今や私たちにとって身近なものとなった生成AI。ChatGPTのことを「チャッピー」と呼んで愛用しているという人も多いのではないのでしょうか。
わからないことがあったとき、文章を書きたいとき、誰かに相談したいことがあるとき、今では気軽にAIを利用することができます。早く解決策が知りたい、楽をしたい、理解や共感が欲しい、といった欲望を瞬時に満たしてくれるAIですが、AIを使って「効率化」することは良いことばかりなのでしょうか。
この問いに対して、脳科学を専門とする酒井邦嘉(さかいくによし)先生は、AIを使うことはすなわち「脳を使わず楽をすること」だと警告します。
今回ご紹介するのは、2025年度開講の学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)から、「第5回 脳を変える教養、AIに変えさせない教養」。講師は酒井邦嘉先生です。
「対話型」ではなく「対話風」AI
酒井先生は、AIの使用に伴う懸念点を三つあげます。
一つ目は、自分で考える前にAIに頼り、迅速に答えを得られることによって、思考力や創造力が低下してしまうということです。
二つ目は、AIに「欲しい言葉」を言わせることによって、自己肯定感が過剰に増幅する可能性があるということです。例えば、AIとの対話上で人の悪口を言ったり、片思いの人との妄想を膨らませたりすることができます。
三つ目は、文章の書き手と読み手の間の信頼関係が損なわれてしまうということです。学生が提出したレポートがAIによって書かれたものなのか生徒が書いたものなのか、両者の共同でできたものなのか判断することは時に難しいことがあると言います。
これらの懸念点に対する解決策として酒井先生は、「AIを適切に規制し、読書を取り戻すことが必要だ」と強調します。
なぜAIを規制する必要があるのでしょうか。
その理由は、「人間の脳についてまだ研究で明らかになっていないから」です。
現在、人間が生まれつき持っている言語能力については、言語学や脳科学の分野で解明が進んでいます。しかし、経験を通して身につけていく「経験知」については、まだ科学的に解明されていないと言います。それにもかかわらずAIをデザインしようとするのは乱暴な行為になりかねないのです。
「普遍文法」を通して世界を解釈する
ここからは、脳の構造に焦点を当てて見ていきましょう。
「普遍文法」は、アメリカの科学者ノーム・チョムスキーが提唱した言語機能です。誰もが生まれつき持っていて、言葉を扱うために必要な言語の秩序であるということができます。この普遍文法が、脳の中に入ってくる情報を分析し、新しい組み合わせを合成し出力するという「生成」のプロセスの素となっています。
普遍文法は科学的に解明されておらず謎に満ちたものであるため、現時点でのAIは人間が脳で行っている「生成」の機能を搭載しているということはできません。
私たちはそれぞれ異なる普遍文法を持っているため、同じ情報に触れた時でも全く同じように理解するということはできないのです。どんなに気が合う友人とも持っている脳は異なります。全く別の脳のフィルターを通して物事を理解し記憶するからこそ、会話をして解釈をすり合わせ、お互いの考えを理解しようと努めるプロセスが必要になるのです。
ここで重要になるのが文学です。たった一つの正解があるわけでもなく、作者が何を意図したのか、他の読者はどのように解釈するのか、「想像」する必要があります。それを踏まえて、自分なりの解釈を「創造」し、それを話したり書いたりして他者と共有することができるのです。
教養とは:後付けの知識ではなく生まれ持っているもの
さて、次に酒井先生は「教養」について話を発展させます。教養とは、知識を学び吸収することではなく、もともと持っているものの方向性をどう変えるかということだと言います。どういうことでしょうか。
ギリシャ哲学において、プラトンがソクラテスと若者メノンとの対話を記した文章の中に、
「ものを知らない人の中には、その人が知らないその当のことがらに関する、正しい考えが内在しているのである」という言葉があります。つまり、教養とは、新たに知識を学び身につけるというものではなく、もともと生まれ持っているものを呼び起こすということだと言うのです。
これを踏まえて「教養」というものを考えたとき、教育を通して身につけた知性や技術を正しい方向に導くということが重要だと言えます。あらゆる学問分野において、『その知識を人間にとって適切に利用できるか?」「そこにリスクはないか?」ということを問い続ける必要があります。
私たちはAI時代をどう生きるか
酒井先生は最後に、AI時代を生きる上での三つの戦略を提示します。
一つ目は、様々なことに取り組み、そして徹底的に努力する経験を得るということです。例えば10年間バイオリンを練習していたら、その練習方法や向き合い方を他のことにも応用することができます。やる気を失わず、慢心せず、自分の限界のギリギリのところまで負荷をかけたトレーニングを継続することが大切だと言います。
二つ目は、AIの意思決定を超える人間的なセンスを磨くことです。人間は大局的な流れや文脈を把握することに強みがあります。将棋を例に挙げると、人間の棋士は対戦相手の性格まで考え、流れを捕まえようとします。膨大なインプットと経験を積み重ねることによって、AIは持っていない「直感的なセンス」を磨くことができるのです。
三つ目は、芸術作品や文学作品を見極める感覚を育てることです。膨大なデータベースに照らして作品の価値を判断するのではなく、自分の直感を磨くことが大切だと言います。そのためには、美術館、博物館やコンサートに足を運び生の体験をする中で、自分なりの価値判断の土台のようなものを作っていくことができるはずだと言います。
さて、皆さんの脳は「AIを遠ざけることで教養を磨く」という酒井先生の主張をどのように解釈しましたか?もう少し詳しく話を聞きたい…そう思った方はぜひ講義動画全編をお楽しみください!
<文/下崎 日菜乃(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:学術フロンティア講義(30年後の世界へーー変わる教養、変える教養)2025年度開講 第5回 人脳を変える教養、AIに変えさせない教養 酒井邦嘉先生
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