「古典」とは何か。この問いに、みなさんはどのように答えますか?
高校までの授業で、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆくやまぎは…」や「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり…」など、有名な作品の冒頭を暗誦した経験のある人も多いのではないでしょうか。このように、枕草子や平家物語といった「古典」とされる文学作品は数多くあります。「古典」を読むにあたって、古典文法や古文単語をたくさん覚えさせられることもあります。さらに「古典」の授業では漢文も扱います。また、能楽や歌舞伎といった伝統芸能を思い浮かべる方もいるかもしれませんね。
この講義では、東京大学大学院人文社会系研究科の小島毅先生と一緒に、「古典とは何か」を考えていきます。
「古典」は心を豊かにする?
まずは、二人の学者の意見をもとに考えてみましょう。慶應義塾の学長として有名な小泉信三は、『読書論』で次のように述べています。
昨今では、「役に立つか」ということが、特に大学などの教育現場において問題にされがちですが、小泉の言葉は「役に立つとは何か」を問う内容になっていると言えます。
もう一人、平安文学の研究者である池田亀鑑は、『古典学入門』で次のように述べています。
小泉と池田によると、「古典」は「精神を飛翔せしめ、人に思索と省察とを促し」たり、「心身ともに疲れきっているときに、古典の意味はいよいよ大きなものとな」ったりするようです。つまり、「古典」には「心を豊かにする」といった意味合いがあるのかもしれません。
高校までの「古典」とは?
「古典」と言えば、中学や高校において国語の授業で教わるもの、と思われる方も多いのではないでしょうか。そこで、学習指導要領で「古典」がどのようなものとして定められているかを見てみましょう。
高校の学習指導要領では、「国語総合」という必修科目とともに、選択科目として、「現代文A」「現代文B」と対になるようにして「古典A」「古典B」という科目が定められています。それぞれの目標は以下の通りです。
※2016年時点の話。2024年現在は「国語総合」という科目設定はなく、代わりに「現代の国語」と「言語文化」という科目が必修となっており、その「言語文化」において古典が教えられている。また、選択科目として「古典探究」が設けられている。
また、小島先生は、古典の授業の「古典」というのは「古文+漢文」からなっている、と言います。「古文」の授業では和文系の文章・作品を対象とします。一方、「漢文」の授業では古典中国語の文章を、訓読という技法を使って日本語として鑑賞することを目指します。ただし、漢文については作者の国籍や母語は問いません。
それではなぜ、漢文は国語の一部として授業で扱われているのでしょうか。それは、訓読という技法が発明され、中国語が日本語として読めるようになったこと、そしてそれによって中国の作品が日本の歴史や文化に大きな影響を与えてきたことから、「外国のものという感じではなくなったから」と小島先生は言います。
「古典の日」は「古典」をどのように定義しているか?
