いきなりですが、日本に世界遺産が何件あるかご存知ですか?
正解は25件(2022年1月現在)。これは世界で11番目に多い件数です。
それでは、25件うち何件を挙げることができるでしょうか。また、何件を訪れたことがあるでしょうか。
法隆寺に姫路城、屋久島に白神山地…どれも魅力が溢れていますが、ここで25件全てを挙げることはできないので、皆さんぜひ調べてみてください!
日本人なら誰もが一度や二度は訪れたことのある世界遺産はどれも超貴重な文化財です。そのため、東京大学でも世界遺産に関する研究がたくさん行われています。
今回ご紹介する講義は、藤井恵介先生の「世界遺産の現在―日本からみる―」です。工学系研究科に所属されている藤井先生のご専門は建築史。「法隆寺からまちおこしまで」と幅広く研究をされている藤井先生と、日本での世界遺産の歴史や誕生秘話を学んでいきましょう。
お寺にはお宝が沢山眠っていた!
世界遺産に登録されるための条件として、「各国内で法的に確かに保護されている」必要があります。
日本における文化財保護のための法律は「文化財保護法」です。ではこの文化財保護法はいつ頃できたのでしょうか。
時は遡ること1868年、神仏分離令により仏教を排斥する動きが高まりました。
各地の寺院や仏具が破壊される中で、仏像をはじめとする貴重な文化財を損壊や廃棄などから守るべきだという声があがり、政府は1873年に「古器旧物保存方」を設置して文化財リストの作成などを命じました。
これによって、当時東京大学の教員だったアメリカ人のフェロノサや、その助手の岡倉天心らによる古社寺調査などが行われます。
そしてついに、1896年に「古社寺保存法」という、文化財保護法の原点ともいえる法律が成立し、翌年に施行されます。その後、保護の対象を拡大するなどいくつかの法律が制定されますが、第2次世界大戦後の1950年、法隆寺金堂の火災で壁画が焼損したことをきっかけに、これらが統一され「文化財保護法」となりました。
日本は木造建築大国
日本の文化財(建築)の特徴のひとつが、木造であることです。
日本にある世界文化遺産20件のうち、17件が木造建築物を含んでいます。
ヨーロッパなどの石造文化において、過去から生き続けた街では建築物がそのまま残っていたり、増築されたりして現在まで続いています。廃れ、遺跡となった街は砂に埋もれますが、特に大理石など長くその形をとどめる文化財は、掘り起こせば発掘することができます。
一方、木造文化は、街が生き続ければ建物が改築を繰り返して入れ替わっていきますが、生き続けなければ遺跡が残ることはありません。
建物の改築を繰り返して現在に至っている例が伊勢神宮。
地面に直接柱を建てる掘立柱は、水により腐食してしまい、長くはもちません。
そのため、伊勢神宮では昔から、20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮が行われています。
一方で、世界遺産にも登録されている法隆寺は礎石の上に柱が建っているため、柱が腐食しにくく、長持ちします。
寺院の修繕を手伝ったら怒られた!?
老朽化した木造建築の修理は、一部を補充するだけでは不十分で、一度解体したりしてほとんどの木材を替える必要があります。
この点が問題となったのが、1990年ごろに起きたネパール事件。
日本の調査隊がネパールにある木造の仏教寺院の修理を手伝ったところ、UNESCOの委員であるフランス人などから「やりすぎである」と批判されました。
石造文化であるヨーロッパからすると、部材を新しいものに大きく替えるという修理方法はタブーだったのです。
これを受け、日本政府はラールセンというノルウェー人を招集し、日本における木造建築修理の正当性を本にしてもらい、弁護をお願いしました。
日本で最初の世界遺産が誕生:法隆寺地域の仏教建造物群
日本の木造建築物の修理方法が世界的に認められたのが、日本で最初の世界遺産である「法隆寺地域の仏教建造物群」と「姫路城」が登録された翌年、1994年です。
この年、法隆寺がある奈良市で開催された国際会議にて、「奈良文書」が採択されました。
それまでは、建造された当時の材料で、そのままの状態を維持することが重視されていた文化財保護の原則が、奈良文書により、その文化財の属する地域の自然条件と、文化・歴史的な背景との関係を踏まえ、その伝統を尊重した修理・保存方法を重視するべきだと変わりました。
つまり、日本で長年営まれてきた方法での保護が正当であると認められたのです。
これにより、アジア・アフリカなどの土・木造文化について国際社会の理解が深まり、日本でも木造建築を含む遺産の登録が進みます。
本当に文化財といえる!?:広島平和記念碑(原爆ドーム)
ここからは日本の世界遺産を取り上げ、その登録にまつわる話をいくつか紹介します。
まずは1996年に登録された「広島平和記念碑(原爆ドーム)」。
1915年に建設された「広島県物産陳列館」は、1945年8月6日の原爆投下で破壊されると、後に「原爆ドーム」と呼ばれるようになります。
川を挟み隣接する広島平和記念公園は、慰霊碑越しに原爆ドームを望む設計を取り入れた丹下健三の案が設計コンペで採用され、1955年に完成します。
そして1992年、広島市長が世界遺産リストへの推薦を国に求めますが、国は「文化財ではない」と却下します。
しかしその後、市民を中心に積極的な働きかけがなされ、1995年に世界遺産に推薦されます。
翌年、審議でアメリカや中国から反対ともとれる声明が出されながらも、原爆ドームは世界遺産に登録されました。なお、原爆ドームは建築物としてではなく、「史跡」として登録されています。
世界遺産に登録された原爆ドームですが、老朽化が進み、かなりぎりぎりの状態で保存されています。壊すことは勿論、大胆な補強などができないため、どう保存していくかが課題となっています
登録も一筋縄ではない!!:平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー
平泉も登録に際し、壁にぶち当たった世界遺産です。
世界遺産は、建物単体ではなく、関連する遺産をまとめた遺跡群として登録されることもあります。
複数の遺跡をまとめた「平泉ー浄土思想に関連する文化的景観」として登録を目指し、2006年に提出した際には、「登録延期」の勧告が出されました。これは、推薦書の根本的な見直しが求められるということです。
これを受け、遺産群の一部を減らし、2010年に現在の構成と名称で再提出を行います。その結果、翌2011年に登録されることとなりました。
しかし、再編成の際に削られた遺産や、その遺産がある自治体などの立場に立ってみると、それはとても悔しいことでしょう。
世界遺産に登録されればネームバリューも上がり、観光客なども増えるため、地方行政上大きなメリットとなります。
そのため、平泉は一度除外した5つの資産の追加登録を目指しています。
日本の世界遺産の魅力を世界に伝えるために
講義の終盤、藤井先生は、日本の文化を世界にどうアピールするかが課題であり、これを若い人たちに期待していると言います。
日本人が世界史に詳しくても、多くの海外の人たちは日本の歴史や文化に詳しくありません。
そのために、講義でも紹介された木造建築保護のような、日本の素晴らしい文化が世界で認められないこともあります。
講義では、記事で紹介したよりも詳しく文化財保護法の成立が説明されていたり、軍艦島や富岡製糸場など様々な日本の世界遺産が紹介されています。
日本の文化財の魅力を世界に伝えていくためにも、ぜひ講義を通し、日本の文化財、世界遺産について理解を深めてみてはどうでしょうか。
執筆にあたり、以下の文献を参照しました。
世界遺産検定事務局(2020).『すべてがわかる世界遺産大辞典<上>第2版』NPO法人世界遺産アカデミー.
今回紹介した講義:文化資源、文化遺産、世界遺産 (学術俯瞰講義)第9回 世界遺産の現在―日本からみる
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。