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サステイナブル・ファイナンス・スクール
2023年度開講

サステイナブル・ファイナンス・スクール

本スクールは、近年、国内外で主流となりつつあるサステイナブル・ファイナンスに関して、背景にある地球規模での環境・社会・ガバナンス課題への理解を深め、サステイナビリティやファイナンスの学術的基礎知識を身に付けると同時に、実務遂行に必要な知識やスキル、発想力、マネジメント力、調整力を育成するものです。特に若手から中堅の社会人を対象とし、サステイナブル・ファイナンスの課題を読み解いたうえで日常業務に生かすにとどまらず、国際社会動向に精通する能力を高め、企業の中長期的な経営戦略の中に組み込む総合的な判断力を育成することを目標とします。

ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)
2022年度開講

ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)

現代社会では、想定外の政治的課題や事象が次々と起こっています。その際、マジョリティ側とは異なる視点、ジェンダーや多様性の視点を導入することで、複雑な事象や課題を別の視点から捉え、分析することが可能になります。政府が設定した「202030年目標」は未達成に終わりましたが、新たに、2020年代の可能な限り早期に社会のあらゆる分野において指導的地位に占める女性比率が少なくとも30%程度になるよう目標を設定しています。本講義では、ジェンダー平等後進国の日本の現状について、学生が認識を高め、ジェンダーをめぐる多様な問題について自ら考える機会を持つことを目的としています。初回はイントロダクション、2回目から11回目までは各講師の専門領域の視点や切り口からジェンダー不平等に関連したトピックについて講義を行います。第12回は講義を踏まえてグループに分かれてディスカッションを行い、第13回は発表とまとめの回になります。

学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」
2023年度開講

学術フロンティア講義「30年後の世界へ― 空気はいかに価値化されるべきか」

 東アジア藝文書院は、2019年度の発足以来、「30年後の世界へ」をテーマとして毎年オムニバス講義を行ってきた。今年度は「空気の価値化」について考えたい。  グローバルな気候変動が人類の生存を危機に晒している。2050年のカーボン・ニュートラル実現が人類共通の目標に据えられているが、専門家の中には2030年までが目標達成のために具体的な手立てを講じ得る最後のチャンスであるとの声もある。現に猛暑や異常渇水、巨大水害、森林火災などが世界中で深刻な被害をもたらしている。温室効果ガスの排出を止めるためには、少なくとも化石燃料の使用を制限しなければならないが、一方で、人々の安全かつ健やかなくらしのために、機械的な空気調和が欠かせないのも事実だ。わたしたちは、炭素化合物を排出して空気の条件そのものに人為的変更を加えながら、悪化した空気を局部的に調整するためにさらなるエネルギー消費を行うという矛盾した経済活動のことを文明と称している。  たしかにわたしたちは空気なしでは生活できない。空気を条件づけること(air conditioning)はしたがって、人間を条件づけること(human conditioning)である。だからこそ、わたしたちは空気に独自の価値を見出さなければならない。空気において新たな価値は創造できるだろうか?だが、そもそも空気に価値を見出すとはいかなることなのだろうか?この講義ではこれらの問いについて、分野を越えて議論したい。  新たな価値の創造は産業社会の革新的発展の原動力であり、豊かな明るい未来の到来を予感させる。だが、こうした期待には、価値とは交換価値であるという前提がある。だが、近代文明がそのように価値を矮小化してしまったために、人類は大きな代価を払っている。直接人類の文明生活が脅かされているだけではない。あらゆる生命を育む地球の生態環境全体が深刻に脅かされている。本来、地球は生きとし生けるものたちすべてにとっての「コモンズ」であるはずであり、その価値は交換価値によってだけ測られるものではない。  交換価値の外側には、価値にならない価値、非価値の価値が見出されるべきである。それを指標化するために「社会的共通資本」という概念がある。空気に価値があるとすれば、それはまず社会的共通資本としての価値であろう。その価値は交換価値よりも、交換を可能にする基礎要件に近い。ところで、交換は資本主義や近代社会に特有なものではない。人間の活動にはつねに何らかの交換がつきまとっている。つまり、交換によって媒介される人間活動は交換価値に先立って存在している。人間の行為に交換が付きまとっているということは、人間が関係性によって成り立つ動物だということを示す。人は空気なしに生きられない。だがそれは、生命維持に不可欠な物質としての空気への依存のみを意味するのではない。空気が交換を可能にする基礎要件であるということは、空気はまた、人の関係性を成立させるための〈場〉でもあるということを意味している。空気をよくしていくことは、したがって、関係性を生み出したり、促進したりすることでもあり、関係性はすべて交換価値に還元できるわけではない。  つまるところ、「空気の価値化」とは、物質であると同時に多様な関係を取り結ぶ〈場〉としての機能をも有する空気に独自の価値を見出すべく、非価値の価値に光を当てようとする創造的試みである。空気の価値を創造することは、価値概念の変容をもたらし、したがって、人間に対する理解のありようを変容させることにつながる。特に、関係性は人と人のみならず、自然の万物や超越との関係性を含むし、今日、関係性の〈場〉には物理空間のみならずサイバー空間までが含まれるはずだ。  カーボン・ニュートラルの実現が、人のよりよき生を顧みることのないままに目指されることになれば、2050年にわたしたちが見出すのはディストピアの光景であるかもしれない。「空気はいかに価値化されるべきか」という問いは、価値概念の見直しから始めて、万物のよりよき共生的関係を可能にする社会経済システムを考えるプロジェクトである。これこそはいまアカデミアが果たすべき役割の中心であるにちがいない。

