【オデュッセウスは英雄か? それとも罪人か!?】ギリシア古典を読み直す
2023/08/18

古代ギリシアの最高傑作ともいわれる文学作品、『オデュッセイア』

紀元前8世紀末の詩人、ホメロスがその作者として伝えられています。吟遊詩人の詠唱で伝承されたのち、紀元前6世紀ごろから文字に起こされるようになりました。

古典の代表ともいえるような『オデュッセイア』ですが、その名前を聞いたことがあっても、実際に読んでその内容を知っている人は多くないかもしれません。

『オデュッセイア』の物語を一言で表すと、「ギリシア神話の英雄・オデュッセウスの冒険譚」です。

主人公のオデュッセウスは、10年にわたるトロイア戦争のために祖国を離れたあと、帰国の途中で嵐に遭遇し、さらに10年の放浪の旅に出ます。

さまざまな苦難を乗り越え、20年の時を経て祖国に戻ったオデュッセウスでしたが、そこで待っていたのは変わり果てた自らの家の姿でした。

オデュッセウスを死んだものとみなした地元の独身者たちが、オデュッセウスの妻・ペネロペイアに求婚し、オデュッセウス家を食い潰すという悪行を重ねていたのです。

オデュッセウスは怒りに震え、極悪非道の求婚者たちを弓矢で全員打ち倒します。

こうしてオデュッセウスは再びペネロペイアと結ばれることになりました。

以上が、『オデュッセイア』の大まかなあらすじです。

見事なまでの英雄譚で、物語を読む人(詠唱されていた時代であれば、聞く人)は、オデュッセウスの勇敢さに心動かされてしまいます。

しかし、オデュッセウスは本当に「英雄」だったのでしょうか?

求婚者たちは、たしかにオデュッセウスとペネロペイアの名誉を損ねるような悪事を働いています。

しかし、それは果たして死に値するような罪だったのでしょうか?

むしろ、問答無用で求婚者を皆殺しにしたオデュッセウスこそ、より極悪非道な存在なのではないでしょうか?

殺人(大量虐殺)という罪を犯しているにもかかわらず、長らくその面が無視されてきたオデュッセウス。

しかし、視点を変えてみると、また見え方が変わってきます。

本当に求婚者たちは悪かったのか、求婚者たちに架空の「法廷弁論」(自己弁護)を行ってもらいながら、一緒に考える講義を紹介します。

ヒュブリスをなす悪党たち

講師を務めるのは、西洋古典学が専門の葛西康徳先生。

葛西先生は、古代ギリシア・ローマの古典について研究されながら、学部では東大の法学部を卒業されています。そのため、研究対象とされているのは、古代の裁判や法律、政治などです。

この講義でも、司法に関わる点に注目しながら『オデュッセイア』の分析がなされます。

講義動画は2本立てですが、この記事ではそれぞれの動画から要点を抜き出しつつ、内容をまとめていきます。

講義でまず言及されるのは、ヒュブリス」という概念。

これは日本語で傲慢、非道、無礼」などと訳される言葉です。

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは、人の「怒り」を生む「過小評価」を、「侮辱(contempt)」、「いじめ(spite)」、そして「ヒュブリス」の3つに分けられるとしました。(『弁論術』第二巻第2章)

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

アリストテレスは、他人に恥をかかせて心地よさを得ることを、ヒュブリスだと述べます。

つまり、他者のヒュブリスに対する怒りは、周りにかっこ悪いと思われたくないという気持ちからくると考えられます。

この怒りは、自身が守るべき人々(両親・子供・妻・支配下の者)が過小評価されたときに、より強く起こるといいます。

オデュッセウスが妻・ペネロペイアの求婚者たちに対して抱いたのは、まさにこのヒュブリスに対する怒りだったといえるでしょう。

一つ目の怪物・ポリュペーモスは悪だったのか?

『オデュッセイア』において、ヒュブリスをなす者として描かれるのは、求婚者たちだけではありません。

オデュッセイアが祖国に帰る旅で遭遇した一つ目の怪物・ポリュペーモスもまた、ヒュブリスの典型と見なされています。

島に住むポリュペーモスは、訪れたオデュッセウスの一行を洞窟に閉じ込め、なんとオデュッセウスの部下を順番に食べてしまいます。

ポリュペーモスはそののち、オデュッセウスたちからそのたった一つの目を杭で潰され、失明してしまいました。

オデュッセウスたちの命を軽んじる、横暴で獰猛な怪物のように見えるポリュペーモス。素直に読むとこのシーンは、ヒーローが極悪非道な敵を倒すシーンのように見えます。

ですが葛西先生は、『オデュッセイア』をよく読み込むと、ポリュペーモスがそれほど単純な存在ではないことがわかるといいます。

講義では、ドイツの思想家・テオドール・アドルノ(1903-1969)とマックス・ホルクハイマー(1895-1973)による共著『啓蒙の弁証法』で取り上げられた、ポリュペーモスの情に溢れた面が紹介されます。

