昨年末、首相官邸ホームページに「国民の皆様へのメッセージ」という題の文章が掲載されました。(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/discourse/20211229message.html)
「こんにちは。内閣総理大臣の岸田文雄です。」という挨拶から始まるメッセージの中には、「国民」という言葉が多く登場しています。
このようなメッセージが発信される際には、語り手と受け手との間に「国民」という概念が共有されていることが前提となっていると言えます。
しかし、この「国民」という概念は、一般的には学校の授業で教えられるようなものではありません。
私たちは本当に「国民」という概念を共有しているのでしょうか?
そもそも、日本において、「国民」という概念が人々に広がったのは、幕末維新を経てからでした。
そしてその後も、時代とともにその概念を変化させてきました。
このような日本における「国民」の変遷について、昨年度退職された国際政治学の権威、藤原帰一先生と共に学んでいきましょう。
「国民」が使われない時代
先述の通り、「国民」という概念は徳川政権以前から存在してはいましたが、人々に広がったのは幕末維新を経てからでした。
その後「国民」という概念に大きな変化を及ぼしたのは、第二次世界大戦です。
「国民」は、「国民」でない敵国や共産主義者達と戦い、排除しなければならない。
このような形で、人々に「国民意識」が強制されたのです。
しかし、第二次世界大戦の結果は敗北。戦時中より厳しい生活を強いられるようになった人々は、国家に裏切られたように感じ、「国民」としてのまとまりを失っていきました。
そして、「国民意識」が強制された第二次世界大戦の経験への反発から、日本において「国民」という言葉は使われにくくなっていき、代わりに「市民」や「人民」という言葉が使われるようになっていったのです。
「国民」の復活
では、その後「国民」という呼び方はどのようにして復活してきたのでしょうか。
そのきっかけの一つが、司馬遼太郎の歴史小説でした。
司馬遼太郎は、「国民」という言葉が使われにくいような時代に、徳川政権末期から維新政権初期にかけて、人々が新たな「国民」を作っていく物語を描いたのです。
「国民」を描いたからといって、司馬遼太郎が第二次世界大戦を礼賛していたということではありません。実際これは、第二次世界大戦中の「国民」概念の復活では全くありませんでした。むしろ、その前の近代日本の建設に目を向けて、暗に昭和10年代が逸脱した時代に過ぎなかったと伝えたのです。
司馬遼太郎は、このような形で、人々に、戦時下の日本を客観的に見られるような視点を与えました。
司馬遼太郎の歴史小説は、戦争を経て「私たちはどこから来たのか」という問いに答えを見出しづらくなっていた人々に、受け入れやすい形で答えてくれる物語を提供したために、多くの人に受け入れられたのです。
このように、私たちが普段当たり前に使っている「国民」という言葉は、時代によって変化を遂げてきた、曖昧で幅のある言葉です。
「国民」という言葉が使われる際、その言葉が誰のことを指しているのか考えてみても良いのかもしれません。
OCWでは、今回紹介した講義の他にも、多くの藤原帰一先生の講義を公開しています。ぜひご視聴ください。
今回紹介した講義:現代日本を考える(学術俯瞰講義)第12回 外から現代日本を考える 藤原帰一先生
<文/安達千織(東京大学オンライン教育支援サポーター)>