人間環境システム学
2021年度開講

人間環境システム学

自然災害や環境問題は、人間社会と地球環境の接点領域において生じる主要現象である.巨大化する自然災害は、人類社会の持続的発展にとって大きな脅威となりつつある.自然災害を生起させる様々な自然現象を対象として、それらの発生規模-頻度分布特性や地域性を解明するとともに、人間社会の変化とともに深刻化する環境問題の実態を理解することを目標とする.本講義では、世界各地でのフィールドワークの実態を紹介する。人間社会を自然環境システムの一部に位置付けることを通じて、人間社会は自然災害や環境問題といかに向きあっていくべきか、地理学的視点から論考する。

30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)
2022年度開講

30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)

 東京大学 東アジア藝文書院(East Asian Academy for New Liberal Arts, EAA)は2019年度以来、教養学部で「30年後の世界へ」を共通テーマとするオムニバス講義を行ってきました。「30年後の世界」は具体的に今日から30年後の世界のことを指しているわけではありません。受講者のみなさんが社会の各領域で中心的な役割を担っているであろう未来のことを象徴的に表すものです。そこに至るまでの道のりは、みなさん一人一人が自分で、そして他の誰かと手を取り合って歩いて行くものです。未来はしたがって、みなさんの外側からやってくるものではなく、みなさんがわたしたちと共に創りあげていくものなのです。「30年後の世界へ」とはつまり、みなさんが自身の未来を想像するための手がかりとなる言語を探す旅の始まりを劃すわたしたちからの呼び声にほかなりません。教養とは持てる知識の量的な豊かさではなく、未来を創りだすために必要な言語を不断に鍛え続けるプロセスのことを指すと、わたしたちは考えます。  2022年度の講義では「共生」という概念について問い直してみます。 共生ということばが使われるようになって久しくなりました。人、文化、社会、技術、自然などの様々な領域において、「他者」と名指されるあらゆる存在と共生することが、わたしたちの目指すべき理想の姿であるとされます。  このことばは、生物の世界において異なる生物種が相互依存の関係にあることを示すsymbiosisに通じると理解されることがあります。したがって、実は共生とは、わたしたちが目指すべき社会の理想である以前に、わたしたちがこの世界にあって生きていることの前提条件であり、既存の事実であると言うべき状態のことなのです。しかし、共生が自然界における厳然たる事実である以上、それは、赤裸々な無道徳の世界のありようでもあり、そこで表現されるのが全的な調和であるとしても、その中には個体の死滅や個体間の生存をかけた闘争が不可欠なメカニズムとして組み込まれています。まして、人新世と呼ばれる近代文明は、生物としての人の生を管理しながら延長することを倫理的な要請としつづける一方で、自然界における生物の多様性を著しく損なっています。そんな中で、持続可能性を探究することがいまや世界的な課題であると見なされています。しかし、SDGsのかけ声は、人間の類としての生存(したがって人類内部の共生)を持続的に可能にするだけのものに終わってはならないでしょう。