インクルージョンやダイバーシティを考える時、皆さんはどのような議論を思い浮かべるでしょうか?もちろんどのようなテーマも重要なものですが、実は精神障害について語られる機会はまだ多くありません。
今回ご紹介するのは、「学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)第4回 教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて」です。
本講義では2つの事例を精神保健福祉の観点から振り返ります。
ソーシャルワーカー(認定精神保健福祉士)、公認心理士である細野正人先生と一緒に、今私たちに求められる「教養としての福祉」について考えてみませんか?
※本記事では、発表者の臨床経験に基づく事例や自殺に関するデータ(公表されているもの)も取り扱われます。体調が優れない方や苦手な方はご注意ください。
20代女性大学生のケース
まずは20代女性、大学生のケースを説明します。
15歳で自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、精神科外来・精神科デイケアを利用していました。大学に進学後、希死念慮に加え衝動行為が出現したことで急性期閉鎖病棟に入院。
しかし、入院中は問題行動が発生せずすぐに退院となり、その後入退院を繰り返す状態となりました。その中でより自傷リスクの高い行動をとるようになり、他界に至りました。
本ケースでは、家族支援を充実させることや入院治療のリスクとベネフィットについて、より検討する必要があったと考えられます。入院は非日常的な生活であるため、社会復帰が難しくなるというリスクにも目を向けることが必要です。
精神科における入院と急性期閉鎖病棟
精神科での入院形態は、大きく2つに分けることができます。本人が同意して入院する任意入院と、一般的に強制入院とも言われる非自発的入院です。
非自発的入院は、さらに医療保護入院、応急入院、措置入院、緊急措置入院の4つに分けられますが、大半は家族や周囲の人が本人の代わりに同意をして入院する医療保護入院です。
ここで皆さんに想像していただきたいのですが、もし急に医師から「あなたには今から入院してもらいます」と言われたら、どのように感じるでしょうか?私の症状はそこまでではないと思うんだけど…と感じる方が多いのではないかと思います。
医療保護入院は、大半の方が「自分は入院するほどではないはず」と感じている状態で、家族などの同意によって入院するケースで、全体の半分くらいを占めています。
精神疾患の好発年齢
本ケースは、当事者が大学生です。
近年、全国の大学の調査で、大学生の精神的な相談が増えているという結果が出ています。相談に行くことができる人が増えているのは良いことですが、これには大学生の年齢層が精神疾患になりやすい特性を持っていることも関係しています。
こちらのグラフをご覧ください。実は、精神疾患は、17歳~35歳に発症しやすいというデータがあります。これには、人生の大きな転機がこの年齢に集中していることも関係していると考えられます。
日本国内の自殺者数の推移
続いて、データをもとに日本が置かれている状況を振り返ります。
日本全体では、平成15年がピークで、最近は2万人程度に減少している傾向にあります。しかし、G7(日本・アメリカ・フランス・ドイツ・カナダ・イギリス・イタリア)では依然として最も高い自殺死亡率です。また、最近では中国、韓国で深刻化しているという問題もあります。
自殺予防は可能か?
では、自殺を防ぐことはできるのでしょうか?
