【お祭りや万博】明治時代の人たちはどんな風に開催していたの?
2024/09/25

今年、2024年の夏に、フランスのパリでオリンピックおよびパラリンピックが開催されました。
来年、2025年には、大阪万博の開催が予定されており、現在、施設の建設が進行中です。

このような大規模な催しを、過去の日本人はどのように開催し、また、どのように捉えていたのでしょうか。

今回ご紹介する木下直之先生の『明治の祝祭と博覧会』では、明治時代の人々がおこなっていたお祭りや博覧会の様子を、当時の地理や政治的な背景事情とともに解説しています。

この講義は、『変化する都市-政治・技術・祝祭(学術俯瞰講義)』シリーズの第10回目で、同じく木下先生による、第9回『江戸時代の祝祭と開帳』の続きの内容となっています。
徳川幕府が治めていた江戸の街は、新政府による明治時代の到来とともに、どのように変化していくのでしょうか。

写真や絵が満載で、視覚的にもとても分かりやすいので、日本史や宗教学に詳しくない方も、安心してご覧いただけます!

UTokyo Online Education 明治の祝祭と博覧会 Copyright 2008, 木下直之
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変化を迫られる、「お祭り」の形

例えば、江戸時代にも行われていた、神田明神の神田祭(かんだまつり)。
このお祭りには、長く続く歴史と伝統があります。

現代では、お神輿がかつがれ、ハッピを着た人々の行列と観客で大賑わいのイメージがあります。
しかし、江戸時代には、もう少し静かに練り歩く行列で、その列は江戸城の中まで入っていました。

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明治になると、新政府からは派手なお祭りに圧力が掛かりました。
一つには、このお祭りの祭神が平将門であり、「朝敵」だからという理由があります。
(当たり前と言われれば当たり前ですが、現代人である筆者は普段あまりそういったことを意識しないで生活しているため、「あ、そうか」と、驚いてしまいました。)

また、東京の街に電気が普及し、多くの電線が走るようになってから、かつてのように高く盛った派手な山車を、物理的に出しにくくなったということがあるそうです。(これについても、筆者は、「あ、そういえばそうか」と思いました。)

やがて、お祭りは、時代の目的に合わせて「憲法発布」や「天皇陛下の銀婚式」などといった節目に執り行われるようになります。
銀婚式などは、それまで日本の文化には存在しませんでしたが、このように、皇室にも少しずつ西洋の慣習が取り入れられていきます。

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西洋に追いつけ追いこせ、博覧会

この講義の1つ前の講義では、江戸時代に行われていた寺社の参詣と「ご開帳」の文化を取り上げています。
開帳とは、普段宗教施設に保管されている聖なるもの、秘仏や秘宝を、特別に拝観できるようにする行事のことです。(これは、現代でも行われています。)

つまり、展示されたものを観覧するという習慣は、江戸時代の庶民の間にも存在していました。
そして、現代の展示会の図録に通ずるような物も存在していました。

UTokyo Online Education 明治の祝祭と博覧会 Copyright 2008, 木下直之
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さて、明治時代に入り、西洋文化が流入すると、展示形式の催しは、その意味合いを少し変化させます。

みなさんは、東京の上野を訪れたことがあるでしょうか。
有名なのは、夏目漱石の『こころ』にも登場する不忍池(しのばずのいけ)、上野動物公園などの観光スポットです。
そして、その周辺には、多くの美術館・博物館が密集しており、真ん中に広大な広場があります。
週末は非常に大勢の人で賑わう場所です。

もともと、この地には、東叡山寛永寺の巨大な敷地がありました。

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しかし、寛永寺は、幕末の「上野戦争」というたった1日の戦で焼失してしまいます。
上野戦争とは、徳川幕府側についていた彰義隊が官軍(新政府軍)に討伐された戦いのことで、彰義隊が立てこもっていた寛永寺は、官軍からの攻撃に巻き込まれて焼け落ちてしまったのです。

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この跡地で、明治政府は勧業博覧会を開催しました。
そして、さらにその後、同じ地に博物館を建造します。
当初の建物は著名な建築家のジョサイア・コンドルが設計したものでしたが、こちらは残念ながら関東大震災で倒壊し、再建されたのが現在の国立博物館です。

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上野で行われた本格的な勧業博覧会の前にも、湯島聖堂などで博覧会が開催されていました。
湯島聖堂といえば、東京大学の本郷キャンパスから歩いて20分程度で行ける場所にあります。
また、九段でもおこなわれています。

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では、ここで改めて「博覧会」とは何か、考えてみましょう。
「博覧会」と「博物館」の違いはなんでしょうか?

