仕事が生き甲斐で残業もがんがんこなすAさん
趣味が生き甲斐で定時で帰るBさん
みなさんはAさんとBさんどちらに共感しますか?
こんな問いかけから始まる授業を紹介します。
この授業をしたのは、東京大学社会科学研究所で労働法を研究されている水町勇一郎先生です。
働き方改革や女性が働きやすい職場についての議論がすすむ今、「日本で働くことの意味」について考えます。
労働の起源
「働くこと」に対する意識は、人間の文明の起源に遡ります。
古代ギリシャにおいては、労働は生きていくためにやらなければならない不自由で動物的な行為と考えられていました。
人間という概念を生み出した古代ギリシャにおいて「人間らしい活動」とされたのは、「真善美」(真理を探る哲学、社会的な善悪を極める政治、美しいものを眺める芸術)でした。
この真善美と対極にある労働は、戦争で集めた奴隷にやらせる卑しい行為だったのです。
また旧訳聖書の中では、労働は神から原罪を償うために与えられた拷問として位置付けられています。
「labor」という英単語には①労働②分娩・出産という二つの意味があります。これは、罪を犯したアダムとイヴに対して神が与えた罰が労働であり出産であったからだといいます。
このようにして、ローマ帝国の広がりとともに、ヨーロッパではキリスト教的な「労働=非人間的活動」という考えが長く続いていきます。
労働に対する意識改革
転換点となったのは宗教改革です。
ルターやカルヴァンなどのプロテスタントが神の発言の再解釈を行い、
「労働=神が与えた罰」→「労働=神が与えた美しいものであり一生懸命働くことは神に従うということ」
というふうに、労働に対する意識を「罰」から「良いおこない」に転換したのです。
これにより、月曜日から土曜日まで一生懸命働いて日曜日に教会で神に祈る、という生活が定着していきます。
この労働観の転換が後の産業革命に大きな影響を与えたと指摘したのが、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。
日本の労働観の歴史
日本においては、労働に対する意識はどのように変化してきたのでしょうか。
江戸時代くらいまで、働くということは、日本独特のイエ概念における「家業」でした。
当時の労働に対する認識は、
①家族の生活のための生業
②社会から与えられた分を果たすという職分
の二つの側面から成り立っていました。
家族のために一生懸命働くという意識は今でも十分共感できるのではないでしょうか。また「職分」とは、武士は武士、農民は農民、というように身分に応じた働きを全うするべきだという考えです。江戸時代に思想家の荻生徂徠や石田梅岩らが主張しました。
このような「家業」としての労働が、「働くことはいいことだ」という今日の私たちの意識の根底にあるかもしれません。
日本で転換点となったのは、近代化です。明治維新で士農工商という身分制度が解体され、身分によって定められた労働(職分)という考えが薄れていきます。
家族や社会のために努力して立身出世を目指すという風潮の中、明治から昭和に移るとき、「会社」という組織が生まれます。
日本では、会社は擬似家族のように位置付けられ、社員は疑似家族の構成員になっていったといいます。
現在でも、英語圏では職業欄にemploeeやworkerといった単語を使うことが多い一方で、日本では主に「会社員」という言葉を使います。ここからも「会社の一員」という意識の強さが読み取れます。
働くことの二面性
ここまで、労働の起源やヨーロッパ・日本における労働観について見てきましたが、続いて「働く」ということの意味や性質について考えていきます。
水町先生は、「働くこと」には二面性があると言います。
一つ目は社会性や経済性といったプラスの側面です。共に働く仲間がいる、自分のアイデンティティがある、お金が稼げるといった性質は、人が社会的に生きるために重要な要素です。
二つ目は他律性や手段性といったマイナスの側面です。やりたくないことをやる、自分の欲求を我慢して他人の指示に従いながら働く、という他律性。そして、生活や遊びに使うお金を稼ぐために働くという手段性。
趣味や旅行に使うお金を稼ぐために重い足取りでバイトに向かう…なんて大学生も多いのではないでしょうか。
労働には複数の性質があることから、どの性質を大きく捉えるかによって、労働観は十人十色であるということが言えます。
江戸時代の日本で「働くことは喜びであり職分である」という考えが身分制度による統治のために使われていたように、労働観は社会や統治者によって刷り込まれたものであることさえあります。
同じように、歴史的背景を持つ様々な労働観が世界中にあります。
仕事に対する自分の意識が周囲の人や社会に刷り込まれたものではないか?と一度考えてみてもいいかもしれません。
日本の職場はどうしていくべきか?
今、日本では過労死や過労自殺が起きています。
死ぬまで働く・働かされるという背景には、先ほどの「働くことはいいことだ」という歴史的な価値観が存在しているかもしれません。
フランスの社会学者エミール・デュルケームは『自殺論』において、個人が組織の中で追い込まれ自分の価値観で物事を判断できなくなり死を選ぶ「集団本位的自殺」を自殺の類型の一つとしました。
個人と会社という集団との結びつきが過度に強まってしまうところに、職場を居場所とすることの危険性があるのです。
今の日本では、「正社員で4時間労働で活躍したい!」というような働き方は難しく、プライベートを犠牲にしながら長時間働くのが基本です。
冒頭で出てきたAさんとBさんが同じ職場で共存しようとしても、たくさん働くことが評価される現状において、長時間働きたくないBさんはバリバリ働くAさんから負の影響を受けることになってしまうのです。
個人の自由な選択が他者や社会的状況から影響を受けてしまう以上、社会的に働き方を改善するためには、民主主義のコンセンサス、つまり国会で法案を成立させる必要があります。
個人の範囲ではまず、「職場=社会性を求める拠点」とすることの危険性を理解することが必要です。
会社は利益を求める組織であり、例えば、飲み会に参加しない人が情報面において不利益を被るということがありえます。
そういった危険性を心得たうえで、情報収集を行い社会的評判に基づいて職場を選択することが重要です。
女性が働きやすい職場は男性も働きやすいと言われているように、女性社員の定着率や厚生労働省が定める「くるみんマーク」に着目することが有効だといいます。
今の日本は職場に過度に比重が置かれた社会です。正社員として忙しく働いた後に定年退職し、社会的に孤立してしまうという問題もあります。
授業では、水町先生が海外との比較を通して「日本で働く」ということについてさらに深く掘り下げています。学生と先生との意見交換も視聴することができます。動画を見て、「働くこと」について考え直してみませんか?
今回紹介した講義:「居場所」の未来(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2018年度講義)第7回 職場という居場所 水町 勇一郎先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。