栄養ってどれくらい採れば良い?~観察と実践の疫学~
2024/03/06

エネルギー:2700kcal、タンパク質:65g、食物繊維:21g以上、ビタミンC:100mg、…

これは厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」に示されている30歳〜49歳の男性の摂取基準です。現在は、どのような栄養が体にどのような影響を及ぼすのかある程度分かってきており、はっきりとした栄養の摂取基準が示されています。

しかし、昔は分からないことも多く、経験則的に摂るべきもの摂らざるべきものを決めていることも多くありました。

そんな健康に関する実践の学問が「疫学」です。今回は佐々木敏教授と共に疫学の実践の世界を見ていきましょう。

疫学とは

そもそも疫学とは何でしょうか?

先生の言葉をそのまま引用すると「明確に規定された人間集団に出現する健康問題の色々な事象の頻度と分布、およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」です。

ここで言う「明確に規定された人間集団」とは、言葉の通りかなり明確に定義されるもので、例えば「○月○日のどこどこの講義室にいた人たち」といった形で定義されます。そして、疫学の目的を簡単に述べると「それは人(集団)で起こるか」「それは現実的に意味があるか」の二つの点に答えることだと先生は言います。

疫学の代表的な例としてイギリスのある地域におけるコレラの流行とその発生源の特定の話を見てみましょう。

1800年代に、コレラは3度の世界的流行を見せ、ヨーロッパを中心に多くの死者を出しました。その3度目の流行は1852年~1860年にかけて発生し、イギリスのロンドンでは1853年~1854年にかけて10,738人がコレラにより死亡しました。

細菌(コレラ菌)がコッホによって発見されるのは、30年後の1884年のことであり、感染が流行した当時はまだコレラが細菌感染によって引き起こされるという発想自体がなく、空気に乗って病気自体が感染していくものだと考えられました。いわゆる「ミアズマセオリー(瘴気)」という考え方です。

そんな中、ジョン・スノーという麻酔科医はイギリスのある地域での流行は汚染された水によって引き起こされているのではないかと考えました。そして、患者や死者の家をマッピングするという調査の結果、感染源となっていた井戸を突き止めました。その井戸を使わないようにした結果、コレラの感染が止まったのです。

このジョン・スノーの活動は非常に疫学的なものだと佐々木先生は言います。井戸を閉じたことによって感染が収束に向かったのか、そもそも感染が終わりかけだったからたまたま対策をしたタイミングで感染が収まっていったのかはよく分かりません。ジョン・スノーは細菌の存在を知らなかったため、井戸を閉じることに効果があるという証拠を示す証拠を示すことはできませんでした。ただ、現場での調査と観察の結果から結論を導き出したのです。疫学は証拠は見せられず実際に何かが起こっている現場だけを見せることができる学問だというのが佐々木先生の考えです。ジョン・スノーの調査が後から「井戸水が細菌によって汚染されていた結果感染が拡大していた」と理論づけられたように、現場での観察が後の時代になって理論になるということなのです。

栄養の不足~脚気の例~

次に栄養の観点から、栄養が不足している状態と過剰な状態によって起きる健康問題とそれらへの対策について見ていきましょう。

皆さんは「脚気」という病気をご存じでしょうか? 脚気とはビタミンB1の不足によって心不全や末しょう神経障害が引き起こされる病気です。ビタミンB1はブドウ糖をエネルギーに変換する際に必要となりますが、体内で生成できないため、ビタミンB1を含む食べ物を取る必要があります。

しかし、古くはビタミンB1の存在が知られていなかったため、脚気は謎の病気でした。ビタミンB1はお米のぬかに含まれているのですが、江戸ではお米を精米して白米を食べるようになっていたため、江戸に行くと脚気になり、地方に戻ると治るということから、江戸時代には「江戸患い」とも呼ばれていました。

明治期になっても脚気は日本の国民病の一つであり、特に軍隊では多くの患者や死者が出たため大きな問題になっていたのです。そこに登場したのが高木兼寛(たかき・かねひろ)という海軍の医者でした。(高木は海軍にカレーを導入した人物としても知られています。)

