みなさんは「哲学」に対してどのような印象を持っていますか?
きっと、「哲学は『ザ・人文科学』である」と考えている方も多いでしょう。
しかしそんな哲学に、自然科学の知見を積極的に取り入れようとする動きがあることはご存知ですか?
「人類の抱える問題は、文系用と理系用に分かれていない」という考えのもと、科学の知見を生かして哲学を行う戸田山先生と一緒に、「意味する」とはどういうことなのかについて考える講義を紹介します。
「意味する」ことはどのような自然現象なのか
戸田山先生は「生きていることは所詮化学反応に過ぎない」という唯物論者です。
しかし、そのような唯物論的世界に、私たちが当たり前に「ある」と思っている概念を描き込むことには、大変な困難を伴うことがあります。
そのような概念の代表が「意味する」です。
たしかに、私たちは当然のように「意味する」という概念を用いますが、事実それを唯物論的な仕方で正確に定義できているとは言い難いでしょう。戸田山先生は、「意味する」ことがどのような自然現象であるのかの解明に取り組みます。
「意味する」を唯物論的世界に描き込むもっとも単純な方法は、特定の表象Xが特定の対象A(たとえばネズミ)によって引き起こされることを、「表象XがAを意味する」と言いあらわすことです。
しかし、このやり方では「表象間違いがありえなくなる」というような問題が発生します。つまり、対象と表象の因果関係が一対一で結びつくのであれば、対象によって引き起こされた表象は、全て正しく対象を意味していると言えてしまうということです。
(たとえば、モグラをネズミと見間違えてしまうのは表象間違いです。しかし、上のやり方に従うと、ネズミの表象がモグラによっても引き起こされてしまうとすれば、そのネズミの表象はモグラの表象でもあることになり、表象間違いだとは言えなくなります。なかなか難しいと思いますが、詳しい説明はぜひ動画をみて確認してください)
この問題を解消するために、戸田山先生は「本来の機能」という概念を持ち出します。本来の機能とは、「心臓の本来の機能は血液循環である」というように、たとえほかの機能を持っていたとしても、その物体がそれのために存在していると言えるような機能のことです。(逆に、私たちは心臓の拍動で時間をはかることもできますが、これは本来の機能ではありません)
表象Xの本来の機能が「ネズミを表象すること」であるとすれば、それがモグラによって引き起こされてしまった場合に、「表象間違い」が起こったと言うことができます。
選択の歴史から「本来の機能」を捉える
しかしここで、「本来の機能」がどのような自然現象であるのかを考えるという新たな課題が生まれます。
戸田山先生は、選択の歴史からこの本来の機能について説明します。
選択の歴史に従えば、「Sが持つというアイテムAがBという本来の機能を持つ」とはすなわち、「SにAが存在しているのは、Sの先祖においてAがBという効果を果たしたことが、生存上の有利さを先祖たちにもたらしてきたことの結果である」と説明できます。
つまり、表象について唯物論的に捉えるためには、その「表象の生産」だけを考えているのではだめで、「表象の生存における使い道」を考える必要があるのです。
戸田山先生の哲学は、まさに文系と理系、哲学と生物学をつなげる、科学時代の新しい哲学です。このような哲学は、科学に親しんだ私たちにとって、非常に納得しやすいものになっていると思います。(ただし、すぐに理解できるかは別問題です)
戸田山先生は、「このような哲学を推し進めることで、哲学は原型をとどめなくなるかもしれないが、それもまた良し」だと言います。
新たな哲学の展望に関心がある方だけでなく、「哲学の議論は抽象的で漠然として分かりにくい」と考えている方も、ぜひこの講義動画を視聴して、ロジカルな哲学の営みで世界の枠組みを再構築してみてください。
今回紹介した講義:脳の科学-シナプスから人生の意味まで(学術俯瞰講義)第13回 哲学と生物学をシームレスにつなぐ 戸田山 和久先生
<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>