私たちは「ふるさとを捨てる学力」を身につけてきた〜ふるさとを支えるとは何か〜(「『農的な生活』歴史的・社会的な居場所ー『学び』と『恩送り』がもたらす自分の居場所ー」牧野篤先生)
2026/03/06

みなさんの中には、中学受験・高校受験・大学受験など、受験を経験したことのある方も多いのではないでしょうか。必死に勉強したり、逆になかなか勉強が捗らなかったり、苦労しながらも入試当日を迎える、さまざまな受験のドラマがあると思います。

そんな人々に対して、教育学研究科の牧野篤先生は問いかけます。
「受験を通して、みなさんは『ふるさとを捨てる学力』をつけてきたのではないか」。

今回ご紹介するのは、牧野篤先生による「『農的な生活』と歴史的・社会的な居場所ー『学び』と『恩送り』がもたらす自分の居場所ー」です。

「ふるさとを捨てる学力」とは何か

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 牧野 篤

牧野先生は次のように続けます。
入試において、一人一人がどういう人であるかということは、合否に関係ありません。
その大学が持っている基準をクリアすれば、誰でも入学することができます。
そのため、教育においては、全国一律で同じ教育内容で、誰もが同じように教え込まれ、センター試験(※現在は共通テスト)を受験する、ということが繰り返されています。
これは言い換えれば、「自分の地元のことを全く知らないで大学に入ってくる人」を増やす教育が行われているということでもあります。

「ふるさとを捨てた」愛知県豊田市の人々

さらに、牧野先生は愛知県豊田市での町づくりについて語ります。
2009年、牧野先生は当時の豊田市長から依頼を受け、豊田市の町づくりに関する調査研究を行うことになります。豊田市は平成の大合併で合併され、一部の地域では地域の活力が弱まり、疲弊してしまっている状況でした。牧野先生は、一年間かけてその地域の人々の生活に触れながら、そこに住む人々の感情を理解することで町づくりを設計しようとしました。そこで最初の取り組みとして、そこに住む高齢の方々に聞き取り調査を行いました。

ところが、そこで思いがけない出来事が起こります。
牧野先生は、ある高齢者から突然怒鳴られてしまったのです。
なぜ怒鳴られたのか。その理由を知るため、牧野先生はさらに聞き込みを続けました。
「過疎化は今に始まったことではない。60年も前から起こっている」
「いまあなたたちを偉そうに怒鳴りつけた我々だって、一度ここを捨てているんだ」

これはどういうことでしょうか。

その地域は、かつて林業で大いに栄えた地域でした。「木を一本切れば芸者を呼んで遊べる」とも言われ、豊かな文化が確かに存在していました。
しかし当時、そこには高校がありませんでした。
中学を卒業する頃になると、親は子どもにこう問いかけたといいます。

UTokyo Online Education 東京大学朝日講座 2018 牧野 篤

「博打をとるか、麻薬をとるか」

「博打」とは農林業のこと。
収入は年に一度、あるいは木が育つまで何十年も待たなければならない。不安定で、先が読めない生活です。

一方の「麻薬」はサラリーマン生活。
毎月一定の給料が入り、生活は単調になるが、年収の予測を立てることができる。すると、家電も車も買えるし、ローンを組めば家だって建つ。一度この安定した生活を手に入れれば、なかなか抜け出すことはできません。

「残念だけれど、親としては『麻薬を取れ』としか言えない」
子どもにはサラリーマン生活を勧めざるを得なかったのだと言います。
そして子ども自身も、その言葉を嬉しく受け取っていました。
「自分は『都市で出世してこい』と言われているのだ」と。
こうして多くの若者が都市へと出ていき、サラリーマンとして生きる道を選びました。「ふるさとを捨てた」のです。
ところが、実家には田畑や墓があったため、人生のどこかのタイミングで、彼らは再びふるさとへ戻ってきました。

しかし、ここで大きな問題が生まれます。
彼らの子ども世代は都市で生まれ育ったため、豊田市のことを「おじいちゃんおばあちゃんに会いに行く場所」だとは思っていても、「自分のふるさと」とは認識していないのです。
だから戻ってくる理由もなく、次の世代は帰ってこない。
彼らのふるさとの過疎化はこのようにして進んできました。

さらに、若い頃にその地域から出なかった人々も、農業だけで生計を立てていた人はほとんどいなかったのです。多くの人が、郵便局や教師などサラリーマン生活を行いながら、農林業はあくまでも維持するために行っていたと言います。

自分たちも一度捨ててしまったふるさとの文化。そのせいで自分の子どもたちはもうここに戻ってこないこと。そしてもともと農業だけで生計を立てていた人はほぼいないこと−「そんな場所にあなたたちは今更やってきて何をしようというのか」、という自責の念や諦めを、この地域の人々は抱えていました。

豊田市の町おこし

このような話を聞いた牧野先生は、「そこまで言われたらどうしようもないですね」と帰ろうとします。

すると、人々は引き止めました。
「ここまで丁寧に我々の気持ちを理解しようとしてくれた人はいなかった。我々のふるさとをどうにかしてくれないか」と。

しかし牧野先生は、「何かしたいから手伝ってというならやるけれど、なんでこのふるさとの人でもない自分がやらなきゃいけないのか」と、あえて突き放して帰ってしまったのでした。

後日、牧野先生に当時の豊田市長から電話がかかってきます。
「先日はつい頼ろうとしてしまったけれど、町の人々がなんとか自分たちでふるさとを立て直したいと言っている。手伝ってくれないか」という内容でした。
こうして、豊田市の町おこしが始まったのです。

この講義動画では、ふるさとをどのように作り支えるかということについて、その後の豊田市の取り組みを具体的に紹介しています。その取り組みにより、なんとその地域の人口は40人から100人にまで増えます。地域全体で子どもを育てるような雰囲気が醸成されていき、その地域に移住してきたある女性は、「都市に住んでいた頃は『子どもが生まれたらどうしよう』と不安に思っていたけれど、ここにいると子どもが欲しくなる」と言います。

豊田市のみなさんがどのようにふるさとを作り支えたか。
気になる方はぜひ講義動画をご覧ください!

〈文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)〉


今回紹介した講義:「居場所」の未来(朝日講座「知の調和―世界をみつめる 未来を創る」2018年度講義) 第10回 「農的な生活」と歴史的・社会的な居場所ー「学び」と「恩送り」がもたらす自分の居場所― 牧野 篤先生