細野先生によると、他の人にとっては突然起きたように思える自殺も、その人なりのプロセスが進行して発生しています。予防には精神科医療によるアプローチも必要ですが、コミュニティやエンパワメントの役割も大きいとされています。
また、助けを求める援助希求も重要な要素となりますが、実際のところでは、「助けて」が言えない人も多くいることを私たちは理解しなければいけません。
30年後、インクルーシブな社会を実現するためには、私たち一人ひとりが向き合うこと、「他人事ではなく全員が当事者だ」と考えることが重要だと細野先生は話します。
20代男性医師のケース
続いて20代男性医師のケースを取り上げます。
内科後期研修中(医師として4年目)に、患者との死別が多いことと恋人との別れが重なったことから、興奮が抑えきれず暴言を吐いたことで、精神科を受診。統合失調症(以降、急性一過性精神病性障害)と診断され、医療保護入院となりました。
入院初期は支離滅裂な言動や、強い興奮が認められ、初日から身体拘束となり薬物療法が開始されましたが、1週間で症状がある程度軽減され、退院し自宅療養となりました。結果的に、3カ月の精神科リハビリテーションと薬物調整によって症状はほとんどなくなり、負担の少ない診療科に転職し6カ月で復職に至りました。
本ケースでは、初期に極めて強い症状が出現したことで早期に介入ができ、回復の大きな要因になりました。また、復職を焦らずに精神科リハビリテーションに通い、安定した生活を送ったことも寄与していると考えられます。
メタ認知トレーニング
ここで、本ケースのリハビリテーションで取り入れられた「メタ認知トレーニング」という療法について説明していきます。
メタ認知トレーニングとは、ハンブルク大学のS.Moritz教授らが開発したもので、現在では日本でも精神科デイケア、作業療法など幅広く導入されています。
説明を読む前に、少し体験してみましょう。
このスライドにある絵を見て、タイトルを当ててみてください。
皆さんは、a,b,c,dのうち、どれだと思いますか?
正解は……
aの訪問者です。(Carl Spitzweg,1849)
絵をよく見てみると、左の窓枠に鳥がとまっているのがわかると思います。そして描かれている人物も本ではなく鳥を見ていることから、この絵のタイトルは訪問者であると言えます。
しかし、一体これのどこが治療につながるんだ?と思われた方も多いのではないでしょうか。
実際の現場では、患者さん同士で答えを話し合ったうえでトレーナーが答えを教え、困ったときは大事な人に相談してみるなど「情報を多く集めることの大切さ」を繰り返し話します。
実は、メンタルヘルスの問題を抱えると、性急な判断をしてしまいます。例えば、自分が大丈夫だと思える要素をすべて無視して「自分はここにいてはいけないんだ」というような単一的な情報を選択してしまうことも少なくありません。
このトレーニングを繰り返すことで、メタ認知、いわゆる「自分のことに対する認知」が高まりメンタルヘルス不調を防ぐことにつながります。
自分らしさは取り戻せるか?
今回のケースにおいて、当事者は医学部生時代と初期研修医時代に精神科医療を学んでおり、自身が保護室で身体拘束されるという絶望は計り知れません。
身体拘束に関しては自尊心を傷つけるという報告もありますが、本ケースではその後のサポート体制が充実していたことで回復したと考えられます。
看護研究では、その人らしさとは「内在化された個人の根幹となる性質で、他とは違う個人の独自性をもち、終始一貫している個人本来の姿、他者が認識する人物像であり、人間としての尊厳が守られた状態」とされています。
当たり前、と思われるかもしれませんが、入院中にそれが守られていなかったり、日々の生活でも皆さんの尊厳が守られていない状態というのは、残念ながら実際にあることです。
ここで重要となるのは、個人を尊重してパーソナル・リカバリーを理解することです。パーソナル・リカバリーについては講義でさらに詳しく説明されているので、ぜひ動画をご覧ください。
まとめ
本講座では、2つの事例を取り上げながら、精神保健福祉の観点から考察を加えています。
細野先生は、最後に、 精神障害など困難があったとしても、リカバリーを目指し自分らしさを取り戻す可能性は十分にあると言います。
しかし、そのためには、多様性を尊重する(認める)文化ではなく、さらに一歩進んだ、他者を認め・共感し「自分らしさ」を当たり前に実現できるような文化・社会が必要です。
また、心理的安全が確保されたコミュニティがあることも非常に重要です。私たちは様々なコミュニティに属していますが、その中に「自分が否定されない」「自分の情報が漏洩されない」といったことが保証されているコミュニティが必要なのです。
私たちが教養としての福祉を身につけ、エンパワメントやピア・サポートなどが充実した社会になることで、30年後の未来は変わるかもしれません。
講義動画では、ここでは紹介しきれなかった事例や先生ご自身のエピソードも語られています。少しでも興味を持たれた方は、ぜひ動画をご覧ください。
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養) 第4回 教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて 細野正人先生
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