ソクラテスといえば、対話を通して真理を探究しようとする問答法で有名なギリシアの哲学者です。
そんなソクラテスですが、ある日突然アテネの市民を堕落させたという罪で死刑になってしまいます。哲学のモデルだと言われるソクラテスはなぜ死を迫られたのでしょうか。彼の生き方に迫る授業を紹介します。
今回講義を担当するのは、西洋古代哲学を専門とする、東京大学哲学研究室の納富信留先生です。
「ソクラテスは哲学をしたから殺された」
紀元前399年、ソクラテスはポリスの信じる神々を信じず(不敬神)、若者を堕落させたという罪で訴えられ、通称「ソクラテス裁判」が開かれました。裁判の結果、彼は死刑となったのです。
ソクラテスの死後、弟子たちが無罪を主張しました。その中の一つで、哲学の古典として最も重要とされているのがプラトンの『ソクラテスの弁明』です。
授業では、謎が多いとされているこの『弁明』を読み解いていきます。
プラトンが訴えている強烈なメッセージは、
「ソクラテスは哲学をしたから殺された」ということです。
なぜ哲学をすることで殺されたのか?哲学を「する」とは?ソクラテスは不幸だったのか?
これらの問いを見ていきましょう。
ソクラテスの対話と神の存在
ソクラテスはある日、「知らないということを知っているソクラテスこそが最も賢い」という神の声を聞きます。
自分より賢い人がいるはずだと信じたソクラテスは、様々な人物のところに尋ねて行き対話を重ねることで、この信託が間違っているということを示そうとしたのです。
しかし驚いたことに、優れているとされている人物でさえ多くのことを知らず、さらには自分は知っているのだと思い込んでいました。ソクラテスは、自分より優れている人を探せば探すほど自分が最も優れているということを示してしまい、周囲の反感を買うというスパイラルに陥りました。
哲学=知を愛し求めること
裁判でソクラテスは、自分の行動は神から与えられた真理を全うするためのものであり、哲学(φιλοσοφία フィロソフィア)であると主張しました。
不敬神という罪に対して、自分と神との関わりを示すことで弁論しようとしたのです。
哲学(φιλοσοφία)とは、対話を通してお互いに知らないことを自覚し探究する行為で、知を愛し求めることだといいます。
神の命令を聞き知を愛し求めること(哲学)によって、人々に疎まれ不敬神の罪で裁判にかけられてしまうという皮肉なストーリーがプラトンによって描かれています。
「私は死を恐れない」
死刑という刑罰を前にして、ソクラテスは自分が死をどう捉えるかという演説を始めます。
例に出したのはギリシア神話の英雄アキレウスです。親友の復讐のために死を覚悟して戦場に赴いたアキレウスと、神から与えられた「哲学をやる」という使命を全うする自分とを重ねます。
ソクラテスは、神に従うということは自分にとって哲学をし続けるということであり、その行為が人々の反感を買おうとも決してやめることはできない、と言います。
つまり、善く生きることができるのならば、死は恐れるに値しないということです。
ソクラテスは、
「あなたたちは恥ずかしくないのですか?」「あなたたちの考えていることは醜い」とたたみかけます。
彼は「人生には2種類の配慮がある」と話し始めます。一つ目は評判や名誉、金銭の量を増やしたい、という配慮。二つ目は思慮や知恵の質をより善くしたい、という配慮です。
ご想像の通り、ソクラテスが言う本当の配慮は、質をより善くしたいという後者のものです。それに対して、アテナイの人々が普段気にしているのは名誉や金銭、評判などの「量」のことばかりであると批判したのです。
この批判は、当たり前すぎて意識すらしていない常識的な価値観を否定することになり、アテナイの人々に衝撃を与えました。
この哲学的問題をプラトンはイデア論の中で、人間をより正しい方へと導く「魂の向け変え」として論じました。
ポカンとして日々を生きている人々の目を覚まさせて死に至ったということから、ソクラテスの死は哲学の始まりとして位置付けられているのです。
納富先生は、ソクラテスの死に対して私たち自身がどう思うのか(ムカつく?それともかっこいい?)、考えることが大切だと言います。
「私に相応しい罪は無料で飯を食べる権利である」!?
ソクラテスは、自分の刑罰を決める際に「私に相応しいのは国の予算で毎日食事をする権利を得ることです」と言ったと記述されています。
先生は、ソクラテスが実際にこれを言ったかは定かではなく、本当だとしたら正気を疑われただろう、と苦笑していました。(『弁明』には、プラトンの解釈や創作も含まれていると考えられるため、このような突っ込みどころや謎がたくさんあるのです!)
このソクラテスの突飛な主張の真意を探っていきます。
当時、オリンピアの大競技会の入賞者はプリュタネイオンというギリシアの迎賓館で毎日国費で食事をする権利が与えられました。
ただし、戦車や騎馬といった競技に関しては、その権利が与えられるのはプレイヤーではなく戦車や馬の出資者でした。自分で鍛錬し努力した人ならまだしも、資金力があるだけの人物が栄誉の恩恵に預かっているのはおかしいと揶揄したのです。
この主張の文化的背景として、ギリシアの詩人クセノファネスの存在があります。彼はソクラテスの100年ほど前にオリンピアの選手に批判的な詩を書いており、ソクラテスはおそらくその詩を引用したのだろうと考えられています。
また政治的背景として、ソクラテスの弟子のアルキピアデスという人物の存在があります。彼は戦車競技の出資者としてプリュタネイオンでの食事の権利を与えられていましたが、最終的にアテナイを滅亡へと導いてしまうことになるのです。
さらに哲学的背景として、本当の幸せとは何かという問題があります。
「オリンピアの祭典で勝った人たちは確かに偉いが、それが本当に私たちを幸福にするのか?その幸福は誤魔化しではないのか?」というソクラテスの問いは、スポーツと社会の間に現在も存在する議論です。
ソクラテスは、「本当の幸せ」を人々が得られるように行動してきたと主張しました。
ソクラテスの生き方
死刑が決まった裁判の後、ソクラテスは次のように語っています。
「自分の人生の是非は神を別にして結局誰にも分からない」
より善く生きるために死を受け入れたソクラテスは、果たして幸せだったのでしょうか?
納富先生は、本当に大切なことはソクラテスが死んだと言う歴史的事実とプラトンがこのように記述したことだと言います。
その記述が洋の東西を問わず読み続けられ、「より善く生きるとははどういうことか」が問われてきたという意味で、ソクラテスの死、そしてプラトンの記述が「哲学の古典」なのです。
授業動画では、プラトンの記述やソクラテスの発言の謎をさらに広く深く掘り下げていきます。ソクラテスの生き方について、あなたはどう考えますか?
今回紹介した講義:古典は語りかける(学術俯瞰講義)第5回 ソクラテスの生は何を生んだのか?(「哲学者の生の弁明」を中心に)納富 信留先生
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