その声は、生命を持つあらゆる種との共生を望むもう一つの声によって応答されるべきでしょうし、いまはまだ世界に存在していない者の声をも喚び起こすものであるべきです。ましてや、持続すべきものが近代文明によって生み出されたさまざまな現実のレベルに留まっていては、それは近代文明を享受する一部の人びとの独りよがりに終わってしまいかねません。要するに、単なる持続を追求するのとは異なる、新しい人間の生のあり方が真剣に問われるべきであると言うことができます。  しかし、そんなことがいかにして可能になるのでしょうか?生物の世界における共生関係が示しているのは、生が死と共にあるというきびしい現実にほかなりません。だからこそ、あるべき共生について考えるためには、生が死と一対のものであることを無視することはできませんし、全的生存のために犠牲を正当化する構造を人間が創りだしてきた現実への反省が求められるはずです——この反省は日本から東アジアに向かって共生を唱えようとする場合にことさら重要な当事者責任において行われるべきです——。新しい冷戦の到来とも言われる今日の世界情勢のもとで政治社会がいかにあるべきかを考え、また、テクノロジーの発展の先にあるべき人のあり方を構想するためにも、わたしたちは、「他者」なる存在と共によりよく生きるための思索をこの世界に生を受けた人間の責任として深め、想像力を豊かにしていく必要があります。  共生を事実としてそのまま理想化するのではなく、既存の思想の枠組みの中であるべき姿を構想するのでもなく、このことばとそこから派生する一連の言語を問い直すことを通じて、わたしたちが生きるべきよりよき生のあり方について、いっしょに考えてみることにしましょう。

ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)
2022年度開講

ジェンダー不平等を考える(学術フロンティア講義)

現代社会では、想定外の政治的課題や事象が次々と起こっています。その際、マジョリティ側とは異なる視点、ジェンダーや多様性の視点を導入することで、複雑な事象や課題を別の視点から捉え、分析することが可能になります。政府が設定した「202030年目標」は未達成に終わりましたが、新たに、2020年代の可能な限り早期に社会のあらゆる分野において指導的地位に占める女性比率が少なくとも30%程度になるよう目標を設定しています。本講義では、ジェンダー平等後進国の日本の現状について、学生が認識を高め、ジェンダーをめぐる多様な問題について自ら考える機会を持つことを目的としています。初回はイントロダクション、2回目から11回目までは各講師の専門領域の視点や切り口からジェンダー不平等に関連したトピックについて講義を行います。第12回は講義を踏まえてグループに分かれてディスカッションを行い、第13回は発表とまとめの回になります。

人間環境システム学
2021年度開講

人間環境システム学

自然災害や環境問題は、人間社会と地球環境の接点領域において生じる主要現象である.巨大化する自然災害は、人類社会の持続的発展にとって大きな脅威となりつつある.自然災害を生起させる様々な自然現象を対象として、それらの発生規模-頻度分布特性や地域性を解明するとともに、人間社会の変化とともに深刻化する環境問題の実態を理解することを目標とする.本講義では、世界各地でのフィールドワークの実態を紹介する。人間社会を自然環境システムの一部に位置付けることを通じて、人間社会は自然災害や環境問題といかに向きあっていくべきか、地理学的視点から論考する。

