中国に今も息づく!?「中華」と「正統」の政治思想史(『「中華」の世界観と「正統」の歴史』杉山 清彦先生)
2025/03/17

中華主義」とか「中華思想」とかよく聞きますけど、皆さんはどのようなイメージをお持ちですか。
今回ご紹介する2012年の講義「『中華』の世界観と『正統』の歴史」で、講師の杉山清彦先生は学生たちにこのような問いを投げかけることから始めます。

東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 杉山清彦

学生たちが率直に返した意見は、
「中国の漢民族が世界を支配する民族だという考え方で、他の民族は野蛮だから自分たちが啓蒙してやろうという考え方だと思います」
「中国が一番中心で、他の国を属国として扱って、他の国を支配してよいという中国中心の思想だと思います」
というようなものでした。
同じような認識の方は、この記事の読者にもいらっしゃるのではないでしょうか。

先生も、「露骨に『覇権主義』のような意味で使われたりすることは、皆さんも見聞きするかと思います」と歩み寄ります。
それとともに、先生は「けれど、それを『中華主義』と言うべきなのかどうかは、実態とマスメディアなどの用法とでズレるところもあります」と注意を促すことも忘れません。

この講義が行われた2012年12月3日当時は、2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件や2012年9月の尖閣諸島国有化、そして同月の中国における反日活動の激化から間もないころで、先生も不穏な日中関係などに言及しています。
2012年からすでに干支(えと)一周以上の時間が流れましたが、残念ながら日中関係や中台関係はあまり楽観視できないままのようです。

本記事では、中国という国への正しい向き合い方を養うことのできる、東洋史研究者の知見をご紹介します。

「中国」とは何か

そもそも私たちが「中国」と聞いてまず思い浮かべるのは、現在、国家として存在する中華人民共和国の略称でしょう。
この「中国」という言葉自体は、紀元前の春秋戦国時代の古典『詩経』にも「恵此中国、以綏四方」(この中国をめで、もって四方をやすんぜよ)と見えるものです。
そのため中国人も日本人も、「中国〇千年の歴史」というように、遥か昔から数千年にわたり一貫して「中国」という国が存在してきたかのように考えてしまいがちです。

ところが、春秋戦国時代の「国」とは一つ一つが都市である都市国家であり、古代ギリシャのポリスのようなものでした。
当時の「中国」とは、現在のような固有名詞ではなく普通名詞であり、その指し示す対象も都市国家連合の中心、いわば「首都」のような漠然とした領域だったそうです。

さて、その「中国」を構成していたのは何者だったのでしょうか。
現在のマスメディアでもアカデミズムでも、私たちが「中国人」と言った時はほぼいつも「漢人/漢民族/漢族」と呼ばれる集団を指します。
では、そういう人々が自らを高みに置いた言葉が「中華」なのかというと、これがなかなか難しい話だそうです。

重要なのは、「漢人/漢民族/漢族」と呼ばれる人々を規定するものが、血筋や出身地のような先天的な資格ではなく、身に着けた言語や文化などの後天的な素養だったということです。
「中国」とはそのような漢人政権の支配領域であるため、政権によって外に広がることもあれば、内に縮むこともありました。
どこからどこまでが「中国」の領土なのかは一定せず、例えば「万里の長城から南シナ海までが中国固有の領域」などという考え方は、近代以降のものだそうです。

「中華」と「夷狄」

そのような前近代の「中国」では、独特な対外意識が形成されました。
それがいわゆる「中華思想」や「中華主義」であり、東洋史や中国哲学の研究者は「華夷(かい)思想」と呼ぶことが多いそうです。

この「華夷思想」は、天下(≒世界)を文字通り「華」と「夷」に分ける世界観です。
「華」とは中華であり、「夷」とは夷狄(いてき)すなわち辺境の野蛮人を意味しました。
自分たちを高みに置いて周囲を見下すというethnocentrism(自民族/自文化中心主義)はありふれていますが、華夷思想の特徴は、その中心となる集団の成員が(すでに述べたように)後天的な能力によって規定されるというところにあります。

しかも華夷思想において、「中華」と「夷狄」は対抗関係にはないことを先生は強調します。
『詩経』などの古典には「溥(普)天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣」(普天の下、王土に非ざるはなく、率土の濱、王臣に非ざるはなし)という有名な言葉があります。
これは、「すべて天下で天子(≒中華皇帝)の支配下にない場所はなく、天下の果てまで天子の臣下でない者は存在しない」という意味であり、「中国」の外の「夷狄」が住む地域もやはり天下の一部です。
しかも、「夷狄」は「中華」と全く異質な存在なのではなく、まだ「中華」の素晴らしさを理解できていないだけの存在だとされます。

東京大学 Todai OCW 学術俯瞰講義 Copyright 2012, 杉山清彦

ただし先生によれば、このような理念を心から信じている知識人は、中国の歴史にもほとんどいなかっただろうといいます。
いわば本音と建前の使い分けであり、このような言動の様式は今も中国の根っこにあるそうです。
中国の報道官が発する強い対日批判なども、そのまま受け取るのではなく、「お約束」の中から「本当に言いたいこと」を汲み取る必要があると先生は助言します。

「正統」と「正史」

さて、ここで「正統」という概念が関連してきます。
現代日本語では「異端」の対義語とか、「正”当”」と同じような言葉として使われがちですが、本来これは「どの国が正しく天命(天下を支配する資格)を受けている中国なのか」を示す言葉でした。

「正統」な天子だけが行うことのできる特権の一つに、元号の制定がありました。
空間と時間を支配する天子が定めた元号は誰もが使わなければならないものだとされ、天子以外が独自に年号を立てることは天子への反逆行為だと見なされました。
また、周辺国が「中国」に朝貢して、「中国」から判子とともにカレンダー(「正朔」)が与えられることを「正朔を奉じる」といい、それは「中国」の支配下に入ったことを意味したそうです。

歴史書を作ることも、「正統」の思想と深く関連していました。
「中国」の歴代王朝で作られた「正史」と呼ばれる歴史書の主たる目的は、現政権が「正統」だと証明するために、その政権までに権力がどのように受け渡されてきたかを明らかにすることにありました。
その意味で、「正史」とは「正しい歴史」ではなく、「(現政権を)正しいとするための歴史」なのです。

そして、天下の国々が「正しく天命を受けている中国」とそれ以外に分けられる以上、複数の「中国」が同時に存在することはできなくなります。
ここに、中国政府が「一つの中国」を主張し台湾問題で譲らない理由があるそうです。
社会主義になったかどうかとは関係なく、中国の根底には今も「中華」や「正統」の思想が息づいていることを、先生は説き明かしました。

まとめ

本講義で先生が解説した「中華思想」は、私たちが想像する覇権主義のような意味とは必ずしも重ならないものでした。
そして、中国にとって中華思想とはただの建前でしかない場合もあり、本音である場合もある、ということのようです。
日本人にとってはやや実感しづらい考え方ですが、実感しづらいと理解することが、他者への理解の第一歩になるのかも知れません。
本記事では紹介しきれなかったお話も少なくありませんので、ぜひ講義動画もご覧になってみてください。

<文/MS(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:「世界史」の世界史(学術俯瞰講義) 第8回 「中華」の世界観と「正統」の歴史 杉山清彦先生

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