彼(=ポリュペーモス:筆者補足)が自分の羊や山羊の仔たちに親の乳房をあてがってやるとき、この実際的行為には生き物たち自体に対する思いやりが含まれているわけだし、また眼を抉られた彼が、先導の牡羊に対して、わが友と呼びかけ、なぜ今度に限ってお前は一番最後に洞穴を出るのか、お前は主人の災難を悲しんでいてくれるのか、と尋ねるあの有名な件は、終りのところではひどく粗暴なものとなっては来るが、感動的な力に溢れており、これに匹敵する場合といっては、僅かに、あの『オデュッセイア』のクライマックス、帰宅するオデュッセウスを老犬アルゴスがそれと認める場面があるだけである。

アドルノ・ホルクハイマー著『啓蒙の弁証法 : 哲学的断想』徳永恂訳、岩波文庫、2007年、pp.137-138

やや読みにくい文章ですが、ここで指摘されているのは、ポリュペーモスが自身の飼っている羊たちに対してもっていた慈しみの心です。

アドルノとホルクハイマーは、ポリュペーモスは野蛮なだけの怪物ではなく、人間的な側面も持ち合わせていたのだと主張しています。

また葛西先生は、ポリュペーモスの立場に立つと、主人が不在の間にポリュペーモスの島にあるものを食べ、無条件での庇護を要求したオデュッセウスにも非があると述べます。

講義では、ポリュペーモスの人間的な側面が表れた例として、下の絵も取り上げられました。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

一番右で目を突かれているのがポリュペーモス、左で杭を突き刺しているのがオデュッセウスとその部下たちですが、その描かれ方には大きな違いがありません。

この絵においては、一般的な『オデュッセイア』の解釈で見られるような、「野蛮」と「文明」の対比はないのだといえます。

現実の法とヒュブリス

「ヒュブリス」は、文学作品だけでなく、実際の裁判にも持ち出される概念でした。

講義では、アリストテレスと同世代の弁論家・デモステネスの第21番弁論が紹介されます。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

そこでは、ヒュブリスをなしたものは賠償が求められると述べられています。

しかしその賠償の程度(服役の期間や賠償金額)については詳しく述べられていません。

これは、訴えを起こした側が報復目的で罰則を決めてしまえるような、曖昧な法であったといえます。

同じく紹介される第43番弁論75章でも、同じく罰則は規定されていません。ここでも、原告であるアルコーン(担当公職者)が、相手に下される処罰を希望することができました。(ただし、いずれの場合も、希望した処罰が直接反映されるわけではなく、一度評議にかけられます)

求婚者の罪はペネロペイアに責任がある!?

さて、講義動画2本目の後半、いよいよ求婚者たちの「法廷弁論」が始まります。

そこでは、求婚者たちにも情状酌量の余地があると思わせられるような、様々な証言が飛び出します。

たとえば講義で取り上げられたのは、求婚者たちではなくオデュッセウスの妻・ペネロペイアに責任があるとする主張。

UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2016 葛西康徳

ペネロペイアはその気がないにもかかわらず、求婚者と約束を結び、たぶらかしているというのです。

もしこれが本当だとすれば、また求婚者たちへの見方も変わってくるのではないでしょうか?

講義では、そのほか色々の主張が取り上げられますが、ここではその全てを紹介できません。

本当にオデュッセウスは英雄だったのか、それとも罪人だったのかは、講義動画を見て、みなさんで判断してみてください。

どれだけ評価が確立されているものであっても、素直な目で疑いを持って読むことが、学術的な古典読解には重要なのではないでしょうか。

講義ではそのほか、『オデュッセイア』と並ぶギリシアの古典の名作でその前日譚でもある『イリアス』や、有名なジブリの『風の谷のナウシカ』のモデルにもなったナウシカアーについてなど、幅広く語られています。

2本に及ぶ講義ですが、色々な場面が取り上げられるので、単調に感じることなく最後まで楽しめます。(ただし、内容が分からないと少しついていくのが難しくなる場面があるので、ある程度予習しておくことをお勧めします…!)
ギリシア古典の傑作『オデュッセイア』に興味のある人は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。

今回紹介した講義:古典は語りかける (学術俯瞰講義)第2回 『オデュッセイア』の世界: 物語前半 (1-12巻)第3回 法廷弁論としての『オデュッセイア』: 物語後半 (13-24巻)葛西 康徳先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。

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