先日、菅直人元首相が、Twitterに日本維新の会と橋本徹氏について「ヒトラーを思い起こす」と投稿したことが話題となりました。
繰り返してはならない歴史として、2022年の今もナチ・ドイツの政府が参照され続けています。
それでは、そんなヒトラー政権が、実は少数派政権だったのはご存知ですか?
国会の過半数を取れなかったのにもかかわらず、緊急事態条項をしたたかに利用することで、ナチ党は力をつけていきました。
ヒトラーがどうやって権力を集中させていったのか、ドイツ現代史・ジェノサイド研究の専門家、石田勇治先生と一緒に学んでいく講義を紹介します。
大統領緊急令が法律と化した時代
緊急事態条項とは、非常事態に国家の存立を守るために、国家権力が人権保障と権力分立を一時停止して緊急措置を取ることを許可する条項のことを指します。
ヒトラー政権が台頭したワイマール共和国(1918/19〜33)では、緊急事態条項により、大統領が大統領緊急令を発令できると定められていました。
このワイマール共和国では、ヒトラー政権が成立する以前から、体制が不安定な共和国初期に、防衛・治安維持のため、この緊急事態条項が許可した大統領緊急令が多用されていました。
そして、ヒトラーが力を持ち始める共和国末期には、大統領緊急令が法律代わりに頻繁に発せられるようになります。
共和国末期の大統領は、元軍人で帝政主義者のヒンデンブルクです。ヒンデンブルクは大統領緊急令を法律のように用いることで、議会制民主主義を形骸化・有名無実化していきました。
形骸化していた国会で、政府と議会を批判する抗議政党であったナチ党と共産党が、次第に力をつけていきます。
1933年1月、保守派のヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命し、大統領緊急令をヒトラー政府のために使用することを約束しました。この時点で、ナチ党の国会議席占有率は33.1%しかなく、国家人民党と合わせた連立政権全体でも41.9%と、与党で過半数が取れていない状態(つまり、少数派政権)でした。
しかし、大統領緊急令という強力な武器を手に入れたことで、国会の議席数が少ないにもかかわらず、ヒトラーは実質的に国を支配できるほどの権力を有することになったのです。
緊急事態条項の制定には丁寧な議論が必要
このままヒトラーは大統領緊急令を使って野党を弾圧し、ついには政府が実質的に全権を握ることができる授権法を制定することになります。(詳しい流れも動画で解説されているので、ぜひご覧ください)
ここまで読むと、緊急事態条項が全ての諸悪の根源であるように思えるかもしれません。
しかし、石田先生は、事態はそれほど単純ではないと言います。
じっさい、ワイマール共和国では、ヒトラーが台頭する前から大統領緊急令は使用されていましたが、すぐさま独裁体制に移行することはありませんでした。
また、現在のドイツでも、まだ発令はされていないものの、「合同委員会」を主体とした緊急事態条項が存在していると言います。つまり、緊急事態条項において、権力の中心は必ずしも大統領のような力のあるひとりの政治家である必要はないのです。
石田先生は、緊急事態条項にさまざまなバリエーションがあることを理解し、それぞれのリスクを考えながら、丁寧に議論していくことを私たちに提案しています。(もちろん、緊急事態条項を何らかのかたちで制定すべきだという話でもありません)
冒頭の例で紹介したように、ナチ・ドイツは私たちの現在の政治状況とも無関係なものではありません。
講義動画を視聴して、皆さんも人類史上最悪の歴史を生み出したと言われるナチ・ドイツの悲劇を繰り解さないためには何ができるか、考えてみてください。
今回紹介した講義:不安の時代(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2020年度講義)第9回 緊急事態条項とナチ独裁―民主憲法はなぜ死文化したか一 石田 勇治先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>