UTokyo OCWで公開されている、さまざまな分野の東大教授(たまに他大学の先生も)の授業を紹介するだいふくちゃん通信ですが、今回紹介する講義動画は、いつもと一味違います。
なんと講師が、日本を代表する音楽家、坂本龍一さんなんです!
「どうして東京大学の授業を公開するUTokyo OCWで、坂本さんが講義する授業動画が視聴できるの!? そもそも坂本さんって、大学で教えてたの!?」
と、驚く人もいると思います。私もYMOが好きなので、講義動画を見つけてビックリしました。
実はこれは、2007年に東京大学で開講した特別授業の講義動画です。
ですので、坂本さんが東大の通常の授業で教えていたわけではありません。
また、講師といっても、ひとりで教卓の前に立っているわけではなく、当時教養学部で哲学を教えていた小林康夫先生がインタビュアーとなり、坂本さんがそれに回答するかたちで進む対談形式の講義です。(ただし、一問一答というよりは、もっと流動的な流れです)
それでも、一体どうして音楽家の坂本さんが東大で授業をすることになったのかピンとこない人もいるかもしれません。
私も正確な事情は分からないのですが、坂本さんは音楽を作るだけでなく、音楽について幅広い知識と思想をもっていて、しばしばそれを提唱することのある音楽家として知られています。過去には、吉本隆明との対談本が出版されたこともありました。(坂本さんの愛称が「教授」であるというのは、有名な話です)
実際、今回紹介する講義でも、数多くの印象に残る言葉が語られています。
「自己表現と正反対のことがしたいと思った」
「歌ではなく、物理現象として音楽を聴いている」
私もこの講義動画を視聴したことで、これまで当たり前なものとして受け取ってきた「音楽」の概念が、少し揺らいできたような気がしています。
音楽に対する新たな視点を得たいという人は、ぜひこの講義動画を全編視聴していただきたいです。この記事では、そのエッセンスが少しでも伝わるように、授業の要旨をまとめていきます。
坂本龍一の代表的な経歴
そもそも、坂本龍一さんについてよく知らないという人もいるかもしれません。
そんな方のために、講義では紹介されていませんが、坂本さんの経歴のうち代表的なものを、簡単にまとめました。
・シンセサイザーなどの電子楽器を最初期に取り入れ、日本のテクノを牽引したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしてデビュー。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA 『RYDEEN』(HD Remaster・Short ver.)
・自身も俳優として出演した『戦場のメリークリスマス』で、日本の映画音楽を代表する楽曲となる劇中歌、『Merry Christmas, Mr. Lawrence』を手がける。
Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryuichi Sakamoto – From Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022
・『ラストエンペラー』で担当した映画音楽で、日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞。
ざっと並べるだけで、坂本さんが日本の音楽界にどれだけの功績を残しているかが伝わると思います。
歌わないミュージシャン
講義はまず、小林先生が「坂本さんは自分じゃないものを求めている」と述べるところから始まります。
私たちは、「自分の夢」を追い求めたり、「自分探しの旅」をしたり、いつもなりたい自分になるために、日々奮闘しています。自己実現、自己表現こそが自らの生きる目的だと考えている人も多いでしょう。
しかし坂本さんは、自分の夢を探すような生き方に否定的な態度を取ります。坂本さん自身も、ミュージシャンになろうと思ったことがなく、たまたまなっているというのです。
しかし、ここで次のように感じる人もいるかもしれません。
音楽こそ、自己表現の最たるものであり、自分を追い求める究極の作業なのではないか、と。
音楽をやりながら、自分を求めないというのは、一体どういうことなのでしょうか?
