【自然と音楽は繋がっている?!】音楽を通してコミュニケーションを考える
2022/05/19

皆さん、音楽は好きですか?
音楽は私たちの生活の中にたくさん存在しています。
移動時間に音楽を聴いている人もいるでしょうし、友達とカラオケに行くのが好きな人もいるでしょう。

では、「音のない音楽」は存在すると思いますか?

そんなのないよ、と笑う人もいるかもしれませんが、音を出さない指揮者は「音楽家」ですし、差音や倍音と呼ばれる「聞こえない音」もありますよね。

一体音楽とは何なのか、だんだん自信がなくなってきましたね。

今回は皆さんに、音楽が歴史的にどう捉えられてきたのか、そして自然と音楽はどのような関係性にあるのか、そしてそれらが今日にどのような教訓をもたらすのかについて考える講義を紹介します。

Tokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 山田 和樹、近藤 高志、近藤 薫、吉田 純子

講師を務めてくださるのは、日本フィルハーモニー交響楽団などで指揮者を務められている山田和樹さん、東京フィルハーモニー交響楽団でコンサートマスターを務められている近藤薫さん、朝日新聞記者の吉田純子さん、東京大学先端科学技術研究センター教授の近藤高志先生です。

4人の先生方はそれぞれ異なる分野でご活躍されていますが、その共通点は「音楽が好き」ということです。

先生方の軽快なトークと共に、音楽の魅力の扉を開いてみましょう!

音楽って何だろう?

古代ローマの人々は、音楽を3つに分けて考えていました。
①ムジカ・ムンダーナ=世界の調和の音楽
②ムジカ・フマーナ=人間の調和の音楽
③ムジカ・インストゥルメンタリス=楽器を通して実際に鳴り響く音楽
です。

人々は、音楽とは聴くものではなく、自然や天体など自分が触れないものを人間として実感し、自分の生き方を探っていくものとして捉えていました。
彼らにとって、音楽とは、宇宙の調和の根本にあるものであり、人間の心身をつかさどる秩序でもありました。これらの音楽は耳で聞くことができませんが、身の回りに満ちていると考えられていたのです。

そして、一番下位にある概念として、楽器を通して実際に鳴り響く音楽があると考えていました。

つまり、古代ローマにおける音楽は、人間が演奏するものだけでなく、人間が理解することのできないより上位の自然界の調和の摂理として理解されていたのです。

音楽と自然は共通点が多い

古代ローマにおいて科学的な根拠があったわけではなかったと思いますが、驚くべきことに、実際に自然の法則と音楽は一致する部分が多いとされています。

例えば、虹の7色はドレミファソラシの7音に一致します。さらに、人間の目に見える可視光は大体1オクターブと一致します。

このように、自然と音楽は、不思議な共通点で結ばれているのです。
こうしたことのすべては、理屈では説明できません
なぜ音階がドレミファソラシなのか、そして我々がなぜそれを美しいと感じるのかは、サイエンスでは説明しきれないのです。

音楽とサイエンスの一致と分けすぎた弊害

Tokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 山田 和樹、近藤 高志、近藤 薫、吉田 純子

ところで、サイエンスとクラシック音楽が歴史上同じような道を辿ってきたことをご存じでしょうか。
二つの分野は、共に19世紀に大きく花開き、20世紀に分けることで成長を遂げた一方で、21世紀には分けすぎたことによる弊害も見られるようになっています

19世紀以前、サイエンスの分野では、物理学や科学、生物学といった学問はあまり区別されていませんでした。それが、19世紀になると、現代的なテクノロジーのベースになっている近代科学が登場しました。ダーウィンの進化論の提唱、メンデルの遺伝の法則の発見、メンデレーエフの元素周期表の発表などが相次ぎました。そして、20世紀に入り、サイエンスの分野では学問の分化が進んでいきました。特に、アインシュタインの相対性理論、量子力学が科学、工学、物理学などに多大な影響を与え、それぞれの分野は飛躍的な発展を遂げました。このように、学問分野が細分化された結果、各分野で多くの研究が行われた一方で、それぞれが肥大化し、固定化して既得権益になり、縄張り争いが起こるようになりました。

同じく19世紀以前、クラシック音楽の分野では、音律は決まっておらず、作曲家は1回限りの演奏のために曲を書き、それを王侯貴族が楽しむ時代でした。それが、19世紀に入ると、現在のクラシック音楽のスタイルが確立しました。そして、作品に作曲家の自我が入り始め、一般市民が音楽を楽しむ時代に突入しました。さらに、メトロノームが発明され、拍が一定になりました。20世紀には、平均律が確定し、音階が決まりました。また、録音が登場したことで、どこでも誰もが同じように演奏を聴いたり弾いたりできるようになりました。このように、情報が平均化していくとともに、効率化され、地域による音や弾き方の違いは次第に失われていきました。

人々は理解するために物事を細かく分け、それによって非常に成功しました。
しかしながら、分けすぎてしまったのです。そして分けている自覚も失ってしまいました。

その結果、いろいろな結びつきを見落としてしまったのです。

目に見えないものごとの価値

Tokyo Online Education 先端アートデザイン学 2021 山田 和樹、近藤 高志、近藤 薫、吉田 純子

本来、世の中には目に見えないものがあふれています。
しかし、昨今の社会では、体系化・効率化が求められてきました。情報を介したコミュニケーションが増え、顔を合わせずにメールや資料共有をすることも多くあります。情報は世界中どこにいてもすぐに送ることができますが、その裏にある思いは送ることができません。情報の中に入れられないものが多いのです。そうした効率化の先に待っていたのは、人間性の喪失でした。

感性、思い、人間性、コミュニケーション…見えないものを通して、人と人とがやわらかく繋がっていくとき、それが文化になるのです。
そうした目に見えないもの、形にできないものを共有することが音楽の本質なのかもしれません。

まとめ

コロナ禍になり、音楽は「不要不急」だとして切り捨てられてしまいました。しかし、場所を共有して感覚的に共通項を探すこと、言語ではない対話をすることは、自然そのものであり、何かが生まれる源泉でもあるのではないでしょうか。

ぜひこの講義動画を視聴して、コミュニケーションを考えるきっかけにしてみてください。

今回紹介した講義:先端アートデザイン学 第11回ー近代科学とクラシック音楽~学際研究から酒宴まで、領域横断のサロン的展開ー山田 和樹、近藤 高志、近藤 薫、吉田 純子

<文/島本佳奈(東京大学オンライン教育支援サポーター)>