高木はイギリス留学中に、イギリスに脚気がないことを不思議に思いました。また、日本の船でも外国の港に入港している時には脚気は発生せず、衛生環境がそれほど良くない獄中の囚人にも発生がないことに気が付きました。

高木は以上の観察から軍の食事を洋食化すればよいのではないかと考えました。しかし、日本の軍隊において洋食は嫌われ、加えて予算が潤沢にあるわけではなく、なかなか洋食化は進みませんでした。また、高木の考えはただの説に過ぎず、実証しなければ信じてもらえない状況でした。

そこで高木はほぼ同じ航路、航海日数、乗員の演習航海を利用して対照実験を行いました。当時はビタミンの概念はなかったため、高木はタンパク質に脚気解消のキーがあるのではないかと考えました。食事の内容だけを変え、それぞれ白米中心の和食と大麦や牛肉、大豆といったタンパク質が多い食事を乗員に与えたのです。その結果、タンパク質の多い食事を与えた演習艦では脚気は発生しませんでした。

高木の唱えた説は、実際のところ間違っていました。皆さんはすでにご存じのように脚気の原因はたんぱく質(窒素)ではなく、ビタミンB1です。しかし、高木が勧めた食事自体は正しく、ビタミンB1が十分に含まれているものでした。

この実践こそが疫学だと佐々木先生はおっしゃいます。高木は日本での知名度は低いものの、国際的に高く評価されているのです。

栄養の過剰~食塩~

次は栄養が過剰な状態、特に食塩が過剰な状態を見ていきましょう。

皆さんは日々自分が採っている塩の量を気にしていますか? WHOは「生活習慣病対策のために世界が行うべき5つのアクション」の2番目に食塩を挙げています。つまり、食塩は生活習慣病におけるかなり重要なファクターになっているのです。

特に関わってくるのが高血圧症です。塩分を取りすぎると血圧が上がるというのは周知の事実だと思いますが、実際どのように血圧は上がっていくのでしょうか?

年齢が上がると急激に上がるようなイメージがありますが、そうではありません。摂取する食塩の量に応じて、血圧は線形的に上がっていくのです。また、一度上がってしまうと、減塩をしても1ヶ月ほどで下げ止まってしまい、大きく下がることはありません。つまり、若いころから日々気を付けることが高血圧症予防には効果的なのです。

では、どれくらいの食塩を取ればよいのでしょうか? 厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2020年版)」によると、成人一人の1日の必要摂取量は食塩相当量で1.5gです。しかしこれは「必要な」量であるので極めて少なく、これを守ろうとしたら味気ない食事になってしまうでしょう。これは必要摂取量なので最低限の量です。

実際、日本人は平均して10gを超えた量を食べていると言います。アメリカの研究では1日3gの減塩をすることで死亡率が3%下がるという結果が出ています。しかし、3gの減塩はかなり厳しく継続して行うことは難しいです。1gの減塩でも大きな効果があります。そして、1gであれば日々減塩を行うことが可能です。日本人の目標摂取量は7.5g未満、血圧が上がらない摂取量の上限は5gです。みなさんも、ぜひ自分が日々採っている食塩の量について考えてみてください。

学際的な思考を身に付ければ楽しくなる

ここまで主に「観察」について紹介しましたが、講義内で紹介されていた「実践」の事例はお伝えしきれていません。疫学は実践あってこそなので、是非具体的な実践の事例は講義を確認してみてください。

佐々木先生はまとめとして「学際的な思考を身に付ければ楽しくなる」とお話ししていました。例えば、最初に紹介したジョン・スノーは麻酔科医であったため、気体に詳しく、感染症の専門家でなくてもコレラの感染の仕組みが空気感染によるものではないと見抜くことができました。

栄養学は、日本には専門に学べる学校があるわけではなく、様々な専門家が集まって成り立っている学問です。このように、多様なバックグラウンドを持つ専門家が集まることで面白い発見があることがあります。ひとりで様々な分野に首を突っ込むのではなく、多様な分野の友人・知人を作ることで自分が助けられるかもしれません。その一端を、講義を視聴して感じてみてください。

<文/園部蓮(東京大学学生サポーター)>

今回紹介した講義:ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)第5回 栄養疫学の視点から 佐々木敏先生

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