2024年、奄美大島において特定外来種に指定されているマングースを根絶したというニュースがありました。
マングースは、もともとはハブ退治を目的として外国から持ち込まれましたが、数が増え、特別天然記念物に指定されたアマミノクロウサギの天敵になり、駆除の対象となりました。
このように、人類は、ときに他の種の動物をコントロールしながら社会生活を営んでいます。
鳥獣害の駆除だけでなく、畜産やペットの飼育もその一部です。
今回ご紹介する講義は、そんな動物との関わり方を見つめ直す、『人と動物のつながり?―ハチ公、けれど鳥獣害―』。
2019年度開講『「つながり」から読み解く人と世界』(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」)の第7回目です。
講師は、2015年、東京大学のキャンパス内に忠犬ハチ公の像を建てる際に中心人物であった、一ノ瀬正樹先生です。
人はなぜハチ公物語に感動するのか
ハチ公像といえば、渋谷の駅前の像が最も有名です。
(実は、1代目は戦時中に鋳潰されてしまい、現存のものは2代目です。)
忠犬ハチ公は、1923年から1935年まで生きていた秋田犬で、飼い主は東京帝国大学の農学博士、上野英三郎(うえのえいざぶろう)先生でした。
当時、上野先生は松濤に住んでいて、徒歩で駒場キャンパスに通っていましたが、出張の際には渋谷駅から電車で帰ってきていました。
上野先生は、1925年、出先で脳内出血のため急死してしまいますが、ハチは、渋谷駅に行けば上野先生が帰ってくると思って、度々駅前で待ち続けました。(実際には24時間ずっと駅前にいたわけではなく、引き取って飼育しているお宅があり、ある程度自由にウロウロしている中で、頻繁に渋谷に出没していました。)
待つことおよそ10年、やがてハチも亡くなります。
ハチは街の人々から可愛がられるようになり、亡くなった後もずっと語り継がれ、今も人々から愛されています。
このお話は映画にもなり、一ノ瀬先生も、鑑賞したときは相当胸が苦しくなってしまったようです。
では、人々は、なぜそれほどまでに、ハチ公のお話に惹かれ、心を動かされるのでしょうか。
犬自身は、自分の気持ちを説明することはできません。
ですから、人間と犬が関わり合うと、必ず人間側が想像した物語性が伴うに決まっているのだと、先生は言います。
ちなみに、後に「ハチは駅前で人々から食べ物を与えられたから学習して行っていただけではないか」という人もありましたが、先生は「中には乱暴に追い払うような人もいたので、ハチが居着いた理由は、利益があるからということだけでは説明できない何かがあるあはずだ」と言います。
ペットを飼うということをどう捉えるか
先生ご自身も、犬や猫を飼う動物好きです。
しかし、皆さんもご存知のように、世の中では、人間が動物とペットにして一緒に暮らすことが、全て良い面だけだと考えられているわけではありません。
そこには、いくつかの議論が存在します。
例えば、野生の猫の寿命は5〜6年であるのに対して、飼い猫は長ければ20年ほど生きますが、長く生きる方が彼らにとって本当に幸せなことかどうか、人間には分かりません。
ペットとして人間の家で暮らすことが前提となっている種の動物は、もしも突然野生に返されたとしても、自力で生きていく機能を備えていません。
飼育を放棄して捨てられてしまった動物はもちろん、売れ残った動物・人間から可愛がられない動物がぞんざいに扱われるという問題も孕んでいます。
殺処分は代表的な例でしょう。
かといって、「今すぐ世界中で人間がペットを飼うことをやめよう!」ということは、既に人類史の中で確立した習慣や産業が存在するため、実現不可能に近いでしょう。
そこで、飼っているペットに、少しでも補償をするという提案もあります。
犬であれば散歩をさせてあげることや、シバ犬を山に連れて行って猪に飛びかかる経験をさせてあげるようなことが挙げられます。
哲学者の顔は犬の顔
これらの考えに対して、先生はいずれも疑問を持っており、あくまでも人間の視点から犬を支配的に見たものだと捉えています。
そして、先生独自の第3のモデルを提案しています。
