突然ですが、あなたが年老いて、死に直面しているという状況を考えてみてください。
身体を動かすこともままならず、人の助けを借りないと生きていくことができない。それでいて、何か他の人の役に立つこともできない。
これから回復する見込みもない場合、あなたはそれでも希望を持って生き続けていくことができますか?それとも、死んだ方がマシかもしれないというような迷いが生まれるでしょうか?
これはもしもの状況として提示していますが、「もし宝くじに当たったら」のような仮定とは異なり、誰しもに高い確率で訪れうる状況です。つまりほとんどの人が、未来がない状態で無力なまま死を待つことになるのです。
これを不安に感じる人や、どうなるのか想像もつかないという人に、どうすれば死に直面した状態で希望を持って生きられるのか考える講義動画を紹介します。
自分の人生の物語りを書き換える
今回講師を務められるのは、臨床倫理学、臨床死生学が専門の哲学者、清水哲郎先生です。
清水先生は、死に直面したときに必要なのは、厳しい状況を切り抜けて新しい可能性を見出す力だと言います。
例えば、オリンピック出場を目指していた陸上選手に骨肉腫が見つかった場合、最初は人生の生きがいを失って希死観念に囚われますが、次第に他の可能性(パラリンピック出場など)を探すようになります。
死に関わる厳しい状況では、自分の人生の物語りを書き換える必要があるのです。
清水先生は、実際に死に直面したときのために、厳しい状況を切り抜けて新しい可能性を見出す力が活性化しやすいようにしておくべきだと言います。
前へ向かう自分自身を生きがいに
それでは、冒頭でも述べた多くの人に訪れる厳しい状況、先行きが短く、他の人の助けを借りてしか生きられないような状況で、私たちはどのような生きがいを持てばいいでしょうか?
ひとつのあり方として、「治る望みを捨てない」というのが考えられますが、これは挫折する可能性が高いと言います。先延ばしにしたところで、私たちには結局死が訪れるからです。
清水先生が提案するのは、「現在の私の前に向かう姿勢に《希望》をみる」ことです。
将来への希望が持てない状況では、現在の自分のあり方に価値を見出すしかありません。そこで求められるのは、現在の生を「進行形」で捉えることです。
これまで、私たちは生を生きてきて、それらは全て生き終わった「完了形」の生です。しかし、今現在の生までもを完了形としてみる必要はありません。私たちは、死に直面してもなお、生まれたときからと何も変わらずに、前へ向かって進行形の生を生きているのです。清水先生は、その前へ向かう姿勢にこそ希望があると言います。
(先生は「進行形」の生を「微分」のような生だと表現しています)
できるほうが良いけど、できなくても良い
将来、私たちが死に直面したときには、おそらくできることがどんどん減っていきます。
そのときに、「役に立たなくなったら価値がない」というような考えでいたら、前を向いて生きることができなくなるでしょう。
清水先生は、「できるほうが良いけど、できなくても良い」という考えが重要だと言います。何もできなくても肯定され、そこに存在することができる人々の輪があることで、人は尊厳を持って最期まで生きることができるのです。
どんな人にも、死は訪れます。死を目前にして慌てる前に、ぜひこの講義動画をみて、どう生きるべきか考えてみてください。
今回紹介した講義:死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義)第3回 死に直面しつつ生きる 清水 哲郎
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>