20世紀最大の哲学者、ハイデガーについて知りたい方へ【「存在」とは何か】
2022/05/25

20世紀最大の哲学者と称されることも多いハイデガー。

しかし、その思想は極めて難解だと言われており、ハイデガーの主著である『存在と時間』は、一筋縄では理解できません。

「ハイデガーが提示した哲学的問題に触れてみたい!でもいきなり本を読むのはハードルが高い!」

今回は、そんなあなたにピッタリな講義動画を紹介します。

ハイデガーは一体何を問題にしようとしていたのか?

人間と世界の関係とは?

他者とはどのようなあり方をした存在なのか?

一からハイデガーについて説明されているので、すでに知識のある方はもちろん、これから哲学に触れてみたいと思っている初学者の方にもおすすめの講義です。(ただし、簡単ではないので、チャレンジする気持ちで講義動画を視聴してください!)

「存在」について問うハイデガーの思想

 UTokyo Online Education 有限的な生の意味Copyright 2009, 熊野 純彦

今回講師を務めるのは、西洋を中心にさまざまな哲学者の思想を紐解いてきた、東大倫理学研究室の熊野純彦先生です。

講義ではまず、ハイデガーが何を問題にしようとしていたのかが説明されます。

熊野先生によれば、ハイデガーが提示したのは「世界の中にある生は、どのようなあり方をしているのか」という問いです。

これは、「私が存在しているというのはどういう事柄なのか」と言い換えることもできるといいます。

なかなかピンとこない問いかもしれません。

それはきっと、あなたにとって「存在」というものが当たり前すぎて、問いにすべきものだと認識できないからでしょう。

実際、私たちや他者、その他の事物は、確かに「存在」していて、そのことについてそれ以上問いを立てる必要もないように感じられます。

でも、改めて考えてみてください。

「存在」という言葉が何を意味しているのか、あなたは正確に理解できていると言えるでしょうか?

おそらく、「存在」は「ある」ことだ、というくらいにしか、説明できないのではないかと思います。

しかし、この「ある」こととは一体何なのでしょうか?ハイデガーが問題にしようとしたのは、その先のことなのです。

まだピンときていないかもしれません。言葉として理解はできても、何を問われているのかよくわからないと思います。

でも、気落ちしなくて大丈夫です。ハイデガーの問いを理解すること自体が、非常に難しいからです。

と言うよりも、この問いのかたちを正確に理解することができれば、ハイデガーを理解したとさえ言えます。

なぜなら、ハイデガーの功績は、この問いに答えを出したことではなく、この問いをはっきりとしたかたちで提示したことにあるからです。

「存在」という、自明で、一見それ以上説明しようがないと思われるものに目をつけ、哲学的に考察する筋道を立てたのが、ハイデガーなのです。

現存在としての人間は世界とどう関わっているのか

 UTokyo Online Education 有限的な生の意味Copyright 2009, 熊野 純彦

それでは、どのようにすれば「存在」について考察することができるのでしょうか?

ハイデガーはその第一歩として、「現存在」という新たな概念を作り出します。

熊野先生によれば、これは「その都度私の存在である、その存在」だと言います。

この定義だけをみても、おそらく全く理解できないでしょう。

しかし、熊野先生いわく、この「現存在」は「人間」のことを指していると考えて、ひとまず差し支えはないそうです。

ハイデガーはこの「現存在」という概念を軸として、つまり、人間がどのように存在しているのか考えることを通して、存在についての探究を進めていきます。

現存在である私たち人間は、世界のなかにいる存在です。そのことを指し示すため、ハイデガーは「世界内存在」という概念も持ち出します。

つまり、人間は現存在でありながら、世界内存在でもあるということです。

(どんどん新しい言葉が出てきて困惑しているかもしれません。熊野先生いわく、ハイデガーには新しい言葉を作り出したがる性質があるそうです。これからハイデガーを学びたい人にとっては、なかなか厄介な性質だと言えるでしょう。)

ただし、世界内存在とは言っても、私たち人間は、たとえばコップの中に水があるようなかたちで、この世界の中に存在しているわけではありません。

私たちと世界は、それぞれ独立してあるのではなく、私たちは「世界と切り離しがたく存在している」のです。

この切り離しがたさは、世界の事物が「道具的」に私たちの前に立ち現れていることによって説明できます。

たとえば、私たちはハンマーを単なる鉄の塊としてではなく、釘を打つための「道具」として見ます。もちろんその釘もまた「道具」です。

「道具」となるのは人工物ばかりではありません。太陽は、照り輝く恒星でありながら私たちに光を届けてくれるものでもあるし、川もまた、ただの水の集合体ではなく、水車を回したり、場合によっては洗濯に用いられるものとして存在します。

ハイデガーはこのように、世界と切り離しがたく存在する世界内存在としての視点から、存在に対する問いをかたち作っていくのです。

「他者」、「死」、そしてその先へ

 UTokyo Online Education 有限的な生の意味Copyright 2009, 熊野 純彦

客観的な科学のやり方によって事物を探究することに慣れている私たちにとって、ハイデガーの考え方は違和感を覚えるものかもしれません。

しかしある意味で、それは新鮮な考え方であるとも言えます。ハイデガーの思想を辿ることで、これまで当たり前だと思ってきたものごとを、新たな視点で捉え直すことができるようになってきます。

そして確かに、最初は全く糸口が掴めなかった「存在とは何か」という問いが、次第に概観できるようになってきます。

ハイデガーは独自の用語が多いこともあり、最初の理解には戸惑うことも多いです。

しかしその分、議論が深まっていくと、他では替えの効かない面白さを味わうことができます。

講義の後半では、「他者」という新たな存在者について考えることで、さらに発展した議論が展開されています。

他者について考え始めると、「他者に置き換えることのできない、私たちそれぞれに固有な生のあり方とは何か」という問いが新たに生まれます。

そしてこの問いは意外にも、「死」という概念に結びついているのです。

この記事では、ハイデガーの思想、そしてそれを辿る講義の魅力を十分にお伝えできていません。

でも、「ハイデガー、なんかすごそう」ということは、感じていただけたのではないでしょうか?(感じててほしい……!)

その「なんかすごそう」を「面白い」に変える第一歩として、ぜひ熊野先生の講義動画を視聴してみてください。

今回ご紹介した講義:死すべきものとしての人間-生と死の思想(学術俯瞰講義) 第9回 有限的な生の意味 熊野 純彦先生

<文/竹村直也(東京大学オンライン教育支援サポーター)>