福沢諭吉が、『西洋事情』に、その答えを詳しく書いています。
博物館の展示は、人々に見聞を広めるためにあるものです。
しかし、世の中は日々進歩しているため、博物館に収蔵されているものは、やがて「古いもの」になっていきます。
(特に、この時代は産業革命後に目まぐるしく技術的な進歩がありましたから、余計にそのように感じられたことでしょう。)
博覧会とは、世の中の新しいものを集め、数年おきに大会を開き、常に新しい見聞を広めるためにおこなわれたのです。

少し上に戻って、陳列されている物の画像をご覧ください。
動物の剥製や頭骨などがたくさん並んでいます。
木下先生は、これはまさに「新しい時代」を象徴していると語ります。
つまり、人間の頭骨とゾウの頭骨が対等に並べられる時代になったのです。
(「人間が一生物として客観視された」と言い換えても良いかもしれません。)

また、上野の寛永寺跡地で開催された博覧会では、徳川将軍家の墓所があるにもかかわらず、すぐそばに、家畜を含む動物を展示する動物館が作られました(器械館、農林館、美術館、水産館というように、展示物のジャンルごとに建物を分けていました)。
そして、湯島聖堂では、聖なるものとして存在した孔子像を一展示物として扱い、隣に動物が並べられました。
このように、それまでには考えられないような陳列方法が実施されたのです。
長らく中国に学び、社会の秩序や理念としての儒学を重んじていた日本が、西洋文明・科学技術を追い始めたことを、よく表した出来事でした。

かくして、博覧会は、啓蒙として有効な装置の一つとなってゆきました。

催しは、メッセージ

ご覧いただいたように、祝祭や博覧会というのは、単に楽しいだけの娯楽のイベントではなく、さまざまな宗教的・政治的な影響を受ける側面を持つことがあります。

その後、みなさんもご存知のように、日本は「富国強兵」というスローガンを掲げ、西洋に向けて自国の文化を発信したり、列強諸国に負けじとオリンピックに参加するなど、どんどんと外の世界に向かって飛び出して行きます。
やがて、「戦争」が、祝祭の一つのきっかけとなってゆきます。

画像は、軍隊が凱旋したときに建つ、仮設の凱旋門です。
仮設というのは、丸太で作った骨組みにモルタルを塗ったものであり、数ヶ月ほどの耐久力しかありません。
見た目はとてもよくできていたようです。

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まだまだ続く、おもしろエピソード

さて、今回のコラムで紹介したのは、講義のほんの一部の情報です。
紹介しきれなかったおもしろいエピソードがたくさんあり、正直に申し上げて、筆者は、どれをお伝えするべきかかなり迷って、削りに削って書きました。

チラッとお見せすると……

これはご開帳の図録の仏像に見立てたお魚の干物で、先生が携わった企画展にて実際に再現してみたそうですよ。

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そして、身分などによって日頃の髪型や服装が規定されていた人々が、お祭りの日には、特別な衣装を着たり、仮装をしたりすることが許されていたそうな。
なんてかわいい絵なんでしょう。
「非日常」を味わうために、ハロウィンの日に仮装して渋谷に集まる現代日本人には、親近感を持てるところがあるかもしれません。

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こちらは、先生が携わった、昔のお祭りを復元する試みです。
先頭の彼は役者志望で、大きな声で当時の人になりきっていたとのこと。

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実は、まだ、この他にもいろいろあります。
1つ前の回の講義 第9回『江戸時代の祝祭と開帳』とあわせて、ぜひ、動画をご覧になってください!

<文・加藤なほ>

今回紹介した講義:変化する都市-政治・技術・祝祭(学術俯瞰講義) 第10回 明治の祝祭と博覧会 木下直之先生

●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。