今から11年前、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
震災、そして被災地について、当時の自分の体験、自分の記憶に思いを馳せてみます。
どのような記憶とつながりましたか。
忘れてしまっていること、もしくは知らないままになっていることはありませんか。
震災は今もなお様々なかたちの記憶となって、ある記憶は語り継がれ、ある記憶は忘れ去られようとしています。
「巡礼」は、このような”忘却”に抵抗する1つの希望です。
「巡礼」とは、実際に現地を訪れて、そこにあるシンボルを巡ることをいいます。
しかしそこにはまた、ただシンボルを巡るだけではない、人々との出会い、人々による語りがあります。
そのような人々との出会い、人々による語りこそが、忘却に抵抗するための重要な鍵であると張先生は述べます。
「巡礼」という言葉を手掛かりに、”忘却”と向き合い、そして”忘却”への抵抗について考えてみませんか。
「巡礼」による忘却への抵抗について、第1の故郷を香港、第2の故郷を仙台に持つ、張政遠先生と考える講義動画を紹介します。
東日本大震災発生
2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
当時は家屋の基礎だけ辛うじて残っている状態で、周りの生活世界が無くなっているような光景が広がっていたそうです。
当時津波の犠牲になった方の中には、逃げようとしない人を説得しているうちに逃げ遅れた方もいたそうです。
心の痛む話ですが、愛他心を持つ社会的動物である人間には、他人を見捨てて自分だけ逃げるという行為は難しいとされています。
このような、人間ならではの”優しさ”によって、悲しくもいくつかの悲劇が生み出されてしまったそうです。
香港
そして、張先生の出身地である香港に話は移ります。
実は、被災地と香港にはいくつかの共通点があるのをご存じですか。
その1つが原子力発電所です。
香港には深海から50km未満のところに原発が存在します。
東日本大震災による原発事故後には、住民による「”反核”不要再有下一個福島(”核反対”フクシマを再び起こしてはいけない)」というスローガンが沢山見られるようになったそうです。
記憶装置とその忘却
被災地と香港の共通点において、もう1つ重要となってくるのが記憶装置の存在です。
被災地では、震災発生後、目に見えるシンボルとなるようないくつかの建物などが記憶装置として存在しました。
しかし時間が経つにつれ、徐々にそれらも記憶装置として機能しなくなり、住んでいる人々さえ記憶が薄らいでしまう、また町全体の工事が進み、当時の記憶が町ごと土の中に消えてしまっている現状があります。
香港でも同様のことが起こりつつあります。
植民地支配、学生運動といった歴史の中で、重要なシンボルとして存在したいくつかの建物や像などもまた、記憶装置としての機能が薄れつつあります。
このようなことから分かること。
それは、記憶装置だけでは結局忘却されてしまう可能性があるということ、記憶装置だけでは足りないということです。
それでは、どうすれば忘却に抵抗することができるでしょうか。
「巡礼」による忘却への抵抗
そこで張先生は、「巡礼」による忘却への抵抗について述べます。
ここで言う「巡礼」とは、宗教上の意味の巡礼ではなく、むしろ忘れかけていた記憶を蘇らせる意味の巡礼であるとされます。
記憶を繋ぐために、歴史をたどるために人は動き、「巡礼」をします。
そしてそれは、人と出会う、人と話す巡礼であるとも言われています。
ただ目に見えるシンボルを巡るだけではなく、そこで人と出会い、人の語りを聴くということにむしろ価値があるとされています。
つまり、記憶装置だけでなく、人の語り、人の記憶がなければならない。
oral Historyがないと、記憶装置だけでは上手く機能しないというメッセージです。
30年後の世界へ
30年後の世界がどのようであるかは誰にも分かりません。
しかし張先生は、「未来は分からないけれど、想像することはできる」とおっしゃいます。
30年後、東日本大震災、そして被災地は、人々や社会にどのように記憶されているでしょうか。
もしかしたら忘却が進んでいるかもしれません。
その時、きっと「巡礼」は忘却に抵抗するための1つの希望となるかもしれません。
過去の記憶とつながり、そして未来へと記憶を繋ぐために重要な足掛かりになるはずです。
皆さんも張先生と一緒に、「巡礼」による忘却への抵抗について考えませんか。
今回紹介した講義:2020年度開講 30年後の世界へ ―「世界」と「人間」の未来を共に考える(学術フロンティア講義)第8回 30年後の被災地、そして ― 香港 張 政遠先生