30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)
2022年度開講

30年後の世界へ ― 「共生」を問う(学術フロンティア講義)

 東京大学 東アジア藝文書院(East Asian Academy for New Liberal Arts, EAA)は2019年度以来、教養学部で「30年後の世界へ」を共通テーマとするオムニバス講義を行ってきました。「30年後の世界」は具体的に今日から30年後の世界のことを指しているわけではありません。受講者のみなさんが社会の各領域で中心的な役割を担っているであろう未来のことを象徴的に表すものです。そこに至るまでの道のりは、みなさん一人一人が自分で、そして他の誰かと手を取り合って歩いて行くものです。未来はしたがって、みなさんの外側からやってくるものではなく、みなさんがわたしたちと共に創りあげていくものなのです。「30年後の世界へ」とはつまり、みなさんが自身の未来を想像するための手がかりとなる言語を探す旅の始まりを劃すわたしたちからの呼び声にほかなりません。教養とは持てる知識の量的な豊かさではなく、未来を創りだすために必要な言語を不断に鍛え続けるプロセスのことを指すと、わたしたちは考えます。  2022年度の講義では「共生」という概念について問い直してみます。 共生ということばが使われるようになって久しくなりました。人、文化、社会、技術、自然などの様々な領域において、「他者」と名指されるあらゆる存在と共生することが、わたしたちの目指すべき理想の姿であるとされます。  このことばは、生物の世界において異なる生物種が相互依存の関係にあることを示すsymbiosisに通じると理解されることがあります。したがって、実は共生とは、わたしたちが目指すべき社会の理想である以前に、わたしたちがこの世界にあって生きていることの前提条件であり、既存の事実であると言うべき状態のことなのです。しかし、共生が自然界における厳然たる事実である以上、それは、赤裸々な無道徳の世界のありようでもあり、そこで表現されるのが全的な調和であるとしても、その中には個体の死滅や個体間の生存をかけた闘争が不可欠なメカニズムとして組み込まれています。まして、人新世と呼ばれる近代文明は、生物としての人の生を管理しながら延長することを倫理的な要請としつづける一方で、自然界における生物の多様性を著しく損なっています。そんな中で、持続可能性を探究することがいまや世界的な課題であると見なされています。しかし、SDGsのかけ声は、人間の類としての生存(したがって人類内部の共生)を持続的に可能にするだけのものに終わってはならないでしょう。その声は、生命を持つあらゆる種との共生を望むもう一つの声によって応答されるべきでしょうし、いまはまだ世界に存在していない者の声をも喚び起こすものであるべきです。ましてや、持続すべきものが近代文明によって生み出されたさまざまな現実のレベルに留まっていては、それは近代文明を享受する一部の人びとの独りよがりに終わってしまいかねません。要するに、単なる持続を追求するのとは異なる、新しい人間の生のあり方が真剣に問われるべきであると言うことができます。  しかし、そんなことがいかにして可能になるのでしょうか?生物の世界における共生関係が示しているのは、生が死と共にあるというきびしい現実にほかなりません。だからこそ、あるべき共生について考えるためには、生が死と一対のものであることを無視することはできませんし、全的生存のために犠牲を正当化する構造を人間が創りだしてきた現実への反省が求められるはずです——この反省は日本から東アジアに向かって共生を唱えようとする場合にことさら重要な当事者責任において行われるべきです——。新しい冷戦の到来とも言われる今日の世界情勢のもとで政治社会がいかにあるべきかを考え、また、テクノロジーの発展の先にあるべき人のあり方を構想するためにも、わたしたちは、「他者」なる存在と共によりよく生きるための思索をこの世界に生を受けた人間の責任として深め、想像力を豊かにしていく必要があります。  共生を事実としてそのまま理想化するのではなく、既存の思想の枠組みの中であるべき姿を構想するのでもなく、このことばとそこから派生する一連の言語を問い直すことを通じて、わたしたちが生きるべきよりよき生のあり方について、いっしょに考えてみることにしましょう。