それは、犬の方がむしろ種の末長い存続のために人間に飼われるように順応してきており、犬の方が優れているし高潔なのではないかという考えです。
先生は、「哲学者の顔は犬の顔だ」と論じたこともあるそうです。
たしかに、先生が飼っていたわんちゃんのお顔、とても賢そうです。
最終的には、犬の方が人間を共存者として選んでくれたのですから、人間はそれに対して返礼しなければならないというご提案でした。
もちろん、飼育しているからには食事や寝るところは与えていますが、それよりも余りあるものを、犬側から与えてもらっているからだということです。
この考え方を適用すると、「我々がハチ公の物語で感動するのは、ハチからどれほど恩恵を受けているか、どれほど返礼するべきなのか、感じ入っているからなのだ」と理解することも可能でしょう。
先生の、犬への強い愛や敬意が伝わってきますね。
動物倫理とは
講義の後半は、畜産の現場や鳥獣害、食肉についての議論が展開されます。
例えば、近年ニュースでよく見かける話題としては、サル・イノシシ・シカなどが市街地に現れたり農作物を荒らしたりして、駆除の対象になることが挙げられます。
ツキノワグマやヒグマについては、よりいっそう深刻な人身被害が起きています。
畜産においては、鳥インフルエンザやBSEにかかった動物の大量殺処分の問題があります。
また、少々異例な事例ですが、2011年の東日本大震災のときには、帰還困難地域の農家の人々は、飼育している家畜を置いて避難するしかなく、多くの家畜が飢え死にしてしまいました。
これらの動物たちは、人間の都合で生命をコントロールされているわけです。
(当然ながら、農家の方々は動物たちを愛情を持って大事に育てているし、駆除や処分を担当する人々は葛藤や苦しみなどそれぞれの思いを抱えながら、責任を持って職務を全うしていることを忘れてはなりません。)
前半のペット飼育の問題も含め、こうした動物との関係性のあり方を扱う分野を動物倫理(animal ethics)と呼びます。
動物に対して、できるだけ苦痛を与えないこと、そもそも苦痛が伴う可能性があることはやらないことが望ましいということです。
こうした考えの影響もあり、世界ではヴィーガン(完全菜食主義者)が増えつつあります。
答えは出ません
では、「今すぐみんなでお肉を食べることをやめましょう」というのは、ペット飼育と同様、なかなか難しいことだと思います。
先生も、全てスッキリと明確な答えを出したわけではないとのこと。
我々はこれからも、生きている限りは、生涯をかけてこの問いに向き合っていくことになるでしょう。
これは講義に含まれていない、筆者からのおまけのお話です。
福島県浪江町には、2011年、国からの殺処分命令に抗い、出荷予定のない牛たちを世話し続け、寿命まで看取っている「希望の牧場」があります。
「経済的に無意味だ」とする考え方もあるでしょう。
しかし、牧場主の吉沢氏は、「牛たちの命には意味がある、寿命を全うすることに意味がある」と考えて、続けています。
いつも、どれか一つの主義主張や価値観が正しいわけではありません。
UTokyo OCWには、他にも畜産やペット飼育など動物との関わりについての講義があります。
あわせてご覧いただくと、いろんな先生や学生が多種多様な考えを持っていることが分かってくるかと思います。
2015年度 「地域」から世界を見ると?(学術俯瞰講義) 食から見た世界 第13回 食の安全のネットワーク(芳賀猛先生)
2018年度 ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)
2024年度 学術フロンティア講義 (30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える) 第2回 レジリエンスと地域の復興(溝口勝先生)
今回紹介した講義:「つながり」から読み解く人と世界(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2019年度講義) 人と動物のつながり?―ハチ公、けれど鳥獣害― 一ノ瀬 正樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文・加藤なほ>