽光発電の普及を目指す杉山先生。

活躍されるフィールドこそ違えど、両先生がお話される内容が交差する場所に、サステナビリティと人間の快適性が両立する社会のありかたを見たような気がしました。

この動画を観て、持続可能な社会について一緒に考えてみませんか?

今回ご紹介した講義:先端アートデザイン学 第6回 自然エネルギーとアートデザイン 隈 研吾先生、杉山 正和先生

<文/東京大学オンライン教育支援サポーター