坂本さんの作る音楽には、ほかの音楽にはあまり見られない、ある特徴があります。
それは、「歌」がほとんどないということです。
「歌」というのは、なにも歌声だけを指すのではありません。ここでいう「歌」は楽器を使っても出すことができます。
坂本さんいわく、「歌」とは、ある感情をもって時間軸上に重ねられた音の列のことです。すなわち、感情をのせた音楽が「歌」だということです。
坂本さんは、人間的感情に接近するのを意識的に避けながら、音楽を作っているといいます。
音楽に限らず、なにかを創作する目的の多くは自己表現であるはずで、そこに作者の思いがこめられるのを、私たちは当たり前として考えています。
しかし坂本さんは大学時代に、「自己表現と正反対まで行ってみよう」と考えて、独自の音楽を作り始めたそうです。
講義では、大学時代に坂本さんが取り組んだ、実験的な音楽の作り方についても語られています。
「民族音楽」と「電子音楽」
坂本さんは、東京藝術大学に入学し、修士課程まで進んでいます。大学に入った時点で、「20世紀初頭くらいまでの、西洋音楽といわれる近代ヨーロッパの音楽の色んな技法とかスタイルの学習は一応終えていた」そうです。
この「西洋音楽」は、線的な音を自己表現の手段として配置したものだという点で、先ほどの「歌」と共通しています。
坂本さんは、大学に入学して、「学んだことを全部捨てたかった」と語ります。
この西洋音楽(歌)から離れるために坂本さんが用いたのは、「民族音楽」と「電子音楽」でした。
「民族音楽」と「電子音楽」と聞くと、真っ先に「YMO」の活動が思い浮かびます。
坂本さんの重要な経歴のひとつである「YMO」には、当時新しかった電子音を使って、東洋的な音楽を奏でるという特徴がありました。(そして基本的に歌のないインストゥルメンタル曲を演奏します)
民族音楽によって、オクターブを12に分けるような西洋音楽のルールから逃れ、電子音楽によって、世の中に存在しない音色を作る。こうして坂本さんは、西洋から始まり今は世界を席巻している、線的で自己表現的な音楽から距離をおいていきました。
お茶の間の空間にある音楽
それでは、西洋的な音楽を離れて、坂本さんが作りたい音楽とはどういったものなのでしょうか?
それは、「多義的」で「偶然性」があり、「中心が見えない、存在しない」音楽です。
それを坂本さんは別の言葉で「お茶の間の空間」と表します。
講義中の言葉を借りると、「完全に完成された形ではなく、そのへんから切り取ってきたような」音楽が、坂本さんのめざす音楽だということです。
講義の最後に、坂本さんは次のようなことを語ります。
ぼくが、一様ではないですがやはり君たちのくらいの年齢のころ、よく考えていたことは、自分の耳を開くということです。(…)たとえば、高校、大学のときに電車通学していまして、毎朝、電車に乗るわけです。電車というのは、日本語ではガタガタ、ガタンガタンという一つの音です。ガタンという一つのユニットで、表現されています。しかし、よく耳を開いて、よく聞くと、何十種類もの音が実は鳴っているわけです。(…)服のすれる音、新聞の音、雑誌の音など何十種類も聞こえる。満員電車で退屈でしたから、そういう耳を開くというのは、よく意識してやっていました。そこで、 耳だけでなく目もなんですけど、感覚器を開くということが、まず大事であると思うのです。ちょっとやってみてください。面白い発見があるかもしれないです。
坂本さんは一貫して、私たちに「日常の音を聴くこと」を勧めています。
ここからは私の意見ですが、音楽のサブスクリプションサービスやYouTubeなども普及し、浴びるように音楽を楽しめるようになった現在、私たちは日々刺激的な音を漁ることに力を注ぐあまり、より一層生活の音に耳を傾けなくなっているように思います。
その傾向は、坂本さんが講義された2007年よりも、さらに顕著になっているはずです。
そしてそれは音楽に限りません。さまざまなものが情報として氾濫しているため、日常的なものに腰を据える時間が短くなっています。時間をかけられないために、腰を据えることの価値自体が見失われ、さらに時間をかけられなくなっていきます。(タイパといった言葉が広まっていることからも、その傾向は読み取れます)
そんななかで、坂本さんの言葉は、作為的な情報にあふれる世界から一度距離をおき、元々私たちの身の回りにあった繊細な現象に身と心を委ねることを促してくれます。
終わりに
いかがだったでしょうか?
ここまで記事を読んで、きっと多くの方が、坂本さんに興味をもってくださったのではないでしょうか?
坂本さんに興味をもった方は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。
そこでは、経験と思考によって練り上げられてきた印象深い言葉が、数多く語られています。
どのような背景で坂本さんの音楽観が生まれたのかも、わかってくるはずです。
また、この講義動画は、書き起こしのテキストが資料としてまとめられています。(さすが坂本さんの講義、手厚いです)
講義資料1
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_07/sp1/notes/ja/00sakamoto1.pdf
講義資料2
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_07/sp1/notes/ja/00sakamoto2.pdf
これを読めば、より授業の内容を理解しやすくなると思います。ぜひ、視聴の際の参考にしてください。
今回紹介した講義:情報が世界を変える-技術と社会、そして新しい芸術とは(学術俯瞰講義)特別講義 音楽が世界を変える? 坂本 龍一さん
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●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>