私たちが昔の歴史や文学、宗教について本気で知ろうとしたら、洋の東西を問わず、どうしても古い文字資料を使うことになるでしょう。
大抵は、アクセスしやすい図書館にある文庫本とか、オンラインで手軽に見つかるテキストデータとかで事を済ますことになります。
しかし、あなたの目に入った文字資料は、果たして信頼に足るものなのでしょうか。
古い時代のものほど著者本人の自筆本などは残っておらず、その文章が他人による書写や出版の作業過程で改変されてしまった可能性は排除できません。
たった1文字のタイポ(誤字や脱字)のせいで、文章全体の意味が変わってしまうことすらあり得ます。
そのため、人文学を専門とする学生や研究者は、自分の使う資料の信頼性に敏感であることが求められます。
今回ご紹介したい講義は、デジタル人文学などをご専門とする永崎研宣(ながさき きよのり)先生による「デジタル時代のcriticism」です。
講義自体は2018年度のものであり、その後にデジタル技術の更なる進歩などもありました。
本記事の読者の中には、「自分はこの分野の専門家になりたいわけではない」という人もいるでしょう。
ですが、この講義で永崎先生が解説しているデジタル人文学の理念は今日なお維持されているものであり、また専門外の人であっても有益な知見が得られるのではないかと思います。
“criticism”の意義
まず先生は、この講義を「デジタル時代のcriticism」と題した理由を説明することから始めます。
通常は「資料批判」または「史料批判」という言葉を使うそうですが、現代の日常語で「批判」は後ろ向きなニュアンスがあるため、あえて「criticism」にしたといいます。
いずれにせよ、これは歴史学者のレオポルト・フォン・ランケ(1795–1886)が提唱した概念で、様々な周辺情報も駆使して「自分の見ている史資料がどれくらいあてになるか」を確認しようとする学問的手続きであり、大きくは「外的批判」と「内的批判」に分けることができるとします。
外的批判は、「この史資料は後世に偽作された偽文書ではないのか」という根本的な検討から始まって、「いつ、どのような場で書かれたのか」や「どのような経緯で発見されたのか」などの分析に進むそうです。
他方の内的批判は、著者の思い込みや勘違い、願望、利害関係が史資料に影響した可能性を慎重に見極める作業となります。
ここで先生が紹介した「個人的に衝撃だった」事例は、日本の「慶安の御触書」です。
32の条文と奥書から成るとされるこの農民への教諭書は、徳川幕府の第3代将軍家光が江戸前期の慶安2年(1649年)に出した幕法として、先生が10代だったころには歴史の教科書にも載っていました。
しかし、慶安2年に発布されたはずの原本が見つからず、しかも写本が一部地域から見つかるだけなので、今日では「幕法ではなかった可能性が高い」として教科書からほぼ消えたそうです。
このように、教科書で取り上げられたような有名な史資料でさえも、最新のcriticismによる結果が「怪しい、疑わしい」となれば排除または留保せざるを得なくなります。
逆に言えば、criticismは従来の常識を覆す可能性を帯びた、それだけ重要な手続きだということです。
時代は紙からデジタルへ
明治以降の日本では、東洋と西洋の校勘(こうかん。複数の伝本を比較検討して、本文の異同を明らかにしたり正したりすること)の伝統が混ざり合い、本文の上や下の欄外に「この字は別の本ではこうなっている」という校勘記の付いた本が作られていきました。
そのような校勘本は便利で有益なものですが、読者が見られるのは校勘者の出した結論だけです。
例えば、校勘記で「この字は○○図書館所蔵の写本ではこうなっている」と書かれてあっても、本当にそうなっているかを確認するために読者がその図書館を訪問し、所蔵本を閲覧することは手間です。
古典籍の多くは厳重に管理されているため、閲覧を申請してから許可されるまで時間も掛かります。
そこで近年、世界各地で活用されつつあるのがデジタル技術です。
貴重な古典籍をデジタル撮影して(または過去に撮影されていたマイクロフィルムなどをデジタル変換して)画像をネットで公開することで、見たい古典籍の画像がいつでもすぐに見られるようになります。
そのデジタル画像へのパーマネントURL(ウェブサイトのリニューアルなどがあっても変更されないURL)が論文などに付記されれば、議論や検証が飛躍的に容易になります。
一部の研究者は、このような新技術の活用に抵抗感があるようです。
ですが先生は、従来も影印(えいいん。古典籍を撮影して印刷したもの)が活用されてきたのだから、デジタル画像は必ずしも異質なものとして警戒しなくてよいと解説します。
また、「デジタルデータは簡単に書き換えられる危険がある」という意見については、バージョン管理(旧いバージョンも消さずに残す)がきちんとできていれば、むしろ紙よりも効率が格段に高いとします。
それどころか、様々な古典籍のデジタル画像を深層学習(Deep Learning)で横断分析させれば、人間の力では分からないことも分かるようになるかもしれません。
デジタル時代の現在と未来
近年は、単純なデジタル画像化とそのネット公開だけでなく、ソースコードで各本の異同の比較検討をより効率化しようという事業も進められています。
ある古典籍のある個所が諸本でどのように表記されているのかを比較する作業時間は、これまでよりも格段に短縮できます。
このようなデータベースが公開されれば、専門の研究者に限らず、広く学生や愛好家もまた恩恵を受けられるようになるでしょう。
最初にお断りしましたように、この講義は2018年度に行われたものです。
その後にデジタル技術が日進月歩の発展を続けていることは、皆さんもご存知の通りです。
ですが、これまでは紙と人間(の手と目と頭)に頼って行ってきたcriticismをデジタル技術によって効率化し、しかもそれをオンラインで公開していこうという方向性は今も変わっていません。
ここでは紹介しきれなかった部分も少なくありませんので、今後とも発展を続けるだろうデジタル時代のcriticismの基本理念を知るためにも、先生の講義動画をご覧になってみてはいかがでしょうか。
<文/MS(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:デジタル・ヒューマニティーズ ―変貌する学問の地平― (学術俯瞰講義) 第3回 デジタル時代のcriticism 永崎研宣先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。