【「共生」は本当にいいことなのか?】個人のリズムで生きる共同体を考える
2023/03/08


さまざまな場面で人の多様性が認められるようになった現在、その多様な人たちと共に生きていくことの意義が、広く共有されるようになってきました。

一方で、「共生」という概念が、価値あるものとして、無批判に称揚されている場面もあります。

特に深くその内実を省みることのないまま、「人と共に生きていくことは素晴らしい」というような言説が声高に叫ばれているのです。

しかし本来、「共生」とは、手放しでその価値を認められる概念ではありません。

実際には、人と共に暮らしていくと、さまざまな軋轢が生まれ、人を悩ませることもあります。

現代社会を生きる私たちは、否応なく共生させられているので、むしろ考えるべきはいかにして共に他者と生きるのかという具体的な問いです。

今回は、フランスの批評家であるロラン・バルト(1915-1980)の主張を追いながら、「共生」について考える講義を紹介します。

自分に固有のリズムで共に生きる

講義を担当されるのは、東京大学大学院総合文化研究科所属の星野太先生です。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

先生は「食客論」というものを研究のテーマとして掲げており、これがこの講義でも重要な概念になっています。

まず講義で取り上げるのが、ロラン・バルトがコレージュ・ド・フランスという教育機関で行った講義「いかにして共に生きるか(Comment vivre ensemble)」(1976-1977)です。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

まさに、今回紹介する星野先生の講義と同じテーマを掲げるこのバルトの講義では、「イディオリトミー」という概念がキーワードとして提唱されます。


イディオリトミーとは、ギリシア語の「イディオス(自分の)」と「リュトモス(流れ、リズム)」からなる合成語で、「自分に固有のリズム」をあらわします。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

バルトはこの言葉を、ジャック・ラカリエール(1925-2005)という在野の作家の著作『ギリシアの夏』(1976)を参照しながら説明しました。

『ギリシアの夏』で言及されるのは、ギリシアのアトス山にある2つのタイプの修道院の話です。

そのうちひとつの、共同体的な修道院では、食事や典礼、作業などの全てが共同で行われます。

そしてもうひとつは、イディオリトミックな修道院で、そこでは各々が個人のリズムで生活しています。食事は個人の自室で行い、所持品もそのまま持つことが許されているのです。

バルトの講義では、このイディオリトミックな修道院が、それぞれが自由に振る舞える場所として、理想的だと見なされています。

ブリア=サラヴァンの共同体主義に対するバルトの批判的立場

星野先生は続いて、バルトが序文を書いたブリア=サラヴァン(1755-1826)の著作『味覚の生理学』(1825)を取り上げます。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

この著作でサラヴァンは、「ひとりでの食事が利己主義を助長する」ということを主張しました。サラヴァンの時代から次第に一般化していくレストランというものに目を向け、日頃からレストランに通う人間(孤食をすることが多い人間)の不作法を批判するのです。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

つまり、サラヴァンは、共同体的な食事に価値をおき、イディオリトミックな食事に否定的であるといえます。(ただしサラヴァンはバルトよりも100年以上昔の人物であるということに注意してください)

星野先生いわく、バルトは、『味覚の生理学』の序文で、サラヴァンの「孤食」批判に対して、微妙な評価をしています。

バルトは、この本が食に関する書物として先駆的であるという書き振りをしながら、サラヴァンに批判的な立場を隠そうとしていないというのです。


バルトの真意は推し量るしかありませんが、テクストを見る限りでは、バルトはサラヴァンの家族中心主義、異性愛主義、人間中心主義に対して、批判的であると考えることができます。

UTokyo Online Education 学術フロンティア講義 2022 星野 太

共同体からはみ出る「食客」

ここで話は、星野先生が取り組んでいる「食客論」というテーマに繋がります。

食客とは、客人としてある場所に住み着いている人のことです。星野先生は、この食客は共同体からはみ出る部分がある存在だといいます。

私たちは、ついつい安定した共同体に所属するか、孤独でいるかの二択(もしくはその併存)で考えてしまいがちで、その中間領域は往々にして見逃されます。

また、トラブルの生まれやすい偶然的な出会いの場や、不安定な共同体に対して、否定的な感情がある人も多いと思います。食客のような曖昧な領域、偶発的な領域は、避けられてしまうのです。

星野先生は、この中間領域をもう少しポジティブに考えてもよいのではないかと主張します。

バルトが理想としたイディオリトミックな修道院も、この中間領域のひとつだと考えることができるでしょう。

無視されがちなこの中間領域に目を向けることで、私たちは人と共に生きるということに対して、より多角的に考えることができるようになるかもしれません。

みなさんもぜひ講義動画を視聴して、「私たちはいかにして共に生きるか」という問いについて考えてみてください。

今回紹介した講義:30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)第3回 いかにして共に生きるか ― 「食べること」と「リズム」について 星野 太先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>