次に、「古典の日」に関わる宣言や法律から、「古典」とは何かを考えていきます。
「古典の日」というのは法律にも定められた日で、2008年11月1日に、源氏物語千年紀委員会によって「古典の日」宣言が出されています。
この記述からは、「古典」の特徴が掴めてくるのではないでしょうか。
まず、「歴史と風土に根ざし」ているということ。これは数学といった他科目とは異なる特性だと言えるかもしれません。次に、「時と所をこえてひろく享受される」ということ。「古典」は特定の時代あるいは特定の地域に住む人しか楽しめない内容ではなく、時間や空間にかかわらず人々に受け入れられるものなのです。そして、「人間の叡智の結晶であり」「心を豊かにしてくれる」ということ。前述した小泉や池田の言葉にも見られるように、また学習指導要領にも「人生を豊かにする態度を育てる」とあるように、やはり「心を豊かにしてくれる」というのが「古典」の大きな特徴と言えそうです。
このような「古典の日」宣言に基づき、さらに「古典の日」推進基本構想が発表されています。
ここで注目したいのは、三つ目の項目に「文学・美術・工藝・藝能など幅広く古典を知ることのよろこびを」と書かれていることです。つまり、「古典」は文学に限らないということがわかります。いわゆる国語の授業の中でテクストとして扱われるものだけではなく、絵画や音楽、工芸品、伝統芸能などさまざまなものを「古典」として捉えています。
「古典の日」宣言や「古典の日」推進基本構想を法律上に位置付けるのが、「古典の日に関する法律」です。この第二条に、「古典」の定義が示されています。
ここでもやはり「古典」は文学だけではない、ということが読み取れます。ただし、文学を一番最初に挙げているのは、「古典」と言えばまずはじめに文学を想像するということに加え、後述するように「古典の日」の制定に源氏物語が深く関わっているという理由からです。
また、定義の後半にある「継承され」にも注目してください。日本国内で生み出された作品が「古典」とみなされるのは当然ですが、日本で生まれていない作品でも、国内で継承されることによって日本国民に恩恵をもたらしてきたものは「古典」とみなされる、ということになります。そのため、漢文も「古典」になるのです。
さらに、「優れた価値を有すると認められるに至ったもの」という文言も重要です。「優れた価値を有するもの」ではなく、優れた価値があると「みんなが認めている」場合に「古典」と呼ぶ、と法律で定義されているのです。
なお、「古典の日に関する法律」の第三条には、古典の日を11月1日にすること、加えて国及び地方公共団体は古典の日に「その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする」と定められています。
なぜ11月1日なのでしょうか。それは、1008年の11月1日に、紫式部がその頃源氏物語を書いていたという記述が記録として残っているためです。
中国古典・西洋古典における「古典」とは何か?
最後に、日本の古典だけでなく、中国の古典や西洋の古典にも目を向けて見ましょう。
『キーワードで読む中国古典』は、中国哲学が専門の中島隆博先生と中国文学が専門の齋藤希史先生による著作です。そこには「中国だけでなく日本を含めて『近代』そのものを問い直し、 本質主義から脱却するために古典を読む。 古典への回帰や再生で はなく、古典による転回を行いつつ、現在の『知』について批評的であろうとする。」と書かれています。「古典」を読んでその内容に感銘を受けるだけではなく、「古典」というものを読み解いていくことによって「近代」を問い直し、現在の「知」を批評しようという試みが行われているのがこの本だということです。
日本西洋古典学会のウェブサイトでは、「日本西洋古典学会は、日本における西洋古典学(ギリシア語・ラテン語で書かれた哲学・歴史・文学、古代の美術・考古学を研究対象 とします)の振興を目的として1950年に設立されました。」とあります。ここでも、書かれたテクストのみならず、美術品や考古学で発掘された遺品なども「古典」に含めています。さらに、「ギリシア語・ラテン語で書かれた」という限定からは、西洋の人たちが自分たちの文化の源泉としてギリシャ・ローマを考えていることが読み取れます。
まとめ:「古典」とは何か?
「この講義だけで『古典』とは何かが簡単にわかってしまっては困る」
小島先生はこのように言います。ここまで、「古典」とは何かについて、小泉信三と池田亀鑑、高校の学習指導要領、「古典の日」宣言、中国古典と西洋古典、といった観点から考えてきました。この講義からは、少なくとも「国語の授業で入試で点を取るためにイヤイヤながら覚えさせられた」というイメージとは異なる「古典」の像が見えてきたのではないでしょうか。
しかし、「古典」とは何かということは、一時間の講義だけですんなり理解できるようなものではありません。大学の授業の醍醐味は常識を打ち破り自らの中にある社会通念を壊していくところにあります。「古典」とは何か、より深く知りたくなった方は、この講義を第一回とする全六回の学術俯瞰講義「古典は語りかける 」をぜひ視聴してみてください!
今回紹介した講義:古典は語りかける-ガイダンス:古典とは何かー古典は語りかける (学術俯瞰講義) 第1回 小島 毅先生、谷口 洋先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)>